咲-Saki- とりあえずタバコが吸いたい先輩   作:隠戸海斗

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「○○と○○」というサブタイトルにはこういう使い方もあるなぁ、と途中で思いました。
ええ、当初の計画ではありません、偶然だぞ!(

そうそう、勘違いがあるといけないから、先に絶望感を与えておいてやろう。
どうしようもない絶望感をな。
この作者はリミッターを外す度にいちゃいちゃシーンの描写力が遥かに増す。
前話までにそのリミッターをあと2回も俺は残していた。
フッ、その意味が分かるかな?(

本編最終話(エピローグ)が過去最長話。
時間があるときにどうぞ。



Before story
竹井久その2番外 久と旅行


暖かい夕差し、そして涼しい風。

それらが同時に存在する実に心地いい空間。

 

旅館から少し離れた木陰の中に二人は来ていた。

 

 

辺りは静かで近くの川のせせらぎと自分達の足音と、時々小鳥の鳴き声が聞こえるのみ。

空気は澄んでいておいしい。

 

「・・・・・・いいところね」

「・・・・・・ああ、そうだな」

 

髪をかき上げながら呟く久と、それに頷く秀介。

二人は並んで小道を歩いていた。

空き時間に周囲を散策、それも旅行の楽しみだ。

ふと川に行きつく。

 

「ね、ちょっと入ってみましょう?」

 

久がそう言って川に近寄り、靴を脱ぐ。

 

「足、滑らせるなよ?」

「平気よ」

 

ズボンの裾を捲り上げると、ぱしゃっと裸足で小川に入る久。

秀介は川の近くまでは来たが久のように小川に入りはしない。

 

「ねぇ、シュウも入れば?

 気持ちいいわよ?」

 

久が笑顔で秀介に手を伸ばす。

と。

 

「わっ!?」

 

つるっと足を滑らせたらしい、久がバランスを崩した。

 

 

バシャンッと音がする。

 

 

久が川の水で濡れたのは足と左腕だけ。

 

右腕は秀介に支えられていた。

 

大きな水の音は靴も脱がずにいきなり川に入った秀介の足音だ。

 

「平気か? 久」

「・・・・・・う、うん、ありがとう・・・・・・」

 

ぐいっと引っ張られて、しかしまたバランスを崩す。

 

「きゃっ!」

 

ドンとぶつかったのは秀介の胸。

まるで抱きかかえられるかのように。

 

「・・・・・・!」

 

そのまままた辺りが静かになる。

 

聞こえるのは川のせせらぎと小鳥の声だけ。

 

「・・・・・・靴、濡れちまった」

「・・・・・・あ、ごめん・・・・・・」

 

秀介の言葉に久はスッと離れる。

 

「わ、私のせいで・・・・・・」

 

久は少しばかり落ち込む。

が、秀介は笑って返した。

 

「別に平気だ。

 ただまぁ、戻らないとだな」

「・・・・・・そうね、戻りましょう」

 

二人は川から上がり、持ってきていたタオルで足を拭く。

 

そしてやはり二人並んで歩いて旅館に戻るのだった。

 

 

 

 

 

で、どうしてこうなっているかと言うと。

 

 

「ふっふっふっふっ」

 

ある日の喫茶店、今日も靖子は麻雀卓についていた。

秀介、久、まこと共に。

しかし今日の靖子は何かが違う。

何故なら席に着くと同時に笑い出したからだ。

 

「・・・・・・どうしたの靖子姉さん、プロの仕事が忙しくて疲れてるの?

 リフレッシュにビルの上から飛び降りてみたらどうかな?

 風が気持ちいいと思うよ」

「死ぬわ! いきなり何を言い出すんだお前は!?」

 

相変わらず100点棒を銜えた秀介のブラックな言葉に思わず席から立ち上がる勢いで突っ込む靖子。

どうやら疲れてはいないようだ。

 

「・・・・・・実はな、気づいたことがあるんだ、シュウ」

 

いくらか落ち着いたところでそう切り出す靖子。

 

「・・・・・・何にさ」

 

何を言い出す気?と聞いてみる秀介。

その心の内ではどうせどうでもいい事だろうな、などと思っているが。

 

「おそらくこれがお前の弱点だ」

「・・・・・・シュウの弱点?」

 

久が興味あり気に聞く。

靖子は懐から何かを取り出して広げた。

何かのパンフレットのようだ。

 

「この間プロの大会で優勝した時の事だ。

 あんまり大きな大会じゃなかったけど。

 その景品として旅館の宿泊券を手に入れたんだ」

「へぇ、どんなところ?」

 

久が興味あり気にそのパンフレットを受け取って見てみる。

 

「高地で温泉付き・・・・・・へぇ、いい所じゃない」

「だろう?」

 

ふふんと笑うと靖子は言葉を続ける。

 

「1泊2日で、日付は7月末までならいつでもいいそうだ。

 もちろん早く決めるに越したことは無いがな。

 さすがに部屋まで押さえてるわけじゃないから、部屋が埋まっていたら日付を変えねばならない。

 宿泊費も食事代も無料。

 交通費はかかるけどそんなに遠くないし、最寄り駅まで行けば送迎バスが出てるから大して高くない。

 ペアチケットというから親戚のよしみでお前を誘ってやろうかと思って持って来たんだ」

「・・・・・・それはどうも」

 

一応頭を下げる秀介。

が、結局のところ何が言いたいのかが良く分からない。

それと秀介の弱点に一体どんな関係が?

そう思っていると、靖子はそのパンフレットを卓の真ん中に置き、改めて秀介に向き直った。

 

「ただし・・・・・・もしこの半荘で私に勝ったら、だ。

 もし負けたら誘ってやらない」

 

そう言って秀介をビシッと指差す靖子。

 

「どうだ!? お前の麻雀の結果で旅行が無くなるかもしれないんだぞ?

 プレッシャーを感じただろう、シュウ?

