どうも囲村です。月曜日ですねえ。手直ししてたら次第にちょっとわからなくなってきて、前作から一か月近く経ってしまいました。二人がキャッチボールする話です。
雨の匂いがする。
ノートパソコンを閉じると、小さく呻いて、強張った首回りの筋肉や肩甲骨の辺りをほぐした。
部屋のカーテンは開けられていて、そこから夕日が差し込んでいる。夕日…夕日かぁ…。ああマイホリデー。酷使した目をしぱしぱさせていると、
「あ、お仕事終わりました?ご苦労様です」
背中の方からきゃるんとした声が聞こえた。仕事中の俺の背中を背もたれにして、文庫を読んでいるいろはである。
「まあホントは仕事の持ち帰りはアレなんだがな」
「お休みの日なのに、大変ですね」
「言ったろ。今週はマジで忙しかったんだ」
とある大物偏屈じじいの作家様に新しくついた担当が、何をしたのかそのじじいにひどく嫌われてしまった…という事案が発生したのが今週の初っ端。じじいは相当に機嫌を損ねてしまい、原稿を取ることは愚か、社員に家の敷居を跨がせないぐらいの剣幕であったらしい。
頑固な年寄りはこれだから困る。あちらはあちらで今時の若者はとカッカしているに違いないが。上手いとこ痛み分けってことにしようぜ、ホント。
まあ、ぼくらは人間だぜ。
ちなみに最悪原稿が落ちることも考えていたが、菓子折りを抱えてスライディング土下座しに行った部長のお蔭でなんとか間に合った。部長は伊達に部長じゃなかった。部長、野球部だったらしい。部長が野球部ってなんだかおもしろい。
身体を伸ばそうと床に寝転がる。「ぐは」といろはが言い、俺の腹を枕にして寝そべった。ずっといろはの目は文庫に向けられたままだ。
「つーかさ、お前、それ何読んでんの?」
「ヒントはー、宮沢賢治です」
「んー、よだかの星?」
「先輩それ好きですねえ。でも残念、銀河鉄道が出てくるお話です」
「お前それほとんど答え言ってるじゃねえか」
「主人公に心当たりが?」
「他人事とは思えない」
「ふふ」
文庫にしおりを挟み、いろははうつ伏せになると、期待のこもった目つきで俺をつっつく。
「え、なに」
「行きましょうか、先輩」
「え、どこか知らないけど嫌だ」
途端、いろはは不機嫌そうに唇を尖らせた。すっと目を細め、ぼそっと呟く。
「花」
「ぐぇ」
そうだった。
「…失敗しない人生なんて、ありえない、よな」
噛みしめるように、一言ずつ区切って俺は言う。自らの失敗は潔く認めるべきだ。それがいつしか糧となり的な。
つややかな亜麻色の髪を揺らして、いろはは首を斜め三十度に傾ける。ジト目が第二段階に移行している…パターン青、いろはです。
俺は小さなベランダに置かれた小さなプランターの小さな花の哀れな姿を思う。三日前に枯れちゃった。ああ三日前に枯れちゃった小さな花。
「あーあ、せっかくあげたのに。ちゃんと水やるって先輩が言ったんですよー?」
俺は腹筋に力を入れて起き上がった。頭をぽりぽりと掻き、謝罪の意を込め正座をする。
「いや、すまん。…調べてみたんだが、あれはどうやら水のやり過ぎだったらしい」
俺の言葉にいろははジト目をやめて、ぷっ、と吹き出した。
「あはは、先輩らしいですね、水のやり過ぎかあ。先輩ってたまに激しく不器用なところありますよねー」
いろはは膝立ちで俺に近づくと、上目遣いでにっこり笑う。おいやめろそんな顔すんな。
「絶対枯らしてなるものかってすごく熱心に水あげちゃったんですね。やれやれ、愛されるのも大変です」
「ぐ…」
お前のその自信はどっから来るんだ、とか何とか反論しようと思ったが、10割方その通りなので、俺は黙り込む。
「ま、別にあれ、貰いものなんですけどね」
…あまりにあっけらかんと言うものだから、俺は開いた口が塞がらなかった。
いろはは俺にはお構いなしに立ち上がり、
「さて、先輩。雨が上がったみたいなので、しに行きましょうか、キャッチボール」
「え?なんだって?」
確かに僕は友達が少ないが、決して難聴になったわけではない。がしかし、俺は思わず訊きかえした。
「だから、キャッチボールですよ」
フローリングの床に無造作に置かれていた白いトートバッグから、いろははグローブを二つ取り出した。大きいのと小さいの、一つずつある。
「ほら、用意が良いでしょう」
得意げに言い、俺に大きい方のグローブをぽいと投げてよこすいろは。
渡されたグローブをまじまじと見つめる。黒の革製のそれはかなり年季が入っていて、表面のほつれなどからも使い古されたものだと容易に見て取れる。
「…」
なんで?
