自分が降り立った世界についてある程度理解したところで、各地に放った六体の影には引き続き諜報活動に励んでもらいつつ、忍の隠れ里探索もその目的に加えた。というのもナルトが異世界に飛ばされたのは、あの時発動させた空間移動忍術の失敗が原因だと考えられるからだ。いや、恐らく術式自体は正常に発動していただろう。が、そこに敵が発動させた巨大な力が横から加わった為に術式に影響して同時系列上の空間移動ではなく、時空さえも超えてしまう時空間移動になってしまったのだとナルトは憶測を立てたのだ。
忍に限らず、この世界の人間の中には中々に興味深い能力を持つ者がいるらしい。そのような人間が、移動系の術を使うとしたら。或いはその力が途轍もなく強大なものだとしたら。ナルトの持ち得る全ての知識を使って、もしかしたら元の世界に戻る事も不可能ではないかもしれない。
そう考えたからこそ、隠れ里探索も開始したのだが――。
(やはり隠れ里。そう簡単には見付からない、か)
何処の世界も忍の里というのは同じらしい。それどころかナルトの知る世界の隠れ里以上に隠されている。場所だけではない。忍、という存在自体が厳重に隠匿されているようだ。
(となると、初めに見付けたあの場所は幸運だったって訳だな)
初日の行動が決まった。
昨夜見付けた、鬱蒼とした森の奥にある妙な空気が充満する集落を調べよう。
第二話 隠れ里
諜報用に作った影は頑丈に出来ていない。そのため、多少なりとも戦闘の可能性があるならばナルト本人が動く必要があった。
影から得た記憶を頼りに、同じ道程で目的地まで駆けて行く。後ろへ流れていく景色は、今が太陽の高い昼間の所為か、昨夜見た不気味な森とはまた違って見えた。密集して立ち並ぶ樹木も地面を覆い隠す植物もしっかりと根付き、瑞々しい色をしている。それだけを見れば普通の森だった。
(気に掛かるのは、この気配。匂いも何もないのに……やたら濃厚な空気の層ってとこか。人為によるものか自然によるものか、どちらにせよ厄介だな。感覚が引き摺られる)
まるで樹海だ。
体内時計も己の鋭い方位感覚もその役割を確かに果たしているのに、一旦それを意識してしまうと途端に自身の位置を見失ってしまう。一歩誤れば足元から崩れ落ちるような感覚。人の気配が感じられなくとも僅かな気の緩みは許されなかった。その緊張感は精確な作戦遂行を要求される一級任務のようで、どうしようもなく気持ちが昂る。冷静さを呼び戻そうとして暗部面を被り直すが、口許は自然と弧を描いた。
程なくして、木の上を駆けていたナルトは崖下に集落が見える位置で地面に降りた。人々は簡素な着物を着て、それぞれの生活を送っている。ある者は水を運び、ある者は洗濯物を干し、ある者は談笑に勤しみ、その大人達の間を幼い子供達が縫うように走り回る。何処にでもあるような、穏やかな日常の一幕がそこにあった。
ナルトはツイ、と視線を動かした。
村の最奥に手前の家々よりも少々立派な建物がある。恐らくは里長の住居だろう。その周辺では齢十ばかりの子供から青年と呼ばれる年代の大人までが組み手をしたり、投擲したりと身体を動かしている。
彼らの一般人よりもしなやかな身のこなしに、この里が何であるかを悟った。
(ビンゴ! 第一隠れ里発見ってか。さてさて、この里の忍術でも頂くと――)
「……っ!」
「それ以上は動かん方が身の為じゃ」
声と同時に刃先を喉元に押し当てられるまで気付かなかった。
(何者だ、このジジイ……)
反射的に攻撃態勢に入りそうになる身体を一瞬の内に理性で押さえ込み、無理矢理力を抜いて取り敢えず無抵抗の意思表示をする。相手に敵意は別として、殺意がないのは分かっていた。殺す心算ならば元よりナルトが気付く前に喉笛を掻っ切っていた事だろう。
ナルトの葛藤に気付いたのか、背後の人間は僅かに力を緩めて肩を震わせた。
「ほっほっ、良い判断じゃ。此処に辿り着けた事と言い、中々優秀な忍じゃの」
「お褒めに預かり光栄なこった。俺もアンタ程の手錬れは久々に見たぜ」
「そうじゃろうとも。儂みたいな人間がそこらにおっては世の中大変な事になるわ」
ナルトの背後を取る実力と言い、この少々癇に障る軽口と言い、何処かの狸爺を髣髴とさせる言動にナルトは眉を寄せた。
