「こんにちは」
その言葉と共に、私の意識は覚醒した。
「……ここは」
目の前にあったのは大きな木造の屋敷、その周りには数多くの桜たちがその花を美しく咲かせている。昼間であろう筈なのにどこか暗く、そして何故か冷たく感じてしまう空気。その空間の異質さと目の前の美しさの対比に何か惹かれるものを私は感じた。
「あら、私の事は無視?」
その言葉に、先ほど私が目覚めた時に聞いたものと同じ声にハッと後ろを振り向く。そこにはどこまで続いているのか分からないほどに長い石階段、そしてその前にはどこか浮世離れしたような雰囲気を持つ女性が立っていた。
ゆったりとした帽子と着物のようにも見える服に身を包み、周りを散る花びらのような桜色の髪を持つ女性。初めて見るはずなのに何処か見覚えのあるように感じる彼女は、手にした扇で口元を隠しながら私に声をかけてくる。
「やっと気がついてもらえたようね」
「……貴方は?」
「私は西行寺幽々子、この白玉楼の主よ」
「西行寺幽々子……、白玉楼……」
何故だろう、その名に関する記憶があるというわけでも無いのに何故か私はその名を知っているような感覚がある。
「ところで貴方、貴方の名前は何なのかしら?」
「私? 私は…………誰だ?」
思い出せない、私の名を、過去を、記憶を。私という男がどのような人生を歩み、どのようにしてここにいるのか、まったく持って思い出せない。
「思い出せないのね、やっぱり」
「やはり、とは?」
「私もそうだったもの、亡霊になるとそうなるものなのでしょうね。まあ、私の時は名前だけは覚えていたのだけれど」
「……亡、霊?」
亡霊、と言えばそれは、まるで私が。
「そう、貴方は一度死んでいる。そして亡霊として生き……、いえ、死に続けていると言った方が正しいのかしらね」
「私が……」
何ということだ、自分が何者かすら分からないというのに、さらに既に死んでいるだと? 悪い冗談、と言い切るのは簡単なはずだ。死人は決して、どんな形であれ蘇ったりしない。それが常識であるはずなのに……。何故だろう、私はそれを事実だと確信出来てしまった。
「とりあえず詳しいことは中で話しましょう、かまわないわよね?」
「……ああ、それで頼む」
「……幻想郷、か。にわかには信じがたいが……」
信じるより他に無い、それが幽々子の説明を聞いた私の感想だった。荒唐無稽な話であるはずなのに、それこそが現実なのだと否応なく理解してしまう。
「事実は小説より奇なり、か」
「分かってもらえたようね」
「ああ、……さすがにあんなものを見せられたら信じるさ」
先ほど私達の元にお茶を運んできた、分かりやすく人魂である白いそれを見てしまっているのだ。信じないというわけにも行かないだろう。
「そう、それで貴方、これからどうするつもり?」
「……どうしたものかな」
「貴方さえ良ければ、ここに住まない?」
「なに?」
「さっきみたいな子を除けば、ここに住んでいるのは私ひとりだけ。要は暇なのよ、一人きりの生活は」
「……一人だけ?」
「ええ、それが何か?」
何故だ? 私にはもう一人誰かいるような気が……。
『初めまして! 私の名前は……』
……! 今のは……? 私の記憶、なのだろうか?
