火花が散った。
目の奥で。
いたい!
目の奥で火花が散る、という比喩を言葉では知っていたが、本当に散るものなのだ、と僕は大学生にして恐らく生まれて初めて知った。火花が本当に目の奥で見える。ちょっぴり涙が出た。
と、いうのも、ただ、部屋にでんと構えたゴミに足の小指をがちこんとぶつけたというだけの話だが。
僕に、とあることを決心させるには十分な痛み、訂正、きっかけだった。
決めた。もう絶対に決めた。意を決して、決心して、腹を決めて、立ち上がった。
盛大に散らかっている、薄汚い部屋を見回す。
もうこんなゴミは、捨てるべきだ。
「やるぞ」
小さく呟いて、決心を固いものにする。
部屋の中央に置かれた、面倒くさいゴミ。これを片付けるのだ。もう決めたことだ。
捨てることに対し、未練は全くない。なにしろこれらは、れっきとした(と言う言い方はおかしいかもしれないが)ゴミなのだ。
前はゴミではなかったかもしれないが、今は、もう、ゴミなのだ。
ゴミはゴミ箱へ。ひどく当たり前のことだった。
両手で抱えるようにして持つと、思ったよりも軽かった。もう少し重くてもいいのではないかとは思ったが、案外、そんなものなのかもしれない。少し腹が立った。それでももう少し重くてもいいだろ。
僕はくそいまいましい、と思いつつそのゴミを床に降ろした。そして、ふと思いつき、電話をかけた。ゴミ処理場に、だ。
相手は数コール後に出た。
『はい、こちら、ゴミを処理するところです』
温度の低い、冷静な女の人の声だ。電話越しとはいえ、急に緊張し始める。
「…あっ、あの」
『はい』
「ええと、その、捨てようかと思いまして」
『なにをでしょうか』
「えっ、なにをって。え、えっと、ゴミを、です」
『でしたらお近くのゴミステーションに置いておいてください。ゴミ収集車が決められた時間に回収しに行きます。回収した後はこのゴミを処理するところに持ってきて、ゴミを処理します。処理した後は――――』
「あっ、はい、あの、分かりました」
『そうですか』
「ああのちなみに、このゴミは実は、昔は、ゴミじゃなかったんですけど」
『昔はなんだったのですか』
「えっと、その、夢でした」
『いつごろまで夢でしたか』
「その…気が付いたら、ゴミでした」
『そうですか。今はゴミなんですね』
「そ、そうです」
『なら大丈夫です。ゴミステーションにおいておいてください。ただ、指定された曜日にしっかり出してください』
「…わ、分かりました」
『失礼します』
電話を切られた。声の温度がまるで接客には向いていない様な気もしたが、別に接客とかあんまり関係ないか、と思い直す。
僕は一人で、そのゴミを近場のゴミステーションまで捨てに行った。そのゴミの軽さがやけに僕を苛立たせた。
次の日、僕は再びゴミ処理場に電話をかけた。
『おはようございます。こちら、ゴミを処理するところです』
「あ、あのう、持って行っていかれていないんですが」
『なにをですか』
「ご、ゴミを出したのに、集められなかったんです、僕のだけ」
今日の朝僕がゴミステーションで発見したのは、何故かゴミ収集車に置いてけぼりを食らった僕のゴミだった。文句を言ってやろうと僕は電話をかけたのだが、この冷静な女の人の声を聞くと、そんな気持ちはしゅぼしゅぼと縮んでしまった。
『おそらく曜日をお間違えになられたのではないでしょうか。ちなみに今日は不燃物の日だったのですが』
「でも、これ多分、燃えないと思うんですけど」
『ですから、それは、燃えるゴミなのでしょう』
「い、いや、燃えないと思うんですが、こんな強そうな…というか頑固そうな」
『はい。ですから、おそらく、あなたが考えているより、簡単に燃やすことができるのだろうと』
「…そ、そうかなぁ…」
『そうですよ』
電話が切れる。
僕は首を振り振り、ゴミ捨て場から出戻りしたゴミの塊をにらんだ。
…そうか、これはきっと、粗大ゴミだ。
僕は思いつき、うなずいた。なるほどそうだ、明らかにこのサイズは粗大ゴミだ。僕としたことが、まったくとんちんかんだった。
粗大ゴミは次の日だったので、僕は再びゴミステーションにそのゴミの塊を出しておいた。
すっきりしたので、その日は部屋の片づけなどして過ごした。
僕の気分と同様、部屋も、妙にすっきりして見えた。
けど、少し、面白みに欠ける気がするな。
いや、待て、面白みなんか必要だろうか。
そう、無論、面白みなんて物は必要ない。
そろそろ就職活動も始まる時期だし、もう、ゴミなんかに構ってる暇はないのだ。
次の日、僕は再び再びゴミ処理場に電話をかけた。
『はい、こちら、ゴミを処理するところです』
「あのう、変なんです」
『あなたがですか』
「は?あ、いえ、その、また僕が置いたゴミが置いてけぼりにされてて。これってもう、ゴミ収集車に嫌われてるのかなって考えちゃったり」
僕の目の前には、またもや持ってかれていないゴミが所在なさげに置いてあった。もうなんなの、これ。せっかくちゃんと捨てようと決意したのに。誰も持って行ってくれない。
『失礼ですが、今日は粗大ゴミの日です』
「だから、出したんですけど…」
『なら、それはおそらく、粗大ゴミではないのだと思います』
「で、で、でも、これ結構な大きさなんですけど」
『ですから、粗大ゴミではないのかと。指定のゴミ袋に入れて、燃えるごみの日に出していただくようお願いいたします』
「いや、でも、だって…これ、一応、ぼぼ僕の、その、元、アレだし」
『アレとはなんですか』
「…えっと、見たらわかると思うんですけど、これはちょっとゴミ袋には入らないと思うんだけどな~」
『いえ、おそらく、あなたが考えていらっしゃるより、小さいのですよ』
電話の向こうで、淡々と担当者の女性は言う。
『あなたがそう思いたいだけなのではないでしょうか』
電話を切って、僕は、部屋にあおむけに寝転ぶ。
どうしよう。本当にこのゴミ、燃やせるのか。というか、ゴミ袋に入るのか。
いや、そんな簡単に捨てられたら、もうとっくの昔に捨てている。
そうじゃないから―――簡単じゃないから、今まで捨てられなかったんじゃないのか?
