蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第61話「特別な日」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも縛ってある髪が解かれ、踝あたりまでばらけて散らばる。

 

 まるで風に舞うススキの穂のような、幻想的な光景だ。

 

 鏡に映る自分の恰好はいつもと違っていて、何だか見ているだけで恥ずかしくなってくる。

 

 俯く視線。

 

 だが、

 

「ダメだよお姉ちゃん。ちゃんと顔上げて。そう、しっかり前見ててね」

 

 妹からのダメ出しに、仕方なく顔を上げる。

 

 対して、ニコニコと笑いかけてくる妹。

 

「しっかり気合入れてオシャレしないとね」

 

 言いながら、顔を寄せてくる。

 

「何と言っても今日は、『特別な日』なんだから」

 

 

 

 

 

 連合艦隊司令長官、古河峰一が発した決断は、帝国海軍全体を揺るがすのに十分すぎた。

 

 前代未聞!!

 

 驚天動地!!

 

 楽市楽座!!

 

 ・・・・・・・・・・・・最後のは違うが。

 

 ともかく、海軍全体がひっくり返るほどの大騒ぎとなったのは間違いない。

 

 連合艦隊司令部を陸上へと移す。

 

 その決断は、誰もが予想し得なかった物である。

 

 連合艦隊旗艦は常に最強の戦艦に定め、連合艦隊司令長官は決戦時に全軍の先頭に立つ事。と言うのが、ある意味で帝国海軍の鉄則になっていたからだ。

 

 だが古河は、「GF司令部の為だけに最強の戦艦を後方に留め置く事の無意味さ」「司令部機能は通信能力と指揮能力があれば十分」と言う事を主張し、強引に改革を推し進めた。

 

 当然だが、古河の決断に対してはGF司令部の内外から批判が殺到した。

 

 「司令部を陸上に移すなど、帝国海軍の伝統に反する」と主張する者が多数存在したのだ。

 

 中には露骨に古河を非難する者までいたほどである。。

 

 だが、古河はそれらの非難を黙殺し、粛々と司令部の移動作業を進め、1944年1月の上旬には、司令部をトラック諸島の庁舎ビルに移動させてしまった。

 

 だが、これで驚くのは、まだ早かった。

 

 古河は更なる「暴挙」に出たのである。

 

 何と、それまで連合艦隊司令長官直卒部隊だった第1艦隊の解隊を宣言したのだ。

 

 ソロモンやエスピリトゥサントを巡る戦いで多くの艦艇を失った帝国海軍には、もはや後方で艦隊を遊ばせておく余裕はない。次に合衆国軍が襲来する時には、全軍を上げて迎撃しなければならないのだ。

 

 「連合艦隊司令長官直卒部隊」である、というだけで、出撃できないでいる第1艦隊の存在は、帝国海軍にとって重荷でしかない。

 

 もはや批判の数は数えるのも面倒なほどにまで膨れ上がっていたが、古河はやはりと言うか、当然の如くそれらを無視した。

 

 今は国家にとって危急存亡の時である。そのような時に、平時の形式にこだわっている余裕は、マバタキ一瞬程もありはしなかった。

 

 今後、水上砲戦部隊は第2艦隊と第7艦隊に集中され、残った艦艇については、連航艦に編入され、空母機動部隊の護衛に着く事になる。

 

 こうして、日露戦争当時には東郷平八郎元帥が率い、見事にロシアバルチック艦隊を撃破した、栄光ある帝国海軍第1艦隊は連合艦隊の編成表から姿を消したのだった。

 

 そして、

 

 水上砲戦部隊として大幅に増強された第2艦隊。

 

 その新編成された第2艦隊の指揮を執るべく、負傷加療中の栗田武夫少将に代わって、

 

 この男が、本国より召還された。

 

 

 

 

 

 少女は長い髪を揺らし、その時を待ち続けていた。

 

 知らせを聞いてから数日。この日をどんなに待った事か。

 

 あまりの期待に胸が高鳴り、昨日はほとんど眠る事ができなかった。

 

