提督の仕事を眺めて数十分、提督は予告通りに仕事を終わらせた。
「あー、終わったー!」
それまで真面目に取り組んでいた提督も、ペンを放り投げて大きく伸びをする。よほど鬱憤が溜まったのか、立ち上がって軽く体を動かしており、気持ちの高揚が見て取れた。
「お疲れ様です」
それを見ると、何故かこちらまで嬉しい気分になり、抱えていた酒を提督の机に置く。朝からというのはどうかと思ったが、私にできる労いは酒を返す事だけ。一回くらいなら罰は当たらないだろう。
「いや、酒は腹が膨れるから朝飯の後にしとく。それより、何が食いたい?」
意外な事に提督はそれに手を付けず、こちらの食べたい物を聞いてきた。しかし、聞かれても何かが浮かんだりしない。食べ物に対する記憶はあると思うが、味については覚えていないのだ。
「えーっと……朝ごはんと言えば、何が一般的ですか?」
「あぁ、記憶が無いんだったか。そうだな……モーニング珈琲とか、それなら行きつけの店がある」
口ぶりから察するに、提督は基本的にそれなのだろう。私も何となく覚えのあるような気がして、それに関する記憶をたどる。珈琲と言うからには、談笑をするのだろうか。だとしたら、付け合わせは何になる。パンか、サンドウィッチが妥当だろう。
「いいですね。それにしましょう」
「分かった。じゃあ着替えるから、少し席を外してくれ」
私が同意すると、提督はそう言ってクローゼットを開ける。中には青を基調とした上着や、灰色のインナーシャツ等。見た目に反して、オシャレに気を使った物が多かった。一応、軍服も横にあるが、私服が多すぎて埋れている。
「オシャレ、するんですね」
「そうだぞー。俺はモテるための努力だけは惜しまないからな」
ついついそう言ってしまったが、無精髭の男が世迷言を返してきた。モテたいならまず、いい加減な言動をなんとかすべきだろう。あと、曙に休暇をあげてください。
「信じてないって目をしてるな。何なら、この鍛えた身体を……」
「やめてください! もう、あまりセクハラするようなら、憲兵に突き出しますからね!」
こちらの様子を見た提督はそう言うと、ネクタイに手を掛けた。何をしようとしているかは、言葉を聞くより早く察知できる。
背を向けると、そのまま部屋から出て勢い良く扉をしめた。軋むような音がしたが、今回は壊していない。
そういえば、提督は肩幅もがっちりしてるし、外見で見えない所はしっかりしていそうだ。想像したら、案外すぐに浮かぶ。
「な、何を考えてるのやら……」
自然と頬は紅潮し、頭を振ると窓に凭れて提督を待った。背後を見ると、駐車場に小さな公園がある。そこでは子供が遊んでおり、セーラー服なためアレは駆逐艦の娘だろう。
笑顔が眩しく、見ているだけでこちらまで不思議な気分にさせられる。提督も、こんな気分なのだろうか。
そういうば、曙も駆逐艦なのだが、雰囲気が他と違い過ぎて、あまりそんな気がしない。もしかしたら過去に何かあったのかもしれない。
「お待たせ」
「い、いえ、大丈夫です!」
思考を誤魔化していたというのに、扉が空いた瞬間それが無駄になってしまった。変に意識しないようにと思えば思うほど、それが顕著になってしまう。
こちらの焦った様子を見た提督は、口角を上げて悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、行こうか」
「……何ですかその手は」
そして、こちらに手を差し出してくる。何を意味しているかは分かっているが、訝しんでそれを見ると一応質問しておいた。なんとなく返事は予想できたが、もしかしたら違うのかもしれない。
「デートではこうするものだろ?」
「デートじゃありません!」
返事は予想を少しばかり上回り、提督の楽しそうな笑い声が耳に障る。この人は誰かれ構わず手を出して、婚約相手に対しての罪悪感が無いのだろうか。
