1
これあるを見越し、既に飛行服に身を包んである。
勝手知ったる「蒼龍」の艦内を駆けて飛行甲板へ。
既に愛機は整備が済ませられ、エンジンが回されていた。
その雄姿を、直哉は惚れ惚れと見つめる。
零戦の後継機として開発された烈風。
零戦のスマートさを、そのまま大型化したような印象がある機体は、日本刀の如き美しさがあった。
しかも、今回から納入された烈風は、レイテ沖海戦で投入された機体に、更なる改造が施されていた。
その機体のコックピット脇に立っている少女を見付け、直哉は顔を綻ばせる。
「蒼龍・・・・・・」
恋人である少女が、はにかんだ様に顔を赤らめて直哉を見詰めていた。
直哉が蒼龍に告白し、蒼龍が少年の想いを受け入れてから時が経ち、2人の関係はより深い物に進化している。
出撃前の、ほんの僅かな時間。
その名残を惜しむように、直哉は蒼龍に駆け寄ると、そっと少女の体を抱き寄せる。
互いに唇を重ねる、直哉と蒼龍。
ぎこちなさが多分に残るキス。
温もりが、お互いの気持ちを伝えあう。
ややあって、2人は唇を放す。
「じゃあ、行ってくるよ」
「はい。直哉さん」
付き合い始めてからしばらくして、蒼龍は直哉の事を「直哉さん」と呼ぶようになった。
それまでは階級で呼ばれていた事を考えれば、大した進歩だった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「はい。お気をつけて」
笑顔で、直哉を送り出す蒼龍。
やがて、直哉は愛機に乗り込むと、翼を広げて上空へと舞い上がった。
その姿を、蒼龍は自分の飛行甲板に佇み、いつまでも見送っているのだった。
今回の任務は、小笠原諸島へ来襲した敵航空部隊の迎撃である。
マリアナ諸島が占領されて以来、既に何度か小笠原方面に空襲を掛けるようになっていた。それを迎撃する為に、帝国海軍は小笠原方面の監視・迎撃システムを強化していた。
特に硫黄島には大規模な航空施設を建設し、多数の戦闘機を配備している。
それに合わせて、レイテ沖海戦の損傷から復帰した空母機動部隊を海上に展開、支援任務に当てていた。
「蒼龍」も、そうした形で任務に就いている1隻だった。
上空へ上がった直哉は、軽く機体の調子をチェックしてから無線のスイッチを入れた。
「小野少尉、野村少尉、僕の左右後方に占位して」
《了解!!》
《了解です隊長!!》
レイテ沖海戦以後、直哉は大尉に昇進し、同時に1個小隊を預かる小隊長になっていた。
本来なら中尉になった時点で小隊長の地位につくはずだったのだが、直哉自身の技量に誰も付いて行くことができなかった事。何より、直哉が一匹狼的に戦う事が多かったため、小隊長としての適性が低いと判断され、今まで棚上げされてきたのだった。
しかし、多くの戦いを経て実戦経験を積んだ事。
そして人間関係(主に蒼龍との)を通じて、人間としても大きく成長した事が考慮され、このほどようやく、小隊長として任務に就く事になったのだ。
性格的には、口数が少なく実直な小野と、気さくなムードメーカーの野村、と言った感じである。
直哉には2人を指揮すると同時に、自らが持つ技術と経験を2人に伝え、育てる事が求められていた。
「行くよッ!!」
短く叫ぶと同時に、直哉は烈風を急降下させた。
やがて、速度を上げる烈風。
雲間を突き抜け、やがて地上の緑と海面の蒼が織りなすコントラストが飛び込んできた。
その上を、黒々とした無数の鳥の群れが飛んでいるのが見える。
無論、それが鳥である訳がない。間違いなく、合衆国軍機の大編隊だ。
しかし、直哉はすぐに異変に気付く。
眼下を進む合衆国軍機。
だが、その姿は最近見慣れたB24やB17ではない。単発の小型機だ。
「艦載機だって!?」
つまり、近くに空母がいると言う事か。
ここは小笠原諸島。いわば、帝都の玄関口だ。
そのような場所に空母艦載機が姿を現すまでになるとは。
いよいよ、帝国も末期的状態になった事を、否が応でも認識せざるを得ない。
