リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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失楽園の日、遂に始まる。

それはそうと疑問なのだが、07年版赤騎士創造の“無限に広がる爆心地”って本当に無限に広がるのだろうか?


第二十五話 失楽園の日 其之壱

1.

 病室の白いベッドの上、手摺りに体重を掛けて起き上がる小さな少女。

 

 その額に浮かぶのは、苦悶が故に流れる脂汗。

 無造作な寝癖と汗に桃色の髪が張り付いて、それを不快に思う余裕すらもキャロにはない。

 

 動かないのだ。腹から下のその部位が、まるで自分の物ではないかの如く。

 重い錘を引き摺っているかの様な倦怠感。中途半端に残る触覚だけが、その異常を確かに伝えて来る。

 

 真面に起き上がる事すら出来ない身体。両手に如何にか力を込めて、上体を起こして息を吐く。

 そうして口に呟く名前は、己をこんな身体へ変えた、そんな少年の名前であった。

 

 

「エリオ君」

 

 

 断ち切られた胴は如何にか再び繋がったが、神経系には異常が残っている。

 それでも腹から下を槍で切り落とされて、こうして命がある事自体が幸運だろう。

 

 貶められた半身不随。最早自由に立って歩く事も出来なくて、其処に感じる想いはある。嘆きや悲しさは確かにある。

 それでも、それだけだ。悲しいと言う感情は恨みに変わらず、こんな状態にされた今となっても、彼へと向ける想いは変わらない。

 

 

「奈落。其処に君が居る」

 

 

 夢に見ていた。夢で見ていた。ほんの僅かな一瞬に、夢界に繋がれ掛けた少女は垣間見た。

 堕ちていた。奈落の底へと堕ちていき、悪魔の贄となったその姿。嗤う悪魔に食い潰されて、底の底に繋がれていた少年を。

 

 その悲痛な叫びを前に、助けの手を伸ばしたいと思っている。何も出来ないと知っていて、それでも駆け付けたいと願っている。

 誰にも頼れなかった少年だ。頼れる人が誰もいないから、誰にも頼らず生きるしかなかった。そして生きて来れてしまった。そんな悲しい少年だ。

 

 だからこそ、その最期は孤独となろう。無頼を貫き通せてしまったから、きっと助けは得られない。

 そうと分かって、だから無意味であっても傍に居たい。この想いが無価値であっても、その傍らで支えたいと願っている。

 

 それでも、そうと出来ない理由があった。

 僅かに触れて消えたその手の、確かな温かさが残っていた。

 

 

「ヴィヴィオ」

 

 

 それは友達の名前。友になるのだと言葉に誓って、当たり前の平穏を共に過ごした少女の名。

 魔鏡と堕ちた彼女はしかし、それでも堕ちきってなどいなかった。ヴィヴィオは彼女を、奈落に繋がなかったのだ。

 

 眠るキャロにその手で触れて、確かに其処で逡巡したのだろう。

 微かに一度は繋がったから、その悪夢の景色を垣間見た。それでも堕とそうとした時に、ヴィヴィオは其処で立ち止まった。

 

 

「貴女はまだ、全てを捨てた訳じゃない」

 

 

 奈落に繋がれた人々は、夢の世界で悪夢を見る。

 反天使の力の増強装置となり、故に彼らの攻撃対象からは外される。

 

 その数が力を保証するのだから、好き好んでその土台を壊そうとする反天使などいない。

 それでも、絶対に安全と言える立場ではない。奈落の一部になると言う事は、彼らの糧となるも同義である。

 

 意図して潰される事はないが、無理な力の行使をすれば消費する。

 生かさず殺さず搾り取っている内ならば問題ないが、大規模な力の行使は材料となった人々の命を使う。

 

 悪魔たちが廃神として、己の異能を行使するだけなら何ら問題はないだろう。

 だがその本分から外れる程に、消費は大きくなっていく。そして最初期の奈落を広げると言う行為は、正しく過度な消費に当たるのだ。

 

 奈落に喰われるだけならば、意識を保っているより危険が少ない。悪い夢を見るだけ、身体が疲弊するだけ、その程度で済む話。

 だが、ミッドチルダと言う土地だけは例外だ。その世界を中心とした一桁代の次元世界。最初期に堕ちる世界群だけは、犠牲となる危険性が跳ね上がる。

 

 だからヴィヴィオは迷ったのだ。眠るキャロの首に手を掛けて、それでも奈落に堕とさなかった。

 それは一つの証左である。嘗て彼女が母を庇った様に、そして今友達を殺せなかった様に、ヴィヴィオ・バニングスは消えていない。

 

 微かに触れたキャロは気付いている。魔鏡と言う悪魔はしかし、救えない怪物などではない。

 彼女が今も友達の事を大切な記憶と残しているならば、きっとキャロの手は届くのだ。この声は届く、想いはきっと伝わるのだ。

 

 

「エリオ君。ヴィヴィオ」

 

 

 奈落に堕ち掛けたキャロには分かる。あの人の憎悪で生み出した地獄の先に、手を届かせる事など出来ない。

 キャロ・グランガイツでは不可能だ。只管に一つを願って堕ちても、最下層たるジュデッカに辿り着く前に止まってしまう。彼女にエリオは救えない。

 

 その手に掛けられなかったキャロには分かる。ヴィヴィオは今も境界線上の上に居て、逡巡のままに立ち止まっている。

 このまま放置していれば、必ずその心は暗く染まって消えるだろう。それでもこの今に想いを確かに伝えれば、まだ引き返せる場所に彼女は居る。キャロがヴィヴィオを救えるのだ。

 

 救えない。救える。此処にあるのは一つの天秤。

 愛と友情を秤に掛けて、揺れる天秤は答えを既に示している。

 

 

「ごめんね」

 

 

 流れる涙は誰が為か、この今に分かるのは唯一つ。

 どちらも同じく大切だと言うならば、確かにこの手が届く方を選ぶ以外に道がない。

 

