東方病愛録   作:kokohm

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わかさぎ姫の愛

 

 その日もいつもと変わらなかった。いつものようにのんびりと湖を泳ぎ、時折水面まで上がって空を眺め、それ以外は適当に、ゆっくりと過ごす。度々訪れる友人なども来る気配はなかったので、今日は何もない日だと、そんな風に私は思っていた。

 

 

 

 それが、そうではないと気付いたのは、大きな水音と、水中でもがいている、一人の人間に気付いた時だった。

 

 

 

 

「……どうしようかしら」

 

 そう私が口に出したのは、溺れていたようであった少年を助け、地上まで上げた時であった。

 

 

 

 暴れていた身体が急に大人しくなったので、思わず拾って岸まで上げてしまったが、はてさてどうしたものだろうか。つい助けてしまったが、よくよく考えずとも相手は人間の少年だ。今は意識がないものの、このまま少年の意識が戻った場合に、あからさまに妖怪である私の姿を見せるというのも、あまり良い予感はしない。

 

 

 となれば、ここは隠れるのがいいだろう。幸い、あまりこの少年は水を飲んでいるわけでもないようなので、時間が経てば意識も戻るだろうし、放っておいても多分問題ないはず。いやまあ、私が人間の心配をするのも、また変な話なのだけれど。

 

 

 というわけで、私は少年をその場において、その場から去った。途中、若干声が聞こえたような気がしたけれど、特に気に留めることもなく、私は水中へと身を躍らせた。

 

 

 

 

 ……と、これで終わるだろうと私は思っていたのだが、そうは問屋がおろさなかったのである。

 

 

 

 それは、その事件から三日後のことであった。

 

「……あのー、誰か居ませんかー?」

 

 その声に、私は水際にある岩の陰から顔を出す。やや幼さの残るその声のほうを見れば、そこにはやはり、私の予想したとおりの人間が居た。

 

 

「……何で来るのかしら」

 

 思わず、呆れながら私は呟いた。何となく、本当に薄い予感はしていたのだけれど、まさか本当にここに来るとは、はっきり言って馬鹿なんじゃないかと私は思った。だって普通、自分が溺れた湖に好き好んで近づかないものなのではないだろうか。しかも、そもそもとして、この辺りは妖怪や妖精もそれなりにいるというのに。

 

 

「あのー、誰か居ませんかー?」

 

 再び、少年が辺りを見渡しながらそう呼びかける。おそらくは、自分が誰かしら――この場合は私だけど――に助けられたと気付いて、礼の一つでも言いに来たというところなのだろう。律儀と見るべきか、あるいは馬鹿と見るべきか。中々、判断に困るところではある。

 

 

 そんなことを考えつつ、何となしに少年の姿を見ていたのだけれど、

 

「――あっ!」

 

 と、うっかりして少年に姿を見られてしまった。あ、まずい、と思い、水の中に潜もうと思ったのだけど、それよりも早く少年はこちらへと走ってきた。そうなると、どうにも潜る機を逸してしまったような気がして、とりあえず岩陰に身を隠してみる。

 

 

「あの! お聞きしたい事があるんですが!」

 

 そうして、私が身を隠していると、少年は走ってこちらに向かってくる。湖の透明度は中々に高い。このままだと、私の身体を見られ、妖怪だと気付かれる。そう思った私は、思わず叫んだ。

 

「来ないで!」

 

 え? と私の言葉に驚いて、少年は足を止める。そもそも気付かれても良かったじゃないかと自分の選択に悪態をつきながら、私はどうにか言い訳が出来ないかと考え、適当に口を動かす。

 

「その……泳いでいるから、ちょっと……」

 

 と、そんな風な事を適当に口に出してみると、少年は一瞬呆けたような表情を浮かべた後、慌てたようにして私が身を隠している岩の反対側に飛び込んだ。咄嗟の言い訳だったのだが、深読みしてくれたようで助かった。冷静に考えられるとまた面倒なことになるだろうと思ったので、とりあえずこちらから話を振ってみることにした。

 

「貴方はどうしてこんなところに?」

「あ、えっと、お礼を言いに来たんです」

 

 と、岩を挟んで背を向けた形になりながら少年が説明を始める。やはり、私の思っていたとおり、自分を助けてくれた何某かに礼を言いに来たらしい。

 