「・・・・・・・・・・・・」
直哉は意を決してスロットルを開く。
艦上機だろうが陸上機だろうが、直哉のやる事に変わりは無い。向かってくる敵を倒すだけだった。
小野機と野村機を引き連れて急降下する。
一方、合衆国軍機も直哉たちに気付き、戦闘機が速度を上げて来るのが見えた。
対峙する両者。
直哉はスロットル全開のまま宙返りを行い、敵機の背後に回り込む。
逃げようとスピードを上げる敵機。
だが、直哉はそんな敵機の動きを見逃さない。
直哉の烈風はエンジンを換装され、レイテに投入された初期型よりもより強力な機体になっている。
速力は652キロまで発揮可能になっている。
正式名称「烈風21型」。
パイロット間で呼ばれている通称は「烈風改」だった。
更に直哉は、自分の機体にオーダーを出している。
烈風や零戦の主武装だった20ミリ機銃4丁を外し、代わりに機首に2丁、両翼に6丁、合計8丁の13ミリ機銃を搭載したのだ。
元々、小口径機銃多数を装備した零戦22型甲を長く愛機にしてきた直哉にとって、大口径機銃よりも、こちらの武装の方が性に合っている。何より新型の13ミリ機銃は、1発の威力は劣るものの、初速においては20ミリを上回り、連射速度、射程、携行弾数は段違いに上回っている。
無論、この改造は直哉独自の物であり、より大口径の機銃を搭載する者や、敢えて武装を減らして、より速力や機動性を追求した者もいる。
こうした改造を施しているのは、直哉をはじめとする幾人かのエースパイロットのみに許されている事だった。
この他、B29迎撃を目的とした高高度型の開発も進められていた。
直哉はトリガーを引き、弾丸を放つ。
砕け散るヘルキャット。
速度、機動力、武装、全てにおいて勝っている烈風改を相手に、ヘルキャットは逃げる事ができず砕け散る。
同様の光景が、そこかしこで起こる。
烈風改の戦闘力は、ヘルキャットを明らかに上回っている事が判る光景だった。
ヘルキャットが前線に出始めた頃、零戦相手に圧倒的な性能を見せ付けた物だが、それと全く真逆の光景が現出していた。
更に、1機のヘルキャットを撃墜する直哉。
その圧倒的な性能を見せ付ける烈風改。
その他の機体も、ヘルキャットやコルセアを撃墜していく。
その間、他の零戦や烈風は、地上施設を攻撃しようとしているアベンジャーやヘルダイバーに飛び掛かって行く。
頼みの戦闘機隊を烈風によって押さえられた合衆国軍は、己が身を守る為になけなしの抵抗を示すほかなかった。
2
小笠原諸島に敵機動部隊襲来。
艦載機による空襲を。
その事実に、帝国海軍上層部は打ちのめされる思いだった。
幸い、来襲した敵の数は少なかったようで、被害も大した物ではなかった。
しかし、問題は被害の多寡ではない。
帝都のすぐ南にある小笠原諸島に、敵の艦隊が姿を現した。
これはすなわち、帝国が喉元に刃を突きつけられたに等しい状況だった。
「来襲したのは1個機動部隊。所属する空母は、恐らく4~5隻と言ったところでしょう」
報告したのは、軍令部職員の中西寅彦大佐だ。
彰人の友人でもある中西は、軍令部の情報課に勤務しており、戦場の情報をいち早く取りまとめられる立場にあったのである。
その立場を活かし、外征中の彰人に代わり、情報収集に当たる事もあった。
「来襲した敵機の数は、およそ200機程度。何とか、小笠原に展開した航空部隊と2航戦の艦載機とで撃退する事が出来ました。
その報告に、一同の間で感嘆の声が上がった。
B29襲来に備えて構築を進めていた防空システムが、早くも役に立った形である。
これなら、いかなB29と言えど恐れるに足らないのではないか。
そんな声が、一同の間から上がりかけた。
だが、
「気を抜くにはまだ早すぎる」
そんな一同をたしなめるように重々しく口を開いたのは、連合艦隊司令長官の小沢治俊中将だった。
本来なら呉に停泊している「瑞鶴」に将旗を掲げている筈の小沢だが、今回の敵機動部隊襲来を受けて、急遽、上京したのである。
