東方病愛録   作:kokohm

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八雲藍の愛

 それなりに長い時を生きてきたし誰かに愛を囁きあったことなど何度もあった。だというのに何故か……こう、彼は少し違った。

 

 彼の力は弱かった。彼が贈ってきたものは質素だった。彼の言葉は陳腐だった。彼の想いは浅かった。今まで私を愛した者たちに勝る面など、まるで見受けられなかった。

 

 でも……、彼の力は十分だった。彼の贈り物は全力だった。彼の言葉は本気だった。彼の想いは本心だった。そして何より、私は彼に心の底から惹かれていた。

 

 彼と会うときだけは会う前から心が浮かれていた。彼と話すときだけは私も素直に笑みを浮かべていた。彼と離れる時は今までは感じた事がなかった寂しさを感じるようになった。

 

 だから私は彼を選んだ、彼もまた私を選んだ。彼は私の隣に立つことを望み、私は私こそが彼の隣に立つことを望んだ。

 

 ……それ故に、私は今悩んでいる。

 

「……はあ」

 

 一体、どうしたものなのだろうか。家事をしながらそう考えていると、どうにもため息が出てしまう。

 

「どうかしたの、藍?」

「……紫様」

 

 ここは貴方の家ではありませんよ、そう言おうとしてそれが間違いだとすぐに気がついた。そうだった、ここは彼の家ではなく紫様のお屋敷だった。いけない、いけない。最近こちらに来る頻度が下がっているからといってこのような勘違いをするとは、どうにも私は紫様の式という自意識が薄れていたらしい。

 

「ため息なんて珍しいわね。何か……、そうね、あの人間と何かあったのかしら?」

「ええ、まあ……」

 

 ……相談、すべきか? そもそも彼と私を出会わせたのは紫様で、今のような関係になれたのも紫様のお力のおかげと言ってもいいわけでもあるし。……話してみるか。

 

「そうですね、彼のことでちょっと悩んでいる事がありまして」

「あらあら、まだ彼と結ばれてから数年と経っていないというのに倦怠期?」

「違いますよ、今でも彼と私は相思相愛です」

「そう、やけるわねえ。でも、なら何があったというのかしら?」

「実は……、あの、ええっと」

 

 話そう、と決めたと言うのにどうにも口が上手く動いてくれない。気恥ずかしいと言うか何と言うか、私自身いまいち心が纏っていない。

 

「その……、彼がですね?」

「ええ」

「……子供を、つくらないか、と言ってきまして」

「へえ、それはまた」

 

 数日前のことだと言うのに未だに頬が赤くなっているのが自分でも分かる。何せこれまで愛していると言われたことはあっても、子供をつくろうというのは初めて言われたことだったのだから。

 

「でも変ね。だとしたら貴方は何を悩んでいるのかしら? 貴方達はその意味を知った上で一緒になったんでしょう?」

「ええ。それに関しては私達も納得の上です」

 

 私は妖怪で式、彼は単なる人間。種族が異なる私達の間で子供が出来るかどうかは分からないし、出来たとしてもその子がどちらを受け継ぐかでまた悩まなければならない。母となる私は妖怪である以上十中八九妖怪、あるいは半妖として生まれてくる可能性が高いはず。そうなればある意味で生きる時間の異なる私達と彼は短い間しか共に生きていくことはできない。

 

 だが、その点に関してはすでに納得済みのことだ。そもそも私と彼が一緒になると決めた時点でその問題はあったのだ、子供の有無は関係無しに。それについては彼も私も覚悟は決めているし、彼がその先を覚悟してくれるというのなら彼をこちら側に変じさせることも可能だ。何せ人を変質させる手段などいくつもあるのだから。

 

「じゃあそれ以外に何を悩んでいるのかしら?」

「………………です」

「え?」

「子供に嫉妬するかもしれないのが怖いんです」

「嫉妬……?」

 

 まだ生まれてもいない子供に対する言葉ではないと思ったのだろう、紫様は不思議そうに首を傾げている。そんな紫様と、自分で言った言葉につい苦笑してしまうが、これは本心からの言葉だ。

 

「私は、彼を独占したいと常々思っていますから」

 

 本当に誰かを愛するとその人を自分だけのものにしたくなる。昔幾度か愛の言葉と共にそのようなことを言われた事があったけれど、今になって私もその言葉の意味を本当に理解したと思う。

 

 他の誰にも言葉をかけて欲しくない、他の誰にも微笑んで欲しくない、他の誰にも……渡したくない。その意味をようやく私は理解して、私はそれを宥めるはめになっている。最初にそれを、嫉妬の感情と独占欲を自覚した時はひどく驚いたと思う。何せそれを向けられ続けてきた私―客観的事実であって決して私の自意識過剰ではない―がそれを向ける側になっていたのだから。

