TALES OF CANVAS テイルズオブキャンバス 作:のばら
第一筆
“そこには、なにもなかった。
いつしかその無にいしがやどった。
そこには、無があった。
無がねがった。
白と黒、ふたつのいろがうまれた。
無はせかいをつくり、白と黒はいろをつくった。
いろはせかいにふりそそぎ、せかいはうぶごえをあげた。
いろはせかいをかけめぐり、せかいはいろをうけいれた。
ちょうわしたそこに、いのちがうまれた。
無はねむった。
白はそらへひろがった。
黒はだいちへかえった。”
『ユリスティアス創世記』抜粋
薄ら暗いその室内には天井まで届きそうな棚が規則正しく並べられ、そこには様々な書物が隙間無く詰められている。人気のない室内の更に奥、古くさい書物が目立つ場所に一つだけ机が置かれており、その机に高く積まれた本の影には隠れるように人が居た。机に顔を伏せ16歳ほどの少年が穏やかに眠っている。
夢を見ているのだろう、目蓋が時折痙攣するように震えては沈黙を繰り返していた。やがて少年は驚愕したように体を震わし飛び起きた。
「うわぁっ!……って、なんだ夢か」
変な夢だったと呟いた少年は小さく欠伸をかみしめた。幼いながらも理知的な顔付きの少年はほんの少し長い黒茶の髪を持ち、白いワイシャツと青を基調とした衣服を身に纏っていた。髪の隙間から覗く瞳は金色を宿しており、不思議なことに色の濃さがゆらりと変わり続けていた。生まれた時から付き合っている少年だけの瞳だった。
「いつのまに眠ってたんだろう。最近忙しかったし、疲れてるのかな……」
少年には夢があった。様々な場所へ訪れその場所を見て、聞いて、過ぎ去った時の足取りを調べ、己自身でその場所を感じあますことなく文字で綴り未来へと残していくこと。だが遠い場所へは徒歩だけではどうしても行けない場所もあり、かといって公共の乗り物では行ける場所がどうしても限定されてしまうのが現実であった。なので自分だけの空船ーー文字どうり空を駆ける船だーーを買うことに決めていた。そのための資金がもうすぐ溜まりそうであり、少年はつい、少しでも時間が空けば全て資金調達のために費やすという無茶をしていた。それほどまでに空船は、世界のどこへでも駆けることのできる翼は、少年にとって魅力的であった。
「図書館書庫の整理は終わったし、後は夜光花サマイアの伐採をこなせば今日のノルマは終わりかな」
夜光花サマイア。常時蕾の状態を保ち、午後九時から三十分程度しか花開かない白い花だ。花弁を広げている間は仄かに花弁が発光し、その最中に摘めば良く効く解熱薬の原料にもなる花である。
開花まであとどのくらいかと見た時計が指し示すのは九とニの数字。短い針は九に向けられていた。
「寝過ごしたっ!」
それまで居た建物から慌てて少年、—————レオン・エヴァレンスは飛び出した。
図書館の外は夜のカーテンに覆われ暗く、しかし夜空だけは星とは違う輝きで照らされていた。
走りながらも見上げた空には空船が飛び交っている。夜間のため空船は光で辺りを照らしていた。その光は星の美しさをくすませていたが、安全の為の光を点けない空船は酔っぱらいか後ろめたいことのある賊船くらいである。
もうすぐ自分の空船があの広い空に加わる。そのことに胸を弾ませレオンはサマイアの群生している街外れの林へと足を速めた。
レオンがサマイアの群生する林に着いた時、いくつかのサマイアは花弁を閉じ始めていた。慌てて伐採し終え、安堵からそのまま座り込んだその時、レオンはそれを見た。夜空を大きな輝きが駆け、森を抜けた先にある草原へ流れ落ちていくのを。
