やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。通称俺ガイルの二次創作と言うことで書かせていただきました。短編です。原作は現時点(投稿日)ではまだ終わっていませんが、「もし彼らの青春ラブコメがこんな結末だったなら?」という発想というか妄想を、BUMP OF CHICKENの曲と重ねたSSです。
※注意※
この小説は完全に私の妄想の産物であり、原作の結末を示唆するものでも考察しているものでもありませんのであしからずご了承ください。
多分、嘘だ。
いや、どうやら、本物らしい。
本物のノックの音が聞こえる。
なんでインターホンが壊れてるんだ、みたいな文句と共に、俺の部屋の扉がノックされている。
帰ってくれよ、と言う。
見て分かんないのか、閉じこもってんだよ。
もう、傷つかないように、傷つけないように。
変わろうとしたんだ。でも。
俺みたいなやつがいくら頑張ったって、間違いを繰り返すだけだって気づいたんだ。
同じ間違いを。
この狭い部屋の中で一人、溺れ死ぬまで泣き続ける。
指定された場所まで行くと、やつはもう既に俺を待っていた。
女に囲まれて困ったように笑いつつもきょろきょろと誰かを探しているようだ。俺だろうか?あいつが探しているのは俺だろうか。
目が合う。
ほっとしたように手を挙げ、やつがやつであることを知らせる。ああ、やっぱりお前か。
俺には到底突破しがたく見えるその包囲網を、やつは笑顔一つでするりと潜り抜け、こちらに歩いてくる。
「やあ」
快活な挨拶。スマートな微笑みと上品なスーツ。髪の色や服装が変わっていても、やつはやっぱりやつだった。
俺も片手をあげて挨拶する。そして今しがた突破された包囲網をやつ越しに眺め、唇を片方だけわずかにつり上げて、
「相変わらずだな」
俺もやつも、それが皮肉だと知っている。
「それは?」
手に持っていた包装紙に包まれた小さな物体を訊かれ、俺はよく見えるように目の高さまでそれを持ってきた。
「ラノベだ。新刊が出たんでな」
それを聞くと、やつはどう反応しようか逡巡した挙句、やっぱり困ったように笑って見せた。
「…相変わらずだな」
俺もやつも――――比企谷八幡も、葉山隼人も、それが皮肉だと知っている。
ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。
葉山みたいなやつが向こうから歩いてくるなと思ったら案の定葉山だった。
そう俺があけすけに言うと、葉山は笑った。妙に懐かしい笑みだった。
「ついたぞ」
俺の声に葉山は顔をあげる。何の変哲もないぼろっちい居酒屋が佇んでいた。一応、あっし、ここにいますんで。よかったら、一杯どうぞ…控えめな自己主張が中々俺好みである。
なるほど、と葉山は何に納得したのか、ふむふむうなずいている。
「きみの行きつけと言うのはここか」
「なんだよ、不満か?」
「いいや、むしろ好きだな」
のれんをくぐると、居酒屋特有の匂いや熱気が元気の良い店員と共に俺たちを出迎える。駅からそう遠くないこの居酒屋は、それとなく、ひっそりと繁盛している。
案内されたテーブル席に腰かけると、葉山に断ってから俺は生を二つ注文した。
なんだ、こう、この店に葉山ほどのハイレベルな人間がいると、まるで違う店にうっかり入り込んだように思えて少し居心地が悪い。場違い。さっきから若い女の店員がちらちら葉山を見ている。が、当の葉山は興味深そうにきょろきょろ見渡して辺りを観察しているようだ。
偶然再会した時に、飲みに誘ってきたのは葉山だ。仕事の関係でたまにこっちに来ているらしく、葉山は俺の行きつけの店に行きたい、と言い出した。
