「サリ…エル……?」
雁夜には何を言っているのか分からなかった。
サリエルとは旧約聖書に登場する大天使の名前である。彼は人間の魂を汚すことを防ぐ役目を持っていたことから死を司る天使とも言われ、また悪の道に走った天使の罪を量り、堕天させる役目も担っていた。
そして、彼にはもう一つ大きな役目があった
月の統制権である。
月は古代より魔術や生命の誕生や衰退に大きく関わりあるとされており信じられている。それは西洋圏のみではなく、日本を含めた東洋圏でも月の光には魔力や生命に関する力が宿っていると言い伝えられている。
吸血鬼や人狼などの妖魔や化生達も月の光を浴びることにより力を生み出し人間に恐怖や畏怖を与えてきた。
その超大な力を持つ月の統制権を持つサリエルは、後に人間へと月の運行に関する知識を与えたことにより、神への反逆行為と見なされ堕天してしまう。
それがサリエルである。
「なん…の…ことだ……?」
雁夜には分からなかった。
間桐は元々ロシア系の人間ではあるが、この家の人間が西洋の宗教を信仰しているなど聞いたことが無かった。
しかし…。
「とぼけるな」
グッ
「!?」
彼には通じなかった。
「此処にサリエルが逃げ込んでることは知っている。誤魔化せると思うなよ」
「だからっ…!?」
知らないものは知らない。雁夜はそう答えようとしたが、遮られた。
「ぐはっ!」
ビチャッ!!
自身が吐いた血によって。
「…お前、体が悪いのか?」
「ごほっ!…おぇっ!…ぅおっ!」
雁夜に答える余裕は無い。サーヴァント召喚により体に負荷がかかり、尚且つ刻印虫が雁夜の体を貪っており命を削っていた。
このままでは死んでしまう。雁夜はそう思った。
「…仕方ないか」
バーサーカーが何か言っていたが分からなかった。
バサァッ!
体に何かが振りかけられるのを感じながら雁夜は意識を落とした。
「いったいどうなっているんだ?」
黒乃は一人呟いた。目の前には血を吐きながら意識を失った白髪の男が横たわっている。
「サリエルを知らないだと?」
黒乃は最初、ここが敵対している十字教の施設であり先程まで死闘を繰り広げた相手サリエルが逃げ込んだ施設だと思っていた。
緊急離脱用転移魔法『
サリエルを後少しで殺せるところを、俺に地獄の人体実験を施した元凶にして仇であるジュダス司教が、サリエルの窮地の際に発動するように仕込んでいたこの術式が発動し、サリエルは逃亡しようとした。
逃がす訳には行かないっ!
俺は止めを刺す為にサリエルに飛びつき、一緒に門に飛び込んだ筈だった。
しかし、次に目を開けたときにはこの薄暗い部屋の中にしゃがみ込んでいた。サリエルは近くに見当たらず二人の人影しかなかった。
一人はその体から明らかな腐臭を漂わせた老人、もう一人は床に横たわっている白髪の青年。
「(何処だここは?)」
黒乃は困惑した。この手に掴んでいた筈のサリエルは何処にも見当たらない。しかし、この後黒乃を驚かせたのは別の事だった。
「(何で俺の手に「
『
黒乃が絶大の信頼を置く二振りの呪われた武器。それが黒乃の両手に収まっていた。だがそれはサリエルを追いかける際に戦場に置いてきてしまった筈のものだった。
「(それに…。)」
『
黒乃が着ている黒いコートにも似たこのローブは見た目とは裏腹に高い防御力と再生能力を備えている。そしてこれもサリエルとの戦いで攻撃を避ける際に紛失した筈だったが、今は欠損した様子を見つけられず、まるでこれを手に入れた時の様な状態で黒乃を包みこんでいた。
そして、サリエルとの死闘で消耗した体力は回復しており、応急処置として黒色魔力をゼリー状にして埋め込んでいた傷も綺麗に無くなっていた
さらにサリエルの『
「ご主人様~調べ終わりました~」
突如頭に響く声。
「(ヒツギか、どうだった?)」
「それが壊れた筈の武器やアイテムとかが全部そっくりそのまま残ってました~」
『
自身の両手に装着している黒いグローブの名称であり、これもまた呪いの装備であった。その能力はグローブや黒乃の影を通して触手のように鎖を生み出し操る事である。