 

「さようなら、エリオ君」

 

 

 何となく、予感があった。此処で逢おうと望まなければ、もう最期まで逢えなくなると。

 だから此処に別れを告げて、涙と共に瞳を閉ざす。そして数秒、再び開いた瞳には、最早弱さの色などなかった。

 

 

「ヴィヴィオ。今、助けに行くね」

 

 

 助けに行くと心に決めて、動かぬ足を両手で引き摺る。

 無理に起き上がろうとした代償に、ベッドから転がり落ちそうになるキャロ。

 

 その小さな身体を、白き竜の背が受け止めた。

 

 

「フリード」

 

 

 キャロの身体を背負える程に、大きくなった白竜が視線を投げる。

 歩けぬ少女の足の代わりと、そうなる意思がその目にあった。だからこそ、これは唯の確認だ。

 

 

「連れてってくれる?」

 

「きゅくるー!」

 

 

 優しく背を撫でる少女に向かって、白き竜は鳴き声一つで答えを返す。

 問うまでもない。確かめるまでもない。我が身は動けぬ貴女の足に、共に戦場を駆け飛ぼう。

 

 フリードの力強い一声に、頷いたキャロはその背に跨る。

 両手で如何にかよじ登って、股を締める事が出来ない故に魔法で縛る。

 無数のバインドで下半身を固定して、そしてケリュケイオンを両手に握る。

 

 これで準備は万全だ。そう頷いて、キャロは前を見る。

 

 

「さあ、行こう」

 

「――って、その何処が万全だってのよ」

 

 

 そうして飛び立とうとしたキャロの前に、呆れた表情を浮かべる少女が姿を見せる。

 そうとも、キャロが此処に居るなら、彼女も当然此処に居る。ルーテシア・グランガイツは、向こう見ずに過ぎる少女に苦言を呈すのだ。

 

 

「ルーちゃん!?」

 

「ヴィヴィオの所に行くんでしょ? けど、それだけじゃ足りないわよ」

 

 

 緑色の布一枚。風呂敷の如くに背負って断言するルーテシア。

 キャロと同じく見逃されたその少女は、後手に仮設病室の窓を覆うカーテンを手に取った。

 

 そして、一息の儘に捲り上げる。

 其処に見える光景こそが、千の言葉を語るよりも遥かに分かり易い証明だ。

 

 

「きゃぁっ!?」

 

 

 其処に映った生理的な嫌悪を催す光景に、キャロは思わず叫びを上げる。

 窓の向こうは黒一色。無数の節足が蠢いて、隙間一つなく蟲の群れが蠢いている。

 

 

「ミッドチルダは今、全部が全部この状況よ。海の底から空の彼方、宇宙の果てに至るまで蟲で鮨詰めになってるの」

 

 

 まるで通勤時間の満員電車。或いは押し寿司の詰まった箱。

 入る数に入れる器が見合っていない。そんな状況が、この次元世界全土で起きている。

 

 此処で外に出るとは即ち、この蟲の海に飛び込むと同意だ。

 満員電車の最後部から最前部へと、掻き分けて走り抜ける様な物なのだ。

 

 生理的な嫌悪と怖気を催す光景。震えて見詰めるキャロの視界に、映る蟲がゆらりと蠢いた。

 錯覚だろうか。いいやきっと事実であろう。蟲の群れが嗤っている。蠢く羽音が木霊して、隠れ潜むしか出来ない彼らを嗤っていた。

 

 

「ほんと、趣味が悪い。その気になればいつでも、陸士部隊の隊舎を簡易的に加工しただけの病院なんて、あっさり潰せるだろうに。生き延びて意識がある人間達を脅かして、クアットロは遊んでいるのよ」

 

 

 魔群がその気になれば直ぐにでも、この仮設病院は吹き飛ぶだろう。

 だがクアットロはそれをしない。この女は今も意識を維持したまま、逃げ惑う人々を嗤っていた。

 

 そんな魔群の悪意と気紛れ。だとしてもこの今に、病室内は仮初の平穏を得ている。

 白いカーテンを片手で閉ざして、ルーテシアは無言で見詰める。この地獄の只中へと、本気で飛び出す意志があるのか。

 

 

「……それでも、行くよ。私は、何も選ばない事だけはしたくない」

 

 

 震える声を如何にか落ち着かせて、キャロは確かに言葉を紡ぐ。

 空気よりも多い魔群で満ちた世界の中を、駆け抜けて救いに行くと宣言する。

 

 そんなキャロの姿に溜息を一つ、そしてルーテシアもフリードの背に乗った。

 

 

「ルーちゃんも、一緒に来てくれるの?」

 

「何を今更、……置いてくなんて、許さないわ」

 

 

 一緒に行くのかと言う問い掛けに、返す答えはそんな言葉。

 置いていくなど許さない。キャロの身を誰より案じるこの少女は、戦場で別行動などもう二度と認めないのだ。

 

 

「それに、私にはこれで、切り札があるのよ」

 

 

 ニヤリとドヤ顔で語る少女に、キャロは何処か嫌そうな顔をする。

 これは何時もルーテシアが悪巧みをする時の表情で、きっと彼女は碌な事を主張しない。

 

 長い付き合いの中でそう悟るキャロを前に、ルーテシアは風呂敷包みの中身を取り出し見せた。

 

 

「こんな事もあろうかと! こんな物を用意してみたわ!!」

 

「……えー」

 

「何よ。その反応」

 

「だって、それ。スカリエッティさんの研究所にあった奴だよね」

 

 

 一枚の布切れを丸めただけの包みを開いて、その場に転がるのは無数のロストロギア。

 スカリエッティが研究用の資料にと、その研究施設に安置していた貴重品の山である。

 

 

「それはそれ。これはこれ。裏切り者の忘れ物なんて、湯水の様にパァっと使い切ってやるべきなのよ!」

 

 

