蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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57話と58話の展開が気に入らなかったので全削除。そして2日で2話を完全リニューアルすると言う暴挙をやりました。

流石に疲れました(汗


第57話「儚き華の詩」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の黒鳥陽介は得意の絶頂にあったと言っても良い。

 

 ある人物から呼び出され、同行した屋敷で、これ程の大物に拝謁できるとは思っても見なかった。

 

 正座し低頭する黒鳥。

 

 その前に座する人物は、圧倒的な威圧感を持ってその場に存在しいていた。

 

「今日はよく来てくれたな」

「ハッ 殿下にお声掛け頂き、誠に恐縮でございます」

 

 そう言って顔を上げる黒鳥。

 

 その視線の先には、富士宮康弘が、厳格な眼差しを向けて来ていた。

 

「呼び出しを受けたにもかかわらず、ご挨拶が遅れてしまい、本当に申し訳ありません」

「よい。最前線にいたのだ。こちらに来るのが遅れるのは予想済みの事だったからな」

 

 謝罪する黒鳥に対し、富士宮はそう言って許す。

 

 山本体制時におけるGF作戦参謀を務めていた黒鳥は、山本の葬儀が済み、古河新司令部が発足すると、司令部スタッフから外され、軍令部出仕と言う待命状態になった。

 

 とは言え、これは殊更に黒鳥だけに行われた措置では無く、海軍甲事件を免れたスタッフ全員に言い渡された措置であった。

 

 帝国海軍としては、司令部の空気を入れ替え、頭脳を一新する事で、新たな戦略に臨もうと考えたのである。

 

 その為、古河新司令部は残った業務の引き継ぎを済ませると、ほぼ完全に一新された状態でのスタートとなったのだ。

 

 そのように次の部署が決まるまで待機状態が続いていた黒鳥に対し、軍令部から呼び出しがかかったのは、GF参謀を退任してから数日後の事だった。

 

 てっきり黒鳥としては、新しい部署への配属が言い渡されると思っていた。

 

 だが軍令部の到着するとすぐに、総長の永野修に連れられ、とある屋敷へと連れて来られた。

 

 そこで待っていた人物こそが、富士宮康弘。

 

 黒鳥にとっては雲の上にいる人物であり、「海軍の黒幕」「影の提督」などと呼ばれる実力者である。

 

 既に第一線は離れているものの、海軍唯一の元帥であり、皇族関係者として未だに大きな影響力を有している。

 

 その富士宮の前に立った事で、黒鳥は思わず緊張せずにはいられなかった。

 

 何しろ、相手は指先一つで黒鳥の存在を消し去る事も不可能ではない。そんな人物を前にして、緊張するなと言う方が無理がある。

 

 だが、そんな黒鳥に対し、富士宮は自らが持つ理想を語って聞かせた。

 

 理想国家の建設。東洋人の地位向上と、帝国中心によるアジア主導。そして王道楽土の建設。

 

 それらの理想に対し、

 

「素晴らしいお考えです」

 

 黒鳥は、少年のように目を輝かせながら言った。

 

「殿下がそのように高い理想をお持ちであるなら、この黒鳥、是非とも殿下の理想成就の為、微力を尽くしたいと望みます」

「そうか、賛同してくれるか」

 

 黒鳥の言葉に対し、富士宮は満足そうに頷く。

 

 これだまた1人、富士宮派閥に名を連ね、彼の理想を体現する為の同士が増えた事になる。しかも黒鳥は、富士宮自身が欲した実戦経験者でもある。まさに理想的な人材であると言えた。

 

「黒鳥大佐。真珠湾攻撃を成功に導いた貴官の頭脳。今後は殿下の為に役立ててくれ」

「願っても無い事です」

 

 傍らで控えていた永野の言葉に、黒鳥は意気揚々と返事をする。

 

 実際、今の黒鳥は山本の下で作戦立案の中心を担っていた時と同じくらいに高揚していた。

 

 正式な役付きでは無いとは言え、「海軍の黒幕」の知遇を得て、彼の下で働けると言う事は、それだけで海軍軍人としての黒鳥の未来は確定したような物だった。

 

 やはり自分は正しかった!!

