リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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第二十五話 失楽園の日 其之玖

1.

 腐臭交じりの風が吹き、悪魔の王は無価値となって大地に伏す。統制されぬ魂が無数に蠢く器は、最早物言わぬ肉塊だ。

 悪魔を宿した性質故に、この肉塊が腐り落ちるには時間が掛かる。だがそれだけ、何をする事も叶わぬ残骸でしかない。

 

 故に悪路は倒れた彼に目を向ける事もなく、ゆっくりとその歩を進める。

 傷付いた身体で歩き出した屍人の歩みは緩やかに、だが確実に全てを終わらせる為に迫っていた。

 

 抱き締める腕の熱を感じながらに、目覚めたティアナは彼を見上げる。

 目の前で起きた状況を信じたくはないと、歯噛みしながらに耐えるトーマ・ナカジマ。

 

 悔しいだろう。辛いだろう。望んだ決着は叶えられずに、今もこうして何も出来ずに耐えている。

 全てはティアナが居るからだ。無差別な地獄を前にして、この少女が一人では生きられないからこそ何も出来ない。

 

 抱き締める腕に力が籠る。抱えられた肩が痛む程に、その指先に力が籠る。

 それでも何も出来はしない。足手纏いを抱えたままに、切り捨てる事など出来ず、トーマ・ナカジマもまた敗れ去ろう。

 

 未来を視ずともに分かる。答えを知ろうとせずとも理解が出来た。このままではそうなると、どうしようもない程に分かっていた。

 

 

(それで良いの? ティアナ・L・ハラオウン)

 

 

 己自身に問い質すのは、答えなど既に出ている疑問の言葉。良い筈がない。認められないのだ。それは許されない。

 だが何とする。一体何が出来ると言う。足手纏いと言う現状は変わらずに、ティアナが此処に居る限りトーマは抵抗すらも出来ずに敗れ去る。

 

 

(良い筈ない。何とかしないと……だけど、どうすれば良いの?)

 

 

 移植された瞳。この今にこの歪みを使えたならばと切に願う。飢え乾く程に願って祈って、嗚呼、それでも瞳は開かない。

 潰された視界は取り換えたとしても、まだ真面に光すら捉えてはくれないのだ。歪みとして機能するには、決定的に時間が足りていなかった。

 

 ならば諦めるのか。何も出来ないと、諦めたままに敗れるのか。それでティアナ・L・ハラオウンは、己を良しと出来るのか。

 

 

(無理、ね。……何もせずに諦めるなんて、出来はしない)

 

 

 そんな殊勝な性格ならば、此処まで来る事もなかった筈だ。

 内心でそう苦笑を漏らしながらに、腹を括った女は見据える。迫る脅威は確実に、終わりは此処に近付いていた。

 

 緩やかに迫る悪路王。さしもの偽神も先の戦闘は響いたか、迫る動作は鈍重だ。

 それでも一歩ずつ、確実に迫っている腐毒の王。彼がその手を伸ばしたならば、トーマの肉体は滅ぼされ、その魂は回収される。

 

 そうして、彼は消えるのだ。それを許容出来ないと言うならば、阻まなくてはいけない。この今に出来る事を、全力を賭して為すしかない。

 

 

(……私に出来る事、そんなのは決まっている。元より、何時だってそうだった。都合の良い現実なんてなくて、やるべき事をやるしかないの)

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンが誇れる物。それはきっと、都合の良い異能(ユガミ)じゃない。

 己の心で誇れるのは、受け継いだ意志と手にした弾丸。そしてあの日、相棒に認められたのはこの頭脳。

 

 

――だからさ、ティア! 何か良い案はない!?

 

 

 深く考える事が苦手だと、語った彼が頼った物。己の相棒に任された、己自身の最初の役割。

 それは歪みがなければ出来ない事か? いいや、きっと違う筈だ。そんな神様の神通力に頼らずとも、出来る事はある筈なのだ。

 

 

(考えろ。考えなさい。どうすれば良い? どうすれば勝てる? この状況を打破する鍵が、きっとあると信じて考えろ! ティアナ・L・ハラオウン!!)

 

 

 余り時間はない。緩やかであっても、悪路王の歩は止まってはいないのだ。

 故に思考を回せ。高速で見付け出せ。この現状を打破する為の活路を此処に、提示する事こそがティアナの役割。

 

 

 

 先ずは一つ――己を切り捨てたらどうだ? トーマにそれが出来るかどうかは別にして、そうした場合にどうなるか?

 ティアナはその思考に、一瞬の間も置かずに見切りを付ける。先ずトーマに見捨てさせる事が困難で、それが出来たとしても意味がない。

 

 味方を切り捨てたトーマでは、天魔・悪路には決して勝てない。

 素の性能差。力の規模。心の在り方。そんな理屈以前の話、それでは無理だと感じている。

 

 

 

 次には二つ――ここは逃げて、次なる可能性へと賭ける事。

 今の天魔・悪路は鈍重だ。傷が癒えるまでには暫く掛かり、一見すれば逃げ切れる可能性は高く感じられた。

 

 だがきっと、逃げられない。あれは逃がすまいと、何処までだろうと追い掛けて来よう。時間の経過は彼の味方だ。

 今にも倒れそうな程、傷付いている悪路王。だがこの天魔の傷口は、癒えぬ病巣と言う訳ではない。この今にも再生を続けていて、ならば何れは完全な力を取り戻そう。

 

 ミッドチルダ大結界がない今に、逃げ込む場所など何処にもない。

 逃げ回り続ければ己達は疲弊して、敵は万全へと戻るのだ。その結果として起きる事など、論ずるまでもなく明白だろう。

 

 

(何かないの? 本当に、何もないと――)

 

 

 思考する。思案する。思索する。常人の数倍、数十倍と言う速度で頭を捻って、如何にか策を練り出そうとする。

 そうして、ティアナは気付いた。その存在。小さく儚い勝機の欠片。或いは勝利に至れるかも知れない、そんな階が其処にある事に。

 

 

(……いける。これなら、ううん。これしかない)

 

 

 それは今にも消え去りそうな、儚く脆い可能性。其処からイメージ出来た勝機は正しく、億や兆に一つと言うにも満たぬ物。

 ほんの少しでもズレれば、全てが無駄に終わる可能性。無為になるだろう事が明らかな、那由他の果てにしか存在しない一つの奇跡。

 

 

(分の悪い賭けにも程があるけど、それでも可能性は零じゃないっ!)

