黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第22話   特別展開催決定

 侯爵夫人の館に毎日のように俺を訪ねてくれていた兄上が、あれ以来三日、ぱったりと顔を見せなくなってしまった。来るとノロケ話を聞かされるから、うっとおしいこともあったが、来ないとやっぱり寂しいね。しかしその一時の閑暇は、予告無しの訪問であっさりと破られた。後から考えると、この三日間は俺の心の平穏だった……。

 

「リヒャルト、居るか」

「兄上、突然のお来しですね。驚きました」

 

 噂をすれば影。兄上がいらっしゃったのだが、何故か後ろに従っている従僕達が、幾つかの箱を恭しく抱えている。

 

「平均420帝国マルクだ」

「は?」

「戦没者遺族救済基金だ。毎月の平均は420帝国マルクだった。衝撃的な額だ」

 

 あれ、三ヶ月前に俺が調べたときは436だったぞ。新年度に当たって減額したな、これは。

 

「とても働き手を失って家計が成り立っていける額とは思えぬ。しかも戦傷病者の年金はその半額程度しかない。中には戦争で肢体不自由になり、働くことも出来ぬ者も多いであろうに」

 

 そういう人達ってどうなるんだろう。農奴になっても領主にはメリットは無いわけだし、結局は家族が犠牲になるしか無いんだろうか。

 

「農奴階級に堕ちれば、教育期間が短くなるだけではない。職業選択の自由や、結婚の自由、移動の自由も奪われる。しかも一度農奴になってしまうと、子孫もその階級だ。這い上がるのはとても難しい。税が払えねば農奴になる穴は大きいのに、領主による解放の道は狭い。これでは百年後には、農奴数は倍に増えるだろうというのがブルッフの試算だ」

 

 そこまで増えるかなあ? 兄上の危機感を煽るために、水増ししている予感がヒシヒシと……。

 

「農奴階級というのは活力が無いのだ。向上心も低い。当然だ。いくら働いても報われないのだからな。この階級が増えれば、帝国全体が活力の無い社会になってしまう」

 

 へー、そこに気づいたんだ。

 そうなんだよね。領主に命じられた仕事をこなしていれば、餓死だけは免れるというのが、帝国でも最底辺の農奴の生活だ。働けば働くほど搾取される。これで向上心を持てというのが無茶だ。

 

「色々ブルッフと相談してみたが、彼もまだ一官僚の身。出来ることは少ない。私も取り敢えず、今自分が出来ることから始めるつもりだ」

 

 わあ、良い心がけ。そうです。何事も最初は一歩なのです。

 

「まずは母上と姉上に倣って、私の不用品をバザーに出してみることにした。大した金額にはならぬと思ったが、皇族の持ち物には付加価値が付くのだな。普通であれば古着で済まされるドレスも、姉上が愛用していたとなると却って新品よりも高額で売れるそうだ。ここ三日ほど、従僕たちに手伝わせて古着を引っ張り出した。次の母上主催のバザーで売るつもりだ」

 

 ああ、来ないと思っていたら、そんなことやっていたんですか。

 

「お前に合いそうな物もあったから、幾つか見繕ってきた。どうだ。これなど私が初めて夜会に出席した時の服だ。ボタンの一つ一つがメタルに小さなダイヤが散りばめられておる。逸品だろう。金の飾り紐も、昨日作ったばかりのようだ。裏地を見ろ。10年は経つのに全く縮んでおらぬし、色落ちも無い。古着はこういう所を見るものだぞ」

 

 誰の受け売りですか。それにそんな綺羅綺羅しいブルーシルバーの夜会服、俺の好みじゃないですし、侯爵夫人の好みでもないです。あの人の好みはフリルとレースです。

 

「こちらのジャケットの光沢を見ろ。素材はキッドモヘアだ。この生地を得るために、絶滅寸前の山羊を新無憂宮で飼育したのだ。今は山羊の数も少し増えているが、皇族しかこの生地は手に入らぬぞ。この手触りの良いこと。夏用だから今年には間に合わぬが、来年でも十分着ることのできる大きさだ。仕立て直してみろ。かなりラフに使用できるぞ」

 

 絶滅危惧種から採れたモヘアのジャケットを、ラフに使用するって感覚が、もはや俺の感覚の枠外だよ。

 

「これは私が皇太子の宣旨を受けたときに着用したものだ。この双頭の鷲は、三人の職人が半年がかりで完成させたという。素晴らしい刺繍だろう。一度しか着なかったから、古着というほどの物ではない。だがまだ少しお前には大きいな」

 

 その服をどこに着て行けって言うんですか ━━━━ ! 皇位を狙っていると思われたらどーしてくれるんですか ━━━━ !

