黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第18話   共同謀議

 カストロプ兄妹の謝罪を受け入れたあと、侯爵夫人にヴェストパーレ男爵令嬢にTV電話を繋いで貰えるよう願った。彼女にとっては迷惑だと思うが、礼を言ってくれるように頼まれたし、あの無視の理由も知りたい。知るのも怖いが。

 

「ヴェストパーレ男爵夫人、お時間を取らせて申し訳ありません」

『まああ、ユーディットさま。とんでもありませんわ。相変わらずお美しくていらっしゃいますわね。お電話いただけるなんて、誠に光栄ですわ。ところでブラウンシュヴァイク公爵からお聞きになりましたか? 我が娘がリヒャルトさまのご学友になる件ですが。娘も許可いただける日を、それは楽しみに待っております。どうでしょう。来月は節目の九月、是非その頃から……』

「……というようなことにも関して、リヒャルトがご令嬢とお話したいと申しておりますの。許可願えませんか?」

 

『まあ、リヒャルト殿下が! これは失礼しました。勿論異存などありませんわ。すぐマグダレーナに繋ぎます。ああ、マグダレーナというのが娘の名前で、母親の私が言うのも何ですが、中々に利発で良く出来た娘でして、その上皆様には将来きっと美人になるとまで言われておりまして。いえいえ、私はそんなことは思っておりませんわ。当代一の美女と言えば皇妃様と侯爵夫人ですもの。あの子が成長してもかなうものですか。でも、娘時代の私よりずっと顔立ちが整っておりましてね。姉妹の中では一番先が楽しみな娘で、特に音楽や絵画など、芸術方面には造詣が深く……』

 

 スゴイ売り込みだ! 息をもつかせぬってこういうのを言うんだろうな。侯爵夫人も面食らっている。俺は際限なく続きそうな男爵夫人を止めるために、画面には映らないように、後ろから声だけをかけた。

 

「義母上、フロイラインへのお話は、許可いただけなかったのですか?」

『でっ、殿下!? いえ、お待ちください、今すぐマグダレーナを呼びますゆえ、そのまま、そのままお待ちください。今すぐですから!』

 

 ほどなく令嬢は呼び出されたが、傍目にも解る仏頂面だ。彼女の立場があの夜会から大きな曲線を描いたことは間違いなさそうだ。しかも彼女の望まぬ方向に。

 俺は男爵夫人に、令嬢とは二人で話したいと頼んだ。夫人は『まあまあ、そうですわね。幼くとも知られたくないお話というのはありましょうから』などとニコニコしながら部屋を出ていってくれた。

 

『……お久しぶりでございます。殿下』

「お久しぶりです、フロイライン。ご機嫌麗しく」

『……っ! あまり麗しくはございませんわ! 殿下とあの夜ダンスを踊ったことで、私の人生計画に大きな狂いが生じましたのよ!』

「やはりそうですか。ちなみにどのような?」

 

 内容は確かに気の毒なものだった。あの出来事で、彼女は一躍未来の大公妃候補としてブラウンシュヴァイク公に擬せられたらしい。しかし彼女は候補としては身分がかなり低い。それで彼女の母親の実家である侯爵家に養女に出して、そこで本格的な教育を施せば、妃候補としては他とは遜色無くなるだろうと打診があったそうだ。父親である男爵は気が早すぎると言って断ったが、母親の夫人は大喜びで乗り気だという。

 

『将来この男爵家は私が継ぐはずですのよ! もし養女になど行くことになったら……! しかも結婚なんて! 殿下、どうかブラウンシュヴァイク公爵に、その気は無いと話してくださいな!』

「まあまあ、落ち着いてください。フロイラインは結婚する意思が無いのですか?」

『ええ! 将来はこの男爵家を継ぎ、芸術家のパトロンをしたいと思っておりますの。埋もれた才能を発掘するのは、貴族の義務ですもの。それから我が家が主催する学校の規模を更に大きくして、芸術方面に力を入れていこうと考えています。今の帝国の教育は理工に傾き過ぎですもの。芸術は心を豊かにする大事な学問です。でもそれにはお金が要りますの。それに権威や名分も!』

「そのために、あなたの名が汚れてもよろしいですか?」

 

 俺の言葉に彼女は当然不審そうな顔をする。俺は説明を始めた。

 

 恐らく自分はこれからも妃候補の女性を次々と紹介されることになるだろう。しかしその前に、仲の良い幼馴染の娘がいれば、なまじ自分の身分が高いだけに、他の娘をゴリ押ししてくることは少なくなると思う。彼女の方も年頃になれば両親は嫌でも婿を探してくる。しかし自分という幼馴染がいれば、結婚話など出すこともない。当然お互い20歳頃になれば結婚をせっつかれるだろうが、その時には只の友人だったとか、関係が破綻したとかいう理由で、結婚は拒否すればよい。しかしネックは彼女の名誉だ。俺にとっては男爵令嬢を捨てた形になっても不名誉ではないが、彼女は幼い頃からの恋人に捨てられたという不名誉が一生付き纏うだろうということだ。

