「帰ったか」
ようやく帰り着いた我が家に、少しだけ肩の力を抜く。スパルタの英雄は、壁際に腕を組んだまま
「…届け物?」
クレイトスが回収してくれていたらしいポストの配達物の中には、分厚い封筒が混ざっていた。古めかしい封蝋の紋章は、金の梟を象っていた。大師父にあたるゼルリッチの弟子の一人が寄越したものらしい。その証拠に、本人以外開封できないよう、遠坂家に縁のある宝石魔法が施されていた。
封筒の中身には、待ち望んでいたスパルタの叙事詩の一部が入っていた。情報収集のため、一門の伝手を辿ったところ、
古めかしい羊皮紙にはある神代の伝承が乗っていた。神と人との間に設けられた子。呪われた灰を纏う最強の戦士が、いかにして呪いを踏破し、戦の神を屠ったのか。その血塗られた軌跡が描かれていた。
神話には、その男が人の身でありながら、敵をうち滅ぼす力を求めるあまり、自らの妻子でさえその手にかけ、生贄としてささげたとされていた。何となしに落胆する。クレイトスについては、反英霊だとは覚悟していたが、このような狂人だったとは、俄かに信じがたかった。
「よくいらしたわね。遠坂さん」
数日後、凛は学校を休んで、件の出土品と対面してた。普段の知的な態度とは一変して、
「もうすぐですのよ。私たちは幸運だわ。アテナイならともかく、スパルタ関連の、それも伝承に関する物は滅多に出土しないの。楽しみだわ」
恋人を待ちわびているかのように頬を赤らめる
「発掘した骨格については、成人した女性と、小さい女児の物らしい。だが変だな。この刃物の先端がこの骨を砕いた跡にぴったり一致するんだ」
「おかしいわね。この刃物はスパルタの物でしょう。そしてこの女性たちの装飾品も。スパルタでは成人男性は多く出征してしまうから、子を生む女性は達は、寧ろ貴重だったはずよ。それをなぜ、同じスパルタの女性を殺したのかしら」
「さあね。それは分からない。だけど、子の装飾品から見て、少なくとも身分のある兵士、将軍とかが、彼女たちを殺したらしい。信仰については僕の専門じゃないから、何とも言えないけど、戦に苦しんで神への生贄に捧げたのかもね」
「そうね。それなら当時の戦役とも符合するわ。その可能性は高いでしょう」
学者たちの議論はまだ続いていたが、凛はもう何も聞いていなかった。昨日の神話の断片、それから今日の出土品。直感的に、それらが一人の人物を指し示していると分かった。血に飢え、戦争に明け暮れて、無垢な己の妻子までも、生贄に捧げたのか。
「大丈夫ですか、遠坂さん?貴女、青ざめているわ」
「すみません、
「確かにここは地下だから籠るものね。行ってらっしゃいな」
一人になり、長い溜息をつく。心のどこかで、そうあってほしくないと願っていた。クレイトスは、本当に言峰や伝承の示すような化け物なのか?もう少し情報が欲しかった。そして、再び地下の研究室へ潜った彼女は、地獄の光景を目の当たりにする。
扉越しに聞こえる女のうめき声と、男の罵声。内容は聞き取れなかったが、その声は確かに近頃聞きなれたものだった。扉にかけた手が震え、動悸が速まる。すぐにでもその場から逃げ出したかったが、この戦に一般人を巻き込むのは避けたかった。特にマスターとして、彼女はこれを見届ける義務があった。
扉の先には、まさに地獄の惨状が広がっていた。体中の関節がおかしな方向に捻じ曲がった考古学者の、体の中心には穴が開いており、臓物が周りの壁に撒き散らされていた。許しを請う
「どう…して……」
