身を守りたくば、
Frozen Flame -1
頭が割れるように痛い。桜は眩い電灯の光に目を覚ました。見たところ、病室のようだ。左手には管が通され、体のあちこちが包帯とガーゼに包まれている。そして身体中に残る激しい痛み。
「…私、どうして……」
「気づいたかっ、桜!」
「先輩っ!あの、姉さんと、クレイトスさんは…」
「……」
無理やり体を起こしたと同時に、衛宮士郎が病室に飛び込んできた。姉も頼りの英雄も居ない。加えて、間桐から助け出された後の記憶がひどく混濁してる。
「覚えてないのか?桜…悪いが、凛は聖杯戦争で亡くなった」
「え?」
そんな事は、あり得ない。心の中で誰かが嘘だ、と吼える。最強の戦神と契約し、自分と違って多彩な魔術を操る姉が負ける訳がない。
「…詳しく、教えてください」
「桜…」
「……………」
「……………分かった。ショックかもしれないが、出来るだけ冷静に聞いてくれ。
凛は無銘のアーチャーを呼び出して、俺はセイバーを呼び出した。それで、2人して同盟を組んだが、教会で説明を聞いた帰り、バーサーカーにやられたんだ。
俺は何とか重傷を負ったセイバーを運んで帰ったが、その時に足止めをしてくれたのが凛だった。桜、お前はそんな凛の仇を取るために聖杯戦争でスパルタの戦士を呼び出したが、アインツベルンの森で返り討ちにされて、ここに運ばれて来た。
残念ながら、お前のサーヴァントの行方は分かってない」
おかしい、余りにもおかしすぎる、だってクレイトスと契約したのはーー
「クレイトスさんと契約したのは、私ではなく、姉さんではないですか。そんなの、ありえなーー」
「落ち着け、桜。自分の左手を見てみろ。クレイトスを呼び出したのは、桜だ。召喚されてすぐ、間桐の屋敷から助け出してくれただろう」
いや、違う。あの夜、確かに姉も傍にいた。だがこの令呪はなんだ?確かに黒ずんではいるが、姉のものとそっくりだった。令呪はサーヴァントによってそれぞれ違った模様が顕現する。では、本当にーー?
ふと、窓の外に、軽やかな羽音が聞こえた。外は満月の夜である。黒々とした木の枝に、一羽のフクロウが舞い降りた。何もかも射抜くような、黄金の瞳をじっと自分に向けている。急に、自分を取り巻く現実が何もかもハリボテのように感じた。身を焼くような不安定感。
「ありがとうございます、先輩。暫く、一人にしていただけませんか?」
「桜…分かった。外すよ。外にいるから、困ったら呼んでくれ」
ポンと、頭の上に少年の温かい手が置かれる。その体温が、これは現実だと告げていた。温かい涙が頬を伝う。どうして、この手かあの無骨な軍人のそれでは無いのだろう?
ーー
ふと、喪ったはずの姉の声が耳元で囁いた。梟。ふくろう。ぞくり、と背筋が強張る。遠ざかる羽音を聞きながら、桜は眠りに落ちた。
「はい、良いですよ。遠坂さん。明日には、退院できるでしょう」
結局あれから一週間。桜は病院で治療を受けていた。記憶は戻らなかったものの、体の傷は殆ど癒えていた。そして、大切なものを喪った空虚感と共に、桜はハリボテの現実を受け入れつつあった。
「こちらは私の直通番号です。貴女の記憶の混濁については、緊密な予後観察が必要ですから、何かありましたら遠慮なくこちらへご連絡ください」
担当医の女性が柔らかく微笑む。灯りを反射して、宝石のように美しい、碧色の知的な瞳が慈母のように細められる。深い叡智を宿した眼差しに、何故か少したじろいで、桜は視線を落とした。
「ご親切にありがとうございます。ここまで回復できたのも、先生のおかげです」
ふと、左手の中指をくるりと囲う銀の指輪が目を引いた。ふわりと翼を広げた森の知者。まん丸とした瞳の部分には、琥珀の石が嵌め込まれていた。一瞬、ハリボテの現実が歪む。無数の同色の瞳に睨まれているような錯覚を覚え、体が強張る。再び姉の言葉が木霊する。
「フクロウが気になりますか?私の家系に縁があるのです。医師にしては派手すぎるかしら?」
「…いいえ、素敵だと思います。
努めて平静に笑顔を作り、桜は診察室を後にする。
左腕につながった点滴の掛かった支柱台を押しながら、少女は一人思案する。病院での日々は、バーサーカーに返り討ちにされた自分にとっては当たり前すぎる処遇だった。スタッフはこれ以上なく親切で、担当医の彼女は我が子のように労わってくれる。それでも、どこか綻んでいるのだ。この現実に違和感を感じることこそ正気の沙汰ではないかもしれない。けど、彼女たちの好意も笑顔もどれも人間味がなく、記号としてのそれのように感じた。彼女たちの中身はなんだろう?私が投与されているのは、なんだろう?
