彼女は医療班の小さなテントの一角で目を覚ます。ひんやりとした空気が心地よい。大きく深呼吸して自分が生きていることを実感すると、彼女は自分がどのくらい
眠っていたのかを訪ねるために人を呼んだ。ベッドから起き上がって地面に足を付けた瞬間、あの黒い刃に身を切り裂かれた瞬間を思い出したのか身体が凍りつくが、それでも自分を強く持って、マリア・アーサーはカーテンの向こうにいる小さな人影に声をかけた。すると、白衣の裾を地面に垂らすほどの背が低い女が近づいてきた。
「目が覚めましたか、マリア・アーサー。私は医療班のバークレー・ミカミと申します。あなたが襲われてからおよそ5日間、色々知りたいことがあるでしょう……私も何から話してよいのやら。信じられないような出来事に我々は直面している」
ミカミもまた、困惑した表情でマリアに語りかける。
「……調査隊は今どうなっているんです?」
「単刀直入に言って、一時的に我々の安全は確保されていると言っていいでしょう。アクラに住むハンターたちの協力を得ることができて、今はその拠点アクラディ・アウス・レグヌムにキャンプを設置しています。そして、ここから安全に脱出をはかるために、彼らの黒い竜の討伐に力を貸すことになりました」
「黒い竜? 私を襲ったナル……」
マリアが何かを言いかける前に先にミカミが答える。
「いいえ、あなたを襲ったのとは別の新種のようです。新種は二頭いたんですよ、そのせいで情報は錯綜。私は運なんていうものは信じていませんが、今回ばかりは本気でカスチェイ・デ・キリコを解剖してみたいと思いましたよ。ええ……そういうわけで、ハンターたちよりも我々はひどく混乱していることでしょう。ここがどういう場所なのか、彼らは何者なのか、私たちは無事にここから帰ることができるのか。今生きているということ以外はすべてが謎です。この謎を解き明かしていくにはどうしたらいいのか。自らも王立書士隊の一員であり、またその首相ジョン・アーサーを父に持つあなたならお分かりかと思いますが」
「……どうすれば?」
中立で決してこびない声にマリアが恐る恐る尋ねる。ミカミは表情を崩さないまま、じっと彼女を見つめてこう言い放った。
「目の前のモンスターを、狂竜モンスターを倒して倒して、道を切り開く以外に方法はありませんよ。私の分析ではその可能性は50%、すなわち生きるか死ぬか」
「……あなた、それでも科学者なの? 確率っていうのはね……」
「我々の元いた場所でなら、私の言っていることはデタラメと断言できるでしょうとも」
マリアはしばらくミカミの言っていることを理解できなかった。この女性は一体自分に何を言おうとしているのか? バークレー・ミカミはナンセンスなことを言う人物ではないのだから、そこには必ず真意があると思い込んでいた。次に出たミカミの答えは至って明快だった。それがマリアにとって理解しがたいものであることは言うまでもないが。
「私が難しいことを言ってからかっているのだろうと思っているのなら、それは違います。ただ私は、このアクラ地方では我々の今までの常識を忘れるべき、と言いたいのです。セルゲイも言っていました。ここでは力が全て。あなた方の役目は一旦終わった。それとも貴方は目の前の現実に対しても、確率論について講釈垂れるおつもりですか? 詳しい話は他のお仲間さんから聞くのがよろしいかと、今呼んできますよ」
「歯に衣着せぬ物言いね……新大陸人かしら? まあいいけど。それじゃしばらく休んでていいってことね」
「その通り。あなたはもう少しベッドで身体を休ませていた方がいい」
「……えっ、あーちょっと?」