 

 慣れない事をすると面倒が来るということを、私が再認識していると、彼はおずおずという感じで言った。

 

「その……貴女がそうなんですか?」

「…………ええ、そうよ」

 

 たっぷりと悩んだ後、私は彼の問いに肯定することにした。別段、違うと嘘をついても良かったのだけれど、それはそれでまた面倒ごとになりそうな気がしたので、きっぱりと肯定することにしたのだ。

 

 

 だから、適当に泳いでいたら溺れているのを見かけたので、まあ助けたのだということを私が語ると、彼はとても声を弾ませて私に礼を言った。

 

「ありがとうございました! 僕、全く泳げないので貴方に助けてもらえなかったら多分死んでいました。本当にありがとうございました!」

 

 顔を見せずに、妖怪が人間を助け、顔を合わせず、人間が妖怪に感謝する。この一連の流れに、何となく皮肉めいたものを私は感じる。全く持って、世の中というものは何が起こるか分からないと再認識してしまう。

 

 

「別にいいわ。成り行きで助けただけだから」

 

 そう、私は限りなく本心で言ったのだが、彼はその後も何度となく私に礼を言った。勘弁して欲しいなあと、私はそう考えていると、彼はふと申し訳のなさそうな声で、

 

「その、一度でいいので、顔を見てお礼を言わせてもらえませんか? いえ、別に変なところなど見ないので!」

 

 その言葉に、私はどうしようかなと考え込んだのだけれど、まあここまで来たらいいかと、岩陰から頭だけを出した。

 

「これでいいかしら」

「あ、はい…………」

 

 そうすると、何故かこちらを見た少年が急に固まった。まさか、身体が見られたのかと思ったのだけれど、何となくそういう気配でもない。

 

「……どうしたの?」

 

 だから、怪訝な表情を浮かべつつそう尋ねてみたら、彼は驚いたように身体をびくっとさせた後、慌てたように顔の前で手を振る。

 

「あ、いや、何でもないですよ!?」

「……そう?」

 

 そういう風でもなかったけれど、まあ隠している事があるのは私も同じなので、特にそれ以上深く追求はしなかった。

 

 

「……それじゃあ、僕はこれで」

 

 

 それで、ようやく落ち着いた少年が最後にもう一度私に礼を述べて、そしてようやくここから離れた。そのことに、私は肩の荷が下りたように息を吐いた後、

 

「……奇特な人間ね」

 

 と、去っていく彼の後姿を眺めつつ、私は思わずそう呟いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……と、これで話が終われば、それこそ奇特な人間がいるということで全ては済んだのだけれど、そうではなかったのである。

 

 

 と、言うのも、

 

「……えーっと、いらっしゃいますか?」

「……また来たの?」

「あ、はい! そう言えばお名前を伺っていなかったなと思ったので」

 

 何故か、その翌日もまた、彼が湖を訪れたからだ。しょうがないので名前を教え、何故か教えてももらい、適当に話をしたのにその日は分かれた。しかし、何故か彼はその日だけでなく、それからも何度なく湖を訪れ、そして私を探すようになったのである。

 

 

 

 

 

 

 来て、語り、去る。また来て、語り、去る。そんなことを、やはり岩陰越しに何度なく続けていると、最初は面倒だとか厄介だとか思っていたはずなのに、不思議とそれに慣れてきて、むしろそれがないと妙な感じにすら陥るようになってきた。

 

 最初の気まぐれがなければなかったであろう関係であったというのに、何故かそれが日常となっている。そのことに、奇妙なものを感じてはいたものの、忌避感は不思議と覚えなかった。

 

 やはり、礼を受け取り、そして名前を教えあったのが不味かったのかもしれない。最初と、その次の交流。それが彼に対し、親しみを覚えてしまったのだろう。まあ、百歩譲ってそれは良かった。彼との会話自体はそれなりに面白いものであったし、彼自身に関してもさして不快感を覚えるような性質ではなかったから。

 

 だけど、そんな日々が日常と化していくと、私はとあることに対し考えなければならなかった。それは、自分が妖怪であり、彼は人間であるということ。そのことが何時、彼にばれてしまうのかということに、漠然とした不安感を覚えるようになったのだ。

 

 

 

