黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第13話   華燭の典

 あれから数日経った。どうやら目論見通り、カストロプの尚書就任は不可能な状態らしい。

 

『不正を行ったと噂されるカストロプ公爵を、ブラウンシュヴァイク公は尚書に推薦することを拒否し、財務官僚の中でも際立って有能と言われる、ヴィクトール・フォン・ブルッフなる、ブルッフ男爵の弟で、帝国騎士の男を推薦した』

『帝国騎士を尚書にするなどとんでもないと言うリッテンハイム侯爵に対して、それならば侯爵自身が独自の候補者を立てよ、二人の能力を競わせよう、と皇太子殿下が仰った』

『侯爵は財務官僚の中で、自分の縁戚である子爵を候補として立てたが、内部告発でその男はひと月の内、三分の一は省への出仕さえ怠っている男であることが暴露され、侯爵は面目を潰した』

『皇帝、皇太子臨席の元、ブルッフは財政に関する質問にすべて澱みなく答え、極めて財務に明るい男であることを内外に証明してみせた』

『カストロプ公が、推薦を断るようにブルッフを脅し圧力をかけたが、すでに皇太子殿下の保護下に入っていたため、事なきを得た』

『形勢は絶望的とみた公爵は、慌てて官職を辞し、自領に帰還した』

『新年には財務尚書はブルッフとなるだろう。それを見越した者達が、早速付け届けを贈ったが、それらは証拠と共に、皇太子に提出された』

 

 俺はシュヴァーベンの館に引きこもり状態なのに、それでもこれだけの噂が入ってくるのだから、宮中は蜂の巣を突っついたような騒ぎになっているんだろうな。俺の(計算された)無邪気な発言がこれほど影響を与えるとは、改めて身分が高いっていうのは怖いことでもあると思う。しかしブルッフ、ブルッフね。どこかで聞いた名前に思えるんだが。原作に名前だけキャラとしてでも出てたかな。まあ、そのうち思い出すだろう。

 

 兄は今回の件で初めて『人事に介入』という、政治的活動を行った。ブルッフに個人的に会い、話を聞き、帝国の財政の苦境をお知りになり、改めて有能な者をそれに能う地位に就ける重要性を理解されたらしい。漫然と皇太子として過ごしているだけではダメだと考えるようになってきた。これならちょっと前に俺が考えていた、士官学校訪問も、案外すんなり通るかもしれない。

 

 それでも今の帝国にとっては、カストロプのことなど些末事だ。二週間ほど経ち、いよいよアマーリエ姉上の結婚式となったのだ。

 

 

 昨日は「別れの儀」が行われた。皇帝・皇后両陛下に対して、姉上がこれまでの感謝の意を伝え、両陛下からは、女性皇族が結婚の時にのみ与えられる勲章を親授され、典礼尚書がそれを佩用させる。その後姉上が自ら結婚を報告して、両陛下への別れを告げられた。両陛下からは暖かい餞の言葉がかけられ、礼法に則った別れの杯を交わされた。

 

 そして今日、ブラウンシュヴァイク家からの使者の出迎えを受けた姉上は、結婚式会場に向かう。式場はこの日のためにとブラウンシュヴァイク公爵家が建設させた、大理石とステンドグラス造りの豪華なホールだ。費用対効果はどうなっているんだろう。

 オーディンでは朝から祝砲が鳴り響き、花嫁を一目見ようとする民衆が溢れかえっている。

 

 姉上の花嫁衣裳は素晴らしく絢爛豪華だった。ドレスは絹ブロケードに金糸と銀糸とパールの刺繍が施され、トレーンは2メートルの長さ、銀のレースのヴェールは8メートルの長さ。その上にティアラ、腕輪、イヤリング、ブローチ、指輪、勲章、ネックレスなどで飾り立てられている。ダイヤモンドの嵐だ。

 