 大会に出ずにプレッシャーを受けて来なかったお前の人生だ。

 そのプレッシャーの中でいつも通りの麻雀ができるかな!?」

 

はっはっはっ!と靖子は笑った。

 

つまり何だ、靖子は秀介にプレッシャーをかければ勝てるだろうと思って来たわけだ。

確かに普段何も賭けてないし。

 

思わずやれやれと頭を抱えそうになる。

前世でどれだけ大金を賭けてやってきたと思っているのかと。

だがそれを口にするわけにもいかないし、色々考えて盛り上げようとしてくれていると考えれば感謝もできよう。

 

しかし少し意地悪をしてみようか、と秀介は口を開いた。

 

「・・・・・・別にいいよ、行かなくても」

「え!?」

「プロは忙しいでしょ? そういうリフレッシュをする機会も少ないだろうし。

 どうぞお友達と行って来てください。

 邪魔する気はありませんよ」

「いや、ちょ・・・・・・」

 

そういうと靖子は何やら寂しそうな表情になる。

 

「・・・・・・い、行きたいって言えよ・・・・・・」

「なんでさ」

 

何を言ってるの?と聞いてみる。

すると靖子は少しばかりオーバーなリアクションで頭に手を当てた。

 

「・・・・・・最近思い出すんだ、昔のお前を。

 私の膝に乗って楽しそうに麻雀を打つお前をな・・・・・・」

「あれは靖子姉さんが俺を無理矢理抱えて自分で打っていたような気がするんだけど」

 

それは家族麻雀に久が混じる前の話だったか。

当然久からの突っ込みは期待できないので秀介が自分で突っ込むしかない。

で、やっぱり何が言いたいのか分からないので靖子の反応を待つ。

すると。

 

「・・・・・・なんか・・・・・・最近そう言うスキンシップしてないなーと思って・・・・・・。

 こうして麻雀打つ時も、なんかお前いつも対面だし・・・・・・なんか・・・・・・寂しーし・・・・・・」

「そう言うスキンシップは、そろそろ彼氏を作ってやるべきだと思うんだ」

 

そう返してやるとグサッと何かが刺さったかのように声をあげ、靖子は卓に倒れ込んだ。

実際胸に刺さったんだろう、言葉が。

が、そうかと思うとすぐに起き上がって真っ赤な顔で言う。

 

「うるさい! とにかく私は! お、お前と旅行に行きたいんだ!

 だからお前も少しは行きたがれ!」

 

最初からそう言えばいいのにと思いつつ、しかし言っていることはめちゃくちゃだな、と今度は秀介が頭に手を当てる。

つまり負けたら負けたで怒るんだろう。

ならいつもどおり勝つだけじゃないか。

 

とはいえ、ここで普通に勝ったのではつまらない。

それに秀介を誘いに来たと聞いて少し残念そうな顔をした久が気になる。

 

「・・・・・・久」

「え? 何?」

「それ、行きたいか?」

 

秀介は久にそう聞いてみた。

 

「・・・・・・そりゃ、行ってみたいとは思うけど」

 

久は少し控え目にそう返事をする。

かと言って久が靖子と旅行するのが嬉しいかと聞かれたら久は間違いなく微妙な表情になる事だろう。

なら決まりだ。

今回はこれで靖子姉さんをいじめさせてもらおう、と秀介は笑った。

 

「・・・・・・靖子姉さん、その勝負受けてもいいけど条件がある」

「ほぅ、何だい? 言ってみろシュウ」

 

余裕気に笑う靖子に、秀介は言ってやった。

 

「靖子姉さんは、俺が勝っても負けても俺に旅行に行けって言うんでしょ? どうせ。

 ならその条件を変えて欲しい。

 靖子姉さんが勝ったら俺は大人しく靖子姉さんの旅行についていくよ。

 旅行中もある程度言う事聞いてあげよう」

 

「言う事聞いてあげよう」というその一言がどれほど魅力的だったのか、靖子はガタッと立ち上がって「ホントか!?」と食いつく。

それに対し秀介は「もちろんですとも」と頷きながら続きの言葉を口にする。

 

 

「だが俺が勝ったらその旅行、俺が久と行く」

 

 

「え?」

「え?」

 

キョトンとする靖子と久。

が、すぐにその言葉の意味を理解したのか、二人とも真っ赤な顔で立ち上がり声を上げた。

 

「な、何を言うか! お前達はまだ高校生だろう!」

「そ、そうよ! それに、お、幼馴染とは言え女の子を二人だけの旅行に誘うなんて!」

「何考えてるんだお前は! そう言うのはまだ早い!」

「そうよ! ま、まだ早いわ!」

 

何を想像してるんだろうこの二人は。

早いって何が?

銜えた100点棒をくいくいと動かしながら秀介は言葉を続ける。

 

「そう、一応高校生だから保護者がいるだろう。

 その保護者でという名目なら靖子姉さんを同伴させてもいい」

 

む、と靖子は顔をしかめながら一応席に座り直す。

 

「・・・・・・しかしだな、ペアチケットだとさっきも言っただろう?

 二人一部屋という縛りだと思うよ。

 だから一人あぶれて新たに部屋を借りなきゃならない事になると思うんだ。

 仮に部屋が一緒にできたとしても、確実に宿泊費も食事代も1人分料金がかかるじゃないか」

 

その言葉に頷きながら秀介は言葉を続ける。

 

「足りない費用は靖子姉さんが出すんだよ。

 つまり自腹で旅行。

 ああ、わざわざ部屋代を出すんだし一人で存分に使っていいよ」

「・・・・・・なん・・・・・・だと?」

 

靖子の動きが固まった。

 

「もし負けたら大人しく俺だけで付いていくよ」

 

そう言って笑った。

靖子はやはり動かない。

 

「・・・・・・えっと、シュウ?」

 

久が靖子と秀介を交互に見ながら口を開く。

が、秀介は久にも笑いかけてやった。

もちろん靖子に対する笑みとは違う意味の笑いだ。

 

「大丈夫だよ、久。

 靖子姉さんもプロで稼いでるだろうし」

「いや、そんな稼いでるってほどでは・・・・・・」

 

おろおろとする靖子。

秀介はそんな靖子にトドメを刺す。

 

「嫌なら一人で行ってらっしゃいな」

「うぐぐ・・・・・・」

 

靖子は真剣に考えているようだ。

しかしそれは表向きだけだろう。

既にその条件を受けなければならないような状況である。

 

「・・・・・・わ、分かった、その条件受けよう」

「ありがとう、靖子姉さん」

 

秀介は分かり切っていた答えを出した靖子に笑いかけてやった。

 

「ちょ、ちょっと待って。

 私の意見は?」

 

二人で話がまとまりそうだったところに割って入る久。

確かに旅行に行く当事者になろうと言うところだったわりに隅に置かれていた気がする。

だがこちらも特に問題は無い。

 

「久は俺と旅行に行くの、嫌か?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌じゃない」

「ふむ、問題は何も無いな」

 

赤い顔で俯く久を見て秀介は笑った。

それを見て不機嫌そうに靖子が声を荒げる。

 

「た、ただし! それならその条件を飲む代わりに私も条件を出す!

