リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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ヒャッハー! ギリギリ三月中の投稿だー!!


第二十五話 失楽園の日 其之弐

1.

 太陽が堕ちた。そう思わせる程に、激しい熱が吹き荒れた後の地上。

 月村すずかは苦虫を噛み潰した様な表情を張り付けながらに、魔群が消し飛ばされた跡地を進んでいる。

 

 大地を駆けるは足ではない。特殊な鉄と魔力式の動力炉にて動くのは、管理局で正式採用されている運搬車両だ。

 並みの乗用車などは比較にならないその俊足。されどそれでも遅いのだと、苛立ち交じりに感じてしまう。だからだろうか、現状への怒りが知らず口から洩れた。

 

 

「こんな状況で最大火力なんて、アリサちゃん。何をやってるの!?」

 

「いや、この状況なら正当じゃないかい。確かに一般市民の安全配慮は欠けていたが、そもそもクアットロを取り除けなければ僕らが動く事すら――」

 

「分かってるわよ! そんな事!!」

 

 

 分かっている。彼女とて理解は出来ているのだ。魔群が満ちた大地では、真面な行動すら出来はしなかったと言う事は。

 それでも感情の問題だ。救出する為に一斉駆除が必要で、だが其処に要救助者を巻き込んだ事が医務官として許容出来ないのである。

 

 月村すずかは医務官だ。陸士任務の兼任で、資格を取っただけとは言え医務官なのだ。

 その自負があって、その意地がある。故に昏睡した人々が未だ居る場所で、アリサ・バニングスが非殺傷とは言え広域破壊砲撃を行った事を許せなかった。

 

 

「ロッサ君は腕を動かしてっ! 一人でも多く、少しでも多くを助けるの!!」

 

「……了解」

 

 

 それでもそうしなければ、救出すら出来なかったと理解はしている。だからこそ面倒なのだ。

 怒鳴り付ける様な八つ当たり。それに晒されたまま、ヒステリックを見せる女の相手は真面にするべきではないと、ヴェロッサ・アコーズはアクセルを踏む。

 

 何だかんだと、彼は彼女に恩がある。カリム・グラシアが一命を取り留めたのは、すずかが戦線から外れていたからであると知っている。

 その恩に比較すれば、苛立ちで八つ当たりをされたとしても苦痛にすら思えない。前線で戦えるだけの実力もないと自覚すればこそ、彼女の人命救助に付き合う事に異論はなかった。

 

 

(だが、何だ。この違和感は……)

 

 

 乗用車を操りながらに、感じるのは僅かな違和感。

 少しでも多くの人命を救おうとしている医者には語らず、その違和感を己の中で噛み潰す様に向き合い問う。

 

 

(スカリエッティの目的は、反天使の完成。それは為された。……だが、本当に奴の目的はそれだけなのか?)

 

 

 ジェイル・スカリエッティの目的。失楽園の日。プロジェクト・パラダイスロスト。

 それが反天使の完成を意味するならば、確かに全てが果たされた。簒奪の悪魔たちは神の力、抱える魂の大部分を奪い取って完成した。

 

 最早反天使は怪物だ。既にその身は神域へと辿り着き、神殺しを果たせる程に至っていよう。

 管理局は完全に裏を掻かれた。全ての用意と用心を超えられて、最早残すはこの被害をどれ程までに減らせるか、止める事は出来るのかと言う一点に尽きる程。

 

 中つ法の塔は燃え堕ちた。黙示録の喇叭の下に、醜悪な肉塊が空に舞う。

 今尚湧き出し続ける悪獣の群れは正しく、地獄絵図としか言えない楽園の終わりを思わせる。

 

 だがそれでも、これだけなのか。そう思ってしまう理由がある。あの狂人の企みが、これだけな物かと思える理由が確かにある。その理由、最たる物は唯一つ。

 

 

(ならば何故、僕らが今意識を保っていられる? 奈落を――夢界を媒介とするなら、少しでも強い者を繋いだ方が良いのは明白だろうに)

 

 

 自分達が意識を保っている。それこそが疑念の裏付けだ。

 希少技能(レアスキル)保有者。歪み者。過去の残滓を受け継いだ女達に、己から生まれる力を自覚した太極の器。

 これらを繋がない理由がない。これらを繋げば、それこそ反天使は真の意味で完成した筈だ。管理局の全員に、抵抗する余地などは残しもしなかった筈なのだ。

 

 

(魔鏡の干渉力を、僕らの抵抗力が上回った? まさか、そんな事などあり得ない。大天魔級の怪物が、最高位のロストロギアの支援を受けて、だぞ。そんな干渉を、個人が弾ける事などあるものか)

 

 

 出来ない筈がない。行えない道理がない。反天使は既に、それ程に強いのだ。

 こちら側で辛うじて対抗出来そうなのは、最高戦力であるエースオブエース唯一人。

 他の者らは抵抗できず、飲み込まれて然るべきだろう。なのにどうして、我らは意識を保って動けているのか。

 

 

(意図して残した? 何の為に、何を狙って?)

 

 

 其処に意図がある。其処には確かな理由がある。

 策謀、策略。こと頭脳を用いた行動に置いて、ジェイル・スカリエッティは誰の追随も許しはしない。

 ならばそう、僅かでも読み解かねば話にならない。そして恐らくそれに辿り着けるのは、奴の頭脳を読み続けていた己しかいないだろう。

 

 

(読めない。だがパーツが足りない訳じゃない。多分、見方が間違っているんだ)

 

 

 抵抗するだけの力を残したのには、必ずや理由が存在している。反抗する牙を与えたのには、確実に何か裏がある。

 情報は既に出ている。彼の狂人の本質は揺るがずあって、その目的の最終地点は予想するに容易い事だ。

 

 ならばそう。ほんの少し見方を変えれば、きっと分かる程に簡単な思惑。

 だがそのほんの少しがまるで見えて来ない。一体何を考えているのかと、読み解けずに歯噛みする。

 

 

(スカリエッティは、一体何を企んでいる)

 

 

 黙示録の日。パラダイスロストは滞りなく、全て狂人の掌の内側で進んでいる。

 その果てにある結末。今日と言う日は一体どの様な幕引きを迎えるのか、全ては彼の男の頭脳の中にのみ。

 

 予感があった。確信はあった。事実として分かっていた。

 何かが変わる。一つの何かが終わりを迎えて、世界は変換期を超えるのであろうと。

 

 

 

 

 

2.