「今回来襲した敵は、ほんの一部に過ぎない。敵が本気になれば、恐らく今回の5倍から6倍の兵力投入が可能になるだろう。そうなれば、今の戦力では勝ち目は薄いと言わざるを得ない」
帝都近郊の防空システムは、間も無く完成の見通しが立っている。
しかしそれでも、もし敵の機動部隊が大挙して押し寄せたら勝ち目はない。
否、それ以前に、主敵であるB29相手にどこまで戦えるのか未知数だった。
そこで、小沢は傍らに座る彰人に目をやった。
「水上少将は、先の戦いにおいてB29を目撃したのだったな」
「はい。と言っても、向こうはかなりの高度を飛んでいたので、目視で来たのはほんの僅かな時間でしたけど」
先の戦いから帰投する途中、彰人の第7艦隊は高高度を飛行するB29の編隊と遭遇している。
恐らく、マリアナへ向かう途中だったのだろう。ほんの僅かな邂逅だったが、その恐るべき威容は彰人の脳裏に焼き付いていた。
「艦隊全艦で対空射撃を仕掛けましたが、残念ながら1機の撃墜にも至りませんでした。ハッキリ言って、敵の高度が高すぎて、殆どの砲弾が届かなかったんです」
彰人の報告に、一同の間に戦慄が走る。
その報告が事実なら、既存の対空砲はほとんど役に立たないと言う事になる。
頼みの綱は迎撃戦闘機隊のみ、と言う事になるが、それとて高高度仕様の機体でない限り、どこまで当てになるか判らなかった。
「我が国を取り巻く危機的な状況については、皆にも理解してもらえたと思う」
口を開いたのは、軍令部総長の豊田玄武大将だった。
彼は、議長役としてこの場に参加していた。
「それを踏まえた上で、急務なのはマリアナの奪還、もしくはそこにいる敵戦力の殲滅だと考える」
言ってから、豊田は彰人に目を向けた。
「先の輸送船団壊滅によって、どの程度の時間が稼げたかな?」
先の通商破壊戦はB29の戦力化を防ぐ為の物だった。必要な物資を運び入れる事が出来なければ、いかにB29が高性能機と言えど、ガラクタの塊に過ぎない。
いわば、最大の目的はB29の戦力化を遅らせて時間を稼ぐ事だった。
「たぶん1か月。うまく行けば2か月といったところではないでしょうか?」
何しろ、かなりの規模の船団だったのだ。あれだけの輸送船を、再び集めるだけでも一苦労だろう。
そこから更に物資を集めて積み込み、所定の航路に従ってマリアナに向かうには、相応の時日が掛かる筈だった。
つまり、物資が届かない限り、敵が戦略爆撃を始める事はできないと言う事だ。
「ならばッ」
彰人の話を聞いて、1人の参謀が勢い込んだ様に立ち上がって行った。
「敵が出て来た所で、再び通商破壊戦を仕掛ければいいのではありませんか? そうすれば、敵は永久にマリアナを基地として使う事はできないはず」
理屈としては有っている。拠点に対して物資を運び入れさせないようにする手法は、いわば「兵糧攻め」の一環だ。古来からある、非常に有効な戦法である事は間違いない。
だが、
「無理ですね」
彰人は黙って、首を横に振った。
「敵もバカじゃありません。今度は恐らく、より護衛を強化して船団を組むはずです。たぶん、戦艦や空母まで投入して、万全の体勢を築いて仕掛けてくるでしょう。少数の艦隊投入は、返り討ちに遭うだけです」
水上部隊で通商破壊戦ができるのは、恐らく前回で最後。あとは潜水艦などを利用して、細々とやるしかない。
通商破壊戦のエキスパートである彰人が下した決定が、それだった。
「結構だ」
静かな声で、彰人の横に座った将官が口を開いた。
中将の階級を付けたその人物は、伊藤誠一郎中将。宇垣護の後を追い、第2艦隊司令官に就任した人物である。
開戦前には山本伊佐雄の元で連合艦隊参謀長を務めていた人物でもある。
先には永野修の下で軍令部次長をしていたが、伊藤自身は富士宮閥では無かった事もあり罷免を免れ、こうして第2艦隊司令官と言う要職についていた。