高校を卒業して以来―――多分、おそらく、俺と葉山が二人で会うのは初めてだ。
「…」
「…」
葉山は無言だ。俺と目を合わせようともしない。
…。
俺は咳払いして、目をうろうろさせながら口を開いた。
「…まぁ、その…なんだ、元気にしてたか」
葉山は俺をまっすぐ見つめ―――それから、ぷっと吹き出した。
「あははっ、比企谷、きみ、そんなこと言うやつだったっけ?」
「…う、うるせえな…」
ホームかアウェイかで言えばホームである俺が勇気を振り絞って口火を切ったってのにその言いぐさはひどい。
おしぼりで手を拭きながら、葉山は人好きのする笑顔を浮かべる。
「いや、ごめん、少しからかいたくなってね。でも、」
「なんだよ」
「てっきり断られるかと思った」
「…まあ、そこまで子供じゃないさ」
じゃなくなった、と言うのが正しいのか。
注文した生ビールが到着し、俺と葉山は目を合わせる。
「じゃあ、乾杯だ。久しぶりの…再会に」
「…ああ」
「ん?本当にいつぶりだったかな」
「あー…結婚式じゃねえの」
「ああ、そうか。乾杯」
かちりと乾杯して、ジョッキを傾ける。
「今更だけどきみ、酒はどの程度?」
「ある程度は、飲めるが」
「俺もある程度、だ」
勝手が分からないからとりあえず注文は任せる、とのことだったので、俺は焼き鳥が旨いんだ、と葉山に説明して、いつものように適当につまみを用意してもらう。
何気なく葉山のジョッキを見ると、もう既に半分ほど空になっていた。ある程度、か。
葉山は手を組んでこちらに身を乗り出すようにして言う。
「それにしても驚いたよ。この町は長いのか?」
「まあ、それなりだな。俺だって驚いてるよ、東京はもう少し広いもんだと思ってたんだが」
「不思議と縁があるね」
「東京と俺が?馬鹿言え。たとえ離れていたって心は千葉県民だぞ」
「…きみと俺が、だよ」
…ジョッキをあおる。よく冷えたビールがのどを抜けていく。旨い。ビールを初めて旨いと感じたのはいつだったかと頭の片隅で考えながら、俺はぽつりと、
「社長か…」
聞きつけた葉山は、照れ臭そうに笑う。
「なんだ、知ってたのか?社長って言っても…全社員20人にも満たない小さな小さな会社の、だけどな」
頼んだ焼き鳥が出てくる。店員に愛想よく礼を言って(店員が頬を赤らめた)、葉山は鳥もも肉をほおばった。
今注目、ITベンチャー企業、若きやり手社長。
同僚に見せてもらった特集ページのレイアウトをぼんやり思いだす。妙にしっくりくると思ったのは多分俺だけじゃないはずだ。葉山が誰かの下で働く、ということがいまいち想像できない。
それを考えると、やはり葉山が社長というのは無理がなく、ぴったりというか、整っている…気がする。葉山隼人は今でも整っている。…さて、社畜はおとなしく鳥の皮でも頂くことにするか。
そんなたいそれたものじゃない、今じゃベンチャー企業なんて珍しくもなんともない、と言うような謙遜の類をいくつか、葉山隼人はのんびりした口調で話す。それからもう一度ジョッキを傾けて、それから遠い目をして見せる。…こんな薄汚い居酒屋で、いちいち絵になる男だ。
「…でも、今の自分はきっと…到底予想できなかっただろうなって思うんだよ。あの頃にはね」
あの頃、か。
高校を卒業してから、一体何年経った。
とてもそんな、すぐには思い出せないほどの時間がたったとは思えない。
目の前にこんなやつがいると、特に。
「…今思い出したんだが、三年生の文理選択でお前と一悶着あったよな」
何がおかしかったのか葉山は唇の端に笑みを浮かべる。
「…ああ、あったな」
「あんまり思い出せないんだが、結局、お前、どっちにしたんだっけ?」
葉山はそれには答えずに、おもむろに自分の指を見つめ始めた。
