東方病愛録   作:kokohm

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宇佐見菫子の愛

「――おはよう」

 

 朝、家を出た彼の耳にその声が届く。見ればそこには、幼馴染の少女の姿がある。腕を組み、いつものようにこちらを見下すような視線を向けてくる彼女に、彼は同じく挨拶を返す。

 

「じゃあ、行きましょ」

 

 彼の挨拶を受けとって、彼女は先導するように歩き出す。それに疑問を挟むでもなく、彼は小走りで彼女の横に追いつき、その後は歩調を合わせてゆっくりと歩く。

 

 続けて訪れるのは沈黙。並んで歩く二人の間に、さしたる会話はない。しかし、それは不仲であるからではない。彼と、そして彼女にとって、下手な会話など全く必要ではない。ただただ、何処か安心する静寂こそ、彼がもっとも安堵する時間であった。

 

 

 しかし、そんな時間もそう長く続くものではない。彼女も彼も、高校入学に際して、高校近くで一人暮らしを始めている。そうなれば当然、通学距離などたいしたものになるはずもない。幾ばくかも歩けば同じ高校に通う他の生徒達の姿も見受けられてくるし、そうなれば自然と喧騒も増してくる。

 

「よう」

「あ、おはよう」

「おはよう、今日もよろしくね」

 

 その頃になると、彼に対し声をかけてくる者も出てくる。大抵はクラスメイトだが、中にはふとしたきっかけで知り合った他のクラス、他の学年の生徒もいる。しかし、彼の隣にいる彼女に対し、声をかけてくる者は誰一人としていない。誰しもが、彼女にはまったく触れることなく、ただ彼に対してのみ挨拶を交わしていく。それを気にするでもなく、彼もまた自分にのみ声をかけてくる彼らに、朝の挨拶を返していく。

 

 

 

「……ん、じゃあ」

 

 学校に着き、教室まで着いたところで、彼は彼女と分かれる。ここまでは一緒に登校して来たが、生憎と二人のクラスは別。どちらとも、休み時間にわざわざ会いに行くという性格ではないため、再会するのは放課後の、彼女のサークル活動の時になる。

 

「よう、おはよう」

 

 教室に入り、彼が席について早々、馴染みの声と共に肩を叩かれる。振り向けばそこにいたのは、彼にとっては友人とも言えるクラスメイトの少年と、その双子の妹である少女だ。比較的友人は多い方である彼の中でも、特に親しい部類に入るだろう。正確には妹の方は彼とは別、それも幼馴染の彼女と同じクラスなのだが、兄である彼の友人の誘いもあり、今では良く話す仲となっている。

 

「おはよう。今日も宇佐見さんと?」

 

 挨拶を返した後、少女の問いかけに彼は同意を示す。

 

「相変わらず……仲がいいんだね」

「あーあ、俺もそうなれればなあ……」

 

 酷く残念そうな声を、少年が漏らす。どうにも、彼が聞き及んだ限りの話だが、この少年は彼女に惚れているらしい。しかし、彼女は彼以外に対しては冷淡で、さして興味を持つ素振りがない。意気込みは買うが、前途多難だろう。それが、彼の感想であった。

 

「……ね、ねえ! 今度の日曜日なんだけど、暇だったりする?」

 

 ふと、少女がそんな問いを投げてきた。真意が分からず首を傾げた彼に、少女は焦った調子で続ける。

 

「あのね、今度の日曜日に皆で遊園地に遊びに行こうって話があるの」

「んで、お前も行かないかって話。たぶん、十人ちょいくらいは集まるって規模なんだけどさ」

 

 ああ、と彼は納得する。そういえば昨日の放課後に、誰かがそのようなことを嬉々として話していたような覚えがある。おそらくはそれも、これ関係の話だったのだろうと今更ながらに得心がいった。

 

「そ、それと……宇佐見さんも誘う予定なの」

「だからお前からも、宇佐見さんを説得してみちゃくれないか? どうせなら皆で行きたいしな」

 

 そういうことか、と彼は少年の思惑を察する。大方、自分を出汁に彼女を誘い、どうにかして親しくなろうという魂胆なのだろう。案外少女の方も、同じく誘った相手の中にそういう相手がいるのかもしれない。