マリアの呼びとめも聞かず、ミカミはテントから出て行った。しばらくすると、紫色のローブの集団が彼女のそばにやってくる。
「目が覚めたのですね。ああ、本当に良かったマリア!」
パスカルは久しぶりに彼女の顔を見ることができてホッとしたのか、その場で膝を震わせながらも彼女に抱き着こうとした。周りに人がいることを思い出して我に返ると、気恥ずかしそうに伸ばした手のやり場に四苦八苦する。その後ろでパオやアイリーン、シロッコといったメンツが同じく安堵の息を漏らし笑顔で彼女を迎え入れる。
(命拾いしたのに、なんだか素直に喜べないわね)
マリア・アーサーはミナガルデ直轄王立書士隊として、またギルドナイツとしても今後の生き残るための一手を考え始めた。王立書士隊首相の娘でありながら、シュレイド現国王の勅命により与えられた座。自分の立場がこの先、この王国にとってとんでもない一手になるということを彼女はまだ知らない。
「今調査隊のハンターたちは、どうなっているの?」
「ああ、それはですね……」
***
アクラディ・アウス・レグヌムに続く洞穴から数キロ離れた樹海の一帯。陽光を覆うほど背の高い木々の数々と凸凹とした岩場に挟まれた天然のコロシアムで、まず一つ目の戦いが行わようとしていた。黒い風に当てられた獣達が互いの縄張りであることも忘れて暴れだすのを防ぐために、一行はわざと閉鎖された空間に追い込む工夫を行っていた。理性を失い暴走するモンスターを誘導することは一見して困難に思えたが、どういう訳か戦闘意欲は増しているようで、こちらが少し敵意を表しただけでモンスター達はしつこく狩人達を追い回した。
コロシアムに渦巻く黒い風。それは今、ロロア率いるロレンスチームの対峙する迅竜ナルガクルガの口から洩れていた。原始的な風貌を残す四肢は黒い体毛に覆われ、両腕にはブレード状の翼が見える。目は普段よりさらに毒々しい紅い光を放ち、瘴気に当てられた顔は牙を剥きだし血に飢えた鮫のように醜悪である。不快な周波数
の甲高い咆哮がすると、さっそく攻撃のモーションに入るかのようにこちらに狙いを定めて体をうずめた。
「これが狂竜ウイルスか……話に聞いていたよりもなかなかおぞましい見た目だな?」
「なんだか苦しんでいるようで心が痛みますわね……狂竜ウイルスとは」
ナルガクルガが跳びかかるようにして腕の刃を振りかざす。狙いはムラマサだった。彼は軽い身のこなしでこれをくぐるようにかわすと、すぐに振り返ってまた隙をうかがう。そのままナルガクルガが彼を狙うのを見て、ロロアは背中に括り付けられた真っ黒な立方体の形をした物体を取り出した。長いこと狩人をやっている人間であるならば、トリガーやリムの存在からしてそれがかろうじてヘビィボウガンであることは分かるかもしれないが、この武器の特徴は今までにない新機構にある。
立方体のカバーを開くと、四つに分かれた弾倉が不格好に飛び出す。それぞれに弾丸を込めると、なんとロロアはその場で黒い箱をバラバラに分解した。
「……ほう、ロロア殿。いきなり『四ノ型』で戦うつもりか」
「こういう敵は無理に狙おうとせずに、自分から照準に飛び込むのを待つべき。師匠の言葉だ」
分解された四つの黒いパーツが各自で変形を始めると、グリップのついた超小型のボウガンに変形した。そのうちの一丁を手にもつと、残りのパーツをコロシアムのフィールドに放り投げた。
ナルガクルガは依然としてムラマサを追い続ける。跳びかかりを脇にかわされると、太く柔軟な尻尾で薙ぎ払おうとする。だが薙ぎ払いに捻った身体の後ろ足にに龍
