蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第53話「極北の港」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この方面の海としては、本日の海面は比較的穏やかな方であると言える。

 

 荒れる事の多い北の海としては、珍しい事でだろう。

 

 風も殆ど無く、視界も澄み渡る程に晴れ渡っていた。

 

 周囲四方、遮る物の無い、正に航海する上で理想的な海であると言える。

 

 だが、

 

 そんな状況を、旗艦「阿武隈」の艦橋に立つ人物は、険しい表情のまま空を眺めていた。

 

 口元には見事な八の字髭を蓄えた長身の提督。

 

 第1水雷戦隊司令官木村正臣(きむら まさおみ)大佐である。

 

 以前は重巡《鈴谷》の艦長として、多くの戦いに参加した木村はその後、第1水雷戦隊の司令官に就任し、今は北方警備を担当する第5艦隊指揮下に収まっていた。

 

 その彼が今、とある作戦を実行する為、北の海を目指して航行してたのだが、

 

 しかし今、1水戦は目的地を前にして足踏みを余儀なくされていた。

 

「迷う事ありません。突入しましょう提督!!」

「そうです。友軍は我々の到着を心待ちにしているのですよッ 行きましょう!!」

 

 幕僚達は口々に主張する。

 

 目的地まで、あとほんの数時間。それだけの時間で到達する事ができるのだ。

 

 ここまで来たら、躊躇う理由は無いように思える。

 

 だが、

 

 木村は突入の決断を下せないまま、立ち尽くしている。

 

 その瞳は、澄み渡るように晴れた空を見上げたまま。

 

「提督・・・・・・」

 

 長い髪を念入りにセットした少女が、横から木村に声を掛ける。

 

 彼女は、この艦の艦娘である阿武隈である。性格は比較的明るく、朗らかで人当たりが良い事で知られている少女である。

 

 だが、そんな阿武隈ですら、今の木村には、やや非難を向けるような視線を送っているのが判る。

 

 艦娘と幕僚達が催促の視線を送る中、

 

 しかし、それらの視線に対して、木村が何か言葉を返す事は無い。

 

 相変わらず、ジッと空を見上げて黙り込んでいる。

 

 どれくらいそうしていただろう?

 

 阿武隈達が見守る中、

 

「確かに・・・・・・・・・・・・」

 

 木村はようやく口を開いた。

 

「味方の兵達は、我々が到着するのを待っているだろうな」

 

 どこか淡々とした口調の木村。

 

 目を閉ざし、何かに耐えるように立ち尽くす。

 

 静かな居住まいの木村。

 

 だが、

 

 その心の中には苦渋の嵐が容赦なく吹き荒れる。

 

「・・・・・・・・・・・・けど、だからこそ今、『イチかバチか』なんて言う、安易な選択肢に逃げる事は許されない。我々の全滅は、味方の全滅に繋がる。なら、確実に成功する手段を取らなくてはならないんだ」

 

 一同が唖然とする中、木村は泰然とした調子で告げる。

 

「艦隊進路反転。我々はこれより、幌筵(ぱらむしる)基地へと帰還する」

 

 その決断に、

 

 阿武隈と幕僚達は、一斉に目を剥いた。

 

「そんな、提督、どうして!?」

「提督は、友軍をお見捨てになるのですか!?」

「後生ですッ 行かせてくださいキスカにッ みんな待ってるんですよ!!」

 

 口々に言い募る阿武隈達。

 

 だが、

 

 それに対して木村は穏やかに微笑む。

 

「帰ろう・・・・・・・・・・・・帰れば、また来られるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは帝国海軍にとって、正に寝耳に水の事態だった。

 

 否、

 

 そもそもからして、その場所が存在している事を気に止めていた人間が、果たして何人いた事だろうか?