 黒から解き放たれた大空を、白銀の翼が舞う。既に傷だらけのその身をよろめかせながら、それでもフリードは高く飛ぶ。

 羽搏く銀龍が向かう先、其処にあるのは醜悪な肉塊。黄金の色をしていた優美な船体は、血肉に染まって脈動している。其れこそ彼女が座す、堕ちた聖王の揺り籠。

 

 

「視えた! あそこに!」

 

「あの中に、ヴィヴィオが居る!!」

 

 

 空に浮かぶ巨船に並走する様に、キャロはフリードを操り空を飛ぶ。

 近付けば近付く程に分かるその威容。少女らは愚か、フリードですら小さな蟻に見えるであろう程に巨大な船。

 

 

「フリード! お願い!!」

 

「きゅくるー!!」

 

 

 飛竜に乗ったキャロは速度を合せて、まるで編成飛行をする様な距離で騎竜の顎門を船へと向ける。

 その意志を受け取ったフリードは一つ鳴いて、口から巨大な火を噴いた。

 

 ブラスト・レイ。AAランクの魔導師が放つ炎熱魔法にも匹敵する、白き飛竜の最大火力。

 その炎が巨大な船体のごく一部を包み込んで燃え上がる。激しい炎に包まれて、肉塊の外壁は色が変わる。だが、しかし――焼き尽すには、何もかもが足りていない。

 

 

「っ、傷一つ、ない」

 

「んじゃこっちも、そりゃーっ!!」

 

 

 炎のブレスで抜けない事など、最初の内から想定している。

 仮にも反天使が居城と選んだロストロギアだ。魔鏡の力が全てを覆っている以上、そう簡単に壁抜きなどは出来ないだろうと分かっていたのだ。

 

 故にルーテシアは風呂敷包みの中身を使う。高魔力結晶を使い捨てにして、発生するのは大爆発。

 傷だらけのフリードが態勢を崩す程に大きな破壊が其処に弾けて、堕ちた揺り籠の外壁。その肉塊に穴を開けた。

 

 だが、それもまた一瞬。ビデオテープを巻き戻す様に、瞬く間に肉が盛り上がっては穴を塞いだ。

 

 

「……うっわー、グロイ感じに塞がってる。しかも早いし、外部からは壊す事すら出来ないって訳?」

 

 

 ロストロギアを使い捨てて、それで外装一つは抜ける様ではある。

 だがそれでも射抜けたのは一つだけ、無数の肉壁を貫くには威力が何処までも足りていない。

 

 外からでは不可能だ。それはキャロとルーテシアに限った話ではない。

 恐らく地上で戦っているエース陣でも同じ結果に終わるだろう。ゆりかごを外部から、止める術など一つもないのだ。

 

 ならばどうすれば良いのか、返す答えは唯一つ。

 

 

「なら、内から止めるしかなさそうね!」

 

 

 外から壊せないと言うならば、中から機能を止めてやるより他にない。

 醜悪な形に堕ちたゆりかご。その内側に乗り込んで、制御中枢となっているであろうヴィヴィオを此処に抑えるのだ。

 

 

「けど、どうやって入れば良いの!?」

 

「決まってるでしょ! こういうのは、入り口からってね!!」

 

 

 外からは止められない。穴すら真面に開けられないなら、どうやって侵入すれば良いと言うのか。

 問い掛けるキャロにルーテシアが返すのは、入り口から入ろうと言う当たり前の思考であった。

 

 

「見た目肉塊でも、宇宙船だもの! 何処かに入り口だった場所がある筈よ! 其処を、コイツで打ち抜く!!」

 

「それで空いた穴が塞がる前に、……分かった。やってみよう! フリード! 探して!!」

 

「きゅくるー!」

 

 

 聖王のゆりかごは、次元世界を航行する巨大戦艦だ。宇宙船が元であるなら、どれ程形が変わろうと内と外を繋ぐ場所は残っている。そう判断したルーテシアの言葉に従って、キャロはフリードに頼み込む。

 実際に入り口があるかどうかは分からない。もしかしたら変貌した時に、全て塞がっているかもしれない。それでもそれしか道がないから、其の一手に賭ける他に術がないのだ。

 

 白き飛竜は少女の願いに頷くと、翼を広げて速度を上げた。

 既に限界に近い程に傷付きながらも尚速く、今よりも速くとフリードは己の限界すら乗り越える。

 

 だがしかし、侵入しようと企む敵を見逃す程に彼女らの相手は甘くない。

 聖王の揺り籠。その肉塊が蠢動して、外敵を排除する為の機構が今動き出す。

 

 ギョロリと、異形の肉塊に浮き出すのは無数の眼球。巨大な瞳が見詰めるのは、空を駆ける銀の竜。

 総体で見れば余りに膨大。圧倒的な魔力が無数の瞳に集まって、その視線を以って焼き尽すかの如く砲撃する。

 

 

「っ! 撃ってきた!?」

 

 

 慌ててキャロは手綱を操り、応えるフリードが熱光線を回避する。

 既に死力を尽くす少女らに対し、膨大な数の防衛機構は次から次へと光を雨霰の如くに振り下ろした。

 

 躱す。躱す。躱す。躱す。ギリギリの回避を只管に続けて、故に飛竜は近付けない。

 時間経過は敵の味方だ。今は減っているクアットロとて、そう時間を置かずに無限数にて世界全てを満たすであろう。

 

 

「防衛は完璧って言いたい訳! けどねぇ! シュテーレ・ゲネゲン!」

 

 

 今だけだ。今の内だけなのだ。此処で勝負に出なければ、少女たちに勝ち目はない。

 故にルーテシアは一手打つ。御免ねと内心で呟いて、此処を突破する為にこそ、彼女は全てを出し尽すのだ。

 

 