 ラッタルを上がる音が、ゆっくりと聞こえてくる。

 

 鼓動が高鳴り、頬が一人でに紅潮するのが判った。

 

 やがて、

 

 「その人物」が、姿を現す。

 

 どうやら、まだ負傷は癒えていないらしく、左手には杖を持って歩いている。

 

 しかし、その人物の持つ精悍さは聊かも損なわれる事は無く、却って以前よりも溌剌としている印象すらあった。

 

 真っ直ぐに見つめて、敬礼する大和。

 

「お待ちしておりました、司令官」

 

 そう言って、大和は可憐な笑顔を向ける。

 

 対して、

 

 相手もまた、杖を持たない右手を上げて大和に対して敬礼する。

 

「本日付で、第2艦隊司令官兼第1戦隊司令官に就任した、海軍中将、宇垣護だ」

 

 そう言うと、

 

「よろしく頼む、大和」

 

 宇垣もまた、口元に笑みを見せるのだった。

 

 

 

 

 

 全てが、決戦に向けて動き出そうとしている。

 

 最前線となるトラック、マリアナには兵員や物資が連日のように運び込まれ、防御陣地は急ピッチで築かれていく。

 

 後方のパラオでは艦隊が集結し、早くも激しい訓練が開始されようとしていた。

 

 誰もが思う。

 

 もう、これ以上負ける事は許されない、と。

 

 これ以上、敵の進行を許せば、それは即、亡国への一里塚となる。

 

 それ故に帝国海軍は、決戦に向けて急ピッチに準備を進めようとしていた。

 

 そんな中、

 

 彰人は宇垣の着任祝いを含めて、第2艦隊旗艦「大和」を訪れていた。

 

「あなたは不死身ですね、参謀長・・・・・・じゃなくて宇垣さん」

 

 本人を前にして、うっかり前の役職で呼んでしまい、慌てて訂正する彰人。

 

 対して、宇垣は苦笑しつつ大和が淹れてくれたコーヒーを口に運ぶ。

 

「飛行機が落ちた時は正直、流石にもうだめかと思ったがな」

 

 そう言って、宇垣はあの時の事を思い出す。

 

 山本が乗った1式陸攻がジャングルに落ちたのを確認した後、宇垣が乗った機体はパイロットの判断で海上へと不時着する事になった。

 

 衝撃と共に、暗転する意識。

 

 助かったのは奇跡だったと思っている。事実、宇垣が乗っていた機体でも、生き残ったのは宇垣を含めて僅かに3人だった事を考えれば尚更であろう。

 

 宇垣は、傍らに座る大和の顔を見る。

 

 今も、彰人のカップにコーヒーを注いでいる少女。

 

 あの時、

 

 不時着の直前、宇垣は確かに大和の事を思い浮かべた。

 

 この世界最大の戦艦少女の事が脳裏をかすめた時、自身でもよく判らない想いが湧き上がった気がした。

 

 死ねない。

 

 自分はまだ、死ぬわけにはいかない。

 

 たとえ海底を這ってでも、大和の元へと戻らなくてはならない。

 

 そうした少女への想いが、自分に力を与えてくれたのだと、宇垣は信じていた。

 

 勿論、そんな事は本人も含めて、誰にも言う気はないのだが。

 

「どうしました、提督?」

「・・・・・・いや」

 

 視線に気づいて振り返ってくる大和に対し、宇垣は表情を元に戻す。

 

 今はとにかく、大和が傍にいてくれるだけで、何よりも心強く感じていた。

 

「まあ、一度は無くしたと思っている命だ。あとは存分に、この身を帝国と、ともに戦う仲間達の為に使わせてもらうまでだ」

 

 そう告げる宇垣の表情は、参謀長時代よりも晴れやかに見える。

 

 GF参謀長だったころは、山本から疎まれ、司令部に身の置き場も無く鬱屈としている事が多かった。

 