 

 とはいえ、だ。だからといって彼にそれをサポートしてやる義理は特にない。彼一人が行くならともかく、友人というものを自ら切り捨てている彼女にとって、この誘いに乗るメリットというのは全くあるまい。しかし、それが自明であるのはあくまで彼らの視点の話であるし、ここで二人の申し出を素っ気無く断るというのも多少体面が悪い。しばし考え、今日の夜にでも諸々の連絡をする、と一先ず結論を先延ばしにする。どっちにしろ、一度彼女と話してからのほうがいいだろうと考えたからだ。

 

「分かった、色よい返事を期待しておくぜ」

「出来れば……その、来てくれると嬉しいな」

 

 そう言って、少女は教室を出て行く。それを見て自分も席に着く少年を横目に見つつ、はてさてどうしたものか、と彼は考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――どうか、菫子と仲良くしてあげて』

 

 それが、彼が幼い頃、彼女の両親から頼まれた最初のお願いだった。今にして思えば、当時から彼女の両親達は、彼女の特異性というのを理解していたのかもしれない。だからこそ、まだ会って間もなかった彼に対し、妙に真剣な表情で頭を下げたのだろう。その迫力は、未だに彼の記憶に濃く刻まれているほどであった。

 

 そんな両親の心配は、すぐに表面化することとなった。中学生になる頃には、彼女は自ら孤独を選ぶ人となっていた。彼女が何時からか発現させた超能力、そしてその優秀な頭脳が彼女に終わらない全能感と、他者を必要としない芯を与えていった。自らも、そして他者からも、決して歩み寄ろうとしない。そんな生き方は、高校生になった今も変わっていない。むしろ、強まってすらいるだろう。

 

 しかし、そんな彼女であるが、何故だか彼の事だけは邪険に扱うことはなかった。それどころか、不思議と自ら彼の傍に居ようとしている節もあった。無論、それを表立って表現することはなく、気付けば、あるいは自然と、といった風であったが。

 

 ともかく、それは彼にとっても幸いなことであった。約束も勿論あるが、それ以上に、彼自身がいつの間にか、彼女の傍にいたいと思うようになっていたからだ。それが何に由来する感情かはまだ、彼にも良く分かっていない。ただ、彼女の傍にいると自然と落ち着く。だからこそ、彼はまだ彼女と共に過ごしているのだろう。自分に、彼女の傍に立つ『資格』があるのかと疑問に思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校の授業というものは、往々にして退屈である。そう思いつつ、彼はその日の授業を過ごした。身が入っていないと明らかに分かる感想だが、彼女ほどではないにしても、彼もまた成績は優秀な方であったので、それを悟られるようなことはなかった。精々が放課後、疲れている皆を尻目に平然とその場を離れる様に何かしらを思われる程度だろう。

 

 そんな中、彼は時折声をかけてくる友人たちに返答をしつつ、ゆっくりと校舎内を歩く。その末にたどり着いたのは、とある空き教室であった。戸を開ければそこには、分厚い本を読む彼女の姿がある。

 

 お待たせ、と彼が声をかけると、彼女は本に視線をやったままに返事をした。これが彼女のデフォルトであると知っている彼は、彼女の近くの椅子に座り、同じように本を読み始める。

 

 

 

 

 

 秘封倶楽部。それが、彼女が高校になってから立ち上げた、非公式のオカルトサークルの名前だ。部員は彼女一人のみ。非公式であることから部室もなく、適当な空き教室を勝手に拝借しているくらいの現状だ。

 

 とはいえ、それが彼女の狙いであった。オカルトサークルという人を選ぶものを立ち上げ、他者から不気味がられるようにすることで、友人になろうなどと思われないようにする。その結果、彼という例外を除き、彼女は孤独を手に入れる事が出来たのである。まったく上手くやるものだ、というのが彼女を良く知る彼の感想である。もっとも、目論見が嵌った後となってからやることといえば、彼女が自身の力のルーツを知る為やそれ以外のために、それらしい本を読む程度なのだが。

 

 