 旅館ではちゃんと私の言う事を聞けよ!?」

 

言う事を聞けよとか、何を命令する気か知らないが「そんな命令出す靖子姉さんなんて嫌いだ」とでも言ってやれば引っ込む事だろう。

 

「交渉成立だね。

 ああ、そうだ。

 えっと、何て言ったっけね・・・・・・そうそう、思い出した」

 

100点棒を一旦口から離し、その先端を靖子に向けながら秀介は言った。

 

「そのプレッシャーの中でいつも通りの麻雀ができるかな?」

 

「そ、それ私の台詞・・・・・・!」

 

靖子が悔しそうな表情を浮かべる中で試合は始まった。

 

 

そして試合開始まで散々無視され続けていたまこが不機嫌そうだったことに気づき、秀介が声をかける。

 

「寂しそうだな、まこ。

 お前も行きたいのか?」

「そりゃ、目の前でこんだけ盛り上がっとったら興味わくわ」

「だそうだよ、靖子姉さん」

「私に連れて行けというのか!?」

 

まこが加わった事でさらに靖子にプレッシャーがかかるのだった。

 

 

もちろん結果は見えている。

 

結局のところ靖子、秀介、久、まこの4人で旅行に行くこととなり、靖子は余計な宿泊費を2人分負担することになったのだった。

 

 

 

 

 

駅から送迎バスに乗り数十分ほど、一同は目的の旅館に到着した。

周囲は森林に囲まれている。

荷物を持ってバスから降りると新鮮な空気が一同を迎えてくれた。

 

「ほぅ、雰囲気ええなぁ」

「高地だからかしら、街中より涼しい気がするわ」

「周囲の木々が影を作ってるっていうのもあるんだろうな」

「とりあえず先にチェックインするぞ」

 

口々に感想を言っていた一同だが、靖子の言葉に従い旅館に入っていく。

和風の日本旅館、その一室が今回泊まる場所となっている。

 

靖子としては秀介が他の誰か――主に久だがまこにも注意を払っておいて損は無い――が秀介と二人きりで部屋を使う可能性を潰すべく4人一部屋にしたかったのだが、旅館に確認を取った時にダメだと言い渡されてしまったので二部屋になっている。

まぁ、実質チケットの部屋代無料を本来の人数以上で使える形になってしまうので仕方がない。

そしてこうなってしまった以上、何としても秀介と相部屋になるのは自分が務めなければならない。

年頃の若い男女が二人一部屋で宿泊など何が起こるか分からないから。

いや、何かが起こってしかるべきだ。

若い男というのはいざとなったら女の子を襲う(けだもの)になる、そうに決まっている。

それは例え普段知的な秀介と言えども例外ではあるまい!

仮に秀介が行動を起こさずとも、靖子の目から見ても秀介に惚れていると分かる久、なんだかんだ秀介を慕っているまこ、どちらかが行動を起こす可能性はある。

その点自分は彼らより大人だし、軽はずみな行動を取ったりはしない。

まぁ、仮に秀介が自分に対し溢れ出る情熱を持て余して何か行動を起こしたとしても、大人な自分なら全て受け止めて見せよう。

なんせ大人だからな。

まだまだお子様な久やまことは違うのだ、ぬふふふふ。

 

「・・・・・・なんかヤスコが気持ち悪い顔で笑ってるわ」

「疲れてるんだよ、きっと。

 やっぱり靖子姉さんが宿泊費を出した部屋は靖子姉さん一人で使わせてあげるべきじゃないかな」

「わしもそんな気がしてきたわ・・・・・・」

 

ちなみに4人で二部屋という括りになっているようで、その内訳は自由らしい。

つまり2-2で別れても1-3で別れても、その内訳がどういうメンバーでも後から変更しても、特に旅館から文句は言われない。

また夕食は部屋に運ばれてくるらしいが、その際も身内ということで4人分の夕食を一部屋に運んで一緒に食べ、寝るときにまた別れるというのも可能らしい。

 

「・・・・・・というわけだ。

 私とシュウはこちらの部屋を使う。

 お前達二人はそちらの部屋で仲良くしていろ」

 

チェックインを済ませたらしい靖子が戻ってきて、鍵を差し出しながらそう言う。

 

「靖子姉さん、無理しないで一人でのんびりくつろいでいいんだよ?」

「寂しいことを言うな!

 とにかく部屋に入れ、シュウ」

 

秀介の言葉に返事をしつつ、靖子は部屋の前まで来ると鍵を開けて中に秀介を入れる。

そして。

 

「じゃあ、夕食まで自由に過ごせ」

 

そう言って同じ部屋に入っていく。

 

「ま、待ってヤスコ!」

 

それを久が呼び止めた。

 

「何だ? 久。

 まさか若い男女が同じ部屋で過ごしたいだなんて抜かすんじゃないだろうな?」

 

キランと睨みつけるように返事をする靖子。

「ヤスコもまだ若いじゃない」と返せばいいものを、その眼光に久は思わず黙ってしまった。

仮にもプロだ、その迫力に黙ってしまうのも無理はない。

が、それも一瞬だけ。

 

「・・・・・・わ、悪い?」

 

キッと睨み返すように久はそう言った。

それに対して靖子は表情を崩さずに告げる。

 

「ああ、悪いに決まっている」

「な、何でよ」

 

いくら年上の靖子とは言えそんなのはあまりに横暴だ、と久は言い返した。

せめてその事情は聞かせてもらおうか、と。

 

「元々はシュウと旅行を楽しみたくて誘ったんだ。

 お前にシュウを取られたら私は寂しい。

 なんで私だけ大金を払って寂しい思いをしなければならないんだ・・・・・・」

 

思ったよりも切実な事情だった。

 

「あ、うん、なんかごめん。

 で、でもね! 私だって!」

 

だが久だってせっかくの旅行なのだ。

もう少し秀介との距離を縮めたいと思ったっていいではないか。

しかしその想いを、靖子は聞こうとはしなかった。

 

「まこ、久を連れてそっちの部屋に行きなさい」

 

まこの手を借りて。

 

「久、ごめんな」

「ちょ、何するのよ!?」

 

そして命じられたまこは久を捕まえて靖子から鍵を受け取る。

それを確認して靖子はさっさと秀介と同じ部屋に入って行ってしまった。

 

「は、離してよまこ!」

「ごめんな、久。

 でも・・・・・・」

 

何故まこが邪魔をするのか。

普段は久と秀介をからかいつつ応援するような様を見せておいて。

まさか・・・・・・まさか、実はまこも久と秀介がくっつくのを妨害したかったというのか!?

普段は久と秀介を応援するようなそぶりを見せておいて、いつの間にかまこまでもが秀介の餌食に!?