 しかし今、帝国海軍最強の水上砲戦部隊を率いるに至り、水を得た魚のように生き生きとしている感じがした。

 

「僕達を取り巻く状況は、確かに良くありません」

 

 彰人は身を乗り出すようにして言った。

 

「けど僕は、あまり悲観もしていないんですよね」

「ほう?」

 

 彰人の言葉に対し、宇垣と大和は首をかしげながら身を乗り出す。

 

 対して、彰人は口元に笑みを浮かべて行った。

 

「だって、第2艦隊と第7艦隊は今後、水上砲戦部隊の主力になります。その司令官が宇垣さんと僕な訳ですから。それに、連航艦の司令官は小沢さんですからね」

 

 彰人と宇垣、それに小沢の3人は、共に内南洋以西での迎撃戦で戦略見解が一致している。

 

 つまり、帝国海軍の主力艦隊を預かる3人が共に同志と言う訳だ。

 

「それに、古賀長官は僕達の考えに賛同してくれています。だから、今度はかなりやりやすいと思います」

 

 古河と言う後ろ盾がいるのは、彰人達にとっても心強い事だった。

 

 前長官の山本は、戦争の早期終結を謳って戦線を拡大し、その結果、泥沼の消耗戦に引きずり込まれてしまった。

 

 だが今、その山本が撒いた種も、概ね回収し終えている。

 

 航空隊が充実し、艦隊の再編成も着々と進んでいる。

 

 それに加えて、新造艦の戦力化も急ピッチで進められていた。

 

 川崎では装甲空母「大鳳」の完熟訓練が進められている。「大鳳」は飛行甲板に装甲が張られ、最大で500キロ爆弾の直撃にも耐えられると言う。正に機動部隊期待の新鋭空母である。

 

 横須賀では、戦時急増空母の「雲龍」が、既に戦力化の目途が立っているらしい。こちらは「蒼龍」をベースに設計を簡略化し、帝国軍の空母としては初めて、設計段階から量産を考慮して建造されていた。

 

 その他にも秋月型防空駆逐艦や、戦時急増の簡易駆逐艦である松型の量産が進んでいる。

 

 これらの艦が完成した暁には、必ずや帝国軍の大きな力になってくれるはずだった。

 

 そして、

 

 「雲龍」と同じ横須賀ではある意味、最大の目玉とも言うべき艦が、先頃完成を見ていた。

 

 大和型戦艦の3番艦「信濃」。

 

 既に実戦投入され、数々の戦果を上げている「大和」のデータを基に各種の改装が加えられ、より強化された艦となって完成した「信濃」の存在は、今後の戦局を占う最大最強の切り札と言って良かった。

 

 合衆国軍も強化が進められているが、帝国軍もまた、それに負けじと戦力の充実化を図っているのだ。

 

「問題は、敵の反抗開始時期です」

 

 彰人は敵の反抗開始が1944年初頭と予想している。

 

 つまり、もうそれほど時間が無いと言う事だ。

 

「最悪、僕達は戦力が揃わない状況で、敵を迎え撃たなくてはならない、と言う事になりかねません」

「仕方ないだろう、それは」

 

 彰人の危惧に対し、宇垣は諦念を込めた声で言った。

 

「戦は相手がある事だ。何事もこちらの都合通りに行くとは限らんさ」

 

 少ない兵力。

 

 揃わない兵器。

 

 足りない時間。

 

 全てが無い無い尽くしで戦わなくてはならない時もある。

 

「だからこそ、指揮官がしっかりとした作戦を立てる必要がある、と言う訳だ」

「そうですね」

 

 頷くと彰人は、残ったコーヒーを飲みほして立ち上がる。

 

「じゃあ宇垣さん。僕はこれで。ちょっとこの後で予定がありますので」

 

 そう言うと、彰人は立ち上がって敬礼すると、そのまま踵を返して出て行こうとする。

 

 対して、宇垣はそんな彰人を見据えると、ボソッと言った。

 

「女か?」

 

 その言葉に、思わず動きを止める彰人。

 

