「……ねえ、永琳。彼、どうしている?」
「彼……? ああ、彼のことね」
輝夜の問いかけに、誰のことかと永琳が悩んだのは一瞬のことだった。最近、輝夜が話題に上げる男性など一人ぐらいしかいない。その人のことだろうと判断し、永琳は思い出すように頷いた。
「彼なら、最近はもっぱら、鈴仙と一緒に里へ薬を売りに行っているわ。どうしても顔を隠すことの多い鈴仙に代わって、新規の契約を交わすのに一役買っていると聞いているわ」
「彼、そういうの上手いものね……外では、その手の仕事をやっていたんだったかしら」
「あら、そうなの? 初耳なのだけれど」
「前にそう言っていたと思うわ。そういえば、それを聞いたのは貴女がいないところ、というか二人だけのときだったかしら」
「あまり男性と二人きりというのは、感心しないところなのだけれどね……」
永琳は元々、あくまで居候である彼と、自分の主である輝夜が二人きりで会うのをあまり好ましいとは思っていなかったのだが、輝夜が以前よりも楽しげだからということで、渋々それを許したという経緯がある。故にこうして自分に対し、あまりに堂々と二人きりでいたということを言われると、どうにも微妙な気分になってしまう。
「あら、眉間にしわが寄っているわよ。もう少しリラックスしないと」
そんな感情が表に出ていたのか、永琳の顔を見て輝夜はクスクスと笑う。そんな彼女に小言の一つでも言おうかと思った永琳であったが、ふと、輝夜の奥にある机の上に紙の束が置かれていることに気がつく。
「輝夜、それは?」
「これ? 彼が書いたお話よ。彼、こういうのが結構好きなんだって」
「へえ、そうなの」
意外だ、と永琳は素直にそう思った。永琳から見る彼は、どちらかというと動的な性質を持った人間だ。だから、物書きという、どちらかと言えば静的な行為を好んでいたとはと、そのように感じたのだ。
「元々、外の世界でも旅行の経験などを纏めるのは好きだったそうよ。そこから、純粋に物語を書くのにも興味が湧いたのだとか」
読んでみる? と輝夜が差し出したそれを、永琳は一先ず受け取って軽く目を通す。一枚、二枚とざっと読んだ後、
「……あら、案外しっかりしているのね」
と、感嘆の声を永琳は漏らした。やや、自分の好みからは外れている文体だが、十分にしっかりとした文章にはなっている。専門家と比べれば流石に、と判断せざるを得ないが、少なくとも素人が書いた文としては十分すぎるほどだろう。特に、心理描写は中々面白いと、永琳は幾らか読み進めた上で結論付ける。
「これは彼から?」
「ええ。昨夜、彼の部屋で書いているところを見て、面白そうだと思ったから借りてきたの。まだ完成はしていないそうだけれど、中々続きが気になる作品だわ」
「そう」
昨夜彼の部屋で、というところに引っかかりは覚えたものの、楽しげな輝夜の態度を見て永琳は言葉を飲み込む。普段、どうしても輝夜を屋敷に篭りがちにさせているのは他ならぬ永琳だ。退屈そうな彼女の姿に心を痛めた事がある身としては、中々こういう時に文句は言いがたいものがあった。
「……しかし、こういうものを書くということは、将来的には本を作りたいと考えているのかしら、彼は」
「どうかしらね。確かに、私が読ませてほしいと言った時は少し嬉しげだったけれど……」
「誰しも、自分が苦心して作ったものは、誰かに認められてほしいと思うものだものね。特に、寿命の短い人間は」
「……どういう意味?」
コテンと、どこか幼げな素振りで輝夜が問いかける。そんな彼女の態度に、何か引っかかるものでもあったかと首を傾げつつ、永琳は口を開く。
「自分が生きた証を残したい、ということよ。私達はともかくとして、生きている者はいずれ死に、あの世に行くなり転生するなりするもの。いずれ来る自我の消失という恐怖に耐える為に、何か他者の記憶に残るものを作り上げるというのは、案外悪くない手段だと思うわ。誰かに読まれ続ける限り自分の作品は死なない、自分は死なないと思うことで、死を克服すると、そういうこと」
そういえばと、語っているうちに思い出すこともある。
「彼は特に、他人とコミュニケーションを取る事を好んでいるわよね。そういう、誰かの記憶に残り易いという生き方をしている人は、逆にその人たちから忘れられる事を恐怖するのかもしれない」
「忘れられない為に、作品を書く?」
「かも、しれないわ。そうすれば、自分の生きた証を残せる。外の世界で旅行の経験を纏めていたというのも、自分の足跡を知っていてほしいという意味だったのかもしれないわね。意識的にやっているかどうかは分からないけれど」
そもそも、あくまで永琳が適当に言っているだけの事だ。本当に彼がそう思っているという確証があるわけでは勿論無い。元々そこまで、彼と付き合いが深いというわけではないのだ。そうだろうと判断できるのは、精々彼と行動を共にする事が多い鈴仙が、あるいは目の前の輝夜くらいだろう。