 

 1943年5月18日。

 

 帝国全土を震撼させた海軍甲事件から約1か月後。

 

 突如、合衆国軍は北方、アリューシャン列島のアッツ島、キスカ島を奪回すべく行動を起こした。

 

 この頃、海軍甲事件からの衝撃から立ち直っていなかった帝国軍は、完全に後手に回る事となった。

 

 そもそもアリューシャン列島は、先年5月に行われたMI作戦(ミッドウェー海戦)の陽動として帝国海軍が攻略した物である。しかし、主作戦であるミッドウェー攻略は、3隻の空母喪失によって頓挫。結果として帝国軍は、大規模な艦隊を出撃させて、この北の果てにある小さな島2つを手に入れただけに終わった。

 

 荒れやすい北の海にあり、大規模な港湾施設も存在しないアリューシャン列島は、その後、完全に人々の記憶から忘れ去られ、戦局は南太平洋へと推移していったと思われた。

 

 少なくとも帝国軍にとっては、その筈だった。

 

 しかし、そのアリューシャン列島に、戦艦2隻を主力とする艦隊に護衛された合衆国軍が、突如として上陸を開始したのだった。

 

 合衆国軍は、僅か2600名の守備隊しか存在しないアッツ島に対し、1万にも及ぶ大軍を投入し、一気に叩き潰しにかかった。

 

 対してアッツ島守備隊は寡兵ながら果敢に反撃。一度は合衆国軍本営に迫る勇戦振りを示したのち、文字通り全滅した。

 

 因みにこの時、帝国の大本営は初めて「玉砕」と言う言葉を使って、守備隊全滅を表現した。

 

 帝国軍の誇りを見せ付けるが如く勇戦敢闘し、最後は一兵に至るまで敵陣に突入して散って行く様は、正に輝ける宝玉が砕け散るが如き、壮絶な光景だった。

 

 だが、そのような美辞麗句に浸っている場合ではない。

 

 合衆国軍の勢いは留まる事を知らず、その矛先は臨島のキスカ島へと向けられようとしてた。

 

 キスカ島には、アッツ島を上回る6000名の兵士達が展開していたが、それでも戦艦まで有する合衆国軍相手に、艦隊の援護も補給も期待できない状況での運命は、決しているも同然である。

 

 このままでは早晩、キスカ島もアッツ島と同じ運命をたどる事は目に見えていた。

 

 事態を憂慮した帝国海軍は、北方警備を担当する第5艦隊に、キスカ島守備隊の撤退支援を命令。

 

 第5艦隊は、指揮下の第1水雷戦隊に守備隊救出を命じた。

 

 命令を受け、直ちに行動を開始する1水戦。

 

 旗艦「阿武隈」を先頭に、根拠地である幌筵基地を出港した同戦隊は、3日後にはアリューシャン列島の海域へと入り、目的地キスカ島まで、巡航速度であと4時間と言うところまで迫った。

 

 だが、

 

 そこで、戦隊司令官である木村正臣大佐は、突如として反転帰投を命じる。

 

 誰もが唖然とする中、空しくアリューシャンに背を向ける第1水雷戦隊。

 

 北の空は、まるで全てを拒むかのように、鈍色に閉ざされているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幌筵(ぱらむしる)基地は、帝国軍が保有する拠点の中でも最北に位置する。

 

 千島列島の更に北東に位置し、カムチャッカ半島の南側。殆どソ連領と言っても過言ではない場所に存在している。

 

 もっとも、ソ連海軍は、その母体となったロシア海軍が日露戦争で壊滅して以来、海軍国としては三流国へと転落し極東方面にろくな戦力を持っていない為、少数戦力でも防衛は充分に可能と判断されていたのだが。

 

 まさに「極北」の名が相応しい基地である。

 

 だが、今やその幌筵の空気は、気温以上に寒くなっているのは、間違いなかった。

 

 キスカ島守備隊救出を命じられたにもかかわらず、作戦は現場判断で断念され延期。

ただ燃料と時間を消費しただけに終わった。

 

 基地の隊員には、1水戦の将兵、特に司令官の木村や旗艦の阿武隈に対する不満が高まっており、中にはあからさまに非難めいた事を口にする者までいた。

 

 なぜ、あの時、無理にでも突入しなかったのか?

 

 なぜ、友軍を見捨てたのか?