 

 理解してくれる人はちゃんといるのだ!!

 

 心の中の狂喜は隠し切れず、その場で飛び上がりたいほどであった。

 

 やがて、酒と料理が運ばれてきて、宴が始まる。

 

 今朝取れたばかりの新鮮な鯛を中心にした刺身の造りに、高級和牛のヒレを惜しげも無く使いレアに焼いたステーキ、高級食材である松茸を使った吸い物、生きたまま屋敷に持ち込まれ、板前が腕を振るって調理した伊勢海老。デザートには南国から直送されてきたフルーツの盛り合わせまである。そして勿論、酒も和洋取り揃えて出されてくる。

 

 どれも、一般人には殆ど手が出せない代物ばかりだった。

 

「いや、今日は実にめでたい」

 

 黒鳥に酌をしてやりながら、永野は顔を赤らめて上機嫌に口を開く。

 

「黒鳥大佐が快く引き受けてくれた良かったよ。これで、私の顔も潰れずに済んだと言う物だ。何しろ、前にここに連れてきた輩ときたら・・・・・・」

「永野」

 

 口を滑らせる永野に対し、富士宮は低い声で窘める。

 

「その事はもう良いと申したはずだ。あの者を引き入れる事は無理だと、他ならぬこの私が判断したのだからな」

「ハッ 申し訳ありません。失言でした」

 

 酔いも一気にさめたように、顔を青くして頭を下げる永野。

 

 だが、彼の失言を黒鳥は聞き逃しはしなかった。

 

「あの者、とは誰の事です? 私の前にも誰か、殿下の陣営に招かれた者がいるのですか?」

 

 問いかける黒鳥に対し、永野は渋面を作る。

 

 ややあって、口を開いた。

 

「・・・・・・・・・・・・君も知っておろう。第7艦隊司令官の水上彰人大佐だよ」

「水上・・・・・・彰人・・・・・・」

 

 絞り出すように、黒鳥はその名を呟く。

 

 脳裏に、何度か顔を合わせた事がある若い提督の事が思い浮かべられる。

 

 忘れたくても、忘れられない忌々しい名前である。

 

 その黒鳥の反応に気付かないまま、永野は渋い顔で先を続ける。

 

「あの者、殿下の誘いを断ったばかりか、それだけでも不敬だと言うのに、あまつさえ殿下の理想を否定し、賢しらに意見までしおった。まったく、何様のつもりなのか。最近では、あのようにけしからん輩が増えて困る」

「あのように大義を解さぬ輩はどこにでもいる。今は好きに泳がせておけばいい。あのような者は、いずれ我々がこの国を治めた時に、いくらでも淘汰できるのだからな」

 

 口々に彰人を罵る永野と富士宮。

 

 だが、黒鳥は2人の会話を聞いていなかった。

 

 水上彰人。

 

 あの、何度も自分の作戦に反対した若造が、よりにもよって自分よりも先に富士宮に声を掛けられていた。

 

 しかもあまつさえ、それを何の価値も無い物であるかのように断ったと言う。

 

 黒鳥にとっては、まるで自分が彰人よりも下に見られているように思えてならなかった。

 

 これは許されざることである。

 

 あのような戦略のイロハも知らないような若造が、自分よりも上に立つなど。

 

 あまつさえ自分は、あの男がいたせいで大恩ある山本伊佐雄まで殺す羽目になってしまったと言うのに。

 

 あいつが悪い。

 

 全て、水上彰人がいたせいだ。

 

 あいつが自分の前に現れなければ、全てが上手く行き、今ごろ帝国海軍は合衆国海軍を撃破し、自分は栄光をほしいままにしていた筈なんだ。

 

「・・・・・・水上・・・・・・彰人ォ・・・・・・・・・・・・」

 

 手にしたお猪口を、握りつぶさん勢いで力を込める黒鳥。

 

 手前勝手な妄想は、いくらでも膨らんでくる。

 