 次いで、笑みを浮かべながら振り返る。

 

「ええまあ、そんなところです」

 

 そう言うと彰人は、今度こそ部屋を出て行った。

 

 その背中を見送ると、宇垣はフッと息をついた。

 

「あいつも変わったな。昔は、もう少し固い奴だったんだが、前よりも取っ付きやすくなった印象がある」

 

 そう言うと宇垣は、まだ開戦前、出会った頃の彰人を思い出していた。

 

 自身の書いたレポートを手に戦略論を語る、まだ少年のような顔をした海軍士官。

 

 真っ直ぐな目をして、自分の信じる道を全速力で走っている印象があった。

 

 その様子はふとすれば、途中で息切れをして倒れてしまうのではないか、と思ってしまった程である。

 

 もっとも、真っ直ぐに前だけを見ているのは、今でも変わらない。変わったのは、ちょっとペース配分を考えるようになった、と思える事だろうか?

 

 そんな事を考える宇垣に対し、

 

 何やら大和が、ニコニコとこちらを見ていた。

 

「どうした?」

「いえ、それは提督ご自身にも言える事ではないですか?」

 

 大和の言葉に、宇垣は宙を眺めるようにして考え込む。

 

「そうか?」

「ええ、私にはそう見えますよ」

 

 そう言って、大和はニッコリと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「かつて」と言う言葉を使うには、まだそれほど時がたったとは言い難い。

 

 なぜなら、時間にすれば、まだほんの1か月程度しか経っていないからだ。

 

 ニューブリテン島ラバウル。

 

 帝国軍が放棄したこの島に今、高らかと星条旗が掲げられていた。

 

 1944年1月に入るとすぐに、合衆国南太平洋方面軍は北進を開始。ニューギニア以北の制空権を完全に確保すると、司令部をこのラバウルまで前進させた。

 

 そして今、

 

 かつて、帝国軍が司令部を置いていた庁舎に、1人の男の姿があった。

 

 長身のその男は、目にはレイバンのサングラスをかけ、口にはコーンパイプを咥えている。

 

 椅子に座ってふんぞり返っている姿は、「傲岸不遜」と言う言葉こそが相応しかった。

 

「それで、海軍の攻勢は、いつになる予定なのかね?」

 

 デイビス・マッカーサー元帥は、目の前に立つ海軍提督に対し、尊大な口調で尋ねた。

 

 合衆国が太平洋方面に展開する軍の、約半数を指揮下に収めるマッカーサーは、帝国軍の後退に合わせ、それまで司令部にしていたオーストラリアのブリズベーンから、このラバウルへと移ってきていた。

 

 そんなマッカーサーの目の前には、直立不動で立つ、リーマス・キンケード中将の姿がある。

 

 海軍提督のキンケードだが、今は陸軍元帥であるマッカーサーの指揮下にある。これは、自前の海軍戦力を持たないマッカーサー軍を支援するための措置である。

 

 キンケードの下には、旧式戦艦5隻を中心にした大規模な艦隊がある。彼には、この艦隊を率いて、マッカーサー軍の護衛、並びに上陸支援が命じられている。

 

 そんなマッカーサーに対し、キンケードは直立不動のまま質問に答える。

 

「ニミッツ長官からは、向こう3カ月以内、と言われております」

「3カ月以内、ね」

 

 キンケードの答えに対し、マッカーサーは偉そうに鼻を鳴らす。

 

 そんなマッカーサーに対し、キンケードは冷ややかな視線を向けていた。

 

 ハッキリ言って、この戦争が始まって以来、マッカーサーは殆ど何もしていない。

 

 フィリピンではある程度善戦したものの、最後は帝国軍に追い詰められ、守備隊将兵を残して自分だけさっさと脱出している。(ただし、これは大統領命令であって、マッカーサー自身に責任は無い)

 

 更に、南太平洋の戦いが激しかった頃は、配下の航空隊のみを戦わせ、自分はブリズベーンに引きこもったままだった。そして、帝国軍が後退したところを見計らって、ノコノコと穴倉から這い出してきたのである。