「男からの食事の誘いってのは、そういう意味なんだぞ。まさか、一旦引き受けてから断る何て無いよな?」
「そ、そうだったんですか……え、えー……」
提督は苦笑いしながら言っており、何となく断るのも罪悪感が湧いてしまう。そんなの気にする必要は無いとしても、こちらとしては変に気を使ってしまうのだ。提督もそれが分かっていてやっているに違いない。
「……じゃあ、せめて一つ質問に答えてください」
「ん、まぁ、いいぞ」
断るのに気が引けるなら、一つだけ条件を出せばいい。そう思ってそう答えたのだが、提督は少し意外そうに返してきた。こちらとしては聞きたい事だらけなのだが、これさえ確認すれば変な罪悪感無く食事に行ける。
「こういうことして、結婚した艦娘達に悪いと思わないんですか?」
この質問にはよほど効果があったのか、提督は首を傾げた。すぐ返事しないということは、何か思う所でもあるはず。だとすれば、こちらの聞きたい事の答えが全部出るやもしれない。
「……っふ、ははは! お前、そんな事を気にしてたのか、可愛いやつだな。実は俺に気があるのか?」
「ま、真面目に答えてください!」
しかし、提督は笑い出した。それも目じりに涙を浮かべ、腹まで抱えている。不本意な反応につい怒ってしまったが、もしかしなくても私が何かを勘違いしていたのだろうか。
「真面目に質問されたから笑ってるんだよ。それで、俺に惚れたのか?」
「ですから、真面目に答えてくださいってば!」
提督はあくまでもふざけているようで、不安が大きくなった。もしかして、あの指輪を付けた艦娘は結婚はしていても、相手は別だったりするのだろうか。今更だが、提督は指輪を付けていないし、また早とちりでもしてしまったのかもしれない。そう思うと、ついつい語気が強くなってしまった。
「真面目だから聞いてるんだよ。これまでに、ふざけながらこんな事を聞いた事があったか?」
提督に言われて考えてみたが、たしかにそういったことを言われた記憶は無い。この人なら普段から言っていそうだが、そういう事には真面目に取り組む人なのだろうか。
「たしかに……でも、何でそんな事を聞くんですか?」
「いいから答えろって、返事はそれからだ」
真面目だと感じるとどうも深読みしてしまい、どう返事をしていいか困ってしまう。提督は本気で私の事が好きだったりするのだろうか。だとしたら、変な事は言えないし、かといって自分でも整理がついていない。
視線を右往左往させてから提督を視界に捉えると、一応言葉を出しておいた。
「……好きとかは分からないです。でも、ある程度の意識はしてると思います」
これが精一杯の答えだった。記憶が無いせいか、好きかどうかを断定する材料は無く、何となく意識している事しか分かっていない。
それでも提督は表情を緩めてくれて、ちょっとだけこちらの緊張が緩んだ。
「なら、お前にもこれをやろう」
提督が取り出したのは見覚えのある銀の指輪。どうにも理解が追い付かず、私はきっと間抜けな顔をしながら提督と指輪を交互に見ているだろう。
「俺と結婚したくなったら言ってくれ。俺は断らないし、必ず幸せにしてやる。これは、そういう約束の証だ」
私の左手を手に取った提督はそれを薬指にはめて、そっと手を放す。つまり、提督からの遠回しのプロポーズなのだろうか。いや、でも他の艦娘もつけていたし、先ほどの口振りからして、全員に言っていそうだ。
「え、でもそれって……」
「あいにく、俺の隣はまだ空いててな。まだ結婚を申し込まれた事は無いんだよ」
こちらの聞きたい事が分かっているのか、提督は苦笑すると頭を掻いてみせる。
これは卑怯過ぎる。こんなことされて、結婚したい何て言える訳がない。他の艦娘への罪悪感もそうだが、自分が本当に提督を好きなのか、提督はこちらをどう思っているのか。それがまったく分からないし、知るための手段すら無いのだ。
