東方病愛録   作:kokohm

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 久しぶりの更新ですが、いつもの感じとはちょっと違うし、長いです。まあ、いつものことですね。





霧雨魔理沙の愛・弐

 

 ……女の子がいた。小さい女の子だ。

 

 その子の頭を撫でる手が見える。俺の腕だ、とすぐに分かった。

 

 俺に撫でられて、女の子は笑っている。えへへ、という文字が浮かんできそうなほどに、無邪気で無垢な笑顔だ。

 

 その見覚えのある顔に、誰だったかなと思い、気がついた。

 

 これは魔理沙だ。もうずっと前、俺が幻想郷に迷い込んだ当時の、霧雨魔理沙の姿だ。

 

 

 

 そのことに気がついた瞬間、これは夢だと俺は悟った。

 

 

 

 

 

 ――目を覚ますと、目の前一杯に見覚えのある顔があった。

 

「……うおっ!」

「わっ!?」

 

 思わずびっくりして跳ね起きると、向こうもまた驚いたようにしてのけぞる。えーっと、と少しだけぼうっとした後、ああと納得する。久しぶりに家の大掃除をしたあと、休憩しようと横になったのだが、どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。

 

「……で、何でここにいるんだ、魔理沙?」

 

 そう、俺は自分が驚いた原因である、すぐ目の前にいる少女に問いかける。

 

 それに対し、魔理沙はいつも被っている帽子を胸に抱え込みながら、

 

「えっと……外から声をかけても反応がなくて、それで鍵がかかっていなかったから、もしかしてって思って」

 

 中でトラブルでも起こっているのかもしれないと思ったと、そういうわけか。

 

「だったら寝顔を覗き込んでないで起こしてくれ。流石に驚く」

「あ、うん、ごめん……」

 

 うなだれるように魔理沙が俯く。ちょっと言い過ぎただろうか。若干の罪悪感を覚えてしまう。

 

 

 こちらに見える魔理沙の頭を見て、ふと、先ほど見た夢を思い出す。

 

「――」

 

 気がつけば、無意識に手を伸ばしていた。俺の手が、魔理沙の頭へと伸びていく。

 

『――褒めて、お兄ちゃん』

 

 そんな声が、聞こえた気がした。覚えのある、決して忘れられない、あの時の。

 

「……」

 

 結局、俺は魔理沙の頭上にある手をそのまま引っ込めた。どうにも、撫でようという気にならなかった。

 

 代わりに、

 

「まあ、せっかく来たんだ。お茶を入れるからゆっくりしていくといい」

 

 立ち上がり、台所へと足を向ける。少し前に買ってきた、やや高いお菓子でも出してやろうかと、そんな風に思いつつだ。

 

「あ、それなら私がやるぜ!」

「いや、いい。魔理沙はそこでゆっくりしていてくれ」

「……そっか、分かった」

 

 言って、魔理沙は上げかけていた腰を下ろす。その動作の一々に、どうにも思う所があったものの、結局、俺は平常通り、お客様のためにお茶を入れに行った。

 

 

 

 

 

 ……霧雨魔理沙、という少女と、俺のような冴えない男にどのような縁があるのかと疑問に思うかもしれない。事実、時折彼女と一緒にいると聞かれる事がない事もない。

 

 それに対する俺の答えは簡単だ。昔、俺は彼女の両親に世話に成っていた事があるのである。

 

 

 

 

 この、幻想郷という世界に俺が迷い込んだのは、今から十年ほど前、ちょうど俺が今の魔理沙ぐらいの年齢だった時のことだ。

 

 当時、どうしてこのような場所にいるのか、そもそも何が起こっているのか、それが分からず混乱していた俺を、偶々通りかかった一人の女性が拾ってくれたのだ。その人は、霧雨と俺に名乗った。

 

 

 問われ、分からぬながら事情を説明した俺を、彼女は何故か家に連れ帰った。ちょうど、住み込みで一人、従業員が欲しかったのだと、そんな風に彼女は説明した。

 

 案内されたのは、霧雨店という名の道具屋だった。中々大きい店だな、と最初に見たときはそんな事を思った気がする。

 