 ルーテシアの作戦など単純だ。高密度の魔力を内包するロストロギアを、使い捨ての爆弾にしようと言うのである。

 裏切り者が後生大事に抱えていた貴重品。それを裏切り者の策略を破綻させる為だけに、暴走させて爆弾代わりに放り投げるのだ。

 

 魔群の蟲は数こそ恐ろしいが、個々の強さはそれ程でもない。

 キャロやルーテシアでは一匹たりとも潰せはしないが、ロストロギアを暴発させれば纏めて数十数百は潰せるだろう。

 

 そうして道を切り拓いて、その隙間をフリードに乗って飛び抜けようと言うのである。

 それがルーテシアが企てる乱暴にも程がある作戦で、キャロが考えるだけでも穴が山ほどある強引な手段だ。

 

 

「なんだか、嫌な予感がする。ルーちゃんが自信満々だと、碌な事がないし」

 

 

 人の物を勝手に持ち出し、しかも使い捨てにして放り投げる。

 そんな行為に引け目を感じるのも理由なら、そのロストロギアの暴走規模が分からないのも理由の一つ。

 

 爆弾代わりに暴走させて、自分達が巻き込まれたらどうするのか。

 キャロはそんな白い眼を姉に向けるが、ルーテシアはそんな視線にも怯まず胸を張る。

 

 彼女としても、その選択をする理由があるのだ。

 

 

「シャラップ! 第一、このキモイぐらいに多い蟲、超えないと話にならないんだからさ。他に方法はない、でしょ?」

 

「うっ。それ言われると、言い返せない」

 

 

 壁を一つ越えれば、先にあるのは蟲の世界だ。

 上下左右前後すらも分からない程に、空気よりも大量の蟲が満ちた惑星の中に飛び込むのだ。

 

 魔力障壁を絶やせば即死。砲撃魔法で切り拓くには、二人はどちらも出力不足。

 故にこその過剰火力だ。ロストロギアでも持ち出して纏めて消し飛ばさない事には、ゆりかごに近付く事すら出来ないのである。

 

 ルーテシアは意見を翻さず、姉妹の何時もの遣り取り通り、今日もキャロが譲る事になるのだ。

 

 

「さあ、行くわよキャロ! 道を拓く為に、アイツが後生大事に抱えてたロストロギアの山。全部使い切って派手に進むわっ!!」

 

「ルーちゃんってば。……仕方がないなぁ」

 

「きゅくるー」

 

「フリードもそう思う? だけど、うん。これでこそ、なのかな?」

 

 

 重い空気を吹き飛ばして、笑いながらに語るルーテシア。

 そんな何時も通りの姿に苦笑するキャロは、しかし確かに知っている。

 

 妹想いな姉を自称する少女が、意味もなくこんな真似をする訳ではないと。

 もう彼に逢えないと覚悟して悲嘆するキャロの心を、少しでも明るくさせようとしているのだろうと。

 

 だから大丈夫。もう心配なんて要らない。

 必要な事は分かっている。やるべき事は理解している。

 

 ならば此処に気持ちを切り替え、それを為す為に進めば良いのだ。

 

 

『行こう。私達の友達を助ける為に――』

 

 

 簡易病棟の壁に向かって、無数のロストロギアを一つ投げる。

 それが壁にぶつかる前にフリードの口から火炎を吹き出し、過剰な衝撃を其処へ加えた。

 

 直後、生じる爆発音。そして開いた大穴へと、二人と一匹は身を躍らせる。

 

 

『この奈落を、乗り越えるんだっ!!』

 

 

 蟲の海。前後左右上下の全てが、一寸先とて見えない黒。

 嘲笑う奈落に堕ちた世界を超える。大切な友を救う為に、彼女達は此処に飛ぶ。

 

 

 

 

 

2.

 最高評議会の殺害。クラナガン全域に掛かった通信障害。空に浮かんだ肉塊と、溢れる程の蟲の群れ。

 現状の異常さを理解した攻撃部隊は、即座に施設への攻撃を中断して外へと脱出する事を選んでいた。

 

 

「ったく、ウザったい」

 

 

 アリサ・バニングスもその一人。己に触れる何かの干渉を力で弾いて、外へと出た女は眉を顰める。

 研究施設を一歩出た瞬間に、吹き付けるのは黒い津波。隙間なく溢れ出す大量の蟲が、開いた隙間に流れ込むのだ。

 

 全身に炎を灯して、焼き払いながらにアリサは進む。

 

 前後左右上下。全て黒に埋まった景色は、進む方向さえも分からない。

 溢れ返ったクアットロの魔力に、他者の存在すら感じ取れない黒の中。アリサは味方との合流を決意する。

 

 このミッドチルダ西部には、シャッハ・ヌエラとメガーヌ・グランガイツが居る。

 彼女達ならば、引き連れた部隊と違って昏睡状態にも陥ってはいないだろう。ならば己と同じく、完全に孤立している筈だ。

 

 

「空気の量より多いとか、ふざけんじゃないのよ。塵虫女がっ!」

 

 

 吐き捨てながらに蟲を焼く。焼いて焼いて燃やして潰して、それでもすぐさま補充される。

 キリがない。終わりが見えない。此処に持久戦を仕掛けら続ければ、真綿で首を絞める様に、少しずつ削られ全滅しよう。

 

 悪質で悪辣で、だが嫌になる程効果的。例えアリサが全力を出そうと、この全ては消し飛ばせない。

 攻勢特化の異能を持った彼女ですらこの有り様なのだから、他のエース陣がどうなっているかは想像するに容易いだろう。

 

 処理能力を超えた物量に潰されるか、アリサと同じく力を使い果たして崩れ落ちるか。

 此処に分断されたままでは、その最期は揺るがない。故に僅かな焦りを抱いて、罵声を吐きながらに女は進む。

 

 進んでいるのか、戻っているのか。施設の姿も見えなくなると、それさえ定かですらなくなる。

 

 見上げた空に青はなく、全てが蟲の黒。見下ろす大地に土はなく、全てが蟲の黒。

 一歩進む度に無数に潰して、沢山焼いて、それで本当に進めているのかも分からない。

 

 もしかしたら、同じ場所をぐるぐると歩いているのではないか?

