リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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副題 母の想い。
   立ち上がる魔法少女。
   少年の決意。


第九話 始まりの想い

1.

 海鳴市上空を、黄金黒衣の魔法少女は駆け抜ける。

 

 鞭の痕、火傷の痕。

 雨に濡れた柔肌に残る、未だ治らぬ傷が痛々しい。

 

 そんな彼女の前に顕現する自然の猛威は、飛翔魔法で飛行する彼女を風除けの障壁ごと吹き飛ばそうとする。

 

 迫る竜巻は、風速にして80メートル。

 家屋が吹き飛び、トラックが跳ね上げられ、高層ビルですら傾き始めている。

 

 街は紛れもなく地獄絵図。

 避難施設を残して家屋が崩れ去り、瓦礫の中で悲鳴が木霊している。

 

 当然、空を飛ぶ少女にも影響は出る。

 その影響は大きく、風除けと飛翔の魔法があっても、真っ直ぐに飛ぶ事すら難しい。

 

 されど少女の動きに淀みはなく、逆風に向かいながらもその速度は過去最速を自負していた。

 

 

「ジュエルシード、封印!」

 

 

 擦れ違い様に一閃。

 刃が煌めいて嵐を切り裂き、内側に光り輝くジュエルシードを封印する。

 

 これで一つ目。

 

 励起しているジュエルシードの影響を防ぐ為に、フェイトは一瞬立ち止まって、封じたジュエルシードを回収した。

 

 

「……」

 

 

 回収時に、聞き慣れたバルディッシュの声が聞こえない。

 

 その事実に、僅か俯いて――

 

 

「くぅっ!?」

 

 

 それが隙となった。

 

 まるで意志を持つかのように蠢く竜巻は、立ち止まったフェイトにぶち当たる。

 

 突風に煽られ、竜巻に嘲弄される。

 まるで塵の様に巻き上げられながら、フェイトは必死に活路を探る。

 

 目まぐるしく変わる視線に吐き気を覚えながら、何とか空中で態勢を立て直す。

 そして台風の目とも言うべき無風地帯を見つけ出すと、風の隙間を縫ってすぐさま離脱した。

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 

 慌てて距離を取ったフェイトは、荒い呼吸を整えようとする。

 

 

「……っ、げほっ、ごほっ!」

 

 

 だが、呼吸をした途端に咳き込んだ。

 デバイスを握る手とは逆の手で、口を押える。

 

 喉が傷む。鼻が傷む。

 口元を押さえた掌が、真っ赤な血で濡れていた。

 

 思わず驚いて、動きが止まる。

 先ほどの交差で、それ程ダメージを受けていたのだろうか、と。

 

 そうして、止まっている間に、竜巻の最接近を許していて――

 

 

「っ! ブリッツアクション!!」

 

 

 高速移動魔法を即時展開して、難を逃れる。

 同時に感じるのは、大量の魔力消費による気怠さ。

 

 無理に発動したからだろうか。

 いつもより多めに失った魔力に、思わず舌打ちしそうになる。

 

 無様を晒した。

 今のでどれほど魔力を無駄にした。

 

 そんな考えを首を振って振り払うと、再び加速する。

 

 

 

 残るジュエルシードは、あと十三個。

 

 

 

 

 

2.

 轟々と轟音が轟く中、なのはは学校の体育館へと連れて来られていた。

 気分転換にと桃子に連れ出され、その途中で突発的な避難警報に遭遇したのだ。

 

 緊急時対応に従い、最寄りの避難施設に母と共に逃げ込んだ。

 

 震災時の避難施設。

 聖祥大学附属小学校の体育館には、さほど人は集まっていない。

 

 突発的な異常気象。街中に突然複数の竜巻が出現するという異常事態だ。

 そんな想定など到底されておらず、迫る大災害に避難が追い付いていないのだろう。

 

 既にライフラインは分断された。

 避難施設の発電機が生きている故に電気はあるが、海鳴の街は全域に渡って大停電となっている。

 

 どれほどの人が、今街中で苦しんでいるのか。

 どれほどの人が、今にも崩れそうな家屋から出られず、倒壊の恐れがある場所で恐怖に震えているのか。

 

 

(……これも、ジュエルシードの所為)

 

 

 なのはは悲痛を胸に抱く。

 

 分かるのだ。感じるのだ。

 彼女は才に溢れた魔導士であるが故に、外で起きている異常気象の原因がジュエルシードにあるのだと。

 

 

(行かなくちゃ! 行かなくちゃ! 行かなくちゃ!)