 その後、俺は霧雨と名乗った女性の夫、つまりは店の店主でもある男性と会うことになった。厳格で、頑固そうな男性であったが、不思議とすんなりと、俺を店に置く事を了承してくれた。未だに、どうしてああもあっさりと俺を置いてくれたのかは知らない。結局、聞きそびれてしまったのだ。

 

 

 そして、俺は紆余曲折を経て、霧雨店に住み込みで働くようになった。右も左も分からぬ俺からしてみれば、まったくもって幸運なことで、二人には幾ら感謝してもしたりない。

 

 ……と、やや話が長くなってしまったが、まあそういう経緯でもって俺は霧雨家の世話になることになり、そうして、そこの一人娘でもある、魔理沙とも会った。そして、適度に仕事の合間に一緒に遊んだり、世話をしたりとするうちに、それなりに仲良くなり、それが今の関係に連なるのである。

 

 まあ、簡単に言ってしまえば、幼馴染というか、近所の兄ちゃん的なポジションだったのだ、俺は。もっとも、近所というか、まあ一応は一緒に住んでいたのだけれど。

 

 

 

 

 

「……で、どうしたんだ?」

 

 お茶とお茶菓子を出し、一口お茶をすすった後、俺は対面に座る魔理沙に問いかけた。昔はともかく、最近彼女が俺の家に来る時は、大抵何かしらの理由を持って訪れるので、それをまず聞こうとしたのである。

 

「えっと、これを持ってきたんだ」

 

 そう言って彼女がその帽子から出した――魔法というやつなのだろうか、明らかに帽子内の空間がおかしい――のは、大きな風呂敷だ。テーブルの上に置いたそれを魔理沙が広げると、中からは肉や野菜といった食料品が転がり出てくる。

 

「お裾分け、じゃないけど、ちょっと多く貰ったからあげようと思って」

「ああ、そりゃすまんな。助かるよ、魔理沙」

「……ん、それなら、いいんだけど」

 

 ……何だろうか。魔理沙の態度に、妙な違和感みたいなものがちょっとばかりある。なに、ってわけじゃないんだけど、何かが引っかかるような、ふわふわとしたものを感じないことも無い。

 

 とはいえ、年頃の女の子のことなんか分からないんだよなあ。こちとら、下手をすればそろそろ小さい子供なんかからは、おじちゃん、って呼ばれるかもしれないぐらいの年齢の男だ。どうにも、女の子の心の内なんて、そう分かるはずがない。だから、とりあえず気にしないことにした。何かあるのであれば、向こうから口に出すこともあるだろうと、そう思ったのだ。

 

 

 

「じゃあ、せっかくだから魔理沙、夕飯でも食べていくか?」

「え? あ、でもそれは悪いぜ」

「ただでこれだけ食材貰ったんだから、せめてこういったもので返させてほしいと思ったんだが、嫌か?」

「嫌、ってわけじゃないんだけど……それだったら、私が作るよ!」

「おいおい、そりゃ礼にならんだろ」

「……だけど」

 

 んー…………そうだ。

 

「じゃあ、一緒に作るか」

「え?」

「それならまあ、両方の妥協点になるんじゃないかと思うんだが」

「…………分かった。じゃあ、そうしよう」

「よし、じゃあ久しぶりに一緒に台所に立つか」

「うん、そうだな……」

 

 ……少しは喜んでくれているのだろうか。

 

 立ち上がった魔理沙の、僅かに浮かんだ微笑を見て、俺はそんな事を思った。

 

 

 

 

 

 

 

「――そりゃ嬉しかったんでしょ。そのくらい分かりなさい」

 

 つい先日、魔理沙が俺の家に訪れたという話を霊夢にした結果、彼女が返したのがこの台詞であった。

 

「そうだったのかねえ……」

「貴方が鈍いだけで、他の人が見れば誰しも私と同じ事を思ったでしょうよ。断言しても良いわ」

 

 共に並び、縁側に座っていた霊夢が、まったくもう、と呆れた顔を俺に向けてくる。それに対し、俺としては苦笑を浮かべるより他にない。

 

「まあ、幼馴染の言葉だ。疑うのも変だろうし、信じるしかないか」

「幼馴染じゃなくて腐れ縁よ」

「……そういう所は変わらんなあ、霊夢は」

 

