ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。   作:囲村すき

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お久しぶりです。亀更新のバカです。

いつのまにか四月です。

お待たせして申し訳ありません。

曲聴いてたらこうなりました。いったいどうして。その代わりダイヤモンドメイカーくらい長くなりました。

悪意の女の子の話です。




水没の足首

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もいない体育館でドリブルをすると、なにかいけないことをしているかのような気持ちになる。背徳、とまではいかないけど。

 

 ボールの弾む音が響くからだ。耳に残ってなかなか消えないからだ。

 

 練習でも試合でも、ドリブルなんて何も特別な事じゃない、のに。

 

 誰もいないとこんな音。だむどむだだん、だむどむだむ。音が消えない。

 

 わたしは3Pラインの外側、右45°の位置に移動して、軽く前傾姿勢でドリブルを続けた。そのまま、ボールを右手から股を通して左手に持ち替え、その手首を返して背中側から右手に戻し、最後に体の前からもう一度右手から左手に移す。今度はその勢いのまま、3Pラインの内側に切り込んでいく。

 

 弾むボールに引っ張られるように、体を斜めにして。

 

 緩急をつけた動きで架空の(ディフェンス)を翻弄し、シュートチャンスを作る。ドリブルを中断し、両手で胸の位置にボールをしっかり支える。床から3mの位置の、赤くてつるりとしたバスケットリングを睨み、膝を曲げ体の勢いを殺し、ボールを胸から押し出す。

 

 スナップスナップ、手首のスナップでボールに勢いをつけてやる。ボールは弧を描き飛んで行く。わたしの思惑とは少しズレた角度で。

 

 シュートは入れば最高に気持ち良いけど、外せば途端に煩い。今もガシャンと耳障りな音を立てて、ボールは外れてコートに落下した。

 

 勢いを無くしつつ孤独に弾み続けるボールを眺め、ほっぺたの汗をシャツの襟で拭った。

 

 可哀想なボール。ドライブからのジャンプストップシュートはそれだけで難しい。

 

 きっと多分

 

「体幹がまだ」

 

 弱いんだろうな。

 

 呟く。

 

「はるかー、いつまでやってんのー?」

 

 名前を呼ばれて我に返り、わたしは声のする方に笑顔を向けた。

 

「ごめーん、今行く!」

 

「なに?自主練しちゃう系?」

 

「うーん、熱血系?」

 

「あははっ」

 

 チームメイトの友達は笑う。わたしは急いで薄汚れたボールを回収すると、彼女の元へ向かって走った。暑い。顎に垂れた汗を拭う。

 

 孤独なボールのためにも、シュートは外したくないものだ、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佑貴子(ゆきこ)とは高校に入って最初に仲良くなった。一年生の時に同じクラスで、席が近かったのが喋ったきっかけだ。話していて馬が合ったし、()()()()()()()()()も同じくらいだったし、中学の時の部活も同じバスケ部だった。当然、バスケ部にも一緒に入った。バスケ部でも多分一番仲が良い。

 

 友達はできたとしても仲良くなれるとは限らないから、その点、わたしは結構運が良かったと思う。

 

 通学に使っているバスに二人で乗り、並んで座る。休日の午後、バスの中は空いている。

 

 膝の上のエナメルバッグはアディダスの色違いだ。佑貴子が白地にピンク、わたしのが黒に水色。

 

「スタバ行こ」

 

「スタバる?」

 

「スタバろう」

 

 佑貴子がおどけるので、わたしもつられて笑ってしまう。佑貴子は一見きつそうなつり目だけど、喋るときたまに困ったように眉を下げるのが可愛い。

 

 二年生になって佑貴子とクラスが別々になってしまった時はかなりがっかりした。同じになる確率が低いことくらい、頭では分かっていたけど。

 

一応新しいクラスでもある程度の位置は確保できたけど、やっぱり佑貴子が一番だ。佑貴子もそう思っている――――思っていたら、嬉しい。言葉じゃなく、本音で。

 

「何飲む?」

 

「あたし新作のやつぅー」

 

 わたしの問いかけに、佑貴子は語尾を伸ばしてのんびり答えた。

 

「また?あれそんな評判良く無くない?」

 

「評判は分かんないけどー、なんかクセになって」

 

