蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第51話「謀殺」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカ合衆国海軍太平等艦隊司令長官にして、合衆国中部太平洋方面軍総司令官の地位にあるレスター・ニミッツ大将は、その重責から考えると、意外なほどフットワークが軽い。

 

 必要とあれば最前線であろうが、本国の首都ワシントンだろうが足を運び、現地の責任者と顔を合わせて協議を行う事もしばしばだった。

 

 その度に、参謀長のレイナード・スプルーアンスは彼に付き合って飛び回る羽目になるのだが、それはもはやナンバー2の宿命として諦めるしかなかった。

 

 一度などは、帝国海軍の猛攻を受ける最前線であるエスピリトゥサントに赴き、前線の兵士をねぎらった事もあった。

 

 必要とあれば、何処へでも積極的に赴く。

 

 その点、トラック環礁の「大和」や「武蔵」に腰を据えたまま、ほとんど動こうとしない山本伊佐雄とはえらい違いである。

 

 今日も今日とてニミッツは、スプルーアンスを引き連れて、遥か南太平洋のヌーメアくんだりまで足を運んでいた。

 

 目的は、現地の最高責任者であるビル・ハルゼー中将との会談にあった。

 

 ハルゼーとしても、信頼する上官と、かつての部下であり親友でもあるスプルーアンスの来訪とあって、2人を快く出迎えたのだった。

 

 だが、会談が始まって暫くすると、ハルゼーの顔が険しい物へと変化する事が判った。

 

 彼の手には、ニミッツたちが持参した書類と、とある極秘作戦の指令書が握られている。

 

 その書類の内容が、ハルゼーの表情が変化した原因だった。

 

 それらを一読してから、ハルゼーは顔を上げてニミッツとスプルーアンスに視線を向けた。

 

「・・・・・・・・・・・・まずは2点、確認しておきたい事がある」

 

 ハルゼーは慎重に、言葉を選ぶようにして口を開く。

 

 それ程までに、事は重大だと判断したのだ。

 

 ハルゼーは書類を手に取ると、ニミッツを見た。

 

「この情報は確かなのですか? 誤報、もしくは敵の罠の可能性は?」

「誤報の可能性は、もちろんある」

 

 答えたのは、ニミッツだった。

 

「だが、仮に誤報だったとしても、我々が失う物は何も無い」

「加えて罠だったとしても、最小限の損害で済む。リスクとリターンを天秤に掛けた場合、今回はリターンの方が大きいと判断した」

 

 ニミッツの後を受けて、スプルーアンスが説明する。

 

 太平洋艦隊司令部としても、それなりの清算が見込める物として、作戦実施に踏み切ったのだ。

 

 しかし、尚もハルゼーは、完全には納得できないと言った風に続ける。

 

「今一つ、俺が懸念するのは、この作戦を実行した結果、却ってジャップ共の力を強化してしまう可能性は無いかと言う事だ」

 

 ハルゼーは猪突猛進型の猛将と見れら勝ちだが、その内面においては緻密な作戦立案ができる人物でもある。それ故に、この作戦には、慎重な判断が必要であると考えているのだ。

 

 対して、

 

「無い」

 

 ニミッツは言下に言いきった。

 

「この作戦が成功すれば、帝国軍の戦力は確実に低下する。それは太平洋艦隊司令部でも充分に検証を重ねたから間違いない」

 

 自身のある言葉を発するニミッツ。

 

 それに対して、

 

「成程。それが聞きたかった」

 

 ハルゼーは、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

 全ての憂いは解消された。

 

 ならば、後は猛犬を野に解き放つ瞬間を待つばかりである。

 

「俺の存在意義に掛けて、必ずや作戦成功に導いて御覧に入れましょう」

 

 ハルゼーは自信満々に言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は、少し遡る。

 

 結局、

 

 帝国海軍が期待を込めて実施した「い号作戦」は、殆ど戦果の上がらないまま終結した。

 