 

 約2年近くに渡って帝国軍の攻勢を支え、南太平洋軍の士気を保ち続けた手腕は大したものである。

 

 しかし、これまで最前線で奮闘してきた海軍出身のキンケードからすれば、マッカーサーにここまで偉そうにされる筋合いは無い。と言うのが本音だった。

 

 しかしキンケードは、と言うより合衆国はマッカーサーの存在を容認せざるを得ない。

 

 マッカーサーは一代の英雄であり、その人気は合衆国内でも相当高い。

 

 現大統領はマッカーサーの人気ぶりを警戒し、彼が軍を退役して次の大統領選に出馬する事を恐れているのだ。よって、現大統領はマッカーサーを戦場に留めておくために、彼の要望を入れざるを得ない。

 

 太平洋方面軍の最高司令官と名乗る人物が、ニミッツとマッカーサー、2人いるのはそのような理由からだった。

 

 もっとも、物量に勝る合衆国軍にとって、2つの軍を運用する事は別段、苦にならないのだが。

 

 そのせいで帝国軍は2正面作戦を強いられる事になり、なけなしの戦力を更に分散させなくてはならない事態に陥っているのだが。

 

「ニミッツに言い給え。偉そうにハワイでふんぞり返っている暇があるなら、自分で艦隊を率いてジャップの艦隊を撃滅して見せろ、と」

 

 それはあんたの事だろ、とキンケードは腹の中で思う。無論、口には出さないが。

 

 何かにつけて尊大に振る舞いたがるマッカーサーの性格を、キンケードはよく知っている。

 

 そこら辺の処世術を心得ている事が、キンケードが「マッカーサーのお守り役」を命じられた理由かもしれなかった。

 

 とは言えキンケードも、マッカーサーと言う存在の必要性は判っている。

 

 彼が帝国軍の半分を引き付けてくれているおかげで、相対的に海軍の負担は減っている。そう考えれば、マッカーサーの存在も有用と言う事になる。

 

「閣下の御意向は、必ずやニミッツ長官に伝えます」

 

 そう言って敬礼するキンケード。

 

 勿論、自分が心にもない事を言っているのは自覚していたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫神は待ち合わせ場所の前に立ち、先程から落ち着かない様子を見せている。

 

 ここはトラック環礁にある歓楽街。

 

 砲火交える最前線にあって、兵士達が一時の安らぎを得られる楽園である。

 

 先程から姫神はしきりに手を動かし、服やスカートの裾を直し、あるいは髪型のチェックに余念がない。

 

 今日はいつものセーラー服姿ではない。

 

 白の長袖ワンピースに紺のストールを肩にかけ、普段はリボンで縛っている髪も、今日はストレートに下ろしていた。

 

 普段よりも、どこか大人っぽい雰囲気がある。

 

 しかし、

 

「・・・・・・落ち着かない」

 

 少し浮ついた声で呟く。

 

 普段着なれない服を着ているせいだろう。

 

 姫神は普段着でもこんなヒラヒラした服を着た事は無いし、何よりセーラー服のスカートよりも裾が短い。ちょっとでも動けばパンツが見えてしまいそうである。

 

 心なしか、周囲を行く人も姫神に注目しているような気がしてならなかった。

 

 今日はある意味、特別な日である。

 

 その為、気合入れた服で行くべき、と言う風に言われてこんな恰好で来たのだが、

 

「うう~ クロ、これは恨みますよ・・・・・・」

 

 半ば涙目になりながら、姫神はこの服をコーディネートした妹に恨み言をぶつける。

 

 その時、

 

「お待たせ、姫神」

「ッ!?」

 

 突然、背後から声を掛けられ、思いっきり肩を震わせる姫神。

 

 顔を赤くしながら恐る恐る振り返ると、

 

 そこには、軍服姿の彰人の姿があった。

 

 その顔を見て、何となくほっとする。

 

 見たかった顔を見る事が出来で、安心した感じである。

 

「ごめんね、宇垣さんの話が長くてさ」

「い、いえ・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人の言葉に、顔を俯かせる姫神。

 

 だが、こんな事ではいけない。男の人のハートを掴むためには、女も積極的にならなくてはいけない・・・・・・・・・・・・てクロが言っていた。

 

「私もいみゃきたちょこりょでしゅ」(訳:私も今来た所です)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 噛んだ~~~~~~~~~~~~!?