「こちとら、端から全力全開、後先なんて考えてないの! この程度で、止められると思うなぁぁぁっ!!」

 

 

 召喚されたのはインゼクト。機械に憑依して、操る数だけが売りの召喚虫。

 手にしたロストロギアの一部に彼らを憑依させ、文字通り使い捨ての肉壁として盾にした。

 

 爆発する。爆発する。爆発する。家族の様に扱っていた、大事な召喚虫が潰れていく。

 その光景に胸を痛めながらも、それでも無駄にはしないのだと心に誓う。そうして白銀の飛竜は漸く、堕ちた揺り籠の入り口へと辿り着いていた。

 

 

「きゅくるー!」

 

「見付けたって、フリードが!」

 

 

 数百と居たインゼクト。その全てを使い潰して漸くに、彼女達は入り口を見付け出す。

 それは艦載機を外に打ち出す為の射出口。その閉じた継ぎ目の先にあるのは、今では唯一の入り口と化したカタパルト。

 

 

「あの辺が入り口、って訳?」

 

「XL級と構造が余り変わらないなら、多分。フリードも継ぎ目が見えるって言ってる!」

 

「なら、突入するわよ!」

 

「了解!!」

 

 

 侵入ルートは見付け出した。ならば後は全力で、其処に向かって駆けるのみ。少女らの意志に飛竜は応じて、その身を揺り籠へと近付けていく。

 カタパルトの周辺には、射撃兵装の数が少ない。それは構造的な理由であろう。だが皆無ではない。元よりこれは原形を留めぬ程に貶められている。ならば血肉が蠢けば、防衛装置の位置を動かす事とて容易い物だ。

 

 最早盾はない。フリードに全てを避け切る程の力も残ってはいない。だから、彼女達が選ぶのは突貫だ。

 肉塊が動いて迎撃されるよりも前に、辿り着いて穴を開ける。其処に全力を費やして、撃ち抜く為に賭けるのだ。

 

 

「行って! フリードォォッ!!」

 

 

 降り注ぐ光に撃ち抜かれて、翼を穴だらけにしながらもフリードは前に飛ぶ。

 今にも墜ちそうな程に消耗して、それでも飛竜は前へと飛んだ。ならばルーテシアも此処に、己の全てを此処で賭ける。

 

 

「取って置き。これで種切れよ! 全弾持っていけぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ロストロギア全弾射出。残った全てを此処に使い切って、先に繋がる道を切り拓いた。

 

 

「空いた! この隙間にっ!!」

 

「中に入って、私達の友達を取り戻す!!」

 

 

 この一瞬に、この僅かな交差に、どれ程の賭けを乗り越えたのか。

 魔群を超える事が賭けなら、聖王のゆりかごに接近する事も分の悪い賭け。その内部に突入する事など、最早奇跡と言える程に天文学的確率だろう。

 

 それでも、零ではなかった。そして、その賭けに勝ち続けて来たのだ。

 ならばこの先にも進もう。既に切れる札のほぼ全てを失って、それでも賭けに勝つのだと前に行く。

 

 退けない、理由があるのだ。取り返したい、人が居るのだ。ならばどうして、此処で迷う意味がある。

 

 

「行くよ、ルーちゃん! フリード!!」

 

「きゅくるー!!」

 

 

 醜悪な肉塊に生まれた亀裂。焼け焦げた肉の穴の中へと、ボロボロの翼が必死に飛び込む。

 既に死に体。これより先が本番で、されど舞台に上がる時点で既に死に体。だが、だからどうしたと前に進む。

 

 そんな飛竜と少女らの前に、その残酷な現実は姿を見せた。

 

 

「っ!! 何、これっ!?」

 

「マズっ!? コイツはっ!!」

 

 

 飛び込んだ先のカタパルト。入り口として用意されたその場所には、当然の如く罠がある。

 半ば墜ちる様に鋼の上に降り立ったフリードと、その背に乗った少女らが見たのは悪夢の様な現実だ。

 

 それは球体だった。蟹を思わせる多脚の胴体。その上に六つの球体が浮かんでいる。

 これはガジェットだ。自走し、標的を捉え、最大砲火をぶつける事に特化したガジェットだ。

 

 ガジェットS型。内部に魔群の血を取り込んだこの無人兵器は、一つの魔法にのみ特化している。

 六つの球体が敵に対して、最高火力の砲撃魔法を打ち込むだけの使い捨て自動兵器。その打ち込む魔法として選ばれたのは、この砲撃魔法を置いて他にない。

 

 

〈イミテーション・スターライトブレイカー〉

 

 

 空に浮かんだ六つの球体。それら全てが同時に撃ち放つのは、プロトタイプスチールイーターの主砲と同じだ。

 偽りの星光。唯一つでさえ街の一区画を焼け跡へと変える破壊の光が、白銀の翼を包んで焼き払った。

 

 

 

 

 

 白銀の飛竜は此れにて墜ちた。フリードの翼は失われ、少女らはそれでも辛うじて生きている。

 前へ。前へ。前へ。その意志は揺らがず、その意地は変わらず、彼女達は必死に友を目指している。

 

 そんな光景を聖王の揺り籠の制御中枢にて、ヴィヴィオ=アスタロスは冷めた瞳で見詰めていた。

 彼女達は辿り着いて、一体何をする心算なのか。辿り着けたとして、一体何が出来ると言うのか。そもそも、彼女達程度では辿り着く事さえ出来ぬだろう。

 

 それは確信。確信を持って、機械的にそう判断している。

 キャロとルーテシアでは不可能だ。特別な力も才能もなく、手札も全て失った。そんな彼女達が、この領域を踏破出来る筈がない。

 

 

「この聖王の揺り籠には、マスターが用意した防衛網が存在しています。その数。その密度。聖王教会に配備された機械群と、ほぼ同等。真面な方法では突破は先ず不可能です」

 

 

 これはスカリエッティの玩具箱。彼が戯れに思い付いた兵器や罠で満ちた、スカリエッティの遊び場だ。

 聖王教会の罠は全て無駄にされたが、それを為せたのは相手が高町なのはだからこそ。同等規模の罠に満ちた揺り籠を、幼い少女二人に突破出来よう筈がない。 

 