 

 断じて行えば救えたかもしれないのに。

 

 キスカ守備隊は1水戦に殺されるような物だ。

 

 木村司令官は戦友愛に欠けている。

 

 旗艦の阿武隈も同罪だ。

 

 そんな声が、あちこちから聞こえてくる。

 

 1水戦の将兵・艦娘にとっては、針に筵と言った空気が充満する中、

 

 数隻の艦艇が、港へ入港して来たのは、第1次キスカ島撤収作戦が失敗に終わった4日後、艦隊が幌筵に帰投した翌日の事だった。

 

 

 

 

 

「はあ・・・・・・・・・・・・」

 

 傍からも目を引く綺麗な髪を北からの風に靡かせて、阿武隈は小さくため息をつく。

 

 その心は、憂鬱と困惑によって締められ、ともすれば、そのまま沈んで行きそうになる。

 

 阿武隈の視界の先には、岸壁に停泊している自分の艦体がある。

 

 「阿武隈」を含む長良型軽巡洋艦は、球磨型、川内型と共に、所謂「5500トン型軽巡洋艦」に所属し、設計段階から水雷戦隊旗艦として建造された艦である。

 

 三本煙突が特徴の、やや古めかしいイメージがある艦ではあるが、それだけに使い込まれた日本刀の如き、凄味のある美しさがあった。

 

 憂いを秘めた阿武隈の視線の先。

 

 そこには「阿武隈」の舷側に座り込み、呑気に釣り糸を垂らす木村の姿がった。

 

「・・・・・・・・・・・・何考えてんだろう、あの人」

 

 阿武隈はそう言って嘆息する。

 

 司令官の真意が読めない。

 

 断っておくと、阿武隈自身はあそこで反転を決めた木村の判断は、正しかったと思っている。

 

 あの場では思わず反発したものの、よくよく冷静に考えれば、今回の作戦は敵に発見される事無くキスカ島に近付く事が大前提である。あのまま突っ込んだとしても、1水戦は空中と海上から敵に袋叩きにされ全滅していた事は疑いない。

 

 あそこで反転を決めたのは、木村の英断だったと言える。

 

 阿武隈が納得できないのは、その後の木村の態度だ。

 

 周囲の非難も気にせず、日がな一日、ああしてのんびりと「阿武隈」の甲板で釣り糸を垂らしたり、時には碁を打ったりもしている。因みに、碁には阿武隈も付き合った事があった。阿武隈が勝ったが。

 

 そんな木村の態度も批判を助長する原因となっているのだろう。

 

 中には木村の罷免まで叫ぶ者まで現れる始末である。

 

 こんな事で、キスカ島の守備隊を救出できるのだろうか?

 

 ついつい、そんな事を思ってしまう。

 

 その時だった。

 

「ちょっとごめん」

「はい?」

 

 背後から声を掛けられ、振り返る阿武隈。

 

 そこには、1人の青年士官が立っていた。

 

 紺色の第1種軍装の上から軍用コートを羽織ったその人物は、線の細い印象があり、提督と言うよりは、どこかの大学の学生と言った感じである。

 

 しかしその胸には、大佐の階級章が付けられていた。

 

「第1水雷戦隊司令官の木村正臣大佐にお会いしたいんだけど、どこにいるか判るかな?」

「司令官なら・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、阿武隈は恐る恐ると言った感じに自分の甲板を指差す。

 

 その視線の先を追った青年提督は、木村の姿を見付けたのか、少しだけ苦笑する。

 

「どうもありがとう」

 

 青年は阿武隈にそう告げると、「阿武隈」の方へと足を向ける。

 

 その背中を見送る阿武隈。

 

「あの人って、確か・・・・・・・・・・・・」

 

 何度か、GF司令部主催の作戦会議で顔を合わせた事がある。言葉を交わした事はないが、一際若い提督だったので、阿武隈の印象にも残っていたのだ。

 

 

 

 

 

 甲板士官に挨拶をして「阿武隈」に上がると、目指す人物の元へと歩み寄る。

 