 

 

 これがジュエルシードの影響ならば、自分なら解決が出来る。

 今にも犠牲者は増えているのだから、直ぐにでも立ち向かって解決せねばならない。

 

 そんな風に思うのに、手は震えて動かない。

 いざ戦うのだと思ってしまえば、足は震えて立ち上がれなかった。

 

 

(行かなくちゃ! 行かなくちゃ! 行かなくちゃ!)

 

 

 それでも、必死に動き出そうと歯を食い縛る。

 身体を動かさなくてはいけない理由は確かにあって、震えているままでは居られない。

 

 この避難所に、友達たちの姿はない。

 アリサもすずかもアンナも、誰一人としていなかった。

 

 皆大きな家に住んでいるから大丈夫。きっときっと大丈夫。

 そうは思うけど、もしかしたらという可能性だって確かにあって。

 

 なら行かなくちゃいけない。

 もう二度と誰かを失わない為には、己が恐怖に勝たねばならない。

 

 魔法を知っている自分は、その被害を食い止めることだって出来るはずだから――本当に?

 

 

――けど、貴女に一体何が出来るのかしらねぇ?

 

 

 背筋が震えた。

 奮いかけていた心が萎んだ。

 立ち上がろうとする意志が砕けた。

 

 瞼を閉じると、あの両面鬼の顔が浮かぶ。

 私は出来ると思うと、あの男女の嗤い声が聞こえる。

 

 借り物の力で、紛い物の想いで、そんな奴には何も出来はしないのだと。

 

 聞こえるはずのない幻聴を、耳を塞いで遣り過ごそうとする。目を瞑って、忘れてしまおうとする。

 

 けれど、出来ない。

 逃げようとすれば、忘れようとすればするほど、その嗤い声は大きくなる。

 

 被害妄想。言ってしまえばそれだけのこと。

 

 だが、あの鬼との邂逅は、死を身近に感じ取ったあの経験は、幼子の心に亀裂を入れるには十分過ぎるほどの物で。

 

 なのははあの夜以来、一睡たりともしてはいない。

 眠ることすら出来ず、心身共にやつれている少女の姿は、酷く憐れみを誘う物であり――

 

 

「なのは」

 

 

 涙に濡れて縮こまっているなのはを、温かなモノが包み込んだ。

 優しい温かさに恐怖は僅かに溶けて、少女は涙で霞んだ瞳でその人を見上げた。

 

 

「お母さん……」

 

 

 抱きしめるその腕は、温かな母の物。

 背後から柔らかく抱き抱えながら、桃子はそっと愛娘に問うた。

 

 

「なのはは、何がそんなに怖いの?」

 

 

 なのはが恐れている物が何か、桃子には分からない。

 ただ、夫や息子たちが言うような誘拐騒ぎではないと、何となく分かっていた。

 

 この子は、強い子だ。大切な事を見失わない子だ。

 誘拐騒ぎがあったと言うなら、きっと自分も何かの力になりたいと望む筈。

 

 そんな子がこれ程に恐れるならば、それには相応の理由がある。

 そう思うが故の桃子の問い掛けに、なのはは無言で首を横に振った。

 

 

「言えないの?」

 

 

 今度は首を縦に振る。

 気まずそうに頷く娘の頭を、桃子は優しく撫でた。

 

 

「なら、言わなくても大丈夫」

 

 

 この子が言えないというのなら、何か理由があるのだろう。誰に似たのか頑固な子だ。

 普段はおっとりしているのに、譲れない場所、譲ってはいけない場所を良く理解している。

 

 

「もう少し、こうしていましょう? 親しい人の肌と触れ合っていれば、きっと、怖い思いも少なくなるわ」

 

 

 故に理由は聞かない。それでも、この手は離さない。

 優しく娘を抱き締めながら、桃子は暫くの時間をそうして過ごした。

 

 

 

 轟音と共に、体育館が大きく揺れる。

 発電機が機能を失って、避難施設の照明が一斉に落ちた。

 

 その光景に狼狽える避難民の中で、それでも桃子は変わらない。

 

 

「ねぇ、覚えているかしら、昔も良くこうしていたわよね」

 

「……お母さん?」

 

 

 パニックが起き始めている館内で、そんな昔話を始める母。

 唐突な態度になのはは首を捻るが、そんな彼女を優しく抱きしめたまま、桃子は言葉を続ける。

 

 

「怪我をした時、怖いテレビを見てしまった時、おねしょやいたずらを怒られた後だって、こうして甘えてきてくれたわね」

 

「にゃっ!」

 

 

 そんな恥ずかしい過去を暴露されて、気恥ずかしいやら覚えていてくれることへの嬉しさやら、色々と入り混じった感情になのはは翻弄される。

 

 娘のそんな姿に、桃子は優しい笑みを零した。

 

 

 