 

「ガジェットS型。自動で浮遊、敵機を索敵し追尾し、そして集束砲を放つだけの使い捨て自立ビットとその台座。その数が500」

 

 

 蟹の様な胴体に、本体とでも呼ぶべき浮遊球体。台座の数が500ならば、砲門の数は即ち3000。

 嘗ての夢界の廃神。狂愛に満ちた星光に準えて、スカリエッティが遊びで用意した星の極光は三千発だ。

 

 例え夢の世界とは言え、君らの先達は乗り越えたぞと。

 故にそれと同数を用意して、あの狂人は遊んでいるのだ。

 

 そして此処、揺り籠にある防衛装置はS型だけではない。

 

 

「ガジェットⅤ型。対エースストライカー向けに作られた拠点防衛用兵器。その数が50」

 

 

 高町なのはやゼスト・グランガイツ。彼らトップクラスの魔導師を相手取る為に、資金を惜しまず作り上げた防衛兵器。 

 次元管理局の三脳が機動六課対策にと、スカリエッティに作らせた正しく異常な機体である。それが50。要所要所に配備され、制御中枢への突入を妨害している。

 

 エースや歪み者でも、真面にぶつかればこの罠を突破する事は不可能だ。

 それ程に悪辣にして周到な罠。圧倒的な物量を前にして、しかし相対する者らはエースですらない。

 

 

「エースではない。希少技能もない。歪み者ですらなく、ロストロギアは使い果たした。そんな貴女達では突破は不可能」

 

 

 冷めた目で見据える。監視装置越しに映るのは、必死に前に進む()()の姿。

 翼を撃ち抜かれ、焼け爛れたそれを失ったフリード。白銀の飛竜はまるで飛べない鳥の様に、無様に大地を駆けていた。

 

 その背に噛り付いたキャロは、半身不随故にフリードが動けなくなれば其処で終わりだ。

 その背より下りたルーテシアはガリューと共に、しかし戦闘用の召喚虫とは言えエースと比すれば一段二段は落ちる者。

 

 どちらも総じて、取るに足りない。父が言っていた()()()()()()()()()()でもない。

 故に排除は簡単だ。取り除く事を躊躇する必要すらもない。唯こうして此処に居て、潰れるまで眺めていればそれで済む。

 

 

「諦めて消えると良い。キャロ・グランガイツ。ルーテシア・グランガイツ」

 

 

 確信を持って、魔鏡アストは断言する。決して少女達は己の下へ、辿り着けはしないだろうと。

 それでも何故だろうか。そう思う時、そう思考する時、僅かなノイズが脳裏に走る。偽りの感情が甦り、ヴィヴィオはその顔を小さく顰めた。

 

 

「……やはり、不合理ですね。不要。不必要。所か害悪ですらある」

 

 

 彼女は写し取る鏡。人を欺く為に作り出したのは、ごく一般的な幼子を写し取ったヴィヴィオと言う人格。

 機動六課に侵入する為に用意した疑似人格が、今になって足を引いている。そう自覚する魔鏡は小さく吐き捨てると、見なくとも結果は同じだろうと目を閉じた。

 

 

 

 

 

3.

 翡翠の光が膨れ上がる。降り注ぐは直射型の砲撃魔法。その数が無数に、神聖なる教会の玉座を満たす。

 対する男は不動の儘に、頬杖を着いて対処する。蚊を払う様な気安さで、払った腕に重さを感じる。おやと眉を顰めた科学者の、眼前には既に黄金の杖。

 

 交差する。強き意志と共に振り抜かれた杖を、受け止めるのはドロリとした異質な魔力光。

 基調は白。だがその色が淀んでいる。魂の輝きである魔力光を、歪ませているのは薪となった人々の怨嗟だ。

 

 許さない。許さない。許さない。誰よりも奈落に憎まれているのは、間違いなくこの男。

 だがジェイル・スカリエッティと言う狂人は、人の憎悪すら取るに足らぬと嗤い飛ばす。今も憎む彼らの意志を、己の力に変えているのだ。

 

 それが分かる。一合杖を交わしただけで、痛い程に伝わってくる。

 

 魂を見る目が見る。その光景は地獄絵図。スカリエッティに縋る様に、地獄に落としてやると亡者達が纏わり付いていた。

 そんな人の憎悪ですら、この狂人は揺らがない。鼻で嗤って使い潰して、当たり前の様に己の求道を突き進むのであろう。

 

 終わっている。スカリエッティと言う男は、どうしようもない程に終わっていた。

 

 

「貴方はどうして!?」

 

 

 目の前にある男の顔。バリア一つ挟んで、椅子に座す白衣の狂人。

 至近距離で見詰める高町なのはは問う。この男、ジェイル・スカリエッティが何故この今に動いたのかを。

 

 

「こんな事を、したんですかっ!!」

 

「ふむ。言った筈だよ。既に示した筈だ。今更、問う事に意味はない」

 

 

 返る答えは悠然と、冷めた瞳で言葉を返す。

 嘲笑を張り付けた男は観察する瞳で高町なのはを見据えながら、軽く手を振る事で魔力弾を生み出しながらに一つを告げた。

 

 

「もう少し建設的な会話をしようじゃないか。否定するだけでは、些か詰まらないよ」

 

「っ!!」

 

 

 その問いは無駄である。その言葉は無価値である。余りに愚かで、取るに足りない。

 馬鹿にした様に語る男に頭が沸騰し掛けるが、冷静さを保ったままに高町なのはは襲い来る光に対応する。

 

 回避して、打ち落として、反撃する。降り注ぐ翡翠の光に晒されながら、しかし淀んだ魔力障壁は崩れない。

 砲撃を受ける度に揺れる魔力障壁の内側で、頬杖を付いていた男は静かに判断すると嘯く様に口を開いた。

 

 

「しかし、君はスロースターターだ。まだ本領とは程遠い。それを考えれば、このままでは厳しいかも知れないねぇ」

 

「そんな余裕そうな態度で何をっ!?」

 

 

