ダイヤモンドメイカー、ラフ、ラフ、ラフィン。   作:囲村すき

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6作目です。社会人が飲みの席で大人を騙る話。


限りあるn回目を君と一緒に

「少しは俺は、大人ってやつになれたんだろうか?」

 

 口に出さないつもりだった言葉が、ぽろりと落ちてしまった。空のビール瓶やら灰皿やら微妙に食べ残してある皿が乱雑においてあるテーブルに跳ね返り、あちこちぶつけた後で目の前に座る同僚に届く。

 

 その同僚―――芦屋は華奢な首をかしげる。

 

「ふうん、比企谷君、ちょっぴりおセンチなんだ?」

 

「いや、別に…お前はどう思う?」

 

「ううん、そうだねえ」

 

 俺と同期入社である芦屋は、俺との間の畳の上で大の字になって寝ている部長に目をやる。つられて俺も。どうでもいいけど、この人生え際がだいぶ後退してんな。

 

「こうしてちゃんとめんどくさい上司にも付き合ってきてるんだから、そう言う面では、大人って言っても良いかなあ」

 

 芦屋が呆れたような、優しいような眼差しで見つめる先で豪快にいびきをかく部長。この人は部下の中でも何故か俺と芦屋を気に入り、昼間はしょっちゅう俺たちに仕事を放りこみ、夜は夜でこうして居酒屋に連れまわす。

 

 挙句の果てに一人でオチてやっぱり俺たちに面倒を見させるのがこの人の鉄板だ。俺たちがルーキー時代からこうだから、もう諦めてるまである。

 

「ううむ、確かに、俺、オトナ」

 

 納得した。確かに大人だ。

 

「でも大人だとしたら、困るな」

 

「どうして?」

 

「大人ってさ、もっとこう、ガキとは一線を画すような…なんつーか、強靭な精神の持ち主なんだろうな、って思ってたからさ。俺のメンタルはガキかそれ以下だしな。これで大人ってことになっちまったらもうこれ以上の成長は望めないことになるだろ?」

 

 二十回目の誕生日を迎えた時も「なんだ、何も変わんねえな」って思ったが、じゃあいつ変わるの、って話だ。今じゃない。

 

 汗をかいているカクテルのグラスの淵を指でなぞりつつ、芦屋はうなずく。

 

「なるほどね。比企谷君、なにかあった?」

 

「…い、いやあ、ほら、もう八月だろ?」

 

「ん、そう言われてみれば。ほんとに近頃は暑いよねえ」

 

「まあ、ぶっちゃけると、俺のその」

 

「ああ、誕生日かあ!わたしの時もしてもらったしね。お祝いはわたしと部長にまかせろー」

 

「あ、いや、そうじゃなくて、ま、それもあるんだが…」

 

 言葉に詰まる俺を眺め、芦屋は顔に垂れた髪を耳にかける。見透かすような目をやめろォ!

 

「なーるほど。さては比企谷君、奥さんとケンカしたね?」

 

 ご名答。押し黙る俺の様子を見て正解だと悟った芦屋は、カシスオレンジを口に含むと、テーブルに頬杖をついた。

 

「ははぁ、なるほどねえ。そんで大人だのメンタルだの言いだしたわけね」

 

 別にこれが初めてのケンカってわけでもないが、それにしたってしょぼすぎる言い争いだった。少し頭を冷やして冷静になってみればどうでもいい、取るに足らないことが原因だ。なのに俺もあいつもなんだか引っ込みがつかなくて、次第に論点がずれていき…戦争が長引くわけを知りました、はい。

 

「でもやっぱり二人ともケンカするんだね。比企谷君が比企谷君だからあんまりそう言う言い争いとかなさそうなのに。いや、良いことだよ。ケンカするカップルは長続きするって言うしね」

 

「そっちはどうなんだ。旦那とケンカする?」

 

 芦屋は俺と同じく既婚で、小説家の旦那がいる。会ったことはないが、芦屋曰く「いろんな人に似てるから誰に似てるとかはないけど…弱そうな感じは比企谷君に似てるなあ」誰だよそれめっちゃ会いたいっつーの。で、俺の方が強いと証明したい。

 

「ん、あんまり。でも小説の事で不満は時々言う」

 

「え、そうなのか?」

 

「だってさ、わたしが書いてほしいなあって思う題材は絶対書こうとしないの。ひどいよねえ」

 

 ぷりぷり怒ってるが、芦屋、そりゃ旦那に同情だ。

 

「あ、そしたらさっきの論理でいくと私たち長続きしない!?きゃあ、離婚の危機だ!」

 

「今更だな…」

 

