東方病愛録   作:kokohm

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鍵山雛の愛

 

 ――あの日、僕は、人形のように美しい、あの人に恋をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 はあ、とため息をつく。仕事中ではあるが、どうにも手につかない。さっき、気もそぞろだなとお世話になっている店主に笑われたくらいだ。

 

 確かに、その通りであろう。あの日、あの女性を見かけたあの日から、どうにも僕の心は彼女へと向いていた。

 

 

 

 

 

 彼女を見かけたのは、僕が仕事で妖怪の山を訪れた時だ。妖怪の住処というだけあって、人里の住人であの山に近づこうとする人など極めて稀であるので、もっぱら何かがあれば僕があの山を訪れることになっていた。偶然、あの山の住人である烏天狗の一人と知り合いになったというのが、最も大きい理由であろう。

 

 

 そういうわけで、その日も仕事を済ませ、その知人の烏天狗と共に少し話しながら山を降りていたときに、僕はあの女性を見かけたのだ。

 

 

 

 

 その人はとても美しい人だった。人形のように、という表現は良くあるものだと思うけれど、まさしくその表現に合致するという美しさだった。非常に、印象的な人だった。今でも、あの赤いリボンに映える長い緑の髪と、笑顔であるのにどこか寂しげな表情が、心の内に残っている。

 

 

 思わず、どきりとした。心臓が音を立てているのが、自分でもよく分かった。これが一目惚れという奴かと、頭の中で冷静な部分が言っていた。

 

 

 おそらく、その時の僕はとてもみっともなく彼女に見惚れていたのであろう。すぐに、知人に肩を叩かれ、大丈夫ですかと心配されてしまった。

 

 

 その際に、少しばかり正気に戻ったので、僕は知人に、あの女性は誰なんだと聞いてみた。山にいる人なのだから、もしかしたら知り合いではないのかと安直に思った故の僕の問いかけに対し、知人は少しばかり困ったような表情を浮かべた。

 

 

 

 あの人は、厄神様ですよ。そう、知人は言った。どういう意味かと僕が聞き返すと、知人は言葉の通りだと言った。何でも、流し雛の人形などから厄を集め、それが人間たちに戻らないようにしているらしい。

 

 へえ、と僕は少し驚いた。妖怪も存在するこの幻想郷だが、実際に神様まで見たのは初めてだったからだ。

 

 どんな人なんだと、そう僕が尋ねると、知人はまた困ったような顔をした。

 

 

 近づかない方が言いと思いますよ、そう知人が言った。おそらく、僕が彼女に対し興味以上のものを抱いていることに気付いたからだろう。

 

 どうして? そう僕が尋ねると、知人は事も無げに言った。

 

 

 ――だって、あの方に近づくと、不幸になってしまいますから、と。

 

 

 

 その言葉に、思わず僕は彼女の方を見た。

 

 

 

 その時にはもう、彼女の姿は何処にもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、あれから十日ほどが経った。未だに、僕の心には彼女の寂しげな笑みが焼きついている。

 

 

 寂しいのだろうか。そう僕は思った。厄を溜め込み、それが人に、妖怪に影響してしまう為に、誰にも近寄ろうとしない神様。誰も不幸にしないために、孤独を選んだ彼女は、おそらく優しい人なのだろうと、なんとなくそう思う。

 

 

 所詮は、遠目に見ただけの、会話すら交わしていない関係。いや、関係と呼べるようなものなど、僕と彼女の間には全くない。そのことは、僕も良く分かっている。

 

 

 

 だけれども、僕は、彼女に会ってみたいと思った。彼女の寂しさを、少しでも紛らせたいと思ってしまった。おそらく、そんなことを考えられるのは、この幻想郷において、外来人である僕一人だけだろうと、そんな風に感じた。

 

 ……いや。正直な話、それは単なる建前に過ぎない。ただ僕は、彼女と恋をしたかった。

 

 

 

 

 

 

 その日から、僕は時折、妖怪の山の近くまで来るようになった。勿論、中に入らない。うかつに入って、妖怪の山の住人たちを刺激したくは無いからだ。知人に声をかければ中に入るぐらいはどうとでもなるのだろうけれど、知人のあの態度から察するに、とても協力はしてくれないだろうと思ったからだ。だから、彼女が気まぐれに、麓まで降りてくる事を期待して、僕は足しげく山の近くまで通っていた。

 

 

 

 

 

 そんなある日、僕の思いはとうとう通じた。彼女が、僕の前に現れたのだ。

 

 

 

「貴方、ここは危険よ?」

 

 

 そう、彼女は僕に言った。おそらく、僕が無謀にも山に入ろうとしていると思って警告しに来てくれたのだろう。やはり優しい人なのだと、僕は思いながら口を開いた。

 

 

 貴方に、会いに来ました。

 

 

 

 僕がそう言うと、彼女は驚いたような表情を浮かべて、

 

 

「どうして?」

 

 

 と不思議そうに言った。

 

 

 

 だから僕は素直に、

 

 

 

 貴方に一目惚れをしました。

 

 

 

 と、正直に言った。

 

 

 

 

「え?」

 

 僕の告白を聞いて、彼女は信じられないというような表情になった。ついで、僕の言葉の意味に気付いたのか、段々と顔を赤らめていった。そんな彼女の表情もまた、綺麗だと僕は思った。

 

 

「……私に近づくと、不幸になるわ」

 

 

 顔を赤らめたまま、彼女は僕に言った。諦めてほしい、そう言っているのだろう。だけど、僕も諦めるつもりはなかった。

 

 

 

 貴方に近づけない以上の不幸なんて、ないと思ったので。

 