 航空隊は1週間に渡って合衆国軍の各拠点に航空攻撃を仕掛け、重巡洋艦1隻、駆逐艦4隻、輸送船10隻撃沈、航空機200機撃墜を主張している。

 

 しかし、実際に上げた戦果は、駆逐艦1隻、輸送船1隻撃沈、航空機45機撃墜に過ぎなかった。

 

 元々、航空戦には誤認がつきものである事に加えて、大量投入された技量未熟パイロット達が、己の戦果を見誤った事が原因だった。

 

 対して、喪失した航空機は120機にも及ぶ。その中には連合航空艦隊から一時的に出向したパイロット達も多く含まれている。

 

 前線の兵士達は、一連の戦闘を自虐的な皮肉を込めて「航空自滅戦」と呼んだほどである。

 

 こうして、帝国海軍航空隊は、ほんの僅かな戦果と引き換えに再び壊滅的な損害を受け、小沢治俊をはじめとした連航艦上層部は、パイロットをはじめから錬成し直す必要に迫られたのだった。

 

 

 

 

 

 宇垣護の趣味の一つは、日記を書く事である。

 

 「戦藻録(せんそうろく)」と銘打たれた宇垣の日記は、開戦から起こった全ての出来事を、宇垣自身の視点から見聞きした物を、緻密に書かれている。勿論、宇垣自身の判断や行動、その時々の心情も含めて網羅されていた。

 

 戦後、宇垣の日記は、帝国海軍の前線指揮官が自らの体験を綴った貴重な第一級資料として重宝され、多くの戦史に引用される事になる。

 

 ドアがノックされ、相手が部屋の中へと入って来たのは、宇垣がその日の分の日記を書き終え、ページを閉じた時だった。

 

「邪魔するよ、参謀長」

 

 そう声を掛けて入ってきた人物を見て、宇垣は珍しく驚きの表情を浮かべた。

 

「長官、いったいどうされたのですか?」

 

 入口に立っていたのは、連合艦隊司令長官であり、宇垣にとってGF内では唯一の上官である山本伊佐雄大将だった。

 

 驚く宇垣に対し、山本は柔らかい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

 

「たまには、君と腹を割って話をしてみたくてね」

 

 そう言って、山本は手にした酒瓶を掲げる。

 

 これも珍しい事である。山本は下戸の甘党であり、酒は殆ど口にしない。その山本が、わざわざ酒を持って来た事が、宇垣には意外だった。

 

「でしたら、わざわざお越しいただかずとも、呼んで頂けれ私の方から伺いましたが」

「気にするな、散歩のついでだよ」

 

 そう言うと山本は、自ら予備の椅子を引っ張ってきて座る。

 

 宇垣もその間に気を利かせ、湯呑みを二つ用意する。

 

 やがて器が酒に満たされると、2人は同時に掲げて口に運ぶ。

 

 それからしばらく、2人は酒を酌み交わしながら、他愛のない話に談笑をかわした。

 

 宇垣がキャラに似合わず実は動物好きであり、家では「エリー」と言う大きなシェパードを飼っていた事。

 

 そのエリーがつい先頃、宇垣の任務中に寿命で死んでしまって悲しかった事。

 

 しかし、家族が新しくシャムネコを飼い、その写真を送ってくれた事。

 

 それらの事を聞きながら、山本は一喜一憂し、時には声を上げて笑ったりもした。

 

 そんな事をしながら、2人は1時間ほどの歓談をしていた。

 

「いや、実に楽しい」

 

 顔に笑みを浮かべながら、山本は宇垣に語りかける。

 

「こんなに楽しいなら、君とはもっと早くから仲良くしておけばよかったよ」

「それは・・・・・・私の不徳でした。申し訳ありません」

 

 そう言って頭を下げる宇垣。

 

 だが、大して山本は手を振る。

 

「いやいや、これは私のせいだよ。私が君を押しのけ、遠ざけてしまった事が原因だ。そのせいで、君には随分と窮屈な思いをさせてしまったように思う。本当にすまなかった」

「そんな、長官、顔を上げてください」

 