 

 

 それでも可能性は零ではない。ならばこの詰まれた状況で、それを選ぶは悪手でない。

 ティアナ・L・ハラオウンはそう思考を定めると、未だ敵を睨み付ける相棒へと、腹を括って言葉を投げた。

 

 

「トーマ、……頼みがあるわ」

 

「ティア? 一体何を――っ!?」

 

 

 念話越しに伝える作戦の一部。余りにも想定外な頼みを聞いて、トーマ・ナカジマは言葉に詰まった。

 一体何を考えているのか。ティアナが語るは自殺行為。その断片を聞かされただけでも、あり得ないと断じてしまえる代物だ。

 

 どうしてそんな思考に至ったのか、その先に何を見ているのか、ティアナはトーマに語らない。

 絶句した彼に伝えてしまっては、命を賭ける意味さえ失ってしまうのだ。故に彼女は何も告げずに、唯これを為して欲しいと頼む。

 

 全てを語らず、全容を暈して、トーマにして欲しい事だけを伝える。

 それだけで動いてくれる筈がない。動ける筈がない。それが自然だ。だけど、そうする事しか出来ぬから。

 

 

「私を信じて――」

 

 

 唯信じて欲しいと、肩を抱く少年を見上げて告げる。言葉にしながら、瞳は逸らさない。

 真面な者なら頷かない。そんな言葉を口にしながら、ティアナは輝く瞳を見詰めていた。

 

 

「……分かった。信じる」

 

「ありがとう」

 

 

 交わる視線に、何を悟ったのか。トーマは彼女の語った言葉に頷く。

 

 元より頭は悪いのだ。戦術戦略を考えるのは不得意で、それに秀でた者が信じてくれと語っている。

 詳細も明かさずに示す言葉は信が置けない物であっても、彼女自身は心の底から信頼できる。ならば、命を預けるには十分だった。

 

 そんな相棒にありがとう。感謝の言葉を一つ伝えて、ティアナは自分の足で立ち上がる。

 交わした掌。握り締めた指先から、流れ込むのはトーマの魔力。ディバイドエナジー。ティアナが頼んだ言葉の通りに、彼女の身体が耐えられる限界寸前にまで魔力を供給する。

 

 これで数分。極僅かに過ぎない時間。ティアナはこの地獄の中でも一人、自由に動く足を得た。

 その数分が全てを分かつ。腹を括って覚悟を決めると、少年少女は互いの手を離す。そして、二人同時に跳躍した。前と後ろ、全く真逆の方向に。

 

 

「……どういう心算だ?」

 

 

 後方へと跳躍する。そしてそのまま逃げ出したのは、悪路に対抗する力を持った彼の少年。

 そして前方へと一人、無謀にも飛び出したのはもう一人の少女。預かった魔力がなければ即死する。それ程に無力な少女が一人で、悪路の道を阻んでいたのだ。

 

 

「勝機を捨てたか? 或いは――私怨か?」

 

 

 明らかな無謀。明確な自殺行為。それに驚愕させられた天魔・悪路は、疑念の言葉を僅かに漏らす。

 

 恨みであろうか、私怨であろう。僅かな困惑の先に下した大天魔の結論は、そんな当たり前の感情論。

 己が恨まれている事は分かっている。誰よりも憎まれる様に動いていて、だからこそ悪路はそう捉える。

 

 この手で斬った者らはそれこそ無数に、全て覚えているとは口が裂けても言えはしない。

 余りに数が多過ぎて、全てを覚えていられる筈もない。それでも、微かに残った記憶の残滓。同じ目をした青年を、何処か似ていると少女に重ねる。

 

 奪われた身内への敵討ち。その為に無謀に出たか。

 そう口にした大天魔。そんな言葉を聞いてティアナは、漸くにその事実を意識した。

 

 必死だった。余りに必死だったから、憎み続けた怨敵であると言う事実を()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……そういうのが無いって言えば、嘘なんでしょうね」

 

 

 思い出して、燃え上がるのは憎悪の炎。つい先程まで忘れていたのに、都合が良過ぎだろうと自嘲する。

 もしかしたら無意識に、これも理由となっていたのか。そう思えてくる程に、この状況はあの日に望み続けていたそれその物だ。

 

 だが、それでも願うのは、復讐を果たす事だけではない。

 自嘲に籠ったその色は、軽蔑や嘲りだけではない。それだけではなかったのだ。

 

 

「けど、それだけじゃない。それ以上に、やるべき事とやりたい事が一致した。だから――私はこうするのよ」

 

 

 たった一つしかないから、そう思い込んで、それだけはと必死になった。

 あの頃の自分ならば天魔・悪路(兄の仇)を前にして、理性的では居られなかった。憎悪を剥き出しにしながら、捨て鉢になって挑んだだろう。

 

 あの日の憎悪は残っている。燻る火の様に、この天魔への敵意はある。だが、それだけではないのは、ティアナ自身が変わったから。

 あの日とは違う。一人でしかないと膝を抱えて、鬱屈していた頃とは違う。恨みや憎悪を晴らすよりも優先するべき、大切なモノを彼女は見付けた。

 

 

「一騎打ちよ。天魔・悪路」

 

 

 吹き付ける呪いの神風。何時の間にか失くした髪留め。束ねられていない橙色の髪が、呪風の中に靡いている。

 未だ光の映らぬ瞳で前を見て、もう一つの目で敵を見据えて、白き衣の少女は構える。手にしたクロスミラージュの銃口は、迫る大天魔を捉えていた。

 

 

「ランスターの弾丸を、その頂きに届かせるっ!!」

 

 

 さあ、一世一代の勝負を始めよう。偶然を幾つも積み重ね、奇跡を起こさねば成立しない勝機へと辿り着こう。唯一つ、このランスターの弾丸だけを頼りとして。

 

 

「……そうか。それが君の答えか」

 

 

 復讐ではない。それだけではない。憎悪ではない。それだけではない。

 それがティアナ・L・ハラオウンが出した答え。その解答を素直に尊いと思いながらに、しかし考慮する必要などはない。

 

 そんな義理。天魔・悪路にある筈ない。

 

 

「だが、それに僕が付き合う義理もない」

 

 

 どんな答えを出そうとも、どんな結論に至ろうとも――彼女は所詮、雑兵だ。

 

 借り受けられる魔力には限りがあって、過ぎれば魔力の汚染を受ける。故にディバイドエナジーでは、互いの差を埋めるには至らない。

 ティアナ自身はこの太極に耐えられる程に強くはなく、悪路の睨み一つで腐りかける様な有り様。ならばそう、取るに足りない。結論は唯それだけだ。

 

 以って数分。放っておけば勝手に死ぬ。ティアナと言う少女はその程度。

 彼女の受け継いだ歪みは決死で放てば、確かに悪路を傷付け得る。だが、その一度で息切れだ。二度目はなく、一撃で仕留めるには何もかもが不足している。

 