 昔からそうだったと、俺は懐かしさを覚えながら呟いた。魔理沙と同じく、霊夢とも長い付き合いだ。魔理沙が博麗神社に遊びに行く時に、お守りとしてついていくことが多く、その時に一緒に遊びにつきあされたり、二人の為に何かご飯でも作ってあげたりと、そういう事が多かったのである。

 

「そうそう変わるもんでもないでしょ、人間なんてそういうもんよ。未だに魔理沙が貴方にべったりなようにね」

「べったり?」

「違う? アイツ、よく貴方の事を話題に出しているんだけれど」

「うーん……」

 

 どうなのだろうか。昔、一緒に住んでいたころなどは確かに俺の後ろをよくついて来ていた記憶があるが、今もそうかと言われると、当然違う。俺があの家を出て以来、疎遠とまではいかないが、しかししょっちゅう会っているわけでもない。

 

「あの歳になってもまだお兄ちゃん、お兄ちゃんって呼んでいるんだから、べったりって言っていいと思うんだけど」

「ええ? 俺、最近でそう呼ばれた覚えはないぞ」

「あら? 私と話しているときは、よくそう呼んでいるんだけど」

「んー……?」

 

 そうなのか? いや、考えてみれば最近魔理沙と会うときは二人きりばっかりだったから、その所為かもしれないな。二人以外いないときなら、特に呼びかけをする必要は無いわけだし。好意的に考えるのであれば、俺本人にそう呼びかけるのは気恥ずかしいとか、そんな考えは出来るけれど、どうなんだろう。

 

「……まあ、何にしても、魔理沙のことは気に掛けてやったほうがいいと、私は思うわよ。何だかんだといって、弱い所もそれなりにあるんだから」

「そうかねえ」

 

 最近では、めっきり男勝りな言動も増えて、昔のような感覚は覚えなくなってきていたのだけれど、そういうものなのだろうか。どうにも、ピンと来ない。

 

 

「……ま、いいか。博麗の巫女様のありがたいお言葉に、今回は従うことにするよ」

「何よ、気持ちの悪い言い方をするじゃない」

「気にするなって」

 

 そう言って、横に座る霊夢の頭を撫でる。すると、霊夢はやや顔をそらして、不機嫌そうに俺の手を払いのけた。

 

「あまり子ども扱いしないで」

「ん、そうか? いや、それなら悪かったよ」

 

 そりゃそうか。いつの間にか、俺の事を貴方と他人行儀な呼び方で呼ぶようになったように、霊夢ももう年頃の女の子だ、あまり頭を撫でられるというのは、気分の良いものでもないのだろう。

 

「そういうことは魔理沙にしてやりなさい。何年もしてもらっていないって、少し前にこぼしていたわよ」

「…………」

 

 霊夢の言葉に、俺は思わず黙り込んだ。すると、その沈黙を不審に思ったのか。霊夢は怪訝そうな表情で俺の顔を見上げてくる。

 

「どうかしたの?」

「…………何でもない」

 

 わざとらしい、否定の言葉。勘のいい霊夢なら、いや、誰にだって俺が何かを隠していることには気付けるだろう。

 

「そう」

 

 だけれど、霊夢は何かを察したのか、それ以上追求する事をしてこなかった。ありがたい、と本心から思う。

 

「……それじゃ、俺はこれで失礼するよ。また来る」

「その時は何か手土産を所望するわ」

「覚えておくよ」

 

 そう締めて、俺は博麗神社を立ち去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「――少し、よろしいですかな?」

 

 そんな言葉を投げかけられたのは、博麗神社からの帰り、人里近くのことであった。

 

「ん?」

 

 誰だ、と思いながら声のほうを振り向くと、そこに立っていたのは一人の中年の男だ。第一印象だが、顔に浮かべている軽薄そうな笑みに、俺はどうにも胡散臭い男だなと思った。

 

「どちら様ですか?」

「ああ、これは失礼を」

 

 そう言って、男は自分の名前を名乗る。そして、

 

「実は、記者の真似事なんかをしていまして」

 

 記者、ね。人里にも、というか人間で記者をやっている人がこの幻想郷にいたのか。そちら関係は烏天狗たちの独壇場だと思っていたのだが、そうでもないのだろうか。

 

「用件は?」

「決まっているでしょう? 以前に貴方が起こした、例の暴力事件についてですよ」

「…………」

 