 頭を下げる山本に対し、宇垣が慌てて制する。

 

 確かに、着任から開戦初期のころまで、山本は宇垣をないがしろにする傾向が強かったのは事実である。

 

 しかし、ミッドウェー以後は、山本は宇垣の意見も積極的に採用するようになった。

 

 これは、山本が宇垣を認めたからに他ならなかった。

 

「なあ、参謀長」

 

 山本は口調を改めて言う。

 

「私は、い号作戦の事後処理が終わったら、海軍省に辞表を提出するつもりだよ」

「長官ッ」

 

 突然の山本の発言に、宇垣は思わず腰を浮かしかける。

 

 対して、山本はそんな宇垣に手を上げて制すると続けた。

 

「私は長く務め過ぎた。流石に、疲れてきたよ」

 

 連合艦隊司令長官は激務である。それ故「平時でも2年が限界」と言われているほどだ。それを山本は、戦時を含めて4年も勤めている。確かに、限界はとうに超えていると言って良かった。

 

「それに、ミッドウェーや米豪遮断作戦が失敗した責任を、誰かが取らなくてはならん。それなら、俺が取るべきなんだ」

「長官、それは・・・・・・・・・・・・」

「君達がソロモンの早期撤退を主張しなければ、損害はもっと大きくなっていた筈。結局、私がした事は、悪戯に戦果を拡大して、損害を増やしただけに終わった」

 

 戦争の早期終結を目指して真珠湾攻撃を主張した山本。

 

 だが、蓋を開けてみれば戦争は予想以上に長期化し、1年以上たった今も、終結の兆しを見出す事はできない。

 

 その間に連合艦隊は多くの戦力を消耗し、特に精鋭の航空隊は大半を消耗してしまった。

 

 作戦は、明らかに失敗だった言わざるを得ない。

 

 山本は、その責任を取ろうとしているのだ。

 

「だが、その前に1つ、どうしてもやっておきたい事がある」

「やっておきたい事、ですか?」

 

 訝るように尋ねる宇垣に対し、山本は神妙な顔つきで頷きを返す。

 

「なあ、参謀長・・・・・・」

 

 次いで、山本が言った言葉は、宇垣を驚愕させるのに十分な物だった。

 

「黒鳥を、誰かに変えようと思うのだが、誰かいい人はいないかね?」

「黒鳥を、ですか・・・・・・・・・・・・」

 

 作戦参謀の黒鳥陽介大佐は、山本司令部の中でも特に山本自身に気に入られ、いわば多くの寵愛を受けた存在である。

 

 その山本自ら、黒鳥の罷免を口にした事が宇垣には意外だったのだ。

 

「黒鳥は私によく仕えてくれた。特に真珠湾攻撃は、奴の頭脳が無ければ実現は不可能だったことだろう。しかし、これは誰かにも言われた事だが、1人の参謀の意見ばかりを重用しすぎれば、いずれ敵に手の内を読まれやすくなる。事実、ミッドウェー以後、黒鳥が立案した作戦では決まって、我が軍は大きな損害を出している。これは、黒鳥の思考が敵に読まれていると考えるのが妥当だろう」

 

 確かに、と宇垣は湯呑みの酒を飲み欲しながら頷いた。

 

 黒鳥が中心になって立案した作戦の時は大損害を受ける事が多かったのに対し、それ以外の作戦では、帝国海軍はそれなりの戦果を上げて勝利している。それを考えれば山本の考えは、あながち的外れではない可能性があった。

 

「黒鳥には何か、良いポストがあればそちらを推薦しようと思っている。そうすれば、奴も不満には思うまい。それで、どうだね?」

 

 宇垣の湯飲みに酒をを注ぎながら、山本は再び尋ねる。

 

「誰か、良い奴はいないかね」

 

 問いかける山本に対し、宇垣はある種の確信を持って口を開いた。

 

「そう言う事であるなら長官、私は第7艦隊司令官を推挙いたします」

「7艦隊の司令と言えば、水上大佐か・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って、山本は何度か会った事がある彰人の顔を思い浮かべる。