 彼女に付き合い、彼もまた適当な本を読む。それが二人の常の放課後だ。しかし、そういえば、今日は他にやることがあったのだと、彼は本を読み進めているうちに思い出した。返事をすると約束もしているし、放置も駄目だろうと、彼は彼女に声をかける。

 

「……何?」

 

 遊園地のことだ、と彼は言った。前提も何もない発言であったが、彼女はすぐに察してくれたようで、僅かに顔を顰めながら口を開く。

 

「本当に貴方も誘われていたのね。行くの?」

 

 決めていない、と彼は正直に返した。彼にとってこのイベントは、それほど魅力的なものではない。彼女のように極端ではないが、彼もまた、それほど友人関係に積極的な方ではないのだ。学校外でも嬉々として遊びに行くかと言われれば、どちらかと言うと否よりとなってしまう。それでもきっぱりと否定しないのは、あくまで誘ってくれた友人たちへの罪悪感によるものだ。それらを総合した結果が、先の彼女に対する返答の意味である。

 

「ふうん、そうなの…………じゃあ、一緒に行ってみましょうか」

 

 彼女の言葉に、思わず彼は絶句した。大げさかもしれないが、それほどに衝撃的であったのだ。まさか、彼女が他人の誘いに乗るとは。長く付き合いのある彼だからこその驚きであった。

 

 どうしたんだ、と彼が尋ねると、彼女は薄く笑みを浮かべた。

 

「ちょっと、確かめたいことがあるの。だから、貴方にも来てほしいわ」

 

 それは勿論、と彼は反射的に頷いた。彼女が行くと言うのであれば、彼に行かない理由はないからだ。

 

「じゃあ、纏めて返事をしておいて」

 

 連絡先を知らない、と続ける彼女に、もっともだと思いながら彼は承諾する。それを受け、再び読書を始めた彼女を見ながら、一体何を考えているのだろうかと彼は疑問に思わずに入られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、件の日曜日。彼は彼女と一緒に、近くの遊園地へと足を踏み入れていた。二人ともこの手の施設には興味がなかったのと、そもそも高校に入学してから住み始めた土地というのもあって、この遊園地に来るのは初めてのことであった。それなりにある人の流れに若干辟易としつつも歩いていると、

 

「――よっ! 待っていたぜ!」

 

 知った声と共に肩を叩かれた。振り向けばそこには、満面の笑みを浮かべた少年の姿があった。

 

「よく宇佐見さんを連れてきてくれた。良くやった」

 

 顔を寄せ、小声でそんなことを言った少年に、彼は僅かに口の端を上げる。そういえばそうだったなと、今更ながらにあちらの思惑を再確認したからだ。まあ好きにしてくれと思いつつ、集合場所はと彼は問いかける。

 

「ああ、あっちだ。お前らが最後だから、早くな」

 

 分かった、と彼は彼女と共に、少年が指した方に歩くと、そこには大体十人ほどの少年少女がたむろしていた。案外多いな、と彼が思っていると、少年がパンと軽く手を叩いた。

 

「皆、お待たせ。これで全員集まったから、早速中に入ろう!」

 

 おお、と何人かが楽しげに声をあげ、少年に続いて歩き出す。無言のままついていく彼女の姿に、一体何をする気なのかなと思いつつ、彼もまた同じく歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの時間は、さして彼の心に残るようなものではなかった。はしゃいでいる皆には悪いが、何が楽しいのか良く分からないとしか思えなかったからだ。精々が、妙にあの、彼を直接誘った少女に話しかけられたことくらいだろう。普段はどちらかと言うと、兄の傍で時折口を開く程度の内気な人であるので、今日の珍しい態度は彼の記憶に残っていた。

 

 ただ、裏を返すと、それくらいしか記憶に残っていないのだ。どの乗り物が楽しかったとか、誰某が楽しそうであったとか、そういう具体的な記憶がさっぱりとない。鏡に映る自分の顔に、やはり自分はこういうのには向かない性質なのだろう、とそのような事を彼は思う。

 