 その脳裏には、恨み連なるあの若造を、いつか必ず地獄に叩き落とすと言う、黒い野望によって塗りつぶされようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 内装の明るい雰囲気が気分を華やかに浮き立たせる。

 

 この場にいるだけで、どこか別世界に来たような雰囲気さえ感じられた。

 

 オープンしたばかりの室内温水プールは、その希少性故に連日、多くの観光客によって賑わいを見せている。

 

 今も、色とりどりの水着を着た女性達が目の前を行き交い、華やかな光景を現出していた。

 

 水上彰人は椅子に座りながら、行き交う人々に視線を送りつつ、ぼんやりと考え事をしていた。

 

 その脳裏に浮かぶのは、自分と最も近しい位置にいる少女の事。

 

 改装を終え装いを新たにした巡洋戦艦娘は、より可憐さを増した出で立ちで彰人の傍らにあり続けている。

 

 表面的には、以前と変わらない態度のままの少女。

 

 しかし、

 

 姫神は、自分の事をどう思っているのだろう?

 

 キスカ島守備隊撤収作戦を終えて横須賀に戻ってきて以来、彰人の頭の中には常に、その事が思い浮かべられていた。

 

 姫神は彰人にとって、大切な少女である。

 

 それはたんに、艦隊司令官と旗艦艦娘と言う間柄だけでなく、彰人の中では姫神と言う少女が、掛け替えのない存在となりつつあった。

 

 あの、「姫神」無しで臨んだキスカ島撤退作戦。

 

 あの時、彰人は幾度となく姫神の存在を意識し、彼女が傍にいてくれたらと心の中で思った。

 

 求めたのは、巡洋戦艦としての火力だけではない。

 

 姫神と言う少女が彰人にもたらしてくれる存在感。

 

 少女が与えてくれる温もり。

 

 それら全てが、彰人には愛おしく感じられるのだった。

 

 姫神が傍にいてくれないと、寂しいとさえ思うようになっていた。

 

 自分は提督であり、姫神は艦娘。そして、今が戦争中である以上、2人は常に最前線に立って戦わなくてはならない。

 

 無論、それは判っている。彰人にしろ姫神にしろ、自分達に与えられた使命を忘れる心算は無い。

 

 しかしそれでも、人の想いと言う物は止められる物ではない。

 

 そして、それはお互いの存在が近ければ近い程、強く結びつくものであった。

 

 彰人自身の中で、姫神への想いは一つの形として結実しつつある。

 

 しかし、

 

 肝心の姫神の想いがどこに向いているかが、彰人としては気になる所だった。

 

 あの出渠の日、

 

 どうにか予定に間に合った彰人に対し、姫神は感極まって抱き着いて来る、と言う、あの娘にしてはずいぶんと大胆な行動を見せた。

 

 であるならば、彼女もまた自分に好意を向けてくれている。そう信じたいところなのであるが、

 

「・・・・・・これは、うぬぼれなのかな」

 

 ため息交じりに、そう呟く。

 

 海の上では颯爽とした態度を見せ、その類稀なる戦略・戦術によって数々の敵を撃破してきた青年提督も、一皮むいてしまえば少女1人の想いすら満足にくみ取る事ができずにいるのだった。

 

 と、

 

「何がうぬぼれなんすか?」

 

 呼びかけられて振り返ると、手に飲み物を持った青年が笑顔で立っているのが見えた。

 

 巡洋戦艦「黒姫」の艦長、成瀬京介中佐である。

 

 今日、彰人をここに連れて来た1人だった。

 

「いや、別に」

 

 彰人は素っ気なくそう言うと、差し出されたドリンクに口を付ける。

 

 「姫神」から遅れる事、数日。改装を終えた「黒姫」もようやく出渠し、約1年ぶりに第11戦隊が顔をそろえる事が出来た。

 

 更にその数日後、幌筵から第13戦隊の6隻も帰還し、晴れて第7艦隊の全艦が集結した。

 

 それに伴い、彰人は艦隊運用を含む訓練を再開。連日のように激しい演習を繰り返した。

 