 故に、取るに足りぬのだ。取るに足りない羽虫を相手に、そんな余裕は彼らにない。

 この今にも戦闘は各地で続いていて、可能な限り早急に仲間の支援に向かいたい。トーマ・ナカジマの回収こそを、何より優先するべきなのである。

 

 

「時間がない。付き合っている余裕はない。……邪魔をするならば、別にそれで構わない。勝手に死んで、この永遠に埋もれる塵となれ」

 

 

 立ち塞がるティアナの存在を、彼は無いものとして扱うと決めた。

 そして、天魔・悪路は進撃する。後方へと逃げ出したトーマを追い掛けて、彼は一息に大地を蹴った。

 

 飛び出す弾丸の様に速く、疾走を始める悪路王。傷だらけの我が身を顧みずに、圧倒的な速さで標的を追い掛ける。

 

 

「っ! このっ!!」

 

 

 ティアナを躱そうともしない。道を阻むならば轢き殺すのだと、迫る悪路王に舌打ちを隠せない。

 罵倒を口にしながらに、ティアナは後退しながら魔弾を放つ。如何に魔力を借りているとは言え、接近すれば耐えられない。

 

 腐毒の王が願いは求道。故に腐敗の中心地は彼自身。余りに距離が近付けば、少女の身体は腐って落ちる。

 魔力の許容限界量。其処まで力を借りていても、ティアナに接近戦は不可能なのだ。彼女では、天魔・悪路の進撃を正面からは阻めない。

 

 距離を取って遠巻きに、銃弾をばら撒くのが彼女の限界。そしてそんな弾丸では、時の鎧は貫けない。

 時間を停める。流れを断絶する。凍った時の鎧に守られる大天魔を傷付けるには、一定以上の出力が必要だ。唯撃ち放つ魔力弾だけでは、余りにも火力が不足し過ぎている。

 

 だからこそ取るに足りない。抗う少女を一瞥する事もなく、天魔・悪路は標的へと手を伸ばす。

 速さと言う一点では悪路に勝る手札を持つ少年は、しかし加速の力を使っていない。何かを見詰めながらに、後ろを見ずに後方への跳躍を繰り返している。

 

 そこに違和を感じる。ティアナの頼みを信じて、たった一点だけを見詰める少年。その姿に、何を企んでいるのかと疑問を抱く。

 

 

(問題はない。何を企んでいようと、全てを塵に還るだけ)

 

 

 だが何を考えていようと、その企みが達成される事はない。

 この屑でしかない我が身が許さない。詰まらぬ小細工などは全て、圧倒的な力で踏み躙ろう。

 

 単純な暴力で如何にかなってしまう小細工など、何かを託すには不足が過ぎる物なのだから。

 

 

(そうとも、この輝きは塵だった。信じた事が過ちだったと、それが僕の下した結論だ)

 

 

 あの日に下した結論は、裏切られ続けた先に決めたその解答は、今も変わらず心にある。

 或いは信じられるかも知れない。そんな光を見付けた後でも、それでもこの結論は変わらないのだ。

 

 

(それが違うと言うならば、良いだろう。示して魅せろ。出し抜いてみせろ。それさえも、出来ないと言うならば――)

 

 

 もしもこれが小細工ではないと言うならば、確かに示す事が出来る筈である。

 蹂躙する暴虐を前に知略を以って抗えるとするならば、それは確かに認められるべき輝きだ。

 

 だからこそ、出来ると言うならやって魅せろ。それでも、この屑でしかない我が身に敗れて終わると言うならば――

 

 

「此処で終われ。その血肉よ塵となれ」

 

 

 そんな希望は偽りだ。それでは知略ではなく小細工だ。そんな者、存在する意味すらない。

 故に悪路はその策略を、阻みはしないが加減もしない。知った事かと全て無視して、望むモノへと手を伸ばすのだ。

 

 

「僕らの永遠を終わらせない為に、塵となって死んでくれ。トーマ・ナカジマ」

 

 

 加速をしないならば、逃げ切れる筈もない。追い付かれたトーマは眼前に、折れた剣を背負う屍鬼を見る。

 振り上げ、振り下ろす。一秒先に迫った脅威。銃剣を構えて受けるのか、このまま後方へと更に飛び退くのか、トーマの選んだ行動はそのどちらでもなかった。

 

 

「トーマッ!!」

 

「っ! おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ティアナの合図が此処に来た。ならば予め決められていた様に、彼は此処で手札を切る。

 展開するのは美麗刹那。最大出力で加速して、トーマは前に飛び出した。形成した武器を収納し、無手の儘に前に出る。飛び出したトーマは悪路へ迫って――その直ぐ真横を通過した。

 

 

「……何?」

 

 

 素通りする。腐りながらに駆け抜ける。接近した影響で腐敗の風をその身に浴びながら、動揺した悪路を無視して前へと駆ける。

 走り抜ける先に居るのは、全てを信じて託した相棒。残る全魔力を一発の弾丸に込めて、悪路を狙い撃たんとしている。そんなティアナの下へと走り、トーマは彼女の手を取った。

 

 銃を構える片手とは逆、空いた左手を掴んで引く。掴んだ手で魔力を注ぎながらに、前へと倒れ込んだティアナを肩に担いで、一本背負いの要領で思いっきりに投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた少女の身体。宙を舞うティアナは一直線に悪路の下へ。まるで肉壁にでもする様に、接近すれば必ず死ぬ少女を投げてぶつける。その余りにもあり得ない行動に、さしもの悪路も僅かに思考を硬直させた。

 

 

「喰らい付けっ!」

 

 

 大地に叩き付けるのではなく、遠くに飛ばす様に投げられたティアナ。

 彼女は宙で二転三転と回転しながら、それでも展開する魔法術式を乱さない。元よりこうなると分かっていれば、乱す理由が一つもないのだ。

 

 目まぐるしく回る視界に吐き気を覚えながらに、手にした銃をしかりと握り締める。

 放つ力は必中の魔弾。ヴェルハディスが黒き石に封じた猟犬は、あり得ぬ軌道を描くが故に銃口を向ける必要がない。

 

 必要なのは、意志を持つ事。必ず射抜くと心に決めて、銃口に光を集めて放つ。

 扱う魔法は唯の一つ。己にとっての最大最強。師より受け継いだ切り札たるは、輝く星の砲撃だ。

 

 

「スターライトォォォッ! ブレイカァァァァァァァッ!!」

 

 

 受け継いだ歪み。教わった魔法。合わせた放つはフィニッシュブロー。

 ティアナにとっての最大火力は、複雑怪奇な軌道を辿って敵へと迫る。無限に加速する性質によって、その一撃は時の鎧さえも貫き通した。

 

 

 