 

 確かに、面白い考えの持ち主であるとは思っていたが。

 

「確か君は、7艦隊司令とは懇意だったな」

「長官、確かに私は水上大佐と懇意にしておりますが、それを理由に彼を推挙している訳ではありません。彼の戦略眼は一見すると独創性に富んでいるように見えますが、その根っこの部分には堅実な用兵思想があります。今後、苦しくなる戦局において、必ずや彼の頭脳が必要になるでしょう」

 

 実際、宇垣はこれまで、何度も彰人が戦略予想を的中させてきたのを知っている。

 

 それに彰人は、戦争の本質が何であるかを心から理解している。とかく決戦主義に陥りがちな帝国海軍の中にあって、彼のような人物こそ徴用すべきだった。

 

 対して、山本も深く頷きを返す。

 

「判っておるよ。君は私情で事を運ぶような人間ではない。それに、私自身、水上大佐の事は面白いと思っておったしな。今度、彼を推薦してみるよ」

 

 そうこうしている内に、酒瓶が空になっている事に気が付いた。

 

「今日は久々に、楽しい会話ができた気がするよ」

 

 そう言って、山本は笑う。

 

 い号作戦で大きな損害を出して以来、山本は塞ぎこむ事が多かった。それがここにきて、払しょくできた形である。

 

「私は明後日、事後処理を始める前に、前線の視察に行く予定だが、君も同行してくれるな?」

「はい、勿論です」

 

 問いかける山本に対し、宇垣は頷きを返す。

 

 山本はかねてから、い号作戦の進捗状況を自分の目で確認する為、前線基地へ視察に行く事を望んでいた。

 

 その願いはなかなかかなえられる事は無かったのだが、い号作戦の結果、合衆国軍の作戦は下火になっている。ならば、この機会に山本の要望だった前線視察を行おうと言う話になったのである。

 

 山本が行くのなら当然、宇垣も同行するつもりだった。

 

「さて、私はそろそろ行くよ。前線視察の件、よろしく頼むよ」

「はい」

 

 そう言って、立ち上がる山本。

 

 そのまま、部屋から出て行こうとしたのだが、何かを思い出したように足を止めた。

 

「そうだ、肝心な事を言い忘れる所だった」

 

 どこか楽しげな笑みを浮かべて、山本は振り返る。

 

「喜べ参謀長。大和が帰って来るぞ」

「大和が・・・・・・・・・・・・」

 

 山本の言葉に、思わず宇垣は声を出す。

 

 大和が、帰ってくる。

 

 第3次ソロモン海戦で損傷し、本土で修理と改装を受けていた「大和」が、戻ってくるのだ。

 

「嬉しそうだな」

「は・・・・・・はッ」

 

 笑みを含んだ山本の言葉に、宇垣は恐縮した体で頷きを返す。

 

 嬉しい、と言われれば確かにその通りだった。

 

 大和が帰ってくる。

 

 そう聞いただけで、宇垣は己の胸の内が熱くなる想いだった。

 

「人間と艦娘、立場に違いはあれど、心を通わせる事は決して悪い事じゃない。だから、彼女を大切にしてやるんだぞ」

 

 そう告げると、山本は今度こそ部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日間は、慌ただしく過ぎ去っていいった。

 

 その間、合衆国軍の偵察機が時折、ラバウル近郊まで接近する事はあっても、それが大規模な戦果に発展する事も無く、奇妙な静けさが保たれていた。

 

 い号作戦は実質的な戦果こそ少なかったが、合衆国軍は帝国軍の攻勢を警戒して防衛ラインを強化する一方、一時的に攻勢を控える行動を取った為である。

 

 これを考えると、い号作戦は全くの失敗では無く、「合衆国軍を封じ込めて一時的に制空権を確保する」事自体には成功していた事になる。

 

 そんな中、ラバウルを発した一群の航空部隊が、ソロモン諸島に向けて飛行していた。

 