 沿道の民衆の祝福を浴びながら、車列を連ねて式場へ向かう姉上の顔は、十分に幸せそうで美しく、輝きに満ちていた。

 到着した姉上が地上に降り立ち、ヴェールがふわりと風をはらんだ瞬間、民衆の歓呼が一際大きく上がり、花吹雪が舞った。

 

 式場に入った姉上は、結婚の証人役である宮内尚書と共に待つ花婿の元に向かう。エスコート役はグリンメルスハウゼン子爵だ。

 

「ここに宣言する。帝国歴468年8月24日、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク及びアマーリエは夫婦となった。このふたりの結婚に異議のある者は今すぐ申し出よ、さもなくば永遠に沈黙せよ」

 

 誰か「異議あり!」って言ってくれないかなとも思ったが、勿論そんな事態が起こるはずも無く、新郎が新婦のフェイスヴェールを上げキスを交わし、式は20分ほどで終了した。

 

 その後は新郎新婦はオーディンの街を一回りしてお披露目をした。それが終わると贅を尽くした披露宴だ。本日は皇帝主催で宮中で行われ、明日は公爵家主催で公爵家で、その後も延々と合計7日ほど舞踏会と晩餐会が行われるそうだ。俺の出席は今日だけだ。助かった……。

 

 俺の席次は、両陛下、兄上、クリスティーネ姉上に次ぐ場所だった。ブラウンシュヴァイク公爵夫妻より高い。未成年なんだし今は皇族じゃないんだから末席でいいのに。せめて侯爵夫人の隣にしてくれよ。心持ち小さくなりながら、味のよく解らないご馳走を口に運ぶ。何で俺の前にまでワインがあるんだ。

 

「お姉さま、素敵だったわね」

「はい、とてもお綺麗でした。でもクリスティーネ姉上も、数年後にはあのように嫁がれてしまうのですね。寂しいことです」

「あら、私はまだ決まった訳では無くてよ」

 

 兄、姉の会話を聞くともなしに聞いている。確かにそうだけど。でもこの前の人事でリッテンハイムはミソを付けたから、解らないかな? それともかえって焦って降嫁を望むだろうか?

 

「……私って男性を見る目がないのよねえ……」

「そのようなことは。ウィルヘルム殿も良いお方ではありませんか」

「でもお義兄さまと仲が悪いわ。義兄弟が不仲では、あなたも困るでしょ、ルードヴィヒ」

 

 兄上にとっては不仲の方が都合が良いかもしれませんよ、姉上。

 

「姉上がウィルヘルム殿に本気ならば、若い者だけを集めて茶会でも開きましょうか。兄弟の結束を固めるとでもして」

「ダメよ、まだウィルヘルムにしようとはっきり決めた訳じゃ無いんだから」

 

 俺はそのお茶会、開催されても絶対行きませんからね! 当日は腹痛を起こして伏せってしまう予定です!

 

「リヒャルト、あなたはどう思う? ウィルヘルムは見所のある方かしら」

「……お会いしたことも無いのですが」

 

 原作知識だけで言えばバッテンだが、一面識も無い相手を貶すのは良くないだろう。ブラウンシュヴァイクだって、二、三度会っただけだが悪い印象は無かったんだから。

 

「そうだったわね、どうも誰でも一緒のような感じがするのよ。皆、私に向ける笑顔が同じなの」

 

 皇女を射止めようと思えば、例え内心はどうあれ、笑顔で姉上に対しているんだろうからな。きっと皆、死んだ笑顔を素顔に貼り付けているから、誰でも一緒に見えるのだろう。

 

「姉上は好みが厳しくていらっしゃる。私なら頭が良くて気立てが良ければそれだけで十分です」

「それってとても贅沢な条件よ、ルードヴィヒ」

 

 その条件、我らの宿敵と同じですよ、兄上……。俺なら美人で自立心の高い女性だな。年上であればなお良し。ヴェストパーレ嬢はそれに当てはまるんだが、どうもイマイチしっくりこない。ところで兄上方、そんな普通の声で話さないでください。周り中が耳をダンボにしているじゃないですか。

 