 南太平洋では、帝国軍の苦戦が続いている。

 

 かねてより行われていたソロモン諸島撤退作戦は何とか終了の目途が立ち、後はラバウルに残す最低限の戦力を引き上げるのみ、と言うところまで来ているらしい。

 

 それに伴い、連合艦隊司令部は更に、マーシャル、ギルバート両諸島の守備隊を撤収させる作戦も検討し始めているらしい。

 

 当初、ギルバート諸島はともかく、マーシャル諸島の守備隊を撤収させる事については、GF内外から激しい抵抗があったと言う。

 

 マーシャル諸島は、戦前から帝国が委任統治を任されている領土であり、そこを放棄するのは英霊たちに対して申し訳ないし、帝国の権威失墜にもつながる。と言うのが反対派の主張だった。

 

 そのような事を主張しているのは海軍の軍令部や海軍省の人間、そして陸軍の強硬派が中心だった。

 

 しかし、現GF司令長官の古河峰一や、連航艦司令官の小沢治俊は強硬に撤退論を主張。両者の議論は平行線が続いていると言う。

 

 彰人としては(当然と言うべきか)古河や小沢の意見に賛成である。

 

 マーシャルやギルバートの守備隊は、最前線で戦ってきたベテラン兵士達である。それらを内南洋まで撤退させ、再編成してトラックやマリアナの防衛に当てる事ができれば、相当な戦力強化が期待できるはずである。

 

 何より、マーシャルにしろギルバートにしろ、帝国本土からあまりにも遠すぎて補給には難がある。保持しようとしてもいずれは補給線を断ち切られ弱体化したところを総攻撃を受ける事は目に見えていた。

 

 内南洋にまで撤収させ、その上で再配備すれば大いに役に立つであろう精鋭部隊を、例によって無為に「玉砕」させるのは、愚の骨頂以外の何物でもなかった。

 

 そのような状況である為に、彰人達も1日も早く戦線に復帰する必要があった。

 

 そして訓練が開け、補給も完了し出航する準備が整った日。彰人は艦隊乗組員たちに3日間の特別休暇を出した。

 

 これから第7艦隊は南太平洋の最前線に赴く事になる。その前に乗組員たちに、本土の空気を味あわせてやりたいと考えたからだった。

 

 無論、その中には彰人達、艦隊首脳陣も含まれる。

 

 家族が待つ故郷に帰る者、仲間を連れて馴染の店に顔を出す者、贔屓の娘に会う為に色街に繰り出す者。行動は人それぞれである。

 

 そんな中、彰人は成瀬と黒姫に誘われて、この温水プールへとやって来たのだ。

 

 今年の夏は暑い日が続き、9月に入っても比較的温暖な日が続いている。その為、室内プールは繁盛を続けているのだった。

 

「お待たせ~」

 

 明るい声に導かれて、振り返る彰人と成瀬。

 

 そこには、見慣れた2人の少女が立っていた。

 

 姫神と黒姫の巡戦姉妹である。

 

 2人とも、普段の艦娘制服や、出かけるときの私服姿では無く、露出の多い水着姿をしている。

 

 黒姫は、名前に合わせたように黒のビキニ上下。トップスとボトムスにそれぞれ、紅い縁取りの蝶が描かれている。全体的に、やや大人びた感じのデザインだ。

 

 対して姫神の方は、白い生地に青いフリルの縁取りがあるビキニで、お尻には跳ねるイルカのバックプリントが描かれている。こちらは黒姫とは対照的に、可愛らしさが強調されている。

 

「遅いぞー」

「ごめんごめん。ちょっと、更衣室が混んでてさ」

 

 不満を上げる成瀬に、黒姫が苦笑を返す。

 

 そんな中、

 

 彰人は姫神の水着姿に見入っていた。

 

 普段は決して見る事の出来ない、少女の水着姿。

 

 その新鮮さと相まって、彰人は自分の頭が熱くなっていくのを感じた。

 

 水着と言えば、潜水艦の艦娘達は皆、正装が水着姿なのだが、そんな彼女達とは趣が違う。

 

