黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第19話   敗者の戦訓

 二ヶ月もすると姉上の結婚に伴う狂騒も一段落し、宮廷はやがていつもの落ち着きを取り戻した。そして又もや兄上がシュヴァーベンの館に頻繁に顔を出すようになってきた。しかしこの頃は自分のノロケ話ばかりではなく、財政に関する話まで振ってくる。俺の年齢解っています? ブルッフにかなり影響を受けているな。

 

 ところでその兄は、今俺の目の前で三次元チェスを指している。昨夜はミュッケンベルガー伯爵家のパーティに招かれ『珍しくもお酔いになり、伯爵家に一晩お泊まりになった』らしい。どうりでお肌がツヤツヤしていますこと。そういうケジメみたいなもの、付けなくていいのかなあ。よりにもよって、将来の義父母の家でコトに及ぶなんて。

 

「チェックメイト!」

「あああ、また負けちゃった……」

 

 俺は三次元チェスは強くない。でも、まだ始めたばかりだからだい! ヤン・ウェンリーみたいにチェス歴ウン十年で全く上達しないのとは訳が違うんだからね!

 

「ウルズラから、お前に礼を言っておいてくれと頼まれたぞ」

「礼を言われるほどのことではありません。兄上が愛ある結婚をしてくだされば、これに勝るものはありませんし」

「皇族は愛ある結婚はありえないんじゃないのか?」

 

『マリー、本当に彼と結婚したいの? 彼には爵位も財産もないのよ?』

『王妃さま、わたくしはあの人を、カールを愛しております。爵位や財産など何ほどのものでしょう。どうか陛下より結婚のご許可をいただきたいのです』

 

「……愛ある結婚はステキですね、兄上」

「お前の部屋はいつ来ても立体テレビが点いているな」

「私の趣味は戦史研究ですから。それに類するものを、流しっぱなしにしているんです。結構、頭に入りますよ」

「戦史研究?」

 

 兄は不思議そうに俺を見た。立体テレビの中では二人の美女が愛について話し合っているのだから無理もない。しかしやがて場面は変わり、王妃の豪奢な部屋から、寒風吹き荒ぶ、戦いの平野に移っていく。

 

『あの高地に部隊が到着するのは何分後だ?』

『20分以内です、陛下』

『よし、ただ一撃でこの戦いは終わる!』

 

「何だ、この古臭い映画は。このようなものを観て戦史の研究になどなるものか」

 

 兄がそう言うのも無理はない。今流れている映画は、飛行機さえも無い、人類が地球上を這い廻っていた頃の戦争を描いたもので、戦いというものは大宇宙での戦艦どうしのものしか知らない兄にとってみれば、歩兵や騎兵が主力のこの映画の中の戦争は児戯にも等しいのだろう。

 

「お前は軍人になりたいと言っていたらしいが、それは許さないぞ。解っているのか?」

「重々承知しております。しかし、将来兄上の治世をお助けする立場になりたいという気持ちは変わっておりません。だから、このように戦略、戦術の研究も、出来うる限りは勉強しようと頑張っているのです」

「その気持ちは嬉しいが……。まあ、戦史の研究も貴族の道楽と言えなくはないしな」

「とんでもありません、兄上」

 

 俺は立体テレビを切り、王手をかけられる直前だった三次元チェスの駒を崩した。

 

「戦史は戦争をする上で、最も重要なカリキュラムです。兄上、私は先日古代の戦いを資料映像で見て、戦慄を覚えました。これをご覧ください」

 

 俺は第二次ポエニ戦争で最も有名な、『カンナエの戦い』をチェスの駒を使い再現してみた。キングは指揮官、ナイトは騎兵、ポーンは歩兵という感じだ。しかし駒数は黒は白の七割だ。それにも関わらず、多数の白の駒が、少数の黒の駒に攻め立てられ、包囲され消滅していく。

 

「これは素晴らしい。寡兵で二倍近い敵を包囲し、殲滅するとは。芸術的なほどだ」

「そしてこの戦いより16年後、両国で行われた戦闘はこれです」

 

 俺はまたチェスの駒を使い、『ザマの戦い』を再現した。今度は黒の駒が、その8割ほどの白の駒に包囲され、消滅していく。

 

「リヒャルト、黒と白の駒を間違えていないか? 同じような戦い方ではないか」

「いいえ、白がローマ軍、黒がカルタゴ軍です。間違えてはおりません。一度目の戦いで大敗北したローマは、カルタゴの将の戦い方を学びに学び、16年後復讐したのです。そしてそれより3600年以上の後、行われた戦いがこれです」

 

 俺は駒を今までのように平面に並べるだけでなく、立体的に展開し、ある一つの戦闘の再現を行った。

 

「これはダゴンの……」

「ええ、ダゴンの包囲殲滅戦です。わが帝国軍の最大の汚点ともいえる戦いでしたが、兄上が仰るように芸術的なほどです。しかし基本は3600年以上前に、カルタゴの名将が確立させていた戦術なのです」

「うーむ」

「これでも、戦史研究は道楽だとおっしゃいますか?」

「いや、私が不明だった」

 

 ダゴン星域会戦の帝国軍司令官は、とてもハンニバルやスキピオに比べることの出来ない「あほう」のヘルベルト大公だが、大きな兵力差がありながら、包囲殲滅されたこと「だけ」は古代の戦いと同じだからな。

 

 俺はハンニバルもスキピオも好きじゃないが、彼らが後世に強い影響を残した戦術家であることは確かだ。特にスキピオは敵将ハンニバルの能力を非常に高く評価し、彼の戦い方に学び、ローマ伝統の重装歩兵より騎兵を重視する改革まで行った。敵の本拠地を突くことがいかに効果的かを、これまた敵将から学び、本国を蹂躙しているハンニバル軍ではなく、その本拠地を突き、結果的に本国にいた敵を撤退させた。

 

 勝者から与えられた多くの戦訓を学び、それを活かした彼が、最終的な勝利者となったのだ。

 

「確かに戦史とは興味深いもののようだな。私も齧ってみるかな」

「本当ですか!? 兄上と戦史談義できたら、きっと楽しいですね!」

 

 ヤン・ウェンリーのように歴史に強い興味があるわけでは無いが、俺にとってこの世界はいまだ「歴史」なのだ。しかし、訪れるはずの「歴史」が成立してしまっては困る。ゴールデンバウム一族にとって、それは悪夢だ。

 

 そのためにも、俺は「歴史」を活用してみよう。それには将来、一族の長となる兄を巻き込むことは必須だ。俺は「歴史」で敗北したゴールデンバウム家から、「歴史」で勝利したラインハルト・フォン・ローエングラムから、あらゆる戦い方を学び、それを戦訓としよう。そう、スキピオのように。


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