 馬鹿にしているのか、余裕そうな態度で語る言葉に吐き捨てる。

 不撓不屈によって増していく魔力を操りながらに睨み付ける高町なのはに対して、白衣の狂人は道化の様な言葉を返した。

 

 

「ハハハ、そう怒らないでくれ。紛う事なき本心だよ。これは」

 

 

 スカリエッティは自嘲する様に、そう語る。その言葉に嘘偽りなどはない。

 この今にも震えてしまいそうな程に、恐怖を覚えている。この科学者の道化た仕草は、決して演技などではないのだ。

 

 

「避けなかった訳じゃない。避けられなかったんだ。避ける必要がなかった訳じゃない。防ぐしか出来なかったんだよ。これでも内心、戦々恐々としているんだよ。私は戦士ではないからねぇ、臆病なんだ」

 

 

 躱さなかったのではない。反応出来なかったのだ。無理に反応しようとすれば、情けない姿を見せると分かっていた。

 元よりスカリエッティは戦士ではない。戦う者ではないのだから、技巧を比べれば勝ち目がない。意地を張って対抗すれば、余りに無様な姿を見せる結果となろう。

 

 そうと分かっているからこそ、ジェイル・スカリエッティは動かない。

 まるで悠然としたその態度は、自分が必死になる程に追い詰められれば負けると確信しているからこその物。

 単なる余裕ではない。余裕を見せられなくなった瞬間に、彼は敗北すると自覚しているのだ。故にこうして、座して動かぬ事を選んだのである。

 

 

「そうとも、私は戦士ではない。研究者だ。科学者でしかないこの身。出来る事など精々、力任せに異能をぶつけるくらいだよ」

 

 

 力任せに腕を振るしか能がない。事戦場と言う分野において、己は無能と素直に認めている。そんなジェイル・スカリエッティは、ならば取るに足りないか。

 

 

「だが、断言しておこう」

 

 

 いいや、否だ。この男は無能の自覚があればこそ、非常に厄介な存在となる。

 

 

「私自身はそう強くはないが、私の研究成果だけは、世界で最も先を行くと自負している。故に、侮らぬ事だ」

 

 

 腕を振るうしか能がないと自覚すればこそ、腕を振るうだけで勝てる様に舞台を整える。

 そもそも競うと言う事を選ばない。競い合ったら負けるなら、競う必要がない程の差を作る。それがこの狂人の思考であるのだから。

 

 

主が彼の父祖の悪を忘却せぬように(イザヘル・アヴォン・アヴォタヴ・)母の罪も(エル・アドナイ・)消えることのないよう(ヴェハタット・イモー・アルティマフ)

 

 

 そして門が開かれる。無限の憎悪の奥底から、スカリエッティを呪う怨嗟の力が湧き出し溢れる。

 己に対する呪詛。それを祝福に変える。無尽蔵の呪いを力に変換して、ジェイル・スカリエッティは夢より一つの力を取り出した。

 

 

「アクセス――我がシン。来たれ偽りの神、這う虫の王」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの背に、巨大な黒き太陽が浮かび上がる。

 泥が零れ落ちる様に、油が溢れ出す様に、ドロリと溢れ出すのは無限数の悪性情報。即ち、魔群の力だ。

 

 

「っ!? これは、クアットロの!?」

 

「然り、我が愛し子の力の一つだ」

 

 

 津波の様に迫る悪意の群れを前に、なのはは黄金の杖を構えて対抗する。

 波頭を抑えて吹き飛ばし、生まれた隙間を高速移動。飛び回りながら近付く女の姿を、スカリエッティは捉えられない。

 

 力はあるが、反射神経が追い付いていないのだ。如何に素体を強化しようが、魂が凡庸な資質しか持っていなければ活かせない。

 だから元より、スカリエッティは追い掛ける事など選択しない。追い掛けては追い付けないから、追い掛ける必要を無くすのだ。

 

 

「故に、こういう事も出来るとも」

 

 

 一度に開ける門は一つじゃない。一度に降ろせる悪魔は一柱ではない。

 夢界の支配者を慮生と言うなら、奈落の支配者であるジェイル・スカリエッティは正しくそれだ。

 

 彼は己の求道と言う悟りに辿り着いた、普遍的無意識に対する圧政者なのだ。

 

我は汝を召喚す(ディエスミエス・イェスケット)――闇の焔王、(・ボエネドエセフ・ドウヴェマー)悪辣の主よ(・エニテマウス)

 

 

 玉座に腰掛ける白衣の男の纏う魔力が、その質を大きく変えていく。

 淀んだ白から腐った黒へ。迫る高町なのはの接近に気付けぬならば、近付けない炎を纏って対処する。

 

 

「されば我が前に闇よ在れ――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)!!」

 

「っ! エリオの腐炎まで!?」

 

 

 後一歩、首筋にまで迫っていた刃が引かれる。この腐炎は受けられない。そう知るが故に、彼女は慌てて後方へと飛んだ。

 追い掛ける様に迫った魔群を、湧き出した腐炎が巻き添えにして燃やし尽くす。上手く制御出来なければこうもなるかと、妙な感慨を抱きながらもスカリエッティは揺らがない。

 

 力を使い熟せてはいない。自分の呼び出した力で同士討ちなど、明らかに持て余している証左であろう。

 だがそれでも、この男は手に負えない。強いのではなく、性質が悪い。質量が違っていればこそ、些細なミスがミスにならないのだ。

 

 この男に勝つ方法などは単純だ。強くなれば良い。この差を埋める程に、何かで補えば即座に勝てる。

 だがその差が大きい。全ての反天使の力を同時に操ると言う異常。強大な地獄の体現を思わせる力を前に、高町なのはは冷や汗を流していた。

 

 

「そう驚く必要はあるまい。物語の大きな敵が、それまでの敵の力を扱う。これはある種お約束と言う奴だろう?」

 

「ゲームか何かの様にっ! 貴方は遊んでいる様な口調で!!」

 

 

