虚ろな円に、少女は何を得るのか。
Empty Circle
10年前、父は帰ってこなかった。
魔術師として私に接して来た父。そのあり方に疑問はなかった。そんな父を心より尊敬していたから。だから、私も同じ道をたどろうとしている。
時計の針が午前2時を指そうとしている。私にとっては最も相性の良い時間帯だ。令呪も顕現し、準備は万端であった。惜しくらむは聖遺物を入手できなかったことだが、そんな事は些事だ。遠坂の娘として、必ずしや、最高の英霊をーー
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。
降り立つ壁には風を、四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
繰り返すことに五度。
ただ、満たされる刻を破却する」
いざ、時が満ちる。
「Anfang」
私は今、神秘を成し遂げる器となる。
「告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うなら応えよ。
誓いを此処に。
我は常世全ての善と成る者、
我は常世全ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来れ、天秤の守り手よ!!」
全てが満たされる、私と言う器に流れ込む力の潮流。溢れる寸前まで達し、そしてプツリと、唐突にそれは消えた。
色の無い刻印がただ左手に刻まれただけ。高揚感は、波のようにすっと消えていく。
「時計、おかしかったんだっけ…」
許されない失敗。
こうして私は、マスターとしての資格を得ながら、サーヴァントを召喚することができなかった。
ーー遠坂たるもの、常に余裕を持って優雅たれ。
そんな大切な家訓を脳裏へ追いやるほど、遠坂凛は慌てていた。この10年間、大好きだった父を喪いながらも、一人でその背中を追い続けた彼女からは、想像もできない姿。
もうすぐ夜が明ける。あれから不眠不休で父が残した膨大な文献をほぼ総て検分した。だがどこにも、令呪を得ながら召喚に失敗するなどという馬鹿げた記述はない。
確かに魔力不足に陥れば、サーヴァントを現界させ続けることはできない、とはあった。しかしそれは三大家である遠坂の血筋をしっかり受け継ぎ、潤沢な魔力を持つ凛には当てはまらなかった。念には念を入れて、資産の大半である宝石さえ溶かしたのだ。
だが現実にはどうだ?遠坂凛は失敗した。
10年間の孤軍奮闘で全ての壁を一人で跳ね除けて来た彼女の、初めての挫折であった。落ち着けと言う方が酷なのかもしれない。それでも、凛は諦めなかった。決して諦めることができなかった。
「何なのよもう!?」
一縷の希望すらない暗闇の中、凛は死に物狂いで僅かな可能性を掴もうと足掻いた。鼻の奥がツンとする。ただ一度も流さなかった涙を、溢れ出す前に飲み込んで、ただただ、父が残した資料と言う資料を読み漁った。
ふと、千々に乱れた思考を現実へ引き戻す電子音が、古めかしい洋館に響いた。どくん、と心臓が高鳴る。彼女は電話の主の見当がついていた。
恐らくは彼女の兄弟子にあたり、後見人も勤めている、あのいけすかない神父だろう。聖杯戦争の監督者が、このようなイレギュラーな事態を見逃すはずもない。
つぅと汗が頬を伝った。そうだ、サーヴァントの召喚ができなかった自分は、聖杯戦争の生き残りどころか、参加が出来ないと言う自体すらあり得る。情けないことに、指先が震えた。もしかすると監督者である言峰から何か聞き出すことができるかもしれないが、今の彼女には彼の人に向き合う勇気などなかった。
結局、耳障りな電子音が止まるまで、凛は地下室から一歩も動けなかった。
夜明けから2時間。
凛は依然と椅子の背にぼぅっともたれかかっていた。希望など何もなかった。この逆境から、少しでも脱するために、己を少しでも助けうるものなど、なにも。大切なペンダントを握りしめる。
こんなの、私らしくもない。たかが、使い魔一騎いなくたって何たって言うの。そんなものなくたって、遠坂凛は聖杯戦争を勝ち抜ける。勝ち抜いてやる。
元よりどんなイレギュラーも覚悟の上だったのではないか。出だしで少し失敗したからって、まだ皆スタートラインに立ったばかりだ。
くだらない懺悔も感傷もいらない。第一、令呪それ自体は顕現したのだから。私はマスターだ。
色を失っていた瞳に、小さな灯火がもどった。
そうよ。例えこの先どのような戦いを強いられても、決して投げ出したりはしない。それが、私の、遠坂凛の在り方だから。
まずは、あのなまくら神父をどう説得するかよね。
凛は、教会へと急いだ。