蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第68話「残す想いの形」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トラック環礁。

 

 そこは、今さら言うまでも無く、帝国海軍の外洋における最大の根拠地である。

 

 戦前から整備された陣地群に、数個艦隊を収容、整備できる広大な泊地とそれを支えるだけの各種施設。

 

 今次大戦が始まってからは、南洋に展開した帝国海軍を支援する後方拠点として活躍してきた。このトラックがあったからこそ、帝国海軍は長期間に渡って南洋戦線を維持できたのである。

 

 そのトラックを遠方に、「姫神」の艦橋から見やりながら、彰人は静かな眼差しでもって佇んでいた。

 

「時間です」

 

 響く、姫神の声。

 

 次の瞬間、

 

 巨大な爆炎が、トラック環礁を覆い尽くす勢いで吹き上がった。

 

 誰もが、息を飲む。

 

 トラックが燃えていた。

 

 多数の航空機を運用できる飛行場が、世界でも有数の艦隊泊地が、そして思い出の詰まった施設が、次々と炎に包まれ沈んで行く。

 

 その光景に、多くの者達が涙を流す。

 

 トラックは、帝国海軍にとって、自分達の家のような物である。

 

 これが最終的な決定とは言え、自分達の家を燃やして、悲しくない人間はいなかった。

 

 それは、実行犯である彰人も同様だった。

 

 敬礼を送る手が、微かに震えているのが姫神には見えた。

 

 だが、これは仕方がない事である。

 

 先のトラック環礁開戦の結果、壊滅的な被害を蒙ったトラック環礁。

 

 その施設群の復旧は、事実上困難と判断され、ここに長年にわたって帝国海軍が領有し続けてきたトラック基地の放棄が決定されたのだった。

 

 悔しいのは彰人も、他の将兵と同様である。

 

 そもそも彰人の作戦は、トラック環礁の戦力で敵戦力を防ぎ止めつつ、パラオから出撃した艦隊で遊撃戦を仕掛け撃退する。と言う物だった。

 

 その作戦が奏功していたら、何もこんなに早くトラックを放棄する必要は無かったのだ。

 

 だが、その思惑も、軍令部の余計な横槍によってご破算になってしまった。

 

 放棄に際し彰人は、基地施設全てを、徹底的に破壊する事を命じた。

 

 施設と言う施設に時限式の爆薬を仕掛けて回り、更に飛行場には「姫神」と「黒姫」から砲弾を撃ち込んで徹底的に破壊し尽くして行った。

 

 理由は言うまでも無く、万が一敵がトラックに進出してきた場合、鹵獲される物を少なくし、更に基地化を少しでも遅らせる為である。

 

 が、

 

 今回のそれは、そんな生易しいレベルではなかった。

 

 彰人は今回のトラック危地破壊に際し、手心を加えずに徹底的に行う事にした。

 

 そこにある意図は、「今後、いかなる国であろうとも、この環礁を軍事利用する事ができないようにする」であった。

 

 なお、当然の事だが、「いかなる国」の中には帝国も含まれている。

 

 焦土作戦

 

 と言う言葉がある。

 

 19世紀初頭、時のフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがロシアに遠征した際、ロシア軍指揮官ミハイル・クトゥーゾフは、自国の都市を焼き払い、物資を全て廃棄する事でナポレオン軍の補給線を破壊し、撤退に追い込んだ。

 

 このロシア遠征失敗こそが、ナポレオン凋落の端緒となったと言われている。

 

 この時、クトゥーゾフが取った戦略こそが焦土戦術の典型的な例である。

 

 彰人は合衆国軍がトラックに進出してこない様に、この地を徹底的に破壊して見せたのだ。

 

 勿論、トラックを失う事によって、南方のマッカーサー軍に対する備えが甘くなることは予期しているが、このままトラックを維持し続けたとしても得られる物は少なく、却って損害を招く結果になりかねない。

 

