1
報告を聞いた黒鳥陽介は、文字通り椅子から転げ落ちる程仰天した。
パラオに駐留していた連合艦隊主力がトラック沖へと出撃。来襲した合衆国艦隊撃退に貢献したと言う。
既に第2艦隊はトラック環礁の第7艦隊と合流、同環礁の防衛に当たっていると言う。
また、トラックを襲った合衆国艦隊も、退避したのを確認している。
「馬鹿なッ 連中はなぜそんなところにいるのだ!?」
連合艦隊には、軍令部からの命令でトラック方面への出撃を禁じる旨を通達したはずだった。
にも拘らず、連合艦隊がトラック沖に現れるとは。
「これは重大な命令違反だッ 軍法会議物の重罪だぞッ 小沢、宇垣、両提督は即刻解任の上、内地に召還するんだ!!」
怒り狂う黒鳥。
周囲の人間は、そんな黒鳥の様子に気おされて、言葉を発する事すらできない様子だった。
因みに言うが、
他ならぬ黒鳥自身がGF作戦参謀時代、軍令部の意向を無視して独走する山本伊佐雄の片棒を担ぎ、散々彼の命令違反を推進して来た事については、都合よく綺麗さっぱり忘れ去られていた。
「あの、それが・・・・・・・・・・・・」
怒り狂う黒鳥を前にして、軍令部職員の1人が恐る恐ると言った感じに声を掛ける。
「この件に関しては、永野総長の御裁可があった、と聞いています」
「何だと!?」
その報告に、黒鳥は絶句する。
「そ、そんな筈があるかッ 永野閣下は確かに、私の意見を通し、艦隊の出撃禁止を通達したはずだ!!」
「し、しかし、本当に・・・・・・・・・・・・」
まくしたてる黒鳥に対し、報告した職員は言葉を詰まらせながら反論する。
歯噛みする黒鳥。
話が本当なら永野は、一度は黒鳥の意見を容れながら、その後で覆した事になる。
朝令暮改とは、正にこの事だった。
「あの、三等大将めがッ・・・・・・・・・・・・」
絞り出すような声は、しかし他の職員たちに聞こえなかった事は、黒鳥にとって幸いな事だった。
第7艦隊をトラック環礁に釘付けにし、更に連合艦隊主力の救援を禁じる事で、水上彰人の抹殺を図ると言う黒鳥の計画は、これで完全に潰えた事になる。
それどころか、損害を出しながらも合衆国艦隊を撃退し、見事にトラック環礁を防衛してのけた彰人の名声は、これでますます上がる事になるだろう。
事は、あの忌々しい若造の思い通りに進もうとしている。
このままでは、あの運が良いだけの成り上がり者に帝国海軍を食いつぶされてしまう事になりかねない。
黒鳥には、富士宮が掲げる帝国を中心としたアジア一帯の王道楽土建設と言う使命がある。
それを考えれば、彰人の存在は邪魔以外の何物でもなかった。
「何とかしなくては・・・・・・何とか・・・・・・」
ぶつぶつと呟く黒鳥。
いつしか、他の職員たちの姿も無く、黒鳥は1人で机の前に立ち尽くしていた。
そして、
その手元には、1隻の戦艦と、その艦橋を背にピースサインをする溌剌とした印象の少女を移した写真が置かれていた。
2
激闘から一夜明けたトラック環礁は、早速、工事の音がそこかしこで鳴り響いていた。
結果的に防衛には成功したとは言え、航空機による爆撃と、戦艦の艦砲射撃を受けた基地施設の損害は大きく、その復旧には大きな困難を伴うものと考えられた。
当然、合衆国軍も黙ってはいない。流石に艦隊を繰り出してくることは無いだろうが、ラバウルから爆撃機を飛ばして、帝国軍の復旧作業を妨害する、くらいの事はやる筈だった。
帝国軍の設営部隊は機械化率が低く、施設の建設や修復は未だに人力頼みである。その為、壊滅的な損害を被った基地を復旧するだけでも、数か月を要するのは間違いなかった。
そんな中、辛うじて艦砲射撃の被害を免れた春島泊地では、第7艦隊旗艦「姫神」と、第2艦隊旗艦「大和」が、寄り添うような形で停泊していた。
艦型は似ている両者だが、「大和」は「姫神」に比べて一回りは艦体が大きい。
並んでみると、まるで歳の離れた姉妹のようだった。
その「姫神」の司令官室には今、大和を伴った宇垣護が来艦していた。