―――月日なんてあの時から流れていないように感じたが、どうやらそんなこともないらしい。
俺も葉山も、もう高校生ではないのだ。とっくの昔に。
モラトリアムはもう終わっている。
葉山は自分の指を熱心に見つめつつ、ぽつり、言う。
「普通に親の後継いで弁護士になるか、それかなにか…いや…普通にずっと…そう言うものだと思ってたんだ」
代わりに弁護士になったのはあいつだったな、と茶々を入れようかと思ったが即座に思い留まった。はたして話題にしていいものなのかどうか分からない。
だが、例えば――――と、俺は思う。
例えば、お前らの親と立場が入れ替わるように…あいつがお前の会社の顧問弁護士になったり、とか。
案外そう遠くないかもしれない未来を、想像してみる。
葉山はおもむろに俺をまっすぐに見つめてくる。その表情からは何を考えているのかうかがい知れない。
「俺が今ここにいるのは、実は全部きみのおかげで…とか、な」
「冗談はよせよ」
「冗談だよ。誰が君に感謝なんてするか」
「…」
からりと快活に笑う葉山。違和感。はたしてこいつは
内心の動揺を隠すべく、俺はなるべく低い声を出す。
「…お前、変わったな」
葉山は意外そうな顔をする。
「…俺は、変わったのか?」
「いや、知らねえけど…もう俺もお前も、高校生じゃないし、な」
「君が変わったというなら、変わったのかもしれないな。そんなことに興味はないけど」
肩をすくめて(そのしぐさの一つ一つが様になる)、葉山はそんなことをうそぶく。
俺は黙って一杯目の生ビールを飲み干した。
黄金の液体がのどを通り抜ける。
旨い。
相も変わらず俺の話を聞かずに、ドアの向こうではノックをする。
開けてくれ、と、扉を叩く。
うるさい。黙れ。
…随分ひどい言葉をあれこれ投げつけた。
ノックの音がやむ。
泣かせてしまったか?
また、俺のせいで泣く人がいる。
だからもうほっといてくれ。
もう嫌なんだ。
俺も泣く。
泣き続ける。
泣き続ける。
それから俺たちは昔話に花を咲かせ、アルコールも順調に摂取していった。
久しぶりなんだ、と葉山は美味そうに日本酒にも手を出し始めている。
だれだれがどこどこでなになにをしている、などという話はほとんど葉山が話し、俺はもっぱら聞き役だった。当然と言えば当然だが。
だが、俺の会社の上司に平塚先生のような人がいる、と俺が話したときは盛り上がった。
「平塚先生か。懐かしいな。元気かな。進路相談とか特に、随分お世話になったっけ」
「俺は迷惑かけっぱなしだった」
「良い先生だったから、きみのことはほっとけなかったんだろうな」
良い先生、か。
あの人がいなかったら、俺はどうなっていただろう。考えるだけで俺は…いや、やめた。考えるのはやめた。恐ろしい。
たくさんの事を教えてもらった。
俺が迷った時は道を示してくれ、間違えた時は優しく諭してくれた。
あの人なしに、今の俺はない。感謝しても、し切れない。
素直にそう思う。
「ホントに、良い、先生だった」
心に刻むように一言一言区切って小さく呟く。聞かせるつもりはなかったが、葉山にはしっかり聞こえたらしく、うなずいて笑ってみせた。
「…ところであの人、結婚は…してるのか?」
「…きみは知ってるのか?」
「…お前は?」
「…」
「…誰かから聞いてねえのかよ」
「いや…そもそも、高校の同級生とはしばらく連絡取ってない」
とってないのか、連絡。
一瞬意外に思ったが、すぐにそれを打ち消す。どんなに仲が良くても、次第に疎遠になるのは仕方のないことだ。俺もそれは知っている。
「あ、でも、先生ついでに――――」
葉山は思い出したように言う。
「結衣が先生やってるのは知ってるよ。この間偶然会ったんだ。高校教師になったって」
「…ああ、俺もそれは知ってる。すごいよな、あいつ」