 とはいえ、それを表に出すのも皆に悪い。遊園地を回っている中で、わざわざ一人お手洗いに席を立ったのだ。今のうちに一旦出し切ってしまおうと、彼は洗面所の鏡の前で目元を揉む。それで、多少は見られるだろう顔になった事を確認し、彼は合流の為に移動する。

 

 さて、待ち合わせ場所はここだったなと思いながら向かうと、何故か皆の姿が見当たらない。おや、と思いながら近づくと、ようやく一人だけ、あの少女の背中が視界に入る。しかし、それ以外の友人たちの姿は見受けられない。どうしたのだろう、と首を傾げながらも声をかけると、少女は慌てているような素振りで口を開く。

 

「あ、あの、ごめんね? どうせ次はお化け屋敷で、ペアで入ることになるからって、二人で追いかければいいだろうって、私を残して皆行っちゃったの」

 

 ああ、と少女の発言に彼は納得する。舌足らずな説明であったが、言いたい事は彼にも理解できた。彼女もそれに納得したのだろうか、等の疑問はあったものの、一先ず受け入れた彼は、お化け屋敷の場所を少女に問いかける。

 

「こ、こっち!」

 

 言うや否や、少女は彼の手を掴んで走り出した。少し驚いたものの、特に手を振り払うでもなく彼は続いて走り出す。随分と違うんだなと、彼女との手の感触に不思議なものを感じつつ小走りで駆けていると、目の前に明らかにお化け屋敷であると分かる施設が現れた。

 

「皆、もう入っちゃったみたいだから……私達も入ろう?」

 

 分かった、と頷いて、彼は少女と共にお化け屋敷に入る。暗く、おどろおどろしい雰囲気のある中をしげしげと眺めていると、ふと少女が彼の手を掴んできた。

 

「あ、その……怖いから、お願い」

 

 一拍の後、ああ、と彼は少女の頼みを受け入れる。怖いなら入らなければいいだろうにとは思ったものの、行動を共にするのが友人付き合いなのだろうと納得し、そのやや歩きにくい姿勢のまま、お化け屋敷の中を歩く。時折、少女は小さく悲鳴を上げるが、彼は特に怖いと思うこともないままに、出口に向かって淡々と歩く。

 

 恐怖からか、いつもより口数多く話かけてくる少女に、彼は適当な相槌を打つことで応える。どうしても、彼女の事が頭に浮かんでしまう。彼女だったら、もっと無感情な様子で、そもそも腕を掴むこともなく歩くだろうな、と何となく隣の少女と比べながら過ごしてしまう。彼女は今、どうしているだろうか。そんな事をつらつらと考えながら歩いていると、ようやく出口らしき扉を視界に収める。

 

「あ……出口、だね」

 

 そうだね、と頷き、彼はその扉に手をかける。さっさと出てしまおう。そう思い扉をくぐった彼であったが、すぐに首を傾げることとなった。

 

「え? あ、あれ……?」

 

 暗い。扉をくぐった先にあったのは、先程よりも深い暗黒だ。おかしいな、と思いながら一歩踏み出したとき、ぐにゃりと彼の視界が歪む。何だ、と思うよりも先に、彼の意識は闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ねえ、起きて」

 

 最初に認識したのは、彼にとって馴染み深い、彼女の囁き声であった。いつものそれより甘く、優しいそれは、彼女の前で眠りに落ちたときに、時折かけられるものと同じ。また眠ってしまっていたのか、とぼんやりと思いながら、彼はゆっくりと目を開ける。

 

 すると、彼の目の前に、彼女の顔が一杯に映った。何か、と一瞬思ったものの、すぐに自分が背を壁に預けていて、それを彼女が覗き込んでいるということに気付く。

 

「ごめんね。ちょっとやりすぎたわ」

 

 何を、と言い掛けたところで彼は察する。あの不可思議な、暗闇と意識の暗転。あれらは全て、彼女が起こしたものだったのだと。いかに彼とはいえ、彼女の能力の全てを知っているわけではない。自分が知らない何かで自分達を惑わせ、意識を奪ったのだろう。そんな推測を組み上げた所で、はて、と彼は首を傾げる。

 

