リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今回はフラグ回。
漸くに得た勝利。確かな希望が芽生える中で――だが、奴も弾けた。


第二十六話 醜く愚かな人形劇

1.

 失楽園の日が終わる。誰もが疲れ果てた中、今日と言う日は此処に斜陽の時を迎えている。

 夕焼けに染まる空を見上げて、シャッハ・ヌエラは静かに口を開く。その音には、万感の想いが込められていた。

 

 

「一矢、報いましたね」

 

 

 漸くに、一矢報いた。その討滅を確認した。管理局創設以来初めて、人類は天魔に勝利した。

 其処に何も思わぬ者など居はしない。長く長く、本当に長く戦い続けて来たのだ。その闘争。犠牲が生んだこの結果、何も思わぬ筈がない。

 

 胸に溢れる名状しがたい感情に、デバイスを掴む手に力が籠る。

 顔を上げて空を見上げる。そうしていないと溢れて来てしまいそうな程に、胸を突き上げる想いがあったのだ。

 

 

「ああ、そうだな」

 

 

 同意を返すは盾の守護獣。倒れた敵は、憎悪を燃やす相手でない。この手で仕留めた訳ではない。それでも、何も感じない訳ではない。

 彼もまた感じている。不条理と絶望の中で抗い続けた管理局の者達程に、長くも激しくもなかったがそれでも確かに感じている。天魔はもう、倒せない敵ではないのだと。

 

 消え掛けていた己の命。絆の覇道で繋がれた時。後少し、ザフィーラの命は延びた。

 この延びた己の時間ならば、確かにこの手は届くやもしれない。そうと思えばこそ、何も感じない訳がない。

 

 

「長い、本当に長い……一日でした」

 

 

 目を閉じて、捧げる想いは一つの挽歌。勝利者達はこの今に、失った者を強く想う。

 無駄ではなかった。無意味ではなかった。無価値ではなかった。分かっていても、澱の様に胸にこびり付いていた不安感。それが消えていく様な感覚に、シャッハは小さく笑った。

 

 

「ですが、これで漸く終わりが――」

 

「いや、逆だ。漸く、漸く、これから始まるんだろうさ」

 

 

 これで終わったのだ。そう呟くシャッハの言葉を、クロノが首を振って遮る。

 これは開幕の狼煙である。反逆の一歩であるのだ。故に全ては始まったばかりで、先はこれからに掛かっている。

 

 そう口にする堅物将官の姿を見詰めて、ザフィーラは珍しく揶揄う様な言葉を掛けた。

 

 

「ふっ、確かにお前にとってはそうだろうさ。現状、唯一の生き残りである高級将官」

 

「……嫌な事を思い出させるな」

 

 

 失楽園の日。多くの命が散華した。無価値の炎に管理局中枢は燃やされ尽くして、浄化の火を受けて最高評議会は壊滅した。

 夜都賀波岐の太極が世界を包んだ影響もあって、どれ程に戦前の状況が残っているか。絆で繋がった時に理解したのは、少なくとも上層部の人員は壊滅したと言う事のみ。

 

 今、管理局で最高階級を持っているのはクロノである。それ以上の高官は皆全滅して、ならば彼は名実共に組織のトップ。

 転がり込む様に与えられた強権と義務。壊滅寸前の組織の頂点になるなど、間違いなく罰ゲームの類であろう。今後の忙しさを想像して、クロノは嫌そうに溜息を吐いた。

 

 

「はぁ、全く。上層部がゴッソリと消えたからな。……関係各所にどれだけ人が残っているのか、考えるだけでも憂鬱だ」

 

「ですが、憂鬱に思えるのも生きていればこそ、でしょう?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 

 これからが本当の地獄だと、疲れた表情を見せるクロノ。そんな姿を見詰めて、シャッハはくすりと微笑んだ。

 辛いのも厳しいのも憂鬱に想えるのも、全ては生きていればこそ。我らは確かに生き延びて、成し遂げたのだと笑っていた。

 