 そう囁き掛ける悪意に向かって炎弾を飛ばし、アリサは折れずに進み続ける。

 

 足を止める理由はない。立ち止まるのは、力が尽きたその時だ。

 一歩進む事すら途方もない苦行と化した奈落の中で、それでもアリサ・バニングスは走り続ける。

 

 諦めない。立ち止まらない。その意志がきっと、その邂逅を引き寄せたのだろう。

 

 

「増えて飲み干せ、増殖庭園」

 

 

 言葉と共に、膨れ上がるは緑の景色。湧き上がる緑が溢れ出す蟲を、物理的に押し込み遠ざける。

 無理矢理広げた空間内で、杖を振るうは紫髪の女。メガーヌ・グランガイツに気付いたアリサは、その直ぐ傍へと走り寄る。

 

 

「……漸く、合流出来ました。バニングス執務官」

 

「グランガイツ准陸尉。これは?」

 

 

 クアットロに満ちた世界で一人、不安に震えていたのであろう。アリサと合流したメガーヌは安堵の笑みを見せた。

 そんな笑顔で迎えるメガーヌに同じく安堵を覚えながらに、気丈であろうと振る舞う女傑は軍人然とした態度で問い掛ける。

 

 疑問の理由はこの歪みの力。森に圧迫された程度で、退く程にクアットロの魔蟲は弱くはないのだ。

 

 

「蟲が嫌う臭いを放つ草花を内部に、食虫花を外縁部に展開しました。見た目だけとは言え、虫の性質があるなら影響は与えられますから」

 

 

 故にメガーヌは、その蟲と言う性質を利用した。

 蚊連草に代表される虫除けの植物の特性を強化した性質で魔群を散らして、空いた隙間に虫を呼ぶ食虫花の類を強化し生み出したのだ。

 

 森は虫の力となる。されど森の植物は、その虫すらも時に食らう。

 形骸だけとは言え蟲であるから、クアットロはこの影響を完全には払えない。

 

 嫌な臭いを突然嗅がされ、思わず仰け反った所で突き飛ばされた様な物だ。

 突き飛ばす力が微力であっても、それでも動じずには居られない。周囲に誘う甘い臭いがあれば尚更、近付こうと言う思いは萎える。

 

 腐毒に対して特効であるこの歪みは、クアットロに対しても優位にあるのだ。

 

 

「ナイス。って言いたいところなんですけど」

 

「……ええ、この数では、時間稼ぎにもならないでしょうね」

 

 

 だが、それでも地力の差は覆せない。如何に優位にあっても、力の桁はその有利不利を容易く変える。

 蟲を捕獲した食虫花は、内側から蟲に喰われて削られて行く。蟲除けハーブの力はしかし、降り注ぐ強酸の雨を防げはしない。

 

 これは時間稼ぎにもならない。敵が排除しようと思えば、その瞬間に潰される程度の対策だ。

 そう自認しているメガーヌは、故にこそ僅かに懸念を抱く。こうして合流出来る程に、時間を稼げるとは彼女も思っていなかったのだ。

 

 

「けど、それにしては意外と持つ。……流石に数が多過ぎて、蟲の制御が出来ていないんでしょうか?」

 

「それか、アイツが遊んでいるかでしょうね。あの性悪で小物な女の事だから、どっちが真実でも違和感はないかと」

 

 

 一尉相当官のアリサに対し、メガーヌは己の推測を口にする。

 如何にクアットロが怪物でも、全次元世界に満ちる程の巨体全ては制御出来ないのでは、と。

 

 対してアリサは、楽観視は出来ないと苦言を呈する。

 常に最悪を予想して動かねば、もしも予想を外した時に、そのまま終わると自覚しているのだ。

 

 

「準陸尉。蟲を一ヶ所に集める事は?」

 

「……条件付きですが、可能です」

 

 

 先ずはこの状況。最低限でも改善が必要だろう。そう結論付けたアリサはメガーヌに問い掛ける。

 蟲を一ヶ所に集める事は可能かと言う上官の言葉に、メガーヌは条件こそあるが可能と答えた。

 

 蟲を引き寄せる植物の臭い。それを限界までに凝縮して、一ヶ所に発生させれば短時間は集められよう。

 そう答えるメガーヌの言葉に一つ頷いて、アリサは此処に対処を決める。無限の魔群を前にして、彼女の選択は単純だった。

 

 

「なら、集めるだけ集めて下さい。後は――形成(イェツラー)!」

 

 

 メガーヌが生み出した森と言う空間に、現れるのは巨大な列車砲。

 極大火砲・狩猟の魔王がその全容を此処に露わにして、砲火と共に魔群を蹴散らす。

 

 弾数は限られている。放てる弾丸の数は、アリサの魔力に依存する。

 魔群を全ては消し去れない。無策に撃ち続けるだけでは、すぐさま限界が訪れよう。

 

 故にアリサの判断は単純なのだ。

 

 

「植物諸共に、私が根こそぎ燃やします!」

 

 

 森で集めて、その植物ごとに焼き払う。

 木々に燃え広がる延焼拡大を敢えて狙って、最大効率で魔群の数を減らしていく事。

 

 無限と言う数に対して、これは解決策にはならぬだろう。

 それでも対処策としては、恐らくこの二人ではこれ以上を望めない。

 

 だからアリサが数を減らして、仲間達との合流を目指すのだ。

 

 

「確かに、現状ならそれが一番かも知れませんね」

 

 

 メガーヌにも異論はない。自分とアリサの魔力が何処まで持つか不安はあっても、これ以上の対処は出来ない。

 故に二人は揃って始める。メガーヌの増殖庭園が魔群を集め、アリサの極大火砲がそれを焼き払う。後はその繰り返し。

 