「して、他里の忍が何用かの?」
さて、どのように答えようか。
持ち合わせている答えは到底信じられるものではない。無論話す心算などないが。
ナルトは思考を更に展開させる。
首にクナイを押し付けられた状態で如何にこの場から離脱するか。ナルトの背後をいとも簡単に取った実力を鑑みるに、他里の怪しい忍相手に平和的解決を許すほど、この老人は優しくないと判断するのが普通だ。殺す気はまだないとしても、捕縛されるのは必至。となると、この場からの脱却において恐らく戦闘は回避出来まい。ならば折を見て隙を作り、逃げ出すのが妥当な手段だろう。
「どうした、答えられんか?」
「そうだな、答えにくい問いではある」
「ふむ、それは困ったのう」
全く困っていなさそうな口調でそう言うと、一拍の後、老人は再び口を開いた。
「ならば質問を変えようか。お主、何者じゃ?」
「それはまた抽象的な質問だな」
「何、至極簡単な質問じゃろう? 生まれの里、所属する城、立場、或いは名前。何でもアリじゃ。ほれ、答えてみい」
「何でもアリ、ねぇ……なら俺が言える、俺を表す言葉はこれだな。"逸れ鳥(はぐれどり)"今の俺にピッタリの言葉だ」
嘘は言っていない。
「……逸れ鳥、とな……? 何ぞ逸れた」
「ちょいと訳アリでね。……っ」
老人の思いのほか静かな声色に思わずナルトは答えてしまった。答える心算などなかったのに、しまったと思ってももう遅い。口に出してしまったものは取り返せない。詳しく言った訳ではないから大丈夫だと言うのは気休めにもならないだろう。恐らく老人は何かを悟ってしまったに違いない。
長いようで短い沈黙が痛い。
お互い忍なのだから、そういう事は流して忘れてさっさと始末なり何なりすれば良かろうに、きっとこの老人はそうしないのだろう。
出会ってまだ数分しか経っていないのに背後の老忍がどう動くのか、ナルトは軽く予測出来てしまった。
「仲間は」
「いない」
ほら。
このジジイ、何処も彼処も三代目火影と似てやがる。
「家族は」
「元よりいねェ」
「家は」
「ねェな」
「里は。生まれ里は何処にある」
この手のタイプに嘘は禁物だ。いや、嘘を吐いても直ぐにばれてしまうのだから、無意味な事はしない方が良いだろう。それよりも嘘を吐く位ならば、真実を隠して本当の事を少し話す程度で十分だ。
「……、何処にも?」
いっそ分かりやすい程に誤解を重ねた事だろう。だが、罪悪感など当の昔に捨てているのだ。この場を切り抜けられるのなら、同情でも何でも利用する。それが忍の生き様だ。
感情さえも捨て去って幾つもの死線を潜り抜ける忍である事をナルトは誇りにさえ思っていたし、それが己の生きる道だと信じてもいた。
それでもナルトは生きている人間だ。熱のある人間なのだ。
「もう一度聞く。此処に来た理由は何じゃ」
この火影に似た老人に対して湧き上がるのは罪悪感ではない。
彼の人が亡くなって久しく忘れていた、――懐かしさ、だった。
「里を、見に来た。それだけだってばよ」
「……そうか」
それきり口を噤んだ老人は徐に首元からクナイを引いてそっと一歩の距離を置き、「訳あり、か」と呟いた。
背を向けたまま老人の様子を気配で探ってみると、既にクナイは仕舞われているらしかった。完全に警戒を解いた様子の自然体そのまま。何処にも気負った気配がしない。ナルトは少し意表を衝かれたと思った。
「……まさか、今の信じンの?」
「住処も寄る辺もないハグレなんじゃろう、お主は?」
そう言ってから老人はクツクツと可笑しそうに喉を鳴らした。
「儂らは互いに忍同士。疑容易ク信成リ難シ。疑い始めればキリがない」
「それが仕事であり、忍の性だからな」
「それでは話が前に進まん。故に儂はお主の信を得る事にしたのよ」
簡単に言ってくれる。
「ハ、人としちゃあ美徳かもしんねェが、忍としちゃあ致命的だな。此処で今俺がアンタに切り掛かったらどうすンだよ」
言葉だけでなく態度にして示してみせる。
ナルトの手の中には先まで無かったクナイが一つ握られていた。そして何時でも反応出来るように、すぐさま切り掛かれるように、神経を尖らせて四肢を程よく緊張させる。敵に背中を見せていても、それはナルトにとって何のハンディにもならない。