 

「姉上に試算していただいたら、軽く10万帝国マルク以上にはなるという。どうだ、弟のお前になら、8万で売ってやるぞ。お買い得というらしい! そしてお前に合わなくなったら、バザーで売ってくれ!」

 

 「売る」んですか! 弟が兄のお下がりを「貰う」んじゃなくて、「買う」んですか! しかも8万! そして数年後には、タダで手放すこと前提ですか!? いくら内廷費が貯まっているからといって、そんなモノに出すほど酔狂じゃ無いですよ!

 

 何だか後ろにひっくり返りたくなった……。

 

 

 俺は水を一口飲んで心を落ち着けることにした。平常心、平常心、兄上はちょっとハイになっているだけだ、怒るんじゃない……。

 

「兄上、それはこの世に二つと無い、貴重な品です。勿論、品物自体が素晴らしいのは解りますが、それは兄上の立太式に使用された式服でありますから、特に貴重な品で、売るなどとんでもありません」

「何を言う。もう二度と着ることのない代物だぞ。それならば売って基金に寄付した方がよかろう」

「いいえ、兄上のご子息の立体式の時に着用させるべきです。親子二代、ハレの日の服となりましょう」

「しかしそんな日は、何十年後のことか解らぬではないか」

 

 確かにそうだ。兄上の息子の立太式が、兄上と同じ10歳前後とは限らないしな。

 

「帝立美術館に展示してはどうです?」

「帝立美術館?」

 

 銀河帝国国立美術館は、新無憂宮から1km程の所にある美術館で、帝国や帝国建立前の名だたる芸術家の作品が展示してある、巨大な美術館である。本館、新館、別館、劇場の四つの建物群から成り、部屋の総数は1000を超える。収蔵作品数は400万点を誇り、常設展示は20万点ほど。ここに作品が展示されることは、芸術家としては最高の名誉とされる。

 

「特別展示期間を設けるのです。兄上の立太式の時の式服や、皇后陛下の立后式のドレスなどを展示するのはいかがです? 特別展は別料金が発生します。その入場料を基金の補填に充てるのです」

「しかしそれでは平民から金を取ることになるではないか」

「確かにそうですが、特別展示のセレモニーに、皇后様か兄上が出席なさって、大々的に救済基金の資金集めのための展示であることをアピールするのはどうでしょう。平民向けには募金箱を設置し、貴族向けには高額寄進者のリストを同時に展示するのです。そうすれば、貴族は家の名誉の為、イヤでも寄付を致しますよ」

 

 思いつきで言ったんだが、結構いい手かもしれない。モノは売ってしまえばそれで終わりだが、この方法ならばこれから何回でも稼ぐことができる。もちろん頻繁に開催しては有難味が薄れてしまうが、他惑星に移動展示してもいいしな。

 

「なるほど、……いや、しかし上限は設けるべきかな。寄付のため、貴族領で税率が上がったりしては、目も当てられん」

「確かにそうですね。それから平民のためであることを、しっかりと釘を刺すことを忘れないようにしましょう」

 

「アマーリエ姉上にもお願いしよう。結婚式での新郎新婦の婚礼衣装は大きな呼び物になるぞ」

「ドレスだけではつまらないですね。兄上の立太式を描いた絵画があるとお聞きしたことがあります。それも一緒に展示してはどうです?」

「うむ、それなら、姉上の結婚式の時の写真や映像も流そう。そうだ、式服やドレスを作ったメーカーの名前も大々的に展示する代わりに、そこからも寄付を募ろう」

 

 うわ、よくそんなことまで思いつきますね、箱入り坊っちゃんのくせに。

 

「おお、そうだ、勲章を種類別に展示するのも面白いな。皇族の勲章だけでも、10種類以上はある。平民のみならず、貴族だとてあまり見たことのある者はおるまい。他に興味を惹く物といえば何だろうな。……よし、宮に帰ってゆっくりと考えてみるか」

 

 ああ良かった。押し売り商品を買わないですんだよ。でもあのジャケットはタダなら欲しかったかも。

 

 

 結局どうなったかって? 恐ろしい規模になったよ。何と父上まで巻き込んだらしく、即位の宝器が展示されることになったのだ。帝冠、錫杖、ローブ、宝剣、勲章、即位式の時の式服、その他諸々……。

 

 今、帝立美術館の職員はてんやわんやの大騒ぎで、開催予定となった半年後の日程の調整に始まり、パンフレットの作成や立体TVコマーシャルの撮影、美術館自体の防犯体制の洗い直しなど、不眠不休で作業しているそうだ。警備員の人数や配置がどうの、特別展示の期間がどうの、寄付金上限額でもめているだの、色んな噂がこの館にまで入ってくる。職員の一人は過労で入院したそうだ。

 

 

 ……これって俺のせい?


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