「……ったく、何なのよ」
仏頂面で、秋静葉は足元の枯葉を蹴飛ばす。ぐるり、と先ほど拾った薪用の枝を振り回す。しかし、そんなことをしても彼女の不機嫌は納まらない。むしろ、物に当たるという情けなさが、よりいっそう彼女の中の悪感情を増徴させた風もある。
「ああ、もう」
何もかも、アイツが悪い。そう言う彼女の脳裏に浮かんでいたのは、先日妹の穣子が連れてきた、一人の男の姿があった。
『はじめまして』
『…………はじめまして』
ひょろりとした男だ、というのが第一印象だった。静葉よりも背が高く、多少見上げなければいけないというのも、その印象に拍車をかけていたのだろう。そんな意図はないのだろうが、こちらを物理的に見下ろす視線が、どうにも妙な感覚を静葉に覚えさせもした。背の高い人間と相対したことなど珍しくも無いはずなのに、何故か彼に対してだけは妙な気持ちを抱いてしまった。そういったことが、彼への苛立ちに繋がっているのだろうか、と静葉は他人事のような感想を抱いている。
その男は、外来人であるらしい。らしいというのは、穣子が何処かから急に連れてきただけで、その前のことをよく知らされていないからだ。ただ、彼と話していると時折、所謂常識の面などにおいて齟齬が発生することがあるから、おそらくはそうではないのかと勝手に思っている。
しかしこの、常識の齟齬というのが特に煩わしいことであった。静葉が彼に、あれそれをしておいてくれと頼んでも、彼はしばしば首を傾げて方法を問うてくる事がある。里の住人であれば子供でも知っているようなことでも、時として彼は知らないことがある。これが、静葉が彼を外の住人であると思う証左であり、同時にそれを教えなければならないことによる苛立ちの発生に繋がっている。まあ、一度聞けばおおよそ理解し、その後は何も言わなくても実行できるようになるだけ、ましといえばましなのだろうが。
『ご迷惑をかけて、申し訳ない』
『……ふん』
またこうして、毎度毎度律儀に謝るのもまた、妙に引っかかってしまうことだ。気に触るというか、気に入らないというか。とにかく、一々が気にかかる。むしろ、彼に対しどうしてそこまでの感情を抱くのか。静葉自身も疑問に思っているのが、いくら考えてもよく分からないので、結局放置したままだ。
「――静葉さん」
ああ、来た。背後からの声に、静葉は思わず顔を顰める。どうしてこう、ちょうど考えていた相手が来てしまうのか。これではますます、彼に対して苛立ちを募らせてしまう。悪感情のスパイラルに自己嫌悪を抱きつつ、静葉は背後に居るであろう彼に対し振り向く。
「……なに?」
「穣子さんが、静葉さんに御用があると」
「そう」
「あっ……」
そこまで聞いたところで、静葉はすたすたと歩き出す。彼が何か言いたげな雰囲気ではあったが、意図的に無視してのことだ。大人気ないと思いつつも、どうしてもこういう対応を取ってしまう。
「……まったく」
何故彼を、穣子は連れてきたのだろう。幾度となく抱いた疑問を、静葉はまたも抱く。
『何でアイツを連れてきたの?』
実際にそんな問いを穣子に投げたのは、一度や二度ではない。しかし、それに対して明確な答えが返ってこなかったこともまた、ない。大体が適当に誤魔化されるか、あやふやな回答を返されるだけだ。穣子は感覚派だから、ということで一応納得しているが、よくよくと考えるとそれもそれで変な気がする。呼ばれているのだから、ついでに問うてみようかとも思うが、
「どうせ答えないだろうし……」
とも、考えてしまう。ああ、まったく。面倒くさい性質をしているな、と自嘲を漏らしつつ、静葉は穣子がいるであろう自宅へと向かおうとする。
――その手を、彼に掴まれた。
「待って、ください」
「…………え?」
突然のことに、静葉の思考が固まる。それは、二重の驚き――二つの初めてがあったからだ。一つは、彼が静葉を引きとめるような真似をしたこと。もう一つは、彼が静葉の手を掴んだことだ。紳士然とした彼は、これまでに一歩引いたような対応しか取ってこなかったし、断じて静葉の身体に触れたこともない。それを、急に成されてしまった。無意識かにありえないことだと断じていた事が、急に現実のものとなっている。そのことに凍りつく静葉に、彼はやや焦ったような表情で口を開く。
「その……言っておかなければならないことが、あるんです」
言っておかなければならないこととは、何だ。いや、おかなければならないという言い回しは、どういうことか。何か、妙に嫌な予感を抱き始めた静葉に、彼は大きく息を吐き出した後、意を決したように言った。
「――数日以内に、静葉さんたちの家を出ようと思っています」
思わず、呼吸が止まった。数拍の後、ようやく呼吸可能になったものの、まるで陸上の魚のように口をパクつかせてしまう。まるで酸欠にでもなったように、ろくに頭が動かない。
「先日、博麗の巫女の方にお会いしまして。その方が仰るに、外の世界に帰る事が出来るそうなのです。ですから、私もそうさせて頂こうと――」
何を言っているのか、静葉の脳には届いて来ない。耳には入っているのだが、その言葉の意味が良く分からなかった。唯一分かったのは一つだけ。彼がここから、居なくなってしまうという事だけ。
いや、それはいいことのはずなのだ。そうすれば、静葉の元からこの男は消える。そうすれば、ずっと彼女を苛んできたものは、その原因から居なくなるはず、なのだ。
「――ですから、静葉さん…………静葉さん?」
何故、自分の中の苛立ちは増えている? 何故、心がささくれだしている? おかしい、何かがおかしい。何故、彼が居なくなることに、これほど心を動かされるのだ?