「ふうむ、それは正論じゃな。忍の正しい在り方じゃ。確かに若いお主と老い耄れの儂では勝敗が見えとるし、純粋な力勝負では流石に敵わんよ。じゃがな、若いの。この老い耄れとてお主に勝てるものはあるのよ」
「何だ、経験とでも言うつもりかよ」
「そう、一つは経験。その重要性もお主ならば理解しておるだろう。しかし儂が言いたいのは経験だけではないぞ。背中を向けとるお主には分からんかのう。儂が勝てるもの、それは――"眼"じゃ」
「……」
「人を見る目よ。そしてそれは経験に裏打ちされた確かなもの。風魔の慧眼の名は伊達ではないぞ」
"風魔の慧眼"――それは風魔が隠れ里々長の異名。
ぞくりと背中が粟立った。老人が纏うのは上に立つ事に慣れた者が持つ、独特の気配。先程までの剽軽で軽い気配が、今では威圧感すら伴って妙な空気の層と共に周囲を制している。
慣れている、それでいて久々の肌を突き刺す鋭い感覚にナルトは忍び笑った。
「その儂の眼がお主を敵ではないと判断した。然りとて、それだけでは信じられんじゃろうから、一つ見せてやろうかの」
「ほう? 何を見せてくれるんだ?」
「ふむ、ならば背中しか見せんお主を暴いてやろうか」
堂々とした威圧感を霧散させて、再び軽快な気配を纏い直す。その端々に、悪戯を仕掛ける子供のような楽しそうな色が垣間見えた。
ナルトは今、身体のラインすら見せない厚手のコートを羽織っている上にフードも目深に被り、背を向けているが暗部面でしっかりと顔を隠している。しかもコートから伸びた手足も鉤爪の付いた手袋や脛宛てなどが肌を覆い隠しているので、一般人ならば思考を読み取るどころか性別すら判断するのにも苦労するだろう。表面的な事柄から得られる情報は殆ど無いと言える程に少ないと思われる。
「へぇ、俺を?」
「まずは歳。お主、二十にはなっておらんじゃろう。恐らく十八か十九。若いのう。じゃが、忍としての経験は同じ年頃の者を遥かに超えていよう……うむ、幼くして任務をこなしていたからか、単に素質があったからか。お主の場合はその両方か? 幸か不幸か、それが今のお主たらしめているものじゃろうが……、この弱肉強食の世界でその力は正しく強者。我が里の基準で言えば上忍、それも上級の上忍以上。忍組頭や何かしらの長、又はそれに準ずる地位に就いた事もあろう。気配の消し方を見るに、諜報の類もかなりの腕じゃな。とは言え、お主の本質は戦忍に向いておる。ああ、それから両方使えるようじゃが、利き腕は右……」
老人の前で殆ど動きらしい動きを見せていないにも関わらず、この推断力。たったこれだけの時間でこうまでも相手を読んでみせる力量は、ナルトの知る誰よりも凄まじいものだ。
ナルトは十八、今年で十九になる。とは言え、これは声を聞けば大体の判断が下せる簡単な技術だ。声から年齢を割り出すなど、ナルトも出来る。加えてナルトの実力の事にしても纏う気配の鋭さや身のこなし方、気の配り方等から凡そを推し量れるものだし、そもそも風魔の格付け基準などナルトは知る由もない。利き腕の事もクナイを握ったのは右手だった。
確かにこの短時間であそこまで推察してみせるのは、凄い事かもしれない。だが――。
「……それだけか?」
だが、それだけだ。
決定的な何一つをこの老人は見せていない。
たったこれだけでナルトを読んだ気になっている。風魔とはこの程度なのかと、ナルトは落胆の色を隠しもせず溜め息を吐き出そうとした。
「――だと、思うか?」
ナルトの溜め息を喉の奥に押し込めたのは、鋭い舌鋒。続いて酷く愉悦に満ちた含み笑いが口端から漏れて、ナルトの鼓膜を揺さ振った。
思わず振り返ると、老人は白い顎鬚を撫でながら「それだけだと、思うかの」ともう一度、含むように言った。
「これしきの事でお主が納得するとは思っとらん。儂はお主の信を得ると言った筈じゃ」
暗部面の奥から覗く老人の顔はやはり三代目と何処か似通っていて、ついつい期待してしまう。この狸ならばナルトの予想を超える何かを仕出かすだろうと。
「何を、視た……?」
「お主の姿を」
今度は老獪さを笑みに交えた老人は、ナルトの爪先から天辺までを見遣ってから納得するかのように一つ大きく頷いて言葉を続けた。