遠くの森で、梟が鳴いた。
翌日、姉と自分の後見人である言峰に迎えられ、桜は遠坂邸に帰宅した。手伝おうとする神父の申し出を断り、遠坂邸の結界をかけなおす。姉と過ごした期間は短かったが、自衛のためだと、これだけは何度も練習させられていた。窓を開け放ち、空気の入れ替えをする。冷たく遠い冬の日差しに、思わず涙が零れそうになった。
部屋は、あの日姉達が出て行った時のままの状態だった。どうして、こんなにも気配は近いのに、触れることができないのだろう?だが、そんな泣き言は言って居られなかった。あの2人が打ち倒されたなど、到底考えられない。失われた記憶と、真相を手繰り寄せられるのは、自分だけなのだ。
部屋の片づけも兼ねて、桜は姉が残した資料や聖杯戦争開始以来やり取りした荷物を
そう言えば、何故あの事件でクレイトスは姉の元に向かったのだろう。姉が頼った教授は、確か誰といったか、若くも優秀な考古学者で、偶然珍しくもスパルタの出土品を鑑定用に送られたと言っていた。サーヴァントであれば確かにマスターの居場所が分からなくもないが、彼があのタイミングであの場所にいる理由がない。
姉は恐らく、クレイトスの正体を知るために、あの場に居た。僅かでも手がかりが欲しかったのだろう。その時は姉とお互いが聖杯戦争でマスターになってたとも知らず、クレイトスの事は隠していたから…いや、それはおかしい。自分がクレイトスを知ったのは、間桐邸から脱出したあの晩が初めてだった。それまでは、凛ともそこまでは接点がなかった。何かがずれている。
手元にある書簡に目を移す。親書であるそれには、丁寧に他人が開封できないよう魔術が施されていた。加えて封蝋は金色の梟。森の智者と言われたその鳥は、羽をたたんだ姿で封筒の上に鎮座している。中身は姉が抜き出し、別に保管してあった。何の変哲もない、クレイトスを示唆するような伝承の断片である。それよりも、封筒の方が気になった。近頃自分はどうも梟に過敏である。
封筒を手に取り、しげしげと眺める。一見何の変哲もないそれ。だが、触っている内に、妙な違和感があった。試しに逆さまにしてみると、子供用の青い首飾りが落ちた。擦り切れてボロボロだったが、ペンダントの石だけは、未だに静謐な湖のような輝きを放っている。一目で貴重なものだと分かった。試しに自分の首に当ててみる。長さからして、幼い子供用の物だった。
ーー戯れに…に与えた物だ
簡潔な男の言葉が頭に響く。ここに居ない英雄の深くて沈むような声は、まるで耳元で囁かれたかのように温かかった。鋭い頭痛がする。肝心の言葉が思い出されない。そこだけ砂嵐にかき消されたように不明瞭だ。こめかみを抑えながら更に詳しく封筒を検分すると、ひらりと、一枚の紙が舞い落ちた。
「
姉の影響で、かの英雄の所縁のことはかなり調べた。特にギリシャ神話についてははっきり覚えている。カリオペとは、確か美声を意味する、叙事詩を司る女神だった。そこまでわかるのに、どうしてもクレイトスとの関連性が分からない。
ーーあれが得意だったのは、歌よりも笛だった
懐かしむように目を細める男の横顔が脳裏に浮かぶ。冷酷で無慈悲な戦士があの様な表情を見せたのは、後にも先にもあの時だけだったように思う。もう一度、その名を復唱する。そう言えはあの時、男は同じ様な首飾りを握りしめていた。