 1式陸攻2機と、それを護衛する零戦6機から成る編隊は、間も無く、帝国軍の最前線となっているブーゲンビル島の上空へと差し掛かろうとしていた。

 

 1式陸攻の1号機には山本伊佐雄と連合艦隊司令部の参謀たちが乗り込み、2号機には宇垣護参謀長以下、残りのスタッフが乗り込んでいる。

 

 かねてより山本が計画していた前線視察の為の飛行だった。

 

 一行はブーゲンビル島やショートランド、その他いくつかの拠点を巡り、夕刻にはラバウルへと戻る予定になっていた。

 

 それにしても、連合艦隊司令長官が行う前線視察に同行する護衛としては、零戦6機と言うのはあまりにも少ないように思える。

 

 当初、小沢治俊連航艦司令官より、護衛の数を増やすように進言されていたが、他ならぬ山本自身によって却下されている。

 

 元より、機材や燃料に余裕がある訳ではない。更に言えば、航空隊のパイロット達は連日のように前線へと出撃している。そのような中、GF長官と言えども贅沢はできない。と言うのが理由だった。

 

 そんな中、機内のシートに腰を下ろした宇垣は先日、山本に言われた言葉について考えてみる。

 

 人間と艦娘が心を通わせる。それは別に不思議な事ではない。現に多くの例が存在しているし、中には人間と結婚して子供を産んだ艦娘も過去には存在している。

 

 ならば、自分と大和は?

 

 そう考えると、どうしても答えが見出す事ができない。

 

 何しろ、30代の宇垣からすれば、大和は外見だけ見ても二回り近く年齢が違うように見える。

 

 とても、釣り合うとは思えなかった。

 

 何より、宇垣はバツイチである。妻とは死別しているが、宇垣自身の心の中には、未だに妻への想いが残っている。

 

 海軍士官と言えば、とかく妻以外の女性を愛人として囲う場合が多いのだが、宇垣の場合はその例に当てはまらず、妻以外の女性と心を通じ合わせた事は無い。

 

 そんな中、大和は艦娘とは言え、妻が死んでから初めて、宇垣が心を許した少女だった。

 

 自分が、大和の事をどう思っているのか?

 

 そして、大和が自分の事をどう思っているのか?

 

 どれだけ考えても、宇垣の中にある疑問は解消される事は無かった。

 

 と、

 

「参謀長、間も無くブーゲンビル基地に到着します。降りる準備をなさってください」

「ああ、判った」

 

 パイロットに言われて、宇垣はシートの上で姿勢を正す。

 

 それと同時に、1式陸攻はゆっくりと旋回を始めた。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 1人の提督が、鬼のような形相を作って、ラバウル基地の通信所へと怒鳴り込んでいた。

 

「責任者はいるか!?」

 

 怒号のような小沢の声が鳴り響く。

 

 元々「鬼瓦」などと言う異名で呼ばれる小沢が大声で叫べば、それだけでかなりの迫力がある光景だった。

 

「は、はい、何でしょうか?」

 

 通信長の1人が、恐る恐ると言った感じに前へと出る。

 

 その通信長に対し、小沢は1通の書類を鼻先へと突きつけた。

 

「これはいったい何だ!?」

 

 突きつけられた書類を、通信長は手に取って一読する。

 

 それは、山本長官以下、連合艦隊司令部の視察日程スケジュールだった。

 

 そこには、視察団の編成と護衛の数、それに何時にどのコースを通ってどの拠点に行き、どの程度の時間滞在するのか、と言うのが事細かに書かれていた。

 

「こ、これが何か?」

 

 小沢が何に対して怒っているのか判らない、と言った風情で首をかしげる通信長。

 

 その態度が、更に小沢を苛立たせる。

 

「この文書をなぜ、全海軍に通達する必要があったのかと聞いているのだ!?」

 

 そう、この日程スケジュールは、暗号化されて全海軍部隊に通達されている。

 

 そして、小沢の旗艦「蒼龍」でも受信した事が、小沢を激怒させる原因だった。

 