「てかもうあれ既に新作じゃないでしょ」

 

「あははっ、確かに。いつ頃出たっけ。体育祭のちょい後…」

 

 停止ボタンを押したように、佑貴子の言葉がぷつりと途切れる。わたしは何でもないようなふりをして髪を束ねるシュシュに手をやった。

 

 バスの駆動音が耳の奥まで届く。その鉛のように重い音を耳の穴から掻き出したい衝動に駆られて、その代りにわたしは脳内に在った適当な話題を引っ掴んで投げた。言うまでもなく、この場合の「適当」は「テキトー」って意味だったけど。

 

 佑貴子がちゃんとキャッチしてくれればいい。

 

「…ってかさー、もうすぐ修学旅行じゃんね。班決めっていつだっけ?」

 

「……あー、うん。いつだっけ。ホームルームで決めるんだよね。てか遥、自由時間、待ち合わせて一緒に回ろうよ」

 

「それあり。えー、どこ行く?金閣とか?」

 

「金閣はー、多分クラスで行くわ」

 

「あ、わたしもかも」

 

「何で言ったし!」

 

 隣にいるのに目線を合わせず、わたしたちは反対側の窓の外を一緒に見ながらずっと喋っていた。

 

 雨が降りそうだった。傘を持っているのは佑貴子だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅前でバスを降りると、わたしと佑貴子はスタバに向かった。佑貴子は宣言通りのものを頼み、わたしは無難な黒色の飲み物を頼んだ(お腹が空いたのでサンドイッチも)。

 

 わたしたちはいつものようにとりとめのない話を続けた。修学旅行の行先、自由行動の時間、班員、お土産の話…立ち読みしたファッション誌の話、モデルの話、秋物のセールの話…数学の宿題、数学教師のこき下ろし、教室内の男子のくだらない話…

 

 ずっと話していたかったけど、部活後で体も疲れていたし、あまり遅くなると気温が下がって寒くなる。日が少しずつ落ち始めた頃、わたしたちはどちらからともなく言って店を出た。

 

 夕闇の中、雨は微かにいつの間にか降り出していた。傘を持っているのが佑貴子だけだったので、その傘に入れてもらう。佑貴子と別れるまでに傘を買わないといけないかもしれない。相合傘、ひとりぼっちの相合傘は恐ろしく寂しい。

 

 この雨は夕立ではなかった。

 

 佑貴子がいつも行く道とは違う道を歩き始めた。わたしは一緒についていく。

 

 不思議に思ったけど、わたしは少ししてから、さも今気づいたように佑貴子に尋ねる。佑貴子は傘をくりんと回し、横目でわたしを見た。困ったように眉を寄せ、

 

「んー、まあ、なんていうか」

 

 濁す。あ、これはなんかアレなやつだ、とわたしは色々想像し始める。

 

 色々といっても大体見当はつくけど。さっきの停止ボタンの後遺症。

 

 多分、きっと、アレだ。そんな気がする。端的に言うと()()()()()()()()()()だ。スタバでの長話でも触れなかったアレ。

 

 佑貴子の目を覗き込むと、わたしの予想が当たっていることがありありと見て取れた。

 

「…できればなかったことにしたいよね、アレは」

 

「とにかく、もう、あんなのごめんだね」

 

「来年はもう手伝いたくないっていうか」

 

「ていうかもう関わりたくない」

 

「ほんとそれ」

 

 わたしたちが関わった体育祭の運営委員会の一件。と言っても、その前の文化祭から話は続いているけど。「けど」っていうか、「だから」っていうか、

 

 相模(さがみ)(みなみ)という名前のあの子はわたしたちの中でまだ続いている。

 

 なにか黒々としたドロドロが、わたしのあんまり大きくない胸の中を渦巻き始める。誰かが指でかき混ぜたみたいにぐるぐる回り出す。

 

 思えば最初から相模のことは気に入らなかった。卑屈さと傲慢さを併せ持っていて、それをうまく隠せていると思い込んでいる下手クソだ。

 

 佑貴子が同じ中学だったから顔見知りで、だから仕方なく文化祭の時は一緒にいた。「スキルアップしたい」とかなんとか言って身の丈に合わない委員長に立候補して、でもちょっと不安だから雪ノ下さんに手助けしてもらおうと安直に考えて、結果、自滅。

