黄金樹の一枝  リヒャルト・フォン・ヴュルテンベルク大公記   作:四條楸

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第24話   婚約

 俺にとって政治学も経済学も、前世では縁の薄い学問だった。政治家の汚職があれば、俺の納めた税金を掠め取りやがってと怒り、円高が進めば自社の製品が売れにくくなるなあと、ビール片手に心配するという程度のものだった。

 

 しかし現在の俺の居場所は、人類の6割以上を占める国家の、ほぼ頂点に位置する。これで政治に関わるなというのは、自ら傀儡となることを選択することだ。

 本来、その道を選択したっていいんだ。有能な者を領地に代官として派遣し、自分は宮廷貴族として贅沢優雅に暮らし、いずれは大公として貴族頂点を極めることだってできる。俺が『記憶持ち』でなければ、おそらくその道を選んだはずだ。

 

 だが、今の俺は幸か不幸か『記憶持ち』。座していれば貴族頂点などではなく、処刑台の13階段が待っている。兄はそれ以前に座る場所をヴァルハラに移す予定だが、この予定が命数ではなく、もし暗殺とか事故死であれば、場合によってはそれを生き延びる可能性だってある。そうなれば、俺が動かなければ兄も処刑台だ。

 

 そして今俺の目の前にいる姉クリスティーネ皇女は、女性なだけにもっと悲惨な目に合う可能性だってある。原作ではリップシュタット戦役の後、おそらく支配階級に対する、暴行、略奪の類が起こったであろうから、姉がそれに巻き込まれた可能性は高い。誇り高い皇女に耐えられることではないだろう。

 

 今日はルター先生の授業が無い日だったから、勉強は三時に終了したのだが、授業終了を見計らったかのように現れた姉上は、楽しいティータイムの時間に特別展の企画を教えてくれる。俺が住んでいるシュヴァーベンの館は、当主の侯爵夫人が料理に多大な興味がある方で、午後のお茶が、時々過去の正式なイギリス風アフタヌーン・ティーなのだ。特にこの時間に客が来ると、夫人は社交の場代わりに、これを利用する。兄上が頻繁にここを訪れるのも、これのせいかもしれないと、俺は密かに疑っている。

 

「お父様とお母様の結婚式の衣装も展示されるのですって。でも驚いたわよ。その辺りの中堅貴族の婚礼衣装みたいなんですもの。姉上の物と比べると、質素すぎて見栄えがしなくて」

 

 両親の結婚衣装の実物を見て、姉はかなり驚いたようだが、その頃の皇帝はケチで有名、父は放蕩者の金欠大公で、皇后様も代々地味な医学者一族の子爵家令嬢だったのだから、仕方ないだろう。

 

 特別展での催し物の一つに、ドレスや式服を作ったメーカーとタイアップして、勿論ランクは落とすが、各種サイズの同じ型の貸衣装が作成されるらしい。衣装を着て、皇帝や皇后、皇子や皇女のマネをしたい人はいくらでもいるだろうからな。勿論有料だし、当然即位式の衣装は貸し衣装の種類から除かれたが。

 

 皇帝一家の食事を真似て、美術館付属のレストランで出すというのはどうだろう。うーん、ダメかな、コストが掛かりすぎるような気がするし、却ってその豪華さに反発を招くだろう。ホント、食べることも出来ないのに、無駄に皿数が多いんだよね、皇族の食事って。いやいや、それなら原材料のレベルを落として、ブッフェ形式にしてはどうだ? それならば『皇族と同じ食事をしている』という気分が、案外気楽に味わえそうだ。皇族だからって、胃袋が異常に大きいと思う者はまさかおるまい。

 

「ルードヴィヒは皇帝の権威が落ちるかもしれないから、父上たちの婚礼衣装展示は止めたほうがよいかもしれないって。あなたはどう思う?」

「私は展示した方が良いと思います。裕福な平民ならちょっと無理をすれば届くくらいの衣装なんですよね。皇室に親近感を感じて貰えると思いますから」

 

 同時にブラウンシュヴァイク家に反感を持つかもしれないけれどね。俺は三段のティースタンドに盛り付けられた菓子類からスコーンを選び、ナイフで横に切ると、ジャムは無視して、クロテッドクリームだけを塗りつけて口に運んだ。次の時はイチゴじゃなくて、マーマレードジャムを出すよう、シェフに言っておこう。姉上はスタイルを気にされないのか、サンドイッチやミニケーキを遠慮なく口に運んでいる。そうだ、美術館付属のカフェでは、是非ティータイム時のケーキを真似て出すべきだ。食事と違ってケーキ類なら、ある程度安価に提供できる。

 

「華美ではないけれど物は良いのよ。私の結婚の時に、仕立て直して着てみようかしら」

「そうなされば、きっと皇后さまは大変お喜びになりますよ」

「姉上以上に豪華にする訳にはいかないしね。ウィルヘルムもそれが望ましいって」

 

 俺は目を見開いただろう。思わず姉上を凝視してしまう。

 

「……お決めになったのですか?」

「決めたわ」

「それは……おめでとうございます」

「ありがとう、リヒャルト。今日夕食の席で、父上たちにはお話するつもりなの。あなたに一番に教えたのよ」

「光栄です」

 

 そうか、姉上も結婚か。とうとう新無憂宮に住む兄弟は二人だけになってしまうんだな。いや、俺もいずれは独立するから、ここに残るのは、いつかは兄上一人になるのだ。

 

「アマーリエ姉上のご結婚の時は、未だ決めかねているご様子でしたのに、何か心境の変化でも?」

「母上に言われたのよ。ルードヴィヒのためにも、有力な貴族と結婚して、弟の治世を助ける手助けをしてくれって」

 

 えー、兄上の為に結婚するんですか? このクリスティーネ姉上みたいな、気が強くてジコチューな人が!