騎槍ゲイボルグの痛い一撃が刺さる。ムラマサに気を取られていたナルガクルガは背後から近づくエンプティの存在に気づかず、尻尾の薙ぎ払いはそのまま明後日の空を切る。さらに尻尾が引いた後、畳み掛けるようにヴェロニカの縦殴りがナルガクルガの頭部に吸い込まれた。鈍い音と硬い音がしてナルガクルガは悲鳴を上げるが、絶命には至らない。本能の中の最期の理性が働いているのか迅竜は一度距離を取ると、素早い動きで再び体制を立て直そうとする。
だが、迅竜にそのチャンスは訪れない。待ち構えていたかのように四方から弾丸の応酬がナルガクルガの体に突き刺さる。赤黒い形相が驚いて辺りを見渡すが、ロロア達の他に敵の姿が見えない。それもそのはず、弾丸を放ったのはロロアが先ほど展開した、『伏兵』なのだから。その『伏兵』たちはコロシアムを包囲するように地面や岩陰に刺さっていた。単体としての威力は低いが、ナルガクルガの動揺を誘うには十分だった。
赤い眼光がさらに輝きを増す。薄暗いそのコロシアムでは、流星のように伸びた残光が不気味に垂れる。いよいよ最後の理性の錠がはずれかかっているのか、それ以降迅竜は動きに全くの秩序もなく暴れはじめる。闇雲に刃翼をふりかざしては、ムラマサの軽い足取りに嘲られ、振り返ってはヴェロニカのスタンプを頭に受け、遠くのロロアに気を取られては、エンプティに足元をすくわれる。引こうとすれば弾幕の応酬。必死に振るった棘の逆立つ尾の薙ぎ払いはエンプティの持つゲイボルグの大盾に阻まれ、ますます迅竜は冷静さを欠いていく。
「なんだか一方的な戦いになってきたな……」
「いつものナルガクルガなら、拙者たちはもっと苦戦していたのではないだろうかのう……」
ナルガクルガの体に異変が起こる。体力を消耗して狂竜ウイルスへの免疫を完全に失ったのか身体を取り囲む瘴気がさらに激しくなった。もはやロロア達の姿すらも見えていないようで、手当たり次第に周囲のものをぶち壊そうと岩に噛みつき、木を薙ぎ払い、闇雲に尾の棘をまき散らす。かつて迅竜の名の通り、アクラの樹海で幅を効かせていたという暗殺者の面影はない。駄々をこねる子どものように、腹這いになって地面をひっかき、心をかき乱すような奇声をあげる下賤な獣がそこにはいた。
「ひどい……こんなことがあっていいのです?」
ロロア達が手を加えずとも、ナルガクルガは自滅の一途をたどっていった。既にヴェロニカが付けた打撲痕も判別できないほど、岩に打ち付けた頭部は耳が欠けて歪に変形し、無理な動きに耐えかねた腕や脚が出血を起こす。もう戦いではないと、それ以降四人はナルガクルガから距離を取ってその最後を見届けることにした。
「メヌエラは死にもの狂いで暴れだすと言っていたが……こりゃあ別の意味でやられかねんのう……」
「こんなやつらをあと何体も相手にするのか……」
とうとう腱が切れてしまったのか、荒い呼吸に体を上下させながら迅竜だったそれはコロシアムの中央にうずくまった。上等な黒い毛皮は黒い血液に光沢を帯び、流星は燃え尽きたかのようにその光を失った。興奮していた頭部の赤い耳はすでにその色を暗くしていた。目の流星が消える寸前、エンプティはその最後に目が合ってしまった。狂気に支配された者の最期を見て、彼は激しい嫌悪感に襲われた。――次はお前の番だ。音の無い彼の世界で、すうっと犠牲者の最後の声が聞こえた気がした。
四人の後ろから、スカルボが現れた。彼女は声をかけようとしたが、ロロア達の様子を見てそれをやめた。ロロア達が狂竜ウイルスの最期を見届けてしまったことは彼女にはすぐに理解できたからだ。
(そっかぁ見ちゃったかぁ……でも、これはまだ症状のほんの序の口なんだ。落ち込んでいる時間はないよ、ロロア……)
スカルボはナルガクルガの絶命を確認しただけでその場を去って行った。すぐに次の狂竜モンスターの対応にするために、各チームに伝令をしなければならないからだ。