「……勉強頑張ったんだな、って言ったら馬鹿にしたな!って怒られちゃってさ。そんなつもりはなかったんだけど」
「…」
「多分、彼女はさ。君になにもしてあげられなかったって、そう思い込んでるんじゃないかな」
葉山は至極穏やかな声で、誰も口に出してはいけないことを平然と口にする。
かすかに胸に痛みが走る。だが―――――
その痛みが思ったよりも濃くないことに、俺は少なからず驚く。
「いい先生なんだろうな、結衣は。きっと大勢の君に手を差し伸べているんだ」
葉山が言う。違和感。
感じた違和感を何とか言葉にしようとして、やっぱりやめておく。が、葉山は俺がキョドっているのにすぐさま気付いたようだった。
「ん?なに?」
「いや…別に」
「なんだよ、言えよ」
葉山がテーブルの向こうから小突いてくる。びっくりして俺は口を開いてしまう。
「いや…その…なんて言うか、お前」
雰囲気とかが。
――――
「―――変わったな、ってやっぱ、思って」
変わらないものなんてない。以前はそれを求めたこともあったかもしれないが、それは世界に対するただの幼稚な我儘で、冴えない願いだった。
今ならわかる。
わかりたくないものまで、わかる。
それが良いことか悪いことかは、今でも、分からないけれど。
まだ、お前は、扉の向こう側にいるのか。
お前も大概、お人よしだな。
あんたに言われたくないと、扉の向こうで誰かがうめく。
これができるのは自分だけだと思ったから、と。
開けろ、と、扉が叩かれる。
無駄なんだよ。
どのみち、開かないんだよ。
開けられないんだ、俺の力じゃ、もう、すでに。
ノックがやむ。
諦めたようだ。
それでいい。お前は俺に構ってる暇なんて、ないだろう。
「お前の仕事は上手くいってんの?」
酒が回ったのか微妙な質問をしてしまった。上手くいっていないはずがない、なにしろ葉山隼人だ…そこまで考えて、俺ははたと思い直す。
思い出した。
そういう期待を、俺は葉山にするのはやめたんだった。
俺がまだ幼いころに、俺だけは葉山に、何も求めないでいようと。
そう誓った日があった。
確かに、あった。
これもこれでほろ苦い1ページというやつだ。
ああ、なんだか思い出してきた。マラソン大会だったかな。
冗談だろ。君を良い奴だと思ったことはないよ。
目の前に座る葉山隼人は肩をすくめる。
「毎日忙しくて、本当、寝る間もないんだ」
「え、お前、今日大丈夫だったの」
「大丈夫。頑張って時間作ったから。大体、仕事が大変なのは誰だってそうだろう。君だって」
「エリート社畜だからな」
返事になっていない返事をして、俺は最後の枝豆に手を伸ばす。追加注文、砂肝が食べたい。
「そうだ、今度君の会社と一緒に仕事をすることになるかもしれない」
何とはなしに爆弾発言だ。
「冗談だろ?」
「実は、もう話はまとまりかけてるんだ」
「ええ…」
どうでもいいが、「君の会社」なんて言われるとまるで俺がボスみたいじゃないかよせよ照れる。
まあ待ってなよ。なんてカッコ良さげに葉山は言うと(いや、カッコ良さげ、ではなくカッコ良いんだ)、寄ってきた店員にいろいろ、もろもろ、追加注文を始める。
葉山隼人は…相変わらずカッコいい。持って生まれた爽やかさに、高校の時とはまた一味違った大人の余裕も混ぜ合わせ、さらにさりげないスパイスを加え、中火でトコトコ煮込んでアレしてコレしたのが今の葉山隼人だ。何言ってんだ。自分でももう全然分かんない。意味が伝達してこない。
葉山はじっと俺を見つめて何か考え事をしているようだ。そんな目で見据えられると落ち着かない。
「まあ、」
葉山がお猪口を手に持ったので、俺は半ば無意識に酒を注いでいた。社畜のしみついた習慣が火を噴く!