 普段見られないが故の希少性、

 

 虚を突かれた意外性、

 

 そして生物の本能を刺激する感覚、

 

 それらの要素が、彰人の中で急速に混じり合おうとしていた

 

 一方の姫神はと言えば、

 

 僅かに顔を紅くして俯いているのが見える。

 

 これも、以前の彼女からは見られない光景である。昔の姫神なら、下着姿を見られても動じる事は無かったはずである。

 

 しかし今の少女の恰好は、殆ど下着姿と大差無い水着姿である。

 

 大人しい少女にしては大胆なビキニ水着。

 

 少々肉付きが薄いが、露出した細い四肢が幼さの残る初々しい美を強調し、更に羞恥心によって赤くなった頬が、生きた美術品の如き光景を現出している。

 

「あの、彰人・・・・・・」

 

 俯き、もじもじと体をよじりながら、姫神はか細く声を上げる。

 

「あまり・・・・・・見ないでください・・・・・・その、恥ずかしい・・・・・・」

「あ、ああ、うん。ごめん・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言いつつ、目を逸らせずにいる彰人。

 

 そんな2人の様子を、成瀬と黒姫は笑みを浮かべながら眺めていた。

 

 

 

 

 

 水が腰の当たりを洗う。

 

 水深の浅い子供用プールは、親子連れの客でにぎわっている。

 

 小学生ぐらいの子供達が、お母さんに手を引かれて泳いでいるのが見える。

 

 その中で、

 

「ほら、怖がらないで大丈夫だよ。もう少し大きく足を動かして」

「あ、彰人~」

 

 彰人の腕にしがみつきながら、姫神が情けない声を上げる。

 

 そのまま少女は、青年に手を引かれて恐々と前へ進んでいる。

 

 今日ここに彰人が呼ばれたのは、姫神に泳ぎを教える為でもあった。

 

 姫神はカナヅチである。それは、昨年のトラックでの大暴露によって、皆に知られていた事であった。

 

 昨年は鈴谷たちがあれこれと骨を折ってくれたが、けっきょく姫神のカナヅチは治らなかった。

 

 そこで黒姫が一計を案じ、今日は彰人に御出陣願った、と言う訳である。

 

「大丈夫だから。ほら、怖くないよ。ちゃんと顔は水に付けて」

「で、でも~」

 

 今にも泣きそうな姫神。

 

 子供用プールをわざわざ選んだのは、足が着く場所なら姫神も怖がらないだろう、と配慮しての選択だった。

 

 因みに、姫神の腰には予め買っておいた浮き輪が被せられているので、物理的に沈む事はあり得ないのだが。

 

 それでも、姫神は怖いらしい。どうやらそもそも、底に足が着いていないと駄目らしかった。

 

「ママ~ あのお姉ちゃん頑張ってるよ~」

「そうね、がんばれーって応援してあげましょう」

「うん。がんばれー お姉ちゃーん!!」

 

 周りにいる小さい子達が、そんな姫神を見て声援を送ってくる。

 

 そんな様子に、耳まで真っ赤になる姫神。そうなると、ますます動かす足の大きさが小さくなってしまう。

 

 悪循環ながら、何とも微笑ましい光景だった。

 

 

 

 

 

「平和だね~」

 

 近くのテーブルに座って姉の様子を見ていた黒姫が、そんな感想を漏らす。

 

 視線の先には、子供達の声援を受けながら泳ぐ練習する姫神の姿がある。

 

 確かに、戦争中とは思えない微笑ましい光景がそこにあった。

 

「お前も、よく気を使う奴だよな」

「ん、何が?」

 

 正面に座った成瀬の物言いに、黒姫はキョトンとして問い返す。

 

 対して成瀬は、苦笑しつつプールの中の2人に視線をやった。

 

「あの2人をくっつけたい、とか思ってるんだろ。大方」

「あは、やっぱ京介君には判るか」

 

 言ってから、黒姫は頑張って泳いでいる姉に、愛おしげな視線を向ける。

 

