黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第1話   幕開け

 するすると緩やかに降りていく感覚。廻りは真正の暗闇だ。眼を開いていないのになぜかそれがわかる。

 時々その隘路に引っかかるような感じもする。しかもその道は固くない。柔らかく弾力がありぬめぬめしており、引っかかってもしばらくするとまた、体が落ち出す。

 

 ……やがてその道に終わりが見えたようだ。光を感じる。まぶたの向こうに薄明るい光が感じられたのだ。

 そして何かが俺の身体を柔らかく受け止めてくれた。いや、これは手? 人の手か? 成人男子であるこの俺を受け止める?

 

 ……疑問を感じた瞬間だった。俺は右の腋の下にチクリと痛みを感じた。その途端、俺はまた暗闇の中に舞い戻った。

 

 

「いやー、すまんすまん。説明もせずに送り込むところじゃったわい。戻ってくれて助かったぞ。全くフリッグの奴め。ちょっとした浮気ぐらい大目に見るべきじゃろが。追い回しおって……。ユーピテールに比べれば、儂の浮気は可愛いものなんじゃぞ」

 

 目の前には爺さんがいた。白く長い髪と髭。右手には長い杖を持っており、黒いマント、いやあれはローブというやつか?を着込み、同じ色の帽子を目深にかぶっている。

 

「……えーと、誰?」

「うむ。真名を易易と告げる訳にはいかんのじゃ。神の一人と言っておこう」

「神……」

 

 俺は少し考えた。現代日本人である俺にとって、カミサマというのは、正月に神社に初詣するときくらいしかご縁が無いのだ。いや、受験の時、就職の時には大変お世話になりました。おかげさまで良い大学、就職先に恵まれました。南無南無(おっと、これは仏教用語)

 

 しかし目の前の爺様、俺の考えるカミサマとはだいぶ容貌がチカウ。男だから天照大御神ではないし、スサノオノミコト? ツクヨミ? 

 いや違うね、絶対。こんな草臥れた爺さんじゃない。

 一番お世話になった、菅原道真こと天神様? いや平安装束じゃないし。というか、あの服も帽子もはっきりいって小汚い。あんな服で出てくる神様なんて、よっぽどマイナーな神なんだろうな。何しろ八百万っていうくらいだから、俺の知らないカミサマがいても全く不思議はない。

 

「こりゃ、マイナーとは何じゃ。今この時代、儂ほど崇められている神はおらんのじゃぞ。アマテラスなどとうに歴史の彼方に消え去った土着神じゃろうが。儂は成層圏さえ突き抜け、今なお尽きぬ敬意を捧げられる大神じゃぞ。グローバルというやつじゃな」

 

 呵呵大笑してふんぞり返っている。天照大御神が土着神ですか……。そこで俺は気がついた。この神様、俺の心を読んでいやがる。

 

「おお、気付いたか。中々見込みがあるの。まあ、神じゃからな。それくらいは朝飯前じゃ」

「えーと、それでは〇〇神様」

「……何じゃその〇〇神とは」

「名前解らないんで便宜上」

「詩の神と呼んでくれ。いくつも呼び名はあるが、それが気に入っておる」

 

 ……詩の神ダッテサ。アポロってことは絶対有り得んよな。奴は絶世の美青年だったはず。

 

「アポロも辺境の土着神! 顔だけのフラれ男! あの顔も嫌いだし!」

 

 何で地団駄踏んでるの? 神々の歌詠みの会で負けでもしたのか? まあ、俺もアポロ神みたいなタイプの顔は好きじゃないよ。非の打ち所がない顔って、余裕が無いって感じがして嫌なんだよね。

 

「おお、気が合うの。見込み通りじゃ。そのアポロそっくりのヤツが近い将来悪さをする可能性があっての。儂が贔屓しとる一族が滅ぼされるかもしれんのじゃ。それでそちにその一族に生まれ変わってもらって、それを阻止してもらおうと思ってな」

「ちょっと待て」

 

 俺は恐れ多くも神の言葉を遮ってやった。

 

「生まれ変わるってナニ!? って今までの俺の人生は!?」

「うむ。前世のお前さんの生は、儂がアマテラスとイザナミに頼んで、強制終了させたからの」

「な、何てことを━━! 大体成功街道歩いてきて、人生満足してたのに━━━!!!」

 

 これが叫ばずにいられようか! 必死で勉学に励み、一流といってよい大学に入り、これまた氷河期並みの就職戦線くぐり抜けて、自分の希望通りの飛行機のエンジン設計をさせてもらえる職場にありついて、日々充実してたのに━━!