 

 

 僕は、ずっと思っていた言葉を言った。あの日から、ずっと心の中にある彼女の存在。その彼女に、触れる事が出来ない以上の不幸など、あるはずもないと感じ続けていたのだから。

 

 

 

 

「本当に?」

 

 

 彼女が、探るように言った。それに対し僕は、直接言葉で返すのではなく、さっと彼女の手を取った。

 

 

「あ……」

 

 

 綺麗で、とても柔らかい手。その手を握って、僕は彼女を見つめた。

 

 

 ――好きです。

 

 

 

 僕の、初めての告白。それに対する彼女の返答は、長い沈黙の後の、静かな頷きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以来、僕は彼女の元に足しげく通うようになった。今はもう、ほぼ毎日山の近くに通って彼女に会っている。中々に大変なことだけど、日が空くと彼女はとても悲しげな表情を浮かべるからだ。やはり、人寂しかったのだろう。だから僕は、彼女に二度とそんな表情を浮かべないために、彼女の元に通い続けた。

 

 

 そして、それを時を同じくして、僕を不幸が襲うようになった。軽いものでは、良く小物などを失くしたり、あるいは壊すようになった。大きいものでは、事故にあって怪我をしたり、人里の外で妖怪に襲われることなどがある。

 

 

 

 彼女の所為だ、と僕は思わなかった。あくまでこれは、彼女がまとっている厄のせいであって、彼女の所為ではない。

 

 そう心から思えたからだろう。僕は彼女に会いにいく事を止めなかった。たとえ誰に止められようとも、例えどれだけ怪我をしようとも、僕は彼女に会いに行った。

 

 

 

 

 

 

 そんなある日。突如、彼女はこう言ったのだ。

 

 

「お願いがあるの」

 

 

 どんな? そう僕が尋ねると、彼女は決心したように言った。

 

 

「――いっしょに、住んでくれないかしら?」

 

 

 彼女の言葉に、僕は驚いた。彼女が自分から、そういった事を言い出すとはちょっと思っていなかったからだ。

 

 

 驚く僕に対し、彼女は続ける。

 

 

「……最近、貴方はよく怪我をしているようだし、ここに来るまでも大変そうに見えるわ。だから、いっそいっしょに住んでしまえば、怪我をすることもないんじゃないかって思ったの」

 

 

 その彼女の言葉に、僕はもう一度驚いたけど、それ以上に嬉しいと思った。何故ならば、彼女が僕に対し、不幸になるから来ないでとは言わずに、いっしょに居て欲しいと言ってくれたからだ。

 

 

 それは、彼女にとって、ある意味では僕の事情よりも、自分の事情を優先したということなのかもしれないが、それでも僕は良かった。だって僕は、彼女に寂しい思いをさせたくなかったからだ。

 

 

 

 

 そして、僕は彼女の家に住むようになった。一緒に住みだすと、互いにまた知らない一面を発見したりなどして、またそれも楽しかった。よりいっそう、色々な意味で彼女との距離が縮まった気がした。

 

 

 

 それと、一つ驚くべき事があった。それは、あれ以来続けていた僕の不幸が、ピタリと治まったことだ。物はなくならないし、怪我もしない。何もなく、ただ彼女と平穏な日々が続いている。

 

 

 まあ、その理由も何となく見当はついていた。あれ以来、僕が家の外に出ていないからだろう。どうにも、彼女が僕を家の外に出そうとしないのだ。

 

 

「外に出ると、怪我をするかもしれないじゃない?」

 

 

 そう、彼女は僕に言った。

 

 言って、僕が家の外に出ないように強いた。

 

 

 

 実の所、それは僕の身の安全のためではないのだろう。僕が自分から離れないようにする為に、そんな事をしているのだと思う。でなければ、彼女が家を出るときに中から鍵を開けられないようにする理由がない。

 

 もしかしたら、これこそが僕の不幸なのかもしれない。もう二度と、ここ以外の何処にも行けぬ不幸。それが、彼女に近づきすぎた不幸なのだろう。

 

 

 たぶん、僕は彼女に、人がいる楽しさを教えすぎたのだろう。もう二度と、以前のような寂しさを得ない為に、僕を何処にもいけないようにしたのだろう。

 

 

 寂しさのあまり、あるいは彼女はどこか壊れたのかもしれない。今の彼女の笑顔が、時折歪んで見えるのも、つまりはそういうことなのかもしれなかった。

 

 

 

 

 でも、それでいいじゃないか。彼女が幸せだし、僕も彼女が幸せなら幸せだ。たとえ、今の状況が他の人にとっては不幸であろうとも、僕にとってはそうじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の誰が何と言おうとも、今の僕は、彼女は、とても幸せなのだ。

 

 

 

 

 




 はい、雛回です。突発的に一時間程度で書いたので、まあ色々と変かもしれませんがご理解ください。今思えば、文中で一度も雛の名前が出てないとかね。

 雛ですが、まあ色々とネタは考えました。とりあえず、普段一人だろうから人恋しいという風なのは思いついて、じゃあそこからどうするか。依存系か、あるいは監禁系だろうなあとさらに思考が続いたので、まあ結果として本文のような風に。まあ、今回の監禁はある意味依存系でしょう。結局、彼が居ないと駄目だから監禁したわけなんだし。……監禁は最高の不幸なのでしょうけど、彼はそれを不幸と思わない。それは幸運なのか、はたまた不幸なのか。どうなのでしょうかね。

 さて次回。まあ代わり映えもしませんが、ぼちぼちやって行きますとまた書いておきます。ではまた。

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