 ああ、今だから言えるが、そんな甘えてくれるなのはの姿に、誰よりも救われていたのは桃子自身なのだ。

 

 あの時、愛する夫が重体を負い病院に運ばれ、自分は何よりも彼を優先してしまった。それ以外を考える余裕など、何処にもありはしなかったのだ。

 

 大変だからと言って、それは言い訳にもなるまい。

 まだ一人幼い少女を残すなど、育児放棄や育児怠慢に当たるネグレクトだ。

 

 残されたこの子は、きっと寂しかった事だろう。

 誰も居ない。誰も頼れない。それが苦しくない訳がないのだ。

 

 そんな簡単なことに気付けたのは、士郎が快復して心に余裕が出来た後だった。

 

 それから暫くの自分は、控え目に言っても母親失格な女だった。

 我が子との距離感が掴めない。放ってしまった娘に対して、どう対処したら良いか分からない。

 

 だから物語の中に出てくるような理想的な母親を演じた。

 ニコニコ笑って、決して怒らず、適度に子供たちを甘やかす優しいお母さんだ。

 

 なんだそれは。

 

 親が子に対して演技の顔しか見せないというのか、それで親だと名乗るのか。

 

 怒るべき時に怒り、褒める時に褒め、甘えてきたらしっかり甘やかして、愛情を教えてあげる。

 

 それが母と言う物だろうに、それすら出来ないと言うのだろうか。

 

 三人兄妹の内、二人は夫の連れ子で子育ての経験などなかった。けれど、そんなのは免罪符にもならない。

 

 確かに自分は、最低の母親だった。

 

 怒れない親。演じ続ける親。

 そうならずに居られたのは、この子が素直に甘えてくれたからに他ならない。

 笑顔を演じる自分に対して、演じない生の感情でなのはから近付いてくれたのだ。

 

 仮にあの時、なのはが良い子になろうとしていたら、迷惑をかけないように生きようとしていたら、きっと自分はあのままだっただろう。

 

 子の頑張りを、心の傷を分からぬほど鈍くはない。

 されど罪悪感から、手を差し延ばす事すらしなかっただろう。

 

 それでは駄目だと、そんな当たり前な事にすら気付けなかった筈だ。

 

 ああ、妄想の中の自分ですら八つ裂きにしたくなる。

 本当に辛い時に何もせず、ただ笑顔を向けるのは歪に過ぎるのだ。

 

 仮にこの子を失ってしまったら、今の自分は気が狂うと断言できる。

 取り戻す為に、何でもするような鬼女と化すだろうと確信がある。

 

 ああ、だけれども。

 過保護に束縛するのも、また違うであろうと分かるのだ。

 

 この子にやりたいことがあるならば、どんなに危ないことでも、背を押してあげたい。子を親の附属物にはしたくない。

 

 だから、ここで自分のやることを桃子は考える。

 

 

「ねぇ、なのは。……なのはは今、何がしたいの?」

 

「私が、したいこと?」

 

 

 きっとそれは危ないことなんだろう。

 泣いて縋って止めてと訴えたくなるが、ああ、そんなのは自分の感情。

 

 ならばそれは押し殺す。

 なのはがなのはとして生きられるように。

 

 

「で、でも、私に出来ることなんて」

 

 

 再び少女の体は恐怖に震える。

 出来ないというトラウマは、無力という意識はなのはに深い傷を残していて――

 

 

「大丈夫。きっと出来るわ。お母さんが保障する」

 

「お母さん……」

 

 

 だから、此処での母の役目とは、きっと出来ると保証する事。

 恐怖と結果に怯える少女が立ち上がれる様に、その背を優しく押してあげる事。

 

 

「それでもまだ不安なら、怖い物も不安も全部、お母さんの胸(ココ)に置いていきなさい」

 

 

 恐怖も不安も、目を逸らしたいなら逸らして良い。

 全てを母の胸に置いて行って、持っていくのは意志だけで十分だ。

 

 

「それでね。出来ることではなくて、したいことをするの」

 

「出来ることじゃなくて、したいこと」

 

 

 何故だろうか、それだけで恐怖が薄れていく。

 鬼への恐怖が薄れて、ただ純粋な自分の想いが浮かんでくる。

 

 

(確かに、何でもできるって思った。私だけがって知って、嬉しかった)

 

 

 そう感じたのは事実である。

 誰かを下に見る優越感に浸っていたのも、魔法が齎す全能感に溺れていたのも、事実であって揺るがない。

 

 

(でも、それだけじゃない)

 

 

 そうだ。魔法を知ってからの想いはそれでも、一番最初の想いはそうじゃない。

 

 あの時、ユーノは泣いていた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 母がしてくれたように抱きしめて、もう大丈夫だよと伝えたかった。

 

 