くっと苦虫を噛み潰したような表情で、まこは久を捕まえたまま理由を話した。

 

「わし、今回の旅行では一円も・・・・・・ホンマに一円たりとも払ってないから、藤田プロには逆らえんのじゃ!」

「思ったより現実的な事情!」

 

後輩にして親友のまこの言い分も分かる。

だがここで引くわけにはいかないのだ。

まこも「一応捕まえたしもう義理は果たした」とか言って離してくれないだろうか?

 

そう思っていると、突如部屋の中から声が聞こえる。

 

「ちょ、こ、こら! 止めろ! 離せ!シュウ! な、何をするだァー!」

「靖子姉さんが仕掛けてきたんじゃないか。

 姉さんが悪いんだ、俺だってこんなことしたくなかったのに」

「こ、こら! ほどけ! こんなプレイまだ早い! せ、せめてもう少しノーマルな・・・・・・!

 おい! ちゃんと私の言うことを聞け!」

「そうだねぇ、強いて言うならば・・・・・・君はよき姉であったが、御しきれなかった君の欲情が悪いのだよ」

「シュウ! 謀ったな!? シュウ!!」

 

そんなやり取りの後、ガチャリとドアが開いた。

中から現れたのは秀介、その奥に浴衣の帯か何かで縛られて転がっている靖子の姿が見える。

 

「久、散歩でも行かないか?

 家の周辺でもあんまり、ここまで自然に囲まれたところって無いしさ」

「え? あ、うん、いいけど・・・・・・」

 

散歩のお誘いには特に断る理由が無い。

だが「いいの・・・・・・?」と視線を部屋の中に送る。

それを受けて秀介も、「ああ、そうだな」と頷き、まこの方を向いた。

 

「まこ、靖子姉さんの面倒を見ておいてくれ」

「面倒って・・・・・・」

「夕食までには帰ってくるよ。

 ちゃんと面倒見れていたら、後で頭撫でてやるからさ」

「そんなんで喜ぶのは久とお子様だけじゃろ」

「わ、私お子様!?」

 

抗議する久の頭を撫でて大人しくさせると、秀介は久の荷物を持ってあげて部屋に置く。

そして二人連れ添って部屋を後にするのだった。

残されたまこは自分の荷物を部屋に置くととりあえず靖子のいる部屋に向かい、ギャーギャー騒ぐ靖子を尻目に部屋に備え付けのお茶を飲んでのんびりとするのだった。

 

 

その後は冒頭の通り、のんびりと散歩をしていた二人は川ではしゃいだ後に部屋に戻り、転がった二本の瓶ビールと浴衣に着替えて既に出来上がった靖子の姿を目撃するのだった。

 

「まこ・・・・・・まさかお前が靖子姉さんに無理矢理酒を飲ませて無理矢理着替えさせるような奴だとは思わなかったよ」

「それは藤田プロが勝手に飲んで勝手に着替えたんじゃが」

「なら無罪」

「当たり前じゃろ」

 

 

さて、もうじき夕食の時間だ。

とりあえず酔っぱらった靖子を移動させるのも面倒なので、旅館に連絡を入れてそちらの部屋に食事を運んでもらうことにする。

とはいえ食事の準備をする間邪魔にならないように、一度壁際に運ぶ必要はありそうだが。

 

「・・・・・・引きずる?」

 

寝転がっている靖子を指さしながら言う久に、秀介は笑いながら返事をする。

 

「一応女性だからな」

 

そして背中と膝の後ろに手を回し持ち上げた。

いわゆるお姫様抱っこである。

 

女性のあこがれ、お姫様抱っこ。

それを意識が無いと思われる女性相手に振舞うとは中々紳士である。

が、それを見る久は少しばかり残念だった。

 

(シュウのお姫様抱っこ・・・・・・私だってされたことないのに・・・・・・)

 

そんな思考を遮ったのは、ガンッという音だった。

靖子の足が備え付けの大きなテーブルにぶつかった音だった。

 

「・・・・・・ん・・・・・・痛いぞ・・・・・・」

「ああ、ごめんよ靖子姉さん。

 こんな抱き方したの初めてだからさ。

 久の前に練習出来てよかったよ」

 

床が畳だからよかったものの、降ろす時にも床や壁にぶつけたりと散々な状態で運ばれる。

久はそんな靖子を見て少しばかり溜飲を下げるのだった。

 

「さてと」

 

一息ついたところで大きく伸びをするまこ。

 

「せっかく旅館に来たんじゃし、わしも浴衣に着替えるかのぅ」

「ん? 今から風呂に行くと夕食が先に来ちゃうんじゃないのか?」

 

秀介がそういうとまこはキョトンと首を傾げる。

 

「別に風呂は後でもええじゃろ?

 着替えるだけじゃよ、志野崎先輩」

「・・・・・・なん・・・・・・だと?」

「え?」

 

そう返事をした直後、今まで聞いたことが無いような低い秀介の声が聞こえてきた。

まこが振り向くと、今までまこが見たこともないほど暗く染まった秀介の表情がそこにはあった。

 

「せ、先輩?」

「まこ、お前まさかせっかく旅館まで来たのに持ってきたパジャマで寝るとか抜かすんじゃないだろうな?」

「い、いや、そんなことせんけど・・・・・・?」

「・・・・・・見損なったぞ、まこ。

 お前は風呂に入っていない(けが)れた身体で浴衣を着て、浴衣を(けが)し、風呂に入って綺麗になった後で再び(けが)れた浴衣を着て寝ようというのか・・・・・・」

「ええっ!?」

 

確かに間違ってはいないがそんな言い方をしなくても!とまこは後ずさる。

 

「なぁに、お前が思い留まるというのなら俺も何も言わんさ。

 だがもしそんなことをやらかすようなら、残念だが今日は一緒に寝てやれないな」

「いや、別にええですけど・・・・・・」

「それから部内でも言い触らす」

「先輩と久しかおらんくせに」

「・・・・・・となると、後はせいぜいroof-top(ルーフトップ)くらいかな」

「止めて下さいお願いします」

 

相変わらずタチ悪いわーと渋い顔をするまこを見て笑いながら秀介は立ち上がる。

 

「さて、じゃあとりあえず・・・・・・」

 

秀介はそう言って一度畳の間から姿を消し、洗面所から水を入れたコップを持ってきた。

 

「靖子姉さんに水飲まして起きてもらおう」

 

 

 

そして、まだぼーっとしているようだが目を覚ました靖子の賛同を得て夕食となる。

配置は秀介の隣に久、正面に靖子、斜め前にまことなっている。

4人ということで女将さんは何度かに分けて料理をテーブルに並べていった。

おひたし、野菜の盛り合わせ、お吸い物、刺身、煮物、即席コンロとその上に置かれた小さな鍋。

並べ終えると女将さんは飲み物を聞いてくる。

 

「全員ジュースで」

「おいシュウ、もう私にお酒を飲ませない気か?」

「こういうところのお酒って別料金だから安い方がいいかなと思ったんだけど。

 それにこれからお風呂でしょ?