一見誰にでも権利があるように見えて、誰にもそんな権利は無い。加賀を何度も怒らせているのは、これが原因なのは間違いないだろう。
「卑怯ですよ、それ……」
「そうかもな。まぁ、この話はこんなもんでいいだろ。行くぞ?」
提督はどうもこの話を長くしたくないようで、私の手を勝手に掴むと歩き出した。提督の手は温かくて、少し汗ばんでいる。緊張していたのだろうか。それに、大きくて私の手はしっかりと包まれている。少し硬いけど、これはこれで頼もしい感じがする。
「男らしい手してるんですね。意外です」
「酷い言いぐさだな」
何となく気恥ずかしさは無く、むしろちょっとした安心感に頬を緩ませた。提督も苦笑を返すだけで、私をいじろうとはしない。
それにしても、なぜこんなに安心できるのだろうか。いっそ、腕でも絡ませたら幸せかもしれない。
「っあ、離してください!」
そこまできて気づいたが、これは完全に流されている。このままではいけないと思いそう口にしたが、提督はむしろ力を込めて、逃げれないようにしてきた。
「車までだから、少しは上官の戯れに付き合ってくれ」
一気に顔が熱くなり、提督も変わらない速さで歩いていく。意味はないと分かっていても早歩きになってしまい、追い抜かさないようにしていると、自然と提督と肩を並べていた。とにかく苦しい。この感覚は私の心をひどくかき乱す。締め付けるようでいて、ほんのりとした甘さが舌の根から胃へと吹き抜ける。そこからはじんわりと熱が広がり、体全体を温かく染め上げていくのだ。
辛いようで嬉しい。でもどこか悲しくて、色々な感情が押しては返す水面のように、私の中を染め上げ続けた。
「あれが俺の車だ」
頭が真っ白になってついて行ったが、提督は唐突に立ち止まると黒い車を指してそう言った。見た所では普通のと違う様子で、車体後方に板が付けられている。これは一般的に羽と呼ばれるのだろうか。
「ちょっとは有名なスポーツカーだけど、お前はやっぱ分からないよな」
「すいません、車はちょっと……」
「だよな、知ってた」
提督は温和に笑ってみせるとそのまま車に向かい、鍵を開けた所で手が離れた。少し名残惜しくも感じてしまったが、心なしか手が寒く感じてしまう。
「スポーツカーは乗ってる本人じゃないと分からないらしいからな。運転させてやりたいが、免許がないんだよなー」
助手席に乗り込もうと思ったが、少し入り難くて提督の手を借りた。椅子はとても柔らかいのに、ちょっとした反発があって深く体が沈んだりしない。代わりに体を包むような形をしており、何となく守られている気分になる。車窓も外からでは分からなかったがとても広く、初心者目に見てもある程度値の張る物なのだと分かった。
「車好きなんですか?」
「いや、スポーツカーってモテるだろ?」
やはり、提督は提督らしい。そういえば、提督の趣味は何なのだろうか。そうは思ったが、何となく返事は分かってしまったのでそれを聞くのはやめておいた。
「っひゃ!」
車に関心していると不意にエンジンが掛かり、音と振動に驚いてついつい声を上げてしまう。それらはエンジンをかける時だけのようで、静まり帰った車内で顔を赤らめる。
「無明ってさ、お化け屋敷とか無理なタイプだよな」
「否定はできませんね……」
提督は楽しそうにしているが、実際に行ったら大惨事になりそうで怖い。初日に提督を吹き飛ばしているため、驚かされた拍子に怪我人が出るのが怖いのだ。思わず苦笑いを返してしまった。
「ハロウィンが来たら楽しくなりそうだ」
クツクツと喉を鳴らすと発車し、見た目に反して小回りの利くそれは鎮守府から出ていった。門はあったが、車を見た監守が何も確認せず開けてくれる。提督の相手をするのがよほど面倒なのだろうか。
車は鎮守府を出るとそのまま海岸線を走り、いずれ町が見えてきた。どことなくそれが懐かしくて、言葉にならない感動を覚える。
「……これが、町なんですね」