 どさりと音が響く。投げ飛ばされた少女は着地も出来ずに、そのまま肩から大地に落ちる。

 直線軌道上に居た天魔は僅かに押し負けて、少女が落ちたのは彼の目の前。身体に刻まれた傷口。肘から先を奪われた右腕を見下ろしながらに、天魔・悪路は静かに呟いた。

 

 

「……成程、ランスターの弾丸か――覚えておこう」

 

 

 受け継がれた力が、付けた傷はあの日よりも重い。掌に小さな穴が開く程度とは異なって、確かに悪路は傷付いた。

 だが、倒すに至るには程遠い。此処まで磨き上げた一撃を、予想だにしない状況を作り上げて撃ち込んだのは確かに見事。だが、それだけなのだ。

 

 結局、力の差を覆すには至らない。所詮は小細工だったから、覚える価値があるだけだ。

 そう冷たく見下す視線の先で、倒れた少女は腐っていく。接近すれば死ぬと分かっていたのだ。ならばその結果も必然だ。

 

 

「さらばだ。そのまま腐って、塵になれ」

 

 

 腕一本。ティアナが奪えたのはそれだけで、それでも彼女の力を思えば大金星。

 崩れて腐る少女に僅か敬意を抱いて、天魔・悪路は静かに見下す。僅か数分にも満たぬ時、消滅までは見届けよう。時間がない現状でそう思ったのは、微かに抱いた敬意が故。

 

 

(……嗚呼、私は)

 

 

 腕が腐る。足が腐る。視界が霞み、身体がゆっくりと塵になる。

 届かなかった。そんな現実を前にしながらに、ティアナ・L・ハラオウンは一つを想う。

 

 それは後悔――などではない。

 

 

(これで、条件は、クリアした)

 

 

 ティアナが感じるこの感情は、満足感とも言える物。

 まだ賭けは始まったばかり。分の悪い賭けは続いている。だがその第一段階はクリアした。

 

 必要だったのは誘導だ。そしてその意識を、一時的にでも良いから己に執心させる事。

 彼女の目的は唯一つ。あの儚い希望が望んだ場所へと辿り着ける様に、悪路を此処まで移動させる事だった。

 

 今、悪路は()から離れている。ティアナが死する瞬間まで、その注目は外れている。ならば、あの少女の手が届く可能性は生まれたのだ。

 

 

(……後は全部、アンタ次第。頼んだわよ――()()()()()

 

 

 全力を攻撃に回した直後に魔力を供給されて、それでも残った時間は決して長くない。自分が腐り落ちるまでの僅かな時間。それで届かなければ、そこで終わりだ。

 

 どうか賭けに買ってくれよと祈りながら、ティアナは儚い希望――腐りながらに地獄を進む烈火の剣精、アギトの背中を見詰めていた。

 

 

 

 

 

2.

 彼女はずっと其処に居た。地上本部が黒い炎に燃やされるより前から、ずっとずっと其処に居た。

 案じていた。不安に思っていたのだ。心配していた。それでも助けになる事も、声を届かせる事すらも出来ずに遠く見詰めていた。

 

 エリオが憎悪に歪んだ時も、ナハトに飲まれて奈落に堕ちたその時も、助けたいと願っていた。

 それでも近付く事すら出来はしない。あの怪物を前にして、アギトは近付く事すら出来ない程に弱かった。

 

 悔しかった。泣きたい程に、叫びたい程に悔しく思った。何が融合騎だと、足を引いてばかりではないかと、ずっとずっと思っていた。

 それは天魔が現れてからも変わらない。寧ろ事態は悪化した。溢れ出す瘴気の風を前にして、見詰める事すら出来ずに倒れた。見守る事すらも、アギトには叶わなくなったのだ。

 

 全てを腐らせる叫喚地獄。その只中に居られる程に、烈火の剣精は強くはない。

 近付く事も出来ずに倒れたまま、見詰める事も出来ずに涙を流した。それしか出来ずに、そのまま腐っていくのがその末路。

 

 それでも、彼女は耐えた。必死に腐らぬ様に耐え続けて、そうしてその瞬間を理解した。

 大切な彼が悪魔の王と共に、崩れ落ちて消滅する。契約者としての繋がりを介して、理解したのはエリオの死。

 

 それを知って、アギトは止まったままでは居られない。

 見過ごせないのだ。例え届かないのだとしても、進まないと言う選択肢はもう存在しなかった。

 

 だから、アギトは地面に倒れたままに這いずり進む。顔を上げる事も出来ない程に衰弱しながら、地獄の底の中心点へと、腐りながらも這って進んだ。

 この腐毒の中、無駄であるとは分かっている。アギトでは届かない。届く前に腐り落ちる。意志だけでは、この差は決して覆せない。

 

 それでも――進まずに居る事だけは、絶対に選べなかったのだ。

 

 

(最初に逢った時、兄貴は泣きそうな顔してた)

 

 

 辛くて、辛くて、耐えられない程に辛かったのに、それでも誰にも頼れなかった。

 だから彼は泣きそうで、必死に耐えている子供であった。そんな姿が自分に似ていると、最初の出会いはそれ一つ。

 

 腐りながらにアギトは進む。心に浮かべ映すのは、共に紡いだ嘗ての記憶。

 腐毒の中でも忘れない。己を忘れない様に、大切な想いに縋って前へと進む。

 

 魂の格と魔力の質と心の在り様。それが力になる世界の中で、その内二つでアギトは誰より劣っている。

 作り物の身体に芽生えた魂は、地獄に耐えられる程に強くはない。だから頼りになるのは、最後に残った唯一つ。想い出を糧に奮える心が唯一無二の武具なのだ。

 

 

(一緒に過ごして、偶に笑ってくれる様になったんだ。役に立てるって、嬉しかったんだ)

 

 

 悪夢に魘されて目を覚ます。真面に眠れず隈が深まる。そんな夜にも傍に居た。

 何も出来ずとも安らぎだけはと、直ぐ傍らで抱きしめて。そんな想いが少しずつ、伝わっていたのだろう。

 

 季節が変わる。花の色が変わる。巡る日々を共に過ごして、彼は少しずつ変わって行った。

 

 エリオとイクスとアギトで過ごした。無人世界を歩き回って、焚火を頼りに星を見上げる。

 一ヶ所に留まれる様な立場でなく、放浪に放浪を重ねて過ごした数年間。何時しか浮かべる表情に、寂しさの色は減っていた。

 

 助けになれているのだと理解して、アギトは何より嬉しく思った。

 嫌な仕事はそれこそ沢山させられたけれど、あの安らげる時間はとても大切な宝石だった。

 

 

(結局足手纏いにしかなれなくて、もう要らないって、言われたけど――それでも兄貴は、守ってくれた)

 

 