いかに聖杯戦争について教育を受けようと、こんなにも生々しい殺戮の現場を見たのは初めてだった。そこには自分を守ってくれた英雄ではなく、剥き出しの殺意を纏った一匹の獣が居た。何の感情もなく、手にかけた女の死体を投げ捨てる。失われた命のは赤い結晶となり、男へと吸い込まれていく。男が何をしているかは、明白だった。振り返った男の口から、釈明の言葉はない。両手から犠牲者の血を滴らせながら、向かった先には、事態の収束を図ろうとした教会監督者がいた。
「ガンド!!」
咄嗟に、渾身の一撃を男に放った。仮にも後見人である神父を死なせるわけにはいかなかった。竦む体を無理やり動かし、庇うように神父の近くへと辿りつく。
「そこをどけ、子供よ」
「…これ以上何人無関係な人を殺す気?この人には触れさせないわ」
拳を震わせ、滲む様な声で少女は吐き捨てた。クレイトスを拒否し、魔力提供の道筋を閉ざす。赤く宿った令呪が再び色を失い、男との繋がりが絶たれる。
「好きにするがよい。邪魔すれば、殺すだけだ」
そう言い放ち、立ち去る男の背は、どこか寂しげに見えた。
あれから3日。クレイトスの消息は杳として知れなかった。
何事も手に付かず、凛はただ無為に日々を過ごしていた。あの一件は、猟奇的な殺人事件として取り上げられ、少女がその場にいたという痕跡は、巧妙に消されていた。言峰は重傷を負ったものの、今は快方に向かっている。そしてその間、士郎とセイバーがアインツベルンの少女と邂逅し、そちらも深手を負ったらしい。バックアップに追われながらも、再びサーヴァントを失ったことは、言えずにいた。
上の空で屋上から夕陽を見つめる。思い出すのはあの日くしゃりと頭を撫でてくれた大きな手の感触だった。その同じ手で、男は魔力を吸収するため、全く無関係な人を惨殺しえ居たのか。しかも、つい先ほどまで凛と話をしていた、無関係な人間を。こんなに死を間近に感じたのは、初めてだった。
「遠坂。探したよ」
ふと、軽薄な声が聞こえた。その主は、血を分けた妹である桜の、義理の兄の物だった。ニタニタと嫌な笑いを浮かべながら、得意げに左手を示す。
「同じマスターとして、君にいい話があってね」
「あら何かしら?いい話って」
振り返り、外向きの微笑みを向ける。相変わらず目の前の少年、間桐慎二から魔力は感じられない。それもそのはず、間桐の家計ではすでに魔術回路が尽きており、それこそが、間桐が養子として出された妹を受け入れた理由でもあるからだ。
「まあ、簡単に言えば大食いのサーヴァントを維持するための良いものが手に入ったんだ。今夜
サーヴァントの維持には魔力が必要である。自己顕示欲の塊のような目の前の少年には、しかしそれを供給する術はない。となると、必然的に無関係なものから吸い上げるか、他の動力源を用意するかだ。ふと嫌な予感が頭を過った。あの家でサーヴァントを維持しうる魔力を持つと言えば、同じ遠坂の血を引く、妹の桜だけではないか。
「よく来たな、遠坂」
そう言って出迎えた慎二の傍らには、長身の妖艶な女性が立っていた。眼帯のに隠された眼は見えず、息を飲む様な殺気を放っている。英霊であるセイバー、英雄であると言われたクレイトスとは明らかに違う、異質な魔力。神代の神秘を象るそれと、この女性が纏う異様な血腥さ。生き物のなれの果てのそれは、彼女人と対極に位置するものだと告げていた。となれば、眼帯の下は魔眼だろうか。
「いいサーヴァントを引き当てたじゃない。神代の精霊なら、他の英霊が敵うはずもないわ」
「もちろんさ。幻想種を使役できるサーヴァントは彼女くらいだからな」
正直単なるかまかけだったが、慎二はあっさりとそれに引っかかった。一旦乗せてしまえば、相変わらず聞きもしないことをペラペラと喋ってくれる。
「本題に入ろう、遠坂。単刀直入に言うが、僕と組まないか。あの
「でもあなた、魔術回路がないんじゃなかったの?」
「それなら心配いらないさ。君だって魔力消費が激しくて生きた人間から補充させているんだろ?それよりもっと良いものが