本来なら下位指揮官である彰人の方から出向かなくてはならない所ではあるのだが、宇垣はあえて自分の方から「姫神」へと出向いていた。
今回の戦いにおける功労者である彰人達をねぎらう為である。
「随分と無茶をしましたね。まあ、助けられた事は感謝しますけど」
彰人は正面に座った宇垣と大和を見ながら苦笑して見せる。
この2人は、本来ならここに居てはいけないはずの人物である。それが判っているのであろう。宇垣と大和もまた、少しバツが悪そうに苦笑する。
「まったく、一言多い奴だ。素直に喜んだらどうだ?」
「喜んではいますよ。勿論ね」
そう言うと、彰人は自ら淹れた紅茶を口に運ぶ。
彰人は自分が、勝つ為なら多少の無茶はやる人間だと言う事を自覚しているが、今回の宇垣たちが取った行動は、そんな彰人の予測すら上回っていた。
宇垣達、と言うより古河峰一をも巻き込んだ連合艦隊司令部は、軍令部からの命令によって大ぴらに動く事ができずにいた。
トラック環礁を守る為には、連合艦隊主力を繰り出す必要がある。
しかし、軍令部の命令を無視する事はできない。
そこで、古河は一計を案じた。
軍令部からの命令では「トラック環礁方面に出撃する事を禁じる」とあった。
つまり、トラック方面に艦隊を動かす事はできない訳だが、逆を言えばトラック方面以外になら、どこに艦隊を動かしても良い事になる。
「つまり、我々はマリアナ諸島防衛の為に出撃し、その途中でトラック環礁近海を経由した結果、たまたま敵艦隊と遭遇し、これを撃退したと言う訳だ」
ドヤ顔で説明する宇垣に対し、彰人は開いた口がふさがらない想いだった。
無茶にも程がある、とはこの事である。確かにマリアナとトラックは地図上で見れば南北で隣り合っているし、艦隊の巡航速度なら片道1日もあれば到達できる。
しかしパラオからでは進路だいぶ異なると言うのに。
「こじつけにも程があると思います」
姫神がボソッとツッコミを入れる。
それに関しては、彰人も100パーセント同意見だった。
「嘘も方便だよ。現に、敵艦隊がマリアナ方面に向かわないと言う保証も無かった訳だしな」
宇垣はそう言って肩を竦めて見せる。
その証拠に、小沢率いる機動部隊はトラックを経由せず、直接マリアナに直行していた。
それにしても、
嘯く宇垣を、彰人は意外な面持ちで眺めていた。
以前の宇垣なら、こんな冗談交じりの言葉は決して言わなかっただろう。
何だか今の宇垣は、GF参謀長時代に比べて溌剌としているように見えた。
環境の変化によって性格が少し変わったのか、
あるいはそれとも・・・・・・・・・・・・
彰人はチラッと、宇垣の傍らに座る大和を見やる。
世界最強の少女は、紅茶を飲む宇垣を微笑ましげに見つめている。
人を変えるのは環境だが、その環境を作るのは人である。
故に、宇垣が変わったとすれば、周囲にいる人物の影響と言う事になる。そして、それはごく親しい人物である事は予想できた。
「さて」
紅茶を飲みほした宇垣は、話題を切り換えるように言った。
「我々がここに来たのは、紅茶を飲むため、と言う訳ではない」
「ええ、判っています」
宇垣の言葉に、彰人は頷きを返した。
宇垣がここに来たのは、あくまでも今後の作戦方針についての検討がメインだった。
「まず、トラック環礁の被害状況ですが・・・・・・」
彰人は参謀たちを派遣して被害状況の把握と、戦果の確認を行っていた。
それによると、被害は、軽巡洋艦「阿賀野」「那珂」、駆逐艦「舞風」「太刀風」「文月」沈没。巡洋戦艦「姫神」「黒姫」、重巡洋艦「熊野」、駆逐艦「野分」「春雨」損傷。
更に航空機は112機喪失(戦闘後廃棄分を含む)。基地施設60パーセント喪失だった。
対して上げた戦果は、戦艦4隻(2隻は大型巡洋艦)、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻撃沈。航空機200機以上撃墜、とある。