 お酒の後で風呂は危険だよ。

 まぁ、支払いも体調崩すのも靖子姉さんだし、頼みたいなら別にいいよ?」

「・・・・・・ジュースで」

 

女将さんは飲み物を確認したところで「残りはまた時間をおいてお持ちしますので」と告げて去って行った。

一同は改めて並んだ料理を見回す。

 

「まだ来るのよね・・・・・・?」

「ちょっと多いかもしれんのう」

「こういうところの料理ってこんなもんさ。

 「一口だけ食べて残す」っていうのは料理人にとって「不味かったから残した」って意味になるから、残すんなら手を付けるなよ。

 まぁ、この場で熱してるこの小さい鍋とかは食べた方がいいだろうし、逆にこれから来るだろうご飯を食べないとかして工夫するといい」

 

久とまこの言葉に秀介が答える。

へぇーと声を上げながら二人は改めて料理を見回した。

「これは食べよう」「これは残しておいて、後で食べられるようなら食べよう」とか判定しているのだろう。

 

「じゃ、食べようか」

 

靖子はそう言っておひたしの入った器を手に取る。

が、その手は秀介の「おや」という声に止まった。

 

「どうした?」

「もう食べちゃう?

 飲み物はすぐ来るだろうし、乾杯してからの方がいいかなと思ってたんだけど」

 

食事のあいさつを乾杯で行うなんて酒好きな社会人か、と思ったが靖子は黙っておくことにする。

せっかくの旅行で弟分からの好感度を下げるわけにはいかない。

話に乗っておくことにする。

 

「そうするか」

「そうしよう。

 靖子姉さんへの日頃の感謝の気持ちも込めて」

「よ、よせよ」

 

日頃の感謝などと言われて満更でもない顔でにやにや笑う靖子。

感謝なんてそんな、プレゼントとか身体で払ってくれてもいいんだぞ?と想像してくねくね身悶えている。

 

「というわけで靖子姉さん、俺の感謝の気持ちとして盛り合わせのキャベツを1枚どうぞ」

「お前の感謝の気持ちはそんなものか!」

 

がーっと捲し立てたかったのだが、そのタイミングで入ってきた女将さんの存在に靖子はもやもやした気持ちを抱え込むしかなかった。

 

「それでは・・・・・・」

 

注がれたジュースを手に取り、一同は掲げる。

 

「靖子姉さんへの感謝の気持ちを込めて、乾杯」

「「「かんぱーい」」」

 

カシャンとグラスを合わせてジュースを飲んだ。

 

「本当に感謝の気持ちとか言って乾杯か・・・・・・」

「靖子姉さん、いつも仕事忙しいのに一緒に麻雀打ってくれてありがとう」

 

冗談で感謝の気持ちと言っているのかと思ったのに本当にそれで乾杯してくれてちょっと嬉しい靖子。

その後の秀介の言葉が後押しする。

 

「いや、別に。

 私が時間を見つけて好きで打ってるわけだしな」

「今回も旅行に連れてきてくれてありがとう、靖子姉さん大好き」

「ぐはぁ!!」

 

 

靖子姉さん大好き

 

靖子姉さん大好き

 

靖子姉さん大好き

 

 

私はあと半世紀はプロでやっていける!と靖子は後ろに倒れこみながら思った。

他の二人と違って明らかな棒読みだと気付いていないようだが、本人が幸せそうならそれでいいだろう。

 

「まこも清澄に来てくれてありがとうな、大好きだ」

「あ、うん・・・・・・先輩達こそよく(うち)に遊びに来てくれてありがとうな」

 

明らかな棒読みだと分かった上で「大好き」と言われるのも微妙な感じだが、一応まこも礼を返しておく。

さすがに冗談でも「大好き」は言い返さなかったが。

今、まこの正面には誰よりもそれを言われたい人物がいるわけだし。

ちらっとそちらに視線を向けると、やはりそわそわした雰囲気で秀介の方を見ている久がいた。

秀介もそちらをじーっと見ている。

 

「・・・・・・な、なによ・・・・・・」

 

箸の先端を咥えながら言う久に秀介は笑いかけ、少しばかりトーンを落として告げた。

 

「・・・・・・久、大好きだぞ」

「ちょっと待て! なんで久だけ本気のトーンなんだ!?」

 

がばっと起き上がる靖子。

真っ赤になって俯いて誰にも聞こえない声で「わ、私も・・・・・・」とぼそぼそ言っている久。

思い出したように「あ、今日何かお笑いの番組やってなかったっけ?」とテレビをつける秀介。

「お次の料理をお持ちしました」とやってくる女将さん。

 

騒がしい中、食事は進んでいった。

 

 

 

食事が終わり、温泉へ向かう一同。

女将さんはその間に食事の片づけと布団の準備をしておくとのことだった。

 

「温泉に来るなんて久しぶりだな」

 

前世(むかし)を思い出して思わずそう呟く秀介。

日本のいろんなところを巡って、その過程で温泉旅館にハマったものである。

 

「確か、子供のころに一回来たことあったわよね?」

「ああ、そうだったな」

 

聞かれていたか、と久の言葉にそう返す秀介。

こことは別の温泉だったが仲のいい隣との家族旅行という形で、志野崎家と上埜家で共に温泉に行ったことがあった。

 

「その時にもシュウは、「お風呂に入ってから浴衣に着替えろ」みたいなこと言ってたわよね」

「言ってたような気がする」

 

説教というほどではなかったはず、そう記憶している、そう思いたい、と秀介は自分に言い聞かせる。

そんな秀介に、まこが苦笑いしながら聞いた。

 

「浴衣の着方にそこまでこだわり持つんか、子供なのに。

 そういえば食事の作法も知ってるみたいじゃったのぉ。

 食べる順番とか箸の持ち方、置き方もこだわってたみたいじゃし」

「・・・・・・見てたのか。

 あれだ、子供の頃本を読んでて興味を持っただけだ」

 

さすがに「前世でその辺の作法をしっかりしていないと追い払われるような店に行ったことがある」などとは言えない、事実であっても。

その辺は濁しながら話をしていると大浴場の入り口に到着する。

右が男湯の青のれん、左が女湯の赤のれん。

 