「『蒼龍』でも受信できたと言う事は、ハワイでも受信している。敵が暗号を解読していれば、取り返しのつかない事態になると言う事がなぜ判らんッ!?」

 

 それでなくても、帝国軍の暗号が敵に解読されている可能性が指摘されている昨今である。これでは、敵に塩を送っているのと同義だった。

 

 小沢の指摘に対し、しかし通信長は心外そうな顔を作って反論した。

 

「そうはおっしゃられますが、暗号は最新の乱数表を使用して組みました。いかに合衆国軍と言えども簡単には暗号解読できないはずです。それに、ブーゲンビルは我が軍の勢力圏です。敵もおいそれとは手出しできないでしょう」

「機密保持に関して、あまりにも杜撰過ぎると言っているのだッ」

 

 会話が噛み合わない。

 

 こんな男が前線基地の通信担当かと思うと、いよいよ帝国海軍は末期的状況なのかと疑いたくなった。

 

 苛立つ小沢。

 

 しかし、視察団が飛び立ってしまった以上、今から護衛機を追い掛けさせても、もう間に合わない。

 

 小沢にできる事は、山本や宇垣が、無事にこのラバウルへ戻ってきてくれるのを祈る事だけだった。

 

 

 

 

 

 だが、

 

 小沢の願いは、空しくも打ち破られた。

 

 突如、急加速した機体の中で、宇垣は思わず目を見開く。

 

「何事だ!?」

「敵です!!」

 

 問いかける宇垣に、焦りを含んだ声が響く。

 

 とっさに、小さな機内窓に目を向ける宇垣。

 

 そこには、速度を上げる零戦と交戦する、星のマークを付けた機影が多数、乱舞しているのが見える。

 

 特徴的な連結ボディを持つ機影。

 

 間違いなく、「ロッキードの二つ胴」と言う異名で恐れられる、ロッキードP38ライトニングだ。

 

 合衆国軍は雲の合間に隠れて山本一行を待ち伏せしていたのだ。

 

 そして目標となる機影を眼下に見つけた瞬間、上空後方と言う有利なポジションから一気に襲いかかった。

 

 対して、零戦隊もただちに応戦を開始する。

 

 両軍の戦闘機が、蒼穹で乱舞しながら激しく弾丸を交錯させる。

 

 しかし、状況は圧倒的に帝国軍が不利だった。

 

 P38の数は16機。零戦の3倍近い機数である。元より、勝ち目は薄かった。

 

 16機のP38は、10機が零戦隊を牽制すると、残る6機が3対3に分かれ、それぞれ1号機と2号機へ襲い掛かって来た。

 

 放たれる重火力が、大型の陸攻を次々と貫いて行く。

 

 同時に、1式陸攻は不気味な振動と衝撃に襲われる。

 

「長官は・・・・・・長官は無事か!?」

 

 自身の乗る機体が銃撃を受ける中、しかし、宇垣は必死に窓にしがみつきながら叫ぶ。

 

 その視界の中で、

 

 3機のP38にまとわりつかれた1式陸攻1号機が、翼から炎を吹きつつ、徐々に高度を落としていく様子が見て取れた。

 

「山本長官!!」

 

 叫ぶ宇垣。

 

 しかし、宇垣には、どうする事も出来ない。ただ、視界の中で炎を上げる1号機の様子を、絶望的に眺めるだけだった。

 

 1号機は更なる銃撃を受けつつも、やがて機首を下げ、ジャングルの中へと姿を消していく。

 

 ややあって、木々を押し倒しながら地上へと突っ込んで行くのが見えた。

 

 その光景に、宇垣は僅かながら希望を見出す。

 

 1号機は地上へと落ちた。それに、見た限り、あまり火も吹いていないように見える。あれなら、あるいは中にいた人間は助かっている可能性が高かった。

 

 と、その時、宇垣の乗る2号機もまた、不規則な振動を強め始めていた。

 

 他人の心配をしている場合ではない。攻撃を受けた2号機もまた、揚力を保てなくなり、墜落の危険性が出て来たのだ。

 