ロロア達の、アクラ地方ではチームとして初の討伐であった。
***
「……ハンターをやってて、ここまで後味の悪い勝利は久しぶりだよ」
「全くね、さっさとこんなところおさらばしたいところよ……」
エドワードとアリスはあたりの惨状を目に心を痛める。土壌はいくつもの爆破の焦げ跡と爪痕、打撲痕が激しく残り、その上から黒紫の毒々しい瘴気が塗りたくられた地獄絵図から目をそらしたい思いで一心だった。
ロロア達の戦いから数分後、樹海の別の場所でも狂竜ウイルスに当てられたモンスターの討伐がまた一つ完了していた。獣竜種、ブラキディオス。群青色の光沢のある甲殻に拳状に堅く発達した前足、頭部の特徴的な尖殻などで知られるこのモンスターも、狂竜ウイルスの影響によって変貌を遂げていた。エドワード率いるトロイトチームは辛くも勝利した。というのも、やはりブラキディオスが体力を消耗するにつれて暴走を始めて目も当てられない状態になったからだ。見境なく地面を殴りつけ、粘菌を闇雲に振りまいては敵味方もろとも自爆しはじめる。いたずらに己の身体を破壊し尽くした先に待っているのは耐え難い苦痛と死のみ。
「セルゲイ達の言っていたブラキディオスか?」
「おそらくね……僕たちとやりあう前からかなり消耗していたみたいだけど……それにしても危なかった」
カスチェイが傷の手当てをガロッキアにしてもらいながら、エドワードに尋ねた。ブラキディオスの暴走にも関わらず果敢に突っ込んだカスチェイは、さきほどまで瀕死寸前のダメージを追っていた。というのも、狂竜ウイルスをハンターが克服するには攻撃行動を繰り返して免疫を高めるしかないとフォルランに教えられていたからだ。
「『宿命の戦い』を強いるウイルス……なんてな。つくづく悪趣味な野郎だぜ。早いとこメヌエラ達が何とかしてくれないと、アタイらもそのうち……」
「……? カスチェイ?」
カスチェイの発言に何か引っかかることがあったのか、エドワードはもう一度カスチェイに聞き返す。
「あん? だから、早いとこメヌエラ達が……」
「もっと前だ」
「『宿命の戦い』を強いるウイルスのとこか?」
「……」
エドワードの中で突如大きな心の蟠りが芽生える。『宿命の戦い』、どこだ? 一体どこで僕はこの言葉を耳にした? 何か重要なことを忘れている気がする。目を閉じてこれまでの自分の行動を振り返るものの、引っかかる場面も書物も経験も、彼には引き出すことができずにいた。
「エドワード……?」
「いや、思い過ごしだったようだ。スカルボとかいう子に連絡するまではここで待機だったな。パオさんのために、一応採取できるサンプルは取っておいてあげよう。狂竜ウイルスの秘密が何か分かるかもしれないし」
そう言ってエドワードは戦うときに脱ぎ捨てていたローブの切れ端を器用に裂くと布袋を作り、汚染された土を直接肌で触れないように注意しながらすくって入れた。
「さすがです、しっかりしていますねエドワードは」と、これはガロッキア。カスチェイの治療を終えると、ガロッキアは腰に差していたサーブルスパイクを取り出して砥石で磨き始める。歯がボロボロで、最早砥石などほとんど意味のないようにもエドワードには思えたが。
エドワードはガロッキアに言いたいことがまだあった。多くのハンターが装備をGクラス相当のものまで強化しているにも関わらず、なぜガロッキアは『サーブルスパイク』なのだろう。サーブルスパイクは一般的にノーマルクラスのハンターが作る武器であり、そこからさらにGクラス性能に強化していけるはずなのだ。このようなことをハッキリ言いたくはないが、武器の性能から見ても彼は明らかにチームの中で戦力不足であった。これまで彼がしてきた行動と言えばほとんどがカスチェイのサポートのみ。確かにゴア・マガラ戦の時、彼もサーブルスパイクをふるって戦闘に参加していた記憶もある。