黒乃は此処に現れ影空間が使えると分かった時に、こっそりとヒツギに中を調べるように命じていた。
「(本当にどうなってるんだ……)」
置いてきた筈の武器。壊れた筈の装備やアイテム達。消耗しきっていた筈の体力。受けたの筈の傷。
その全てが、何事も無かったかのような状態に戻っており、それが黒乃にさらなる混乱を与えていた。
「(疑問はあるが、先ずはこの場の制圧が先か……)」
そして、此処が何処なのか。サリエルは何処に行ったのか。この場を制圧し情報を集める事が先決であると黒乃が判断した時。
スッ
前方にいた老人が動き出した。
瞬時に黒乃はこの老人の排除に移った。
もし、この老人が熟練の魔法使いであったならば後手に回るのは確実に不利になる。
しかも此処で戦えば、その音を聞きつけた他の十字教の兵士達が駆けつけて来るかもしれない。その中にもしサリエル以外の使徒がいたら黒乃は間違いなく殺されてしまうだろう。
だから此処で戦闘行為をする訳にはいかない。
黒乃は即座に老人に飛びかかり、真っ直ぐに右手の『
ザシュッ!!
降り下ろした勢いのまま脳天から真っ直ぐに体を断ち切られた老人は、無数の蟲を撒き散らしながら四散した。
「なっ!?」
「(っ!?なんだこれは!?)」
後ろから驚きの声が聞こえたが、黒乃も同じように驚いていた。
「(体が蟲で出来ているだとっ!?そんな種族ダイダロスでもスパーダでも聞いたことないぞっ!?)」
獣人やエルフやドワーフ、さらにはスケルトン、スライム、ゴブリン等様々な種族の
だからこそ黒乃はこう考えた。
「(十字教の実験体か何かなのか……?)」
人間以外を人と認めず家畜や奴隷のように扱うあいつらならばやっていても可笑しくない。
「(他にも情報が必要だな)」
そう判断し残った男に『
このままでは情報源が無くなってしまうと判断した黒乃はヒツギに命じ、
少し勿体無い気もしたが、他に情報源が無い事と、例え今この男を見殺しにしたとして、また新たに情報源を見つけられる保証が無かったので、黒乃は男に治療を施すことにしたのだ。
「(それにこいつが嘘をついてるようには見えなかったしな)」
黒乃には男が情報を隠してるようには感じなかった。サリエルの名前を出した時も誰の事を言っているのか分からないという感じの答えだった。
だから、先ずはこの男から情報を聞き出すことを決めた。もし嘘をついていたならば強引にでも話させればいいだけだが、もし本当に十字教の関係者ではなくサリエルのことを知らないのであったならば…。
「(あの老人には悪いことをしたな…)」
平和に暮らしていた人をこの手に掛けてしまったかも知れない。
人を殺すことに今更躊躇などしないが、流石に十字教の関係者と勘違いして殺してしまったのならば流石に罪悪感も沸く。
「(そう判断するのはまだ早いが、もしもの時は直ぐにでも此処から逃げないとな…)」
まずは男から話を聞くことが先決。
考えを纏めた黒乃は男の回復を待つことにした。男を血溜まり引きずり出して仰向けにし寝かせる。そして他に誰か近くに来ていないか探る為に、近くの壁に背中を預けながら周囲へと気を配る。もしもの場合即座に対応できるように…。
「………うぅっ」
雁夜がまず感じたのは硬く冷たい地面の感触。そしてゆっくりと目を開けると、気を失った時のうつ伏せの体勢から仰向けに変わっているのか、薄暗い室内と天井が眼に入った。
「眼が覚めたか」
「!?」
耳に入ってきたのは気を失う前に聞いたバーサーカーの声。壁に背を預けながらこちらを凝視していた。
「お前は…」
そう呟きながら雁夜は体を起こした時、自分の体の変化に気付いた。
「体が軽い…?」
そう、気を失う前とは異なり、血反吐を吐くほど弱りきっていた体が嘘のように軽くなっていたのだ。
「どうして…?」
「俺が治療しておいた。少なくとも喋れる程度には回復しているだろう?」
「あぁ…」