 木村はと言えば、相変わらず釣り糸を垂らしたまま、泰然自若と言った感じに甲板に座り込んでいた。

 

「お久しぶりです。木村さん」

 

 背後に立った青年が声を掛ける。

 

 すると、

 

 木村は特徴ある八の字髭の下に、僅かな笑みを浮かべて応じた。

 

「君だったか。さっき、誰かが阿武隈と話しをしているのが、ここからも見えたが」

 

 振り返る木村。

 

 そこには、第7艦隊司令官の水上彰人が、笑顔を浮かべて立っていた。

 

「おっと、ここは先に敬礼をしておくべきかな。何しろ、大佐としては君の方が先任だ」

「冗談はよしてください」

 

 おどけたような木村の言葉に、彰人も苦笑を返す。

 

 彰人と木村には、これまで多少の縁がある。

 

 特にミッドウェー海戦終盤の夜間砲撃戦の折、木村率いる重巡「鈴谷」が所属していた第7戦隊は、突如、戦艦「ワシントン」に襲撃され、壊滅状態に陥った。

 

 重巡「三隈」は撃沈され、「最上」が大破。戦隊が散り散りになる中、木村は1人冷静を保ち、回避運動に専念して「ワシントン」の注意を引き付け、彰人率いる第11戦隊が駆け付けるまでの時間を稼いだのだ。

 

 その時の冷静沈着な指揮ぶりは、彰人の目から見ても見事としか言いようが無かった。

 

 その後、本土に帰ってから、彰人は木村と何度か会い、懇意にするようになっていた。

 

「まさか、増援に来てくれたのが、君の艦隊とはな」

「増援・・・・・・と、督戦ですかね、僕の仕事は」

 

 言ってから、肩を竦める彰人。

 

「『木村正臣海軍大佐。目的地を目前にしたにも関わらず、司令部命令を無視して独断専行を行い、艦隊を離脱させるとは帝国軍人にあるまじき敢闘精神の欠如である。よって、直ちに作戦行動を再開、速やかにキスカ島守備隊の撤退支援を行うべし』だ、そうですよ」

 

 もっともらしい事を、もっともらしい硬い口調で言う彰人。

 

 その仕草が可笑しくて、木村は思わず釣竿を持たまま吹きだしてしまった。

 

 同時に、彰人もこらえきれずに笑いだす。

 

「まあ、どうでも良いやり取りは、これくらいにしましょう」

 

 彰人はそこで、真剣な眼差しを作って木村を見て。

 

「・・・・・・霧、ですか。待っているのは?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 問いかける彰人に、木村は答えない。

 

 ただ、髭の下に笑みを浮かべる。

 

「初めは判らなかったんですが、ここに来る途中であれこれ考えてたら、その結論に達しました」

「敵には優秀な電探(レーダー)があるからね」

 

 木村はそう告げる。

 

 否定しない所を見ると、彰人の考えは正解と言う事らしい。

 

「まともに正面から突っ込んだんじゃ、狙い撃ちにされるのは目に見えているからね」

 

 言いながら、釣竿を上げる木村。

 

 しかし、期待した成果は無く、糸の先には釣り針だけが空しく取り残されていた。

 

「けど、電探にも弱点がある。実際に運用している君になら判るだろう」

 

 試すような問いかけに対し、彰人は頷きながら答える。

 

「いくつか判っている事はありますが、この場合、『敵味方の識別はできない』ですね」

「その通り。電探だと、そこに何かがある事までは判るが、その『何か』の正体までは判らない。今回、そこに付け込む隙がある」

 

 ようは霧で視界が閉ざされた状態なら、仮にレーダーで捕捉されたとしても、敵味方の識別が完了するまで、敵はおいそれとは攻撃できない、と言う訳だ。

 

 第1次作戦の折、木村がキスカ島の手前まで行きながら作戦を断念したのは、突入直前になって霧が晴れてしまった為である。

 

 霧が晴れれば敵から艦隊が丸見えになるだけでなく、飛行場から航空機が来襲する事も予想される。

 

 敢えて危険を冒す賭けに出るよりも、木村は捲土重来を期し、次の機会に望みを繋いだのだ。

 