帝国海軍は見事にトラック環礁の防衛に成功し、来寇した合衆国艦隊に手痛い反撃を行い、追い返す事に成功したのだ。
文句の付けようの無い、戦略・戦術、双方における大勝利だった。
しかし、手放しで喜んでばかりもいられない。
確かに勝つには勝ったが、帝国海軍の損害もバカにはできないのだ。
特に、基地施設の損害が大きすぎる。
先にも言った通り、敵の空襲や艦砲射撃で破壊された施設を再建するとなると、どれ程の物資と時間がかかるか見当もつかない。
しかも、その間に合衆国軍が黙っているとは思えない。必ずや、物資輸送の妨害を行ってくるだろう。
トラックの再建には、気が遠くなるほどの時間がかかるであろう事は、想像に難くなかった。
だが、
そんな懸念に対して、彰人はあっけらかんと言った感じに肩を竦めて見せた。
「そう、難しく考える事じゃないですよ」
「どういう意味だ?」
訝るように尋ねる宇垣。
それに対し、彰人は笑みを含んだ声で言った。
「だって、時が来たら僕は、このトラックを放棄するよう、古河長官に上申する心算でしたから」
「なッ!?」
「え!?」
驚いて声を上げたのは、宇垣と大和である。
彰人は何でもないような事を言ったが、その言葉の意味が齎す重みは、帝国海軍の軍人ならば計り知れない物があった。
1人、驚いていないのは姫神である。
彼女にしてみれば、自分の恋人がどのような決断をしようともついて行く。と言う腹が決まっているのかもしれなかった。
話を戻すが、
言うまでも無く、トラック環礁は外洋における帝国海軍最大の根拠地である。ここを失うと言う事は、以後、南洋での作戦行動に支障をきたす事になりかねない。
そんなトラック環礁を手放すなどと、あっさりと言ってのけるとは思っても見なかったのである。
だが、彰人はあくまでも自分の意見を曲げる心算は無かった。
「敵は既に侵攻拠点としてラバウルやマーシャルを得ています。トラックはラバウルからの空襲圏内ですから、艦隊の恒久泊地としては不適切です。加えて本土からも遠いせいで補給が困難です。戦略的に考えれば、維持するメリットよりもデメリットの方が大きいでしょう」
「だが、それで放棄となると、すぐには賛成しかねるな。我々がトラックを放棄すれば、敵はそこに付け込んで、攻め込んでくるぞ」
宇垣の懸念はもっともだった。
こちらが後退すれば、合衆国軍は戦力の空白を埋めるために攻め上がってくるのは明白である。
そうなると、今度はマリアナやパラオが戦場になる事になる。
「ええ、ですから」
彰人は我が意を得たり、と言った感じで宇垣を見やった。
「敵の侵攻をマリアナで迎え撃ち、これを完全に撃退します」
それが彰人の戦略構想だった。
トラックで時間を稼ぎ、マリアナで敵を食い止める。その為、マリアナの要塞化はトラック以上に入念に行われている。
更に、マリアナには一つメリットがある。それは、航空機の輸送が楽な点だった。
マリアナ諸島なら、小笠原諸島を経由する事で、簡単に航空機を送り込む事ができる。トラックだと、航空機の輸送は空母を使わなくてはならず、仮に空路で送り込むとしたら本土、小笠原、マリアナを経由しなくてはならない為、余計な手間と時間がかかるのだ。
彰人がマリアナを決戦の地に定めているのは、そのような理由からだった。
「ただ、この作戦には一つ、どうしても難点があります」
「それは、マッカーサーの動向か?」
問いかける宇垣に、彰人は頷きを返す。
マッカーサーの戦略は、北部ニューギニアを島伝いに西進し、そのままフィリピンへ攻め込む形になっている。
つまり、マッカーサーはマリアナを攻める気は無いのだ。
彰人の防衛構想は、マッカーサー軍には対応できなかった。
ここでも、米豪遮断作戦失敗が尾を引いていた。
あの作戦さえ緒戦で成功させていれば、今ごろはマッカーサー軍など気にせず、兵力の集中ができた筈なのだ。
「陸軍は北部ニューギニアに兵力を展開してマッカーサーを迎え撃つ心算みたいだがな」
「それも、どこまで当てにできるか・・・・・・」