雁夜は困惑した。召喚された後いきなり臓硯を切り捨てたことも驚きだが、自分の意思で会話を行い、尚且つ治療までしたというこの男は本当に自身が召喚した
「なら、俺の質問に答えてもらおうか」
「…何が知りたいんだ?」
サーヴァントは召喚された際に、聖杯から召喚された時代の常識や情報等が知識として与えられる。故に情報交換等は不要であり、するとすればお互いの名前を教えあう位しかない筈だった。
「さっきも言ったが、俺が知りたいのはサリエルの居場所だ」
「…サリエルなんて奴は知らない」
「とぼけるな」
「くっ!?」
バーサーカーが先程と同じ質問をしてきたが、やはり雁夜には身に覚えの無い内容だった。一拍の間をおいて先程と同じ様に返答した瞬間、バーサーカーから濃密な殺気が噴出した。
「ここが十字教の施設なのは分かっているんだ。情報を隠したいのは分かるが、今この状況でそれをすればどうなるのか、その体で思い知りたいのか?お前は」
「……だからっ、何の事を言ってるんだ!」
理解できなかった。十字教の施設?サリエル?何一つ身に覚えの無い言葉であった。
「俺はサリエルなんて知らないし、ここは十字教なんて施設なんかじゃない!」
「…………」
ほんの少しだが、バーサーカーの殺気が和らいだ気がした。しかし直ぐにこちらへと歩いて近づいてきて、雁夜の目の前まで顔を近づけた。
「…本当にサリエルの事を知らないのか?俺の目を見て、本当に知らないと誓えるか?」
バーサーカーが雁夜を睨みつける。
雁夜は思わず目を背けそうになったが、そんな自分に渇を入れ、渾身の気合を込めてバーサーカーを睨み返した。ここで目を逸らせばバーサーカーは嘘をついてると判断し、己に危害を加えるだろう。
「誓って言える。俺は、サリエルなんて奴は知らない」
「……そう…か……」
バーサーカーが呟くようにそう言うと、噴出していた殺気が消え、近づけていた顔を離した。雁夜の体からは、緊張が解けたせいか、ブワッと汗が流れ出した。
「…分かってもらえて何よりだ」
「…今はお前の言葉を信じることにした。俺には今の状況が何一つ掴めていない」
「?それは可笑しいな。お前はサーヴァントだろ?召喚された時に聖杯から現代の知識とか受け取っていないのか?」
「サーヴァント?聖杯?何のことだ?」
「はっ?」
雁夜は思わずそう言ってしまった。それもそうだろう。聖杯戦争に参加する為に召喚されたサーヴァントが聖杯を知らないといったばかりか、自分がサーヴァントであることすら知らないといっているのだから。
「お前は聖杯戦争に参加する為に、俺に召喚されたサーヴァントなんだろ?なのになんで知らないんだ?」
「聖杯戦争…知らないな。それに英霊?確かそれは戦死者の霊の事だったな。お前には俺が幽霊か何かに見えているのか?」
「……」
致命的に話が噛み合わない。お互いに情報を共有できてない者同士が話をすると、こんなにも会話が進まないとは思わなかった。
「……とりあえず、お互いの情報交換が先かな……」
「そうだな。俺も状況を把握したい。」
「それじゃあ上の部屋に案内するよ。そこならゆっくり話しが出来る」
「分かった」
そして、雁夜は体を起こして上へ行くための階段へと向かう。後ろからバーサーカーが付いて来ているのを見て雁夜は考えた。
“本当に変なサーヴァントだな……”
バーサーカーの癖に狂化しておらず、自分がサーヴァントとして召喚された事を知らない。挙句には、肝心な聖杯戦争についても知らないときた。これが可笑しくなくて何が可笑しいというのか。
“まぁこの後話せば分かる事か…”
そう思い、一旦浮かんだ疑問を置いておく事にした。
二人が階段を上がっていた後には、もう使われる事のない魔方陣と雁夜が吐いた血の跡。そして切り裂かれた蟲の死体だけが残っていた。
とりあえず投稿してあった分は全て修正しました。けど、自分だと面白いのか分からないから不安です…。
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