「僕は木村さんの行動を支持しますよ。たぶん、僕でも同じ行動を取ったと思いますから」

「名だたる7艦隊司令官にそう言ってもらえると、こっちとしても助かるよ」

 

 冗談めかして言ってから、木村はどこか苦い口調で言った。

 

「航空機の援護がない艦隊は脆い。それを私は、南方戦線で嫌と言う程に思い知った」

「・・・・・・・・・・・・そうですね」

 

 木村が言わんとしている事を、彰人も理解していた。

 

 それは、今年初頭のビスマルク海海戦の事。

 

 あの「ダンピール海峡の悲劇」と呼ばれ、駆逐艦4隻、輸送船8隻を失う大損害を被った戦いにおいて、木村は護衛部隊の指揮官として参戦した。

 

 合衆国軍の反跳爆撃を受けて艦隊が全滅する中、木村自身も負傷して後送させる結果となった。

 

 艦隊には上空掩護が不可欠。それが、苦い経験を経て、木村が出した結論だった。

 

 だからこそ、上空掩護が期待できないこの北の海においては、霧の発生は不可欠だった。

 

「僕の隊は木村さんの指揮下に入ります。必要な事があったら何でも命じてください」

「そうだね・・・・・・」

 

 木村は少し考え込むような仕草を見せてから、彰人を見て言った。

 

「じゃあ、そこの網を取ってくれないか。ようやく、当たりが出そうなんだよ」

 

 そう言うと、手にした竿を差して言う。

 

 糸がピンと張りつめている。どうやら、何か掛かったらしい。

 

 彰人は苦笑すると、甲板の上に無造作に置いてある網を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気が悪い。

 

 幌筵の港を歩きながら、彰人はそんな事を考えていた。

 

 無理も無い話である。

 

 手を伸ばせば届く所にいる味方が敵に包囲され、そして自分達はそれを救う事ができないでいる。

 

 そのジレンマが空気となって伝染し、将兵たちの心をささくれ立たせているのだ。

 

 下手をすれば、暴動でも起きかねない、危険な兆候だった。

 

「これは、早めに何とかしたいところだね」

 

 彰人は嘆息気味に呟きながら、歩く足を速める。

 

 やがて、港の端に停泊している、第7艦隊各艦の姿が見えてくる。

 

 その内の1隻の下まで来ると、彰人はその艦を見上げる。

 

 ちょうどその時、

 

 彰人の姿を見付けたらしく、甲板からぴょこっと顔を出す少女があった。

 

「あ、提督、打ち合わせ終わったの?」

 

 その少女を見上げて、笑顔を返す。

 

「ああ、待たせて悪かったね。みんなを会議室に集めて。島風」

 

 

 

 

 

「いやです」

 

 話を聞いた瞬間、その言葉が飛び出すであろう事は、彰人も予測していた。

 

 目の前には、相変わらず無表情の姫神。

 

 しかし、その茫洋とした顔は、珍しく怒っているようにも見えた。

 

 話は、第7艦隊の出航前まで遡る。

 

 正直、その命令書を受領した時には、彰人自身が何かの冗談かと思ったくらいだ。

 

 だが、何度読み返してみても、内容が違えられる事は無かった。

 

《第7艦隊は直ちに横須賀を出港の上、第5艦隊と合同の上、キスカ島守備隊撤収作戦の支援に当たれ》

 

 横須賀鎮守府経由で来た命令書は、軍令部からの直接的な命令である事が記されていた。

 

 そこの所に、彰人はそこはかとない作為を感じずにはいられなかった。

 

 現在、合衆国軍がアリューシャン列島奪還の為、北太平洋で大規模な艦隊を動かしている事は、彰人も掴んでいた。そして、つい先頃、アッツ島守備隊が全滅した事も。

 

 更に、第5艦隊が残るキスカ島守備隊の救出を命じられている事も知っていた。

 

 しかし、その支援任務が第7艦隊に回ってくるのは予想外だった。

 