 

 そうだ、相模は考えが安直すぎる。浅はかだ。目玉きょろきょろ、バッカみたい。結局文化祭では何にも良いところ無くて落ち込んで、一人で勝手に落ち込むならまだしも皆に迷惑かけて。最後はナントカっていうあのウザい男子のせいで有耶無耶になったけど。

 

 ぐるぐる、ぐるぐる、と回るわたしの隣で、佑貴子はくるくる、くるくると傘を回す。

 

「…てか学校的にあれでいいわけ?って感じ」

 

「あの先生だいぶ肩入れしてるよね、あの人たちに。なんであんなの許しちゃうんだろ」

 

 ぐるぐる、くるくる、飽きずに続ける。だってわたしたちの中ではまだ終わってない。過ぎたことじゃない。

 

 文化祭が終わった時点でガタガタに落ちていた相模の評価は、体育祭運営委員会でメーター振り切って0の向こう側に落ちて行った。

 

 積もったイラつきは、でもしょうがないから二人の間で()()になるまで消化しようと思っていたのに、体育祭の委員会に遅刻して現れた相模はそれに点火した。しかもまた委員長なんて座についていた。無能の証明がどれだけ欲しいんだよ、って。一個じゃ足りないわけ?って。

 

 でも、わたしたちはちょっとやり過ぎてしまった、と思う。子供っぽ過ぎるいちゃもんをつけるところから始めた、相模たちの首脳部側とわたしたちの現場班側との泥仕合。こじれにこじれ、最終的には一番滅茶苦茶な事をした首脳部側が勝った。

 

「だからとにかく気に入らない」んだよ、って話をしたはずなのに、首脳部側は強引な理論武装を重ね続け、こちら側を捻じ伏せた。感情で話せって要求したわけじゃなかったけど、なんていうか、あれじゃあ本当に、もう。

 

 溜息ひとつ零して、足元にもう一つ水たまりを作った。

 

 角を曲がった交差点、反対側にあるコンビニに佑貴子は歩いて行った。佑貴子の傘に入っているわたしも当然ついていく。佑貴子は入口に入るのかと思いきや、コンビニに背を向けた状態で入り口付近に立ち止まった。屋根がついているので、ちょうど雨宿りでもするかのような格好だ。佑貴子はおもむろに傘を閉じる。わけがわからなくて、わたしは佑貴子とコンビニの中を交互に見た。

 

「あ」

 

 気付く。店内にいる―――もっと言えばレジに立っている顔に見覚えがあったのだった。

 

 てか、

 

「…えー」

 

 相模じゃん。

 

 思わず顔をしかめると、佑貴子は微妙な笑顔を作った。言い訳がましく、

 

「前に聞いたんだよね、ここでバイトしてるって」

 

「………」

 

 佑貴子の隣に並び、店には背を向けた状態で首だけ曲げて肩越しに店内をもう一度見た。コンビニの制服を着て今、店のレジをしているのは相模南だった。赤みがかったショートにピアス。

 

 目が合う前に目を逸らした。店内の様子を背中で感じ取りながら、わたしは隣の佑貴子の出方を待った。

 

 佑貴子は顔を上げてぼんやりと曇天の空を眺めている。困った、この子の行動が読めない。

 

「遥さー」

 

「なに?」

 

「傘、買ってきたら」

 

「………えー」

 

 いやいや、何言ってんの、佑貴子。

 

「やっぱさー、なんてーか、さすがにこのままじゃ、さ」

 

「いや、まあ、そりゃわたしだって…」

 

「あたしらも悪かったかなって」

 

「…それは、そうだけど」

 

「このままなかったことにするのもさー」

 

 ぽつぽつ、と降りしきる雨と共に、佑貴子は言葉を降らせる。わたしには傘がないからそういうの止めてほしい。濡れる。あ、そっか、だから買ってきたらって言ってるのか。

 

 わたしは渋々うなずいた。

 

「……うん、まあ、そうかもね。それに、」

 

「それに、なんか、このままじゃなんとなく嫌じゃん?」

 

 わたしの言葉を引き取って、佑貴子が眉を寄せて困ったように笑った。

 

 どきりとした。

 

「…うん、確かに」

 