(あれ……? さっきのブラキディオスの戦い、参加していたよな……? だめだ、なんでこう僕は大事なことが思い出せないんだ……)
悩むよりはいっそ聞いてしまおうか、エドワードはカスチェイにひとまず尋ねた。
「ねえガロくん」
「はい、どうしました? 何かカスチェイがご迷惑を……?」
「いやそうじゃなくてさ。君の武器、どうしてGクラスの素材で強化しないの? 君とカスチェイならベリオロスだって倒せない相手ではないと思うんだけど」
少しの間が流れた後。ガロッキアは頭をかきながら恥ずかしそうに応えた。
「いやぁ、お目当ての素材がどうしてもでないんですよねぇ。コイツのせいで。防具だけはこいつに会う前から揃えてたんですけど……」
「……そ、そうか。君も大変だね……」
「全く、エドが羨ましいです。狙っている素材は大抵出てくるんですからね」
ぎこちない笑いをしてエドワードは話を中断した。
(なんだ、気のせいか? 確かにあり得ない話ではないな。この人の不幸体質は折り紙つきだし……でも、この違和感はなんだろう)
素顔が見えないだけに、エドワードにはガロッキアの考えが読めずにいて、それがまた不安を煽るのだ。以前も彼はガロッキアに素顔を見せてもらおうとして有耶無耶に誤魔化されたことがあった。本人はひどい火傷の痕があるからと言い、また前にも同じことを言われて素顔を一度見せたことがあるのに、と口を滑らせたことがあった。だが、どうしてもエドワードにはその記憶がない。やはり誤魔化しているようにしか見えない。
(と、とにかく今は集中しなければ。生き残っていること自体奇跡なんだし、これ以上僕のわがままでチームに混乱を招くことはない)
気持ちを切り替えることでエドワードはそれを誤魔化した。スカルボから作戦中断の連絡を受けて、トロイトチームは一度アクラディ・アウス・レグヌムへと帰還した。
ゴア・マガラの討伐作戦が中断された。調査隊のハンターたちの助力があってもなお、縄張りを超えたモンスター達がメヌエラ達の妨害をし始め、これ以上の戦闘が困難と判断されたからだ。アクラディ・アウス・レグヌムのギルドホールには、戦いを終えた者たちが手当てを受けながら互いに情報を共有していた。
「すると、エドワードたちの相手もか……」
「狂竜ウイルスの名の通り、見境もなく暴れだして手が付けられなくなったよ。そっちは?」
「リオレイアだ。ウイルスと毒のダブルパンチ、たまんねえな。エリフも俺もウイルスちょっと食らっちまったが、克服はできた」
ドルコンとエドワードが会話をしていると、奥から手当を受けたカスチェイが二人に割り込む。
「お前たちはラッキーな方だぜ。セルゲイ達は派手にやられたみたいだ」
カスチェイ達が顎で指した方向に、右肩に包帯を大きく巻かれたセルゲイが床に座っていた。ボーっとした様子で遠くを眺めている。
「今度は狂竜化したティガレックスだとよ。なんとか麻酔玉で動きを鈍らせたが、ゴア・マガラとやりあう大混戦だったらしい」
「げっ……死にもの狂いで暴れだすティガレックスとか、考えたくもねぇな……」
「そんな状態の樹海で、僕たちが今まで狂竜化モンスターに出くわさなかったのはむしろ素晴らしい幸運だとは思わない?」
「ああ。お前の激運に感謝だな、全くよう」
エドワードとドルコンはそう言いながらカスチェイの方をチラと見た。彼女は至って何も気にしていない様子で首を傾げながら「アタイの顔に何かついてる?」と尋ねるだけであった。