 アギトが居たから、エリオは負けた。宿敵に敗れたその後に、もう要らないと切り捨てられた。

 それでも諦められなくて、その背中を追い掛けた。アギトなんて無視すれば良いのに、それでもエリオは守る事を選んだ。

 

 果てに描いた夢だって、アギトやイクスヴェリアの為の祈りであった。

 救われない人に救いの手を。誰よりも救いたいと願っていたのは、あの日に温かさをくれた少女達。

 

 

(そうだ。何時だって、大切にされてきた。守られてきたんだ。愛されていた)

 

 

 腐りながらにアギトは想う。崩れながらに少女は想う。

 何時だって、何時だって、何時だって、アギトはエリオに守られていた。

 

 季節が変わる中で、幾つもの夜を共に過ごした。最初は傷の舐め合いで、けれど積み上げた物は確かにある。それを知っている。それを分かっているのだ。だから――

 

 

(だったら、今度はあたしの番だ)

 

 

 今度は己が守りたい。与えられたから与えたいのだと、それは何処までも自然な思考。

 彼は諦めなかったのだから、己が諦める理由はない。例え届かずに終わっても、手を伸ばす事は止めたくないのだ。

 

 

(大切にされたから、大切にしたい。守られて来たから、守ってあげたい。愛されていたんだ。だから、あたしは兄貴を愛したいっ!)

 

 

 それでも届かない。届くだけの理由がないのだ。だから本来ならば、届く事なく終わった祈り。

 だがそれに気付いた少女が居た。だからほんの少しだけ、彼女の身体は前に進めた。腐りながらに、それでも小さな身体は前に進めた。

 

 少しだけ緩んだ呪風の中、進む少女は少しずつ崩れている。

 手足は腐って、肌は崩れ落ちて、歯も髪も目も落ちていく。ボロボロと唯でさえ小さな身体が、更に更にと縮んでいく。

 

 

「必ず助ける。また一緒に、まだ一緒に居たいから、だから――」

 

 

 それでも、諦めなかった。諦めずに、アギトは手を伸ばし続けた。

 目が視えなくなっても繋がりを頼りに、腕が動かなくなっても魔力で無理矢理に動かして、前に前にと手を伸ばす。

 

 だからであろうか。腐り落ちて死するその刹那。魔力で出来た肉体を失った魂は、辛うじて彼に届いていた。

 

 

「ユニゾン・イン!!」

 

 

 それは一つの奇跡。誰もが前に進み続けて、故にこそ届いた一つの奇跡だ。

 

 倒れて動かぬ残骸へと、腐って落ちる肉体から、飛び出した魂が溶け込み消える。

 腐敗の地獄を乗り越えて、何より大切な彼の下へと。手を伸ばし続けたアギトが辿り着いたその場所は――しかし其処も地獄であった。

 

 

 

 エリオの肉体の中に蠢くのは、彼に奪われた二十万にも及ぶ犠牲者の残骸。

 それに紛れる形で、砕けた奈落から入り込んできた悪意の群体。誰も彼もが怨嗟を叫ぶ。

 

 お前の所為だ。お前の所為だ。お前の所為だ。だから死ね。此処で終われ。

 殺害に対する裁きを、罪に対する贖いを、あの日に背負ったその罪過が呪いとなって蠢いている。

 

 これは最早残骸だ。身体を動かすに足る魂はなく、統制されぬ恨みが渦巻いている。

 これは地獄だ。これは奈落だ。地獄の底さえ温く思えるこの光景は――それでも彼にとっての現実だった。

 

 

「ずっと、これに耐えてたんだ」

 

 

 悪意の渦に晒されて、心が摩耗していくのを感じる。

 剥き出しの魂は削られていき、だがそれでもアギトは消えてはやらない。

 

 此処はエリオの体内だ。それが示す事実は即ち、エリオはずっとこの悪意を受けて来たと言う事だ。

 

 

「一人で、ずっと。誰も頼れないから、誰も頼らなくて良い様に、誰よりも強くなろうって」

 

 

 最悪の場所で生まれて、泥に塗れながらに育った。

 幼い内から他者への幻想を諦めて、縋ったのは孤高の強さ。

 

 無頼である事。無頼で在れる事。それこそが彼にとっての強さの証明。そうでなければ、立って歩く事すら出来なかった。

 

 

「だったら、きっと兄貴は消えてない。ずっと耐えてたんだ。そんなに強いんだ。だから、絶対に消えてない」

 

 

 それでも今日のこの日まで、そんな奈落を歩いて来れた。星を羨ましいと見上げながらに、誰よりも強く在るのだと歩き続けていたのだ。

 ならばきっと消えていない。魂を統制する悪魔が消滅しただけで、エリオが消える筈がない。アギトはそう心の底から信じ込み、きっと見付け出すのだと心に決める。

 

 

「消えてないなら、見付け出す。絶対、絶対、見付け出す」

 

 

 二十万の残骸。全人類の悪意その物。奈落に蠢く魂を、一つ一つと触れて確かめる。

 その度に摩耗しながらに、壊れそうになりながらに探し続ける。きっと何処かに居る筈だ。この奈落の何処かで今も、エリオは前に進んでいる。

 

 諦める気はない。きっと辿り着くのだと心に誓う。それでも、余りに此処は地獄が過ぎる。肉体を失くしたアギトには、この悪意に耐える盾がない。

 怨嗟の声は止まらない。憎悪の叫びに貫かれて、心が死にそうな程の苦痛を受ける。痛くて痛くて、もう触れたくなくて、涙を瞳に浮かびながらに――それでもアギトは探し続ける。

 

 

「兄貴は道に迷っているだけだ。何処に行けば良いのか、分からなくなっているだけだ。きっとまだ歩いている。まだ進んでいるに決まってる。だったら――」

 

 

 心が傷付く度に、不安が膨れ上がっていく。魂が傷付く度に、弱音が胸に溢れて来る。

 それでも消えていない。消えてはいないのだと、己に言い聞かせる。言い聞かせ続けなければ、折れてしまいそうだった。

 

 だから理屈を考えた。こんな理由と考えた。逢えない理由を考えて、逢う為にはどうすれば良いのかと考える。

 思い浮かんだ理由は一つ。表に出て来れないのは、ナハトと言う目印が無くなったから。だから道に迷っているのだ。

 

 

「教えよう。此処に居るよって。伝えよう。離れないよって」

 

 

 ならば自分が、ナハトの代わりになるとしよう。悪魔がいないと生きれないなら、彼の為に己がそうなろう。

 宵闇の中に出航した船が、灯台の灯りを頼りに港へ必ず帰る様に。道が分からないと言うなら、その道を照らし出すのだ。

 