 そんな彼女の笑顔に憮然と返して、クロノも同じく空を見上げた。

 

 

(また生き残れた。漸く一矢を報いたよ。エイミィ)

 

 

 透き通る様な、美しい夕焼けに染まった空。黄昏色の空にはやがて、夜の帳が下りるだろう。

 生き延びた。生き残れた。一矢を報いたのだ。だからこそ、まだ終わりじゃない。まだ終わりにしてはならない。

 

 

(まだ、終わりじゃない。全てはこれからだから――)

 

 

 秋の後には冬が来る。神無月に続くが紅蓮の地獄なら、その先にはきっと春がある。

 目指した場所はその場所で、まだ一歩を踏み出したばかり。故にこそ、愛した故人へ伝える様に、クロノは空を見上げたまま口にする。

 

 

「前へ進もう」

 

 

 前に進もう。先はまだ遠いから。七つが内の一つを討っただけ、まだ先は遠いのだ。

 前に進もう。先はまだ遠いから。何時か神無き世界をと夢に見ながら、絆と共に歩く新たな世界に進んで行こう。

 

 

「一矢を報いただけでは足りない。これから先を望む為にこそ、前に進もう」

 

 

 クロノの誓う様な言葉に、二人も同じ意志を瞳に宿して首肯した。

 前に進もうと、まだ前に進んで行こうと、彼らは決して挫けやしない。挫ける理由はないのだから。

 

 

「……まあ、先ずは何より、管理局体制の立て直しが急務だろうがな」

 

 

 前に進む為にも先ずは、足場を整えなくては進む事すら出来ない。

 どれだけ掛かるだろうかと、嘆息するクロノに二人は揃って苦笑した。

 

 時間は永劫にある訳ではない。決して長い訳ではない。時は凍っていないのだ。永遠などはあり得ない。

 それでも刹那と言う訳ではない。一瞬の時間すらもない訳ではない。故にこそ、一時の休息を挟む余裕はある。僅かな安らぎは必要だ。また前へ向かって、歩き出す為にこそ。

 

 

 

 決戦の日は、未だ遠い。

 

 

 

 

 

 組織体制の立て直しの為に、これから忙しくなるだろうクロノ・ハラオウン。

 一先ず消滅の危機を乗り越えたが、根本的な原因が取り除かれた訳ではないザフィーラ。

 

 そんな彼らに比べれば、女は今も余裕がある。故に聖王教会の女騎士は此処に、雑多な事を請け負うと決めた。

 

 

「では、私は聖王陛下をお迎えに」

 

 

 男二人に礼を見せ、シャッハはヴィヴィオを迎えに行く。

 彼女達が何処に居るか、問うまでもない。彼女達も仲間であり、あの瞬間に意識は繋がっていたのだから。

 

 

「あの子らもな。頼むぞ、シャッハ・ヌエラ」

 

「ええ、勿論。陛下救出に最も尽力して下さった子達です。聖王教会の一信徒として、最大級の対応を行うのは当然です」

 

 

 戦場を共に乗り越えた仲間達を迎えに行こう。先ずは己の職務に従って、聖王ヴィヴィオと合流しよう。

 そんなシャッハに、ザフィーラは少女らの事を任せる。案ずる彼女らの進退を信じる仲間に此処に託して、当然だと女も返す。

 

 意識の共有は、こんなところにも。あの戦場を共に戦った仲間に対して蟠りなど欠片もない。彼ら彼女らは皆、今や誰よりも信頼できる戦友達なのだから。

 

 

「万象掌握で送ろう。その位の余力はある」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 皆をこの場に集める程に、気力も魔力も残っていない。それでも一人を送るだけなら十分だろう。

 軽く手を振るクロノに礼を言って、深くお辞儀する。そうして頭を上げた時には、シャッハの視界に映る景色は変わっていた。

 