こんな時、あの男ならどうするだろう。
腐った目の、ひねくれ者のあの旧友なら?
玄関に置かれている、元夢の、今ゴミを、眺める。
燃やせなさそうで、実は簡単に燃えるのかも。
中身がたくさん詰まってそうで、実はスカスカなのかも。
思ってたより、大したものじゃ、ないのかも。
再び再び再び、僕はゴミ処理場に電話をかけた。
『はい、こちら、ゴミを処理するところです』
ここ数日ですっかり聞きなれた、冷静で温度の低い声。
「あのー…ゴミって、どこからどこまでがゴミなんでしょうか」
『あなたが邪魔と思うならゴミでしょう』
「はぁ…」
『ゴミはちゃんとゴミを処理するところで処理しなければなりません』
「そ、それはな、なぜですか?」
『放っておけば、それはいつか公害となり、地球に悪影響を及ぼします。あなたのゴミのせいで』
「あ、あのですね。ちょっとゴミかどうか判断のつかないものって言うのはどうすればいいんでしょうか」
『そんなの、どっちでもいいです』
「はあ?」
『判断がつかないなら、どっちでもいいです』
「…そんなアバウトでいいんですか?」
『そういうものです』
女性担当者はあっさり言った。僕は絶句した。
ゴミなら捨てる、ゴミじゃないなら捨てない。ゴミとそうでないものとは絶対的に隔たりがあるものだと思っていたのに。
僕は玄関に置いてある異物をこわごわ見つめる。ゴミだと思っていた、だけどゴミではないのか?まさか、そんなはずは。
『どうされるのですか。捨てないのですか』
電話の向こうの女性は、相変わらず温度の低い、冷静な声で言う。
聞きなれた、というか、ちょっと懐かしい気さえするのは、高校生の時に聞いたような声と少し似ているからなのかもしれなかった。
形はどうであれ、まっすぐに意見をぶつけてくれた、あの声と。
冷静に沈着に無駄なく迷わずに、ひたすらひたむきにまっすぐに。
僕なんか恥ずかしくてまともに話せたことなんてまるでなかったし―――彼女はいつも彼を見ていたけれど―――僕は少しだけ、あの冷たい声に憧れていた。
あんな風に堂々とした人になれたらいいと、思っていた。
高校を卒業しても、僕はゴミの分別すらできない中途半端野郎だけど。
『捨てないのでしたら、それはゴミではありません』
そんなことを思い出したからか、電話越しの声が急に少し優しくなったようなきがした。
冷たい音なのに、なぜか、受話器を当てている耳がじんわりと熱い。
記憶と共に音が熱を帯びる。
捨てるならゴミです。
捨てない限りは、ゴミではありません。
いいですか?
多分それ、あなたの夢ですよ。
それが夢じゃなかったことなんて、きっと、一度もありませんよ。
あなただけじゃありませんよ。
みなさんそうやって、どうにかやってきているんですよ。
何も言えないまま僕は、部屋にずっと立ち尽くしていた。
ちなみにどっちにしろ、痛みは残りますよ。
痛みは残るし、ずっと続いていきます。
消えない痛みなので、それはそれはつらいので、みなさん目をそらすか、ないものとして扱うか、忘れたふりをするんですけどね。
でも。
そういうものです。
あの、もう、電話、切ってもいいですか。こちらは忙しいのですが。
なにしろ、今日もたくさん、問い合わせの電話が来ているので。
再び「COSMONAUT」から、「分別奮闘記」をベースにさせていただきました。
BUMPってこういったちょっと面白い曲がありますよね。