 思わず黙り込む。その俺の反応をどう思ったのか、男はニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべて続ける。記者、ということで知り合いの烏天狗を思い出していたのだが、比べることすらおこがましいほどに不愉快だった。あちらも大概な一面があるが、しかしこの男ほど不愉快でもない。

 

「数年ほど前、霧雨店で起きた暴力事件。その首謀者である貴方に、是非ともご意見を頂きたいなあと思いまして、こうして参上した次第なんですが。どうでしょう? 取材、受けてもらえたりしませんかね?」

「…………馬鹿馬鹿しい」

 

 そう言って、俺は男に背を向ける。これ以上、付き合っていられない。そういうことを態度で表現する。

 

「あらら、残念です」

 

 最後に、そんな言葉が俺の耳に残して。男は俺を追うでもなく、その場に残って、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……俺が霧雨店で働き出して数年ほどの後、しばしばくだらない嫌がらせを受ける事があった。やったはずの仕事が終わっていないことになっていた、重要な連絡事項がこっちまで回ってこない、私物が無くなる、と暴力的なものは無かったが、一々面倒な嫌がらせだ。

 

 原因はすぐに勘付いた。大方、店主夫婦に気に入られている俺が気に入らなかった誰かの仕業だろうと、そんなところだと思うのが自然だったからだ。同年代の誰かか、あるいは後継者でも狙っている年長者か。そこまでは分からなかったが、店内の誰かだろうなとは思っていた。

 

 それに対し、俺はさして反応を見せるようなことはしなかった。適当に泳がせて、首謀者が誰かを探ってから一気に動こうと思ったのだ。念のため霧雨夫妻にも話を通しておいて、どうとでも動けるように仕込みは済ませていた。

 

 その矢先に、あの(・・)事件が起こったのだ。

 

 

 

『……あ、お兄ちゃん!』

 

 あの時、俺に気がついた魔理沙は、いつも通り無邪気な笑みを浮かべていた。無邪気で、無垢で、子供っぽくて、だからこそ気味の悪い笑み(・・・・・・・)だった。

 

『……魔理沙? これは、一体……?』

 

 思わず後ずさりしながら、俺は魔理沙に問いかけた。すると、魔理沙は不思議そうな表情を浮かべ、小首を傾げて見せながら、言った。

 

『これ? 私はただ、お兄ちゃんの事を悪く言う人を懲らしめてやっただけだよ?』

 

 そう言う魔理沙の足元に倒れていたのは、三人の青年。普段から俺と仲が悪く、もしかしたらと睨んでいた面々。その連中が、頭から血を流し、倒れ伏していた。

 

『……お前が、やったのか?』

 

 魔理沙の言葉と、何よりその手に持った金属の棒を見て、俺は恐る恐る問いかけた。まさか、という思いだった。まさか、まだ十歳前後の彼女が、そのような事をしたとは思いたくなかった。

 

 だけど、魔理沙は、

 

『――うん! 私がやったんだよ!』

 

 と、無邪気な笑みを浮かべた。浮かべてしまったのだ。

 

『――』

 

 その笑みに、俺はどうしようもない恐怖を感じた。その、まるで自分は正しいことをしているといった風な笑みが、無邪気で誇らしげなその笑みが、どうしても俺には怖く見えた。この時だけは、俺は霧雨魔理沙という存在を、完膚なきまでに否定していた。

 

 

『……どうしたの、お兄ちゃん?』

 

 だというのに、魔理沙は不思議そうに、俺の顔を覗き込んでくる。まるで、いやおそらくは、自分のやったことに何ら罪悪感を覚えていないように、俺には見えた。

 

『私、お兄ちゃんの為に頑張ったんだよ? いつもみたいに、頑張ったなって撫でてくれないの?』

 

 魔理沙が俺にねだってくる。確かに、当時俺はことあるごとに、彼女の頭を撫でて、褒めていた。何となく、子供にはそう接するものだという考えのようなものがあったからだ。

 

『……お兄ちゃん?』

 

 怯えたように、魔理沙が言った。自分のやったことに、ではなく、俺に褒めてもらえないことに、つまりは俺に見捨てられるかもしれないことに、ようやくこの子は恐れを抱いたようだった。

 

 だから、だろうか。俺は、思わず、

 