 

「っ、はぁ、はぁ……次!」

 

「はいっ! ……増えて、満たして、増殖庭園っ!!」

 

 

 溢れる蟲は切りがなく、それでも殲滅速度は補充速度を僅かに超えた。

 一息でも身を休めれば元の木阿弥となるだろう。その程度の変化であっても、僅かに魔群の数は減ったのだ。

 

 黒い蟲の雲の先、僅かに覗く空も黒い。一体どれ程に先まで、魔群が満ちていると言うのか。

 それでも見回せる程度に広い隙間が空に開いて、故に彼女達は空を飛翔する少女らに気付いた。

 

 

「――っ!? あれはっ! ルーテシア!? キャロ!?」

 

 

 黒い空を切り裂く白銀の竜。襲い来る魔群の津波の中を、飛翔続ける少女達は女の娘だ。

 我が子を案じる様に叫ぶメガーヌに、アリサは舌打ちを隠さずに少女達を罵倒する。

 

 

「あんの馬鹿共っ! アイツらじゃ、無謀にも程があるでしょうにっ!!」

 

 

 時折起きる大爆発。ルーテシアが投げる何かが、クアットロの蟲を吹き飛ばす。

 だがそれも一瞬だ。砂場に作った穴がすぐさま塞がる様に、雪崩れ込む蟲が道を塞ぐ。

 

 ロストロギア一つを消費して、進める距離は僅か数秒分。

 一体どれ程に抱え込んでいるかは分からずとも、この効率では絶対に足りていない。

 

 ならばその行いは自殺行為だ。果てに必ず破綻すると、傍目に見ても分かる程に愚かな行為。

 そうと理解した瞬間に、アリサは砲撃を中断する。やると決めた事は一つだけ、馬鹿げた部下への援護である。

 

 

「準陸尉! 防御結界の維持、クアットロへの対処、全部任せたっ!!」

 

「バニングス執務官!? 何を――」

 

「決まってるでしょ! あの馬鹿共が止まらないなら、思いっきり背を突き飛ばすっ!!」

 

 

 此処から先に進む事も、此処から引き返す事も難しい。

 だが此処に留まる事が一番危険だ。ならばとにかく全力で、その背を押して前へと進ませる。

 

 この魔群の海に出たと言う事は、相応の覚悟があったのだろう。確かな意志が在った筈なのだ。

 故に無理に抑えつけるよりも、その背を押してやる方が未だ生存率が高い。そうアリサは判断したのである。

 

 

「母親の立場じゃ納得いかないかもしれないけど、従って貰うわ。グランガイツ準陸尉!」

 

 

 階級を傘に来た命令口調。全ての咎は己にあると、精々恨めとアリサは語る。

 そんな金髪の女傑が見せる不器用な責任感に、メガーヌは僅か逡巡した後に頷いた。

 

 

「……分かりますよ。分かってます。中途半端が一番危険だって、だから――」

 

 

 分かっている。今が一番危険だと、それは彼女にも分かっている。

 仮に無理矢理抑えつけて戻したとしても、また飛び出すであろう事は予想に難くもない。

 

 選べる道などは、最初から一つしかないと分かっている。

 だからこそ、娘を案じる母として、言える言葉など一つだけ。

 

 

「頼みます、執務官。あの子達の命が掛かっているんです」

 

「当然。部下の命を惜しまずして何が上司か、当たり前よ!!」

 

 

 援護するなら全力で、必ず先へと繋げよう。

 アリサは全身を覆っていた炎を解除すると、魔力を高めながらに念話で叫ぶ。

 

 

〈キャロ! ルー! デカいの噛ますから、死ぬ気で耐えなさいっ!!〉

 

 

 声は届いたか、或いは届いていないのか、確認する手段は何もない。

 ならば確認などは要らない。きっと耐え抜くと心で信じて、己は此処に全力を出すのだ。

 

 

「この世で狩に勝る楽しみなどない」

 

 

 溢れる炎気。高まる闘志。口にされる願いの形に、極大火砲が震えて応える。

 その砲門に集まる力は絶対必中。標的を捉えるまで広がり続ける無限の爆心地。

 

 

「狩人にこそ、生命の杯はあわだちあふれん」

 

 

 メガーヌが周囲に森を展開して、魔力の全てを防御に回す。

 全力を攻勢に集中した今のアリサは隙だらけ、万が一にも妨害される訳にはいかないのだから。

 

 

「角笛の響きを聞いて緑に身を横たえ、藪を抜け、池をこえ、鹿を追う」

 

 

 それでも、クアットロの方が上手である。攻め手が緩んだ瞬間に、先に広げた空間は全て黒に埋まっている。

 溢れ出す無限数の蟲が森を侵食する。防御魔法を砕いて中に侵入し、その顎門を以ってアリサやメガーヌの四肢に喰らい付く。

 

 それだけではない。喰らい付くのは身体だけではなく、此処に形成された極大火砲の内側へと。

 鋼鉄に噛り付いて、その外装を強酸で溶かして、砲身の中から入り込んでは、魂と同化した力の結晶を穢していく。

 

 聖遺物を破壊されれば死に至る。そんな法則は、永劫破壊の適合者ではないからアリサには該当しない。

 それでも無条件で無事と言う訳ではない。これはアリサと同化した狩猟の魔王が断片だ。穢し貶められればその痛みは、必ずアリサに返ってくる。

 

 

「王者の喜び、若人のあこがれ!」

 

 

 だが、口にする言葉は揺らがない。

 どれ程に心を凌辱されようと、焔の女傑は揺らがない。

 

 この一撃に魂の全てを燃やし尽くす程に、意志を強くに渇望を此処に形に変える。

 放つは不完全なる魔王の願い。それでもその火力は見劣りすらしない程に、アリサは此処に全霊を撃ち放った。

 

 