「敵が来ると言うなら、私が第2艦隊を率いて、これを迎え撃つ。この身に変えてでも、敵の魔の手から帝国を守り抜いて見せる」
伊藤の力強い言葉に、居並ぶ誰もが感嘆の声を上げる。
伊藤の言う通り、本気で帝都を守りたいのなら、今度は正面切っての激突は避けられないだろう。
だが、それで勝算があるかと問われれば、
「今度は、無理でしょうね」
彰人の発言に、誰もがギョッとしたように青年を見る。
対して、発言した彰人はと言えば、一同の批判的な視線を受けながら、平然とした調子で続けた。
「敵と正面切って戦い勝利を得るには、あまりにも戦力が足りな過ぎます。次に戦えば・・・・・・・・・・・・」
一瞬、言い淀む彰人。
ややあって、顔を上げる。
「僕達は、確実に負けます」
誰もが、息を飲む。
連合艦隊の、それも一線を司る提督から「負ける」などと言う発言が出るとは、思っても見なかったのだろう。
「そ、そんな筈有りませんッ」
軍令部職員の1人が、意を決したように反論に出た。
「我が軍はまだ、大和型戦艦3隻を始め、戦艦は12隻が健在です。航空隊の再建もレイテ以降、急ピッチで行っております。それを考えれば、如何に敵が強大だろうと・・・・・・」
「戦力差は相対的な物です。こっちがいくら戦力を保持したところで、敵がそれ以上の戦力を持って来れば、負けるのは自明の理です」
彰人は淡々と、事実だけを告げる。
味方は減ってる。敵は増えてる。
総じて、まともに戦えば負けるのは、目に見えていた。
「そ、それでも、作戦次第で何とでも補いが付くはずです!!」
軍令部職員は、尚も食い下がってくる。
どうあっても、自分達が負けると言う事実を受け入れたくないのだろう。
だが、彰人は非情に首を振る。
「作戦を支えるだけの戦力が、もう僕達には残されていません。こっちで調べた戦力比は、ザッと見ただけでも1:3にも達します。これでは、多少の小細工をしたところで、補う事は不可能でしょう」
彰人の言葉が、絶望的な事実を告げる。
どうあっても、敗北は免れない。
誰もが、その事実に打ちのめされる。
と、
「ただ・・・・・・・・・・・・」
そんな一同を見回して、彰人は言った。
「もし、勝敗を度外視するのなら、まだ戦いようはあります」
3
「過激な事を言ったもんだよ。お前さんも」
中西寅彦が、肩を竦めながらそう言った。
会議の後、彰人はその足で中西の執務室を訪れていた。
「あんな言い方をすれば、反発が来るのは当たり前だろ」
「けど、事実だよ」
呆れた調子の中西に対し、彰人は苦笑気味に言葉を返す。
会議の場にあって、彰人が発した言葉が大きな波紋を呼んだことは、他ならぬ彰人自身が自覚している。
寄りにもよって「次は負ける」などと。
提督として、
否、軍人として、絶対に行ってはならない台詞である。
しかし、もはや他人の顔色を窺っている場合ではないのだ。
「このままじゃ負けるのは間違いない。帝国が根幹から揺らごうって言う時に、躊躇なんかしてられないよ」
「ふうん。まあ、お前さんのそう言うところ、嫌いじゃないがね」
そう言うと、中西は淹れた緑茶の湯飲みを彰人に手渡す。
程よい苦みの伴ったのど越しを味わいながら、中西は話題を切り換えるようにして告げた。
「そう言えば知っているか、例の噂?」
「噂って?」
突然の質問に、首をかしげる彰人。
対して、中西は声を顰めるようにして言った。
「例の富士宮殿下の派閥に属する奴等は、この前のレイテ沖海戦の後、殆どが閑職に回されただろ」
その事なら、もちろん覚えている。
戦略的な判断ミスでパラオ、マリアナを失い、更に連合艦隊に通達せず、独断で神風特別攻撃隊を編成し出撃させた永野以下、富士宮派閥と目された者たちは、その事に対する責任を問われ、全員が罷免の憂き目を見ていた。
「だがな、どうも最近、連中に何やら妙な動きがあるらしい」
「妙って?」
「たとえば、軍事参議官になった永野閣下を中心とした数人が、ちょくちょく、富士宮殿下の屋敷に出入りしているって言う噂だ。しかも、その屋敷には陸軍の高官も、何人か招かれてるって話だしな」