宇垣の言葉に対し、彰人は首をかしげる。
帝国陸軍の兵士達は精強揃いであり、事実、大陸では奮闘を続けているが、いかんせん、機械化率が違い過ぎる。
正面から激突すれば、合衆国軍の火力に叩き潰されるのは目に見えていた。
「マリアナだけは、何としても敵に明け渡し訳にはいきませんからね・・・・・・」
そう呟く彰人の脳裏には、つい先日、自分の元へと齎された情報があった。
それによると合衆国軍は、B17、B24に代わる新型重爆撃機を開発し、既に完成目前まで来ているとか。
XB29と銘打たれたその爆撃機は、恐るべき性能を秘めているらしい。
断片的に伝わってくる情報では、高度1万メートル以上を、時速500キロ以上飛行可能であり、爆弾は10トン近く搭載できるのだとか。
更に最も驚愕すべき点は、航続力が7000キロ近くもある点である。万が一、マリアナが敵の手に落ち、このXB29の進出拠点に使われた場合、本土は空襲圏内に入る事になる。
本土には戦う術を持たない銃後の民がたくさん暮らしている。
彼等の頭上から、黒々とした爆弾が降り注ぎ、炎の中に焼き尽くされていく自体が、彰人には脳裡に浮かぶようだった。
故に、マリアナは何としても守らなくてはならない。たとえ他の全てを捨ててでも、である。
その時だった。
「失礼します」
扉を開いて入って来たのは、黒姫だった。
彼女は宇垣と大和に一礼すると、彰人に向き直った。
「提督、準備出来たわよ」
「ああ、もうそんな時間だったっけ」
彰人は自分の腕に嵌めた時計を見やりながら頷く。
そんな彰人の姿に、宇垣は首をかしげた。
「何か予定があるのかね?」
「ええ、ちょっと・・・・・・」
言い掛けてから、彰人は思い出したように言った。
「そうだ、良かったら宇垣さんと大和も参加しませんか。て言うか、そうしてもらえると、こっちとしても嬉しいです」
彰人の申し出に、宇垣と大和は揃って首をかしげるのだった。
宇垣たちを連れ立って彰人がやって来たのは、「姫神」の前部甲板だった。
巨大な第1、第2主砲が鎮座し、昨夜の砲撃戦のすさまじさを物語るように、あちこちに焼け焦げた跡が残る中、
一列に整列した兵士達がライフルを手に、筒を空へと向けている。
そして、
甲板の縁には、一列に並んだ少女達の姿があった。
暁、響、雷、電、島風。
共に、第13戦隊として戦ってきた少女達である。
彼女達の手には今、それぞれ花束が握られている。
やがて、少女達に並ぶように、彰人もまた、甲板の縁に立った。
そして、大きく息を吸い込み、言い放った。
「トラック環礁攻防戦における英霊たちに対し、捧げ筒!!」
彰人の声と同時に、兵士達は一斉にライフルの引き金を引く。
放たれる銃声。
同時に、少女達は、手にした花束を甲板から海へと投げ込む。
すすり泣く声が、あちこちから響いて来る。
誰もが、大切な人を悼み、その魂が永久に安らぐ事を祈る。
そんな中、
彰人と宇垣もまた、静かに敬礼を送る。
これは、散り行く者へのささやかなレクイエム。
その御霊が海へと帰り、いつの日か再び、自分達と共に歩む日が来る事を切に願って。
今はしばしの別れを惜しむ。
居並ぶ皆は、仲間達への別れを胸に秘めているのだった。
そんな中、
そっと、傍らに立った姫神が、彰人の手に自分の指を絡ませて来る。
僅かに目を向ける彰人に対し、姫神は振り返らないまま、ただ黙って前方を見つめ続けている。
それで彰人は察した。
阿賀野の死。
それは、第7艦隊の結成以来、初めて出た艦娘の撃沈である。
それだけに、姫神が受けた衝撃と悲哀も大きかったのだろう。
姫神の悲しみが、手の温もりと共に伝わってくる。
それに対し、
彰人は答えるように、キュッと彼女の手を握り返す。
大丈夫。
僕が提督でいる限り、絶対に君を沈ませはしない。
その想いを込める。
そうした彰人の想いが伝わったのか、
やがて、
そんな彰人の想いが伝わったのか、姫神が安心するように笑顔を向けてくるのだった。
第66話「散り行く者へ捧ぐ」 終わり