 そんな様を嗤って、スカリエッティは何でもない事の様にそう語る。そんな語る姿の裏に、どれ程の怨嗟が渦巻いている事か。

 まるでゲームか何かの様に、人の生き死にを弄んでいる求道の狂人。取るに足りぬと死者を嗤っている狂気の求道者。その姿に憤りを、怒りを向けながらに魔力を高める。

 

 

「幾つ犠牲を生み出した!? どれ程他者を傷付けた!! それでも貴方は、変わらず嗤うのっ!?」

 

「そうとも、それが私だ。満天下に断言しよう。ジェイル・スカリエッティとは、並ぶ者なき破綻者の屑であると」

 

「それが分かって、なのに貴方はっ!?」

 

「それが分かってるからこそ、私は己の求道の為に生きるのだよ」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは人として終わっている。求道に狂ったこの男を前に、常識や一般論など意味がない。

 屑と自覚して、破綻していると分かって、嗤いながらに必要だからと苦しめる。其処に一切の呵責を覚えぬこの男は、決して救えはしないし救ってもいけない男である。

 

 そうと分かっている。そうと分かっていた。それでもと何処かで期待した。

 触れ合う月日に変われたのではと、彼に遺した言葉の様に確かに何か変わったのではと、嗚呼そんなのは思い込み。

 

 どれ程情を抱いても、どれ程他者を理解しようと、ジェイル・スカリエッティは変わらない。

 彼は求道に狂っている。己の道しか見えてはおらず、他の全てが路傍の石。ならばどうして、その純度が揺らぐ事があるのだろうか。

 

 

(君が完成する迄、もう少し。待っているとも期待している。その時を、だから――)

 

 

 故にこれも、白衣の狂人の策の内。全ては唯、失楽園の日。その最終幕を開く為にこそ。

 

 

「許せぬと語るなら、来たまえ。……何、私自身はナハト以下だ。恐れずに全てをぶつけてみれば、存外容易く討てるかもしれないよ?」

 

「貴方と言う人はぁぁぁぁっ!!」

 

 

 ジェイル・スカリエッティは待っている。戦いの中で、太極の器が満ちるその瞬間を。

 後少し、後僅かで準備は整う。この陰陽を内包する器がアレに耐えられる程に、高まるのは後僅か。

 

 翡翠の光と悪魔の力が飛び交う中、玉座に腰掛けた狂人は静かに嗤い続けていた。

 

 

 

 

 

4.

 地上本部の跡地に出現した悪魔の王。この今の世界で、最も強大な力を持つ存在。

 エリオの器を依り代として、顕現したのは無価値の魔王。その異形を、トーマの内側でリリィは見る。

 

 誰も何も口に出来ない。夜の如く凪いでいるのに、放つ威圧感だけで誰も動けない。

 思考できる余裕があるのは、トーマの内に守られているリリィくらいだ。トーマは身動き一つ出来ないし、ティアナに至っては呼吸困難となって死に掛けている。

 

 失楽園の地獄の中で、唯一つ生まれた異様に静かな場所。

 台風の目の中心の様に全てが凪いだこの場所で、無価値の悪魔は歪つに嗤った。

 

 

「俺はね。エリオの事を好んでいる」

 

 

 そうして語る。口にするのは、彼が好む一人の少年。

 魂は奈落に繋がれ、肉体は依り代となり、最早残骸となったエリオ・モンディアル。

 

 嘗ての相棒の名を舌に転がせて、暇を潰す様に倒れた者らの前にて一人語る。

 口にするのは一つの戯れ。余りに力の差があり過ぎて、戦う事すら出来ない者らを見下しながらにナハトは語った。

 

 

「アイツは良い。何より願いが好ましい。何だ、叶えてやりたいと、悪魔が思ってしまう程に愛らしい祈りじゃないか」

 

 

 報われぬ人に救いの手を。苦しんだ人にこそ救済を。生まれだけで、全てが決まらない世界を。そんな願いが愛らしい。

 報われる為に不断の努力を。己を磨き続けた人にこそ救済を。強くなる意志を全ての人が持つ世界。そんな手段も好ましい。

 

 何よりも好ましく、愛らしい。そんな渇望。なればこそ、彼を好む悪魔は想う。是非ともぐちゃぐちゃに穢し堕としてみたいのだと。

 

 

「だから、叶えて上げようと思うんだが……しかし一つ疑問に思ってね。少し意見が聞きたいと思うんだ」

 

 

 視線を向ける。それだけで、トーマの鼓動が一度止まった。

 超越種として君臨する怪物は、そんな無様を鼻で嗤って語りを続ける。

 

 口にするのは、余りに悍ましい願いの冒涜だった。

 

 

「救いたい。愛しい人が、生まれついての理不尽で苦しむ姿はもう見たくない」

 

 

 彼は本気で願っていた。心の底から祈っていた。手段は間違っていたけれど、その願いは真実切なる物だった。

 それは誰もが認めよう。受け入れる事が出来るか否かと言う話じゃない。その願いの気高さや、祈りの尊さは本物だった。

 

 

「人は生まれで選ばれるべきじゃなく、真に問うべきは努力じゃないか。ああ、それは良い。そういう想いは素敵だろう?」

 

 

 だが、悪魔はそれすら貶める。泥と糞尿を塗り固めた理想で現実を塗り替えて、これがお前の願いの形なのだと嗤うのだ。

 元より悪魔とはそういう物。誰よりも人間を愛すると語りながらに、その願いを曲解して、悪辣な手段で全てを台無しにする怪物達だ。

 

 

「だがしかし、とんと分からない。――そんな願いなら、座を取る必要などないだろう?」

 

 

 故にこれは曲解だ。本質を意図的に間違えた受け取り方だ。その叶え方は、尊い願いの本質を踏み躙る形であった。

 

 

「選ばれし人が救われるべきだ。努力する人が助かるべきだ。幸福の椅子は、真に強い人にこそ相応しい。……詰まりはそう、相応しくない弱者が減れば良いと言う事だろう?」

 

 

 弱肉強食の方によって、救われるべき人間を選ぶならば、それは弱者に対する篩落としを意味している。

 結果として弱者が零れ落ちて消えるならば、為すべき事は同じであろう。必要なのは競争だ。我を剥き出しにした闘争だ。共食いこそが必要なのだ。

 