 此処に居るよと言葉を掛けて、手を引いて一緒に歩き出そう。

 そうなりたい未来を思い浮かべて、その想いが力に変わる。諦めるかと、想えて来る。

 

 

「あたしはさ、もっと傍に居たい」

 

 

 だって、もっと一緒に居たいのだ。

 

 

「役に立てないかも知れない。居ても変わんないかもしれない。何も出来ないかもしれない」

 

 

 役立たずでも、何も出来なくても、それでも一緒に居たいのだ。

 

 

「けどさ、それでも一緒に居たいんだ。一緒に居て、照らし出す事だけは、それでも出来るって思うんだ」

 

 

 一緒に居たいから、必死に手を伸ばす。

 一緒に居たいから、どんなに傷付いても諦めない。

 

 死んだなんて認めない。消え去ったなんて思わない。もう逢えないなんて、絶対に嫌だ。

 

 

「だからっ!!」

 

 

 アギトは何度も傷付きながら、その手を伸ばし続ける。諦めない。その意志で、進み続ける。

 此処は夢の世界と同じだ。今のエリオの体内は、夢界と何も変わらないのだ。想いの強さが、形になる。心の在り処こそが、全てを決める。此処はそんな世界であるのだ。

 

 

「見付けた! 掴んだ! もう、離さないっ!!」

 

 

 故にこそ、その想いは必ず届く。そうとも、彼女は誰よりも強く、彼を想っていた。ならばどうして、届かない道理があるか。

 

 

「今度はあたしが、兄貴を護るから、だからっ!!」

 

 

 見付け出したアギトはその表情を破顔させ、泣き笑いながらに抱きしめる。

 もう離す物かと抱き締めて、奈落の底に辿り着いたその儚い光を――無頼の彼は、抱き締め返した。

 

 

 

 

 

 そして、紅蓮の炎が燃え上がる。無頼の色は、もう此処にはない。

 彼の少年は新たな力(確かな絆)をその手に携えて、今此の場所へと甦ったのだ。

 

 

 

 

 

「……最初から、これが狙いだったのか」

 

 

 赤き髪は黄金色に染まって輝き、その背には燃え上がる紅蓮の羽搏き。黒き堕天使の翼は赤く染まって、天使を思わせる炎へと。

 槍を片手に立ち上がる。魂と魂で結び付いた今、両者を阻む物はない。故にこその完全適合。最良相性さえも超える、これぞ即ち限界突破。

 

 

「アンタが、自分で、言ったんでしょう、が。……コイツ、の方が、ナハトより、怖いって、だから」

 

 

 第二の賭けに勝利した。腐りながらに笑う少女に、彼女を見下ろす大天魔。そしてもう一人。

 彼らの視線をその一身に受けながら、立ち上がったエリオは己の手を見詰める。指を折り曲げ、伸ばし、掌握を繰り返しながらに小さく笑った。

 

 

「……成程。これが、トーマ(アイツ)の見ていた光景か。――思っていたより、悪くはないね」

 

 

 邪気を一切含まぬ笑みを浮かべながらに、エリオ・モンディアルは一歩を踏み出す。

 雷光を纏って、紅蓮の羽搏きと共に、飛び立ったエリオは悪路の下へ。手にした槍を突き出し振るう。

 

 鋭い刺突は焔を纏って、業火と雷光が全てを焼き尽さんとする。

 だが敵もさるもの。天魔・悪路は片手にした大剣で、その全てを受け切ってみせた。

 

 無理な攻めは出来ないと、最初から理解していた彼にとってこれは牽制。

 僅かな隙を生み出すと同時に軸足とは異なる足を動かして、大地に倒れた少女の身体を蹴り上げた。

 

 蹴り上げた女を蹴り飛ばす。全てが腐ってしまうより前に、悪路から遠く離れた位置へと蹴飛ばした。

 

 

「そら、生きているな。死ぬなよ。アギトの助けになってくれた礼を、まだ返してはいないんだ」

 

「……だったら、もっと、優しく、助けなさい、よ」

 

 

 二度三度とバウンドして、百メートル以上の距離を瀕死のままに飛ばされる。

 そんなティアナは血反吐と共に文句を吐き出し、その愚痴をエリオは鼻で嗤って言葉を返す。

 

 

「残念だけど品切れだよ。僕が優しくする相手は、この世でたった三人だけさ」

 

 

 彼の優しさは限定品だ。例え恩があったとしても、この少女に向ける物ではないのである。

 

 

「さて、そう言う訳だ。悪路王。次は()()が、君の相手をする」

 

「……今の君に、それが出来ると?」

 

 

 ユニゾンをしたエリオは、槍を両手に構えて笑う。

 そんな彼を前にして、天魔・悪路は静かに告げる。先とは状況が違うのだと。

 

 

「二十万と言う霊的質量。内に宿った最強の悪魔。その双方を失って、それで敵になれると、本気で思っているのか?」

 

〈うっ、それは〉

 

 

 二十万の魂を制御出来たのは、ナハトと言う怪物が居たからだ。それを失った今に、エリオは自分さえも保てない。

 そんな彼が復活出来たのはアギトの努力があってこそだが、そのアギトにした所でそれが限界。エリオ一人を支えるだけで、彼女は手一杯なのである。

 

 故にこそ、今のエリオ・モンディアルは先よりも弱い。

 ナハトを宿していたが故に得た体質さえなければ、天魔・悪路を前に立っている事すら不可能なのだ。

 

 だから敵にはならないと、そう告げる悪路の言葉。それに思わず怯んだアギトに対し、エリオは力強い言葉で語る。

 

 

「怯む必要はないよ。アギト」

 

〈あ、兄貴……〉

 

「何でかな。初めてなんだ。この胸に感じる熱は」

 

 

 胸に燃え上がる熱量は、無頼のままでは得られぬ物だ。たった一人では辿り着けない物。

 溢れる黄金色をしたこの温かさは、諦めない意志を強くする。心の弱さを燃やし尽くして、確かな想いを明確な物としてくれるのだ。

 

 

「一人じゃない。心強い熱が此処にある。だからきっと、負けはしない。君と一緒なら、僕達でなら、負けはしない。そうだろう、アギト?」

 

 

 だから、負けない。負けはしない。

 込み上げる熱を胸に、エリオ・モンディアルは確かに告げた。

 

 

「勝つぞ、アギト。僕らで勝つんだ」

 

〈――っ! うん! うん! あたし、頑張るから! 一杯、一杯、頑張るから! だから!〉

 

 

 誰にも頼らなかった人が、初めて自分に頼ってくれた。

 唯それだけで歓喜の情を募らせながら、必ず勝とうとアギトは笑う。

 

 泣きながらに笑う小さな彼女に、エリオも笑って槍を握る腕に力を込める。

 

 

「ああ、期待している。行こうか、アギト」

 

〈うん! 一緒に行こう我が主(マイ・ロード)!〉

 

 

 負ける気はしない。負けてなんてやらない。必ず倒す。

 高まる熱と譲れぬ想いを胸に抱いて、彼らは大地を踏み締めた。

 

 

 

 

 

3.