 何故、彼女はこんな事をしたのだろう。そして、ここは一体何処なのだろう。床も壁もコンクリートで出来た、薄暗い無機質そうな部屋。見覚えのない場所に、彼は彼女に対し、どうしたの、と問いかけた。

 

「ちょっと、ね。まず、これを見て」

 

 そう言って、彼女は彼の目の前から一歩引く。彼女がずれたことで見えた奥、そこには何かがある。何だ、と思い目を凝らす彼であったが、すぐにその目は大きく見開かれた。

 

 あれは、人だ。それも見知った、あの少年だ。その首はありえぬ角度で折れ、その目は濁りに満ちている。死んでいる、と彼にはすぐに理解できた。どういうことだ、と頭が真っ白になる彼に、彼女がため息をつきながら説明する。

 

「この男、周りを撒きこんで無理矢理私と二人きりになってね。それだけならまあ、百歩譲っていいにしても、人気のない場所に来た途端私を襲おうとしてきたの。この男からしてみれば馴れ馴れしい態度を取った程度だったのかもしれないけれど、私はそうは思えなかったから」

 

 殺したのか、と彼が思わず問いかけると、彼女はゆっくりと頷いた。それに、そうか、と小さく呟いて、彼はじっと少年の死体を見る。

 

 不思議であった。先ほどまでは混乱し、少年の死を悼んでいたはずであったのに、今彼の心にあるのは怒りと侮蔑の感情のみしかない。彼女を襲うなど、言語道断。これはその報いであるのだと、そんな風に思えてしまう。客観的に見れば、その感情は間違っているのだろう。しかし、彼の主観として見れば、これは正しいことなのだと思えてしまう。

 

 どう処理する、と酷く冷徹な声で彼は彼女に問いかける。しかし、彼女は何故か首を横に振る。

 

「その前に、やらないといけないことがあるわ」

 

 そう言って、彼女はパチンと指を鳴らす。すると、彼から見て右側から、何か重い物が落ちたような音がする。何だ、と思ってそちらを見れば、そこにはあの少女の姿があった。しかもその体は椅子に縛られ、口には布が噛ませられている。その目は恐怖に見開かれ、すがるような視線を彼に向けている。

 

「ねえ……お願いが、あるの」

 

 いつに無く甘い声で、彼女は彼の耳元で囁く。

 

「――殺してほしいの」

 

 誰を、と聞くまでもない。だから彼は、何故、と彼女に返した。

 

「あの男のことは、もう話したでしょう? その女も、グルなの。あの男は私を、あの女は貴方を、それぞれ手にするつもりだったのよ」

 

 一拍し、ああ、と彼は納得の声を漏らす。そうだったのかと、少女は自分が好きだったのかと、今更ながらに少女の行動の意味を理解したのだ。

 

 しかし、分からない。確かに少年は、彼にとっても許されない相手だ。だが少女はそうでもない。グルであったのかもしれないが、そこまで悪辣なことにまで加担していたかは分からないことだ。そもそも、何故彼に殺させようとしているのか。分からないからこそ、彼は彼女に、どうして、と囁き返す。

 

「必要だから。私が、貴方を捨てない為に」

 

 どういう意味、と彼は問う。

 

「私は……怖いの。いつか、貴方すらも切り捨ててしまうんじゃないかって。いつか、貴方も他の有象無象と同じ、力のない者だと見てしまうんじゃないかって」

 

 それは、彼にとっても恐れていたことだ。いつか、彼女は自分を見捨ててしまうのではないか。そんな不安は、彼女が周囲に壁を作り出した頃から、彼の心に常に恐怖としてあった。彼女の傍に立ち続ける『資格』があるのかと、ずっとずっと感じてきた恐怖。

 

 君もそうだったんだ、と彼は彼女に手を伸ばしながら言う。その手の先にかすかに触れながら、彼女はゆっくりと首を縦に振る。

 

「うん、ずっと……私も恐れていた。でも、だからといって、突如貴方に、何かしらの力が宿るわけもない。どうすればいいんだろうって、ずっと考えていた……」

 

 そして、と彼女は言った。

 

「私は、思いついたの――禁忌を共有すればいいんだと」

 

 禁忌、と彼は思わず繰り返す。

 