 

「人間が共食いすれば良い。全ての人間に世界の真実を晒してやれば、そんな彼らの前で全ての希望を潰してやれば、それだけ解決する稚拙な祈りだ」

 

 

 そして人が共食いする為に、神などと言う大層な舞台装置は必要ない。

 有史以来常に争い続けて来たのが人間と言う種であるのだ。ならばそう、適当な理由でも与えてやれば人は争う。共食いは必ず其処に起こるのだ。

 

 

「希望を奪われた人間は、絶望するか自棄を起こす。互いに相争えば人は減り、最後には真に強い者だけが残る。自然淘汰だ。そら、座など無くても、神など居なくとも選別は可能だ」

 

 

 自棄を起こした人間が起こすのは、得てして碌でもない暴虐だ。その八つ当たりに巻き込まれては、諦めた人ですら抗おうと武器を執ろう。

 それで共食いの舞台は完成する。血と暴力と欲によって人間達は争いあって、勝手に数を減らしていくのだ。そして残るのは、彼が望んだ真に救われるべき者だろう。

 

 悪魔はそんな風に、悪辣にその願いを嗤う。無軌道な争いの果てに強者すら残らなかったとしても、知った事かと無責任に嗤って語る。

 

 

「怠けるな。足を止めたら転げ堕ちるぞ。傲慢にはなるな。慢心は必ずその身を滅ぼすぞ」

 

 

 戦え。戦え。殺し合え。共食いの果てに救いを求めて、ああ、だが残念。救いなどは何処にもない。

 何しろ神がいないのだ。成れる者はその時には全滅しているのだ。生き残った輩の中に資質が無ければ、無様に皆滅ぶであろう。

 

 

「強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれ。強くなれなきゃ、無価値に死ねよ。強くなっても、何もないがな。唯それだけが絶対法則。アイツが望んだ至高の天の姿だろうさ!!」

 

 

 それで良い。だから良い。もっと無価値に殺し合え。もっと無意味に喰らい合え。

 それこそエリオが望んだ世界の縮図だと嘯いて、悪魔は歪んだ笑みを浮かべる。後の救いを全て奪って、今の地獄だけを形にするのだ。

 

 

「人間は共食いするべきだ。一つの次元世界で70億? それが百や二百や三百などと、余りに数が多過ぎる。分母が70億の百倍と言うならね、分子は須臾瞬息弾指刹那の単位になるべきだ。その位の数にまで、人間は減った方が良い」

 

 

 唯でさえ人は多いのだから、もっと数を減らしてしまえ。結局の所、ナハトが言いたいのはそれだけだ。

 さも自分と宿主の願いが同じ物であるかの様に語っているが、それは一面だけを抜き出した曲解に過ぎないのだ。

 

 だがそれでも、この悪魔はそれを為せるのだろう。止められる者など、何処にも居はしないのだ。

 

 

「運が良ければ、その内神も生まれるだろうさ。それで生まれないと言うなら、まあ仕方はない。無価値に滅べよ。その程度の物だったと言う事だろう?」

 

 

 嘘だ。全て偽りだ。仮に共食いの果てに、神の器が生まれたならばナハトが殺す。

 育つのを待つ前に、至るのを見届ける前に、全て無価値に殺して終わりだ。そして悪魔は嘯くのだ。全ての可能性が途絶えた世界で、人は滅ぶべくして滅ぶのだと。

 

 

「だから、エリオの願い。弱肉強食の世に神は要らない。俺はそう思うんだが、さて、お前はどう思う? 考えなし(エアーヘッド)

 

「ぐ、あ、が……」

 

 

 戯れに願いの全てを嘲笑って、そして戯れに問い掛ける。

 軽く足蹴にして転がした少年は、しかし言葉も発せない程に消耗していた。

 

 

「はぁ、話せない、か。独り言を言うのも、些か寂しいんだがね。合いの手がないのはいけない。無視されるのが、悪魔は一番堪えるんだ」

 

 

 唯、その場に居て、呼吸をしているだけでこれか。

 余りにも役者不足。己が降臨したこの場所では、敵に値する者など皆無と言うのか。

 

 ナハトは嘆息と共に見下して、己の威圧を意図して緩める。

 依頼人から指定された()()()()()()()()()()であると言うのも理由の一つだが、一番の理由は手持ち無沙汰が故。

 

 

「少し圧を緩めてやろう。向こうの滓は威圧だけで潰れてしまいそうなのだし、舞台の山場までの手慰みくらいの役に立ってもらわなくては、手持ち無沙汰に終わってしまう」

 

 

 山場はこれから、舞台はこれより先にピークを迎える。その策謀。その遠大な視野は、ナハトをして見事と言わせる物。何よりも、ナハト好みの展開となるのが良い。

 計画に必要なピースの内、最も盛り上がる場所を聞いていないのはクアットロくらいだ。アレは背負った役割故に、知る必要がないと判断された。残る二柱には伝わっていて、故にナハトはその時を待っている。

 

 ただ待つだけでは手持ち無沙汰だ。手慰みの一つは欲しい。

 故に願いを穢して語った。その鼻で嗤う悪辣な姿に、トーマが何と返すか気になったのだ。

 

 

「これで息が出来るな。声を発せるな。ならば語って魅せろよ。新進気鋭(ニューヒーロー)。悪魔の語りを前に、お前は一体どんな言葉を聞かせてくれる?」

 

 

 吐息が掛かる距離まで近付いて、這い蹲ったままの少年に問い掛ける。果たして彼は、一体どの様な返しを見せるか。

 

 物語の英雄の如く、義憤に駆られて許せないと語るのか。何としてでも止めなくてはと、闘志を剥き出しにして意志を見せるのか。

 或いは当たり前の人の如く、この悪魔王を前に恐怖に震えて屈するか。或いは恐怖を抱きながらも、弱いなりに意地を見せるのか。

 

 どんな形でも良い。きっと良い暇つぶしにはなる。

 そう期待して嗤うナハトは次に、信じられない言葉を聞いた。

 

 

「……じゃ、ない」

 

「なに」

 

 