「ウィルヘルムとは後で会うから、リヒャルト。あなたにも会わせるわ。少しは我が皇室を支える貴族の方々とお知り合いにならなくちゃダメよ。碌に友達もいないんだから」

 

 館に引きこもりの俺にどうやって友達を作れっていうんですか。作ったら作ったで色々騒ぎになりそうだし。男ならご学友から将来の側近か取り巻き、女なら即、将来の大公妃候補となるんでしょうが。

 

 強いていえば、俺が現在最もお近づきになりたいのは、シュテファーニエ・フォン・メルカッツ嬢、つまりメルカッツの娘だ。彼女とこの場で会えれば、絶対話しかけて切っ掛けを作ってやる。顔もしっかり覚えたし。

 ミュッケンベルガーにも三人の息子がいて、そちらともお近づきになりたいが、ウルズラ嬢が本家の養女になったからなあ、変な邪推を持たれても困る。

 

 食事の後、俺は護衛武官のテオドールを連れて、比較的子供ばかりがいる広間に移動した。メルカッツ嬢は9歳。大人ばかりがいる場所にはいないだろう。本当は館に帰りたいが、姉上が恋人を紹介するというのだから待っていなくてはならないし、その間に彼女と話すことが出来ればラッキー、というくらいに思おう。

 目立たないように隅っこでオレンジジュースを飲みながら広間を見渡したが、残念ながら彼女はここには見当たらないようだった。すると、少し離れた場所にある長椅子に座った、おそらく兄妹と思しき子供二人の声が聞こえてきた。おや、この二人はもしかして……。

 

「リビー、具合が悪いのか? 水を持ってきてやろうか?」

「大丈夫よ、お兄さま。ちょっと人に酔っただけよ」

 

 茶色の髪のよく似た兄妹で、妹の方は俺より二、三歳上という感じだった。キツイ顔立ちだけど綺麗な子だな、と考えていたが、彼女は益々具合が悪くなったらしく、ドレスに顔を埋めてしまった。

 

「リビー! おい、そこのお前! 水を持って来い」

「はっ?」

 

 指名されたのは俺だった。

 

「そうだお前だ。妹の具合が悪いんだ。早く持って来い」

「……何を無礼な…」

 

 テオドールが気色ばむのを手と視線で制して、俺は部屋の隅に用意してあるドリンク類の中からミネラルウォーターを注いで、差し出した。テオドールは感心しないという顔をしたが、具合の悪い女の子のために水を持っていってやるくらい構わないだろう。

 

「リビー、飲んでほら……」

「具合が悪いのなら、医師を呼びましょうか? 部屋を用意してもらっても……」

「余計なお世話だ。リビーはそんなか弱い女ではない」

「大丈夫、水を飲んだらもう具合が良くなってきたわ」

 

 確かに顔色も戻ったようで、それは良かったが、一言くらい礼を言えよ。俺は館の使用人にだって、何かしてもらったらお礼を言うように、侯爵夫人に躾られているぞ。

 しかし礼を強要するのは俺のスタンスでは無い。何か逆に因縁を付けられそうで、俺はこの場を離れようと思った。

 

「それは良かったです、では」

「おい、私の飲み物も持って来い。グレープルーツジュースでいい」

「あなたは気分が悪いわけでも無いし、足が二本あるでしょう?」

 

 俺は当然ながらその要求を拒否した。さっき水を持っていってあげたのとは違う。こんな無礼を許したら、俺の名前が軽々しいものとして扱われてしまう。少年は俺の倍くらいの年齢に見えるが、断固拒否だ。

 

「身の程知らずが! 今なら謝れば許してやるぞ!」

「謝るようなことはしておりませんよ。私は人を待たせておりますので、失礼します」

「待て!」

 

 俺の肩を掴んで引き止めようとでも思ったのだろう。伸ばされた少年の右手は、ようやく護衛の役目を果たせる状況になったテオドールによって完全に阻まれた。やれやれ、厄介な二人と関わってしまったな。


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