「シートに座ってください参謀長ッ これより、海上への不時着を試みます!!」

 

 パイロットに促され、宇垣はシートに座り直してベルトを締めると、知識にあるショック姿勢を取る。

 

 やがて、襲ってくる、それまで感じた事が無い衝撃。

 

 確実に迫る、死の影。

 

 その中で、

 

 風になびく長い髪をかき分け、優しく微笑みかけてくる少女の姿が思い浮かべられる。

 

「大和ッ・・・・・・・・・・・・」

 

 少女の名を叫んだ気がしたが、それすら既に、宇垣には認識できない。

 

 次の瞬間、

 

 宇垣の意識は闇に飲まれ、急速に落ちて行った。

 

 

 

 

 

第51話「謀殺」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山本長官搭乗機、及び宇垣参謀長搭乗機、ブーゲンビル島上空において合衆国軍の襲撃を受け撃墜。

 

 その衝撃的なニュースは、津波のように帝国海軍を襲った。

 

 誰もが呆然となり、己を保てないまま崩れ落ちる者まで存在した。

 

 だが、愕然としてもいられない。

 

 直ちに必要な措置が講じられた。

 

 連合艦隊の指揮は、第2艦隊司令官の近藤信行中将が一時的に代行する一方、現地陸軍部隊に要請して直ちに捜索・救助隊を編成、ジャングルに墜落した山本機と、海上に不時着した宇垣機の捜索に向かってもらった。

 

 更に、この機会に敵が攻勢に出る可能性も考慮し、ラバウルの航空隊は警戒を強める。

 

 こうして、海軍全体が混乱のるつぼと化す中、

 

 1人、泰然と焚火の炎を見詰める者がいた。

 

 黒鳥陽介である。

 

 その手には、件の暗号通信文と、それを全海軍に通達するように命じた連合艦隊司令部からの、正式な命令通達書があった。

 

 もっとも、前者はともかく、後者は黒鳥が偽造した物だが。

 

「・・・・・・・・・・・・あんたが悪いんだ、山本長官・・・・・・俺をないがしろにしようとするから・・・・・・今まであんたに仕え、さんざん良い思いをさせてやったって言うのに」

 

 暗い目をしたまま、黒鳥は呟く。

 

 あの、宇垣の部屋で行われた宇垣と山本の会話を、黒鳥は部屋の外で聞いていた。

 

 もっとも、初めは盗み聞きをする心算では無く、山本に決裁を仰ぎたい書類があって、それを持参しただけだったのだが、思いもかけず、自分の罷免話が出てきたため、聞き耳を立てたのだ。

 

 それは、黒鳥にとって、絶対に無視し得ない物だった。

 

 自分を罷免し、よりによってその後釜に、あの水上彰人を据えようなどと。

 

 あの、幾度となく自分の作戦に反対の立場を取った水上彰人。

 

 あんな若造が、自分を追い落とすなど、絶対に許されなかった。

 

 だから、書類を偽造した。

 

 自身が参加しない視察のスケジュールを事細かに書いて発信させ、わざと合衆国軍に傍受させるように仕向けた。わざわざ司令部の書類を偽造する、と言う手の込んだ真似まで使って。

 

 言わば、帝国軍も合衆国軍も、黒鳥陽介と言う一個人の掌の上で踊らされていたような物である。

 

 全ては、「自分を裏切った」山本をを抹殺する為。ついでに、最近何かと目障りだった宇垣も消えてくれれば万々歳だった。

 

 黒鳥は、手にした書類を見詰める。

 

 事件の真相に関する書類はこれだけ。あとには何も残らない。

 

 その書類を黒鳥は、

 

 まとめて焚火の中へと放り込んだ。

 

 紙の書類は、あっという間に黒こげになり、燃えていく。その形はすぐに崩れ、内容を判読する事は不可能になる。

 

 それは完全犯罪が成立し、歴史の真実が闇に葬られた瞬間だった。

 

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