(きっと、それだけじゃない)

 

 

 あの時、イレインは泣いていた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 大切な人達がそうしてくれた様に、今度は自分が助ける番だと思ったのだ。

 

 

(私が、望んだのは……)

 

 

 あの時、フェイトは泣いている様に見えた。

 

 その涙を拭いたいと思った。

 だって手は届く場所にあって、伸ばせば涙を止められるかもしれないから。

 

 

(そうだ。簡単なことだったんだ)

 

 

 そう。特別な何かなんていらない。

 その涙を拭う両手があれば、それはきっと出来る事。

 

 魔法がなくても、分かり合える。

 傷付け合わなくても、分かり合う事は出来る筈。

 

 ただ、君の涙を止めたいと伝えて、手を伸ばす事は誰にだって出来るのだ。

 

 

「……でも、なのはに出来るかな」

 

「ええ、きっと出来るわ。お母さんが保障してあげる」

 

 

 そんな弱気な言葉を漏らすと、微笑む母が背中を押してくれる。

 確証なんて何もない言葉なのに、何故だかとても力が湧いてくる。

 

 

「うん。……もう少しだけ、頑張ってみる」

 

 

 だから、もう少しだけ頑張ってみよう。

 恐怖はなくならなくて、不安は消えなくて、それでも進んで行こう。

 

 高町なのはは、そう決めた。

 

 

 

 そして立ち上がり、空を見上げる。

 体育館の天窓は板で封鎖されていて、ちょっと締まらなかったけど、にゃははと笑い立ち上がって歩き始めた。

 

 右手を握る感覚がする。

 母が左手で握りしめている。

 

 

「一緒に付いていけなくても、お見送りくらいはして良いわよね」

 

「うん!」

 

 

 二人手を繋いで歩く。一歩ずつ先へと。

 会話はないが、ニコニコと笑う二人の表情には無言の冷たさなど欠片もない。

 

 そうして、二人は人目を避けて裏口の前に立つ。

 そこでふと、桃子は思い付いて足を止めると――

 

 

「そうだ。なのはにこれを上げるわ」

 

「にゃ? 十字架のペンダント?」

 

 

 桃子は自分の首に掛けられていた首飾りを外すと、それをなのはの首に掛けた。

 

 

「これは水星。旅人の星」

 

 

 それは十字架の中央に青い石が付けられた、銀細工のチョーカー。

 旅人の星を模った銀細工は、桃子が母より、その母が祖父より、延々と受け継がれて来た一つのおまじない。

 

 

「綾瀬の家系ではね、これを恋人や子供の旅立ちの時に送るの。ちゃんと帰って来れますようにって、そういう古い古い御呪いね」

 

「綾瀬?」

 

「ああ、お母さんの母親。お婆ちゃんの結婚する前の名前が、()()って言うのよ」

 

 

 首に掛けられた銀細工の水星を見詰めながら、なのはは首を傾げる。

 そんな娘の様子に苦笑しながら、桃子は言葉を続けた。

 

 

「ちゃんと帰って来るのよ、なのは。まだまだ教えてないことは沢山あるんだから」

 

「うん」

 

 

 元気良く返事をして、二人で扉を開いた。

 降り頻る豪雨の中、吹き付ける風に飛ばされそうになるが、互いの手をしっかりと握りしめる。

 

 風が止む。一瞬生まれた無風地帯。

 差し込んで来た僅かな日差しの中に、なのはは身体を踊り出す。

 

 

「風は空に、星は天に」

 

 

 そうして、なのはは口にする。

 それは今となっては意味のない。始まりを告げる魔法の言葉。

 

 

「不屈の心は、この胸にっ!」

 

 

 起動するべきデバイスなんてない。

 故にこの呪文に意味はなく、それでも確かな意義がある。

 

 

「リリカル・マジカル! セーットアーップ!!」

 

 

 無意味で出鱈目な呪文。

 その意義とは、なのはの心を定める為にある。

 

 満開の桜が花散る様に、膨大な輝きの中へとなのはは包まれる。

 彼女の内にある膨大な魔力が、頭に刻まれた無数の知識が、あるべき姿へと少女を押し上げる。

 

 聖祥の白い制服をモデルにしたバリアジャケット。

 新たにした想いが、母と自分の色である桃色でその鎧を彩る。

 

 胸元の銀細工は、白い鎧と同化して形を変える。

 それは月のような丸い形。その銀色の表面に周囲の桜色を反射する姿は、まるで太陽の如く。嵐の中でも確かに輝いている。

 

 桜色の光の中で、今再び魔法少女は目を覚ます。

 その姿を、母に自慢するかのように見せびらかして。

 

 

「凄いわ、なのは。とっても綺麗」

 