「君のおかげ、というのは語弊がある」
ん?さっきの話の続きか。理解するのに寸刻かかる。あまり表情に出ていないが、こいつ、酔っ払ってんのか?今一つ読めない。繰り返すが、こいつと飲むのは初めてだ。
「俺は、転んじゃいけないと思ってたんだ、あの頃は」
お猪口に注がれた透明な液体を眺め、葉山はぽつり、呟くように言う。
「怪我をしたら大変だと思って、転ばないように、歩いてた。転んでしまっても、傷が塞がるまで見ないようにしてきたんだ」
でも、君を見てたら。
「転んでもいいかって思った」
葉山隼人が、あの頃の葉山隼人に、一瞬だけ、ダブって見える。
「大事なものはたくさんあった気がしたんだ。…でも、実際、大事なものなんて、ほんとはたくさんあるわけじゃない」
「たった一つ、それだけを絶対に離さないでいようって、そう思ったんだ」
「誰も傷つけたくなくて、守ってたんだ。でも守ってたのは多分、俺のちっぽけなプライドぐらいなものだった」
「今から思えば、なんであんなに必死だったんだろうって思うよ。調和の世界ではなにも生まれないし、少しも生きてなんかないのに」
「俺は…敷かれたレールから抜け出してみようと思った。親元を離れて起業して、社長までになった」
「友達もたくさん増えたと思うし、多少は、恋愛だってすることもあったよ。でも、俺は、その途中で何度も」
転びまくったよ、俺は。なあ、比企谷。
葉山はそう言って子供のように純粋で、それでいて大人びた笑みを浮かべる。
それは俺が初めて見る笑顔だった。
輝いている、と思った。
例え小粒でいびつな形をしていても、それはきっと、何よりも輝く。
葉山隼人は転び、立ち上がり、前ばかり見ることをやめ、後ろを振り返った。
きっとすりむいた膝からは血が流れていて、その血が彼の歩いてきた道を、確かに示してくれているのだろう。
葉山隼人は、流してきた真紅の後を振り返って満足げにうなずく。
「…いつか、俺は君を嫌いだと言ったな」
「…ああ。俺もお前が嫌いだと言った」
俺だけはお前を否定しといてやろうと思ったからな。
今ならわかる、と目の前の男はぽつり、と言う。その姿がどこか寂しげで、俺は訳も分からず目をそらしてしまう。
なあ葉山、この胸の痛みはきっと、俺たちが子供じゃなくなったことの証だ。
「君は、俺に…ずっと前、置いてきたはずの俺の…俺の嫌いな俺にそっくりだったんだ」
「…」
「俺はそいつを見捨てて歩いてきたはずなのに、気が付いたら俺の目の前に君が立ち塞がってたんだ」
お猪口をもてあそびながら、葉山は物思いに沈んだ横顔だ。
「あれほど嫌なことはないよ。認めるしかなかったんだ。ひどいよ」
「…す、すまん」
思わず謝ると、葉山は笑った。
「謝るなよ。君のせいじゃない。いや…やっぱり君のせいか?」
「なんだ、それ」
「…でも、やっぱり君のせいで、俺は、俺が俺だと気付いたんだ」
「…」
「本当に、腹が立ったよ。でも、全部俺だからさ。仕方ないよな」
葉山はひどく真剣な顔で、俺を見つめていた。
葉山は、大事なものを、掴めたのだろうか。
もう掴んだのか、掴もうとしているのか、掴めなかったのか。
多分、それは、葉山隼人にしかわからない。
君のせいだ、と葉山はもう一度小さく呟いた。
…前にもそんなこと、言われたことがあった。
先輩のせいですからね。
軽やかな声が、ふと、俺の脳裏をかすめる。
懐かしさに目を細め、俺は何杯目になるか分からないビールを飲み干した。
窓ガラスが割れる音。
振り向くと、そいつが鉄パイプを持って泣いていた。
ひょっとするとお前、馬鹿だったんだな。
俺と、同じくらい、馬鹿だ。
見たことがあるのかと、そいつは問うた。
何をだ、と訊く前に、侵入者は泣き顔で、俺に小さな手鏡を渡してくる。
くいっと、威勢よくお猪口の中身を飲み干すと、葉山は俺の肩を叩いてくる。
「そうだ、まだきみの話を聞いていないぞ」
「…話す事なんてないぞ。聞いて面白い話もない」