レオンはその輝きに図書館書庫で見た夢を思い出していた。どことも知れない何処かで、レオンは身動きが取れずにただそこに存在していた。曖昧な意識の中、しかしどこかはっきりとした部分で強い輝きが迫って来たのを感じ取っていた。そして、そのまま……。
そこまで思い浮かべた時、突如響いた轟音にレオンの思考が遮られた。先程の輝きが流れていった方から音が聞こえたことに気付いたレオンは素早く立ち上がり、草原の方へと足早に向かった。
森を抜けた先にあるそう広くない草原には、土煙を上げるクレーターが一つ出来ていた。
「!、君、大丈夫!?」
クレーターの中心には一人の少女がいた。瞳は固く閉ざされ、横たわった体には多くの傷があり血塗れている。前下がりに切り揃えられたショートボブが乱れ顔が隠れて分かりにくいが、少女の顔色が青白いのが見て取れた。
レオンは急いで少女に近寄り応急手当としてファーストエイドを唱え、少女を負ぶり走り出した。クレーターを飛び出し森を越えレオンは幼馴染みの僧侶の元へ向かった。
レオンが幼馴染みの家へ辿り着いた時、就寝前の時間を邪魔されたからかひどく不機嫌な様子で出迎えられたが背負われた少女を見た瞬間、様子を一変し少女に対し迅速な治療を施した。
少女はベットに寝かせられ、その横でレオンは幼馴染みから説教を受けていた。
「最近顔を見ないと思えばなんだいその隈は、肌の荒れは。明らかに不健康な生活を送ってるじゃないか。前に疲労で倒れた時、もう無理な生活はしないって言っていたのはどこの誰だっけ?」
「はは……ごめん」
レオンに叱責するように言った青年はミッシェル・ログイツェル。レオンより三つ年上の僧侶をやっている幼馴染みだ。顔の横でクリーム色の髪を締め、緑を基調とした僧侶服を身に纏っていた。上品なエメラルド色の瞳にはレオンを心配する色が浮かんでいた。
「しかもレオン、キミ、また厄介事を拾ってきたね」
そう言ってミッシェルは目元を鋭くした。ベットの中の少女を一瞥し、ミッシェルはレオンに告げた。
「あの子の傷、あれは剣によって付けられた傷だ。明らかに人為的で、しかもかなりの腕前を持った人物によるものだよ」
「でも、怪我をして一人で倒れてたんだ。放っとけないよ。ミッシェルだって、見つけたら助けてたでしょ」
「それは……まぁ、僧侶の仕事は傷付いた人達を癒すことだからね」
そう言って黙ったミッシェルから顔をそらしレオンは同い年程に思える少女を見た。外では辺りが暗く分からなかったが、少女は見事な黒髪をしていた。むしろ黒よりも濃く艶やかな色をしており、こういう色を漆黒と言うのだろう。金刺繍が施されたモノトーン気味の服ととても合っていた。
少女を見ていたレオンの耳に少女の小さな呻き声が届いた。目を覚ますのかもしれない。何回か呻いた後、少女はゆっくりと目蓋を持ち上げ目覚めた。現れた瞳は髪と同じ漆黒をしており、目覚めたばかりからかぼんやりとしていた。
だんだんと焦点が合っていく少女の瞳と視線を合わせながらレオンは少女に声を掛けた。
「具合はどう?」
レオンの声に一気に意識が覚醒したように見える少女は困惑したように瞳を瞬かせ、ゆっくりと上半身を起き上がらせた。
「どうしてかは知らないけど、キミにあった傷は全部致命傷になる箇所を避けて付けられてたから治癒した部分に違和感は残ってないはずだよ」
「君、街外れの草原で傷だらけで倒れてたんだ。傷は彼、ミッシェルが治してくれたから安心して。俺はレオン、レオン・エヴァレンス。君は?」
「わ、たし、は」
喋る、というよりは囁くような声であった。喉が乾いてしまっているのだろう。後で水を持ってこようと脳裏で考えたレオンは、次の瞬間、少女の口から出された言葉に衝撃を受けそのことをすっかり忘れてしまうことになる。
「私は、だれなのでしょうか」
少女は全ての記憶を無くしていた。