「じゃ、後でな。

 女は時間掛かるだろうから、俺もゆっくり入ってくるよ」

「そんな気を使うな。

 ちょうどあっちに喫茶店みたいなのもあったから、早めに上がったらそこでゆっくりしていろ」

 

靖子が指差した先には確かに喫茶店らしきフロアがある。

大浴場に到着する前に通ってきた場所だ。

分かった、と頷き秀介は久に笑いかけた。

 

「覗くなよ?」

「それはこっちの台詞よ」

 

そうして彼らは別れた。

 

 

 

こちらは女湯の更衣室。

何人か先客もいるみたいだがそれほど大人数ではない。

久とまこは既に浴衣を着ている靖子と違い、風呂に入った後に着替えるための浴衣を持ってきているため靖子より少し荷物が多い。

だが靖子もタオルと手ぬぐいのほかに化粧品もいくつか持ってきているようで、決して手荷物が少ないわけではない。

久達も靖子より少ないがその辺は軽く用意しているし、貴重品もあるし、そんなわけで女性更衣室は全て鍵付きのロッカーになっている。

お風呂上がりの化粧品の準備とバスタオル、そして着替えの浴衣と新しい下着を取り出しやすいように並べて置いてから久達は服を脱ぎ始めた。

装備品は心もとない手ぬぐい一枚のみ、それで身体(胸元から股下まで)を隠しながら浴場に向かう久とまこ。

なお靖子は手ぬぐいを手に持っているもののどこも隠してはいなかった。

そして何やら大人の余裕と言わんばかりに笑いかけてくる。

 

「隠すとは、ずいぶん自分の身体に余裕が無いんだな、久」

「なっ・・・・・・女性として当然の恥じらいよ」

「恥ずかしがっとるだけではいかんぞ、久」

「ひゃわぁ!?」

 

不意に背後から久の脇腹を両手でつかむまこ。

その手はすすすっと上に登っていく。

 

「いざとなったらこの身体で志野崎先輩に迫るんじゃぞ?」

「せ、せせせせまるって!」

 

かーっと赤くなる久。

胸に向かって登ってくるまこの指が余計なアクセント。

耳元で何か言われる度に息が当たるのも合わさって心拍数も上がる。

 

「恥じらうのもええポイントじゃが、思い切って迫れるのも男子にはポイント高いと思うぞ」

 

背後から久の耳元に囁き、まこの両手は久の胸を登っていく。

そしてやがてその指先は、久の胸の先端・・・・・・。

とそこで、ばっと久はまこの手を振り払い、浴場への入り口に向かって走り出した。

 

「な、なによ! 二人とも余裕ぶっちゃって!

 大して私と変わらない胸のサイズ(身体つき)なくせにー!」

 

ガラガラピシャっと久の姿が浴場に消えた。

 

「な、なんだと!?

 待て久! そこまで言うなら比べてやる!

 大人の身体というやつを高校生(こども)なお前に見せつけてやろうじゃないか!」

 

いや、確かに藤田プロは背が高いけれども、胸のサイズはそんなに言うほどだろうか?

などと言ったらこちらにも飛び火してくると思い、まこは黙ってついていくのだった。

 

 

 

一方こちらは男性浴場。

秀介は身体の隅々まで綺麗に洗っていた。

それこそ頭のてっぺんから足のつま先まで。

せっかく使わせてもらう温泉、余計な汚れを持ち込んで後に使う人の迷惑になってはいけない。

そして全身の泡を少しぬるめのシャワーで流し、湯船に向かう。

ざぁっと熱いお湯を何度か身体にかけて熱さに慣らし、足先からゆっくりと入っていく。

手ぬぐいはお湯につけないのがマナー。

わざわざ手桶でお湯をすくってそこで手拭いを温めて頭に乗せる。

湯船の中で大きく伸びをし、周辺を散歩した時の疲れを取るべく軽くマッサージをする。

熱いお湯が身体の隅々まで温めていく様をじっくり感じながら。

 

「・・・・・・・・・・・・ふぅ・・・・・・・・・・・・」

 

ゆっくりと幸せそうなため息をついた。

 

そうしてじっくりと温まり、それこそもうすぐのぼせるのではないかというほどに温まった後、秀介はシャワーに向かう。

そして再びぬるめのお湯を頭から浴びて少し体温を下げた後に何をするかというと。

 

「・・・・・・またあったまるか」

 

彼は再び湯船に向かうのだった。

わざわざ冷ました後にまた温まろうとは、どれだけ風呂が好きなのか。

 

「・・・・・・む?」

 

と、不意に壁際の表記に目が行く。

そこに書いてある文字を読んだ後、彼は楽しそうに矢印の方へと向かうのであった。

 

 

 

再び女湯。

靖子とまこは一つ席を開けて身体を洗っており、久だけが一人離れていた。

最初は三人並んでいたのだが、「お互いに背中を流し合おう」と言う靖子に従って横を向いて洗い合っていたところ、真ん中の久はどちらから身体を洗われていてもついでにくすぐられたり敏感なところに指を這わされたりしたので逃げたというわけだ。

 

「裸の付き合いというのは有効なスキンシップじゃと思ったんじゃがのぉ」

「まったく、久の恥ずかしがりにも呆れたものだな」

 

二人は全く責任を感じていないと言わんばかりに身体の泡を流し、湯船に向かう。

ちょうど久も同じタイミングで湯船に入ったようだ。

但しかなり離れたところに。

 

「おやおや、ずいぶんと嫌われたものだな」

 

はっはっはっと笑いながら靖子は湯船につかる。

まこもそれに続いた。

 

その様子を見ながら久は一人離れたところでぷーっと頬を膨らませていた。

 

(何よ二人とも、身体を洗うとか言いながらあっちこっちを触ってきて。

 私の身体を弄んでおいて涼しい顔して!)

 

せっかくの温泉だしゆっくり浸かっていたいのだが、少し熱いお湯だし気を抜くといつの間にかあの二人が接近してくるのではないかと思うとのんびりはできない。

どこか別にゆっくりできる場所でもあればいいのだが・・・・・・と久は辺りを見回す。

 

(・・・・・・ん?)

