ココット村から少し歩いたとこにある森のさらに奥深くで、何処からともなく湧き出た天然水の川が土を削る渓流。透明な水面は木々の葉の隙間を縫うように差し込んだ陽光を反射して、風でそれらが揺らめく度に光は生き物のように動く。そんな水面のすぐそばで、頭部を真っ赤にした猪の死骸が横たわっているが、そこからにじみ出る黒く変色しかかった血は水の流れに混じると数秒も立たぬうちに透明な水との区別がつかなくなった。
川の両端をまたぐように生えている巨大な木の根に座りながらクラウスは自身の垂らしている釣り糸をひたすら眺めていた。彼は今、村長の指導のもと、ハンターの基本中の基本である釣りについて訓練をしている。
(訓練って、ただの釣りじゃないか!)
正直なところ、思い描いていたハンターとのあまりのギャップに彼は半ばうんざりしていた。これなら訓練所で大剣を素振りしていたあの頃の方がよっぽどハンターらしいとさえ彼は思った。ここまで彼がやったことといえば年老いた猪を隙をついてハンターナイフで仕留めただけ。
ココット村に帰ってきてから村長がクラウスに言い渡したクエストの内容は、まずハンターとしての基本を学ぶこと。すなわち釣り、調合、武器の扱いの三つ。そのうち調合の基本を終えて現在は釣り。言われていたポイントまでたどり着き、途中で遭遇した猪、ブルファンゴを難なく仕留めたクラウスは目的のサシミウオを釣り上げようとしている。
何事も焦りは禁物――ココット村の村長の口癖を何度も言い聞かせてクラウスは忍耐づよく竿を握り締めていた。村長によれば、ハンターたちはみんなここからスタートしたのだという。
我慢の末、ついに糸を引く感覚を感じた彼は、待ってましたと言わんばかりに竿を引き上げた。水面が大きくはねると、波紋の中心から紅い鱗を持った大きさ三十センチほどの魚が飛び出して川の端に引っ張りだされた。サシミウオはしばらく土の上でバタバタと暴れていたが、やがて口をパクパクさせるだけでおとなしくなった。先ほどのブルファンゴの突進といい、本では味わえない生命の思わぬ反撃に驚きと喜びを感じつつも、彼はおとなしくなったサシミウオを水瓶に放り込んでその場を後にした。
村長の与えた三つのクエストでクラウスがもう一つ気に入らなかったのが武器の扱いというもの。相手が動かない丸太であったとはいえ、訓練所で一通りの武器の扱いは学んでいた彼にとってこのクエストはとうとう我慢がならなくなった。
「村長、早く俺に肉食竜の討伐とかやらせてくれよ!」
クラウスのお願いも虚しく、村長は武器の扱いのクエスト受注書を彼に与えた。クエストの成功条件には草食種、アプトノスの生肉を納品すること、と書かれている。
「このクエストを受けてみれば、お主もハンターとして生きることの覚悟を理解するじゃろうよ」
眉をひそめるクラウスをよそに村長はにこやかに答えた。
「ハンターとして生きることの覚悟って何だよ?」
「すぐにわかる。ああそれと、今回からモンスターの素材を剥ぎ取るためにナイフを使うことになるからの、モノは試しに自分でやってみろ」
村長はハンターナイフよりもさらに小さいナイフをクラウスに手渡した。
「なるべく活きのいいやつから生肉をとってくるのじゃぞ、鮮度が大事じゃ」
「剥ぎ取りだか何だか知らないけど、あっという間に終わらせてやるよ。これが終わったら今度こそ肉食竜の討伐とか用意してくれよ!」
ナイフを腰のベルトに差すと、休むまもなくクラウスは再び森丘へと足を運んだ。
村長は走り去るクラウスの背中を見て一抹の不安を感じていた。なぜならこのクエストは武器の扱いなどではなく、もっと重要な意味を持っていることにまだ彼は気づいていないからだ。新米ハンターは最悪このクエストで夢を諦めてしまうことさえあるというのに。
***
再びクラウスは森丘にやってきた。今度の狩り場はキャンプから近い開けた草原だ。広く浅い河川の側で草食種のアプトノスは群れを形成して暮らしている。とても大人しく、クラウスが近づいても特に怯えることもなくのんびりとしているので、これから行う行為に彼には若干の罪悪感が芽生えていた。
(生肉って......あれを仕留めて解体するんだよな)
幼少期は好奇心から虫を潰したりして遊んだこともあったけど......さすがに少し気が引けるらしい。ブルファンゴを仕留めたときはこんな気持ち湧いてこなかったのに、思わずたじろいでしまうクラウス。アプトノスに向けたハンターナイフの切っ先はガタガタと震えていた。
意を決してナイフをしっかりと握り締め、アプトノスの首めがけて振りおろした。突如とした首への激痛がアプトノスをパニックに陥れる。異変に気づいた群れの他のアプトノスも慌てて川を越えて逃げようとする。
しかし、目をつぶったまま切りつけたのが災いしてアプトノスはその一撃では絶命しなかった中途半端に首から息が漏れ出して苦しそうに呻き、もがく。
(うえっ、あ、暴れるな......暴れるなよ......)