「もどかしいんだよね、あの2人。見ていて痛いくらいにお互いの事が好きなのに、肝心の本人同士がその事に気付いていないんだから」

「まあ、ヒメはともかく、先輩の方はな。昔から、自分の興味を持った事以外は、割と抜けている人だったから」

 

 そう言って成瀬は可笑しそうに笑う。

 

 思い出すのは江田島の兵学校時代。

 

 割と何でもそつなくこなしていた彰人は、同期でもトップクラスの成績を持っていた。その噂は、1期下の成瀬の所にも聞こえてきたほどである。

 

 だが学年間の合同演習を行った際、「噂の先輩」の真実を初めて知った。

 

 ずぼら、と言う訳ではない。しかし、興味を持った事はとことん追求する癖に、それ以外の事には徹底的に無頓着。ひどい時には食事や睡眠すら忘れる有様だ。

 

 だが、そんな彼だからこそ、自身の戦略論をしっかりと確立し得たのだと、成瀬は考えていた。

 

「なあ、クロ」

「何?」

 

 呼びかける成瀬に振り返る黒姫。

 

 すると、成瀬はいつになく真剣な眼差しを向けて来ていた。

 

「俺はこれからも、あの人に着いていくつもりだ。あの人の傍にいれば、きっとこれからも面白い戦いができそうだしな」

 

 事実、彰人はこれまで、的確な戦況判断と指揮能力を示し、全ての戦いに勝利してきた。

 

 これから苦しくなる戦況が予測されるがそれでも、水上彰人と言う若き提督の元で戦い続ける限り納得のいく戦いをする事ができる。

 

 仮にその先に戦死する運命が待ち受けていたとしても、あの人の下で戦って死ねるのなら、恐れるべき何物も存在しない。

 

 成瀬は、そう信じて疑っていなかった。

 

「良いよ」

 

 対して、黒姫は微笑みながら自らの艦長に答える。

 

「京介君がそれで良いって言うなら、私も付いて行くよ。提督と、京介君にね」

「ありがとうな、クロ」

 

 そう言って笑顔を向ける成瀬。

 

 同時に、プールの方で大きな拍手が起こる。

 

 視線を向けると、姫神が彰人の手を離れて1人で泳ぎ始めている姿が映し出されている。

 

 まだ浮き輪を付けたままだが、これも大きな進歩である事は間違いなかった。

 

 

 

 

 

 昼食を挟み、午後に入ってからは、4人一緒になって行動する事が多かった。

 

 姫神が(取りあえずは)泳げるようになったと言う事で、4人でプールに入って泳ぎ回り、借りて来たボールで水中バレーを楽しんだりと、充実した時間を過ごした。

 

 とは言え、流石に1日中水の中にいると疲れて来る物である。

 

 一通り遊んでから、一同は休憩と言う運びになった。

 

 その間、姫神は1人、トイレへとやってきた。

 

 用を足した後、鏡に向かって自分の顔を覗き込む。

 

 今日は楽しかった。

 

 今まで泳ぐ事ができなかった姫神だが、今日初めて、1人で泳ぐ事が出来たのは大きかった。

 

 それも全て、彰人のおかげである。

 

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 鏡を見ながら、その名を呟く。

 

 かつて、あの人は姫神にとって、数ある海軍士官の中の1人に過ぎなかった。

 

 しかし多くの戦いに参加し、時に生死の境すら乗り越え、互いの信頼は大きなものとなって行った。

 

 そして今、姫神にとって彰人は、間違いなく掛け替えのない存在になりつつある。

 

 だが、

 

 姫神の中に一つ、どうしても拭い去れない不安がある。

 

 それは、彰人が自分の事をどう思っているか、と言う事。

 

 自分は彰人が好きだ。それは良いだろう。

 

 しかし、果たして彰人の気持ちはどうなる?

 

 彼の気持ちは、何処を向いているのか?