そっと、ペンダントに触れる。静かな湖底の様な色をした石は青い炎の様な輝きを宿して居る。まるでそうするのが当たり前かのように、桜は慣れた手つきで自分には小さすぎる首飾りを手首に巻きつけた。クレイトスとの唯一の繋がりをどうしても離すことはできなかった。
翌日、桜は姉がかつて赴いていた大学図書館にいた。姉の知人である考古学者が亡くなった場所は何と無く気味が悪かったが、ここが全ての始まりのように思えた。ギリシャ神話の神々に関する辞典を捲る。
梟と言うと、真っ先に浮かぶのが、智慧の女神アテナである。アテーナイを収めていた彼女は、平和のための戦役を主宰し、人々に知恵を与えたという。そんな女神が使いとして使っていた鳥が、梟だった。森の智者と言われ、夜目の効く監視者であるその鳥が、古代ギリシャで、アテナとともに銀貨の表裏を飾ったのは、あまりにも有名な話である。
姉はその梟に注意しろと言った。だが、仮にそれがサーヴァントを指しているとすると、少し無理のある話である。いつか言峰神父が言っていたが、聖杯戦争の目的は根源への到達。その過程にはつねにアラヤによる抑制力が働く。だから、女神やそれに準ずる神霊を呼び出すなどたいそうなことは不可能だ。万能の願望器とは言え、召喚しうるのはせいぜい伝承の英雄である人か、それに準じるものでなくてはならない。
「神話がお好きなのですか?」
「あっ、はい。少し、調べ物をしていました」
唐突に投げかけられた問いに、戸惑いながら少女は答えた。美しい緑の瞳を湛えた女性が、向かい側に腰を下ろす。
「
「今週の日曜日は当番ではないの。偶然通りかかったものですから。私以前この大学の研究室に在籍したことがあって、懐かしくて」
にっこりと、優しげな微笑みを浮かべる彼女が、桜はどうしても苦手だった。限りになく無機質な記号に近いその優しさは、毒のように神経を麻痺させるものだと感じる。無意識に内なる自分を閉ざしながら、当たり障りのない受け答えを続ける。
「そうでしたか。きっとたくさんの思い出が詰まって居るんでしょうね」
「楽しかったわ。最も、私は研究室にばっかりこもってましたから、お披露目できるエピソードがあまりないけれど」
桜はあくまで自然に医師への興味を示し、さりげなく来歴について話すよう促した。
「勉学に励まれたのですね。私も見習いたいと思います。すみません、ちょっと約束があるのでそろそろ失礼しますね」
「貴女と話せて良かったわ。今度、是非ともお茶に行きましょう」
「ええ、是非」
野に咲く花が綻ぶように、桜はふんわりと笑った。その微笑みは全幅の信頼を寄せた相手に対する物のように見えた。
「どうだった、女神?」
「貴方の機転でトオサカの娘のうち一人はもう脅威では無いでしょう」
「それは良かった。あの娘の悲痛な顔は中々の見ものだった」
「感謝しますよ、コトミネ」
「それで、もう一人はどうするつもりかね?」
「捨て置けば良いのです。彼女は確かに危険ですが、ただの人である以上、生き残ることは出来ないでしょう」
「見届けるのか?」
「私は
それは貴方に託しましたよ。私の目となり、貴方を導くものとなりましょう」