 余りに意外が過ぎる言葉に、ナハトは思わず唖然とする。

 本気でそう語ったのかと言う疑念を顔に張り付けて、そんなナハトを()()()()()()()トーマは口にした。

 

 

「お前、じゃ……ない」

 

 

 威圧を緩めて貰わなければ、声も発せない程の無様を晒していた。

 それ程に実力差があって、覆す術などないと知っていて、それでもトーマは見ていない。

 

 

「俺が、戦いたいのは……僕が、決着を付けたい、のは……お前じゃ、ない!」

 

 

 威圧が更に緩んだ、と言う訳ではない。少しずつ慣れていたのだ、だからこうしてトーマは立ち上がる。

 震える足で立ち上がって、上手く動かない舌を必死に回して、そうして睨み付ける相手は悪魔じゃない。

 

 この少年にとって、ナハト=ベリアルなどどうでも良いのだ。

 

 

「エリオを、出せよ! アイツと、やらせろっ!」

 

 

 リリィが震える。内なる心の世界に守られて、そんな少女は信じられないと震えていた。

 トーマは分かっている。目の前の怪物がどれ程に恐ろしいか、それが分かってこう言うのだ。

 

 お前など眼中にない。とっとと引っ込んでいろ、と。

 

 

「お前じゃないんだ! お前みたいな、誰でもない悪魔じゃない! 誰でも良い悪魔なんぞが、邪魔をするなよ! お呼びじゃないんだ、路傍の石がっ!!」

 

「……俺を、路傍の石だと? この世界の頂点。全ての命の頂を、お前は路傍の石と言うのか!?」

 

 

 ナハトは驚愕する。遥か格下の小物を前に、その言葉に驚愕する。

 あらゆる生態系の頂点。全ての超越者となった今のナハトを、路傍の石と断じるその姿。

 

 余りに身の程知らず。理解しがたい程の増上慢。何よりも許し難い程の侮辱。無価値の悪魔は、激しい怒りに震えていた。

 

 

「どうでも良い。お前なんて、心底から、どうでも良い」

 

 

 再び膨れ上がった威圧に、しかし今度は膝を屈しはしない。

 もう慣れた。その圧にはもうなれたから、今度は立ったままにトーマが断じる。

 

 

「勝ちたい奴が居る。お前じゃない。倒したい奴が居る。お前じゃない。決着を付けたいんだ! その相手は、断じてお前なんかじゃないっ!!」

 

 

 彼にとって、ナハト=ベリアルとは大切な決闘の邪魔をした障害だ。

 許せないのはその行いで、この悪魔と言う存在などは路傍の石に等しい程にどうでも良い。

 

 それはランナーズハイに入ったマラソン選手がゴールロープしか見ず、観客席にどんな偉人が居ても目を向ける事がないのと同じ事。

 一人しか見えないのだ。その一点しか見えていないのだ。どれ程に巨大な山であっても、或いは前衛的な芸術でも、興味がないならないのと同じ。今のトーマにとって、ナハト=ベリアルなど真実路傍の石以下なのだ。

 

 

「く、くは、ははは」

 

 

 嗤った。ナハトは嗤った。立つ事もやっとで、言葉を発するが精一杯で、それでも路傍の石と断ずる脳足りず。

 その発言に怒り狂って、一点を超えてしまえばもう笑うより他にない。ナハト=ベリアルは腹を抱えて嗤いながらに、その実これまでにない程に怒り狂っていた。

 

 

「吠えたな。考えなし(エアーヘッド)。よりにもよってこの俺を、お前如きが取るに足りないと?」

 

 

 威圧が高まる。気配が移り変わる。それは観察から、嗜虐へと。

 戦闘域には未だ移行しない。余りにも度が過ぎる暴言。その代価を払わせる前に、死んでしまっては意味がない。

 

 

「ならばその気概。その覚悟。その意志。それが何処まで続くのか、その身体に聞いてやろう」

 

「がぁぁぁぁぁっ!!」

 

〈トーマっ!!〉

 

 

 故に苦しめ。故にもがき足掻け。絶望の果てに、その全てを暴虐に晒されろ。

 立ち上がった少年を嬲る様に、槍を軽く振って叩きのめす。叫びと共にうち倒れたその軽い頭を踏み潰して、ナハト=ベリアルは激情と共に宣言した。

 

 

「後悔しろ。此処より先は、貴様の増上慢が生み出した地獄だ」

 

 

 これより先に、地獄を見せよう。己を小石と侮った、その発言を悔やみ果てるまで。

 嗤う悪魔の瞳に映る夢追い人。トーマは今も諦めない。望んだ敵との決着を、その邪魔をすると言うなら排除する。

 

 出来るかどうかに意味はない。やるのだ、唯その意志で為すのである。

 望むのは宿敵との決着を、彼が死んだなどとは思いもしない。だから、その為に、先ずは――

 

 

(この、邪魔な小石を、誰でもない悪魔を、取り除く)

 

 

 出来ると信じて、やると決めて、唯想いを胸に為し遂げる。

 これは決戦などではない。倒さねばならない敵でもない。どうでも良い、そんな路傍の石を退かすのだ。

 

 トーマはそう心に決めて、その為の手段を模索する。絶対的な敵を前にして、感じる気負いなどは何もない。為すべき覚悟と果たしたい願いだけが、その胸にはあったのだった。

 

 

 

 

 




トーマ「お前じゃない! エリオじゃないとダメなんだ!!」
リリィ(……やっぱり、最大の恋敵はエリオ!!)

足引きBBA「きゃー! お前じゃない! エリオとヤラせろ♂ なんて、大胆な告白はホモの特権ね!」

アホタル「え? 嘘!? そういう事なの、これって。……そう言えば、彼もそんな節が所々で見られた様な」

毒電波先輩「……手遅れになる前に、生み直して浄化しないと(使命感)」

衆道至高天「憎み合う二人の男。だが間男の存在によって、憎悪が愛であったと知る、か。……次のこみけに出す本の内容は決まったな」

トーマ・阿部に似る「やめろぉぉぉっ! そんな腐った目で僕を見るなぁぁぁっ!!」





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