黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第16話   謝罪

 貴人の屋敷を、しかも寵姫の館を訪問するのに、名乗りを上げないのは非礼に当たる。侯爵夫人は眉を顰めて俺に尋ねた。

 

「リヒャルト、心当たりは?」

「姉上の結婚式の時、少しお話しました」

「そう……訪問を許可しますか?」

「ちょっと待ってください。兄上は今日、こちらにいらっしゃいますか?」

「いえ、リヒャルトさま。本日は訪問できないと、午前中に連絡をいただきました」

 

 執事の回答に俺はホッとした。兄とあの二人を会わせる訳にはいかないよ。

 

「それでは4時くらいにいらしてくださいと、返信お願いします」

「かしこまりました」

 

 シカトしたいところだが、そうもいかないよな。これから先も、あの兄妹と顔を合わせる機会はあるだろう。取り敢えず、今日決着を付けておくべきだ。

 

「どちらのご子息なのです。危険は無いのでしょうね?」

「大丈夫です、彼らの身元はしっかりとしておりますよ、義母上。それにテオドールがおります。万が一にも私が危険な目に合うことはありません。そうだな、テオ」

「は、お任せ下さい、侯爵夫人」

 

 テオドールの確りとした言葉に、夫人は安心した様子だ。全く『お義母さんは心配性』だ。

 

 昼食が済むと、一時からは叛乱軍用語の授業だった。叛乱軍用語、いや同盟公用語は英語に近いから、結構覚えるのは楽だ。いつか直接ヤン・ウェンリーと会話したいなあ。彼は帝国語は不得意だったはずだから、俺が同盟公用語を話せばいい。彼のサインは是非獲得したい! はっ、10年以上は先のことに逃避してどうする、俺!

 授業が終わって一服していると、テオドールが納得できないといった感じで俺に話しかけてきた。

 

「リヒャルトさま。本当にあの二人に会うのですか? こう申してはなんですが、大貴族のご子息といえど、リヒャルトさまがお付き合いなさるのは相応しからぬと」

「あれだけで人物を決めるつもりは無いよ。案外いい兄妹かもしれないじゃないか」

 

 それに今、彼ら一族の勢力はやや衰退傾向だ。ここに助け手が現れれば、彼らは飛びつくだろう。助けの藁を差し出すか、それとも更に沈めるかは、これからの二人次第だが。

 

「リヒャルト様、おいでになりました」

 

 使用人に案内されて現れたマックとリビーは、先日とはうって変わって神妙な面持ちだった。まあ、当然だな。

 

「ようこそ、マック、リビー。こんなに早くまた会えるとは嬉しいですよ。よくここが解りましたね」

「……昨夜、あの場にいた知人からお聞きしたのです。本当にヴュルテンベルク公でいらっしゃったのですね」

 

 リビーが絶望的な表情で、泣きそうな顔で俺を見つめる。おいおい、そこまで悲壮感漂わせなくても。二人は部屋に一歩入っただけで、二人揃って頭を下げた。

 

「ヴュルテンベルク公爵。私はマクシミリアン・フォン・カストロプ。こちらは妹、エリザベート・フォン・カストロプ。我々の父は、オイゲン・フォン・カストロプ公爵です。先日の非礼をお詫びしに参りました。伏してお願い申し上げます。どうか謝罪を受け取っていただきたい」

 

 マックとリビーは45度に腰を折って、顔を上げようとしない。許しが出るまでこの姿勢でいるつもりか。

 

「どうしたのです。顔をお上げください。公爵家の子女ともあろう方たちが、このような……」

「許してもらわなくては困るのだ!」

 

 いきなりマックが声を荒らげた。

 

「殿下もご存知であろう。昨今のカストロプ家に対する悪意ある噂は。この上、殿下に対してあのような態度を取った私の愚行が許されなければ……」

 

 声がだんだん尻すぼみに小さくなっていく。何か虐めている気分になってしまうじゃないか。

 

 あの広間には多くの子供たち、そして少数だが、その親たちもいた。中には俺の顔を知っていた者がいただろう。現に入口で俺はヴェストパーレ嬢と会っている。あのちょっとした揉め事は、退屈している貴族たちにとっては目出度い席で起こった、格好のゴシップだったはずだ。一方は最近ようやく表に出てきた皇帝の庶子、かたや、たかが帝国騎士に狙っていた官職を掠め取られた公爵の子女。出演者に不足は無かっただろうし、その時の双方の対応の違いは、両者の器量を際立たせただろう。

 

「取り敢えずお座りください。そうでなければ詳しくお話もできません」

 

 俺の言葉にマックとリビーはようやく顔を上げ、おずおずとソファーに座った。

 

「申し訳ありませんが、私はこの館から出ることは殆ど無いのです。カストロプ家は名門と聞いております。どのような噂が立っておられるのですか?」

「いずれ解ることですから申し上げますが……」

 

 リビーの話によると、公爵家は悲惨な状態らしい。ブラウンシュヴァイク公爵とは、これまでごく普通の公爵家同士の付き合いをしていたのだが、突然手の平を返したかのように非友好的な態度に終始し、それを見た他の貴族も、一斉に潮が引くかのごとく、カストロプ家から距離を取り始めたそうだ。

 

 しかもブラウンシュヴァイク公爵は、皇女を迎えるに当たって、身辺を更に清潔にする必要があるとでも思ったらしい。これまでの貴族間でのなあなあでの付き合いを適宜改める方針を打ち出した。近く隠居するため、最後の仕事として憎まれ役を買って出たらしい。

 

 特に、これまで暗黙の了解で特別税率として低く抑えられていた、ブラウンシュヴァイク領を通関する物資への税率が基本税率に戻されたのが、深刻なのだそうだ。成程、恐らくブルッフ氏が入れ知恵したな。

 カストロプ領はブラウンシュヴァイク領を経由する関税が低かったため、取り敢えず物資の通関地域になっていたのに、それが基本税率に戻されたため、この先カストロプ領を通る物資は激減すること確実だそうだ。当然通関で得られる税収も激減するだろう。公爵家の勢力は、わかり易く減退傾向にある。

 

 ちょっと待て。何でそんな関税だの通関物資だのが出てくる事態にまでなっているんだ。俺が狙ったのはカストロプの尚書就任を阻止することだけだぞ。別に公爵家の財産を減じようとか、勢力を削ごうなんて、考えていなかったぞ。

 

 うわー、うわー。どうしよう。きっとカストロプの領民達に大きな影響が出るんだろうな。もしかしたら親族のマリーンドルフやキュンメルにまで?

 

 悔しそうに俯くリビーの姿に、俺は罪悪感がどっと押し寄せてきたのを感じた。


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