生きた人間からの魔力補充。思わずあの地獄絵図を思い浮かべる。しかし、大学の一件は代行者である言峰によって巧妙に隠匿された。なぜ、慎二がそれを知っているのだろう?あの時使い魔などの気配はしていなかった。
ぐらり、と地面が揺れる錯覚。これは罠だ。頭の片隅から誰かが警鐘を鳴らす。誰かが、全てを仕組んだ。だったら、それを引きずり出さなければ。少女は無言で少年の後を追った。
同刻、無敗の英雄は遠坂家の近くにあるビルの屋上で、人の往来を眺めていた。あの黒髪の女、かつて誤って殺してしまった女神と同じ声色で、彼女は仮初の親子など止めて責務を果たせと言っていた。そしてあの場面を凛に見られてしまった。
人として生き、神として死んだクレイトスの本質は戦士である。真の戦士は逃げも隠れもせず、偽りもしない。ただ己を阻む敵を、正面から打ち砕くだけだ。だからあの時も、少女になんら釈明をするつもりはなかった。もっとも、あの時点で何を言ったとしても、意味をなさなかっただろう。
ふと、遠くから強い魔力の衝撃を感じる。衛宮家へ続く坂道の半ばに、巨人は現れた。3メートルをも超す長身と、屈強な体つき。肩には、
「探したわ。英雄さん。私のヘラクレスと遊んでよ」
月の妖精のような少女は、子供らしからぬ笑みを浮かべ、クレイトスに声をかけた。自らの僕が至高のものと信じて疑わず、善悪の分別なく破壊を望む澄んだ赤い瞳をしていた。凛とは違い、他人を殺すことに躊躇いのない眼である。
「やっちゃって、バーサーカー!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーー」
少女の声に呼応するように、理性のない咆哮をあげながら、巨人はビルの方へ迫りくる。軽やかに壁を蹴り、その背後へと着地しながら、喉元へ鎖を巻きつける。そのまま力任せに引き合いを行う。首元を締め上げる鎖を引き千切らんと滅茶苦茶な動きで暴れる巨人に、アスファルトに壁に無数の穴が空く。
「ウラァッ!!」
引き合いに勝った男は、驚くべき蛮力で巨人の頭をアスファルトに叩きつける。瞬時、脳漿が飛び散り、岩が崩れるようにヘラクレスの身体は斃れる。だが、戦いはそれでは終わらなかった。少女の怒りに呼応するように、赤い紋様が肌に浮かび上がり、巨躯の英霊は息を吹き返す。
理性の無い声とともに振り下ろされる斧を僅かに躱し、攻勢へ転じる。空中へ飛び上がり、バーサーカーの腕を締め上げながら背中から刃を何度も突き立てる。だが、手応えは無かった。凛とのパスが切れて以来、神代の武器もそれに伴う魔法もどれ一つ行使できなかった。頼れるのはただの白刃へ成り下がった双剣と、己の力量だけ。
戦いは正に神話の再現となった。神秘を扱えぬ匹夫が神霊に、決して対等とは言い難いが、対抗する姿は寧ろ本来ある伝承すら超越しているのかも知れない。
肘打ち、拳撃、執拗に繰り出される斬撃。それらはヘラクレスの内臓へと全て正確に打ち込まれていた。普通の人間であれば既に何度も絶命している筈のそれは、アインツベルンの人形のバックアップを受けた英雄にはしかしあまり意味をなさなかった。
戦闘能力ではあくまでクレイトスが上回っていたが、驚異的な回復と、力任せの嵐のような攻勢で、一回の人であるクレイトスは確実に疲弊していた。鈍った動きを見逃さず、放たれる拳に、不屈の戦士が始めて膝を着き、血を吐く。
「今よ、バーサーカー!安心しなさい。トオサカリンも、直ぐにそっちに送ってあげるわ」
ーー眼前の少女は何と言った?
ーー凛
ーートオサカ リン
「うおおおおおおおおおおおおおおおお」
雄叫びあげながら、戦士は立ち上がる。視界が赤く染まり、男は怒りに身を任せた。