安部は問い掛けに、小さく吐息をつくと、一瞥して、再び、目線を落とす。その先にあるものは、恐らく聖書だろう。額から鼻まで下がる影が、濃ゆくなっていき、口元にまで及ぼうとした直前に、安部が口火を切った。
「お訊きしたいことがあります……」
アクリル板のせいもあるだろうが、安部の声は、深刻な事態に直面した人間特有の水の中で耳にするような重い口調だった。この男なら退屈な時間にはならないだろう。
俺が、ギシリ、と椅子に凭れて先を促せば、重苦しい語り口をそのままに言った。
「先日、とある夫婦が一歳ほどの女の子を連れて訪ねて来ました。母親の腕に抱かれた女の子の顔は、まるで死人のように青白く、まともに椅子にも座れない状態な上、毎日、高熱に苦しめられているという話しでした……」
妙な話しだ。
俺は、当然、腑に落ちない箇所について突いてみようとしたが、もしかすると、もっと面白いことになるのではないかと、ひとまずは止めておくことにして、緘黙を貫く。安部は、俺がストップをかけないことを疑問視しているようだが、少しだけ間を空けて続けた。
「何故、病院ではなく教会へ?そう、当たり前のことを尋ねました。しかし、両親は私に言いました。病院にはいきましたが、原因が分からないのです。数多の投薬、数々の検査を受けても、何も変わらない……それならば、藁にもすがる思いで神頼みに来ましたと……私も我が子の為にと奔走する両親、なにより、女の子の為に祈りを捧げました。しかし、容態は悪くなる一方……」
安部は、そこで更に項垂れた。それもそうだ、病が神に願って治るのなら、医療なんてものは必要ない。めまぐるしい発展の末に発達した医療、それすらも手に終えない未知の病に罹患しても、懸命に生きている女の子なんざ、泣かせる話しじゃねえかよ。
……まあ、それが本当に病ならの話しだがな。
安部がもたげていた首を上げ、立ち上がるような勢いで前のめりになると、アクリル板に近付いて言う。
「貴方にお訊きしたいのです。意識が朦朧とし、ろくに話すことも喋ることもできない、幼児に……このような状況にある少女を救うには、私は何をすべきでしょうか?」
「それを、なんで俺に尋ねんだ?アンタを安心させる為の適任なら、他にいくらでもいるだろうが……」
間髪いれずに返した俺に、安部は首を振った。
「貴方しかいないのです。数多くの命の終わりを見てきた貴方にしか……私に答えを教えられないのです。だからどうか、私に教えてください。どうすれば、彼女を……」