黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第23話   施政方針

 俺の一日のカリキュラムはなかなか厳しい。侯爵夫人に家庭教師としてお願いしていた、昨年まで帝国大学の助手をしていた男は、年末近くになってようやく雇用が叶った。その結果、週三日は、勉強時間が三時から五時までに伸び、俺の勉強を邪魔しない方針らしい兄上の訪問も少なくなった。しかし兄上には、『特別展開催』というおもちゃを与えたから、いずれ企画の相談とかを理由にまた訪問が増えるかもしれないが。

 

 新しい教師は40歳直前の男で、ヒエロニムス・ルターという。名前を知った時は、地球教の聖職者かと突っ込みたくなった。しかし聖職者の雰囲気はカケラも無く、俗人の極みと言っていい。俺に開口一番、言った言葉が奮っていた。

 

「あなたの教師であったという肩書きがあれば、オーディン帝国大学で助教授の地位が獲得出来るかもしれない。私のために、契約期間である四年間は、みっちりしごかせていただきます」

 

 テオドールなんか目を剥いていたよ。俺を踏み台にする気満々で、それを隠そうともしないんだから。しかし俺にとっては望むところだ。必死で勉学に励まなければ、待っているのは処刑台かもしれないのだ。

 

 彼が初日に俺の学力を測ったとき、俺はどこまで実力を見せるべきか、当然悩んだ。悩んだ末、理数系は出された設問総てを正答し、その他は適当に手を抜いて、10歳児レベルの学力に留めた。しかし6歳児に大学受験並みの問題を出すなよ。フツーは3+1=? レベルだろうが。俺が6歳だということを知っているのか?

 

「ほほう、少々驚かされましたぞ。理数系で私の契約期間で教えることは無さそうですな。それではカリキュラムとしては、帝国語、文学、歴史、地理、叛乱軍用語といったところですな。他にご希望はありますか?」

「それらは他の教師に教わっております。先生に教授していただきたいのは、政治と経済です」

「おや、将来は宰相でも目指しておいでで?」

「まさか。私はヴュルテンベルクの当主です。政治経済は統治に必須でしょう」

 

 俺の真意を見極めるかのように見つめてくるルターは、やがて苦笑いすると両手を上げた。

 

「参りましたね。しかし困ったことが一つあります。私の専門は確かに政治経済で、お教えするのはやぶさかではありませんが、この学問は教える者の思想や考え方が、他の学問に比べ、教えられる者に色濃く伝わります。殿下は私の思想や信条に、その幼さで染まってしまうやもしれませんぞ」

「そうですね。気を付けます。ところで基礎を習った後、この論文を教材としたいのです。先生」

 

 俺がパソコンで指し示した、PDF化された論文のファイル名を見たルターは、一瞬息を飲み、顔色を変えて俺を睨みつけた。でも俺は怯まずに、微笑を浮かべて彼の目をみつめた。

 

 ファイルはエウセビウス・ストリドネ著、『専制と絶対君主制と制限君主制 その実態と弊害』 帝国では発禁リストに上げられている電子論文で、ファイルをダウンロードしているだけでも、治安維持局の取り調べ対象者となる。普通なら皇族の家庭教師が選ぶ教材ではない。俺がネットの裏の深海から拾い上げたファイルだ。痕跡を残さず拾うのには苦労したよ。

 

「……なるほど、覚悟はお有りとみえる。それでは早速始めましょうか」

 

 ルター先生はその日から教鞭を取り始めた。

 

 

 ルター先生は、教え上手な良い先生だ。わかり易く色々な例を上げて、噛み砕いて教えてくれるタイプだ。前世で高校三年生のとき通っていた、予備校の講師を思い出すよ。彼の教え方だと、難しい内容も何故か頭に入っていってしまうという、不思議な先生だった。懐かしいな。

 

 俺は夕食後、自室で一人になると、例のファイルを開けてみた。

 

 『専制と絶対君主制と制限君主制 その実態と弊害』 ……過激な題名だ。

 

 もし一人の人間、あるいは主だった者の同一団体が三つの権力、すなわち立法権、行政執行権、裁判権のすべてを行使したならば、すべては破壊され、いずれは失われる。だが専制を確立しようとする者は、皆、自分の身にすべての官職を集めることをまず考える。もしそれを始めた者がいたならば、それは専制者たらんと欲する者であり、注意するべきである。権力は分立されなければ、国家は正常に機能しない。特に司法権の独立は絶対されなければならない……。

 

 モンテスキューの思考の相似形だ。現在はロックもモンテスキューもヴォルテールも、帝国では名前も思想も廃れているのだから、帝国でこの思想を発表したストリドネ氏は大したものだ。

 

 俺に言わせれば何を今更だ。前世で三権分立なんて習ったのは、小学校高学年か中学校でだったっけ? 疑問も持たなかったよ。権力を分有しているからこそ、互いに監視、掣肘できるのだ。これが個人に統一されてしまえば専制だ。『権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する』 真理だと思うね、ジョン・アクトン卿。その腐敗した先が、今のゴールデンバウム王朝だ。その腐敗物の一滴が俺ってことだな。

 

 これを治療する薬はいくつかある。帝政の廃止、共和制や立憲君主制への移行、革命などなど……。

 