 

「わ、悪かった。こっちの都合で勝手なことをしてしまって。しかし生まれ変わる先は、前の家庭よりはるかに贅沢三昧が許される家柄じゃぞ。そちさえその気になれば酒池肉林じゃ!」

「馬鹿野郎! 人生っていうのは、そんなもんじゃないんだ! 一人立ちするまでの健全な家庭と充実した学生生活! やりがいのある仕事とそれに見合う収入! 愛する妻子と心通じ合う友人! 可愛い孫の訪れてくれる余裕ある老後! これに勝る人生はあるか!? いや無い! それを半分は手に入れていたんだぞ! それを諦めろってか! ふざけるな!!」

「そ、その通りじゃ。理想的な人生とはそういうものであるな。同感じゃ」

 

 詩の神様は俺の気迫に押されてすっかり及び腰になってしまった。

 

「……一応聞くが、生き返ることはできるのか?」

「いや、できん。前世終了後、そこの神の管轄を離れてからでないと、別の地域では新たに魂を胎児に憑依させれんからな」

 

 俺の家、神道じゃなくて浄土宗だったんですけど、一応神様の管轄にも入ってたんですね。それにしても、前世での父さん、母さん、ごめんなさい。先立ってしまったようで、不孝をお許しください。そういえば、転生っていうよりは憑依なわけね。……ん? 胎児に憑依?

 

「じゃあ、あの妙な細い道って産道だったワケ!? 頭から落っこちていて変だと思っていたけれど!」

「おお、よい勘しておるの。その一族に生まれる者に憑依させたのだが、どうやら暗殺されたようじゃな。産声上げる暇もなく、こっちに戻ってきたからの」

 

 あの腋の下のチクリがそれですか。でも暗殺ってオイ。産まれた直後に暗殺されるってどんな一族だよ。

 

「じゃあ、このままあの世に行くのか?」

「まさか! お前にはまたすぐ、この一族の者に産まれてもらう。幸い、あと三日ほどで産まれる者がおるからの。そっちに憑依先を変更じゃ。何、どちらに産まれても酒池肉林するには大して変わらんよ」

「酒池肉林には興味はない。ところでお約束のチート能力とかって付けてもらえるの?」

「何じゃそれは」

「こういう、転生モノではありがちだろ? 記憶や知識を持ったまま転生、憑依。強大な魔力や技術力を生まれながら、もしくは若いうちに軽々と身に付けるってやつさ」

「……いや、魔力なんぞがある世界じゃないし。記憶と知識はそのままじゃが、技術力とやらが欲しければ自分で励め。自分で獲得しなければ、己の能力とはいえんじゃろが」

 

 確かにその通りだが。魔法はないのか、つまんね。

 

「それと今そこにある危機!! 産まれた直後にまた暗殺されるんじゃねーの!? 冗談じゃねーぞ!」

「うーむ、その危険性はあるかもしれんな。しかし、自分の身は自分で守るが基本じゃろう」

 

 いや、生まれた直後の赤子にどのように身を守れと? ヘラクレスじゃあるまいし、無理すぎます。死亡フラグ回避回避!

 大騒ぎしたら、詩の神様はうんざりしたように一つ特典を付けてくれた。

 

「そちが願ったときに、一度だけ神の力で望みをかなえよう。その時は我が真名を三回呼ぶがいい。では行くがよい!」

 

 真名を教えてもらっていません、と言おうとしたとき、詩の神が悪戯っぽくウィンクしているのが見えた。いやあれはウィンクじゃない。ってことはもしかしてあの神か!

 

 騒ぐ暇も無くあっというまにその場から引き離された。憑依させられたらしい。仕事早いね。

 

 

「儂は全知全能の神において禍を引きおこす者。しかしそなたを送り込むは『試す者』としてじゃ。儂の選択がどうなるか、儂自身を試すためじゃ。期待を裏切らんでくれよ」


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