大男がなんとか女を落ち着かせ、猫が状況をかいつまんで説明する。
といっても、猫との出会いからなので、取り立てて長い話になるわけもなく、私が出されたお茶を啜っているうちに終わった。
「はぁ、なるほどなぁ」
「この子が、死にかけてた野良を……魔法ってのはそんな簡単に使えるものなのかね?」
「どうなのでしょうね、主さま自身死にかけておられたので、生命の危機に瀕して才能が開花した、のではないでしょうか」
元魔王ということは、口外しないほうがいいというのは猫との共通認識のようだ。上手く誤魔化してくれている。
昔々の話であろうとも、魔王なんてのは悪そのものだろうし、そもそも信じてもらえないだろうしな。そう考えると猫は何で信じてくれたのか、よく分からない。
「そういうことがあるもんなんだねぇ。それにしても、自分も危ないってのに猫を助けるなんて、いい子ねぇ」
「お前さん、孤児かい?」
「孤児?」
女と大男から、からなんというか温かい視線を送られる。
そして出てきた単語を、聞き返してしまった。
意味は知っているが、自分の場合どうなるのか、というかそもそもこの身体は一体なんなのか、よく分からずにいる。
身体は人そのものであるが、どうにも私の魂というか精神というか、とにかく馴染んでいるのだ。
魔王のそれが馴染む肉体という、よくわからないモノ。空腹を満たしたら、またいろいろと疑問が沸いてくる。
思考に没頭しようとすると、猫の声が耳に入ってきた。
「ああ、主さまは記憶が曖昧なようで。無理な魔法行使の代償かもしれません。ただ、見た通りの恰好ですので、孤児だったのでしょう」
「なるほど、大変だったわねぇ」
「む。いや、むしろ今は腹も満たされて満足しているぞ」
頭の中に常に鳴り響いていた声もなく、満ち足りた気持ちに、これが幸せなのかとつぶやけば、大男と女に、なんとも複雑な顔をされてしまう。
二人は顔を見合わせると、大男がなにやら言い難そうに、それでも口を開く。
「なぁ、かかぁ……」
「はいはい、私も同じ意見だよ」
私にはまったく意味が分からなかったが、二人の間では会話は成立しているようだ。
女はこちらに笑顔を向けた。
「なぁ、あんた。行く当てもないんだろう、ちょっとの間、うちで働てみないかい? 住み込みの三食付きだよ!」
急な提案だった。
確かに行く当てもなく、頼れるのは猫だけの状況である。
力も大きく削がれている状況であるし、そもそも魔王のときの力が戻ったところで、それでどうこうしようという気持ちもない。
もちろん、積極的に人を傷つけたくもない。
解放されたが、したいことも特にない。
あの後のことを知りたいとは思うが、それも大きく願うほどではない。
身体については調べたいが、今すぐでなければいけないほど問題があるわけでもない。
どうにも、自分にはこの先の予定がまったくないようである。
それでもこの身体は腹は減るしな、とりあえずの目的は雨風凌げる場所と、食糧の確保か。
では、この男女の申し出はとてもありがたい、ありがたいのだが……
「それは……それは、ありがたいが、いいのか? 足を引っ張るかもしれんぞ?」
「なぁに、そんな難しいことはないわよ! それに娘が学校に通いだして人手不足でね、それこそ猫の手も借りたいくらいなのよ!」
「手伝える範囲で貸しましょう」
女の言葉に、猫が反応して前足を振るう。
カラカラと男女は笑う。
「はっはっは、こりゃいい!」
「難しく考えなくていいのよ。魔法が使えるなら、それこそいくらでも働き口はあるでしょうし。とりあえず落ち着くまでいなさいな」
「ああ……ありがとう」
なんとも、人の好意とはむず痒いものである。そして、嬉しいものでもあった。
「そうと決まれば……自己紹介がまだだったわね。わたしゃ、バロッサ・リヴァブだよ」
「俺は、ヴィロ・リヴァブだ」
「ああ、私は……名前がないな」