「えへへー」

 

 

 目を白黒させた桃子は、茫然とした様子から我に返るとそう伝えた。

 そんな母の褒め言葉に照れながら、なのははふわふわと浮遊を始めた。

 

 その様は、酷く危なっかしい。それも当然だろう。

 今までなのはの演算を補助していたデバイスがないのだ。

 

 全ての魔法を、己の頭脳だけで使用しなくてはならない。

 以前の様に、膨大な魔力に物を言わせた無茶は出来ない。

 

 バリアジャケットを展開して、更に障壁を展開し、浮遊魔法を使用したまま、誘導弾を制御し、高速移動魔法と砲撃魔法を使用するなんて真似はもう出来ないだろう。

 

 だけど、なのはは今の自分こそが一番強いと感じている。

 

 浮遊魔法一つ、バリアジャケット一つに、嵐の影響を抑える大き目の障壁。

 それだけでキャパシティを超えかけていても、今こそが絶好調だと断言しよう。

 

 

「行ってらっしゃい、なのは。無事に帰って来るのよ」

 

 

 だから、そんな母の言葉にも自信たっぷりに答える。

 

 

「行ってきます! お母さん!」

 

 

 手を振り、少女は飛び立つ。

 目指すは嵐の中心地。黄金の閃光が輝く最前線だ。

 

 

 

 背を向け飛び立つ娘の姿を、桃子は何時までも見送っていた。

 

 

 

 

 

3.

 一つ、二つ、三つ。

 それがフェイトが、これまでに封印したジュエルシードの数だった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 体が熱い。どうにも上手く動かせない。

 息切れが始まるのも早く、気怠さが全身を支配している。

 

 ジュエルシードの封印速度は予想よりもずっと遅く、街が受けている被害は遥かに大きい。

 

 吹き飛ばされてくる屋根や看板を、身を翻して躱す。

 マンホールから溢れている汚水に流される瓦礫の山を見る。

 風に飛ばされて、汚水に流されて、瓦礫に潰され、そんな人々の姿を目視する。

 

 自分が原因で起きた現象を直視して、せめてすぐに解決しようと次なる標的を見定める。

 

 そこに――

 

 

「ディバイーンバスター!」

 

 

 桜色の砲撃が、背後より放たれた。

 

 それは真っ直ぐに飛んでいき、フェイトが封じようとしていたジュエルシードをあっさりと封印する。

 

 

「フェイトちゃん!」

 

「……なのは」

 

 

 ふらふらと、のんびりとした速度で飛んでくる白い少女の姿。

 

 その姿に、果たしてフェイトは何を思うのか。

 

 

「一緒にやろう! 二人できっちり半分こ!」

 

「断る。……なのはは一人で好きにすれば良い。私も好きに動く!」

 

 

 差し出された手を振り払い、フェイトはそのまま加速した。

 

 そんな姿になのははむっとして、魔力を分け与えようとマルチタスクに待機させていたディバイドエナジーの構成を散らせる。

 

 

「むー。なら競争だね! 負けないんだから! って、あー! フェイトちゃんズルい!」

 

「ズルくない。回収してないなのはが悪い」

 

 

 それでもめげないなのはは新たな提案をするが、その隙を突いてフェイトはなのはが封印したジュエルシードを掻っ攫っていった。

 

 

 

 そうして、二人の魔法少女は嵐の空を飛翔する。

 

 速度に勝るのは、やはりフェイトだ。

 不調とはいえ、彼女の速さは他と一線を隔す。

 

 対して、なのはの速度は遅い。

 それは本来の性能を発揮出来てはいないから。

 

 飛翔魔法からの加速と砲撃の切り替え。

 デバイスを持たない彼女は、それを自身の脳で行わなければならず、当然動きに淀みが生じている。

 

 そして同時に使える魔法は三つ。

 その内バリアジャケットと飛翔魔法は外せなくて、故に攻撃すれば障壁が消える。

 

 その瞬間に風に吹き飛ばされて、にゃーと情けない悲鳴を上げる有様だ。

 

 されど――

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 その火力はフェイトの上を行く。

 

 フェイトは試行錯誤し、竜巻を躱しながら封印しなければならない。

 対してなのはは、ただ足を止めて砲撃を放つだけで、竜巻ごと掻き消してジュエルシードの封印が行える。

 

 それ故に掛かる時間は僅かに、なのはの方が短い。

 

 

「五つ目! ジュエルシード、封印!」

 

(もう、五つも!?)