「そうだな。車で片道十分程度で、ある程度の店はある。ショッピングモールとか行ったらもう言う事無しだ」
口振りからして、そんな都会というほどの物ではないのだろう。しかし、まだ建物を三つしか見たことのない私にしてみれば、これでもかなり近未来に見える。しかし、この感動はそれだけではない。理由は分からないが、そんな気がした。
「不思議な感じがします……知っているような、そんな懐かしさがあって……嬉しくて涙が出そうです」
自分に起きている不可思議な感覚の答えも、提督なら分かるかもしれない。そう思い感じているままを口に出した。私はこれが何を指しているのか知りたい。そこに、記憶の欠片が眠っている気がするのだ。
「……そうか、朝飯済ませたら回ってみるか?」
「はい、お願いします」
提督もそれを察してくれたのか、少し考えるそぶりを見せるとそういってくれる。私はこれまで感じたことの無い高揚を覚えながら、少しずつ大きくなる町をひたすらに眺めた。大きなビルはなくても、見渡す限りに民家やお店が並んでおり、海に面しているせいか、田んぼのような物は見つけられない。
海岸沿いの道から抜けるとすぐに民家が立ち並び、自転車をこぐ少年の姿も見える。シートベルトが邪魔だったが、窓に張り付くようにしてその情景を眺めた。
何も知らないし分からない。なのに、ずっとこれを待っていたかのような昂揚感がある。もっとこの町が見たい。昂るそれは比喩ではなく、涙として私の頬を濡らした。
「いい町だろ? 俺たちはこれを守るために戦ってるんだ」
「……はい」
そんな様子を見た提督が話しかけてくれたが、涙声を聞かれるのも恥ずかしくて、少し落ち着かせてから返事をする。町を見たら感動して泣くなんて、自分でも意味が分からない。
そうして車は町を進み、次第に民家以外の建物が並び始めた。床屋に洋服店。中にはランドセルを売るお店も見えたが、車は一つの喫茶店の駐車場に停められる。少し古めかしさがあり、地元に愛されているのは、停まっている自転車の数をみらば分かった。
「さて、人生初の喫茶店は気に入ってもらえるかな?」
提督は車から降りて、私もシートベルトを外して降りようとする。しかしながら、入るのに苦労しただけあり、降りるのも結構苦労させられた。何度も体制も変えようとしていた所で提督が手を貸してくれたが、二度目ともなると気恥ずかしい。
「いらっしゃーい。お前さんまた新人に手を出してるのかい?」
「そうそう、俺ってばモテるから。店長も若い時はブイブイ言わせてたんだろ?」
店に入ると、気の良さそうな中年男性が出迎えてくれた。どうも知った間柄のようで、話についていける気がしない。とりあえず愛想笑いを浮かべているが、これはこれで失礼だろうか。
「なんの、お前さんに比べたら武勇伝にもなりゃしないさ。空いてる好きな席に座ってくれ」
店長は肩を竦めると厨房に入って行き、提督は私の手を取ると奥の四人掛け席に向かった。あまりにも自然だったため普通についていったが、これは反発するべきだったかもしれない。
「一応言っておきますけど、好意があってきてるわけじゃないですからね」
「これはこれは、ツンデレってのもまた可愛い物だな」
釘を刺しておいたが、提督にはあまり意味が無さそうだ。おどけて見せるとメニューを取り出し、私に向けて開く。こうした心遣いができるのに、なぜこんなに残念なのだろうか。
「えーっと……これとか、どうですか?」
メニューにはモーニングセットと単品があり、こういう場合はセットにすべきと思い、珈琲とサンドウィッチのセットを指さした。
「……いいね、じゃあ俺はこっちで。店長ー、AとCを一つずつ!」
「あいよー」
提督もどれにするか考えていたのか、少し遅れて返事をすると声を上げて店長に注文をする。奥から返事が返ってきたため、提督はメニューを元の場所に戻した。
「何か思い出せそうか?」
「え、何でですか?」