「そう、禁忌。互いに犯してはならぬことをして、それを互いに共有する。互いが互いの禁忌を知り合うことで、私達は決して離れる事が出来ないようにする。誰にも出来ないことをすることで、私達は『資格』を得るのよ」

 

 彼は、彼女の目を見た。その目は純粋で、まるで濁りが見受けられないほどに澄み切っていた。ああ、と彼は理解する。彼女は、こういう人であったのだと。そして、そんな彼女を、むしろ抱きしめたいとすら思う自分も、そういう人であるのだと理解する。

 

 だけど、と彼は口を開く。その口を、彼女はその美しい指を当てることで閉ざしてしまう。

 

「あの女でないと、駄目なの。わざわざあんな場所に行ってまで、私はあの女の思いを確かめた。その上で、あの女じゃないと駄目。あの女は、いつか私達の仲を引き裂こうとするでしょう。そうすれば、私達離れ離れになる。だから、今のうちに排除しないと駄目なの」

 

 ねえ、と彼女は彼に頬に手を当てながら言う。

 

「――私を、一人にしないで」

 

 その一言。それが、彼の心を決めた。

 

 彼女の身体を軽く押し、彼はその場で立ち上がる。数秒、彼女と見つめあった後、彼はゆっくりと少女の方を向く。恐怖に満ち満ちたその視線を真っ直ぐに受け止めながら、彼は開き、何かあるか、と彼女に問いかける。

 

「はい、どうぞ」

 

 そう言って差し出されたのは、鈍く光る鋼色のナイフ。それを躊躇なく受け取り、彼はゆっくりと少女の元に歩く。

 

 一歩、一歩と進むたび、少女はその身体を大きく揺らす。その瞳は大きく見開かれ、その口からは声にもならぬ音が漏れ出る。いやいやと言いたげに、何度も何度も頭を振る少女に彼はどんな言葉もかけない。

 

 ただ、ゆっくりと、静かに、躊躇いもなく近づいて――その胸に、ナイフを突き立てた。

 

 

「……ありがとう」

 

 口の端から悲鳴を漏らし、痛みから暴れる少女を見捨て、彼は背後からの言葉に振り返る。満面の笑みで近づいてくる彼女に、彼も自ら近づいていく。

 

「これで、私達は――」

 

 ――ずっと、一緒だ。

 

 

 そう言って彼は、彼女と口付けを交わした。

 

 

 




 はい、菫子回です。前々から案自体は考えていたのですが、ようやく今回形にする事が出来ました。ただ、今回のような書き方をすると、幻想少女以外の人物名は出さないようにするという縛りを設けている都合上、人物を称する時に結構面倒くさくなりました。別に読者の好きな名前を主人公につけて読む、という形式の文を模倣しているわけではなく、単に長編以外で一々名前をつけるのは何となく興ざめだと思っているからです。あくまで『彼』は『彼』であり、それ以外の『名』は必要ないのです……なんて。

 今回の内容ですが、簡単に言えば相互依存の強化話みたいなものです。彼は彼女に縛られているし、彼女も彼と縛りあいたいと思っている、みたいな。その犠牲として、まあ邪な思いを持っていた兄と純愛を抱いていた妹が選ばれました、と。このような話にした理由としましては、まあ菫子というキャラの特性にあります。他人から距離を取っている人ですから、ふとした優しさに触れて、とかはおかしいし、一目惚れとかはもっとおかしい。となると幼馴染設定なりが便利なのは当然ですが、そうすると彼女が無能力者の彼といつまでも一緒というのも変と言えば変かもしれない。となれば、そこをクリアしたいと思うのではなかろうか。そんなことをつらつらを考えていった結果、このようなお話になったわけです。多分この後は二人は、適当に死体を処理した後、ひょっとしたらしっぽりとした話を経由した後、またいつものような日常に戻るのでしょう。自分達が起こした事件を、誰にも疑われることもないままに。だって、一人にでも疑われてしまっては、二人きりの『禁忌』が失われてしまいますからね……



 さて、次回。思いついた話があるので、もしかしたらそれを二週目のキャラで書くかもしれません。ではまた。



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