 

ふと壁際に何か書かれてあるのが見えた。

文字と矢印のようだ。

 

「・・・・・・露天風呂かぁ」

 

今日はいい天気だし、時期的にそろそろ暑くなってきそうな頃だ。

露天風呂もいいかもしれない。

何より靖子とまこ(あの二人)の脅威から逃げられそうだし。

そう思い久はさっそく矢印の方へと向かうのであった。

 

 

「・・・・・・おや?」

 

靖子と談笑しながらくつろいでいたまこが不意に声を上げる。

久が浴場の奥へと姿を消すのを見たからだ。

 

「どこへ行くんじゃろ?」

 

その奥の壁際に何かが書いてあるらしいが、さすがにメガネを取った今の視力ではぼやけて見にくい。

 

「藤田プロ、あっちに何があるんか分かります?」

 

まこがそちらを指さしながら靖子に聞く。

靖子は何でもないように答えた。

 

「ああ、露天風呂だろ。

 私はそういう趣味が無いから行かないぞ」

「そういう趣味って何じゃ」

 

露天風呂と言えばいい景色が見える場所。

もしくは時間帯から判断していい夜空が見える場所だろう。

そういうところでのんびりするというのは悪い趣味ではないと思うのだが。

首を傾げるまこに靖子はぼそぼそと何か呟く。

 

「・・・・・・え?」

 

マジで?とまこが驚いた表情を浮かべる。

 

「だからお前も行くのはやめておけ」

 

そう笑う靖子を尻目にまこは立ち上がった。

 

「・・・・・・さっき、久がそっちに行ったんですけど」

「・・・・・・え?」

 

まずい、とまこは湯船から出て久を追って行った。

が、走ると滑って危険なので追いつけるかは不明。

 

「ひ、久! ちょい待て!」

 

聞こえているかは不明だが、そう呼びかけながらまこは露天風呂の方へと走って行った。

 

 

 

外へ出て露天風呂へとやってきた久。

 

「・・・・・・身体が濡れてるとさすがに冷えてくるわね。

 さっさと入っちゃいましょ」

 

夜ということもあり、さすがに風が当たると寒くなってくる。

と。

 

「・・・・・・ん?」

 

露天風呂の奥の方、何やら柵が立てられて奥に行けないようになっている。

 

「・・・・・・なんでこんなところに柵が?」

 

外から見えないようにする壁ではない。

その証拠に隙間だらけで向こう側が見えるようになっている。

奥に何か危険なものでもあるのだろうか?

覗いてみるが同じように浴槽が続いているだけに見えた。

まぁいいや、と思いながら湯船に足をつける。

少し熱めのお湯らしいが、外の寒さもあるのでこれくらいがちょうどいいだろう。

 

ふと上を見上げると満天の星空だった。

露天風呂周辺の明かりが少し邪魔をしているが、それでも星は綺麗に見える。

他に誰も来ていないようだし、今はこの空を独り占めできるのだ。

 

「おー、綺麗ね」

「おう、綺麗な空だな」

 

不意に聞き慣れた声が聞こえた。

 

「「え?」」

 

それは先程の柵がある方向。

でも間に人はいないし、声がするとしたらその柵の向こうに人がいるということに。

 

視線を向ける。

 

 

柵の向こうに幼馴染の姿が見えた。

 

そして当然ながら装備品は手ぬぐい一枚のみ、お互いに。

 

しかもお互いに油断していたからお互いに隠していない、どこも。

 

 

「久ー! 戻ってくるんじゃ!」

 

背中側から声が聞こえる。

二人の可愛い後輩である。

 

「ここは混浴なんじゃと!

 早いところ戻って・・・・・・」

 

そして後輩も目が合った。

その男子の先輩と。

 

 

「――――っ!!!」

 

 

悲鳴を上げることも忘れ、二人は湯船に飛び込んだ。

秀介もさすがに驚いて柵に背を向けながら湯船に入る。

 

「な、ななな、何であんたが女子風呂に!?」

「いや、ちゃんと男子風呂に入ったんだが・・・・・・混浴なのか?」

「そ、そうじゃよ。

 だから止めようと思ってきたんじゃが・・・・・・そしたら・・・・・・!」

 

二人は赤い顔をしながらちらっと秀介の方に視線を向ける。

秀介は相変わらず向こうを向いたままだ。

 

「・・・・・・見た?」

「・・・・・・見てない」

 

定番のやり取り、だがやらざるを得ない。

 

「嘘! 見たでしょ! 絶対!

 だって正面だったじゃない!」

「見てない、というか見えてない。

 画面外に切れてた」

「画面外って何!?」

「あー、ゲームとかアニメでよくあるやつじゃろ。

 肝心なところを映さないようにあえてアップにする演出」

「そうそう、それそれ」

「有り得ないでしょ!? どんな言い訳よ!?」

「んじゃあ・・・・・・えっと、ほら、謎の光で隠れてた」

「謎の光!?」

「DVDとかで取れるやつ」

「無いわよそんなの! 漫画やアニメじゃあるまいし!」

 

その後も秀介は「湯気が仕事をしてた」とか「逆光だった」とか「柵の配置が肝心なところを完璧に隠してた」とか「絶妙のカメラアングルで」とか言い訳をしていたが、最終的に久が手ごろなところにあった桶を放り投げ、頭に直撃をくらうのであった。

 

 

 

そして一同は風呂上がりに合流し、部屋に戻る。

道中久は何やら赤い顔で秀介の方を見ないようにしているし、まこは多少秀介と話すがすぐにパッと違う方向に視線を背けている。

 

(・・・・・・何があったのか)

 

靖子は一人その空気に頭を悩ませていた。

露天風呂が混浴だとまこに注意したがすぐに戻ってこなかったわけだし、きっと男性はいなくて軽く星空を堪能してから戻ってきたのだろうと推測する。

それともまさか、混浴で偶然にも秀介と久が出くわして、お互いに裸を見られて恥ずかしくてまともに顔を見られないとか?

いやいや、そんなまさか。

漫画やアニメやラノベやどこかの物好きな作者が書いたありがちなラブコメじゃあるまいし、そんな可能性は無いだろう。

となると一体何があったのか?

靖子は必死に頭を悩ませ、そしてやがて考えるのを止めた。

 

(・・・・・・部屋に戻ったら酒を飲んで寝よう)

 

現実逃避である、役に立たない、だからお前はゴミプロなのだ。

 

 

そして部屋に到着する。

中はそれぞれ二人分ずつの布団が用意されていた。

さて、どうやって分かれるか。

旅館に到着した当初からの問題を解決しなければならない事態となった。

うーむと声を上げながら秀介は問いかける。

 

「とりあえずどうする?

 もう寝る? まだ何か話す?」

 

その言葉に女性陣は顔を見合わせる。

時間的に寝るのはまだ早い。

だが話すといっても何を話すか。

テレビでやっているであろう映画でも見てみるか?