 第7艦隊と言っても、現状の編成は実質、1個水雷戦隊に過ぎない。

 

 主力である「姫神」「黒姫」は、改修の肝である主砲塔換装作業の最終調整が残っており、まだドックから出せる状態ではない。仮に出せたとしても、乗組員に習熟させる必要があるから、実質、出撃可能になるまで、もう2カ月は待たなくてはならない状態である。

 

 しかし情報を聞く限り、キスカ島の命運は風前の灯である。合衆国軍は、今日明日にも攻撃が開始してもおかしくはない。一刻の猶予も残されていない。

 

 「響」の修理が間に合ってくれたのは不幸中の幸いと言えるが、それでもこの状況では焼け石に水だった。

 

 戦艦に支援された部隊が迫る島へ、軽巡と駆逐艦のみの部隊を派遣するなど、「死んで来い」と言われているに等しい。

 

 彰人はそこに、軍令部、と言うよりも海軍上層部の悪意を感じずにはいられなかった。

 

 彰人が「海軍の黒幕」である富士宮康弘と会談し、彼の意見に対して真っ向から異を唱えたのは、まだ記憶に新しい事である。

 

 今回の任務が、その時の影響ではない。と言う確証は、残念ながら彰人には無かった。何しろ、海軍省と軍令部は富士宮派閥の巣窟である。この程度の作戦をねじ込んでくる事くらいは訳無いだろう。

 

 流石の富士宮も、実際に戦果を上げており、大きな落ち度もない提督を解任するほどの権限はないらしい。もしそれが可能なら、今ごろ彰人は7艦隊司令の任を解かれたうえ、どこかの僻地の鎮守府あたりで、どうでも良い部署に配置されていただろうから。

 

 とは言え、こうした危険な任務に割り当てて来る事は、これからも考えられる。

 

 これで前線に出て彰人が失敗すれば、これ幸いと罷免の口実にする事は目に見えている。いっそ、敵弾に当たって死んでくれれば尚良し、とでも思っているのかもしれなかった。仮に成功したとしても、何か富士宮派閥の損になる訳ではない。

 

 彰人としては腹立たしい限りだが、それが現実だった。

 

 しかも、今回は姫神型巡戦2隻は出撃不能と来ている。いよいよ「前線に出て戦死」の確率が高まった訳だ。

 

「何度も言うけどね、姫神」

 

 彰人は諭すように告げる。

 

「今回は、君を連れて行くことはできない。君の改装には、あと半月。習熟には更に1カ月はかかる。それも最速でやった場合だ。けど、僕は明日には出撃しなきゃいけないんだ」

「でも・・・・・・・・・・・・」

 

 諭すように言う彰人に対し、姫神は尚も言い募ろうとする。

 

 対して、彰人も困ったように頭を掻く。

 

 正直、この娘がこんなに駄々をこねるのは初めての事なので、扱いに困っているのだ。

 

 もっとも、姫神は聡い娘である。自分が出撃不能の状態にある事は判っているのだ。

 

 ただ、これまで一緒に戦ってきた彰人と離れたくない。と言う想いが、彼女を縛り付けているのだ。

 

 そんな姫神を安心させるように、

 

 彰人はいつものように、彼女の頭を優しく撫でてやる。

 

「心配しなくても、僕はすぐ帰って来るよ」

「・・・・・・・・・・・・本当?」

 

 上目づかいで尋ねてくる姫神。

 

 対して、彰人は笑顔で頷きを返す。

 

 見上げてくる姫神。

 

 その悲しみを秘めた表情に、彰人は思わず喉の奥が詰まる思いだった。

 

 この少女を置いて自分1人が出撃する事が、何とも罪深い事のように思えるのだった。

 

「必ず、帰ってきてくださいね」

「うん、約束するよ」

 

 そう言うと、彰人は姫神に優しく笑いかけるのだった。

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る。

 

 彰人は第7艦隊の臨時旗艦を駆逐艦「島風」に定めると横須賀を出港、大湊警備府を経由して北方航路をひた走り、幌筵基地へと入港したのは、1水戦が作戦を断念して帰還してから翌日の事だった。