「静葉さん?」
「――っ」
肩に、手が置かれた。それを思わず跳ね除け、静葉は振り返る。心配そうにする彼の顔を見て、静葉の心は更にざわつく。
「どうか……しましたか?」
静葉の顔を、彼が覗き込む。近づく顔と、その吐息に、静葉は無意識に後ろに下がる。
「――静葉さん?」
怪訝そうに、彼は一歩を踏み出す。
そんな彼の頭に静葉は――手にした薪を叩きつけた。
「……は?」
呆然とした声が、静葉の口から漏れる。ドサリと、彼の身体が地に伏す。頭から血を流し、ピクリとも動かぬ彼を見下ろし、静葉はギクシャクとした動作で首を傾げる。
そこに、
「ああ、やっぱり。やっちゃったんだね、お姉ちゃん」
「……穣子」
いつのまにか、穣子がすぐ隣に立っていた。ここに在る惨状など気にもしていないように、彼女は自然体のまま彼の容態などを探り始める。
「大丈夫、死んでは無いし、死にもしないよ。彼が居なくなることは避けられるみたいだね、お姉ちゃん」
「どういうこと……?」
「そのままの意味だよ、お姉ちゃん。まあ、理屈派のお姉ちゃんにはまず、これを使うのが早いんじゃないかな」
そう言って、穣子は静葉に手鏡を放る。それを静葉がキャッチしたのを見ると、穣子は極自然な動作で彼を背負う。
「とりあえず、家の地下倉庫に寝かせておくから、落ち着いたら来て。霊夢相手の言い訳やら何やらと、相談したいことも多いしね」
軽い口調で告げて、穣子は家の方に歩いていく。それを見送り、静葉は一人呟く。
「……どういうことなのよ…………」
訳が分からない。先ほどからそればかりだと思いながら、静葉は手にしていた鏡を見る。これで何か分かるのだろうか。そう思いながら覗き込むと、
「…………は?」
笑みが、あった。耳元にまで届きそうなほどにつり上がった口角に、心の底から歓喜していそうな目。それが自分のものであると気付くのに、どれ程の時間がかかったか。
「…………は」
そして、気付いたと同時に、理解もした。
「は、はは…………」
自分が、何を考えていたのか。何故、彼に対し心がざわついたのか。
「ははははは…………」
あれは、苛立ちではなかった。自分は最初から、彼の事を――
「――アッハハハハハハハハハ!!」
笑う。
「ハハハハハハハハ!」
嗤う。
「アッハハハハハハハハ!!!」
哂う。
「アハハハハハハハハ、そういう! そういうこと!? ハハッ! 馬鹿、馬鹿みたい!!」
笑った。
そうか、そうだったのかと。自身の察しの悪さと、しでかしたことの業の深さに。ああ、滑稽だ。滑稽にも程がある。何処の世に、好きな男と離れたく無いからと、殴り倒す女が居るというのだ。まったく、馬鹿げているにも程があるし、狂っているにも程がある。なるほど、理屈派と穣子が言うわけである。自分の感情だというのに、勘違いも過ぎれば喜劇だ。もっとも、彼からしてみれば、どんでん返しな悲劇なのだろうが。
「……まあ、いいでしょ。私に気付かせなかったんだから、アイツにも気付かせないと」
暴行からの監禁で気付くか、と言えばまあ気付かないだろうが。別にいいだろう。だって、自分は狂人なのだから。真っ当な愛など、むしろ向けてはならないのだ。そういう理屈が、静葉の中には出来ていた。
「ああ、でも――」
そういえば一つだけ、まだ疑問があった。その最後の謎を、静葉は不思議そうに口に出す。
「――どうして穣子は、私に協力しているのかしら?」
まあ、いいか。そう最後に呟いて、静葉もまた家に戻るのであった。
はい、静葉回です。何となく突発的に書いてみました。短めかつ不明瞭なのは、穣子の話とセットにしてみようと思って書いたからです。もっとも、その穣子の話はこの時点ではまだ一文字も書いていないのですが。
今回の内容ですが、別に補足する事無いですよね? 察しの悪い狂人がやらかしただけ、以上。いつも以上に意味の分からない話だなあと、書いた私もそう思っています。これを穣子のほうで上手く補填……はまあ、多分出来なさそうだなあ。
次回は当然、穣子の方です。多分時間がかかると思うので、気長にお待ちいただければと思います。ではまた。