「わかんないよ、男女の仲なんていつなんどき綻びが出るか…!熟年離婚って言葉も…や、まだ全然熟してないけどさ」

 

 想像する。ある日突然、あなたのひねくれっぷりには愛想が尽きました今まで我慢してたけどもう限界ですさよならと出ていく嫁。顔から血の気がさあっとひくのが分かった。

 

「…お、俺、あいつに捨てられたらもう再起する自信ない…」

 

 俺の顔を見て芦屋はぶふっと噴き出す。

 

「あはは、脅かしちゃった?ごめんね、大丈夫、そんなことにはなんない…と思うよ?」

 

 そこは断定しとけよ!どこの超高校級だよ!俺たちもう大人!

 

「比企谷君はさあ、いつまでもそんな感じで、強くないままでいいと思うよ」

 

 芦屋は急に真面目な顔つきになって、まっすぐ俺の目を見てきた。思わず俺も居住まいを正す。

 

 そういえば芦屋は昔ほど、変に笑わなくなった。そのほうが良い。絶対に。

 

「相変わらず痛みは増えて、傷は癒えないままだと思うけどさ。でも比企谷君はそうやって…傷つきやすくて、痛みを抱えてる方が良いと思う」

 

「…つらそうな道だなぁ」

 

 思わずこぼすと、芦屋は少しだけ首をかしげる。

 

「でも比企谷君、ちゃんと歩き方知ってるでしょ。それこそ今更だなあ」

 

 彼女の言葉がすうっと胸に入っていく。

 

 そうか、と妙に納得できる。全く良い同僚を持ったもんである。こいつがいたおかげで、俺は入社直後から職場で浮かずに済んだ。良い上司、良い職場。俺は恵まれている。昔も、今も。

 

 

 

 

 

 

 私もさ、と芦屋は呟くように言う。

 

「私もさ、なんか色々あったけど、大切にしたいものとかあったけど、結局なくしちゃったもんなあ」

 

 眼鏡越しに俺は芦屋を見つめる。彼女の寂しげな眼差しは、多分、どこにも注がれていない。

 

「…なくしたくなかったか?」

 

 無様な質問だが、言わずにはいられなかった。答えも多分知ってる。

 

「まさか」

 

 彼女は言い切る。

 

「なんていうか、空っぽになっちゃったけど、その空っぽが愛おしいんだ」

 

 見えない何かを抱くように、芦屋は胸の前で手を握り締めた。

 

 端正な顔に浮かぶ笑みは、紛れもなく本物のそれで、俺はそれを素直に綺麗だと思う。

 

 眼鏡を取ったお前の目はそんな感じだったんだなと、今更ながら思った。

 

 

 

 眼鏡をコンタクトに変えても。

 

 結婚して苗字が変わっても。

 

 彼女は多分、ずっとこうだった。

 

 

 

 彼女と入れ替わるように眼鏡をかけた俺の目は、どうなのだろう。

 

 結婚しても相変わらず弱いままの、俺は。

 

 俺は多分、ずっと変われないのかもしれない。

 

 

 

「…でも、まぁ、悪くないか」

 

 あんぐぉ、と変な音が我ら上司の方から聴こえて、俺の小さな呟きはそれでかき消された。俺と芦屋は顔を見合わせて、くすりと笑う。

 

「そろそろ?」

 

「だよな。ほら、起きてください。帰りますよ」

 

 寝ている部長の肩を揺さぶるが、一向に起きようとしない。これも毎度おなじみ。全く嫌になる。今日は特にハイペースでじゃんじゃん煽ってたから、一層深い眠りのようだ。

 

 ぐっと力をこめ、俺は肩を貸すようにして上司の重たい体を持ち上げた。それを確認した芦屋が先に出て会計を済ませる。これも、毎度、おなじみ。ちなみにこうなることを見越して上司からの分のマネーは先にしっかり徴収してある。俺たち、ベテラン。

 

「なあ、すげえ思うんだけどさ、この人、あの人に似てるよな?」

 

「あの人って、ひょっとして」

 

「「平塚先生」」

 

 息ぴったり。二人でにやっと笑う。

 

「なんかやけに親身になってくれるとことか」

 

「なんか妙に言い回しとか仕草とかカッコいいしな」

 

「心が少年だし。少年漫画大好きだし」

 

「タバコ吸うし」

 

「ハゲてるけど」

 

「それは禁句じゃねえ?」

 

「ハゲたら大人」

 

「その条件はいろいろときつ過ぎる」

 

 店を出て、俺と芦屋は速攻で上司をタクシーに乗せて運転手に住所を言うとおさらばした。あとは運転手まかせである。まあ、そこらに放っておかれるよりは何倍もマシだろう。

 