すると、不意に質問をされてしまい、質問で返してしまった。別にそれっぽい仕草をしたつもりもないし、思い出せそうだなんて微塵も思わない。
「いや、目が赤いから。何か思い出してたのかなって」
提督はどうも、気が回る性質のようだ。嫌な事を思い出して泣いてしまったとでも思ったのだろう。
「そうじゃないです。ただ、凄く感動してしまって、感動の涙がでただけですよ」
「そうか、ならいいんだ。気にしないでくれ」
そう思うと、なんとなく提督が可愛く見えた。主人を気遣う子犬のようで、笑ってみせているのが、よりそれらしく見える。
「気を使って頂きありがとうございます。でも、デートだって言うなら、ちゃんと喜ばせてくれないとダメですよ?」
自然と笑みが浮かび、喉がクツクツと音を鳴らす。提督が好きだとは思わない。それでも、嫌い何て思えないのだろう。いろいろとダメな部分はあるけど、根はいい人なんだと、私は信じたいし、信じている。
「それもそうだな。でも、デートといえば別れ際のキスだろ?」
「ほんっと最低ですね!」
提督はなぜこうも残念なのだろうか。評価が一瞬で塗り替わってしまった。
「じゃあ聞くが、お前が好きな人とデートをしたら、別れ際にただ手を振って終わりが嬉しいのか? やっぱり、そこは男らしくキスの一つや二つ……」
「それとこれとは話が別です! だいたい、私は提督が好きだなんて一言も言っていません。だから、好きな人とのデートとは内容が違うんです」
「仲睦まじいね、俺の嫁さんはもうそんな反応してくれないよ」
つい提督に文句を垂れてしまったが、横から湧いて出た店長によって、私の熱は一気に冷めてしまう。ここはあくまでも公共の場所なのだから、大声を出すのはマナー違反だ。
店長も深いため息をついており、テーブルに水とおしぼり、それにコースターを置く。
「あ、えと、すいません……」
「いやいや、このため息は嫁さんに対してだから。アイツな、最近俺の扱いが酷いんだよ。朝ごはんは作り置きで、昼飯に関しては店のまかないだぞ。これが結婚生活だなんて思うと、嫌気がさしてきちまう……」
一応謝ってみたが、どうもこちらの思い過ごしのようで、店長は愚痴り始めてしまった。結婚というのも大変らしい。この話を聞いてしまうと、なんとなく結婚が悪い物のように思えた。
「店長、俺の未来の嫁にそんな話はしないでくれ。俺との結婚の約束を破棄されたら大変だろ?」
「そんな約束してません!」
提督は平然と嘘をつき、店長をそれを聞くと頬を緩めていた。何となく、ここでの私の立場が分かった気がする。
「悪いね愚痴ってしまって。お詫びに、食後にデザートを出させてもらうよ」
店長はそれだけ言い残して引っ込み、代わりに長い黒髪を後ろで一本に纏めた、若い女性が注文した物を持ってきてくれた。
「父がご迷惑をおかけしてすいません。注文はこちらでよろしいでしょうか?」
その女性はとても可愛らしくて、看板娘と呼ばれる類の子なのだろう。二重瞼のおかげでちょと目が大きく見えて、口も小ぶりながらも、小顔なため目立たない。化粧もしているせいか、女性としての魅力を感じる。
「今日も可愛いね、この後一緒にどう?」
そうなるとやはりこの男が動き出し、私は顔を顰めた。確かにその気は無いと言った、これは気分の良い物ではない。胸が締め付けられるような、靄が掛かったような、抽象的だけどハッキリとした嫌悪を感じる。
「すいません、私も家の手伝いがありますから。またの機会にお願いしますね」
女性は対応に慣れているようで、そう笑顔で返すと注文を置いてさっさと戻っていった。なるほど、これが大人の対応という物なのか。私にはできそうもない。こんな事で無意味に腹を立てているのだから、やはりまだ私は産まれたてということなのだろう。
「提督、仮にもデートならそういった事はしないべきだと思うんですけど」
「妬いてる?」
「妬いてません」