 言いながら、違うと思った。

 

 わたしはなんとなくなんて思わなかった。

 

 こっちが折れればそれで表面上だけでも繕えるならそうしても良い。人の立ち位置、パワーバランスなんて瞬きひとつで変化する。このクソつまらないプレ社会の檻では敵性は少ないに越したことはない。

 

 次の日に弱虫が毒虫に変わったってなにも不思議じゃない。だから。

 

 わたしのは、そういう、打算的で、合理的な結論の「それに」だった。

 

 ああもう、いい加減こういうの飽きてきた。レッグスルーからのビハインド、クロスオーバーしての右ドライブ。そっちのがずっと良い。

 

 こうしている間にも何人かが店から出て行き、何人かが入って行った。その度に扉のセンサーが働き、ぴんぽーん、と電子音が鳴る。たまらなく不快な音だ。

 

 こっそりもう一度レジの方を見る。相模は無愛想な顔でレジ前に立っている。いつこっちに気付くか分からない。

 

 グレーのスーツを着た中年がカゴを持ってやって来て、相模はそのカゴを受け取った。慣れた手つきでカゴから商品をだし、次々バーコードを通していく。

 

「ね、あたしも行くからさ」

 

 佑貴子が袖を引っ張ってくる。わたしはぶんぶん首を横に振った。

 

「や、無理だって。佑貴子の言いたいことは分かったからさ、今度にしよう?」

 

 相模はもういつ気付くか分からない。もう気付いているかもしれない。気付かれたかな。気付かれてたら最悪だな。

 

 コンビニの前に立つわたしたちを見て相模がどう思うか、考えるまでもなかった。余計悪化する。今度は相模の方に塵が積もっていくのだ。

 

 佑貴子が袖を引っ張る。雨が降り続ける。いや、ちょっと、まじでさ、それは…

 

 ぴんぽーん、と間抜けな音がして、大きなコンビニ袋を下げた男が店から出て行った。さっきレジに並んでいたサラリーマン風の中年男だ。音も男もたまらなく不快だった。

 

 思い切って振り返って見ると、レジにはもう相模はいなかった。代わりなのか、別の女の店員がレジ前にすっと入って行く。

 

 相模は気付いたかな。気付かれてたら最悪だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽く心が折れたわたしたちは相模のいない間にコンビニに入り、ビニール傘を買ってそそくさと出た。あまり言葉を交わさず、佑貴子と別れた。

 

 わたしは雨の中、とぼとぼと自宅を目指して歩いた。いつもなら電車を使うのだけど、今日はあまり電車を待ちたい気分じゃなかった。歩きたかったわけでもないけど。

 

 大通りを抜けて、横道にそれる。住宅街のようだ。ほとんど初めての道だけど、家までの方角は分かる。

 

「…めんどくさ」

 

 なんでこんな面倒くさいことになっちゃったんだろう。

 

 面倒くさいのはなんだろう。相模か、佑貴子か、わたしか。

 

 面倒くさいなんて今に始まったことじゃないでしょ。冷静なわたしが鼻で笑う。

 

 今に始まったことじゃない上に、最後まで終わらないよ。冷静なわたしが嘯く。

 

 人に合わせるのめんどくさい。言葉とか調節するのめんどくさい。調節ネジないし。

 

 人と群れるのめんどくさい。誰がどうとかかなりどうでもいい。佑貴子いればいいし。

 

 新品のビニール傘を、佑貴子の真似をしてくるくると回しながら歩く。傾き続けていた太陽はすっかりふて腐れて向こう側に隠れてしまった。そのせいで気温が下がり始め、わたしは自然と早歩きになっていた。

 

 後ろからずっと歩幅を合わせて歩いてくる人がいることに気付いたのは、住宅街の深部へと侵入し、歩くのに飽きて後悔し始めた頃だった。

 

 なんとなく視線と言うか、気配を感じて何の気なしに振り返ると、ビニール傘を手に、顔を隠すように歩く男を後方に発見したのだった。足音が聞こえたわけじゃなかった。そもそも雨がビニール傘を打つ音しか聞こえない。

 

 後ろに人がいると気付いても、初めは別に何とも思わなかった。たまたま同じ道を行くのだろう、と。

 