「真正面から見て確信したわ。お主、今は男の形(なり)をしておるが、本当は女子じゃろう?」
「――っ!」
「髪も瞳も隠れて見えぬが、それさえも色を変えておるのじゃろうて。念入りな事じゃ」
「……マジ、かよ」
驚きを隠し切れなくてうっかりそう零すと、老人は得意気に笑ってみせた。
(これが、"風魔の慧眼"……)
上には上がいる。いつだってナルトはそれを脳裏に刻み己の力を過信せず、またどんな相手でも過小評価しないように気を付けていたが、これは予想以上だ。
疑って信じなかった己をこんな形で覆された。そのやり口、実に見事。ナルトは内心で柏手を打った。痛快過ぎて、笑いが込み上げてくる。
「は、はは! 只モンじゃねーな、ジジイ! ってか、そりゃ慧眼じゃなくて千里眼だっつーの! ははっ堪んねェ、流石の俺も勝てねェわ!」
変化だと悟られるのならばまだ考えられる。しかしこの狸爺は本来の性別を、確信を以て言い当ててみせたのだ。どうして分かったのか、己の忍術に自信のあるナルトには皆目検討もつかないが、この際、理由云々などはどうでも良い。相手が慧眼を持つと言われる狸だからと軽く思考を放棄して、振り返ったままの半身をくるりと回転させると改めて老人に相対した。
少しの躊躇もなくフードと面を取り払い、同時に変化も解く。生い茂る木々の枝葉を潜り抜けた幾筋かの日の光を受け、輝々として反射する黄金色を視界に収めた老人が僅かばかりに瞠目するのを見て、ナルトは空色の瞳をそっと細めた。
どこまでも忍で在ろうとした己に信を見せてくれた礼と、――僅かばかりの意趣返しだ。
やられたまま大人しく引き下がるのはナルトの性分ではない。年の功か経験の差か、驚愕からの回復は予想よりも早かったが、それでもこのいけ好かない老人の反応には幾分か気を良くした。
「己の魅せ方を良く知っとるようじゃ」
ナルトは口許に笑みを浮かべたまま答えない。が、当然老人も分かっているだろう。
見極めは一瞬、沈黙は一拍。堪え切れずに笑い出した老人はナルトの前を通り過ぎるように、するりするりと歩み始めた。
「付いて来い、若いの。儂が里を案内してやろう」
「へぇ、恐れ多くて鳥肌が立つね」
「よもやお主がそれを言うか! 口の悪さは一級品、しかも舌はよく回る二枚舌じゃと? カカッ、やはり若いのはそれくらい活きが良くないとイカンのう!」
「はん、ジジイはもう少し落ち着けよ。あんまりはしゃぐと頭に血が上ってポックリ逝っちまうぜ」
「心配ご無用。"憎まれジジイ、世に憚る"じゃよ、知らんのか?」
「妙な標語を作ンじゃねえよ」
「おお、お主もそう思うか! 作った儂も思ったぞ。言い得て妙な標語じゃろう」
「さり気に言い換えンな! っつか、何だその上手く言ったみたいな顔は! なんかムカつく、すげぇムカつく。オラ、足元がお留守だぞ。さっさと"逝"け」
「なんじゃなんじゃ、出会って間もないというのにもう反抗期か。あまり苛々しては可愛い顔が台無しじゃぞ」
「誰の所為だよッ! ……ったく」
簡素な大門が見え始めた所で軽口の応酬を止め、ナルトは再び姿を変えた。フードは下ろしたまま、暗部面は顔の横で結んでおく。
老人の後に続いて僅かに開いた門の隙間から身体を滑り込ませると、崖の上から観察していた小さな集落が眼前に広がった。見慣れぬ人間の姿に人々の視線が自然と集まり、その素性を憶測する密やかな話し声がナルトを中心にして扇状に伝播していく。村人の好奇心旺盛な様子は気付いていたが、初めて見る知らない村の景色からナルトは暫らく目が離せなかった。
やがて数歩先でナルトを振り返り、村を背負った老人は鷹揚に両手を広げて高らかに宣言した。
「今日から此処がお主の里じゃ!」
その言葉に息を呑んだのは、村人の方だ。
この老人はとことん人を驚かせるのが好きらしい。
「……そしてこの儂、風魔一族当主風魔弥彦がお主の家族よ」
その慈しむような表情の、目尻の皺数さえも火狸と重なる。そう考えて、ふと思った。
彼方の狸が火狸ならば、此方の狸は風狸(かざぬき)か。余程己は狸と縁があるらしい。
ナルトはこっそり苦笑を零した。
「して、お主。名は何と言う?」