その時バイブレータが鳴る。俺の携帯だ。とっさに携帯電話を取り出す。
メールの着信だった。
「どうした?」
「いや、知り合いの作家が…新刊の感想の催促を」
「ふうん」
葉山は追加の酒の注文をしようとメニューを眺めている。こいつ、まだ飲むのか。
俺は咳払いをしてわざとらしく腕時計を確認する。
「…さて、もうそろそろ良い時間なんじゃないか?明日の仕事はいいのか?休日だろうがなんだろうが、お前には仕事があるんだろう?」
俺の諭すように発した言葉を聞いた葉山は、残念そうにうなずく。
「いつの間にこんなに時間が経ったんだろうな」
葉山は自分も時計を見て、ふっと溜息をつく。そして俺を見つめ、
「今日は…付き合わせてすまなかったな」
「いや、べつに、俺も…」
「ほんとはもっと君の話も聞きたかったんだけど」
「いやそれは…。まあ…べつに、また会えるだろ」
そっぽを向いて俺は言う。そうだな、と葉山は笑う。
金を払って外に出た。
夜の街は少し眠たげで、とっぷりとした暗闇に都会の星が瞬いていた。
俺が伸びをすると、葉山は俺の薬指にはまった指輪に目が行ったようで――――しげしげと見つめている。指輪に嵌まっている小粒のそれが、自己主張をするかのようにきらりと光った。
「…元気か?君の奥さんは」
「ああ、すこぶる元気だが…「君の奥さん」だなんて、随分他人行儀じゃないか?」
「ははっ、いや」
妙な笑みを浮かべる葉山。
「なんだよ」
「いや、人の奥さんの事を名前で呼ぶのはどうかと思ってね」
「…確かにそうだな。ちょっといらっと来そうだから、それはやめてくれると助かる」
あっけにとられたように葉山は俺を見つめた。ぽかんと口を半開きにして、珍しく間抜けな顔だ。
「…君は変わったな」
「俺は変わったか?」
「…随分、なんというか、素直になったな」
…酔っ払いにそう感慨深げに言われちゃたまったものじゃないが。
「酒が入っているからなぁ」
かく言う俺もそこまで余裕があるわけではない。わりと酔っぱらっているのは自覚している。
「気持ちが悪いな」
「ひどいぞ!」
葉山は途端に破顔する。俺をからかうのがそんなに楽しいか、おい。
「君はさっき俺が変わったと言ったが、君の方がよっぽど変わったよ。専業主夫だのなんだの言ってたやつが、大手出版社勤務のバリバリサラリーマンじゃないか」
「いや、雑用なら何でもござれ、社畜の鏡として無茶苦茶にこき使われてるだけだ」
「まあ、高校時代から専業主夫なんて本気じゃないだろうとは思っていたけど…」
それがなあ、割かし本気だったんだぜ?ほんとだぜ?
でもまあ、人生の予定表なんてそんなもんだ。だろ?
かけていた黒縁の眼鏡を外すと、ハンカチを取出しレンズを綺麗に拭く。そんな俺の顔を葉山が覗き込み、くすくす笑う。
「やあ、久しぶりじゃないか、ヒキタニくん。眼鏡をかけていたから君の顔の特徴を思い出せなかったよ」
「うるせえな」
眼鏡をかけるようになったのは社会に出る少し前からだった。どうやら、俺の眼鏡はわりと、評判が良い。
「…でも、記憶に残っているほど腐った目をしていないな。それは誰のお蔭なのかな、比企谷」
俺が答えず黙ってレンズを磨いていると、葉山は小さくうなずく。
「比企谷、正直に言うと、助けすら呼べなかった君を最後の最後に救うことができたのは、やっぱり彼女しかいなかったんじゃないかって、俺は思うんだ」
俺は答えず、再び眼鏡をかけ、葉山に向き直る。クリアになった視界には、小さな宝石がきら、と光る。レンズを磨いたお蔭か、見えないものまで見えてしまったようだ。
ともすれば緩んでしまいそうな口元を引き締めるべく、わざとしかめっ面で、俺は葉山に尋ねる。
「…お前、電車か?」
「ああ、そうだな」
「じゃ、ここで。俺は逆方向だ」
「そうか」
葉山はしばらく黙って俺を見つめた。そのまっすぐな瞳は、俺には到底真似できない。真似しようとも思わなかったが。