それも悪くないだろう。

だが女子部屋的なおしゃべりになった時、秀介はついていけない。

それに旅行というのは存外自覚が無いまま疲れているもので、いざ横になればあっさり寝られる事も多い。

加えて靖子は何やら酒を飲んで寝たいらしい。

 

という話し合いを行った結果、秀介は片方のドアを開ける。

そしてその部屋の鍵を久に渡した。

 

「俺はこっちの部屋で寝るよ。

 三人で話し合ってそっちの部屋で三人で寝るなり一人こっちで寝るなり好きにしてくれ」

 

それじゃ、と秀介は部屋の中に姿を消した。

続いて靖子がその部屋に入ろうとするのを久が必死に止め、まこも手伝ってもう一つの部屋に入って行った。

そして三人での話し合いが始まった。

と言っても主に靖子が、

 

「久、お前も向こうの部屋で寝たいというのか? ん?

 だったらはっきり言ってみろ、「私はシュウと一緒に寝たいです」とな。

 どうした? 恥ずかしくて言えんのか? まったくお子様だな、お前は。

 大体さっきから何やら仲が悪い様子じゃなかったか? ん?

 どうせ同じ部屋にいてもろくに話せずに、部屋の隅と隅に布団を移動させて寝て終わりに決まっている。

 だったら私に譲れ、二人っきりという状況を存分に利用させてもらうからな。

 私はお前よりもシュウとの付き合いが長い。

 普段は弟分だと言っているが血縁関係上結婚することだってできるんだぞ?

 お前がそうやってもじもじしているというのなら、私は堂々と正面から陥落させてもらうからな」

 

などというのをまこが「まぁまぁ、藤田プロ、お酒でも飲みんしゃい」と宥めながら酒を飲ませており、そのうちにぐったりと横になって寝たところで終わったが。

計画通りと言わんばかりに眼鏡を光らせたまこは靖子を布団に収めると軽く伸びをしながら呟いた。

 

「あーあ、お酒を飲んで寝ると途中で具合が悪くて目を覚ますかもしれんなぁ。

 そういう世話ならわしも多少心得があるし、久に任せるよりもええじゃろ。

 そういう作業はホンマに一円たりとも払ってないわしがやるとして、だから仕方なく久には志野崎先輩と一緒に寝てもらわんといかんなぁ」

 

わざとらしくそう言って、まこは久に隣の部屋の鍵を持たせるとさっさと部屋から追い出し、「ごゆっくりー」と告げて部屋の鍵を閉めてしまった。

もはや久には秀介の部屋で一緒に寝る以外の選択肢が無い。

少しばかり部屋の前で「うーうー」言いながらうろうろしていたが、やがて意を決したように秀介のいる部屋へと入った。

 

部屋に入るとドアと鍵を閉める。

これでもう本当に邪魔者は入らない。

そーっとふすまを開けて布団が敷いてある部屋を覗く。

既に真っ暗、秀介は奥側の布団で眠っているようだった。

少し安心すると同時に少し残念だった。

せっかくこちらが決心してきたというのに、私ってばバカみたい。

いや、ちょっと待って。

決心なんてそんな大げさな。

そうよ、ただ一緒の部屋で寝るだけじゃない!

 

(い、一緒の・・・・・・部屋で・・・・・・)

 

かーっと赤くなりながら部屋に入り、ふすまをそっと閉めた。

もじもじしながら布団に近づく。

と。

 

(・・・・・・シュウの腕・・・・・・布団から出てる・・・・・・)

 

それも偶然にも久の布団がある方。

 

(ま、麻雀打ちが腕を冷やしたらよくないし・・・・・・!

 そ、そうよ、これはシュウの為なのよ!)

 

誰に対して言い訳しているのか、久は自分の布団を少しばかり秀介に寄せると布団に入り、そして自分の掛布団をはみ出ている秀介の腕にも掛けてあげた。

 

そして、

 

布団の下でそっと手を伸ばし、

 

その手を握った。

 

(・・・・・・やっぱり冷えてる・・・・・・あっためてあげないと・・・・・・)

 

久はちらっと秀介の方を見る。

相変わらず寝息が聞こえるだけで起きているようには見えない。

握った手はすぐに温かくなってきた。

それに安心すると共に、なんだか眠気が襲ってくる。

久は秀介の手を少し強めに握ると目を閉じた。

 

これが今の久にできる精一杯。

 

確かに靖子が酔っぱらいながら言っていたように、眠っている秀介が相手でもキスしたり布団に入り込んだり、あわよくばそれ以上のなんやかんやが出来たりするだろう。

久も望んでいないわけではない。

ただおそらく相手が眠っていようと、秀介に改めてこちらからキスするのはとても勇気がいるし、ましてや同じ布団に入り込むなどとてもとても。

 

だから、久にできるのは一つだけ。

 

秀介の方から久が好きだと言ってくれるまで。

 

 

(私・・・・・・待ってるからね・・・・・・)

 

 

 

 

 

(・・・・・・さてと、これはどういう状況だ?)

 

秀介はちらっと久の方に視線を送る。

久はもう眠っているようですうすうと寝息を立てている。

自分の右手は久の布団の中に引き込まれ、久の手によって握られたままだ。

 

久が部屋に入ってきた時点で、秀介はうつらうつらと眠りかけていた。

だから部屋に誰かが入ってきたのは察していたし、秀介の中では「多分久だろうな」という予測はあった。

だが布団から手が出ていたことには気づかなかったし、その手を久に握られて初めて意識が覚醒したのだ。

あれ? 俺、手を握られている?

そちらを見てみると寝息を立てる久の顔。

そこからいつもの通り「やれやれ、久ってば子供だな」とばかりに余裕を見せて眠れればよかったのだが。

 

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・眠れん・・・・・・)

 

今日に限って秀介の意識は眠りに落ちてくれなかった。

さっきまで寝ていたのだし、多少眠気は残っていてもおかしくないはずなのに。

 

かつて億蔵老人と長時間麻雀を打った時にも、やる気と緊張感で眠気は一向に訪れなかったが、その時と同様に眠気が全く来ない。

 

それは麻雀打ちとして長年生きてきた新木桂が知らなかった感覚。

 

それが何なのか、考え出すと余計に眠れ無さそうだったので秀介は眠ることに意識を集中する。

だが寝ようとすればするほど眠れないという事態もよくある話。

 

結局秀介はろくに眠れずに翌朝を迎えるのだった。

 

 




「久その2」ってことで、大体の時間軸はその辺です。
まぁ、久達が高校一年か二年かってのは書いてませんけど、まこちゃんが普通に遊びに行ってるし二年の方がしっくりかな?

彼は今から4ヶ月ほどしてその感情の正体を知り、久への告白に至る。

ってなわけで

FIN.

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