 それよりもトラックを徹底破壊する事で戦略的価値を無くし、戦力の空白地帯を作る。そうする事によって、間接的にマリアナの防衛力を強化する方が得策であると考えたのだ。

 

 陸上機でマリアナを攻撃しようと思ったら、場所はトラック以外にありえない。そのトラックを使えないようにしてしまえば、敵はマリアナに侵攻する際、艦隊戦力しか使用できない、と言う訳だ。

 

「よし、第7艦隊、全艦反転。これより、パラオの連合艦隊主力と合流する」

 

 彰人の号令一下、艦首を巡らせる「姫神」。

 

 やがて、炎上する環礁の姿は後方へと流れ見えなくなっていく。

 

 そして、

 

 これ以後、トラック環礁が軍事利用される事は二度と無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃、帝国軍の戦局は、より逼迫した物となりつつあった。

 

 太平洋方面では戦線の縮小に次ぐ縮小が相次ぎ、内南洋にまで押し込まれている。

 

 ただし帝国海軍はこれ以上、合衆国軍には一歩たりとも進ませないと言わんばかりに兵力をマリアナ諸島へ展開。眦を上げて迎え撃つ体勢を整えつつある。

 

 さしもの合衆国軍も、要塞化が進むマリアナ諸島の攻略は容易ではないと判断したらしく、様子を見つつ攻撃の機会を伺っていた。

 

 こうして、日米両軍が決戦に向けて着々と準備を進める中、

 

 しかし、帝国にとっての破滅は、思わぬところから忍び寄ろうとしていた。

 

 それは彰人を含めて、帝国海軍の誰もが、予想だにしなかった事態である。

 

 1944年3月。

 

 帝国陸軍は、東南アジアの拠点奪回を目指すイギリス軍が拠点を置くビルマ、インパールに対し、大規模な攻勢に打って出たのである。

 

 この作戦はイギリス軍をインド方面へと押し返す事を目的としており、最終的にはイギリス軍が保持している中国への補給ルートを断ち切り、それによって大陸戦線の支援を行おうと言う事だった。

 

 後世、この作戦は「史上、最も愚かな作戦」として長く語り継がれる事になる。

 

 戦いは、3月から7月にかけての約4か月間行われる事になる。

 

 帝国陸軍は、この戦いに10万から成る大軍を投入。その中には、海軍の支援の下、南洋から辛うじて撤退してきた部隊が多数含まれていた。

 

 だが、この作戦は当初から破綻していたと言っても良い。

 

 総司令官に就任した牟田口健也陸軍中将は、典型的な官僚軍人であり、軍人としての資質よりも士官学校や陸軍大学の成績、上司のご機嫌取りをする事で出世してきたタイプである。当然だが作戦を考えられるだけの戦略も、部下将兵を纏め上げる統率力も無く、大軍を率いるのにふさわしい人物とは、到底言えない男であった。

 

 また牟田口は、日中戦争の発端となった盧溝橋事件の際の現場指揮官であり、事実確認もしないまま中国軍に対する反撃を命じた人物でもある。いわば、直接的に帝国を戦争に引きずり込んだ1人でもある。

 

 そのような人物が立案した作戦が、上手く運ぶ可能性など皆無以下だったのだ。

 

 牟田口は自ら立てた作戦でありながら、インパール周辺の地形や目標までの移動にかかる時間を全く理解しておらず、派遣された陸軍兵士達は、道無きジャングルや絶壁の崖を徒歩で歩かされる羽目になった。

 

 更に牟田口は補給の概念も根本から欠落しており、兵士達には僅かな弾薬と3週間分の食料が用意されたのみだった。また、後方から補給を送る算段も、全く考慮されていなかった。

 

 そのような状況で開始された作戦が上手く行くはずも無く、そして当然の帰結として、作戦の綻びは早かった。

 