 二人で歩いて駅まで向かう。夜の町は閑散としている。都市部から少しでも離れるとこうだ。俺はわりと好きだけれど。

 

「大人か」

 

 呟く声が聞こえて、俺は隣を歩く芦屋を見る。こつん、と足元の小石を蹴り飛ばしている。

 

「子供ができたら、大人かな」

 

「…あー、確かに、一つの境目ではあるかもな。子供から見たら俺たちは大人なんだし」

 

「そーそー。ま、子供みたいな大人もいるけどさ」

 

「その論理でいけば、戸部はもうれっきとした大人だな」

 

「あははっ!とべっち!なつかしっ!」

 

 急に出てきたその名前に芦屋は吹き出した。奴は俺が知る限り俺の同級生で最も早く結婚し、最も早く子供を授かり、つまり最も早くパパになった野郎である。俺の結婚式にも、すっかり親バカ幸せ野郎として馳せ参じた。おかしいよな、招待状送ってないような気がするのにな。

 

 俺の嘆息に、芦屋はくすくす笑った。それなりに酔っているらしく、なかなかくすくすが止まらない。きっと俺と同じことを思い出しているに違いなかった。こいつと戸部もいろいろあったもんである。

 

 高校二年生の修学旅行。思い出すだけで高校生の俺をぶん殴りたくなる。

 

 あの事件で一番最低最悪だったのが俺で、次点でこの同僚だった。忘れたいエピソード上位ランカーだが、もう、こいつが就職先でまさかの同期だなんて、本当に、なんか、もう、あれだ。忘れたくとも忘れられない。そういう風に出来てるんだな、と俺は何となく悟る。

 

「考えてみたらあっさりだよなぁ」

 

 高校生の恋愛。

 

「でも、そういうもんだよね」

 

「まあ、今だから言えるんだけどな」

 

 あの時には、あの学校だけで、あの教室だけで、俺たちの世界は完結していた。

 

 ようやく笑うのをやめた芦屋は、俺の顔を覗き込むようにする。

 

「でもさ、その話題は結構出るよー。こないだ結衣とひっさしぶりに電話したんだけどさ、やっぱり子供の話題になったもん」

 

「由比ヶ浜か。元気なの、あいつ」

 

「おんなじこと結衣にも聞かれたし。そういうとこはホント変わらないよね、きみたち。うざいからわたしを中継するのやめてもらえますー?」

 

「いい大人がうざいとか言うなっつの」

 

「言う相手は選ぶよ」

 

「あっそ。つかあいつんちってあれじゃね、二人とも」

 

「そうそう。二人とも教師だからさ、ちょっとどうなるか分かんないって」

 

 ただ、由比ヶ浜が子供をあやしている姿を想像すると、妙に納得してしまう。

 

 じゃあ俺んちで帰りを待ってるあいつは?

 

 想像すると、いや、どうなんのかマジ想像できん。

 

「子供か」

 

 俺も呟いてみる。

 

 

 

 

 

 二人の道が分かれるところまで歩くと、芦屋は俺の顔を見上げて立ち止まった。

 

「で、どうするの、オトナ比企谷君」

 

 からかうように言う芦屋の横顔が、街灯に照らされている。

 

「…まあ、俺の方が年上だしな。大人だしな、うん。今日帰ったら謝る」

 

「…そういう発言が出る時点で大人じゃないなあ」

 

「あれ?俺、結局、大人じゃないの?」

 

「知らないよ、そんなの」

 

「え」

 

 にひひ、と芦屋は意地悪そうに笑う。高校生のころには見られなかったこの笑顔を、俺は割と気に入っている。

 

 

 

 

 

 高校生だった俺たちは、もう永遠に戻らない。

 

 でも。

 

 多分今の俺のどこかに、あの頃の俺がいる。

 

 それに。

 

 変わっていけるということは、それだけで価値のあることだ。

 

 一生懸命一歩ずつ、自分たちの旅路を、歩いて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、もうすぐ俺の誕生日が巡ってくる。

 

 誕生してから幾周年。俺は、また何か、変わるだろうか、それとも変わらないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 先のことは分からない。だからとりあえず今日のところは、家で帰りを待ってくれている、俺の大切なあいつの好物でも買って帰ろうか、と思う。

 

 

 

 きっとあいつの笑顔が見られるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の曲は「HAPPY」でした。なんだか「COSMONAUT」の収録曲がかなり多いことにいまさら気づきます。

青春ラブコメが終わっても彼らの人生は続いていくんだよなと考えたら不思議な感じがします。



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