 

 

 大地に墜ちた巨大な船。崩れ落ちたは聖王の揺り籠。壊れた箱舟を前にして、二人の少女らは見詰めている。

 虫と共に生きた召喚士の少女は、腕にある小さな熱を強く抱き締める。竜の巫女はその傍らで、寄り添いながらに船を見る。

 

 胸に去来するのは寂しさか、虚しさか。腕に抱いた友の熱が、唯一得られた達成感。

 多くを失い。多くが戻って来なかった。取り零して来た戦場。駆け抜けた場所の崩壊を、彼女達はぼんやりと見詰めていた。

 

 

「陛下。キャロ。ルーテシア」

 

 

 声を掛けられて、振り返る子供達。見詰める先で微笑むシャッハの姿に、彼女達も僅かに瞳の色を変える。

 今も気絶したヴィヴィオ・バニングス。敬うべき聖王と、彼女を取り戻した子供達。彼女達に最大級の敬意を抱いて、シャッハ・ヌエラはゆっくりと歩み寄る。

 

 歩いて行く道の途中。全てが終わったと思っていた状況。だが其処で――女は()()に気付いてしまった。

 

 

「っ!?」

 

 

 不味い。一瞬で湧き上がる感情は焦燥。明確な脅威を前にして、背筋に走る悪寒は致命的。

 何故、忘れてしまっていたのか。その存在に苦しめられていた事は記憶に新しく、その怪物は決して忘れてはいけないモノだった。

 

 コイツは今も万全なのだ。疲弊した六課の皆とは違い、撤退した夜都賀波岐とは違い、コイツは今も万全だった。

 ニィと女は笑みを浮かべる。歪んだ笑みで虎視眈々と、狙い続けたのは漁夫の利だ。故にこそこの今に、動かぬ理由は何もない。

 

 間に合わない。間に合わない。お前はもう間に合わない。

 見せ付ける様にゆっくりと、嘲笑う蟲の群体は此処にその力を行使した。

 

 

「死に濡れろ――暴食の雨(グローインベル)

 

 

 雨が降る。真っ赤に染まった雨が降る。その猛毒の水滴は、魂さえも穢す毒。

 強酸の水は一滴だけでも命を奪うに、十分過ぎる程の物。嘲笑するハイエナは、しかしこの今この場においては他の誰より強大だ。

 

 予備の奈落は未だ残っている。全次元世界総人口の五分の一。

 それだけの数が今も尚、クアットロに囚われている。それだけの質量を、この怪物は維持していたのだ。

 

 

「っ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 悲鳴が上がる。肉が焼けて焦げる悪臭の中、シャッハの口から悲鳴が上がる。

 もう間に合わないと分かってそれでも走って、咄嗟に少女達を抱き締め庇ったのだ。

 

 そんなシャッハを嘲笑うかの様に、クアットロは敢えて一手を遅らせた。

 女がギリギリ間に合う様に、敢えて時間を調節していた。それは何故か、決まっている。諸共に溶かして喰らう為。

 

 

「馬鹿ね。本当にお馬鹿さん。そんなに死にたいんならぁ、一緒に溶かしてあげるわ。骨すら残さず消えなさい」

 

 

 降り頻る雨はもう止まない。赤い赤いその色に、溶けて混ざるは命の灯火。

 血肉が焼け焦げ、錆びた鉄の臭いが周囲を満たす。崩れるその身を嗤う魔群は、最早誰にも止められない。

 

 

 

 ざあざあと雨が降る。命を奪う雨が降る。誇りを穢す雨が降る。――そうして彼女は、奪われた。

 

 

 

 

 

2.