『――』

 

 その、頭を撫でた。何も言わず、ただ、頭を撫でた。

 

『えへへ……』

 

 撫でられる魔理沙と、血のついた凶器。その二つを視界に収めながら、俺は何処かで間違ってしまったのだと、ただ、そんな事を思っていた。

 

 

 

 

 ――あれ以来、俺は魔理沙の頭を撫でていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、大丈夫?」

「……!」

 

 ハッと、聞こえてきた声に身体を起こした。どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。どんな夢を見ていたのだろうか。気付けば、冷や汗をかいているようだった。

 

「大丈夫? うなされていたようだけど」

「あ、ああ……。大丈夫、大丈夫だよ、パチュリー」

 

 心配そうに言うパチュリーにそう告げ、俺は額の汗を拭う。べったりと手についた汗が、たまらなく不愉快に感じる。

 

「貴方、自分で思っているより疲れているんじゃないかしら。さっきまでのうなされようは、そんな風に見えたのだけれど」

「……そう、かもしれないな」

 

 すっかり冷めてしまっていた紅茶を一口飲みながら、俺は額に手を当てる。確かに、自分ではそこまで自覚が無かったけれど、案外ストレスが溜まっているのかもしれない。心当たりだけは、大量にあったからだ。

 

 

 

 先日、俺が働いている店の周辺で、一つの噂が立っていた。俺が、かつて暴力事件を起こしたという、そんな噂だ。それだけならまだ良いのだが、どうにも、それを元にして動いている連中がいて、そいつらが俺に限らず店にまで嫌がらせのような事をしてくるようになったのだ。

 

 だから俺は、渋る店主をどうにかこうにか宥めすかして、仕事を辞めることにした。普段からよくしてくれていた店主は、別に気にしないでいいと言ってくれたのだが、しかしだからこそ、迷惑をかけたくなかった。

 

 そうして、俺は店を辞め、当面は家に引きこもろうと思っていた。だが、どうにも家のほうにまでちょっかいをかけられるようになったので、しばし人里を離れようと考えた。その結果、とりあえずやってきたのが、本好きということで友人になった、パチュリー・ノーレッジが居候をしている、紅魔館だった。幸いにして、主であるレミリア・スカーレットを初めとした屋敷の住人たちとは面識があり、彼女らは快く俺を受け入れてくれた。俺としては数日泊まれれば良かったのだが、どうせならずっとここに住めば良いと言ってくれたぐらいだ。まあ、それは流石に申し訳ないので、一週間ほどしたら出ていく、ということにしたのだけれど。

 

 

「……ねえ、一週間といわず、一ヶ月くらいここに滞在した方が良いじゃない? レミィならそのぐらい快諾すると思うわよ」

「そういう訳にもいかないよ。おんぶに抱っこは、あんまり性に合わないんでね」

「貴方がいるだけで妹様とかは楽しそうだし、こっちにもメリットはあるのだけれどね」

 

 まあいいわ、とパチュリーは諦めたようにため息をつく。

 

「とにかく、ここにいる間はゆっくりとしていくと良いわ。たまには貴方にも、息抜きの一つや二つは必要でしょう」

「これでも休んでいると思うんだけどな」

「生真面目すぎるのよ、貴方は。それに余計なことまで背負いたがる。魔理沙が持っていった本を、わざわざ貴方が返しに来たのがその証拠よ」

「いや、あれは魔理沙が思った以上に落ち込んでいたから、代わりに持ってきただけで」

「そこで、持って行けと言うのではなく、持ってくるのが真面目だといっているのよ。根本的に自分には関係ない話でしょうに」

「そう言われても、魔理沙は身内みたいなもんだからなあ。どうにも、放っておけないんだよ」

「まったく。その調子じゃ、魔理沙が本当に何かをしでかしても、その罪を被るぐらいはしそうね、貴方の場合」

「――」

 

 パチュリーが放った、冗談めかしたその言葉に、俺には思わず黙り込んでしまった。そして、つい呟いてしまう。

 

「……今更、だよ」

「え?」

「何でもない」

 

 そう言って、俺はもう一度、冷えてしまった紅茶を口に運ぶ。

 

 

 紅茶はもう、既に空になっていた。

 

 

 

 

 

 

「……お久しぶりですねえ」

 