 

 

 フェイトが七つ目のジュエルシードを封じた所で、なのはは五つ目のジュエルシードを封印していた。

 

 最初にあった三つ回収済みというアドバンテージ。それがなければ、既に差はひっくり返されている。

 

 

「にゃはは、あと一個しかないや。やっぱりフェイトちゃんは凄いね」

 

 

 なのはが最後の一つを見る。

 そうして、それを封印しようと動き。

 

 

「させ、ない!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 これ以上持っていかせるかと、フェイトは魔法を発動する。

 距離がある為、加速ではなく射撃魔法。サンダースマッシャーが、ジュエルシードに向かって放たれる。

 

 対してなのはは、予想外の事態に深く考えられない。

 思わず反射的に、ディバインバスターで封印しようと撃ち放つ。

 

 二つの魔砲がぶつかり合って――空が震えた。

 

 ジュエルシードの直近にて、激しい魔力のぶつかり合いが起きる。

 

 結果として訪れたのは、災厄の宝石の魔力暴走。

 桜色と黄金色の輝きを青い光が吹き飛ばして、そして――空が裂けた。

 

 

「え、何あれ?」

 

「しまった!」

 

 

 驚愕するなのは、自身の迂闊を責めるフェイト。

 前者は無知故に、後者は既知故に、その動きは僅かに止まる。

 

 立ち止まった彼女達の前で、次元の裂け目は大きくなっていく。

 その向こう側に見えるのは、虚数の空間。何もないというのがある世界。

 

 そして、其処には、その先には――

 

 

「あ、ああ」

 

 

 それは、居た。

 

 何もない虚数の更に向こう側。

 極めて遠く、距離が意味を為さない果てに、其れは居た。

 

 それを、目視した訳ではない。

 ただ、彼女の血に宿った記憶が、其処にあるナニカを感じ取らせていた。

 

 

 

 幻視した。

 

 修羅を束ねる覇道の王。黄金の覇王。修羅道至高天。

 万象嘲る演出家。魔導を操る水銀の王。永劫回帰。

 

 そして、赤い髪に青い瞳の神様の姿を幻視した。

 

 彼らは対立していない。

 覇道三神。もって挑むは極大の邪悪。

 

 そう。その先に、三つの目を持つナニカを幻視した。

 それは気怠く拳を振るうと、それだけで神々は砕け散り――

 

 

 

 ああ、それは過去の情景。

 在りし日にその先にあった敗北の風景。

 

 今、虚数空間の先に彼らは居ない。

 真実、滅んだ神座世界(アルハザード)に残るは最早、三眼を持った大天狗だけであり。

 

 

――何だ、お前は?

 

「っ!?」

 

 

 そんな声を聞いた気がした。

 

 

 

 違う。気のせいだ。まだ気付かれてはいない。

 既に望みを果たしたアレが、虚数の先へ目を向ける筈がない。

 

 だからこれは自分の気のせい。

 綾瀬の――修羅道に連なるヨハンの血が、呼び起こした異界の記憶。それが生んだ幻覚に過ぎない。

 

 なら気付かれる前に、この穴を塞がなくてはならない。

 アレがこの世界に気付いたら、間違いなく世界は終わるのだから。

 

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 そんな幻覚に固まるなのはの前を、フェイトは神速で通り抜ける。

 加速魔法で自身を動かす少女は、ジュエルシードの暴走を防ぐ為に手を伸ばして――

 

 

「な、こんな所で!?」

 

 

 魔力が切れた。

 無茶をしたツケがここに来た。

 

 

「フェイトちゃん!?」

 

 

 唐突にガクッと落ちかけたフェイトは、風に吹き飛ばされて宙を舞う。

 何とかビルの屋上の格子を掴むと、その姿勢で暴力的な雨風を耐える。竜巻の数が一つに減っていたからこそ、辛うじて耐えられていた。

 

 その姿に飛び出していたなのはは、ほっと一息、視線を世界に開いた亀裂に戻した。

 

 裂け目は徐々に、大きく広がっていく。

 いずれ世界全てを飲み干すのではないかと思える程に、広がり続けている。

 

 なのは達はそんな姿に、世界の終わりを感じ取って――

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 少年が雄叫びを上げた。

 

 暴風の中を飛翔する。全力で加速する。

 嵐の中心地にある宝石へと、その手を伸ばす。

 

 

「ユーノくん!?」

 

 

 その少年の姿を、なのはは確かに知っていた。

 

 今までどこにという問い掛けと、何をしているのかという問い掛けは言葉にならない。

 

 そんな彼女の目の前で、とどけ、とどけとユーノはその手を宙に伸ばす。

 

 

「と、とどけぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 そう。これは第一歩だ。

 自信を持てない少年が、それでも踏み出す為に求めた第一歩。

 

 これを上手く出来たなら、今度はそこから始めよう。

 手にした自信を糧に、今度こそ間違えないように。

 

 あの時のことを詫びよう。救ってくれた白い少女に。

 何も出来なくて御免。大変なことを押し付けて御免。そして感謝を伝えよう。

 

 全てを語ろう。なのはの家族に。

 魔法の秘匿なんか知らない。貴方達の娘を巻き込んだこと、僕が犯した罪の全てを。その結果受ける罰、その全てを受け入れる。

 

 だから、だから、そう動く為の自信が欲しくて。

 

 

(僕は屑だ)

 

 

 分かっている。

 だから、だけど――

 

 

(屑のままでは、いたくないからっ!)