 両面の鬼は立ち去った。後に残された者らは佇みながら、思い思いに思考する。

 そんな時間も極僅か。エリオ・モンディアルは無言のままに、その身を翻すと歩き始めた。

 

 宿敵を攫われた。決着をまた奪われた。だが為すべきことは変わらない。

 攫われたなら、追い掛ける。奪われたならば、取り返す。悩むまでもない。愚直なままに、前に進んで行けば良い。

 

 

「……行こうか、アギト」

 

〈ああ、行こうぜ。兄貴〉

 

 

 故に逡巡は一瞬で、一秒後には歩き出している。休息などは必要ない。疲弊も苦痛も、何時もの事だ。

 内なる少女に一言掛けて、エリオ・モンディアルは前へ行く。先の見えない道であろうと、恐れる心は欠片もなかった。

 

 

「ちょっと、待ちなさいよ」

 

「…………何だ?」

 

 

 そんな彼の背に、言葉を投げたのは倒れたままのティアナであった。

 彼女に対しては恩がある。故に面倒だと思いながらも、何の用だと振り返る。そんなエリオに苦笑して、ティアナは倒れたままに問い掛けた。

 

 

「何処に行く気?」

 

「知れた事。前に進むだけだよ」

 

「あてもなく?」

 

「進んでいれば、何時かは逢えるさ」

 

 

 探す当てはない。目指す場所など分からない。それでも今を進んで行けば、何時かはきっと逢えるであろう。

 そんな愚直な行動。余りに考えなしなその在り方。ティアナはそれに相棒の影を僅か重ねて、頭を抱えながらに溜息を吐いた。

 

 

「……アンタって本当、アイツと良い勝負してるわ」

 

 

 それでもきっと、辿り着いてしまうのだろう。こういう馬鹿は理不尽だ。

 ティアナは僅かな嫉妬と共に、諦めた様にそう思う。思いながらに、一つ彼に提案した。

 

 

「アンタさ。六課に来る気、ない?」

 

「……何?」

 

 

 思わずエリオは問い返す。それは余りに意外が過ぎる言葉であったからだ。

 

 エリオ・モンディアルは汚泥の中で生まれ育った。彼にとって生きる事は、奪い殺す事とほぼ同義。星を羨み憎みながらに、彼は汚泥の底に生きていた。

 そんなエリオにとって機動六課とは、憎み羨む彼が居た場所。あの忌々しい星と同じく、綺羅星の如くに光る場所。汚泥の底に生まれた汚物にとっては、余りに遠いその世界。

 

 

「だからさ。仲間になるか、って聞いてんの」

 

「君達と、この僕が? 正気か、君は?」

 

「酷い言い草ね。これでも正気の心算よ、私は」

 

 

 故に戸惑う。余りの言葉に唖然とする。その目を見開いて、少女の顔をマジマジと見る。

 焦がれながらに戦って、多くを奪い取った相容れぬ場所。そんな六課へ罪悪の王を誘うなど、彼女は一体何を考えているのかと。

 

 そんな彼の呆気に取られた表情に、コイツもこんな顔をするのかと、くすりと笑ってティアナは語った。

 

 

「そりゃさ、色々あったわよ。水に流すなんて、簡単に出来ないくらいにはね」

 

 

 エリオは多くを奪っていった。其処に如何なる理由があっても、最早許せる程にその罪は軽くない。

 奪い、殺し、犯してきたのだ。例えナハトが居なくとも、彼は未だに罪悪の王。管理局史上最悪と判を押された犯罪者。

 

 恨みを抱く者は多く居る。背負った罪業は数え切れぬ程に。そんな彼と言う存在は、正義を志すならば、決して受け入れて良い毒ではない。

 

 

「それでも、手を取り合える部分はある。協力できる事があるなら、恨みあって足引き合うのは馬鹿でしょう?」

 

「…………」

 

 

 それでも、一時とは言え手を取り合えたのは確かな事実。同じ場所を目指して、共に前に進める事は事実であった。

 だからティアナは笑って告げる。これはある種の司法取引。共に歩いて行けるのならば、罪への裁きを一端棚上げしようと言うのである。

 