 険しい道のりを、脱落者を出しながらも何とか抜けて、イギリス軍が頑強に守りを固めるビルマへ侵入を果たした帝国陸軍だったが、補給が続かずに戦線は膠着。やがて、後退を余儀なくされる結果となって行く。

 

 最終的に帝国陸軍の死傷者が5万6000人にも及んだが、その大半が餓死や病死である。

 

 しかも唾棄すべき事に、作戦実行期間中、牟田口は一度も前線に赴くことは無く、後方の総司令部で酒と美食に溺れ、美女を侍らせる生活を送っていた。

 

 それでいて、前線からの補給要請や撤退要請には一切応じず、ただただ悪戯に進撃命令を繰り返すのみだった。

 

 彼の目には、最前線で苦しむ兵士達の姿など映っていなかったのである。

 

 牟田口は最終的に、イギリス軍の反抗が始まると真っ先に飛行機に飛び乗ると、戦っている部下将兵を置き去りにして撤退してしまう。

 

 紛う事無き敵前逃亡である。

 

 しかし、結果的にその行為は咎められる事無く、牟田口は陸軍の要職に在り続ける事になる。

 

 ただ、ここで重要なのは、インパールで無為に失われる事になる兵力の方だった。

 

 愚かな人間の愚かな妄想から生まれた作戦によって失われた兵力は当初、彰人がニューギニア方面の守りとして、西進してくるマッカーサー軍を迎え撃つ事を期待していた兵力である。

 

 それが、ビルマで無為に失われる事になる。

 

 そして、この戦いにおける敗北が後に、帝国に暗い影を落としていくことになるのだが、

 

 現在の彰人には、そこまでの事を予測する事は流石に不可能だった。

 

 

 

 

 

 唐突だが、

 

 水上彰人は割と貧乏である。

 

 なぜ? と思うだろう。

 

 今や帝国海軍主力艦隊の一柱を担う第7艦隊司令官にして海軍少将。それなりの俸給は見込める筈である。

 

 事実、彰人の給料はそこそこ高い。

 

 高いは高いのだが、同時に出費も多いのだ。

 

 無論、無駄遣いをしている訳ではない。本を読む事は趣味なので、そちらには多少回しているが、個人的な贅沢と言えばそれくらいである。

 

 彰人は軍令部職員時代から独自の情報網を張り巡らせ、常に最新の情報を取得できるように努めてきた。

 

 だが、情報網と言う者は維持するのにも金がかかる物である。勿論、海軍から資金提供されて維持されてる部分は大きいが、細かい所まで面倒を見ないと気が済まない彰人は、自腹を切って情報取得に努める事も少なくない。

 

 そんなわけで、彰人は生活費と若干の貯金のみを残すと、後は全て情報網維持に回してしまうのである。

 

 幸いと言うか、彰人は未だに独身の身である為、さほど金が必要な身分でもない。

 

 将官になって使える金が増えた事で、情報網はより強化された形である。

 

 だが、

 

 そんな彰人にも、目下のところ金銭的な悩みはある。

 

 それは、

 

 いざ、姫神をデートに誘う時の資金について、割と本気で困る事が多い、と言う事である。

 

「ごめんね姫神。甲斐性無しで」

 

 カフェで向かい合う席に座りながら、彰人は自分の彼女に申し訳なさそうに謝る。

 

 トラック環礁海戦から約2週間後、

 

 彰人はトラック環礁開戦で損傷を負った「姫神」以下の艦隊を率いて、本土へと帰還していた。

 

 目的は、損傷艦の修復であるが、同時に乗組員たちにリフレッシュ休暇を与える為でもあった。

 

 何しろ、あれほどの激戦を生き残ったばかりである。皆が皆、自分が生きている事実を思いっきり満喫したいはずである。

 

 彰人の決定は、そのような艦隊乗組員たちの気持ちを考慮した物だった。

 

 そんなわけで、彰人も休日を利用して姫神を連れ出し、楽しくデートに出かけた訳だが、

 