 今はまだいい。まだ今の季節であれば、私が水の中にいることもそれほど不自然ではない。だが、このまま季節が廻り、秋冬となっていったらどうなるだろうか。そんな季節にまで、湖に浸かる人間などいるはずもない。ばれるのは時間の問題であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ぴしゃり、と尾で水面を叩きながら私は思う。どうして、私は妖怪であるのかと。いや、何故魚の尾を持っているのかと。

 

 これが陸で暮らす妖怪であれば、足のある妖怪であれば、ここまで悩まなかっただろう。妖怪という事を隠しつつ、彼と付き合いを続けることは可能であった。

 

 だが、私は違う。水の中でなければ生活が出来ない。陸を歩くことなど、全く持って出来るはずもない。

 

 どうして、私は彼の隣を歩くことすら出来ないのだろうか。どうして、私と彼では文字通り住む世界(・・・・)が違うのだろうか。陸と湖、どうして隣り合えないのか。どうして、背を向けてでしか話せないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 そんなことを、最近ではつらつらと考えるようになった。いやそもそも、あの時彼を助けなければ。そんなことすらも、ふと考えるようになった。

 

 

 私は、人間(・・)に近寄りすぎたのだと、ある種の後悔すら抱えながら、私は最近を生きている。……いや、生きていた(・・・・・)

 

 

 

 

 

 

「――たまには陸に上がってみませんか?」

 

 

 そう、彼が言い出すまでは。

 

 

「……どうして?」

 

 口から、自分のものではないかのように聞こえる声が出た。しかし、彼は特に違いが感じ取れなかったのか、そのまままるで照れているような声音で続ける。

 

「その……一度くらい隣に居てくれたらな、って思いまして」

 

 

 ――カチリ(・・・)

 

 おずおずと、彼が口に出したその言葉。その言葉に、私の頭の中で何かが切り替わったような音が聞こえた。

 

 隣に居たい。その言葉に、私は思った。

 

 そうか。隣を歩きたいじゃなくて、一緒に居てほしいなんだ。――別に陸に限った話じゃなかったんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……そうね」

 

 私は、岩陰から身体を出す。

 

「だったら、手を貸してもらえるかしら?」

 

 そう言って、私は彼の背に手を伸ばす。それに対し、彼は急いでその身を回してこちらに振り向いた。

 

「ほ、本当ですか?! ……あれ?」

 

 水の中に見える私の尾に気付いたか、彼は不思議そうに首を傾ける。目の前のことが、信じられないという表情にも見えた。だけど、無意識にだろうか。彼は私に対し手を伸ばした。

 

「……でも、歩くんじゃなくて」

 

 その手を、初めて握りしめながら、

 

「――泳ぐのがいいわ」

 

 私は、彼の手を引いて水中に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 そして、私と彼はそれから、ずっと同じ世界で居続けるようになった。

 

 




 はい、わかさぎ姫回です。今回も反射的に書いたのですが、多分いつも以上に強引です。書く前から分かっていましたが、やっぱり難しい題材でした。まあ、私が難しくしているだけなんでしょうけれど。

 今回、わかさぎ姫というキャラですが、かなり困りました。そもそもとしていつも以上に住む世界が違うというのが、まあ本当に難しい。真っ当に恋愛に持っていくのはまず無理だなと、そんな風に思ったわけです。どうやっても、普通のデートとか出来ませんからね。で、まあ色々と考えた結果、こんな風にしたわけですが、実の所今回とは別に、人魚姫のような話にしようかなというのも考えていました。頭と終わりは同じ風にして、恋敵に取られる前に水の中に引き込むとか、まあそんな感じの。足を手に入れるのと、最後が泡にならない事を除けばそのまま人魚姫になりそうだったので、結局止めたんですけどね。書き終わってみるとそっちの方がよかったかなと思ってしまうのは、いつもの癖ですかね。

 で、次回。ぶっちゃけ前話と同じようなもんです。ぼちぼちとまた考えていくだけという。ああ、それとそろそろ七十話なので、特別回のこともぼちぼち考えないといけないんですよね。これまでの話の後日談的な一幕を考えて一部抜粋する形にしようかとか考えていますが、まだ考え中です。まあ、それも踏まえてぼちぼちという奴で。いい加減他の奴に意識を戻す必要もありますからね。ではまた。

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