「どうかした?」
「……いや、何でもない」
気のせい、だな。とりあえずはそういうことにしておこう。
「それで、結局どうする?」
「……世話になる」
他にいくところも無い、亡霊は亡霊といるのが普通かもしれないし、な。
「じゃあ改めて。ようこそ、白玉楼に」
……何故だろうか、私が彼女の笑顔に、若干の恐怖を感じてしまうのは。
「ここを使って頂戴」
「ああ、……誰か使っていたのか?」
なにやら少し前まで誰かかが使っていた、そんな印象を受ける部屋だった。
「……そうね。少し前までお客さんが来ていたのよ、掃除はしているはずだからとりあえず気にしないでちょうだい」
「……ああ、贅沢は言わないよ」
それに、どうしてだか落ち着くのだ。この部屋、この景色。この……。
『ここを使ってください、許可は得ていますからお気になさらずに』
…………この声は、誰なのだろうか。
「……これは、たばこ?」
部屋に何があるのかを見ていると引き出しの奥からたばこを見つけた、前のお客とやらの忘れ物だろうか。
「……」
何となく、灯りの火でたばこに火をつける。そのまま口にくわえてゆっくりと煙を吸って吐き出す。…………どこか懐かしい味がした。
『あまり健康に良くないですよ? 吸うなとは言いませんが、お願いですから早死にだけはしないでくださいね』
ゆらゆらと揺れる紫煙を見ていると、そんな声が聞こえたような気がした、
「あら、お料理?」
「ああ、何もしないのはどうにも、な」
甘受しすぎるというのもあまり褒められたものではない、そう思ったのだ。
「そう、楽しみにしているわ」
「……聞かないんだな」
「え?」
「いや、男なのに調理できるのか、とか聞かれるかと思ったからな」
「……そう?」
「まあ、私が勝手に思っただけだがな」
『え!? お料理できるんですか!?』
少なくとも、あの誰かはそう言っていた。
ふらふらと歩き回って思ったのだが、白玉楼はとても広かった。仮にもここで住むことになる以上何処に何があるのかを把握しようと思ったが、これがなかなかに広くて大変だった。しかしどうしてだろう、私には何が何処にあるのかが何となく分かっていた。
……それに、
『大変ですけど、これも私の仕事ですから』
『いえ、私などまだまだ未熟な身です』
『? お背中を流しに来ただけですが、何かまずかったでしょうか?』
庭、道場、風呂。色々と回ってみるたびに私の頭に何かが通っていく。
「……誰だ、君は?」
おそらくは女の子、私と親しくしていたのだろう。だが、肝心なことは思い出せない。その顔には黒いもやがかかっている、その声にはノイズが混じっている。その少女の名前すら、私には何も思い出すことが出来なかった。
「どうかした?」
「……幽々子か」
そうか、彼女に聞いてみればいい。単純なことじゃないか。
「白玉楼の探検かしら? なら私が案内でも」
「この屋敷には本当に、私達以外に住んでいるものはいないのか?」
「……どうして、そう思うの?」
「いや、何か理由があるわけではないんだが……。誰か、少女が住んでいたりしないか?」
「…………いいえ、ここにいるのは私と貴方だけよ。それ以外の者が住んでいたことなど無いわ」
「……そうか」
本当に? そう聞きたくなった。だが止めておこう、何故なら……。
「…………」
幽々子の目が、まったく笑っていなかったから。その笑顔が、とても恐ろしく感じられたから。
「ねえ、そんなことよりも私と一緒にお茶でもどう? 良いお団子があるのよ」
「……ああ、ご馳走になるよ」
そう言うしか、そう言わなければ、殺されてしまうような錯覚を覚えた。
そんなことがあってどれくらい経っただろうか、私はまだ何も分かっていなかった。
私は何者なのか、西行寺幽々子は何者なのか、あの少女は何者なのか。
私は何故ここにいるのか、幽々子は何故私を置いておくのか、あの少女は何故いないのか。
私が何故死んだのか、幽々子名は何故私に好意を向けるのか、あの少女は何故私の心にいるのか。
何一つ分かっていない、何も思い出すことは出来ない。
「どうかした?」
「……何でもないよ」
「そう……」
唯一つ分かっているのは。
『愛しています』
「愛しているわ」
私には、愛している者がいるということだ。
「……ああ、私もだよ」
『ふふふ』
「……ふふふ」
その笑顔は、暖かな太陽のように、血も凍えそうなほどに、私の心臓をとらえていた。
はい、幽々子回です。お待たせしました、本来は衣玖のつもりでしたが先に幽々子で書いてみました。内容が尻切れなのはご勘弁を、少々体調が優れないもので。なら書くなよ、という話ですがね。本当は違う結末にしようと思ったのですがね、良い感じに纏りそうになかったので強引に違う形で纏めました。あといつもは私は会話文を書いてからその後に地の文を放り込む書き方をしているのですが、今回は最初から地の文込みで書いています。なので前半は割とがっちり書いたつもりです、後半があれなのがまあ、ですけど。
さて次回、おそらく衣玖を書くと思います。まあ手応えによっては聖あたりに変更される可能性もありますけどね。ではまた。