 

『……悪くありませんわね。殿下にお会いする前には、伯爵家の三男坊との縁談が密かに進められているとも聞いていましたが、立ち消えになったそうですから。殿下の後楯があるように見せれば、資金も集まりやすくなりますし。それに不名誉などと思いませんわ。過去に殿下の恋人だったとなれば、むしろ箔が付くというものです。でも困るのは養女の話です。私はこの家を出る気はありませんの』

 

「その点は、私が公爵にお話しましょう。『男爵家から出されるなんて、殿下のせいよ! キライ!』などと言われて困ってしまった。嫌われたくないので、どうか今までどおりご両親の元で過ごさせて、跡継ぎとして認めてください、とでもね」

『まあ、私がそんなことを言う娘になるのですか』

 

「少しくらいイメージが違っていても、ここは演技のしどころですよ。私もあなたも我侭な子供を演じましょう」

『わかりました。そのお話、受け入れますわ』

 

 取り敢えず彼女のピンチは救えそうだ。俺は当初の予定通り、カストロプ兄妹の話と、妹が礼を言っていたことも伝えたところ、彼女はとても気の毒そうな顔をした。

 

『権勢によって態度を左右するのは有り勝ちですが、今度のことは気の毒ですわ。噂というものは当事者を避けて広まってしまうのですね。見かねて殿下のことをお話したときは、初耳だったらしく、蒼白になっておられましたもの』

 

 その気の毒な状態は俺に第一の原因があるんだけどね。

 

『今まで水面下で囁かれていただけのお二人のご病気も、どうやらこの頃は大っぴらに話されるようになってしまったようですわ。きっと益々貴族の付き合いからは締め出されるのでしょうね』

「病気って……。ごく軽い識字障害ではありませんか。bとd、UとVだけなんでしょう」

『あら、それは兄君の方ですわ。妹君の方はそれに加えて、nとmの区別も付かないそうなんです。兄妹揃ってディスレクシアなんて、やっぱり劣悪遺伝なんでしょうね』

 

「nがダメなんですか。それは厳しいですね」

 

 帝国語ではnはeに次いで使われる文字だ。これの区別がつかないとなると、かなり読解に困難が生じるだろう。それにしてもヴェストパーレ嬢も、劣悪遺伝子に対する無意識の偏見があるんだな。それにリビーのハンディを俺に教えることに全くためらいが無い。彼女が無情だというわけではなく、これが帝国貴族の自然体なのだろう。

 

「フロイライン、学友の件はどうします? ある程度親しさを見せるには悪くないとは思いますが」

『殿下の勉強に音楽はありますか?』

「いえ、ありません」

『絵画は? 彫刻は? 服飾は? 作詩は? 演劇は?』

 

 いずれも「Nein」と答えると、『お話になりませんわね』というにべもない回答が返ってきた。興味の方向性は全く違うということらしい。

 

「解りました。学友の件も何とかしましょう。『フロイラインの好きな分野には全く興味が持てないことを知られるのは嫌だから、お断りする』ということではどうです?」

『それでは殿下が私に、多大な好意を持っていることになってしまいますわ。よろしいんですの?』

「ええ、あなたは私の初恋の少女ということになりますから」

 

 令嬢の顔を見つめる。挑戦的で、精神的にも気骨のある逞しい眼をした少女。意思と意欲に溢れている。

 

 彼女はいずれ、多くの芸術家の卵たちを支援し、それを孵すことに熱中する。そしてその中の何人かは、彼女の愛人と囁かれることになる。今の彼女は、将来の不名誉は少なくとも自分に降りかかると思っているのだろうが、実際は恋人に愛人を作られる、俺の方がそれを被るのだ。

 

 それとも俺という干渉によって、彼女のもう一つの生き方、『自由恋愛』は制限されてしまうのだろうか。

 

 いや、俺はその生き方を尊重しよう。そうしていれば、別れるとき、周りの混乱も少なくなるはずだ。

 

 

 侯爵夫人が出かけた後で、俺はカストロプについて少し調べてみた。確かに倉庫業の占める割合は多いが、この領の重要な産業は基礎素材産業、特にソーダの占める割合がかなり多い。これはもし制限をかけられたりしたら大変じゃないのか? カストロプを怒らせすぎると安定した供給を得られないぞ。しかしソーダ工業自体は他領にも多い。カストロプはある程度突出してはいるが、もし制限をかけたりすれば、その間にシェアを奪われるだろう。ソーダ以外の素材に供給制限をかければ、他はこぞってカストロプのソーダを排斥にかかるかもしれない。結果は最も重要なソーダ工業の凋落だ。制限政策を取るのはかなり危険だ。

 

 そういえば、カストロプはフェザーン自治政府とパイプを持っているかもしれないんだよな。フェザーンからは銀河系の外縁をぐるりと回ればカストロプに着く。

 

 いつかそのパイプを奪い取れないだろうか。出来ることなら、ワレンコフが自治領主でいる間に。


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