創造(ブリアー)――焦熱世界(ムスペルヘイム)激痛の剣(レーヴァテイン)!!」

 

 

 狙う標的はクアットロ。その数が無限大ならば、広がる爆心地とて限りはない。

 非殺傷の力を混ぜて、放たれる極大火砲は限りなく広がる。この次元世界の果てまでも、満ちる全てを消し去る為に。

 

 轟音と共に、生じる力はまるでもう一つの太陽だ。

 ミッドチルダの全てを巻き込んで膨れ上がる力は、敵も味方も全てを巻き込み燃やす。

 

 非殺傷であっても、その被害は甚大だ。威力よりも規模に特化した力であっても、容易く防げる物ではない。誰もが弾ける力に巻き込まれて、其処に傷を負っていく。

 それは発動者であるアリサも変わらない。発動直前に既に満身創痍となっていたその身体は、自らが生み出した破壊の衝撃に耐えられずに吹き飛ばされた。

 

 風に舞う木の葉の様に、投げ捨てられた紙屑の様に、倒れ落ちて赤く染まる黄金の女。

 誰もが崩れ落ちたこの場所で、気力を振り絞って立ち上がると空を見上げる。正常な青さを取り戻した空に、それでも浮かぶは白き翼。

 

 

「道は開けたわ。戻って来たら徹底的に叩き直してやるから、やる事しっかり果たしなさい」

 

 

 動きは鈍り、速さは落ちて、それでも空を飛んでいる。

 二人の少女を背に乗せて、白き竜は飛翔する。目指す先にあるのは一つ、醜悪な肉塊に変わったゆりかご。

 

 聖王のゆりかごは、先の砲撃を受けてもまるで変わらない。

 極大火砲に晒されて、それでも空に浮かび続けるそれは、元の強度を遥かに超えているだろう。

 

 その先に、その内側に、一体何が待ち受けているのか。

 不安はあろう。恐怖もあろう。それでもフリードに乗る少女らは、迷わず空に浮かぶ奈落に向かって飛び立った。

 

 

「キャロ。ルーテシア。どうか、無事で」

 

 

 気絶しそうな程に消耗しながら、意識を如何にか繋ぐメガーヌは一つ祈る。

 真摯な祈りを捧げる女の傍まで近寄って、アリサ・バニングスは眉を顰めた。

 

 青い空の向こう側、少しずつ染み込む様に増える黒。

 全力砲火で消し飛ばしても滅ぼせない。魔群は再び、空を埋めんと増え続けている。

 

 

「まだ休むには、早いって? はっ、上等!」

 

 

 必死の抵抗すら嘲笑う様に、限りを見せない魔群。

 決して尽きない不死身の軍勢を前にして、アリサ・バニングスとメガーヌ・グランガイツは立つ。

 

 倒れるには未だ早い。眠る時間は未だ遠い。

 我らは英雄と謳われたのだ。ならばこの身が倒れる最期まで、戦い抜いて進むとしよう。

 

 

 

 失楽園の日が明けるまで、黙示録の最後まで、彼女らは戦い続けるのだ。

 

 

 

 

 

3.

 アリサの砲火の影響を受けたのは、彼女も同じである。

 西の戦場と同じく魔群に満たされて、如何にか耐えて進んでいた高町なのは。

 

 純粋な火力不足。広範囲に回る手札がない。故に足止めされていた彼女。

 既に魔群の姿はない。全てを等しく吹き飛ばした火砲によって、空の蟲は一掃された。

 

 だが、それも一時の事だろう。無限に広がるとは言え、その火力は然程の物ではなかった。

 赤騎士の真なる創造に至れぬ以上、純粋な威力と言う点では一歩も二歩も劣る物。既に神域に居る怪物達に、手傷一つ負わせる事も出来ていない。

 

 先の砲撃。被害と言う意味では六課の側の方が大きい。

 魔群と言う怪物は滅ぼし切れず、魔刃と魔鏡は無傷であって、こちらはどれ程の被害を受けたか。

 

 それでも悪手とは言えない。あのまま持久戦に持ち込まれたなら、対処の一つも出来ずに潰されていた。動き出す事すら出来なかったのだから。

 

 故にこの今、彼らは即ち機を手に入れた。

 動き出すなら今しかない。この今に突き進まねば、恐らく全てが終わるだろう。

 

 唯一人、彼の狂人が描いたままに、世界は全て奈落に染まる。

 それをさせぬと言うならば、彼を止めんとするならば、この今に動かねば話にならない。

 

 

「行くよ。レイジングハート」

 

 

 不撓不屈を発動して、負った火傷を此処に癒す。

 黄金の杖を手に取って、高町なのはは空へと飛んだ。

 

 

「捜して、災厄の元凶!」

 

 

 空から眼下を一望して、彼女は杖と同調する。

 この今に身体の一部となったデバイスを介して、此処に全ての元凶を捜す。

 

 それが誰か? 問うまでもない。確かになのはは分かっている。

 彼女と彼は繋がっている。あの日にユーノが死に掛けてから、その繋がりはより強くなった。

 

 全てが分かる訳ではない。思考が同一となった訳ではない。

 それでも互いが強い感情を抱けば、それがもう片方へと流れていく。

 

 この異常事態が起きる直前に、ユーノが感じていたのは複雑な感情。

 怒り。呆れ。諦め。心配。後悔。様々な色が混ざった強い感情は、その全てが一人の男に対して向けられていた。

 

 

「ジェイル・スカリエッティっ!」

 

 

 疑うまでもない。先ず間違いなく今回の件は、彼の狂人が引き起こした事件である。

 一体何を目的としているのか、それが分からずともやるべき事は分かっている。彼の元凶を、此処に止めるのだ。

 

 

「あの男こそ全ての元凶! だから、見付けて! あの男の魂をっ!!」

 

〈All right. Wide Area Search〉

 

 

