房から手を放し、歩き出す俺を男の視線が追い掛けてくる。狭い室内は、常に監視に晒されているのだというのにだ。
「三大欲求には、食欲、性欲、睡眠欲がある。そのどれか一つを我慢することが出来るか?出来るはずがねぇよな。そんなことをしちまえば、死ぬだけだ。けどな、人間ってやつは、自制と理性を持ち合わせてやがる。その二つがあるから、人間は我慢を覚えるんだ。だが、原初の人間がそんなことを考えていたと思うか?」
男は、さも当然とばかりに首を振って言った。
「だからこそ、人は進化を遂げてきたんだ。自らの欲求を満たす為に、欲求をよりよく開放する為に」
俺も頷いて返す。
「そうだよなぁ、食欲をより満たす為に火を生み出し、武器を作った。それは、今となっても変わらねえ……人間ってやつの進化の過程には、必ず、閃きと発想が眠ってる。だがなぁ、その根幹はシンプルだ」
中央で足を止めた俺は、頭の上に両手を挙げ、大きく弧を描きながら降ろしていき、両手を下半身辺りでぶつけた。
「さっき、テメエは人間を単純じゃねえと言ったな?なら、何故、人間の進化の根本に欲求があると思う?答えはさっきテメエが言ったように、進化を促す為だ。ならよぉ、その進化を全ての人間が同じタイミングで遂げたと思うか?」
「個体差があるから、それは、あり得ない。しかし、発展というものは、伝染病のようなものだ。人から人へ伝わっていくスピードは、ずば抜けている」
俺は喉を震わせて言った。
「ああ、その通りだ。なら、ずば抜けた発展に追い付けない人間が出てくるのは、必然だよな?火を起こす、口では簡単に済ませられるが、物がない時代、とてつもない労力と技術を要する。火を神聖なるものだと、神格化されるまでにな……さあ、ここで新たな質問だ。追いていかれた人間はどうなっちまうだろうなぁ……?」
この問い掛けに明確な答えが出ているであろうにも関わらず、男は、しばらく、首を提げて逡巡していた。考えをそのまま口にする。それだけでは足りないとでも思っているんだろうが、俺にとっちゃあ、温まってもいなかった熱を、余計に冷めさせる時間となった。
このままじゃあ、埒が明かねえ……
溜め息混じりに房を掌で叩き、驚いて顔をあげた男と視線を合わせる。
「コミュニティーから外される。それだけだろうが……お偉いさんが、こんなとこで躓いてんじゃねえよ。情けなくて笑えもしねえぞ」
期待はしていなかったが、しかし、これは、あまりにも予想外だった。
たった数回の会話だけで俺に呑まれ、思考をかきみだされているコイツには、俺を理解することなど、到底、不可能だろうなぁ。