「酷くやられたな」
「スヴェンに比べれば大したことはない……この文明の力を借りたとしても、まだハンターとしてやっていけるか……」
セルゲイの隣にロロアがやってきてその隣に座り込んだ。
「俺はどうしたらいい、教えてくれ」
不意にセルゲイの口から情けないセリフが漏れる。これまで調査隊の指揮を執ったベテランハンターとしてのカリスマと武神の異名は崩れ、自分の進むべき道に迷いを感じ始めたひとりの人間がそこに座っていた。
「お前は凄いやつだ。お前ほどの年で、そこまで行動ができる人間はほとんどいない。かと言って、何も考えない命知らずとも違う。……だからこそ俺はお前が時々怖くなる」
語尾に向かうにつれて声が震えていくのがロロアにも分かった。
「守れなかった命の責任を俺はどうとったらいい? どのような顔をしてミナガルデの連中に合わせる顔がない。長い間調査隊のメンバーとして参加していたが、ここまで追い詰められたのは初めてだ」
「……」
やれやれといった調子でロロアは苦笑いする。
「いい年したおっさんが、女相手にだらしないぞ?」
「……すまんな」
「私たちはやれるだけのことをやっている。セルゲイ、あんたがリーダーだったからここまで生き残れた。スヴェンだってそう思ってるはずだ。あんたがリーダーだから死なずに済んだ。ハンターってのはいつだって死と隣り合わせの仕事だと言われるが、死ぬ可能性があるのは狩人もそうでない人間も同じなんだ」
「何が言いたい?」
「周りをよく見てみろよ、セルゲイ」
ロロアに言われてセルゲイがギルドホールの様子を見る。あちこちを走り回る王立書士隊や物品の管理を行う商業ギルド、パトリックら医療班。さらにアクラディ・アウス・レグヌムの住民などが混じってハンターたちのサポートにあたっていた。パオとシロッコ、ミカミがエドワードの持ってきた汚染された土のサンプルを手に何かを話し合っている。ムラマサは身振り、ヴェロニカは派手なオノマトペで目撃した狂竜化したモンスターの説明をし、オネゲルは頭を抱えながらもメモをとっている。パスカルやスカルボ、マリアはパトリックの指示のもとで怪我をしたハンターの手当てをする。
「私たちはほとんど狩場に行きっぱなしで気付かないんだろうけど、戦ってるのはハンターだけじゃない。みんながそれぞれの戦いをしているんだ、生き残るために。自分一人で戦ってるんじゃない。あんたはリーダーであると同時に初めから一人の人間なんだ。背負いすぎることなんて初めからなかったんだよ」
「……さすがは我が同郷の弟弟子、口が達者というところだな。ロロア・ロレンス」
セルゲイが不意に『同郷』という言葉を口にしたのでロロアも驚いた様子でセルゲイを見た。
「同郷って……うそだろ?」
「だが、お前の言うことも全て正しいという訳ではない。夢を追いかけるために、時として背負わなければならないこともあるとは思わんか?」
「夢?」
目を丸くしてロロアが聞き返すと、セルゲイはこう答える。
「カドワキ・ミヤビ」
「え?」
「あいつはな。俺たちハンターに夢を託していた。この世界を解き明かすために、あらゆるものをこの目で確かめる必要があった」
そう切り出してセルゲイはふと遠く、天を仰いだ。記憶の底からこれまでのカドワキとの思い出を引っ張り出すと、それを流れるままに漏らした。
「これまでの調査隊で俺とあいつはそれを見つけてきた。クシャルダオラ脱皮の瞬間。当時未知数であったティガレックスの分類。銀色の太陽、黄金の月の伝説。ラオシャンロンの徘徊を利用した古代文明の暦の発見。俺たちの数々の活躍の陰に彼らがいるのなら、彼らの活躍の陰にも俺たちがいるというわけだ」
