大きなため息をついたのは誰だったのか。確認するのも億劫になる程には疲れていた。
一つよかったことといえば、寝ている彼の呼吸が穏やかになったことだった。
「…鳴狐さま、鯰尾さま、ありがとうございました〜。もう大丈夫だと思います。あとは目が覚めるのを待つだけですね〜」
「主さんが一番疲れたでしょう。俺看てますからお二人は夕飯に行ってください。向こうにいるのも心配してるかもしれませんし」
そうですね、と鳴狐さまと目を合わせる。彼が立ち上がったのを確認してわたしも身を揺らした。
「では、お願いしますね〜。軽く食べたらすぐに交代しにきますから、少しだけ待っていてください。怪我による発熱が見られますから、たまにでいいので頭の手ぬぐいを冷やしてあげてください」
「了解です」
ひらひらと振られる手に押され、わたしたちは客間を出た。日はもうこの本丸には当たらない。夕食には丁度いいくらいの時間だろう。
冷えた空気を吸い込むと、ずっと慌てていた心臓が落ち着きを取り戻してきた。
「…広間に行く前に、着替えましょうかね〜」
眠ってしまったお狐さまを撫でる鳴狐さまが頷く。こんな血にまみれた姿で食事をするのは忍びない。近い鳴狐さまの部屋の前で別れ、自室に戻った。
部屋に入り、本を元の棚に戻し、思う。
まさかわたしの元に来る通信役が彼だったとは。けれど、わたし以外に適任がいないのだろう。いい意味でも悪い意味でも彼とは相性がいい。それは、あの教育機関にいた時からわかっていたことだ。
「主」
「…ああ、着替え終わりましたか。少し待ってくださいね〜」
巫女服の紐をほどいてさっさと着替える。もう着付ける気力はないから、寝巻きに使っている浴衣を簡単に帯で止めた。
「お待たせしました〜」
わざわざ迎えに来てくれた鳴狐さまに礼を言って歩き出す。
厨からもその前の広間からもいい匂いと、囁き声が聞こえる。
「お三方とも、先に洗い物してくれてるんですか?」
「あっ、あるじ!大丈夫なの!?」
濡れた手を拭くタオルを持ったまま駆け寄ってくる。詰め寄られ縁側から落ちる寸前で鳴狐さまに支えられた。
「ええ、なんとか。お待たせしましたが、ご飯にしましょ〜」
「よかった…」
すっかり安心した様子に言葉が詰まる。わたしは今、ちゃんと笑えているのか。
すると、ああ、と清光さまが微笑んだ。
「散々人を殺してきた刀がなに言ってんだって?そりゃそうだけどさ、誰かが死ぬのって、辛いもんだよ。それが自分が殺した相手でもね」
「あ…ごめんなさい。わたし、顔に出ていましたか」
「まあ表情には出ていなかったけどね、人間の考えることはなんとなくわかるんだよ」
清光さまの後ろから出てきた青江さまが言う。これも付喪神である彼らの能力だと言うのなら、わたしは嘘もつけないし隠し事もできないことになる。本当になんとなくならいいのだけど、付喪神についての研究は、まだ微々たることについてしか分かっていない。
知られたくないことはたくさんある。神とは時に厄介なものなのかもしれない。
「さっ、ご飯にしよっ、あるじ。安心したらお腹減ったよ」
「そうですね、早く食べて鯰尾さまと交代しないと。みんなにもお礼を言わないとですね〜」
五人がぞろぞろと広間に入っていく。するとわたしを見つけた秋田さま平野さまが飛びつかんばかりに走ってきた。口にするのは彼の安否についてだ。
「大丈夫ですよ〜。多分、怪我の他は霊力を消耗しすぎた所為でしょうから、ここで一晩寝れば明日には紹介できると思います。皆さま、手伝ってくれてありがとうございました」
「あんくらいどーってことねぇよ!それよりメシー。腹減った!」
「はい、国俊さま。さあ食べましょ」
安心したのかみんなに笑顔が見える。わたしは刀剣に恵まれているようだ。人間でもこうはいかないことがあるのに…。
*** *** ***
自分は軽く食事を済ませ、客間で待つ鯰尾さまと交代する。静かな寝息を立てる彼が、小さく唸った。
「鳴狐さま、隠れなくてもいいですよ〜」
カタンと障子が開かれる。闇夜に光る双眼がわたしを捉えた。
障子が閉められると、足音もなく鳴狐さまが隣に座った。刀を隣に置くと、こちらを振り返る。
「何が聞きたいんですか?」
わたしは目も合わせず、寝ている彼に視線を置いたまま尋ねた。
門の前にいたときから様子がおかしいのはわかっていた。普段以上に話そうとしないのは何かをこらえているから。そして、正国さまが運んでおいてくれた荷物を先ほど確認したところ、わたしが注文していた本が一冊だけ入っていなかった。
その本が、わたしの足元に差し出される。
「…何故、主は名を教えた」
「名乗るのは礼儀であり当然のことですよ〜」
「それは違う。人間同士ではそうでも、付喪神は名で縛り、名さえわかれば神隠しに遭わせることもできる。何故、それがわかっていて教えた」
応えない。
鳴狐さまは普段に似合わず口を止めなかった。
「目を隠すこともしていない。目を奪われれば、人間は抵抗ができなくなる。審神者とは霊力があるものしかできない。それは、付喪神にとって、好物であるということ。それなのに」
「鳴狐さまが聞きたいのは、本当にそれですか〜?」
顔を上げる。苦々しい顔をした鳴狐さまがこちらを見下ろしていた。わたしは微笑んできちんと見据える。
話を聞きながら白昼夢を見た気がした。数年前、審神者を育成する教育機関に入学して一年たった頃を。
「…貴女は、何故、そんなに死にそうなんだ」
「ふふっ、死にそうですか?健康体ですよ、わたし」
一層鳴狐さまの顔に陰りが出たので、冗談ですよ、ともう一度笑った。
「霊力、でしょう。わたしは殆ど持っていませんから、死にそうという表現はあながち間違ってはいないかもですね〜。でもなんでわかったんですか?」
「結界が」
その一言で理解した。彼は一度、勝手に外へ出ていたのだ。そして触れた結界に違和感を覚え、この研究記録を懐にしまい、戻ってわたしたちを待った。そうして、わたしにカマをかけたのだ。『許可をくれ』と。まんまとわたしは外に出たことに気付かず、許可を出してしまった。
「結界を自分の霊力を使って張っていれば、まあ触れたものくらいわかるはずですからね〜」
わかった上でわたしを探るなんて容易いこと。普段みんなが余している霊力を身に纏い利用するその内側に、霊力がないことくらいすぐにわかってしまう。
打って変わって押し黙られる。これは話待ちということか。
バレないように小さくため息をついて、話す覚悟を決めた。
ここまで閲覧ありがとうございました!伏線…考えるのめっちゃ難しいです。うまくかけた試しがありません。精進せねば…!(追記8/21:題名を差し替えました)