 絆を否定し続けた悪魔の王。奈落の底の罪人は、小さな炎に救われる。

 もう彼は無頼ではない。とても小さな命の心に触れて、頼れる事を知ったから、無頼であり続ける意味がない。

 

 赤き炎の翼を広げて、迫る大天魔と刃を交わす。その背中に汚泥はない。見惚れてしまう程に、輝いている様に見えたのだ。

 

 

「はは、なんだよ。それ……」

 

〈トーマ〉

 

「何で、お前が」

 

 

 魅せ付けられた少年は、膝を折ったままに拳を握る。

 力の強弱など関係なく、誰かが誰かの助けとなる事。この今に起きた光景こそが、彼にとっての理想の体現。

 

 最も憎く、最も許せず、最も無視できない。そんな、世界でたった一人しかいない彼の宿敵。

 エリオ・モンディアルが己の理想を体現したのだ。トーマ・ナカジマがその光景を、無視出来よう筈がない。

 

 

「……アンタ、ちゃんと、見てたん、でしょうね?」

 

 

 腐り掛けたティアナが如何にか口にした、そんな確認の為の言葉。それすら今は意識に入らない。

 恐るべき腐毒の王を前にして、それでも輝き続けている尊き絆。その光しか目に映らなくて、それ以外など思考が出来ない。

 

 

「んで、分かった、んでしょ? ……ああ、別に、言わなくても、良いわ。その顔見れば、何となく、分かるから」

 

 

 ティアナは仕方がないなと小さく笑う。残った瞳は僅かな光しか映さないが、其処に映った微かな光で十分だった。

 この光景をトーマに見せる為だけに、彼女は命を張ったのだ。彼を戦わせなかったのは、彼にとっての尊き輝きを、その目に焼き付けさせる為。

 

 アギトの決死。彼女が起こした一つの奇跡。その光景こそが――トーマが本当の意味で、一歩を踏み出す為に必要な輝きなのだから。

 

 

「ああ、ずるいな。お前。ずっと、否定し続けてたじゃないか。なのに、それなのに、ああ、クソ。羨ましいし妬ましいし、それ以上に――綺麗過ぎて何も言えないじゃないか」

 

 

 あんなにも思われて、一緒に進める姿が羨ましい。自分がそうなりたかった理想像、先に体現された事が妬ましい。嗚呼、だがそれ以上に美しい。

 羨むよりも、妬むよりも、憎むよりも、嫌うよりも、綺麗だと想ってしまった。己の心には嘘が吐けない。焦がれる様に見詰める瞳は、まるで星の如く輝いて、その綺麗な絆を焼き付けていた。

 

 

(トーマの願いが渇望にまで至れなかったのは、コイツが餓えていなかったから。何処ぞの腹黒の言い分と同じなのが癪に障るけど、満たされていたから祈りの深度が足りてなかった)

 

 

 トーマ・ナカジマは十分に過ぎる資質を有していた。それは宿敵との戦いで磨かれて、もう何時に完成していてもおかしくなかった。

 それでも至れなかったのは、願いと言う物がなかったからだ。餓えて乾く程には願えない。そんな精神の在り様こそが、先に至る道を阻んでいたのだ。

 

 

(奪われて、失って、それでも本質は変わらない。コイツの世界は揺るがない。奪われても、幸福だったと言う事実は変わらなかった。取り戻したいとは願っても、変えたいなんて願えなかった)

 

 

 母を失って、父を奪われて、大切な物を幾つも幾つも取り零して来た。それでも彼は変わらない。愛されていたと知るからだ。

 己自身を失って、幸福な日々を取り零して、神へと至る未来に只管に恐怖した。それでも彼は変わらない。彼は満たされていたからだ。

 

 愛されていた。祝福されていた。その日々は燃やされようと、過ごした事実は変わらない。其処にあったと言う光景は、決して無くなる事がない。

 故にこそ彼は満たされていた。トーマ・ナカジマは祝福されて生きてきたから、変えたいなどとは願えなかった。愛され続けていた事こそが、彼が願いを得られなかった原因なのだ。

 

 

(そうなりたい。その想いが前提なのよ。覇道も求道も、求める本質は同じ物。今を変える変革を、乾き餓える程に願って初めて祈りとなる)

 

 

 そうなりたい。その為にどうすれば良いのか。そう考える事こそが、求める願いの始まりだ。

 変わりたい。その為に変革する必要があるのは、己かそれ以外なのか。それを見極める事でこそ、覇道と求道に分かれていく。

 

 今までのトーマ・ナカジマはそれ以前、変わりたいなどと思う事すらなかった。変わりたくないと、そう思う様な人間だった。

 

 彼は嘗て語った、誰もが助け合って生きれば良い。そんな理想を口にして、だがそれは渇望ではない。何故なら彼にとっての現実が、元からそういう物だったのだから。

 誰もが助け合って生きている。そんな温かな光景だけが、彼の回りにあったのだ。だからこそ、求める必要などは端からなかった。最初から在るのだ。それで何を求めろと言う。

 

 満たされているから餓えていない。もう持っているから求めていない。ただ漠然と、自分以外もそうなっていれば良いのに、そう願っていただけだ。

 餓える事を知らなかったから、彼は心の底から望めない。持っていない気持ちが分からなかったから、どうしようと共感出来ない。幸福な少年は不幸にも、心の底から羨むと言う事を知らずに生きて来たのである。

 

 

(そういう意味では、これしかなかった。トーマの願いの否定者であるエリオ・モンディアルが、トーマの理想を体現する者となる事。それこそが、トーマの祈りを完成させる)

 

 

 幸福な世界を奪い続けた宿敵が、その理想を体現した。だからトーマは、それに対して溢れる激情を感じてしまう。

 そんな理想は綺麗事でしかない。否定を続けた宿敵が彼の理想を体現した事実は、トーマの願いを認めた事と同意である。だからこそ、その激情には嬉しささえも混じっている。

 

 正負両面。入り乱れる内面の激情を持て余しながらに、それでもトーマは憧れる。

 己がそうなりたいと餓える程に、誰もがそう在って欲しいと乾く程に――追い掛け続けたその夢は、此処で初めて祈りとなった。

 

 

「これが、最後の賭け。……どうにか、勝てた、みたいね」

 

 

 トーマ・ナカジマは漸くに、己の渇望を見付けたのだ。

 その光景を満足そうに見詰めて、ティアナ・L・ハラオウンは己の意識を手放した。

 