カドワキの名前を聞いてロロアはハッとした。セルゲイの中でいまだに彼の心意気というものが生きていた。身体をボロボロにしてもなお、未知なるものを追い求めようとするその姿は王立古生物書士隊にも引けを取らないのかもしれない。
「……それもそうだな。それじゃお互いに大事ってことにしておこうか?」
大小二つの拳が付き合わされて、ロロアとセルゲイは別れた。ロロアはその後調査隊の様子を見に、セルゲイは他のチームの様子を見に行くために動いた。
「狂竜ウイルスの正体、分かったか?」
「結論から言うと、ゴア・マガラの鱗粉ですね。かなり細かく一粒一粒の毒性は小さいですが、なにぶん簡単に体内に入り込んでしまう。呼吸量の多いモンスターならなおさら。でも、これなら対策のしようはあります。解毒のコツは毒をもって毒を制することです。もっと成分を細かく分析すればあるいは」
フォルランとミカミが頭を突き合わせて会話をしていた。フォルランは笑顔を張り付けてなんとかミカミと会話を続けるが、眉間にしわが寄っていることを隠すことはできなかった。どうもそりがあわないらしい。
「旧文明の残り、オーバーテクノロジーと聞いてはいましたが……全て私の予想の範囲内。正直がっか……」
「はーい、ミカミさんそれ以上しゃべらないで!」
せっかくの友好関係ぶちこわしてどうするんだ、とパトリックに諭されるがミカミはこれといって悪いことは言っていないとという様子で不思議そうに彼を睨み返した。
かくしてフォルランとミカミの共同研究により、狂竜ウイルスについての研究がすすめられていた。
「まあ事実、我らの考えもしないアイディアがそちらにあったということは認めよう。我々だけの知識ではここまでたどり着くことはできまい……少し見直したぞ、旧大陸の研究者と言うのも」
「それは聞き捨てなりませんね。やはり国交を断絶した土地の人間と言うのは頑固でむち……」
「そーれーで、結局我々はどうやってこの黒い風の対抗策を?」
パトリックが遮るように話の筋を戻した。命知らずなハンターの妹を持つせいか、パトリックは年下の女性というものに世話を焼きたがるらしい。
「モンスターの狂竜化を沈静化するワクチンのようなものが作れるかもしれない……ということか、さすがはシュレイド一の頭脳を持つミカミ殿」
しばらくの沈黙が続いた後、ギルドホールの一角で歓声が上がった。小柄な白衣の女性と大柄な猫背の男が真顔のまま王立書士隊の一団に囲まれているのが見えた。
「信じられない……この短時間でもうそこまで?」
「まだ作れると確定したわけじゃない。書士隊はこれから言う素材を総動員してかき集めろ! いいな?」
「了解!」
(みんないい顔してる……)
息を吹き返したかのように温かみをましていくギルドホールの空気を、ロロアは感じていた。何度挫折を味わおうとも立ち上がる不屈の精神をそこに垣間見た。戦って戦って、今なお進化を続けている人間の姿がそこにはある。まだまだこの先どうなるか分からないと、彼女は再び希望が湧きあがる思いがした。人間たちの反撃が始まる、そう予感していた。
アクラの樹海の奥深く。ここにも戦いに戦いを重ね、『進化』を遂げようとする者がいることを彼らはまだ知らなかった。
耐え難い苦痛に打ち克ち、遺伝子に植え付けられた闘争本能が幾度の宿命の戦いを乗り越えさせた。身体の底から湧きあがる破壊衝動を、目に映るものすべてにぶつけて、命あるものを片っ端から食らい尽くして。あらゆる技をこの目に見て。
――もっと力を。
見るも無残に形骸化した雄火竜をその足で蹴ると、返り血にまみれ不気味に甲殻を赤く染めた一匹狼は漆黒の風、その風上を目指して飛び去った。