 

 内心で焦りまくる姫神。

 

 対して彰人は、そんな姫神を怪訝な面持ちで見詰める。

 

「だ、大丈夫、姫神? 具合悪いんだったら、また別の日にでも・・・・・・」

「い、いえ、大丈夫です。ノープロブレムです」

「いや、金剛じゃないんだから」

 

 などとツッコミを入れる彰人。

 

 しかし、姫神は尚もそわそわとしつつも、大丈夫と繰り返してくる。

 

 そんなわけで彰人としては、若干の不信感を抱きつつも、それ以上追及するのはやめておいた。何と言うか、可愛そうだったので。

 

 

 

 

 

 そんな訳で、2人で並んで歩いているのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 何となく、

 

 否、

 

 間違いなくぎこちない。

 

 主に姫神が。

 

「姫神」

「な、何ですか?」

「手と足が一緒に出ているよ」

 

 指摘され、慌てて直す姫神。

 

 しかし、すぐにまた同じ動作になってしまう。

 

「ところでさ姫神」

「は、はい!?」

 

 ただ話しかけただけで、飛び上がらんばかりの驚きを見せる姫神。

 

 そんな姫神に笑い掛けながら、彰人は言った。

 

「その服、可愛いね」

「な・・・・・・」

 

 彰人の言葉に、姫神は更に顔を赤くする。

 

「とっても似合っている。ちょっと、大人っぽい雰囲気に見えるね」

「な、なな、何を言っているのですか、彰人」

 

 そのまま後じさり、逃げるように踵を返す姫神。

 

 だが、

 

「あ、ちょっと姫神・・・・・・」

 

 制止しようとする彰人。

 

 しかし、遅かった。

 

 こけッ

 

「あうっ」

 

 何も無い所でつまずく姫神。

 

 そのまま、盛大に地面に向かって顔面ダイブを敢行してしまう。

 

「ひ、姫神!?」

 

 慌てて駆け寄ろうとする彰人。

 

 だが、

 

 思わず足を止めてしまう。

 

「あの・・・・・・姫神・・・・・・」

 

 彰人まで顔を紅くして、姫神を見る。

 

 姫神は倒れた拍子に、お尻を高く上げる形で地面に倒れ込んでいる。しかも、そのせいで、元々短いスカートが盛大にめくれてしまい、パンツが丸見えになってしまっていた。

 

 今日はいつも穿いている白パンツでは無く、ちょっとおしゃれをして、青い布地に白い水玉が入っている、ちょっと可愛いデザインのパンツである。布面積がやや小さく、しかもサイドをひもで縛るタイプの、所謂「紐パン」を穿いてきていた。

 

 自分がどんな体勢にあるか悟った瞬間、

 

「ヤ、ヤァァァァァァァァァァァ!!??」

 

 姫神が顔を真っ赤にして悲鳴あげたのは言うまでも無い事だった。

 

 

 

 

 

~それからしばらく~

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「うう~ すみません・・・・・・」

 

 テーブルの対面に座りながら話しかけてくる彰人に対し、完全に気落ちした調子で答える姫神。

 

 ここは甘味処「間宮」トラック出張店である。

 

 先程から失敗続きで、姫神は完全に自信を喪失している様子だった。

 

「ほんとに、どうしたの今日は? いつもの君らしくないよ」

 

 彰人がそう声を掛けると、姫神は更に顔を俯かせる。

 

「そう・・・・・・ですよね」

 

 そう言って、言葉を詰まらせる。

 