 そんな言葉をかけてきたのは、いつぞやの記者を名乗った男だった。前に会った時と同じく、へらへらと、不愉快な笑みを浮かべている。

 

 紅魔館を出て、久しぶりに人里に戻る、その道中での遭遇に、俺は眉をひそめる。

 

「……何の用ですか?」

「いえね、別に用ってわけじゃないんですが……」

 

 芝居がかった動作で、男は俺の背後を、紅魔館がある方向を指差して言う。

 

「妖怪と交友があるってのは、どういう気持ちなんだろうって思いましてねえ」

「……何が言いたいんです?」

「いえねえ。貴方に嫌がらせをしていた連中、知っていますよね? 実は彼ら、少し前から行方不明なんですよ。何か、心当たりとかありませんか?」

「……ない」

「そうですか。いやあ、実は件の妖怪たちに頼んで、排除でもしてもらったのかと思っていましたけれど、違うんですかー」

 

 間延びした、いやらしい口調でそんな事を男は言う。俺がレミリア達に頼んで連中を排除したのではないかと、そんなことを聞いてくる。いや、そうであるのだと断言しているのだろう。

 

 この男は何だ、と俺の中に疑問が生まれる。流石に、ここまで来ると俺に対する悪意がはっきりと見えてくる。

 

「……何を企んでいるんだ?」

「企むだなんて、そんなそんな。私はただ、真実を明らかにしたいってだけですよ。そう――」

 

 初めて、ここで男の目がしっかりと俺を捕らえる。表情こそ笑っているが、しかしその目には一切の笑いの色はなかった。

 

「――私の息子を殺したアンタの、その罪って奴をね」

「……殺した」

 

 その言葉に、何の事を言っているのかは分かった。しかし、同時に疑問も生まれる。

 

「あの事件で、あの三人は誰も死ななかったはずだが」

「ええ、当時はねえ。ただ、つい先日、あの子は死んでしまった。当時の怪我が原因だ、と医者はそう言いましたよ」

 

 だから、と男は、その仮面じみた笑みを引っ込め、俺を睨むようにして言った。

 

「息子を殺したお前を、絶対に許さない。必ず、お前に復讐をしてやるから、覚悟しておけ」

 

 そう言って、男は俺に背を向け、人里へと歩いていく。その背を見ながら、俺は確信した。噂を流したのは、この男であり、同時に連中をそそのかしたのも、この男であるのだ、と。この男は、どんな手段を使ってでも、俺に復讐をしているのだと、そう悟った。

 

 

 

 

 

 

 ……当時、魔理沙と、倒れ伏す男達を発見した俺は、すぐさま霧雨夫妻に事の説明をした。驚き、嘆く夫妻に対し、その時の俺は一つの提案をしていた。

 

『――俺を、事件の犯人にしてください』

 

 と。

 

 その提案に対し、夫妻は目を剥き、そして受け入れられないと首を横に振った。しかし、それに対し、俺もまた諦めずに続けた。

 

 魔理沙がこのようなことをした、となると大事になり、それは様々な問題を生んでしまう。であれば、元より当事者である俺が犯人を引き受け、そして店を出れば被害は最小限に抑えられる。店を潰していまうことも、魔理沙の将来に影を落とすことも無い。良いことではなく、悪いことなのは当然であるが、それでも、魔理沙の事を案じてほしい。

 

 そういった事や、それ以外のことを必死で訴え、俺はどうにか、夫妻に首を縦に振らせた。そして、俺は全て罪を被り、店を出た。事情が事情であるので表立ってどうこうとはなかったが、裏で夫妻が支援をしてくれたので、その後の生活はどうにかなった。多少居心地の悪い思いはしたものの、人間関係には不思議と恵まれ、平穏な生活を手に入れる事が出来た。

 

 どうしてそこまで魔理沙を庇ったのか、その理由は俺自身にもよく分からない。ただ、俺が魔理沙に対し、強い負い目を感じていたのは確かだった。自分の所為で、という思いが強くあったのだ。

 

 だからこそ、俺はその選択をした。間違ったと自覚していて、また間違った選択をした。愚かしいと思いつつ、しかしそうするより他になかった。

 

 