 先立つものが無い彰人が姫神を連れて行ける場所と言ったら、そこらのカフェやレストランと言った「お手軽コース」だった。

 

「構いません」

 

 そんな彰人に、姫神は優しく声を掛ける。

 

 そして、

 

「いつもの事ですから」

「・・・・・・だよね」

 

 上げて、落とすのも早かった。言うまでも無く、姫神自身にその自覚は無いのだが。

 

 ガックリと肩を落とす彰人。

 

 姫神の性格が「こんな」だから不満に思ってはいないかもしれないが、それでも彼氏としては情けない限りである。

 

 そんな彰人に対し、パフェを口に運びながら姫神が口を開いた。

 

「気にしないでください彰人。私は彰人と一緒にいられるだけで楽しいです」

 

 そう言って笑顔を浮かべる姫神に対し、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 彰人は思わず、自分の頬が熱くなるのを感じた。

 

 姫神が最近、どうしようもなく可愛く感じてしまう。人目が無かったら、誰にはばかることなく抱きしめてやりたい気分だった。

 

 恋人同士として付き合い始め、彰人の中でも変化が生じ始めているのかもしれなかった。

 

 照れているのを誤魔化そうと、目の前の紅茶を口に運ぶ彰人。

 

 姫神はと言えば、そんな彰人の様子に気付かずにパフェを一心不乱に口に運んでいる。

 

 その様子を見る限り、どうやら本気で気にしてないらしい。

 

 彰人はクスッと笑うと、手元のおしぼりを持って姫神の方へと差し出す。

 

「?」

「ほっぺにクリームが付いているよ」

 

 そう言って、姫神の頬を拭ってやる。

 

「ありがとう・・・・・・ございます」

 

 上目遣いになって彰人を見詰めてくる姫神。

 

 その頬がほんのり赤くなっている。どうやら、ちょっと恥ずかしかったらしい。

 

 対して笑顔で姫神を見詰める彰人。

 

 出会ったばかりの頃の姫神なら、決してこのような表情を見せてくれたりはしなかっただろう。

 

 こうして恋人同士となり、初めて見えてくる部分も多く、彰人にとっては新鮮な気分を味わえるのだった。

 

「ねえ、姫神。今日はちょっと行きたいところがあるんだ。付き合ってくれるかな?」

「行きたいところ、ですか?」

 

 キョトンとして首をかしげる姫神に、彰人は頷きを返す。

 

 そこは、前々から行かなくてはならないと思っていた場所であったのだが、そのすぐ後に彰人はキスカ島撤収作戦やトラック環礁の要塞建設と言った任務に就いてしまい、結果的に、思い立ってから半年以上も間が空いてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 カフェを出た彰人と姫神は、バス乗り場までの間を並んで歩きながら、街の様子を眺めていた。

 

 だが、

 

 その様子は以前と比べて、だいぶ様変わりしていた。

 

 勿論、町並みは変わっていない。

 

 だが、そこで暮らす人々には、活気と言う者が薄らいでいるように感じられた。

 

 無理も無い。

 

 戦況の悪化に伴い、若者の多くは徴兵されて最前線に赴き、残っているのは女性や子供、老人、それに徴兵を免れた一部の男子のみである。

 

 銃後に負担を掛けるようになったら、戦争は既に末期であると言わざるを得ない。

 

 彰人の目には、帝国は既にその段階に踏み込みつつあるように見えるのだった。

 

「マリアナは、絶対に守り通さなくちゃいけない」

「彰人?」

 

 呟く彰人に、姫神は不思議そうな顔で見上げてくる。

 

 対して、真剣な眼差しを見せる彰人。

 

「マリアナを敵に取られ、そこを侵攻拠点にされたら、今度は確実に本土が狙われる。そうなると、被害は2年前の比じゃなくなる」

 

 2年前、合衆国軍は空母に陸上機を搭載して本土を空襲すると言う作戦を敢行し、見事に成功させているが、あの時飛来した機体はせいぜい10数機であり、被害もそれほどではなかった。

