黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第15話   母の実像

 クリスティーネ姉上がニコニコしながら恋人を紹介してくる。背ェ高いな、こいつ。いつかはこれくらいになりたいものだ。

 

「リヒャルト、こちらが今お付き合いしている、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムよ。ウィルヘルム、こちらが私の弟、リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク公爵。可愛いでしょ」

「初めまして、リヒャルト殿下。ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムです」

「こちらこそ。リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルクです。どうぞよろしく」

 

 へー、アニメで見たリッテンハイムは何か詐欺師面のおじさんに見えたが、若いリッテンハイムはかなりの美男子だ。長身でスタイルも良く、当然着こなしも抜群。姉上は面食いだな、きっと。

 

「初めてお会いしましたが、すぐに解りました。真に亡き伯爵夫人に似ていらっしゃる」

「母、ですか?」

「ええ、私たちの年代の者にとって、殿下の母君は憧れの的でしたから。私もですし、ここだけの秘密ですが、オットーもそうだったのですよ」

「まあ、初めて聞いたわ」

「勿論、今はあなただけですよ。クリスティーネ」

 

 へえ、意外な過去だ。亡くなった母が相当な美人だったのは知っているが、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムの憧れの対象だったというのか。それにしても、ブラウンシュヴァイクのことを、オットーと呼んでいるんだな。

 

「それは光栄です。亡くなった母のことは、私はほとんど知りませんので」

「そうねえ、リヒャルトは産まれたばかりで母君を亡くされたんですものねえ。私は覚えていてよ。お美しくてお優しくて、ケーキ作りがとってもお上手だったわ」

「ケーキ作り? 姉上、母は料理ができたのですか」

「そうよ、ご趣味はお料理でいらしたの。私たち姉弟は何度もご招待いただいたけれど、とても美味しかったわ。本当にいい方だったのよ」

 

 姉は懐かしそうな瞳をする。兄と姉が俺に対して、全くといってよいほど隔意を抱いていなかったのが今まで不思議だったが、母とそういう交流があったのか。

 

「嬉しいです。母のことをいまだにそのように偲んでくださるなんて。私も母の手料理を食べてみたかったです」

「私の手料理じゃお腹を壊すだけだから、代わりにはならないわね」

「クリスティーネ、あなたの美しい手を荒れさせるようなことはできませんよ」

 

 さり気なく姉の手を取って指先にキスをする。上手いなあ。動作に澱みが全くない。

 

「紅茶くらいなら淹れれるけれど」

「では、貴女のカップにはミルクを、私のカップにはマッカランをひとしずく」

 

 バカップルか。お似合いに見えてしまうのが、弟としては悲しい。やがて俺たちの周りをわらわらと貴族たちが取り巻き始めた。リッテンハイムに近い親族だろう。次々に名乗りを上げてくれるが、すまない。一人も覚えられん。

 

「ああ、皆さん。殿下にお会いできて嬉しいのは解りますが、これでは殿下を混乱させてしまいますよ。またの機会はすぐにやってきます。そうですよね? クリスティーネ?」

「え? ええ……そう、ね」

 

 お見事! 俺をダシにして姉上から言質を取るとは。これが上流貴族の話術というヤツか。俺も見習わねば。ユーモアとウィットに富んだ話術というものは、貴族には必須だ。こういうのは重要なアクセサリーになるからな。

 

「殿下、本日アマーリエ皇女さまは至上の幸福を手に入れられました。近い将来、クリスティーネに同じ幸福を味合わせるのは、是非私で有りたいと思っております」

 

 俺が「宜しくお願いします」とでも答えるのを期待したのか? そんな言葉を与えるほど迂闊じゃないぞ。

 

 リッテンハイムの笑顔は、当初俺が考えていたような、「死んだような笑顔」には見えない。姉上のことを、大事に愛しげにしている様子に見て取れる。本心だろうか。それとも皇女を娶るための演技なのか。

 姉上も兄上も、俺の大事な兄弟だ。母親違いなのに、三人とも俺のことを年の離れた末っ子として可愛がってくれる。

 

 幸せな結婚をしてもらいたい。そしてそれを持続していただきたい。

 

 原作では姉たち、まだ産まれていない姪たちの運命は描かれなかった。流刑地に幽閉されたのか、密かに始末されたのか、暴動にでも巻き込まれて殺されたのか、おそらくロクな最期ではなかったはずだ。

 

 ラインハルトが巻き起こす嵐からゴールデンバウム家を守ることができる者が、もしいるとしたら、俺だろう。しかし姉と姪を真実守るのは、その伴侶であり、父であるべきなのだ。

 

 

 三日後、さすがに連日のパーティに疲れたのだろう。侯爵夫人は昼過ぎになってやっと食堂に姿を見せた。食欲もあまり無い様子で、ぼんやりとスープだけを召し上がっている。

 

