結果、時雨はバットが出せなかった。
瑞鶴の投げたZライジングは快音を鳴らしてインコースへ構えた翔鶴のミットへ収まる。
((決まった!!))
投げ終わった瑞鶴の顔には笑顔が見える。
受けた翔鶴もミットの位置を動かさずコールを審判のコールを待つ。
「~~っ!!」
構えからわずかにしか動けなかった体はようやく緊張が解ける。
その表情には諦めの色が浮かぶ。
(・・・やられた。)
そして時雨はバットを下し主審のコールを待つ。
一瞬の静寂ののち審判はコールを告げた。
「ボール、フォア。」
□ □ □
「ボール、フォア。」
((うそっ!!)でしょ!!!)
「・・・ふぅ。」
時雨は息をつきバットを放り一塁へと向かう。
その表情は一転、安堵の色が浮かんでいた。
(確かにきわどかったし・・・これは素直にラッキーだね。)
正直手が出なかった。
いつもならサインを確認する時間があってそこから一呼吸おいてモーションに入っていた。
だが、さっきの一球はサインを確認する時間が短く一呼吸もなかった。
(完全にタイミングを外されたよ。瑞鶴あんな攻めもできるんだね。)
瑞鶴には猪武者のような印象を持っていた時雨だが考えを改める。
小技も十分にできる油断ならない相手だ。
「ナイスフォアボールぅ。」
ひらひらと手を振りながら時雨を迎え入れるのはファーストを守る愛宕。
「ラッキーな打席だったわね~。さすがは幸運艦ってところかしらぁ?」
「あはは・・・誉め言葉として受け取っておくよ。」
もちろん愛宕に悪気はない。
あの雰囲気でウィニングショットがコースに決まれば勢いでストライクを取る審判はいるだろう。
実際それくらいいい球だった。
しかし結果はフォアボール。時雨自身もやられたと思った打席だ。
(やっぱ僕って幸運艦なんだろうなぁ。)
そう思いながら塁上にいると
ガシッ!
「!?」
「どうしたんだい愛宕!?急に抱き着いてきて!?」
「幸運にあやかろうと思ってぇ。迷惑だったかしら?」
「い、いや・・。別に気にしないけど・・。」
(別に気にならないけど。・・・やっぱり大きいな。まあ気にしてないんだけど!!)
もちろん愛宕に悪気はない。
□ □ □
マウンド上には腰に手を当て苦笑いをしている瑞鶴。
翔鶴はベースにミットを落としうなだれている。
「ボール・・・でしたか。」
起き上がり瑞鶴に返球しながら球審の香取に確認をする。
判定が覆るとは思っていないがそれでも聞かずにはいられなかった。それほどの一球だったのだ。
「非常にきわどいコースでしたがボールですよ翔鶴。」
声色は穏やかで威圧感も感じられない。しかし一本芯の通った意志の強い声はまさしくいつもの香取だ。
ならば今の判定も絶対の自信をもってのものなのだろう。
(・・・落ち込んでいても仕方ないですね。)
本当に落胆しているのはマウンド上の瑞鶴だ。
ならば女房役の自分がすべきことはここで落ち込むことではない。
翔鶴はタイムを取って瑞鶴のもとへ向かった。
「瑞鶴・・。」
「ふぅ。大丈夫よ翔鶴姉。ちょっとショックだけど落ち込んでるわけじゃないし。」
「だからそんな心配そうな顔しないでよ。」
笑顔を見せてこちらを気遣う瑞鶴。
落胆の色が見えないわけではないが既に切り替えつつあるのだろう。
翔鶴が心配したほどではない。逆に自分のほうが顔に出ていたらしい。
「瑞鶴を励ましにきたのに・・心配されちゃ困ったものね。」
「そう!翔鶴姉はちょっと心配性なのよ。」
「心配しないで。次の電・夕立に備えましょう。」
そういって瑞鶴は話題を切り替える。
確かにいつまでも引きずるものではない。次のバッターは電なのだからそこに意識を向けなければ。
「そうね。・・次は電ちゃん。この場面であの子は何をしてくると思う瑞鶴。」
「もちろんバントでしょ。バカにするわけじゃないけどこの場面で電にタイムリーは期待しづらいわ。」
暗に”電には打たれない”といった瑞鶴。
その意見には賛成だ。打撃力で言えば電は鎮守府内で下から数えたほうが圧倒的に早い。
2アウトでもない限りヒッティングにはこないだろうしタイムリーもあまり期待はできない。
「夕張あんまり足速くないし・・。できれば3塁でフォースアウトがほしいな~。」
ランナー1.2塁の場面でのバントは難しい。
ファーストが猛チャージを仕掛けてくるため1塁側に転がすと勢いがついた状態で捕球されそのまま
サードへ送球。うまく決まればサードでアウトを取られる。
2アウトでランナー2.3塁ならシングルヒット一本でも2塁ランナーは足の速い時雨。
おそらく一気にホームまで帰ってくるだろう。
これが1.2塁ならば流石にファーストランナーは帰ってこられない。
「電ちゃんはバントが上手よ。もちろん状況によってもセオリーも知っている。」
「しっかりとサード側へ転がしてくるはず。」
打撃力は心もとないが小技の技術は抜群のものを持っているのが電だ。
素直にバントをさせれば間違いなくサードへ転がすだろう。