 でも違和感を覚えるレベルで男はずっと後ろをついてきた。

 

 考えすぎだと思ったので、一度立ち止まってやり過ごそうとした。けれどわたしが立ち止まると、男も何メートルか後ろで立ち止まった。埒が明かないので、再び歩き出すと男も歩き出す。わたしと一定の距離を開けたまま。

 

 ビニール傘越しにはっきりとは見えない男の目は、ゴミ捨て場と化した海辺のようにどんよりと濁っていた。

 

 じと、と嫌な汗がにじむ。

 

 これ、どうしよう。

 

 ほとんど初めて通る道だからあまり詳しくない上に、雨のせいもあるのか、さっきから人通りがほぼゼロだ。

 

 歩くとか意味の分からないことしなきゃよかった。なんで電車乗らなかった、わたし。

 

 走るか。

 

 傘が邪魔だ。閉じて、走るか。でもローファーは走りにくい。

 

 追いかけてきたらガチでヤバい。逃げられるか。

 

 そうなったらもう、後ろの男は恐怖確定っていうか。

 

「……………………………………………」

 

 ここ、抜けて、そんで大通り出れば。車の通りもあるし。

 

 後ろの男が()()()()()()()かどうかなんて確かめようがない。だからそんなのどっちだっていいのだ、今わたしのつぺんとした胸を占める不安に比べたら。次の十字路を右に曲がったら、走ろう。わたしはそう決意した。そうしよう。

 

 もしそれで無事に家に帰れるなら、それに越したことはない。笑い話の種にすればいいだけのことだ。バッカだなァ、遥。自意識過剰っしょ(笑)。そうなるなら万々歳。

 

 道路の右側のブロック塀の終わりが迫ってきた。走る前にもう一度後ろを振り返ると、死んだ魚のような目と視線がかち合い、男は慌てたように傘を下げて顔を隠した。

 

 雨はやまないけど、傘を閉じ、十字路を右に曲がった。瞬間思いっきり踏み込んで、全速力

 

 

 

 を、

 

 

 

 出そうとしたのはいいけど、目の前に紺の傘が急に現れて思わず急ブレーキ、つんのめる。

 

「っ!?」

 

「…っ、すみませ…っ!」

 

 紺の傘の主に抱きつきそうになり、慌てて飛び退く。男だ。黒のパーカー。目が合い、どきりとする。屋根から滴る雨色の目。回り込まれた!?違う、違う、よく見ろ。目からズームアウトして全体像を確認、脳内データベースと照らし合わせて該当フォルダを引っ張り出せ。

 

 こいつ。

 

「…ちょっと傘入れて」

 

「は?」

 

「いいから。で、ちょっとここにいて」

 

「…いや、え?」

 

 戸惑う男の背中を押して男の体を強引にブロック塀に押し付けるようにして、そしてわたしは紺の傘の中に滑り込む。男とわたしの肘がぶつかる。

 

 パーソナルスペースが広いのか、男が目を白黒させてわたしから距離を取ろうとする。なのでわたしは男の肘をしっかり握って離さないようにして、ビニール傘の男が歩いてくるのを待った。

 

 ビニール傘の男はすぐに現れた。わたしたちに目をやらずに、十字路を曲がることなく通り過ぎて行った。

 

 姿が見えなくなるまで、男の後ろ姿を見送った。長い息をつく。

 

 ビニール傘の男はコンビニの袋を片手に持っていたように見えたし、スーツを着ていたように見えた。スーツの色は灰色に見えたし、男は中年くらいに見えた。

 

 けどまあ、それはもういい。

 

「…おい、」

 

「…あ、うん…もういいよ。ありがとう」

 

 こんなヤツにお礼を言うのは癪だったけど、努めて平静に言葉を発した。

 

 どろっとした目の―――ナントカって男子。嘘、比企谷という名前だったはずだ。

 

 傘を持つ手を入れ替え、比企谷は訝しげな視線をわたしに送った。その視線に答えることなく、わたしは溜息をついた。疲れた。溜息と共にどっと疲労感が押し寄せる。足が。がくがくする。心より先に体が素直にほっとした、みたいだった。

 

 吐き気がして思わずしゃがみこむ。もう、今日はなんなんだろう。楽しくないイベント起こり過ぎ。寝たい、もう寝たい。もうここで寝たい。

 