 

――さて、トーマ・ナカジマ。君は餓えて乾く程に、焦がれると言う事を知った。だが、忘れてはならない。絆は確かに美しい。だが美麗なモノが必ず勝る。そんな道理は世の何処にもありはしない。

 

 

 宿敵の戦いに見惚れる少年へ、内なるモノが言葉を掛ける。彼が口にするのは、余りに無情な世の道理。

 美しい物。素晴らしい物。それらが常に勝るなどと、そんな法則は何処にもない。何かと何かがぶつかり合った時、勝利するのは強い側。其処に尊さなどは、欠片たりとも影響を与えない。

 

 どんなに綺麗に輝こうとも、エリオ・モンディアルは弱体化している。それは変わらぬ事実であって、ならば彼らだけでは決して勝てない。

 

 

――ああ、死ぬな。もう、死ぬぞ。エリオ・モンディアルは必ず敗れる。それを良しと、理想の体現が崩れ去るのを良しと、君は認めるのかね?

 

 

 否と、語り掛ける声に否と叫びを上げる。それは決して、認められはしない事。

 美しいのだ。焦がれたのだ。その尊き輝きが力に押し負ける結果など、どうして認められようか。

 

 美しいモノに勝って良いのは、同じく美しいモノだけだ。あの宿敵を倒して良いのは、此処に居る己だけなのだ。

 そうとも、アレは己の理想の体現。そうと認めて焦がれたならば、次はあの場所まで辿り着く。そうして己が勝るのだ。その瞬間に至るまで、誰に負ける事も許せない。

 

 

――否と、そう叫ぶならば、此処に一歩を踏み出し給え。

 

 

 言われるまでもない。あの輝きを潰させない為になら、何処へだって進んで見せる。

 そうとも、今の自分で足りないならば、此処から一歩を進めば良い。飢え乾く程に望んだ願いを、今此の場にて形にするのだ。

 

 

――寿ごう。これは誰にとっても福音となる。新世界へと至る一歩であると。

 

 

 喜んで学べ(Disce libens)。嗤いながら語る蛇を意識の外へと追いやって、トーマは己の剣を此処に構える。

 イクリプスウィルスの制御と共に掌握した活動位階。彼女と共に歩くと決めて、本当の意味で辿り着けた形成位階。そして此れより求めるは、見付けた願いを形に変える創造位階。

 

 

「風は競い合って吹きすさび、華やかな大地を旋回する」

 

 

 口から零れる言の葉は、何時しか脳裏に浮かんだ言葉。己の願いを形に変える。彼が求めた一つの理。

 それは己を変革する求道。己以外を変革する覇道。そのどちらにも傾き得る、自他のどちらが欠けても成立しない絆の力。

 

 

「海から陸へ、陸から海へ、絡まり連なり、永劫不変の連鎖を巡らせる」

 

〈さあ、紡ごう。一緒に祈ろう。貴方の夢を〉

 

 

 内なる少女が笑顔で告げる。一歩先に進まれたと認めるのは業腹だが、それでも直ぐに追い付こう。

 そうとも、己とトーマならば直ぐ追い付ける。一朝一夕でしかない彼らのそれに、自分達の重ねて来た時間が負ける筈などないのだから。

 

 

「其は御使い称える生々流転。美しく、豊かな生こそ神の祝福」

 

〈これはきっと何よりも、誰にだって誇れる願い。一緒に追い掛けよう。この美しさを、もう見失わない様に〉

 

 

 目指した世界は美しく、焦がれた夢は輝かしく、足を進めるその先は、誰にだって誇れる楽園。

 手を取り合って、前に進もう。内に抱いた祈りは唯それだけ。その祈りで全てを包み込む程に、強く強く願うのだ。

 

 

「優しき愛の囲いこそ、誰もが願う原初の荘厳」

 

〈大丈夫。彼らが一人じゃない様に、貴方だって決して一人じゃないんだから!〉

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)

 

 

 尊く輝く光が溢れる。夢見た世界へ至る為に、手を取り合う絆が輝く。

 誰かと共に手を繋いで、歩き出す為のこの祈り。唯一人では意味がなく、手を繋ぎ合わねば何も出来ない。

 

 そんな祈りであるが故に、彼はその手を伸ばすのだ。他でもない。最も憎い彼に向かって。

 

 

「僕の手を取れ! エリオォォォォォッ!!」

 

 

 伸ばされたその手。向けられる困惑の視線。逡巡は一瞬だった。

 このままでは敗れ去ると、誰よりも分かっていたのは彼だ。敗れ去る訳にはいかない、そんな理由だって存在している。

 

 故にエリオ・モンディアルは、伸ばされた手を握り返した。忌々しいと思いながらに、それでもその手を掴み返した。

 誰よりも許せない宿敵を受け入れて、誰よりも倒したい宿敵と手を合わせて――故にトーマの願いは今此処に、その真価を示すのだ。

 

 

「――っ! これが、創造位階、だと?」

 

 

 迫る銃剣と魔槍の一撃。完全一致の共同攻撃を前にして、天魔・悪路は押し負けた。

 創造位階にあり得ぬ出力。無形太極などは遥かに超えたその圧力に、偽神である筈の彼が大きく吹き飛ばされる。

 

 吹き飛ばされながらに立て直し、如何にか大地に着地した悪路王。

 片手を地面に着いた大天魔は此処に、背中合わせに立つ少年達の姿を見た。

 

 

「……間違えるなよ。トーマ」

 

「お前こそ、忘れんなよ。エリオ」

 

 

 手を取り合うも忌々しい。傍に居る事すら許せない。こうして背中を預ける今に、寒気すらも感じる程。

 それでも、此処で倒れる訳にはいかぬのだ。だからそう、これはたった一度の共同戦線。今回限りと銘打って、彼らは同じ場所を見た。

 

 

『アイツを倒したら――次はお前だっ!!』

 

 

 最早、少年達に負けはない。彼らが同じ場所を見て、手に手を取り合ったのならば――不可能などはないのだから。

 

 

 

 

 




屑兄さん「輝き魅せろとか言ってたら、連続覚醒からの共闘コンボとかされた件」


トーマの渇望は一応、覇道。求道の性質も持っている覇道、と言う感じ。
倒さないといけない邪神が覇道の求道神とか言うバグなんで、こっちも求道に近い覇道と言うバグにしてみました。

創造位階の癖に条件付きで疑似流出を圧倒出来る厨性能してるけど、覚醒条件厳しくしたんで許されると思いたい。


法則としての陥穽も山ほど存在している、ぶっちゃけピーキーな代物です。
まあ、最初の一歩だしこの程度。異能としての詳しい解説は、実際の効果を見せてからにします。



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