 

 自覚してから分かったが、どうにも私は独占欲が強い方であるようだ。勿論その対象は彼であり、彼が女性と話しているのを見ると常に感じている。いや、こうして離れているときですら、その可能性を勝手に考えて見た事すらない誰かに嫉妬していると言えなくもない。果ては―何とも情けない話だが―私の式である橙が彼と一緒にいるのを見てそれを感じてしまったほどだ。全くもって、情けない話だ。

 

 とはいえ、私もその手の感情を抑えることぐらいは出来ている。今考えていたようなことを常に感じているとはいえ、それを表に出したことはないし彼にも気付かれてはいないはずだ。いかに彼を独り占めしたいと思っても、いかに彼と話した女性を……排除したいと思っても、私はそれを実行に移したことはない。当然だ、そんなことをすれば大問題になってしまうし、何より彼に嫌われるかもしれないのだから。

 

 ……しかし、それが崩れてしまうかもしれない。彼のその言葉を聞いてから、私はそう感じずにはいれないのだ。

 

「……なるほど、つまりは彼がかまうであろう自分の子供に対し嫉妬してしまうかもしれない、と」

 

 私の一通りの説明を聞いた紫様の呟きに、私は軽く頷いた。そう、それを私は危惧している。馬鹿げた考えだと思われるかもしれないが、それを自分で思いついてしまった以上危惧せずにはいられないのだ。

 

「そのこと、彼には言っているの?」

「言えませんよ、こんなこと」

「まあそれもそうね」

 

 気まぐれかあるいは何か思惑があるのか、どうやら紫様は私のつまらない悩みを真剣に考えてくださっているようだ。……そういえば、神出鬼没で他の都合を考えないことの多い紫様だが、考えてみれば一度も彼の前に姿を現したことはない。スキマ越しに彼の顔を見たきり、少なくとも私の知る限り彼と直接話をしたことはないはずだ。…………存外、お気づきになられていたりするのであろうか?

 

「そうねえ……、案外何とかなるんじゃない?」

「はあ」

 

 それを信じられないから悩んでいるのだが。

 

「だってねえ、実際出来て見ないと何とも言えないでしょう? もしかしたら子供に嫉妬するかもしれないし、もしかしたら他に問題が起きるかもしれない。勿論何も起きない可能性だってある以上、なるようになれでいくしかないんじゃない?」

「…………」

 

 確かに、というより結局のところそれに行き着いてしまう。とりあえずやってみるというのがどうにも性に合わないからこうしてうだうだと悩んでいるものの、最終的にはそれ以外の選択肢があるわけでもなし。それに何より……、私は彼の望みを叶えてあげたいと思っているのだから。

 

「まあ、何かあれば私に相談なさい。主として彼の記憶操作なり何なり、問題が起これば処理してあげるわ」

「……ありがとうございます」

 

 それに頼るようなことにならなければいいが、そう思いながら私は彼の言葉に答える決意を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………それが、間違いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で? 貴方たちの子供は元気かしら?」

「ええ、元気ですよ。今日も二人ともお父さんと一緒に遊んでいます、お休みですからね」

「あらあら、それは良かったわね。……ねえ、あの時言ったことを覚えているかしら?」

「あの時……? ……ああ、子供を生むかどうかという相談をしたときですか」

「ええ、そうよ。……どう? あの時思った言葉は実現した?」

「いいえ、まさか。二人とも可愛いですよ、嫉妬なんてするわけもありません。彼を盗られるかも、なんて全く思うこともないです。私と彼の、可愛い子供たちですよ」

「…………そう、良かったわね」

「でももう一人欲しいとは思っているんですよ、彼も私も。二人とも男の子だから次は女の子がいいなと」

「………………」

「上の子と下の子の歳の差がちょっとありますから、三人目は早めにつくろうかなとも思っているんですよ。あまり子供たちの歳が離れすぎても少々大変かなと二人で話し合っていまして」

「……そうかも知れないわね。何にせよ生まれたときは私にも教えて頂戴」

「分かっていますよ。では、私はこれで」

「ええ、また頼むわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……次も男の子よ、間違いなくね」

 




 はい、大変お待たせして申し訳ありません。一体どれくらいぶりの投稿でしょうか、考えたくもありません。今回は予定を無視して藍を書きました、どうにも色々と考えすぎて筆が進まない状態のようです。次回以降もたぶん思いついたキャラを適当に書くでしょうから、今回のようにリクエストされたキャラと書いたものが一致するかどうかは分かりません。リクエストの消化はいつになるのやら、どうにも思っていることを実際に文章にするのが存外難しくなってきているんですよねえ。ではまた。

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