「おい、大丈夫か」

 

 頭の上から声がかかる。気遣える人なんだ、とぼんやり考える。とは言っても好感度マイナスであることには変わりないけど。とは言っても一応助かったのは事実だけど。とは言っても目が腐っていることには変わりないけど。とは言っても今この人がここにいてホントに良かったってのは事実だけど。

 

「お前…えっと…はるか?だったっけか」

 

「ぅ!?」

 

 勢いよく立ち上がり、ガツンと頭に固いものを何かぶつける。頭を抱えて悶絶すると、比企谷は自分の顎を抑えて涙目になっていた。

 

「…っ、だれに、許されて、名前呼び?」

 

「そっ、…名前しか分か…らん」

 

 比企谷を睨みつけて一歩前に出ると、比企谷は一歩下がった。イラッとしたので比企谷の傘を掴んで再び一歩近づく。

 

「わたしが濡れるでしょ」

 

「いや、傘、自分のさせよ」

 

「…あ、そっか」

 

 改めて自分の傘を差し、比企谷を上から下まで観察する。決まり悪そうに挙動不審だ。

 

「なんでここにいんの?」

 

「え?いや、ここ、俺んちの近所で」

 

 いらない情報どうも。

 

「ちょっとコンビニに出たって感じ…です」

 

 なぜか最後には敬語になり、おまけに「フヒ」と気味の悪い笑みを添える。十分不審者の素質がありそうだ。

 

 でも何度も繰り返すけど、この人がいて助かったのは紛れもない事実だ。癪に障るけど。この人の存在に感謝する日がまさか来るなんて。1時間前は夢でもあり得なかった。

 

 今日は、疲れた。

 

「あのさ、ここから一番近い駅ってどこ?」

 

「…駅か。ちょっと歩くが…この道を行って、少ししたらコンビニがあるから、そこを右…コンビニで訊けば教えてくれるかもしれん」

 

 間の悪いことに携帯の充電は切れていて、グーグルマップは使えない。比企谷の言葉を信じて歩くしかないみたいだ。

 

 なんで歩こうと思った、わたし。嘆息。

 

 黙ったわたしをどう捉えたのか、目を泳がせながら、比企谷は口を開き意外な言葉を口にした。

 

「あー…その、駅まで送ろうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通常のわたしなら到底考えられなかったけど、わたしは今比企谷と傘を並べて歩いている。しかし今日は想定外のことが起き過ぎた。その波にあえて乗るのもありかもしれない。

 

 なんて思うのは、疲れで思考が衰え始めてきているからだろうか。

 

 横目で比企谷の様子を伺う。比企谷はわたしの視線にすぐ気づき見つめ返して、そしてすぐ逸らした。

 

 今日までこの男の印象は最低の一言だった。最悪か最低かの2択で、ぎりぎり最低の勝利といったところ。最低の勝利って。最低の勝利って…

 

 最低の一言、というよりは最低の代名詞と言っても差し支えないほどに。

 

 でも間接的にでも知り合った身として――――印象も若干の変化を遂げたし――――多分この状況も二度と訪れないだろうから―――話をしてみたくなる。

 

 言いたいことが色々あったりする。

 

 駅までの場持たせにはちょうどいい。

 

「ねえ。比企谷くんてさ、何考えてるの?」

 

「…何の話だよ」

 

 まあそうなるか、とわたしは苦笑する。

 

「じゃあさ、まず文化祭の時だけどー」

 

「……」

 

「さg、みなみちゃんさぁ、だいぶやらかしたよね?もう挽回不能なところまで来てた。逃げ出すってホント、どうしようもない」

 

「…」

 

「でも終わってみれば比企谷くんが一番の悪者になってた」

 

「……」

 

「ま、後から気付くのもわたしの脳みそが足らないからなんだけどさー」

 

「………」

 

「なんであのとき、あんなことしたの?」

 

 温度の低い視線を投げると、比企谷は寒そうに身じろぎした。寒いね、確かに。

 

 日が沈んだこの空間には、わたしと比企谷と、それから降りしきる雨、街灯の光。

 

 寒いね。

 

「ああしなきゃ、間に合わなかったから。ああしなきゃ、依頼解決にはならなかったから」

 