 

 しかしマリアナが陥落し、そこを拠点に敵の重爆撃機が活動を始めたら、被害は想像を絶した物になるだろう。

 

 今こうして、彰人と姫神が歩いている街並みの上に爆弾が落下してくることも考えられるのだ。

 

 だからこそ、マリアナは死守しなくてはならなかった。

 

 と、

 

 姫神がそっと、彰人の手に自分の指を絡め握り返してきた。

 

「姫神?」

「彰人なら大丈夫です」

 

 静かに、

 

 しかし核心を込めた声で、姫神は言った。

 

「彰人はこれまで、どんな戦いにも勝ってきました。だから大丈夫です。少なくとも、私は何の心配もしていませんから」

「・・・・・・・・・・・・そっか」

 

 姫神に言われると、彰人の中でも自信が湧いてくる。

 

 姫神がいてくれればきっと大丈夫。

 

 彼女がいてくれれば、絶対に負けることは無い。

 

 そう思えるから不思議だった。

 

「ありがとう、姫神」

 

 そう言って、彰人は笑いかけた。

 

 その時だった。

 

 ピピィィィィィィィィィィィィ!!

 

 突然、けたたましい警笛の音が鳴り響いた。

 

 振り返る彰人と姫神。

 

 するとそこには、制服を着た男が3人ほど、鬼のような形相で2人を指差して駆けてくるところだった。

 

 その姿を見て、彰人は渋い表情を作る。

 

「憲兵か・・・・・・・・・・・・」

 

 厄介な連中に見つかった物である。

 

 憲兵は国内に潜伏したスパイや思想犯、更に軍内における綱紀粛正を目的に活動する組織であるが、最近ではこうして巷に出て、一般市民に目を光らせる事もやっているらしい。

 

 その取締り基準も引き上げられる傾向にあり、最近ではほんの少し派手な出で立ちで歩いていたからと言って連行されるパターンもあったらしい。

 

 彰人は憲兵3人を、順繰りに見回す。

 

 皆、彰人よりも若干、年齢が高いように見える。一番階級が高いのは中尉で、彼が統率者のようだった。

 

 憲兵達は彰人と姫神を取り囲むと、ニヤニヤと笑いながら睨みつけてくる。

 

「貴様ら、この全国民が一丸となって鬼畜米英との戦争にまい進している時に、不埒にも昼間から男女そろって呑気を街を歩くなど、不謹慎にも程があるぞ!!」

「貴様らは帝国臣民の恥だ!!」

「この非国民めッ!!」

 

 憲兵たちの罵声を、彰人はうんざりした調子で聞いていた。

 

 男女が一緒に歩いていれば、なぜ非国民になるのか、まずそこが判らない。

 

 そして、そんな事でいちいち取締りをやっている憲兵は、余程暇なのか、と疑いたくなってくる。

 

 そんなに暇なら前線に出てきて敵兵の1人でも倒してほしい物である。前線は常に人手不足なんだから。

 

 だが、そんな彰人の態度が癇に障ったのか、憲兵たちは苛立ったように距離を詰めてくる。

 

 そんな彼等を制して、彰人は静かに口を開く。

 

「あなた達は、いつもこんな取締りの仕方をしているんですか?」

「ああんッ!?」

 

 生意気な口調の彰人に、憲兵たちはいきり立つ。

 

「貴様ッ!!」

 

 激昂した憲兵が詰め寄ってくる。

 

「光輝ある我が憲兵隊を愚弄するとは何事かッ!? タダでは置かんぞ!!」

「二度と娑婆に出られると思うなよ!!」

 

 部下2人がいきり立つ中、中尉の階級章を付けた憲兵が、彰人に視線を向けてくる。

 

「そう言う事だ。まずは、憲兵本部まで御同行願おうか。そこでじっくりと調べさせてもらおうじゃないか。君の罪状について」

 