いろはは小さいグローブをすでに左手にはめて、右手でゴムボールをにぎにぎ、早くも少し楽しそうである。その姿はまるでおもちゃをあたえられたしょうねんのようだ!
「さ、行きましょうか」
「え、やだよ。だるいし。疲れたし」
いろはは途端に眉をひそめ、むっと唇を尖らせる。
「だめですよ先輩。先輩みたいに出不精な人はですね、こうしてたまに体動かさなきゃ」
「ぬぅぅ…今日は溜まってたアニメの消化しようと…そもそもなんでキャッチボールなわけ」
「キャッチボールの気分ってあるでしょう」
「ないよ」
「キャッチボールの気分だな、とか、お昼寝の気分だな、とか、お絵かきの気分だな、とか」
「気分、って自分、と似てるな」
「微分積分」
「気分自分、って?」
「意味わかんないこと言ってないで早く準備してください」
「くっ」
その後結局俺は折れた。決め手は花を枯らしてしまった負い目だ。やっぱり何事もやり過ぎは良くない、つまり適度に手を抜くことが人生において求められる最重要能力なのだろう。俺の得意分野じゃなかったかしらん。
何を考えているのか、または何も考えていないのか、いろははにこにこと嬉しそうだ。そう言えば今日のいろはは薄い色のデニムのショートパンツだ。ひょっとすると最初からこの予定だったのかもしれない。
全くどうも、俺はこいつには弱い。鉄パイプで窓を割られた時から。いや、もっと、前から、かも。
アパートからその公園はわりと歩く。
この街中に、かなり大きな敷地の公園だ。芝生でサッカーはまず間違いなくできるし、子供たちが遊ぶアスレチックの種類も相当に豊富だった。屋根つきのベンチなんかもある。
近所の子供、あるいはたまに子供みたいな大人もたむろしているが、あいつらはきっとピーターパンの手下だろう。そういうことにしておいてやろう。そういや原作じゃピーターパンは生粋の大人嫌いで、成長して大人になった手下たちをもサツガイしやがるらしいな。
いろはは俺を一瞥、のち、一言、
「そんな話、わたし以外にしたらドン引きされちゃいますよ」
…あぶねえ。やっぱりそう?だが大丈夫、そんな心配はない。
雨に濡れた草木の独特な匂いを嗅ぎながら、俺たちは公園の中を進んでいった。
「最近暑くなってきましたねー」
「そうだな」
錆びた鉄棒を尻目に、俺は相槌を打つ。鉄棒の隣には砂場があって、建造中のダムが堂々と影を作っていた。ダムには雨がたまっている。
「洗濯物は乾きやすくなりましたけど」
「そうだな」
「今年の夏は海に行きたいです」
「ええ…」
「海で泳いで温泉に泊まりましょう!」
「温泉で泳げば」
「意味の分からないことを言わないでください!」
「お前がナンパされるのは嫌だからなあ」
「すみません、わたしが可愛いから!」
「ああ、お前が可愛いからな」
目を丸くした一色が次の瞬間、咳き込み始める。
「おい、どうした。虫でも飲み込んだか」
いろはは俺の言葉に笑う。が、咳は止まらず苦しそうだ。背中をさすってやる。小さな背中は俺にされるがままだ。
「…先輩、たまにどストレートの剛速球放ってくること、ありますよね」
背中をさすられて顔が赤いままの一色が、どこか悔しそうに言った。
「そうか?」
「普段が普段だからより一層…なんというか、ジャイアンが映画で急に良い奴になる現象に近いものがありますっ」
なんだそりゃ。
「そういうとこ、好きですよー」
もう大丈夫そうだ、と俺はいろはの背中から手を離す。いろははそっぽを向いて、
「でもあんまり、よそでやっちゃダメですよ」
「とお」
午前中の雨に濡れてきらりと光っている芝生に踏み込むと、俺の後ろから気の抜けた掛け声とともにボールが飛んで行った。
うわっ、と、俺は思わず走って、オレンジの空を高く上ったボールを追いかける。
が、かのリンゴをも落とす最強の法則に従い、ゴムボールは俺の数歩前に落ちる。
「ちゃんととってくださいよー」
「いや、とれるわけないだろ!」
向こうでいろはが楽しそうに笑っているのが見える。
俺たちは数メートル離れ、キャッチボールを始めた。いろはは思ったよりもまともにボールを投げてきたし、思ったよりもしっかりキャッチできていた。俺は適当に加減して軽く放る。一色がひょい、と投げる。俺が受け取り、ぽーんと返す。その繰り返しだ。
ただその繰り返しだ。
ひょい、ぱし。ぽーん、ぱし。
ひょい、ぱし。ぽーん、ぱし。