提督の反応は見覚えのある物で、今なら加賀さんの気持ちも分かる気がする。いや、好きという訳ではないから、それとは少し違うかもしれない。そもそも、仮に好きだとしても、嫉妬するような間柄ではないのだ。一度気分を落ち着かせよう。
「……あつ」
そう思い無心でコーヒーに手を付けたが、冷まそうともしていなかったため、舌が焼かれてつい零してしまった。テーブルはそうだが、両膝にも染みができている。
「大丈夫か?」
「あ、はい……」
提督は自分のおしぼりでテーブルを拭き、私も自分のおしぼりで膝を拭う。腹を立てていたというのに、なんとなく気まずい気分になった。元々自分の気持ち事態が理解できていないのだから、なおのことだろう。
「何か……すいません」
「いや、俺が悪いから謝るなって。それよりほら、ここのは美味いぞ?」
提督は気落ちしている私を見ると、トーストを口に含んで笑って見せた。
「……美味しいです」
言われてサンドウィッチを口に含んだが、何となく温かい味がした。高級なのとは違う、素朴な味。でもそれが愛おしくて、私の口には最高の物のように思える。
提督も私の反応を見て満足そうに笑っており、その後は黙々と食事をした。会話が無いのは気まずいからではなく、純粋に久々の食事に夢中になったからである。
「ごちそうさま」
黙々と食べていると提督が先に食べ終わり、珈琲を啜る。私はまだ手にサンドウィッチを握っており、珈琲に至っては最初の以外口をつけていない。それも味何て分からなかったのだから、実質口をつけていないのと同じだ。
「に、苦いですね」
そう思い珈琲を一口含んだが、不快なほどの苦味が口内に広がり、ついつい顔を顰めてしまう。珈琲は記憶にあったのだが、こんな味だとは思わなかった。提督も同じ物を飲んでいるし、艦娘は味覚が人と違うのだろうか。
「そりゃな、砂糖とミルクを入れるんだよ。多くて砂糖二つにミルク一つって所だ」
提督もそれには苦笑いを浮かべ、備え付けてあった白い棒状の包み二つと、同じく白い容器をよこしてくれた。味付けについてはよくわからないが、とりあえず言われた通りの入れかたをすればいいのだろう。
「……あ、美味しいです」
砂糖二つとミルクを入れてしまうと黒色だったそれは茶色に代わり、口に含むと何ともいえない幸福感があった。ついつい頬を緩めてしまい、それと同時に気持ちも綻んだ。私はなんだかんだで、単純な性格をしているらしい。
「そうか、なら安心だ。ここが済んだら色々回ってみるか?」
「そうですね、もっとこの町を知りたいです」
提督の言葉はありがたくて、私も二つ返事でそれをお願いした。こうした小さな幸せが、ここにはたくさんある気がする。それをもっと知りたいし、もっとこうしていたら、気持ちの整理も付く気がした。
「あ、悪い……嫌な予感がするよ」
そうこう考えていると提督の携帯が鳴り、着信の相手を見せてくれる。そこには一文字”曙”と書いてあり、私もそれに同意して、苦笑いを浮かべながら頷く。
「何の用だ? ……そうか。明日は演習を行うと全員に通達してくれ。ん、無明に町の案内をする所だったが、まぁ仕方ない。また今度にするよ。大丈夫、分かってる」
通話はそれで終わり、提督から通話を切った。それをずっと見つめていたのは、途中から顔つきが真面目になっていたからだろう。何か大切な話をしていたのは明白で、私は珈琲を飲んで提督からの説明を待った。
「町の案内はまた後日だな。大事な用ができたから、食事が済んだら戻るよ」
「分かりました」
詳しくは教えてくれないようで、私も頷くと気持ち早めにサンドウィッチを食べ終わらせる。急げとは言われていないが、急いでしまうのは気持ちの問題だ。
その後も提督は難しい顔をしており、会話もできずに鎮守府へと帰って行く。こういう普段と違う姿というのは、女心としてはぐっとくる物があった。
では、また明日会いましょう。