 

 

 少年はその手を伸ばす。

 

 その手は、確かに届いた。

 

 

「止まれっ!」

 

 

 荒れ狂うジュエルシードを握りしめた少年は、止まれ止まれと強く念じる。

 その姿はある可能性軸における黄金の少女と似通っていて、しかし確かに違うことが一つ。

 

 

「止まれ! 止まれ! 止まれぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 魔法と言う才能。魔法に対する適正。

 その差がより強く、ユーノの体を蹂躙する。

 

 手は焼け爛れ、腕は引き攣り、その余波は傷だらけの体にまで及んでいく。

 

 けれど、それでもその手は離さなかった。

 

 

 

 この事態が起きた時、ユーノは公園の中にいた。

 公園から空を見上げて、状況を理解した少年は奮い立つ。

 

 結果を出せば肯定できる。

 この無力感を拭い去って、そしてやるべきことをやれるようになる。

 

 そう素直に思えたから、ただ待った。

 黄金の少女が戦っている間も、なのはが駆け付けた瞬間も、ただ自分が動くべき時を待った。

 

 彼女たちに出来ることなら必要ない。

 そんなことをしても、自分を許せない。

 

 なら、為すことは簡単だ。

 彼女たちが危機に陥った時、体を張って守り抜くこと。

 

 あの使い魔の様に、今度は自分が。

 自分には、この体くらいしかないから。

 

 

 

 だから、掌の中で動きを止めたジュエルシードを見て、ユーノは確かな笑顔を浮かべた。

 

 

「は、はは。……なんだ。僕にも出来るじゃないか」

 

「ユーノくん!」

 

 

 そう思った瞬間に力が抜けて、魔力が底を尽きる。

 浮遊魔法は力を失い、少年は地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 

 地に激突する寸前になのはが追い付き、彼の体を抱きしめて支えた。

 

 

「にゃ、にゃにゃ!? ユーノくん、重いよ!」

 

「……ごめん、なのは」

 

 

 ユーノを抱きしめてふらつく少女に、彼は笑みを返す。

 

 

「本当に、ごめん。ごめんね」

 

 

 真剣に謝っているのに、けど同時に笑っている。

 その表情は、どこまでも晴れ晴れしい笑みを浮かべていた。

 

 だから、何だかなのはも嬉しくなった。

 彼の笑みに釣られて、なのはも笑みを浮かべる。

 

 空に開いた穴はない。

 虚数空間は、アルハザードへの道は、もう閉ざされていた。

 

 

 

 そんな和やかな光景。

 そんな二人の姿を遠く、一人ぼっちのフェイトは羨望の瞳で眺めた。

 

 

「君は、ずるいな」

 

 

 胸中を呟く。

 

 仲良しな友達が居て、優しい母に恵まれて、そしてこうして守ってくれる人が居て、なのははフェイトの欲しい物を全部その手に持っている。

 

 友達は居ない。母は優しくない。守ってくれる人は死んでしまった。

 そんなフェイトは、高町なのはを羨望と嫉妬が入り混じった瞳で見つめる。

 

 感じる想いは、一つだけ。

 

 

「……私は、君が嫌いだ」

 

 

 呟きと共に、フェイトは立ち上がる。

 今から挑む程の力もなくて、そんな自分が惨めに思えて――

 

 少女は温かな光景を背に、冷え切った身体を震わせながら立ち去った。

 

 

 

 

 

 こうして海鳴市を襲った未曾有の災害は、発生と同じく唐突に消滅する。

 

 そのあまりにもおかしな嵐の動きに、多くの有識者がその謎を解き明かそうとしたが、真実が明かされることはなかった。

 

 

 

 

 

4.