 

「この頃、ルードヴィヒは頑張っているでしょう? 財務省の官吏たちと色々話して、経済立て直しの立案をしているのですって。皇太子としての自覚がようやく出てきたのね。父上も目を細めているわ。母上の慈善事業にも積極的に関わっているし、これならば私も安心だわ。ルードヴィヒの為にも、頼りになる親族を作ってあげなくてはね」

 

 ……そんな理由で結婚してもいいものかなあ? もし結婚生活が破綻した時に、その責任を兄上に押し付けたりしないでくださいよ。

 

「ウィルヘルムはルードヴィヒと協力して、基金への寄進を継続的に行うそうよ。自家の持つ水耕プラント事業の侯爵家の収益を、これからは全額寄進するのですって」

 

 思い切ったことをするなあ。いずれ皇族の歓心を得るためだろうが、誰ぞの言ではないが『貴族は人気取りさえしなかった』に比べると、雲泥の差だ。まあ、その寄進がいつまで続くか眉唾ものだが。いかんいかん、又原作知識に捕らわれてしまった。リッテンハイムも馬鹿ではない可能性もアリ、と脳裏に止めておかなくては。

 

「義兄上も新婚旅行から帰られたら、是非その事業に参画させて欲しいって、FTLで連絡があったのですって。いい方向に進んでいるみたいね」

「……事業?」

 

 基金集めって事業かなあ。まあ、人気取り事業と言っても良いだろうが。

 

「財務官僚の何とかって男が、基金の運営が杜撰だと言っているそうよ。見直しをするんですって。運営の事務経費が高すぎるって怒っていたわ。ルードヴィヒにあんな物言いするなんて信じられないけれど、もっと驚いたのはルードヴィヒよ。遺族が貰う金額と役員の給与の乖離が酷すぎるって、基金の役員たちを怒鳴りつけたらしいわ。あの子ってそんな子だったかしら」

 

 ああっ! 今俺の頭の中に、『NPO法人への天下り』という単語が浮かんだぞ。やっぱりそういうことなのか! でも兄上が他人を怒鳴りつけるなんて、驚くべきことだ。覚醒したってことかな。

 

「母上もご自分が役員だったのにお気づきでなかったらしくて、ルードヴィヒと一緒に、役員報酬の見直しを始めたらしいわ。有爵貴族の役員は、軒並み年俸1帝国マルクにするんですって」

 

 おお、そういう見直しを上から堂々と押し付けるとは、さすが専制君主の妻と息子だ! 役員達はパニくっているだろうな。

 

「母上はルードヴィヒが変わったのは、大切な人が出来たからかもしれないって言っていたの。その人に相応しい男になるために頑張っているのではないかって。もしかしてあの子、好きな娘でも出来たのじゃないかしら。リヒャルト、あなたなら知っているんじゃなくて? 白状しなさいよ!」

「私は存じませんよ。でも兄上も、お好きな女性の一人や二人、いらっしゃってもおかしくないでしょう」

 

 本当は知っていますけどね……うん、兄上が変わったのはきっと彼女への愛の為ですよ。断じて、俺のせいじゃない……。

 

「本当に知らないの? 私には話さなくても、男兄弟のあなたになら話していると思ったのだけれど……。母上はご存知の様だったわ。妃候補は何人かいたわよね。ヴォルフェンビュッテル侯爵家の令嬢、ハーン伯爵の令嬢、ノイエ=シュタウフェン公爵家の令嬢、リヒテンラーデ侯爵家の傍系にも、確か有力候補がいたはずよ。いったい誰かしら……」

 

 その傍系ってコールラウシュっていうんじゃないでしょうね。いや、エルフリーデ嬢は俺より年下だろうから、それは無いか。

 

「ああ、そうだわ。言い忘れていたけれど、ウィルヘルムが、あなたに是非、リッテンハイム家のアドベント第一主日のお茶会へ参加して欲しいんですって。どう?」

「アドベントって明日からじゃありませんか?」

「だから言い忘れていたって言ったでしょう。行くって返事をしてしまったから、行くのよ! 日曜日だからいいでしょう」

 

 ヒドイ! 俺にも色々予定があるのに。たまの休みだったのに。

 この時代、過去の宗教はほとんど滅びているのに、こういうお祭りっぽい行事は今でも幾つか残っている。アドベントは『救世主降誕を待ち望む期間』という意味だが、今では何を待っているのか誰も知らず、ただ『アドベント』という名前と、祝祭期間だという認識だけが残っている。

 

「リッテンハイム家は、こういう行事をよく楽しむんですって。特別なお菓子とか出るそうよ。あなたも楽しみでしょ。楽しみよね!」

「……はい、楽しみです」

 

 仕方ない、この姉上の強引さに抵抗できるハズがない。明日の午後は、テオドールに護身術を習う予定だったが、急遽取りやめだ。特別な菓子ってシュトレンかね。俺はフツーのケーキの方が好きだよ。角の付いたバウムクーヘンが出てくれれば、一番嬉しいんだが。


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