 

 本来なら、旗艦は軽巡の「阿賀野」にすべきところだろうが、「阿賀野」は第13戦隊の旗艦でもある。1つの艦に2つの司令部が同居するのは、命令系統の混乱にもつながるし、万が一、彰人の身に何かあった場合、12戦隊司令には7艦隊を統率してもらう必要がある。

 

 その為、彰人は「島風」を司令部直属として旗艦に定めたのだった。島風なら元々が第11戦隊の所属であった事から気心も知れているし、やりやすいだろうと考えたのも一つの理由だった。

 

 そして今、会議の場にあって、普段なら姫神が座る筈の場所には島風が座っていた。

 

「・・・・・・・・・・・・以上が、現在のキスカ島周辺の状況だ」

 

 状況を説明した彰人は、居並ぶ一同を見回してから席に着く。

 

 ここには今、島風と第7艦隊や第13戦隊の司令部、更に各艦の艦長、そして阿賀野、暁、響、雷、電の姿があった。

 

「通信が回復したおかげでキスカ島の状況は、幌筵の方でも少しわかってきている。それによれば、取りあえず、守備隊の士気は保てているみたいだ」

「前回の失敗の事を考えれば奇跡ですな」

 

 第13戦隊司令は、そう言うと沈痛な表情で頷く。

 

 正直、先の失敗の影響で、キスカ守備隊の士気は地に落ちていたとしてもおかしくはない。にも拘らず、尚も抵抗を続けている様子には頭が下がる思いである。

 

 しかし、それもいつまで保つ判らない。また、敵の航空部隊が頻繁に来襲しているともある。それは、敵の本格的な侵攻が近い事を現していた。

 

「幌筵の備蓄燃料では、あと1回の出撃が限界だそうだよ。加えて、気象情報に寄れば、来月には高気圧前線が張り出し、晴天が続くらしい。そうなると、救出はほぼ絶望的になる」

「つまり、何とか今月中に作戦を決行しないといけない訳だね」

 

 響の指摘に、彰人は頷きを返す。

 

 彼女の言う通り、タイムリミットは今月いっぱい。

 

 戦艦を含む大規模な艦隊が包囲する島に、軽巡と駆逐艦だけで突撃しなくてはならない、と言う過酷な条件付きである。しかも、時間制限付きと来ている。

 

「ごめん、みんな」

 

 彰人は、そう言って一同に頭を下げる。

 

「『姫神』か『黒姫』。せめてどっちかがいてくれたら、もう少し楽に戦えたと思うんだけど・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って顔を上げる彰人。

 

 そこで、

 

「は?」

 

 思わず唖然とした。

 

 見渡せば、全員が彰人に笑顔を向けてきている。

 

 参謀も、艦長も、艦娘達も、1人として彰人を責めるようなそぶりを見せていなかった。

 

「情けない事言っちゃダメ」

 

 口火を切ったのは、第6駆逐隊の雷だった。

 

「司令官はもっと、私達を頼っても良いんだから」

「雷ちゃんの言う通りなのです。電も頑張るのです」

「ヒメとクロの分も、私達が頑張るから、何も心配いらないよ」

「ま、いざとなったら逃げればいいんだよ。あたし速いし」

 

 雷、電、響、島風が、それぞれに、彰人を励ましてくる。

 

 そして、

 

「そうそう、ここはレディーに任せて、提督は堂々としていなさい」

 

 そう言って胸を張る暁。

 

 次の瞬間、

 

『・・・・・・レディー?』

「ちょっとッ 何で全員そろって首かしげるのよ!?」

 

 幕僚、艦娘が揃って首をかしげる中、両腕を振り回し、プンプンと怒る暁の姿が笑いを呼ぶ。

 

 彰人も一緒になって笑いながら、ふと、この場にいない少女の事を考える。

 

 姫神。

 

 僕は必ず、生きて君の元へと戻る。

 

 これは、約束だから。

 

 その想いは、遥か南へと向けられるのだった。

 

 

 

 

 

第53話「極北の港」      終わり

 

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