「依頼?」

 

「…相模に、依頼を受けてた。文実委員長の補佐を」

 

「ああ、うん。比企谷くんが頼まれたんだ?」

 

「…いや、俺が、っていうか、…奉仕部に、依頼が来たから」

 

「なるほどね、部活だったわけだ」

 

「………いや、正確に言うと、受けたのは雪ノ下だが」

 

 ぼそぼそと言う比企谷。思わず笑い出しそうになった。意外と素直だ、この人。友達になりたくない。

 

「比企谷くんって、雪ノ下さんのこと好きなの?」

 

 びくり、と肩を強張らせ、比企谷は視線を前方に固定する。歩みが速くなる。

 

「…なんでそんな話になんだよ」

 

「いや、だって、普通そんなことしなくない?できなかったらできませんでした、でいいよね。学校の部活のためにクラスでの評判を?いや、そんなの、違うよね?」

 

 依頼だ、って、なんか建前っぽい言い方だ。雪ノ下さんの奉仕部っていう妙な部活の存在は知っていたけど。

 

 比企谷くんの秤がぶっ壊れているんじゃなければ、相模じゃなく雪ノ下さんを助けたかったんだって考えると納得できるかも、しれない。

 

 文化祭が成功しないと、依頼を受けた雪ノ下さんが責任を感じてしまうから、だから。

 

「いや、俺は元からぼっちだし。別に評判とかあんまりアレだし。どうでもいい」

 

 と、比企谷はぼそぼそと干からびた雑草の言葉をのたまう。

 

「ぼっち?クラスの人に嫌われてるっていうのは知ってるよ。でも由比ヶ浜さんとか、仲良い人いるんでしょ?雪ノ下さんだってそうだよね」

 

 あっ、そうか。

 

「二人は分かってくれるって信頼してたんだね」

 

 わたしの言葉に比企谷は目を剥いた。速まった足を止め、こちらを見つめしかめ面。

 

「んな、曲解されると、さすがに困るんだが」

 

「は?比企谷くん、評判どうでもいいんじゃないの?」

 

「揚げ足とるなよ。俺みたいなことすんな。つか、そんな風に答えを決めつけられちゃ何も言えないだろ」

 

「それで実際二人はあんたの味方でいてくれるんだね。二人どころか、もっと多いよね?平塚先生とか。いいな、それ」

 

 駅まで遠いな、まだかな。ああ、もう、ウザすぎる。まじでウザっ。ウザすぎる。もう寝たい。ゴミ虫みたいなわたしも、この甘えん坊のガキも。

 

 誰もいない道路の真ん中で、わたしと比企谷はしとしと対峙していた。

 

「…挑発してんのかよ」

 

「……ごめん、そんなつもりじゃないんだ」

 

 言い過ぎちゃったという謝り方は最低らしい。枕に(ホントの事を)がつくからだそう。助けられたくせになにしてるんだろ、わたし。最悪。

 

 わたしが黙っていると、比企谷はやがて再び歩き出した。怒らせたらしい。怒るんだ、へえ、って感じだけど。

 

「ごめんね、過ぎたことをねちねち」

 

「……いいけど」

 

 ちっとも「いいけど」なんて思ってない「いいけど」を捕らえた。必要ないから捨てる。水たまりにポイ捨てされた「いいけど」はふやけて茶色く変色したあと破けて汚くなった。キモっ。比企谷菌?とかで小学生の時いじめられてそう。

 

「……」

 

「……」

 

「……………………」

 

「………」

 

「……………」

 

「好きか嫌いかで言えば、嫌い、じゃねえけどでも、そういうんでは、ない…」

 

 咳が出そうになったのをあわやというところでこらえた。

 

 もうどっちでもいいのに。雪ノ下さんだろうが由比ヶ浜さんだろうが、あるいはまったく他の人だろうが、別に変わらないし。

 

 わたしは文化祭で相模の行動とそれに対しての結果の比率がまるでなってないから腹が立っただけだ。つくづく相模は気に入らない。なにがゆっこだ。正当な罰を受けるべきだったのに、この男が余計なことするから。

 