 なのはの魂を見る瞳。レイジングハートの機能と同調させて、何処に居るのか索敵する。

 黒く腐った炎の悪魔。堕ちて染まった虹の聖王。今にも溢れ出そうとする蟲の軍勢。膨大な力を発するそれらの中に、確かに感じる一つの力。

 

 余りにも清い。病的な程の白。

 執拗に、偏執的なまでに、聖性を流れ出させているその力。

 

 それこそ正しく、あの男の魂が持つ異能であった。

 

 

「見つけた! 聖王教会!! その奥に、あの男はいるっ!!」

 

 

 向かうべき場所は分かった。ならば話は簡単だ。其処に向かえばそれで良い。

 青い空の下、なのはは翼と共に飛翔する。目指すは一路、ベルカ自治区の中央。聖王教会大聖堂。

 

 高町なのはは空を駆ける。今も抜け出せないでいる愛する人に代わって、己がその友を殴り飛ばすと意志を固めて――だが、そう容易く到達できる物ではない。

 

 

「行かせない。貴女は何処へも行かせないっ!」

 

「っ!? クアットロ=ベルゼバブっ!!」

 

 

 魔群は未だ健在だ。その形成体すら姿を見せてはいなかった。

 その理由は唯一つ、最も警戒した女の付近に潜み張り付いていたが為に。

 

 蟲の海で潰されるならそれで良い。

 だがもしもそれすら超えると言うならば、その瞬間にも身体を張って妨害する。

 

 そうクアットロは決めていて、だから彼女は此処に居る。

 断片である蟲だけではないから、砲火にも耐えた悪魔が此処に牙を剥いた。

 

 

「高町なのはっ! 貴女は、貴女だけは駄目なのよっ!!」

 

 

 高町なのはは行かせない。他の誰を進ませたとしても、彼女だけは駄目なのだ。

 

 この女は陰陽太極。ジェイル・スカリエッティが魔刃を差し置いて、己の最高傑作と語った女だ。

 其処に嫉妬の情がある。どうしてこの女がと言う思いがある。だがそんな己の感情以上に、進ませてはならない理由があるのだ。

 

 彼女がスカリエッティの語る様に、真実並ぶ者のない傑作ならば、それは危険だ。

 偉大な父でも万が一が起こり得る。もしも彼女を放置して、父の下に進ませてしまえば何かが起こるかもしれない。

 

 ならば決して、この女だけは進ませない。

 それは命令されたからではなく、己の保身からでもなく、唯純粋な感情による独断専行。

 

 

「ここで堕ちろぉっ! 不完全な出来損ないぃぃぃっ!!」

 

「っ!!」

 

 

 膨大な蟲が溢れ出す。圧倒的な速度で増える蟲の数。

 基点が此処にあるのだから、穴が開いて無限の数が溢れ出す。

 

 総数を足せば神の域にも届く魔群。

 全体の億分の一。兆分の一でも集まれば、それだけで彼女は行く手を阻むに十分な程の壁となろう。

 

 迫る壁は超えられない。蟲の渦を前にして、突破などはさせはしない。

 鬼相に歪め、感情を剥き出し、襲い来るクアットロ。その数を前に、高町なのはも足を止め――否。

 

 

「堕ちるのは、貴様だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 此処に居るのは彼女だけではない。抗う者らは一人じゃない。

 壮年の男が此処に、流れる血を拭う事すらせずに、ゼスト・グランガイツが其処に居た。

 

 男がデバイスから取り出したのは無数の簡素なアームドデバイス。

 弾と言う音と共に、大地に刺さる八つの槍型。その無骨な武器の一つを握る。

 

 ギシリと骨が軋んで肉が膨れ上がる。弓なりに反らした身体を捻って、一気呵成に投げ放つ。

 それは己の背を追い抜いていく後進達に、如何にか対抗しようと男が身に付け磨き上げた一つの技術。

 

 

「乾坤・一擲ぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 歪みの籠ったその槍を、此処に全力で投げ放つ。

 苦手な遠距離を補う為に、彼が身に付けた技術は即ち投槍。

 

 轟と音を立てて飛翔する槍は、大気を穿ち蟲の壁を此処に貫く。

 デバイス一つを使い捨ててのその威力は、道を拓くには十分過ぎる程の物。

 

 

「俺やレジアスが護りたかった世界。それを、これ以上失わせない為に――」

 

 

 道は拓いた。進む空へと穴を穿った。

 そうしてゼストは、なのはに向かって言葉を紡ぐ。

 

 全てはそう。もう失われた友と、護りたかった世界の為に。

 

 

「進めぇぇぇっ! 高町なのはぁぁぁぁっ!!」

 

「はいっ!」

 

 

 道は拓いた。辿り着く為の道がある。

 ならば止まる理由はなく、空の彼方まで突き抜ける。

 

 

「――っ! 所詮塵屑の分際でぇぇぇぇっ!!」

 

 

 穴を穿たれ、抜けられたクアットロは怒りに叫ぶ。

 良くも良くも良くも良くも、狂気に近い感情にその表情を醜く歪める。

 

 先回りは出来ない。配していた蟲を一掃されたから、数がこの場に足りていない。

 追い掛けるにした所で、移動速度は高町なのはの方が速い。クアットロでは追いつけない。

 

 個ではなく群として、秀でたが故の欠点。

 予め用意した数が不足すれば、単純性能差を覆せないのだ。

 

 

(それでも、行かせる訳にはっ!)