 

 その気持ちが邪魔をして、どうしても前へ進む勇気が持てないでいる。

 

 あの出渠の日。

 

 幌筵から飛んで帰り、直前で間に合ってくれた彰人。

 

 その姿に感極まり、思わず彼に抱きつくと言う大胆な行動をしてしまった。

 

 あの時の事を思い出すと、今でも恥ずかしかった。

 

 みんなが見ている前で、あんな事をしてしまった自分。

 

 だが、彰人が自分の事をどう思っているか?

 

 その事を考えるだけで、どうしても心が苦しくなってしまう。

 

 その時、

 

「なーに1人で黄昏てんのよ、お姉ちゃん」

 

 パーン

 

「キャァッ!?」

 

 いきなり、お尻を叩かれ、悲鳴を上げる姫神。

 

 振り返るとそこには、口元に可笑しそうな笑みを浮かべた妹の姿があった。

 

「ク、クロッ いきなり何するんですか!?」

 

 痛むお尻をさすりながら、涙目で抗議する姫神。

 

 対して、黒姫は笑いながら肩を竦めて見せる。

 

「んー? お姉ちゃんが何だか迷っているみたいだから、活入れてあげようかと思って」

 

 何の話だ。

 

 と抗議しようとする姫神を制して、黒姫は先を続ける。

 

「お姉ちゃんさ、何事も行動に移さないと話は進まないよ」

「え?」

 

 キョトンとする姫神。

 

 それに対して、黒姫は笑顔で続ける。

 

「大丈夫。お姉ちゃんにはあたしが着いているから。どんな事になっても、あたしはお姉ちゃんの味方だよ」

「クロ・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って、姉の手をしっかりと握りしめる黒姫。

 

 その温もりが、姫神の中に足りなかった物を、少しだけ分けてくれるような気がするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、疲れました・・・・・・・・・・・・」

 

 プールからの帰り道。

 

 姫神はげっそりした調子で、彰人の横を歩いている。

 

 あの後、黒姫と成瀬も加わって再度、姫神の水泳訓練が再開された。

 

 今度は足の着かない大人用のプールで行われたのだが、流石に浮き輪なしではまだ早かったらしく、姫神は危うく溺れかけてしまった。

 

 幸い、すぐに彰人が助けてくれたからよかったものの、自分はどんだけカナヅチなんだろう、と暗澹たる気持ちになってしまう。

 

 結局、今日の所はあれ以上の成果が上がる事は無かった。

 

 そして帰り道、

 

 なぜかは知らないが、成瀬と黒姫は揃って「用事がある」と言って先に帰ってしまった。

 

 その為、彰人と姫神。2人だけで戻る途中だった。

 

 そんな少女の様子に、苦笑する彰人。

 

「でも、今日はよく頑張ったよね」

 

 そう言って微笑みかける彰人。

 

 そんな彰人に対し、

 

 姫神は少し頬を染めて見上げてくる。

 

「彰人が・・・・・・」

「え?」

 

 囁くように言う姫神。

 

 思い出すのは、先程の黒姫の姿。

 

 自分を後押しするように応援してくれた妹。

 

 その妹の声に答える為にも、ほんのちょっと、勇気を出そうと思った。

 

「彰人が、いてくれたおかげです」

 

 見つめ合う2人。

 

 彰人が北に行っている間、

 

 2人はともにそれぞれ、胸の内に浮かんだ寂寥感を味わった。

 

 お互いがお互いを想い、

 

 お互いがお互いの存在を、強く求めずにはいられなかった。

 

「彰人がいてくれたから、がんばれました」

「ヒメ・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、彰人の体に手を回し、抱き着く姫神。

 

 対して、

 

 彰人も愛おしげに、姫神の小さな体を抱きしめる。

 

 離れていたのは、ほんの半月程。

 

 しかし、その半月の間に、お互いを想う気持ちは否が応でも高まってしまった。

 

 もう、

 

 後戻りはできない。

 

 したくもない。

 

 彰人と姫神は互いに熱を帯びた視線を交わし合う。

 

 そして、

 

 どちらからともなく、唇を重ねた。

 

 

 

 

 

第57話「儚き華の詩」      終わり

 

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