 補佐の依頼、って言うなら自分のしたことを直視させなきゃ、反省も後悔も経験も成長も生まれなくない?いや、もう、いいけどさ…今日は疲れた。もう蒸し返すには日が経ち過ぎた。責めるにはギャラリーがいないし、怒るには体力がない。

 

 しばらく無言で歩き続けると、やがて大通りの交差点に直面した。東にはコンビニが見える。駅までやたら長い道のりだ。なにやってんだろう、わたし。

 

 信号待ちの間、比企谷は再び口を開いた。

 

「あれが最良とは言わないが、俺のできる最良だった。誰も傷つかないし、文実も成功と言える出来だった」

 

 いや、誰も傷つかないって、自己満足も甚だしいね。

 

「…そうだね」

 

 かさついた肯定の言葉を渡す。比企谷がわたしを見ると、コンビニの向こう側を指さした。

 

「あっちを行って右を曲がると駅だ」

 

「あ、うん。ありがとう。助かったよ」

 

 最低なヤツ。

 

 それはわたしだけでなくみんなの印象だった。みんなって言うとつまりそれは学校でこの男の事を知り得るほとんどの生徒のことを言う。

 

ま、ほとんどネタだけど。悲劇のヒロインぶる相模がウザかっただけで、この男のことは正直かなりどうでも良かった。話のタネにすらならない。

 

 この男のクラスではまた違った空気が回っているのかもしれないけど、それ以外じゃ特に有名人というわけでもなかった。悲劇のヒロインぶるのやめてもらっていい?

 

 結局中途半端なんだ、比企谷。わたしもそうだけど。

 

 散々糾弾しといて、わたしだってそうだ。エナメルバッグの紐を握りしめた。

 

 愛とも勇気とも友達じゃないし、比企谷に比べたらなんて矮小な存在だろう。

 

 その程度なんだ。髪の毛だってホントはショートの方がずっと楽で動きやすいけど、そのために切ろうとは思えないし。その程度のこだわりだ。そもそも本気でやりたいなら強豪校に行ってる。そうしないのはわたしがその程度だから。

 

 チームメイトに、佑貴子に、もうちょっと練習しようなんてことすら言えないわたしが。

 

 ランの練習増やして体力つけないと走り負ける。シュート練するにもフォームから直さなきゃ意味ない。常に試合のこと考えて行動しなきゃいつまでたってもディフェンスなんか上手くならない。分かってるのに。

 

 信号を待つ間、じっと比企谷の横顔を見ていた。

 

 この人はきっといつか痛い目に合うんだろうな、と想像する。ホントの意味で、大打撃を受けるに決まってる。そうでないと計算が合わない。この人の言う「誰も傷つかない」世界はこの人の近しい存在にとっては残酷すぎる。

 

 そんな仕打ち許されるわけないじゃん?

 

…というようなことを言ってやる義理はわたしにはないので、というかわたしにとって今日が終わればこの人はただの他人、逆も然りなので、もうどうでもいい。疲れたし。

 

 誰かの、

 

「…隣にいてあげるだけでいいんだと思うけどなァ」

 

 そんなまわりくどいことしなくても。

 

「え?」

 

「いや、なんでも」

 

 ほら、わたし、あなたが隣にいるだけで助かったし。実例①じゃんね。

 

 なんて言う義理はないけど。

 

 信号が変わる。相合傘を抱きしめにいくわけでもなしに、わたしは比企谷に手を振って、背を向けた。そんな青春をわたしは今特に求めてない。佑貴子ならあり。

 

「じゃあね。ありがとう」

 

「…おう」

 

 比企谷の真意がどこにあるのかなんて確かめようがない。だからそんなのどっちだっていいのだ、今わたしの途上国な胸を占める感情に比べたら。

 

 ローファーの中まで雨が降っている。

 

わたしの傘には穴が空いているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、リクエストいただきましたレムでした。

ほんとはこうなる予定ではなかったんですけども。その点に関しましては弁解のしようがありません。ウイルスみたいな女の子が語り手やっててすみません。ほぼオリキャラです。

でもレムってこんな感じのヒネクレだと思うんス。

ネタがないとか言ってたのですが、BUMPが解散しない限り、俺ガイルが完結しない限りこの短編ネタが尽きることがないということに気づき、ビビり倒しております。

次書くならbutterflyかなと思います。

ご意見ご感想、お待ちしております。

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