 結局、俺は馬鹿で、正しいことなど何も分かっていなかったのだろうと、店を出て、その看板を見た時に、そんなことをふと思った事を、未だに忘れられないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事が終わり、俺が家に戻ると、玄関前に魔理沙の姿があった。

 

「魔理沙? どうしたんだ?」

 

 何の用だろうか。不思議に思い俺が声をかけると、魔理沙はこちらへと小走りでかけてきて、口を開く。

 

「ちょっと、嫌な噂を聞いたからさ、心配になって」

「噂って、ああ、あの」

 

 例の噂だが、一度は確かに下火になった。男の言ったとおり、積極的に動いていた連中が行方をくらませた事が、その原因であったのだろう。おかげで、俺は再び店に復帰する事が出来た。俺としてはそのままでいるつもりだったのだけれど、店主がどうしてもと俺に言ってきて、結局また勤めることとなった。ありがたい話だと、そういう他に無い。

 

 だが、どうにも、例の噂がまた再燃しているようであった。以前と違い、直接的な行動に出た者はまだいないが、しかしそれも時間の問題かもしれない。店主が今度こそ店を辞めさせる気はないと意気込んでしまっているので、俺としても中々頭の痛い事件である。犯人には予想がついているが、しかしだからと言って打つ手もなく、どうしたものかと待ちの姿勢を続けるより他にないのが現状だ。

 

 

「魔理沙が気にすることじゃない。あくまで俺の問題だからな」

「でも、あれは!」

「静かに、な」

 

 叫んだ魔理沙の口を、そっと指で塞ぐ。

 

「あれは俺の問題だ、魔理沙。そういうことなんだよ」

「だけど……」

「気にするなって」

「……分かった」

 

 そう、魔理沙は不承不承という風に頷いた。そして、

 

「――――」

「え?」

 

 魔理沙は、何事かを呟いた。とても小さく、ろくに聞き取ることは出来ず、思わず聞き返す。

 

「悪い、魔理沙。今何て言ったんだ?」

「ああ、気にしないでいいぜ。こっちのことだから」

 

 そう言って、魔理沙はひらひらと手を振る。その態度に、何かを感じ取りつつも、しかし、

 

「……そっか。じゃあ、いいけど」

 

 と、俺はそれ以上追及しなかった。先ほど、魔理沙に対し同じような事をした所為もあったのかも知れない。

 

 

 

 

 ……そうしなければ、後に悔いることも無かったのだろうに、俺はそうしなかった。この時魔理沙が言った言葉が分かった時には、既にもう遅すぎたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――翌日のことであった。

 

「……あれは」

 

 偶然にも、俺は例の男の姿を捉えた。俺に見せていた軽薄そうな笑みは無く、随分と真剣そうな表情で辺りを見渡している。

 

 怪しい、と俺はまずそう思い、続けて、何か行動を起こすつもりなのではないかと勘ぐった。

 

 だから、

 

「……尾行、やってみるか」

 

 いい加減、手を打ちたいと思っていたのは事実であり、あの様子であれば何が行動を起こすだろうと、そう思ったが故の選択だった。

 

 

 

 

 

「……外に何の用があるんだ?」

 

 男を追いかけていくと、彼は人里の外に出て行った。まさか外で何か企みをしているのだろうか。いや、誰かと待ち合わせでもしているのだろうかと思いながら、俺は男の後を気付かれぬようについてく。

 

 

 男が誰に会いに来たのか。それはすぐに分かった。

 

「……まさか」

 

 まさか、と思った。何故ならば、男が声をかけたのは、見覚えのある金髪で帽子を被った少女。

 

 

 霧雨魔理沙、その人であったからだ。

 

 

 

「どういうことだ……?」

 

 何故、男が魔理沙と会うのか。何故、魔理沙が男と会うのか。その理由に見当がつかず、俺は困惑しつつも二人を見守る。既に人里からは大分離れており、周囲の人影は無い。

 

 まさか、魔理沙に限ってそんなことはないよな、などともつい思ってしまいながら、俺は少し離れた所から、二人を見守っていた。

 

 

 

 

 ……そして、俺はすぐに驚愕の表情を浮かべることになった。

 

 

 

「――なっ!?」

 

 俺が見ている前で、魔理沙は男に箒を振り下ろした。何かしていたのか、箒で出したとは思えぬほどの鈍い音が俺の耳に届く。そして、男はばたりと地面に倒れた。

 