これが意外と、楽しいのだ。こいつとやるまではキャッチボールの存在理由すらピンと来なかったものだが、今では、そう、うん、まあ、楽しい。少なくとも、一人野球よりは。
いろはも俺も段々慣れてきて、距離を少しずつ伸ばしていった。
「へいへい、ピッチャーびびってるぅ!」
「なんだと?ならこれでどうだ!」
「―――っと!ふふん、これくらいどうと言うことはありませんよっ」
「やりおるな、貴様。名を何というっ」
「わたしこそ今世紀最大の美しすぎる野球選手!一色いろは!」
「うわああっ、なんて美しさだ!」
「…え、えへへへ…」
「…おい、途中で照れるのずるいぞ」
ただの暇つぶしだったはずなのに、俺たちは時間を忘れて夢中になっていた。いつの間にか辺りは薄暗く、太陽の退勤時間が近づいていた。夜勤の月がやってくるのも時間の問題だろう。
そろそろ家に帰るか。いろはは今にも飽きたと言い出しそうだった。俺はまだやっても良かったが、完全に暗くなる前に帰るべきだろう。俺がそう言いだそうとする―――
「そうだ」
不意にキャッチしたボールを見つめ、いろはは首をかしげながらもぞもぞとやる。
不審に思って近づこうとすると、いろははさっきまでと違ってぎこちなくボールを投げてきた。コントロール度外視のカーブボール。なんだ、お前、ちっさい手でよくボール握れたな。
とれるわけないだろ!
心の内でそう毒づきつつも、俺は大きく右にそれたゴムボールを追いかけた。走る、走る。左手を目いっぱい伸ばし、ミットぎりぎりで捕まえた。体勢を崩しすっ転ぶ。それでも俺はボールの収まったグローブを掲げ、
「アウト!」
いろはは目を見開いて、それから口に手を当てて可笑しそうに笑った。
「とれないと思ったのに」
「ふん、ちょっと本気だしたからな」
強がって言うと、シャツについた芝を払って立ち上がる。
「とれなくても良いんですよ」
いろはの優しい声が風に乗る。
「とれなくても、とるんだよ」
絶対にとってみせる、と、密かに誓う。
とうとう本当に暗くなって、ボールも見えなくなってしまう。どちらからともなく歩み寄り、キャッチボールをやめた。
暗い公園を出て、ついでに何か食べていこうということになり、俺たちが頻繁に訪れるラーメン屋を目指して歩いていく。太ると文句を言いつつ、いろはも今ではすっかりラーメン好きだ。
「あ、」
花屋の前を通りかかり、いろはは思案顔だ。
「ちょっと待っててくださいね」
そう言って店の奥に姿を消す。やがて出てきたいろはが手にしていたのは、俺が枯らしたのとは別の花のようだった。
「はい、どうぞ。今度はわたしのちゃんとしたプレゼントですから」
「…今度は絶対、枯らさない」
名前も知らない花だが、俺好みの色で、そこはかとなく気に入った。どんな色か?いや、なんというか言うまでもなく、俺の好きな色だ。
「……」
「…」
「つか、ラーメン食べに行くのに」
「あ」
しまった、といろはは今気づいた顔だ。
「…ま、今日は家でもいいんじゃないか」
「じゃあ炒飯ですね!逆に炒飯しかありえません!」
きゃるん、といろはは笑顔になる。花が咲く笑顔。最初に例えたのはどこのどいつだ。おかげでこっちは予定が狂いっぱなしだ。花咲くなんだっけ。本当に参った。俺の負け。弱点なんだ、効果は抜群で2倍ダメージというか、ああ、ええと、うん。
来た道を二人で逆戻りする。街灯が、繋がれた二つの影を舗装された道路に映し出す。人が暗闇を怖がるのは、暗闇は一人でいるような気がしてしまうからなのだろう、と想像する。実際、今は大して怖くない。
へっちゃらだ。
「いろは」
「なんですか?」
「俺、キャッチボールすんの、初めてだった」
唐突な俺の告白に、いろはは押し黙る。
「結構、楽しかった」
呆れられるか、バカにされるか、どっちかだと思った。
だが、俺はやっぱりこいつには、かなわない。
「じゃあ、またやろうね」
ふわりと柔らかくいろはは微笑んだ。
「これからもずっと、できるよ」
きっとこれまでのたくさんの花が繋がって連なって、そうして今があり、未来に結びついていく。
そういうふうにできている。
また、花が咲く。
枯らさない。
まあ、ぼくらは人間だぜ。
今回はそのまま、「キャッチボール」でした。これって小説に音つけたんですか、みたいな曲です。花のくだりは「ホリデイ」という「スノースマイル」とのカップリング曲でした。
ご意見ご感想、お待ちしております。