だが、きっと、お前のそんな瞳が、多くの人間を惹きつけてやまなかったのだろう。
やっぱりお前は変わらないよ、葉山。そういうところは、お前は一生、肌身離さず、しっかり持っていると良い。
「…比企谷」
「なんだよ」
葉山は真剣な顔で俺を見つめている。なにもかも惹きつけて、葉山隼人は口を開く。
「君は今までたくさんの人を助けてきた。必ずしも褒められたやり方ではなかったかもしれないが、君のおかげで、あるいは君のせいで救われた人間は君が思っているよりも多い」
「…その手の説教は、もう聞き飽きたぞ」
思わず久しぶりに予防線を張ると、葉山は快活に笑った。
「違うよ、俺はただ、そんな君が救われて本当に嬉しいんだ」
何の混じり気もない、純粋な言葉だった。思わず絶句する。どんな皮肉も打ち返してやろうと身構えていた俺は、あっけにとられて空振り三振。
言いたかったことは、多分、これだけだ。
絶対、離すな。
最後に葉山はそうつぶやくように言うと、俺に背を向け歩き出した。
俺はしばらく葉山の後ろ姿を見つめ続け、やがて逆方向に一歩踏み出す。
葉山は駅の方へ、俺はその反対方向へと。
かつて葉山隼人は、こんな風に言葉をくれたことがあっただろうか。
…よく、覚えていない。
だが、この時、俺の心を満たす確かなあたたかさは。
かけがえのないこのあたたかさは。
歯を食いしばっていないと両目から流れていきそうな気がして、俺はただそれだけを心配していた。
中心街から少し外れただけで、あたりは人の気配がまるでしない。ともすればここはひょっとするとあるいは宇宙かと錯覚するほどの闇の中を、俺は一人、歩き続ける。
俺は夜空に包まれる思いをしながら、あれこれ考えずにはいられなかった。
こんなに時間が経っても、ふとした瞬間に呼び起こされる、痛みがある。
総武高校。奉仕部。かけがえのない仲間。
本当は、全部わかっていた。わかっていたのに、間違えた。
なりたかった関係になれたのだろうか。欲しかったものは手に入れられたのだろうか。
俺は、葉山は、そして、皆は。
今となっては、それらはすべて遠い記憶だ。
痛みは過去のものとなり、徐々に薄くなっていくが、決して消えはしない。
間違いでも、間違いじゃなくても、失った時間は取り戻せない。
だが――――散々間違えて、間違えられて、それでようやく見つけることができるのだ。
たった一粒の、もっともきらめくそれを。
絶対、離すな。
窓ガラスが割れる音。
振り向くと、そいつは鉄パイプを持って泣いていた。
「ひょっとするとお前、馬鹿だったんだな…俺と、同じくらい、馬鹿だ」
メイクはぐちゃぐちゃ、髪はぼさぼさ、笑ってるのか泣いてるのかもうよく分からない。
まったく、俺が知ってるお前はどこ行ったんだよ。
らしくない。
俺のために泣くなんて、まったく、らしくない。
「ちゃんと見たこと、あるんですか?」
侵入者は泣き顔で俺に小さな手鏡を渡してくる。
「ほら、見てください。…笑えますよ、先輩の泣き顔」
読んでくださってありがとうございました。あとがきです。
ある意味出オチ、題名でお分かりになる方は一発でお分かりになってしまったかと思われますが、この二次小説のベースとなった曲と言うのはBUMP OF CHICKEN の「ダイヤモンド」と「ラフ・メイカー」の二曲でした。
僕はもともと俺ガイルもバンプも大好きで、俺ガイル(確か10巻)を読みながら「ラフ・メイカー」を聴いていたら「あれ、これって合うんじゃ…」なんて思ってしまったのが始まりでした。そのあとで、その姉妹曲でもある「ダイヤモンド」を聴いてますます創作意欲が掻き立てられてしまった次第であります。「ラフ・メイカー」「ダイヤモンド」ご存じでない方はぜひお聴きになってください。
似ていると思うんです。雰囲気が。完全に僕の個人的意見ですが。
共感していただけたなら嬉しいです。
読んでくださってありがとうございました。
…ご意見、ご感想など一言いただけたなら、盛大に歓喜します。