***
数分ほど、クラウスは川の水でうがいをして喉に残る違和感をなんとか消そうとした。彼はしばらく意識を失っていたようだ。我に帰ったあと、手や防具に残る黒い血もできる限り洗い落としたが、それでも不快感が消えることはない。
想像を絶する感覚にクラウスは激しく動揺した。ナイフを振りおろした瞬間おぞましい感覚が自身をかけ巡った。何の罪もない草食種の生き物、おそらくまだ子どものアプトノスを自分が殺した。本などでは到底感じることのなかった生き物を殺す感覚を彼は深刻なまでに覚えた。
苦しそうにのたうちまわる若いアプトノスを見て、クラウスはハンターを目指した自分を後悔したし、激怒した。自分はこんなことをするためにハンターになったのではないと。
「こんなことするために…ハンターになったんじゃ…げぇ」
吐瀉物と涙でぐちゃぐちゃに汚くなった顔を川の水で何度も洗い流した後も、剥ぎ取るのも忘れてまま彼はしばらく呆然としていた。
「言ったじゃろう? ハンターとしての覚悟を決めると」
結局クラウスは生肉を持って帰ることが出来なかった。サシミウオもろとも腹の中のものを全て出し切りげっそりとしていたクラウスの様子を見て、やはりといった感じで村長は話した。
「どうしてハンターになるために、あんなことをしなくちゃならないんだよ。これじゃあ…」
納得がいかないという調子でクラウスは凄んだが、村長は落ち着いた様子で、言葉を割り込ませた。
「自分の思い描いていたハンターとは違うか? ハンターってのは人に害をなす肉食竜や飛竜を倒すのだけが仕事だと、本気で思っておったか?」
村長の言葉をクラウスは嫌と言うほど痛く受け止めていた。現実はやはり本の中の世界の様に簡単に割り切れるものではないと感じていた。薄々わかってはいた。自分たちが普段肉や魚を食べているのもハンターや漁師がその生き物の命を奪ったからなのだ。
命を頂くという行為を身を持って体験すること、それが村長のいうハンターの覚悟らしい。
「やっぱりそう簡単に割り切れないよ…」
呟くクラウスの声は震えていた。命を奪う行為の重さに押しつぶされそうな感覚をついさっき彼は体験したのだ。
「恥ずべきことではない。ハンターなら誰もが通る道なのじゃ。オヌシはモンスターハンターという言葉を聞いたことがあるか?」
「モンスターハンター? 言葉通りの意味じゃないのか」
クラウスが聞き返すと村長は笑いながら続けた。
「ギルドの人間はハンターたちの中でも特に優れたものを敬意を込めてモンスターハンターと呼ぶのじゃ。そもそもハンターというのはのう、クラウス、ただ闇雲に狩ればいい訳ではない。ハンターとは言わば自然を管理する役目を持っているのじゃ」
「自然を…管理?」
「さよう、常に環境に気を配り時に狩猟、討伐をすることで個体数を管理、自然のバランスを保つのが本来の役目なのじゃ、ただ殺すわけではない。時には命を奪わねばならん。そうした自然に対する敬意を忘れてはならんぞ」
それこそがハンターの覚悟である、と村長はそこまで言って再び受注書をクラウスに手渡した。成功条件はやはり生肉の納品である。
「すぐに慣れろとは言わぬ。だが、オヌシがもしそれでもハンターになりたいというのなら乗り越えねばならん」
クラウスが無言で受注書を受け取ると、村長はさらにこう付け加えた。
「そうじゃった、生肉を剥ぎ取ったらのう…」
***
覚悟を決めたとはいえ、やはり生き物を殺す感覚にはまだ抵抗がある。なるべく早く絶命するように子どものアプトノスを狙ってクラウスはハンターナイフを振りかざす。
(迷って手加減したら余計苦しむだけだしな…)
頭に先ほどのアプトノスの悶え苦しむ光景が脳裏をよぎり、急所を狙うことにした。それでも一撃で仕留めることはできず、アプトノスは暴れだした。再びあのおぞましい感覚が全身を走る。もう胃液しかなかったがそれでも嘔吐した。しかし、気を確かに持ったまま今度はもう一撃アプトノスの首をナイフで切りつけることができた。
ついに草食種の巨体が倒れた。ピクピクと痙攣している様はクラウスをさらに追い詰めたが、それでもやがて動かなくなったのを確認できると、力が抜けたのか彼は草むらに座り込んだ。
「ごめんなさい…ごめんなさい」
虚ろげに震えた声で何度も謝罪の言葉を繰り返したあと、クラウスは腰の剥ぎ取りナイフを手にした。
***
「肉焼きセット?」
「さよう、この肉焼きセットでオヌシが手に入れた生肉をこんがり焼くのじゃ」
さっき自分で殺してきた生き物の肉を今度は自分で調理しろというこの村長は相当の人物なのだろうとクラウスは考えた。しかし、今日一日でいろいろなことがあり、しかもさっき胃袋をすっからかんにしてきた彼にとっては、それすらもはや魅力的なアイデアにすら思えた。
「焦がすでないぞ、頂いた命を無駄にするでない」
「わかってる、プレッシャーかけるなよ村長!」
ここで肉を焦がせばまたアプトノスを殺して肉を剥ぎ取ってこなければならない。さすがに今日これ以上あんなおぞましい思いをするのはゴメンだ。絶対に成功させなくては。
焼き加減に目を配り、ハンドルを回しながら火を通していく。そろそろか、いやまだか、そうこうしているあいだに肉からは香ばしい匂いがただやってきた。
「今だ!」
掛け声と共にクラウスが肉を火からあげる。恐る恐る確認すると、肉は程よい焦げのついた美味しそうなこんがり肉になっていた。初めて自分で頂いた命、責任を持って調理し、手に入れた食料だ。
「モンスターハンターの世界へようこそ。歓迎するぞ、クラウス・クローゼ」
微笑む村長を尻目にクラウスはこんがり肉を上に掲げて力の限り叫んだ。
「じょ、上手に焼けました!」