「義母上、今日の晩餐会にもご出席なのですか?」

「正直疲れてしまって、行くのは億劫ですが、出席の返事をしておりますからね。でも本当に大変なのは、お若いブラウンシュヴァイクご夫妻でしょう。それでも疲れた顔一つお見せにならず、笑顔を絶やさないでおられるのですから、本当にお二人ともご立派でいらっしゃいますよ」

 

 二人の苦行はあと数日は続く。大変だな、貴顕に産まれると。初夜はちゃんと済ませたんだろうか。人ごとながら心配になってくるよ。

 

「リヒャルト、勉強の方はどうですか?」

「かなり進んでおります。ところで義母上。お願いしておりました家庭教師ですが、雇えそうですか?」

「何とかなりそうですよ。年俸をかなりふっかけられましたけどね。ところで本当にあなたの内廷費から引くのですか? 私はあなたの母ですよ。教師の給与くらい、出させてくださいな」

 

 俺は最近ある教師に目を付け、彼を雇用してくれるよう夫人に頼んでいた。夫人は現在付けている教師ではダメなのかと驚いたが、今の教師たちは、初等教育以外はマナーや社交術やダンスしか教えてくれないんだ。それらが貴族社会では大切なことは解るが、俺は実学を学びたい。だから俺はもう少し専門的な勉強を齧ってみたいと言って押し切った。

 

 それにこの新しい教師はちょっと、いやかなり問題アリなので、イザという時、義母が言い逃れできる形にしたい。だから宮廷を関わらせることとした。俺の内廷費から給与が出るということは、宮内省が認めたということになるのだから。それにしても今の俺は皇族じゃないのに、何で内廷費が出るんだろう。貰えるものは貰っておくが。

 

「義母上のお気遣いも解りますが、これは私の我侭でもありますから。それに私の内廷費など、六年間もずっと死蔵されているではありませんか。私の養育にかかる費用を、義母上がご自分で負担しておられることは知っております。義母上、そろそろ私にも金銭の遣い方を教えてください。知識の向上に遣うのは、良い使い道ですよね?」

「ええ、勿論ですとも。リヒャルトはどんどん聡明に育っておりますね。亡きルイーゼ様がお知りになったらどれほど喜んだことでしょう」

 

 母の名前を短い期間に三人から聞くとは思わなかったな。少し昔話をしていただこうか。

 

「義母上。私の母は、兄上や姉上とも親しかったと、先日クリスティーネ姉上からお聞きしました」

「ええ、そうよ。ルイーゼ様は私と同じ貴族女学院に通っておられましたが、卒業後は、一時期皇女様たちに声楽の手ほどきをされていたの。そこで陛下に見初められたのよ」

「声楽……。料理がお上手だったともお聞きしました」

「私とルイーゼ様は女学院の料理クラブで知り合っていたのよ。その頃は親しくはありませんでしたが、彼女は独創的な料理を作るのが得意でしたし、何よりお美しかったから、目立つ方でしたね。刃物使いも見事だったわ。飾り切りなんかとても上手だったのよ」

 

 歌と料理が得意な美貌の伯爵令嬢か。若い青年貴族が憧れるのは当然だろう。しかしブラウンシュヴァイクとリッテンハイムがねえ。

 

「社交界でも人気だったのですか?」

「あら、私の方が人気者だったわよ。まあ、それは冗談ですが、ルイーゼ様はあまり社交界に出入りする方ではありませんでした。声楽のレッスンに大変熱心でいらっしゃってね。オペラ歌手になりたいと仰っていたの。ご両親も渋々でしたが、お許しになられたとお聞きしていました。しかしその後、後宮に召されましたから、歌手の道は閉ざされておしまいになったわ」

「そうなのですか」

 

 仮りにも寵姫が歌手として舞台に立つなど許されなかっただろう。そして母は後宮に閉じ込められ、夢を諦め、その上、やがては父の寵愛も失ったのか。

 侯爵夫人から聞く母は、生き生きとして、趣味を楽しみ、夢を追いかける少女に思える。だが俺が覚えている母は、儚げでか細く、夢もなく、全てを諦めた表情で俺を愛しげに見つめていた。

 

 後宮というところは、生気溢れた夢見る少女を、それほどに変えてしまったのだろうか。俺が物思いに耽っていると、使用人の一人が夫人に近づいて腰を折った。

 

「奥さま。今リヒャルト様に、本日、訪問しても宜しいかお聞きして欲しいとの連絡が通信でございました」

「まあ、どなたかしら」

「それが……名前を仰っていただけません。マックとリビーと告げていただければ解ると。どういたしましょう」

 

 ありゃりゃ。やっぱり俺の正体がバレたか。俺の後ろでは、テオドールがわずかに身動いでいた。


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