「ふうん……そう…………」
そんな輝夜は、永琳の話を聞いてから、何かを考え込むような素振りを見せている。はて、一体何をそんなに考えることがあるのだろうか、と永琳が内心首を傾げていると、
「……ねえ、永琳。もしも彼がそうだとして、その誰かに読んでほしくて書いた作品が、実は誰にも読まれていなかったら、どう思うのかしら?」
「はい?」
何だそれはと、永琳は輝夜の問いかけに思う。質問としては些か奇怪なのだが、一応は真面目に考えてみることにした。
「そうね……やはり、ショックを受けるでしょうし、本当にそういう性質の人なのだとしたら、あるいは死に関して恐怖を覚えるかも。代替作業で安堵を覚える人は、その結果が無駄になるとより恐怖するだろうから」
「特に、それが今際の際だったら、尚更?」
「それはそうでしょうけ…………」
永琳の言葉が途切れる。まさか、という思いが永琳の中にあった。その思いを表情に乗せながら輝夜を見れば、彼女はニッコリと笑って頷く。
「私、彼には長く生きていてほしいのよね。私達と同じくらい、永い時を」
「……そこまで入れ込んでいたの?」
「彼といると、素直に楽しいもの」
「そう……」
深く、永琳はため息をつく。まさかここまで彼にのめりこんでいたのかという驚きと、彼女が内包していた狂気に対する後悔。もっとも、今更後悔した所で、どうとでもならないのだろうが。
だから、永琳は悔やみつつも口を開く。そこから語るのは、今から輝夜がやろうと計画していることの推測。
「……彼から生きた証を受け取りつつ、しかし最後にそれを否定してみせる。例えば、うっかり燃やしてしまった、とかで。そうして、彼が改めて死に恐怖したところで、彼に『薬』を飲ませる。私が作るであろう、『蓬莱の薬』を」
分かってしまったからこそ永琳が語らざるを得なかった内容に対し、輝夜は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと頷いて見せた。見とれるほどの美しさを備えているのに、しかし裏を知っていれば確かな恐怖を覚えてしまう美女の笑み。まったくもってえげつないと、永琳は一個人としてそう感じざるを得ない。
「――頼めるかしら?」
口に出された輝夜の問い。何のことか、と聞く必要もないだろう。何せ永琳自身が、その頼みの内容を語っているのだから。
「…………すぐには無理よ。それと、可能ならば穏便に済ませてほしいわ」
「分かっているわよ。これあくまで最後の手段。私だって、彼に嫌われたくはないもの」
ふふ、と輝夜が静かに笑う。そんな彼女に、嫌われずに決行する手段も考えているだろうにと思いつつ、永琳は腰を上げる。
「じゃあ、私はこれで、ね」
「薬師兼医者も大変だろうけれど、貴女も頑張ってね」
「ええ、分かっているわ」
そうして、永琳は輝夜の部屋を出る。そしてその場を去るよりも先に、彼女は小さな声で呟く。
「……私は既に罪人。あの娘のためだったら、さらに罪を重ねることも厭わない。ごめんなさい、私は貴方の安寧よりも、あの娘の満足を選ぶわ…………」
それは、彼に対する言い訳のようなものだった。いや、あるいはそれ以下の、単なる自己満足かもしれない。どちらにせよ、彼女がやることは変わらないのだから。
「生きた証か、死なないことか。どちらが最後に幸せになるのかしらね」
その答えは出るのか、あるいは出ないのか。最後に背後をちらりと見た後、永琳は歩き出すのであった。
はい、輝夜回二回目でした。気分転換を兼ねてだいぶ軽くて短い内容にしてみました。流石に一回目のキャラでここまで適当には書けませんので、二回目の輝夜に犠牲になってもらいました……と書くと怒られそうですがね、はい。
死んだ後のこと、ってのは真面目に考えると結構怖くなる話だと思います。その対策として、自分の生きた証を残すというのがあると思うのですが、それを否定される、しかもあくまで自分の為に、ってのは結構えげつないと思います。で、それを書くとしたら立ち位置的に不死組みが良いだろうと思ったので、輝夜に登場願ったというわけですね。もし仮に、平和的に彼が薬を飲まなかった場合、寿命の彼の前で、うっかり作品を焚き火にでもくべて、薬を飲む事を強いるのですかね。死ぬことと死なないこと。どちらが幸せなのでしょうか。
次回ですが、八十話の記念話になります。前回の後書きで上げた候補の中から一つとなりますが、今のところ反応があったのはアリス回の続編ですね。ただまあ、割とマジでドロドロというか、死人しか出ない話になりそうなんですが、はてさてどうしましょうかね。ではまた。