子供への無関心は、緩やかな滅びと同じだ。だが、干渉も過ぎれば毒になり、次第に子供への関心が、子供ではなく、子供の成果物へと変わっていく。良い成績を取れたか、他人よりもどれだけ優れた者になれているか、そんなものは普通の関心ではない。現在、子供を育てる本を購入し実践したり、少子化を嘆く大人が増えてきているが、それは子供への関心ではなく、むしろ、その逆で、より深刻化してきている。社会全体が子供への関心を失っているという、なによりの証拠だ。他人との競争に負けてはならない。他人より劣ってはならない。こんな強迫観念が生じた子供に未来などあるはずがない。社会的な立場にある者が子供を追い詰めている、この現実を受け入れない馬鹿者の多さが、社会を狂わせている。
餓鬼が一命をとりとめたとの報告から、約一年、俺は月に一度のペースで会いにくる安部の主張を簡単に纏めた。
「1955年、ある一冊の本がアメリカに衝撃をもたらした。ロリータ、我が命の光、我が腰の炎、我が罪、我が魂……ロ、リー、タ……舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩目に、そっと歯を叩く。ロ、リー、タ……今、思い出しても随分と偏屈な一文だ」
物語の主人公は、再婚相手の娘を愛する中年男性だったか?正直、内容はうろ覚えだが、さっきの文章はガムみてえに頭へへばりつく。それほどのおぞましさを感じたのは、後にも先にも、これだけだったかもしれない。ロリータ、これが少女の愛称だという点も鳥肌ものだ。それでも男は、文明人として大人しく振る舞うと、それこそ誠心誠意努力をすることを誓う。だが、未熟な果実を味蕾でゆっくりと感じとろうとするような、薄気味悪さは最後まで拭えない。
だが、この物語の少女は幾度となく男を誘惑していた。今でいう小悪魔のようなやり口でだ。
子供の特権とも言える愛嬌や純真、安部はそこに騙されているのではないか、奴と話したことがある人間は、そう思うだろう。安部の思想の基本は、殺人者と変わらない。それこそ、殺人犯というものは、必ず、こねくり回したような文体を使う、そう現されているようにな。
さきほど特権と述べたが、子供は時代や環境において、残酷にも無垢にも、どうとでも転ぶ。第一次世界大戦、とあるフランス人の兵士が子供に、ドイツ人のヘルメットを持って帰ってきて、と言われた話しがある。勿論、父親は戦場から送った手紙に、持ち帰ることはできない、ドイツ人だって敵とはいえ同じなんだ。もしも、逆の立場になった場合を考えてごらん、と残し1915年に戦死した。
第4部に入ります