 

 

 投槍で妨害して来るゼスト。己など無視して先へと進むなのは。

 両者に苛立ちを抱きながらに、それでもクアットロが思うのはその感情。

 

 追い付けないとしても、その背を追わない訳にはいかない。

 放置は出来ない。辿り着かせる訳にはいかないのだ。ならばそう、溢れ出す蟲の選択などは決まっている。

 

 

「堕としてやるわぁ、何処までも追い掛けてぇ、必ず追い詰めるっ!!」

 

 

 執着し粘着し、必ず潰す。悪意を胸に燃やして、溢れ出す魔の群勢。

 だがクアットロが高町なのはの背を追い始めるより僅か前に、彼女の機先を制する言葉が掛けられた。

 

 

〈――いや、その必要はないよ。クアットロ〉

 

「ドクター!?」

 

 

 周囲一帯に張られた念話妨害。その例外となっている男から、クアットロへと指示が下る。

 それは入り混じる親への愛情と妄執が故に独断行動に移ったクアットロにとっては、受け入れ難い言葉であった。

 

 

〈彼女は私が歓迎しよう。盛大にね〉

 

 

 高町なのはは、己が相手をする。

 白衣の狂人が静かに告げるその意志に、クアットロは思わず抗弁した。

 

 

「ですが、ドクターっ!!」

 

 

 危険なのだ。脅威が読めない。そんな状況に、敬愛する父を置ける物か。

 そう縋る瞳で口にするクアットロに、しかしスカリエッティの判断は揺らがない。

 

 

〈不要と言ったよ。クアットロ〉

 

「――っ」

 

 

 言葉は冷たいそれ一つ。そうと決めたからには、この狂人は前言を翻さない。

 そうしている内にも空の果てへと、高町なのはは離れて行く。それを睨み付けて歯噛みする。

 

 それでも、クアットロに父に逆らうと言う選択肢など存在しない。

 彼が是と言うならば、全てが是となるのだ。クアットロの思考回路はそう出来ていて、だから従うしか道がない。

 

 

「分かりましたぁ。ではぁ、私は周囲の警戒を続けますぅ」

 

〈ああ、よろしく頼むよ〉

 

 

 感情を隠した声で媚びる様に、男に了承の意志を示すと念話を切る。

 そうして一息。基点より増え続けるクアットロは、冷たい瞳で見下した。

 

 

「…………」

 

 

 溢れ出す膨大な数。今にも再び空を埋める程に、青を閉ざしていく黒き群れ。

 アリサ・バニングスを、ゼスト・グランガイツを、メガーヌ・グランガイツを、その場で抗う彼らを見下す。

 

 こいつらさえ居なければ、辿り着かせる事などなかった。

 そんな八つ当たりに近い感情に思考が染まって、クアットロの怒髪は天を衝く。

 

 

「潰す。鬱憤晴らしをさせて貰うわ。アンタ達でねぇ」

 

 

 誰一人として生かす物か。無残な形で終わらせよう。

 無限数の蟲はこの今に、その全力をエース陣を潰す為に使うと決めた。

 

 

 

 そして高町なのはは辿り着く。ミッドチルダの北部。山間部の只中にある白亜の教会。

 旧い城を思わせる巨大な建物の上空に到着して、彼女は眼下へレイジングハートの先端を向けた。

 

 

「辿り着いた。聖王教会。このまま、一気にっ!」

 

 

 折り目正しく入り口から、一歩一歩と進んでいる暇はない。

 ならば為すのは壁抜きだ。集う翠の砲火を殺傷設定に切り替えて、破壊の光で城を撃ち抜く。

 

 

「ディバインバスターっ!!」

 

 

 放たれた砲撃は、外装を破壊するだけでは止まらない。

 そのまま内部を貫きながらに進み続けて、城壁を砕いて大聖堂の玉座へと。

 

 聖槍のある地下から移動して、その玉座に腰掛ける白衣の男は頭上を見る。

 迫る翡翠の破壊を前に動揺する事もなく、軽く左手を振り払う事で魔力を散らせて呟いた。

 

 

「やれやれ、どうにも荒っぽい入場だね」

 

 

 開いた穴から大聖堂へと、舞い降りるなのはは其処に見る。

 聖王の玉座に右の肘を置き、頬杖を付いた傲慢なるその姿。彼こそ正しく事態の元凶。

 

 

「もう少し淑女らしくしてくれれば、相応の舞台も用意出来たんだが――まあ、どうでも良い話か」

 

 

 詰まらぬ事を言ったと嗤うジェイル・スカリエッティ。

 立ち上がる素振りも見せない男を前に、目線を合せたなのはは黄金の杖を両手に構えた。

 

 

「ジェイル・スカリエッティっ!」

 

「歓迎するよ。高町なのは」

 

 

 この男が何を望んでいるのか。一体何を狙っているのか。高町なのはには分からない。

 唯一つ。分かる事など唯一つ。神殺しの創造をこそ望むこの男の求道に、多くの人が巻き込まれて悲劇に堕ちた。

 

 多くの人が奈落を広げる為だけに犠牲となったミッドチルダ。

 他の次元世界では犠牲こそ出ていないが、多くの人が悪夢に囚われている。

 

 この今に苦しむ人々を、助け出す為に止めねばならない。

 倒さねばならない諸悪の根源。それが正しく、この白衣の狂人なのである。

 

 

「貴方を、拘束します!」

 

「出来るかな? 未だ至れていない君に」

 

 

 失楽園の日に幕を引き、その悪夢を終わらせる為に。翡翠の輝きを纏った女は、此処に黄金の杖を握り絞める。

 たった一つの目指した求道。その果てに何としてでも至る為に。白衣の狂人は笑みを深めて、その身に宿った聖なる悪魔を駆動する。

 

 

 

 此処に、戦いは始まった。

 

 

 

 

 




07年版赤騎士創造。無限に広がる爆心地。
単一次元世界規模なら何処までも(文字通り宇宙の果てまで)広がって命中するが、威力は何処まで広がっても真・創造には届かない。

当作ではとりあえずこんな裁定にしてみました。


それと失楽園の日の前哨戦。
当面は四方面戦闘の同時進行を予定。

トーマ&リリィ+ティアナVSナハト=ベリアル。
キャロ&ルーテシアVSヴィヴィオ=アスタロト。
高町なのはVSジェイル・スカリエッティ。
その他大勢VSクアットロ=ベルゼバブ。

と言う形で進んで行きます。



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