 言ってから、憲兵中尉は今度は姫神へと目を向ける。

 

「そっちの彼女にもご同行願おうか、色々と聞きたい事があるからね。色々と」

 

 そう言うと、姫神を舐めまわすように睨んでくる。

 

 対して姫神は、少し怯えたように彰人の服を掴んでキュッと握った。

 

 それを受けて、

 

 彰人は腹を据えた。

 

 悪意が自分にだけ向けられている内は幾らでも我慢していたが、事が姫神に及ぶとあっては、沈黙する事への意義を見出す事はできなかった。

 

 彰人はポケットに手を入れると、そこに収めておいた海軍手帳を取り出して、憲兵達の目の前に突き付けてやった。

 

 一瞬たじろく憲兵達。

 

 そこへ、彰人は畳み掛けた。

 

「僕は帝国海軍第7艦隊司令官、海軍少将、水上彰人。こっちは旗艦艦娘の姫神です」

「しょ、少将閣下!?」

 

 彰人の言葉を聞いて、憲兵中尉は文字通り仰天した。

 

 目の前の、どう見てもどこぞの学生にしか見えない青二才が、自分達よりも上の(それも遥かに)階級の持ち主であり、艦隊を率いる提督だったとは。

 

「は、はったり・・・・・・」

「そう思うなら、海軍省にでも問い合わせてみたら良いじゃないですか。ただし・・・・・・」

 

 彰人はスッと目を細めて憲兵達を睨み据える。

 

 それは、彰人が戦闘開始前に見せる雰囲気に似ていた。

 

「それをやった場合、あなた達3人が腹を切る程度では、事は収まらなくなりますけどね」

 

 彰人が見せる凄味に、憲兵3人は明らかにたじろいた。

 

 そもそも、彰人は20隻の艦艇と、そこに宿る艦娘、そして1万人以上の部下将兵を統率し、開戦以来幾多の死闘を潜り抜けて来た歴戦の提督である。

 

 内地でぬくぬくと過ごし、立場の弱い一般市民ばかりを相手にして居丈高になっているだけの憲兵如きが束になって掛かって来た所で、負ける道理は何も無かった。

 

「ひ、ひィィィィィィィィィィィィ」

 

 悲鳴を上げて退散していく憲兵達。

 

 その様子を見て、彰人は嘆息を漏らす。

 

 弱い者には権威をかさに強気に出る癖に、相手が自分よりも強いとなると、尻尾を巻いて退散する。

 

 あんな連中が憲兵をやらなくてはならない程に、今の帝国は人材が払底してしまっているのか、と思いたくなった。

 

「意外です」

 

 そんな彰人に対し、姫神が驚いたように声を掛けた。

 

「彰人でも、あんな顔をする事があるのですね」

「まあ、流石にカチンと来たからね。あれには」

 

 憲兵が姫神まで連行しようとした時、彰人は珍しく自分が「キレた」のを感じた。

 

 彰人は、苦笑交じりに姫神に笑いかける。

 

「ごめんね姫神、変な事に巻きこんじゃって」

「いいえ」

 

 対して、姫神は微笑を返しながら彰人の腕を取る。

 

「彰人、格好良かったです」

 

 そう告げる姫神に対し、

 

 彰人は少し照れたように、そっぽを向くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、それは災難だったな、2人とも」

「まったくです」

 

 出された紅茶を飲みながら、彰人は嘆息する。

 

 そんな彰人の様子に、目の前の女性は苦笑を見せて来た。

 

 傍らでは姫神が、出されたお菓子をもぐもぐと食べてるのが見える。

 

 そんな微笑ましい光景を横に見ながら、彰人は女性の方へと向き直った。

 

「それにしても、前に来た時は失礼しました。まさか、英雄である三笠閣下だったとは気付かずに」

 

 そう言って頭を下げる彰人に対し、三笠は笑って手を振る。

 