しかしバッテリー側は素直にバントをさせる気がない。
「多分変化球で揺さぶってもきちんとバントを決めてくるだろうね。」
「ええ。電ちゃんは球種に関わらずバントをこなすと思うは。でも例外が一つある。」
「この試合で初めて見せた球だしね。Zライジング。」
「ええ。だから次の打席もZライジングをある程度コースに投げるよう要求するつもりよ。集中は切らさないでね瑞鶴。」
「OK!翔鶴姉。今の私は乗ってるの!どこでも要求して。ビシッと決めるから!」
「期待してるわね翔鶴。」
そう声をかけマウンドを後にする翔鶴。
思ったよりも瑞鶴は落ち着ているようだ。心配もいらないだろう。
翔鶴は電への配球、そして次の夕立に対する攻め方に意識を割き始める。
□ □ □
(このフォアボールは痛い。できれば電のバントでダブルプレーがほしい。)
マウンドの上でロージンパックを手に考える瑞鶴。
悔しいが夕立には2打席ともいい当たりを打たれている。
個人的には勝負もありだがチームを考えるとそうもいっていられない。
(夕立を敬遠する手も残ってるけど・・。)
電のバントが成功したとしてランナーは2.3塁。
1塁が開いた状態で夕立との勝負になる。夕立勝負で仮にカウントを悪くしても1塁が開いているため
夕立を歩かせて次の長門と勝負する手段もある。
普段や得点圏の打率を考えると圧倒的に長門勝負のほうがいいのだが・・・。
(長門さんはここまで3打数でヒットなし。そろそろ一本出ても打率的にはおかしくないのよね・・。)
(それに長打力では夕立より上。万が一満塁で長打を打たれればそこでゲームが決まっちゃう。)
(・・・ほんと。できれば電でダブルプレーを取りたい。)
加賀は簡単にやってのけたが本来瑞鶴のZライジングはかなりバントが難しい。
速いうえに変化をする。しかも上方向にホップする形で。
バットの上をかすめてフライか、バットの位置を誤って出来損ないのファールか。
いずれにしてもそう簡単にはできないはずだ。
(愛宕ももちろんチャージはするけど1塁にランナーがいる以上はそこまできついチャージはかけられない。)
(・・・コースに決めたうえで私が捕球。タイミング次第では1-5-3のダブルプレーも狙える。)
サードの叢雲は送球の精度がいい。とってから投げるまでももちろん早い。
電も足が速い部類のためタイミングは厳しくもなるが十分ダブルプレーも狙える。
(インハイに投げ込めばバットも体ものけぞってピッチャー方向に飛んでくるかな。)
考えているうちに電が打席にたつ。
夕立から逃げたいわけではないが・・やっぱりこの場面はバント失敗のダブルプレーが一番。
瑞鶴の考えは変わらない。
□ □ □
翔鶴は電に視線を送る。視線の先の電はヒッティングの構え。
だが恐らく打つ気はないだろう。投球と同時にバントの構えに移るはず。
(電ちゃんはバントがうまい。でもZライジングをコースに決めれば失敗も誘えるはず。)
最悪バントを決められてもかまわない。
2アウトで夕立か長門と勝負に臨むまでだ。あくまでダブルプレーは”出来れば”
この場面で無理をする必要はない。
(この場面で最悪は3塁封殺に失敗して1塁もセーフのフィルダースチョイス。)
仮にオールセーフにでもなれば満塁の場面で夕立・長門との連戦。これだけはどうにか避けたい。
(1つのアウトは確実にもらう。打球が転がったら無理のない指示をだす。)
打球が転がった場合、内野陣の中では唯一ランナーの進み具合を見渡せるのはキャッチャーのポジション。
つまりは翔鶴のみだ。
つもりここからのワンプレーは翔鶴の判断が非常に重要になる。
(瑞鶴の前にバントを。できれば勢いを消しきれないようなコース。)
(誰でも顔付近に速球が来れば体ごとのけぞるはず。狙わせないためにもここはインハイをつく。)
瑞鶴にサインを送りミットを構える。狙うはインハイ。
(時雨ちゃんの時みたいに厳しいコースじゃなくてもいい。インハイ付近にストライクが入ればバントは難しいはずだから。)
□ □ □
瑞鶴が振りかぶる。
それに合わせて電はバントの構えに移る。
(ストライクゾーンなら一球で決めるのです。)
狙うはチャージのかけにくいサードかチャージが遅くなりファースト。
この場面でキャッチャー・ピッチャー前はダブルプレーの恐れがあるからNG
(きっとZライジング。できれば上からボールにバットを当てるように。)
この試合。電はほとんど自分の役割が果たせていない。
そのため打席にも力が入る。
(必ず決めるのです。)
この打席にかける思いは強くなる。冷静さも欠いてしまったのだろう。
その結果、体には余計な力が入っていても電は気づけなかった。
□ □ □
(っ!このコースは・・・。)
カコンッ!
乾いた音を鳴らしてバットは電のインハイを突いたボールをはじく。
打球は勢いを消しきれずチャージをかける瑞鶴の正面に転がっていった。