「彰人にとって特別な日なのに・・・・・・お祝いしてあげようと思ったのに・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言うと、

 

 姫神は彰人の胸元を見た。

 

 そこには、真新しい少将の階級章が光っている。

 

 ラバウル撤退戦を無事に終えた彰人は、少将に進級を果たしていた。

 

 彰人は現在26歳。それなりに速いスピードでの昇級となる。もっとも過去には、速い者では21には将官になっていた人物もいると言うので、珍しいと言う程ではないのだが。

 

 姫神は今日、彰人の将官進級を祝ってあげようと思ったのだ。その為にわざわざ、慣れない服まで着て来たのだった。

 

「けど、こんなんじゃ・・・・・・・・・・・・」

 

 落ち込む姫神。

 

 そんな少女を見て、

 

 彰人はフッと、笑みを見せる。

 

「特別な日だからって、何も気負って特別な事をする必要はないんじゃないかな?」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 テーブルに肘をつき、彰人は姫神に言う。

 

「大切な人と一緒に、大切な時間を過ごす事ができれば、それだけで僕は幸せだと思うよ」

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人にとっての大切な人。

 

 つまり、姫神と一緒にいられるだけで、それ以上の事は必要無い。

 

 彰人はそう言っているのだ。

 

「でも彰人、私はムガググッ!?」

 

 何か言おうとする姫神。

 

 しかしその前に、彰人は目の前に置いてある自分のパフェをひと匙掬うと、開きかけた姫神の口の中へタイミングよく突っ込んだ。

 

 いきなり口の中に広がる甘い感触と共に、言葉を断ち切られる姫神。

 

 対して、彰人は可笑しそうに笑う。

 

「『でも』も『しかし』も無し。僕がそれで良いって言ってるんだからさ。それに・・・・・・」

 

 彰人は少し言い淀んでから、付け加える。

 

「その・・・・・・せっかく、2人っきりで過ごせるんだから、楽しまなきゃ損でしょ」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 短く、声を上げる姫神。

 

 彼女はようやく、彰人が何を望んでいるのか理解できた。

 

 折角の休日。

 

 折角のデート。

 

 限られた時間の中で、楽しまない事ほど損な事は無かった。

 

「そう・・・・・・ですね」

 

 微笑む姫神。

 

 その表情は、どこか緊張がほぐれたような、柔らかい笑顔だった。

 

 そんな姫神の笑顔を見て、

 

 彰人も、ホッとしたような表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 それから2人は、残された時間で可能な限り、遊んで歩いた。

 

 「間宮」ではそのまま食事を取った。

 

 道を歩いていたら、出張芸人が大道芸を見せてくれた。

 

 一緒に歩いている所を鈴谷たちに見られてからかわれた。

 

 洋服屋に入って、姫神に似合う服を探した。

 

 そのどれもが、楽しくて仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 楽しい時間と言う物は、瞬く間に過ぎていく物である。

 

 気が付けば、日は水平線の下に沈み始めていた。

 

 夕日が赤く海面を照らす中、

 

 彰人と姫神は、環礁の海岸に来ていた。

 

 近くには、数隻の駆逐艦と輸送船が停泊しているのが見える。恐らく、補給物資を運んできた船団と、その護衛部隊だろう、荷下ろしの最中なのだ。

 

 そんな中、姫神は裸足になり、スカートのすそを摘まんで足を波打ち際に浸しながら、遊んでいる。

 

 その様子を彰人は、微笑ましそうに眺めていた。

 

 間もなく、

 

 もう間もなく、この海を越えて敵がやってくる。

 

 こうして平和に過ごしていられるのも、もうあと僅かかもしれない。

 

 だから楽しもう。

 

 姫神と一緒に過ごせる「特別な日」が続く限り、その時間を楽しもう。

 

「彰人!!」

 

 波打ち際で手を振る姫神。

 

 そんな姫神を見て、

 

 彰人はゆっくりと、彼女に近付いて行った。

 

 

 

 

 

第61話「特別な日」      終わり

 

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