「そんな事は気にしていないよ」

「けど、挨拶に来るのがこんなに遅れてしまって」

 

 そう言って恐縮する彰人に対し、三笠は首を振る。

 

「君達は任務の有る身。対して、今の私はしがない博物館の管理人にすぎないからね」

 

 ここは横須賀公園にある記念艦「三笠」の艦内。

 

 彰人が姫神と一緒に行きたかった場所は、ここだった。

 

 以前、ここを訪れた際には、彼女が三笠であるとは気付かなかったのだが、後々から調べて判ったのだ。

 

 元連合艦隊旗艦「三笠」の名は、帝国海軍の中では東郷平八郎元帥と共に伝説と化している。

 

 その伝説を前にして、流石の彰人も恐懼を禁じ得ない様子だった。

 

「やはりあの時、僕達を助けてくれたのは閣下だったんですね」

 

 彰人の問いかけに、三笠は真剣な眼差しを向ける。

 

 あの日、彰人と姫神が「三笠」を出た後、富士宮康弘の配下の者に拉致され、彼の邸宅へと連れて行かれた。

 

 その帰り道、2人は憂国志士団を名乗る過激派に襲撃され、あわやと言う場面まで追い詰められた。

 

 幸い、後輩の成瀬京介や黒姫、響らの助けによって事無きを得たが、その成瀬たちを動かして彰人達を救出したのが三笠だったのだ。

 

「殿下も、昔はあんな方ではなかった。帝国と臣民を愛し、国を守る為に理想を掲げる清廉な性格をしていたんだ」

 

 目を閉じる三笠の脳裏には、在りし日の富士宮の姿が思い浮かべられていた。

 

 若き海軍士官として自分に乗り込み、たくさんの仲間達と共に戦った富士宮。

 

 あの頃の富士宮は本当に、清々しいくらいに溌剌とした海軍士官だったのだ。

 

 それがいつしか、帝国を守る為なら他の何を犠牲にしても良いと言う考え方に染まって行ってしまった。

 

 そんな富士宮をずっと見て来た三笠はただ、動けぬ自らの体を嘆いて天を仰ぐしかなかった。

 

「そうだ、忘れる所だった」

 

 ふと、何かを思い出したように、三笠は手を叩くと、いそいそと壁際の戸棚に歩み寄って中から一枚の封筒を取り出して差し出した。

 

「本当はこちらから届けるべきだったんだが、君達の名前をうっかり聞き忘れてしまったからね。そちらから尋ねて来てくれて助かったよ」

 

 そう告げる三笠から封筒を受けとり、彰人は中身を取り出してみた。

 

 そこで、

 

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 それは、彰人と姫神が並んで映っている写真だった。

 

 前回、ここに来た時に三笠から撮ってもらった物である。

 

 彰人は口元に微笑を浮かべているが、姫神の方は相変わらず茫洋とした表情をしているのが妙におかしい。

 

 だが、

 

 こうして2人の姿を形として残す事ができるのは、とてもうれしい事だった。

 

 そんな彰人を見て、三笠は優しく告げる。

 

「彼女を、大切にしてあげなさい」

「はい」

 

 三笠の言葉に対し、彰人は宣誓するように静かに頷いた。

 

 

 

 

 

第68話「残す想いの形」      終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 横須賀軍港の一角から、何やら楽しそうな鼻歌が聞こえて来ていた。

 

 停泊する1隻の巨艦。

 

 その艦橋の縁に腰掛けた少女が、機嫌良さそうに鼻を鳴らしては、何やらメロディを奏でていた。

 

 丈高い艦橋に巨大な砲塔。舷側にはびっしりと対空砲が敷き詰められている。

 

 そんな戦艦の存在そのものである少女は、楽しそうに歌いながら、己の先にある未来へと想いを馳せる。

 

「早く会いたいな、お姉ちゃん達」

 

 そう言って、少女は可憐に微笑むのだった。

 

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