夫婦か、お似合いだな、と思いつつ、自分も名乗ろうとして、そういえば名もないことに気づく。
魔王のときは、魔王としか名乗っていなかったし、どうしたものか。
「あらら、そこも忘れちまったのかい?」
「そりゃ大変だ」
「とりあえず、仮の名前でも付けないとねぇ」
リヴァブ夫婦は、真剣な表情で悩みだす。
ちょっとして夫、ヴィロのほうが口を開く。
「なら、エーリスってのはどうだ?」
「ありきたりねぇ、まぁけど無難かね。どうだい?」
「うむ、それでいいぞ」
どこか聞き覚えのある響きに、私は即答した。
すると、横にいた猫が片足を上げる。
「ついでに私にもお願いできますか」
「猫の名前ねぇ、あんた雌よね?」
「はい、そうです」
「じゃあ、クロエなんてどうだい?」
「クロエですか……ありがとうございます」
嫁、バロッサからすんなり出てきた名前に、猫、クロエも頷き礼を言う。
「いえいえ。まぁ、エーリス繋がりなんだけどね」
「ほう、二つの名にはどういった意味が?」
クロエは興味深々といった様子で問う。
かくいう私も興味があった。どちらも聞き覚えがあったのだ。
「意味も何も、どっちも人物の名前よ。勇者の仲間、エーリス、クロエ、ってね」
「そ、それはそれは……」
「ああ! そういえば」
猫はとっさに私を見て言いよどむ。
私はといえば、どこで聞いたのか思い出してすっきりしていた。
「あら、勇者のおとぎ話は記憶にあるのかい?」
「んー、いや、どうだったか」
当事者ですとも言えずに、とりあえず適当に誤魔化す。
「あらあら、まぁゆっくり思い出せばいいさね。まぁとりあえず、あんたは夜の仕込み、そろそろいかないと間に合わないよ!」
「おおっと、やべぇやべぇ」
そう言うと、ヴィロは、また後で、と言い残して厨房があるであろう廊下の奥へと消えて行った。
それを見送ると、バロッサも席を立つ。
「私はエーリスの部屋の準備でもしようかね」
「む、手伝おう」
さすがに何から何までやってもらうのは悪いと思い、私も席を立って後に続こうとしたが、女にして逞しいバロッサの腕に止められる。
「いーや、エーリスはとりあえずその汚れを落としちゃいなさい! ついでにクロエも!」
「む……確かにちょっと汚いな。猫、クロエも」
自分を見下ろし、ついでに視界に入ったクロエを観察した結果、かなり泥によごれていることが判明した。
さすがにこれで家の中をうろつかれたら、迷惑であろう。
「分かったら、お風呂場にいくよ! 使い方を教えないとね!」
「わ、私、水はちょっと……」
「はいはい、きりきり歩く!」
「あきらめろ、クロエ」
渋るクロエを抱きかかえ、バロッサの後をついていくのであった。
人の風呂というのは、新鮮だった。そして気持ち良かった。
魔物と戦うために授けられた魔法を、更に発展させてこういうことに利用するあたり、さすが人だと感心してしまう。
まぁ、クロエはかなり渋っていたが、丹念に洗ってやった。
そうして、用意された服に袖を通し、クロエを抱えて先ほど食事した部屋に戻ると、バロッサが出迎えてくれた。
「あらあら、まぁまぁ、きれいになっちゃって!」
「さっぱりした」
まぁ、先ほどの泥だらけの状態に比べれば身ぎれいになっただろう、クロエも私も。
「服のサイズもよさそうね。娘の小さいときのだけど。他のも部屋に置いておいたから、好きに使っとくれ」
「なにからなにまですまない、ありがとう」
「気にしなさんな。明日からびしばし働いてもらうからね!」
バロッサは大きく笑う。
その顔に、私はなぜか安堵を覚えた。
期待に沿えるよう、商売の足を引っ張らないようにしないとな。
「ああ、頑張ろう」
「私も頑張りますよ」
私の決意に、クロエも同調する。
が、バロッサは強敵であった。
「あー、クロエは店の前で看板猫だわね」
「にゃ!?」
猫のように鳴くクロエを、私はなるべく優しく撫でていた。