 倒れた男に対し、魔理沙は箒を振るう。何度も、何度も、何度も、何度も。男が全く動かなくなった後も、しばらく箒を振るい続けていた。

 

 

「……ま、魔理沙!」

 

 しばし呆然としてしまった後、俺は慌てて魔理沙の下まで走った。魔理沙も、俺の声に気がついたようで、こちらに振り向き、

 

「――あ、お兄ちゃん! 私、やったぜ」

 

 と、あの時(・・・)を思い出させる、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「――」

 

 その笑みに、思わず俺は足を止めた。すると、魔理沙はゆっくりと俺のほうに近づいてきて、そして、俺に抱きついてきた。

 

「やったぜ、お兄ちゃん。私、また(・・)、お兄ちゃんを苛める連中を懲らしめてやったんだ」

「……魔理、沙…………」

「まったく、どいつもこいつも、お兄ちゃんを苛めるなんて悪いやつだよな。全部あれは私がやったことなのに、お兄ちゃんに嫌がらせをしたり、変な噂を流したり、嫌なことばっかりしてくるんだから」

「……じゃあ、最近俺に付きまとっていた奴らが行方不明になったのも……」

 

 呆然と、俺が口にだすと、魔理沙は俺を見上げながら、

 

「うん、私がやった」

 

 と、何のことも無いように、平然と、肯定した。

 

「ちょっと苦労したけれど、お兄ちゃんのためだったから私、頑張ったぜ」

「……そう、か」

 

 どうすればいいのか、分からない。叱るべきなのだろうが、しかし、あの時と同じく、あるいはそれ以上に、俺は混乱していた。何をしていいのか、何をするのが正しいのか、まるで分からなかった。

 

「……なあ、お兄ちゃん」

 

 すると、ふと魔理沙が俺を見上げて言った。

 

「久しぶりに、頭を撫でてくれないかな? あの時と同じ事をした今なら、撫でてくれるよな? お兄ちゃんにとってとってもいいこと(・・・・・・・・)をした今なら、撫でてくれるよな?」

「――――」

 

 その時、俺は悟った。この子はただ、俺に頭を撫でてほしかったのだと。ただ、それだけの為に、こんな事をしでかしたのだと、そのことを悟ってしまった。

 

 

 

 

 

 ――だから、

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 ゆっくりと、あるいはぎこちなく、俺は魔理沙の頭を撫でた。気持ちよさげに目を閉じる魔理沙の顔を見下ろしながら、俺は、ただ、頭を撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――何処で、俺達は間違ってしまったのだろう。

 

 




 はい、二回目の魔理沙回であり、お久しぶりの今回です。どうにも、かなりの時間が空いてしまいましたね。現状あるリクエストでいいのが浮かばない中、気分転換気味に書いてみました。いつもとは色々と違ったテイストで書いたつもりですが、どうでしょうかね。

 今回で元々書きたかったのは、女の子が撫でられて、褒められたとか撫でられたとかを、ぶつぶつと呟き続けるというものでした。……ええ、だいぶ違いますね。書いていたらこうなったんです、何ででしょうね。で、人選に関してですが、まず精神年齢の高い組は除こうと思い、紫をはじめとした長命の存在はパス。で、そう考えると人間組はいいかなと思い、最初にパッと思い浮かんだのは実は早苗でした。が、何となく魔理沙でもありじゃないかなあと、そういう風に思ったわけです。個人的なイメージとして、魔理沙は愛するより愛される系じゃないかなあとというのがちょいとばかりあったのが原因だと思います。まあ、以前に書いた魔理沙回は微妙に納得がいっていなかったし、ちょうどいいと思って今回は書いてみたわけです。……まあ、今回も微妙かもしれないですけど。相変わらず、キャラが勝手に動くばかりの作品です、と。

で、次回。まあ何も決まっていません。リクエストから書くのが良いんでしょうが、しかしどうにもアイデアが降りてこない現状ですから、少なくとも間は空くでしょうね。最近はカンピオーネの奴にばっかり注力していたので、たまには他のも書かないと思って書いただけなので。いい加減、不帰録とかも更新しないとなあ。ま、そういうどうでもいい話は良いですね。ではまた。



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