 原作でラインハルトが行なった治療は禅譲による王朝交代、つまり易姓革命だ。しかし新王朝の権力構造は、ゴールデンバウム王朝と大きな差異はない。ラインハルトは専制者たらんと欲し、己の身に強大な権力を集め、彼の死亡時、権力は分立してはいなかった。だからローエングラム王朝も、成立の瞬間から腐敗への道を歩き始めたはずだ。ヒルダはその速度をどのように緩めたのだろう。

 

 俺は思うのだが、ヒルダはユリアンの提案通り、議会の設立か憲法の制定のどちらか一つ、もしくは両方を行ったと思う。そして制限君主制への移行をすすめ、アレクサンデルにもその上での君主の役割を教育したはずだ。

 そうでなければ、ローエングラム王朝はゴールデンバウム王朝よりずっと早くに崩壊したはずだ。何より前王朝とは違い、新王朝には外敵がいなかったのだから。外敵の存在は国家にとって必要不可欠だと俺は思う。敵がいるからこそ、国家は内部に不平不満があろうとも、内に結束するのだ。バーラト自治政府があったが、あれは『敵』として機能しない。

 

 それにラインハルトの政策に、農奴を廃止し、民生を飛躍的に改革するというものがあった。彼は啓蒙専制君主だったのだ。しかし、この政策は十年もすれば中産階級を経済的に安定させ、資本家階級を著しく台頭させたはずだ。

 ブルジョアジーが興隆すれば、行き着く先は専制の打倒か体制の打破だ。歴史がそれを証明している。

 

 それに新たに獲得した、同盟とフェザーンの150億人に及ぶ『臣民』。彼らは帝国の愚民化された民衆に比べれば、遥かに政治的意識が高く、教育水準も特にフェザーン人は高かったはずだ。つまり、彼らは貴族階級が衰弱した新帝国の中で、『政治的な知識階級』に成り得た。

 

 資本家階級と知識階級。この二つが存在した国家に、専制が成立するのは難しい。

 

 彼女がそれを理解したならば、自ら専制を捨てただろう。彼女は後世で「ローエングラム王朝を創ったのは皇帝ラインハルトであるが、それを育てたのは皇妃ヒルデガルドである」とまで言われたのだ。前王朝と全く同じ政体では、このように讃えられたはずがない。

 

 ローエングラム世襲王朝は、革命と流血と改革の道を辿った。しかし着いた先は、専制の放棄というオチなのだ。それならば俺は革命の道を通らずに、初めから『制限君主制への移行』という名の治療薬を投与したい。君主の権力に制限を加え、一部は放棄する。

 

 制限君主制のメリットとしては権威と権力の分離ができる点だ。皇帝、憲法、議会のトライアングルは、相互の監視、掣肘が可能となり、政治の安定度が増す。俺としてはまずは憲法の制定だ。立憲君主制を目指していこう。そして何年後、何十年後のことかは解らないが、いずれは議会の発足、いや復活を目指す。ルドルフ以来、450年以上開かれなかった議会は、最初はものの役に立つまい。その間に君主の権力を、議会に対して強力にする法を『議会で』制定するべきだ。議会の招集権、決定権、何より解散権と拒否権は絶対に皇帝が持つ。皇帝は憲法の下に座しても良い。しかし議会の上には君臨しなければならない。

 

 君主と議会のバランスが、議会の方が重くなれば、皇帝の存続の意味を問われてしまう。つまりはゴールデンバウム家の存続の意義が。皇帝の権威は常に議会より優勢に保たれるようにしなければならない。更に、議会の失政のせいで、皇帝が非難の標的になりやすいという理不尽な問題もある。解散権と拒否権は皇帝の最高の神器だ。

 

 まず目指すのは、君主主義的制限君主制だ。この移行により流れる血は、必ずラインハルトの時より少なくしてみせる。それではどのように移行すれば良いのか? 俺にはさっぱりわからん。それを教えてくれる指南者が必要だ。だからルターを求めた。

 

 皇帝が制限君主になり、議会と憲法がもう一つの権力となれば、『全宇宙の支配者』なんて言うことはできない。同盟を対等の国家として認めることが可能かもしれない。同盟も立憲君主制との共存ならば考えるかもしれない。そうなれば和平に持ち込むことも不可能ではない。

 

 だから皇帝の権威を下落させるのだ。この地位は『神聖不可侵』などではないと。

 

 さて、こんなファイルを持っていることが知れれば、俺だってまずいだろう。ファイルには三重のプロテクトをかけ暗号化し、パスワードは前世での俺の名前にした。理解が済んだら破棄しなければ。

 

 

 しかしね、こんな危険な論文を発表するのなら、もう少しわかりにくい名前を使ったほうがいいよ。ダルマティア地方ストリドネ出身のエウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムスからペンネームを取ったんだろうが、古代史を知る者ならば、ピンとくるんじゃないかな。内務省の浅学な官吏共などに解らないと思っているんだろうけど。実際、10年もバレていないんだから。

 

 このような論文を書くのは絶対に政治学を修めた者だとアタリを着け、ストリドネ名義でいくつか発表されている電子論文のうち、最も古いものが14年前、最も新しいものは昨年だということを突き止めた。だから恐らく、14年前に20歳よりは上だった人間で、現在も政治学に関わっている人間だと思いシラミつぶしに調べたのだが、結構あっさりと行き当ってしまった。まあ、帝国大学出身者を一番に調べたし、名前がちょっと珍しかったからね。

 

 とにかくルター先生の知識を吸収しよう。彼は『制限君主制への移行』なんてテーマで、大学で講義はできない。だから俺に講義してくれ。誰にするより効果的に実践してみせるから。


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