中西の言葉を聞き、彰人は何か、背筋に寒い物を感じていた。
今のところ、具体的に「どう」と言う訳ではない。
ただ、考えを同じくする者達が同じ場所に集まり、何か話し合いをしている。
そう言う風に取れない事も無い。無論、最大限好意的に解釈すれば、のはなしだが。
しかし、
座して放置すれば、何か取り返しのつかない事になりかねない。
そんな焦燥にも似た思いに、彰人は囚われていた。
「中西、頼みがある」
彰人は友人を真っ直ぐに見据えて言った。
「今、海軍の中央に残っている、富士宮派閥の人間をできる限り洗い出してほしい」
「おいおい」
彰人の申し出に対し、中西は呆れ気味に口を開いた。
「いったい、どれだけいると思ってんだ。一時期に比べて減っているとは言え、富士宮派閥は海軍最大の派閥だったんだぞ」
言われて、彰人は考え込む。
確かに、海軍全体で考えて、残っている派閥メンバーを見つけ出すのは骨の折れる作業であろう。中西1人で調べるには限界がある。
「なら、連合艦隊に所属している奴だけ。それも、佐官以上だけで構わない。それでどう?」
「まあ、それなら・・・・・・・・・・・・」
不承不承と言った感じに、頷きを返す中西。
連合艦隊に所属している佐官以上の人間で、更に富士宮派閥と接触を持った人間と来れば、そうとう条件が絞られるはずだった。
急がなくてはならない。
彰人は自分でも判らない不安感に襲われている事に気付いていた。
その焦慮の正体が何なのか?
あるいは、ただの杞憂であるのかもしれない。
だが、打てる手は打っておきたい。
それが、彰人の偽らざる本音だった。
「頼んだよ」
「ああ、任せとけ」
彰人の言葉に、中西は頷きを返した。
その時だった。
遠くから、何かの警報を継げるサイレンが、遠雷のように響いてきた。
断続的に音を強くするサイレンは、何かの警報である事を現している。
「え、何?」
「訓練か何かか? けど、そんな報告は何も受けてないぞ・・・・・・」
訝るように首をかしげる、彰人と中西。
次の瞬間、
「いや・・・・・・・・・・・・」
彰人が短く否定する。
その瞳には、まるで「姫神」の艦橋で指揮を執っている時のような、鋭い光が宿っていた。
「これは、訓練じゃない!!」
言い放つと同時に、彰人は駆け出した。
地獄
地獄
地獄
地獄
地獄
そこは、紛れもない地獄だった。
降り注ぐ、鋼鉄の嵐。
立ち上る火柱。
炎は全てを飲み込み、そして焼き尽くしていく。
街が燃える。
その炎から逃れようと、逃げ惑う人々。
だが、炎は容赦なく追いすがり、そして喰らい尽くしていく。
猛り狂う魔神を前にして、人は哀れな獲物でしかなかった。
死は、全てにおいて平等に齎される。
男、女、若者、老人、乳飲み子に至るまで全て。
炎の舌から逃れる事ができず、平らげられていく。
もう一度言おう、
そこは、紛れもない地獄だった。
この日、帝都上空に飛来したB29の数は、合計で200機に達した。
彼等は帝都上空に達すると、その巨大な機影を見せ付けながら湯然と飛行している。
まさか、と誰もが思った事は間違いない。
なぜ?
輸送船団を潰し、必要な物資を海底に沈めた筈なのに、なぜ?
結局のところ、彰人も、そして帝国海軍の誰もが、合衆国軍の底力を見誤っていたと言う事だった。
輸送船団一つを潰した程度で、作戦不能に追い込めるほど、合衆国軍は甘くは無かった。
撃ち上げる高射砲の砲弾は全て、B29よりも遥かに下の高度で炸裂する。
迎撃に上がった戦闘機は、敵機に追いつく事すらできない。
遥かな高みを悠然と飛行する巨鳥
それに対し、帝国軍はあまりにも無力だった。
やがて、爆弾倉の扉がゆっくりと開かれ、その中から黒々とした爆弾が雨のように降り注いでいく。
帝国軍は、その様子をただ、指を咥えて見ている事しかできなかった。
第88話「死神の笛の音」 終わり