 時の庭園。

 プレシアは自らの研究室で、久し振りに上機嫌に研究を進めていた。

 

 掌で弄ぶのは八つのジュエルシード。

 出来損ないが回収した、それであった。

 

 態々手間をかけた意味があった。

 プレシアは胸中でフェイトの評価を上げながら、その研究を続ける。

 

 ジュエルシードのデータは十分集まっている。

 これなら、膨大な魔力を引き出し、我が物として振るう為の装備だって作れるだろう。

 

 デバイスにするか、いいやペンダントにして他の物と一緒に使えるようにした方が良いか。

 

 そんな風に浮かれるプレシアの気分に、水を差す言葉が一つ。

 

 

「そんなに嬉しいのかしら、自分の娘がちゃんとお使いを果たせたのは」

 

「……そんなことじゃないわ。それと、アレを娘なんて言わないで」

 

「あら、貴女が生み出したのでしょう? ならどんな形であれ、あの子の母親は貴女よ」

 

 

 研究室のテーブルで、焼き菓子を摘まみながらティーカップを優雅に傾ける女が一人。

 

 旧友のそんな言葉に表情を歪めたプレシアは、吐き捨てるように口を開いた。

 

 

「冗談でもそんなことは口にしないで、いくら貴女でも怒るわよ」

 

「あら、ごめんなさい」

 

 

 しれっとした返しに、苛立っていたプレシアの方が鼻白む。

 

 そこでふと疑問に思う。

 彼女は態々人の気にすることを責めたてるような悪趣味はなかったはずだ、と。

 

 ならばさて、何故この友人がこんなことを口にしたのか。

 

 

「どういうつもりなの」

 

「何が?」

 

「さっきの言葉よ」

 

「ああ、それね。別に大したことではないわ。警告、というより忠告かしらね」

 

「なにそれ?」

 

 

 紅茶を飲む姿のまま、そう口にするリザに、プレシアは眉根を寄せる。

 

 そんな彼女に告げられた言葉を、プレシアは一瞬理解が出来なかった。

 

 

「あの子、もう長くないわよ」

 

「……何ですって?」

 

 

 今日の天気を語るように、何でもないことのように言うリザの言葉に、プレシアの心は揺れる。

 

 

「診察した際に気付いたのだけど、あの子は重度の被爆状態にあるわ。どこでそんな被害を受けたのか、バリアジャケットを着ていれば防げたんだろうけど、放射能汚染された場所で防護服を脱いでしまったのね。……もう手の施しようがない程に汚染されているわ」

 

「っ!?」

 

 

 そう言われた時、果たして如何なる思いを抱いたのか。

 プレシアは深呼吸をして、その思いを押し殺すと、冷淡に告げた。

 

 

「……別に構わないわ。ジュエルシードを集め終わるまで、持てば良い」

 

「ええ、なら大丈夫。半月くらいは持つでしょう。……ただ、伝えておきたいことがあれば伝えておきなさい。手遅れになった後では、もう言葉はかけられないのだから」

 

「ふん。別に、アレに言うことなんてないわ」

 

 

 吐き捨てるように口にして、研究室を後にするプレシア。

 その後ろ姿を眺めながら、リザは静かに溜息を吐いた。

 

 

「ああ、本当に。古い鏡を見ている気分。どうしようもないわね、私たちは。失ってしまうまで、その大切さに気付けない。死者しか、愛することが出来ないのだから」

 

 

 自分と良く似た旧友を思いながら、リザ・ブレンナーはカップを空にした。

 

 

 

 

 




うちのなのはさんはヨハンの系譜。
詰まり獣殿の子孫。やはり魔王少女は血筋。(確信)


魔改造桃子さんによる熱い原作桃子さんディス。

割と原作なのはのトラウマ放置やStSでのワーカーホリックで家に帰ってなかった事を真面目に考察すると、高町家の実態が恐ろしい物に見えて来るから困る。

取り敢えず当作では、桃子さんは子育て慣れしてなかったから、なのはのトラウマを払拭できなかったのでは、と解釈しています。

原作なのはちゃんも強迫観念持ちだが、良い子だからこそ指摘が難しい。
子育て初心者には、レベル高いなんてもんじゃない歪みっぷりですからね。

それでも、とらハ時空の桃子さんも考慮すれば、魔法と出会わなければ家族関係が円満になってた気もしますが……


そんな訳で当作桃子さんは、自責と感謝と母性愛が入り混じって、なのはへの好感度が天元突破しています。士郎と恭也がドン引きするレベルで、なのはちゃんを溺愛している。そんな女性が家の桃子さんです。

まあ、この人もヨハンの系譜だから、愛が重いのは当然の流れですね。


あと序でになのは世界が詰んでいる理由の一つである、あいつが顔見せ。
アルハザード=神座世界なので、今虚数空間の向こう側にいるのってあいつだけなんですよね。このくらいなら回想の延長と言い張れると信じている。

初期プロットでは本当に出す気なかったんですが、居るなら顔見せだけさせておこうと思いました。(小並感)もう出ないよー(棒)


フェイトハードは続く。
そんな作者がリリカルで一番好きなのがフェイトちゃん。……これが愛か。



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