 そんな彼女の提案は、両者にとって確かな益がある物だった。

 

 

「アンタの利点は一つ。管理局の数を頼れる」

 

 

 失楽園の日を超えて、管理局はその総数を大きく減らした。それでも組織と言う形骸は、この今も保てていよう。

 体制の立て直しには暫く掛かるが、一度立て直せればその数の利が活かせる。無策で単身人探しをするよりかは、遥かに効率的な選択だ。

 

 

「コッチの利点は一つ。罪悪の王が味方となる」

 

 

 管理局側としての利点は唯一つ。期間限定、条件付きの状態であっても罪悪の王が味方となる。有史以来最強最悪と、そう称された犯罪者の助力を得られるのだ。

 一部の例外は強くなったが、多くの犠牲者も生み出した。総合的に見て、管理局の戦力は減少している。そんな彼らの立場からしてみれば、彼程に必要とされる戦力も他にいないと言えるだろう。

 

 

「ほら、どっちもお得。だったら、提案するくらい良いじゃない。言うだけなら、どうせタダなんだしさ」

 

 

 口にするだけならタダだから、駄目元で提案したのだ。

 そんな風に笑うティアナに、エリオは溜息を一つ吐いてから口を開いた。

 

 

「……君は、何と言うか。うん。アレだね」

 

 

 身体の部位が腐り掛け、立つ事も出来ずに笑っている少女を見詰める。

 苦痛の中でも平然と笑っているその姿は、汚泥に染まらぬ星の物。正しく彼女も六課の一人。

 

 ティアナ・L・ハラオウン。その輝きを確かと認めて、エリオはその感情を言葉に変えた。

 

 

「何となく、君とトーマが相棒をやれていた理由が分かった気がする。結局君達は、似た者同士なんだろうね」

 

「酷い名誉棄損。あんな馬鹿に似てる馬鹿だなんて、アンタみたいな馬鹿には言われたくないわよ」

 

 

 被る影。同じ様なその在り方。心の何処かで、きっと似た者同士なのだろう。そう結論付けるエリオを、ティアナは半眼になって見据える。

 あの馬鹿(トーマ)と似ているなどと、この馬鹿(エリオ)に言われたくはなかった。何せティアナは、馬鹿ではないと自負しているのだ。

 

 そんなティアナの主張を鼻で嗤って、歪な笑みを浮かべたままにエリオは語る。

 

 

「それはお互い様、と言う奴だろうさ」

 

〈えーと、馬鹿に馬鹿に馬鹿ばっかり? あたしも兄貴とお揃いが良いし、詰まりは皆一緒で馬鹿って事だよなっ!〉

 

「だ、か、ら、私とお前ら一緒にすんな!」

 

 

 分かって言ってる性悪馬鹿に、頭が動いていないのに追従している真正馬鹿。

 己は彼ら程に愚かでないと、同類項は怒りを叫ぶ。叫んだ拍子に腐った臓腑が悲鳴を上げて、ティアナは思わずのたうち回った。

 

 その姿を見下しながら愉悦に浸って、十分に堪能した後でエリオは告げる。

 苦痛の余りに涙目になったティアナへ向かって、彼は嗤いながらに己の意志を伝えるのだった。

 

 

「そうだね。手を取ろうと、取るまいと、其処に大した違いはない。ならば精々、君達を利用させて貰おうか」

 

 

 己一人でも辿り着ける。だがそれは手を取り合わない理由にならない。弾く意味がないならば、掴んでも問題はないだろう。

 張り付けた嘲笑は変わらずに、その本質も変化せず、それでも僅かに何かが変わった。故にこそエリオ・モンディアルは、ティアナの提案を受け入れたのだ。

 

 

〈仲間の説得はお前がしろよな! あたしは頭悪いし、兄貴はコミュ障だから、そう言うの苦手だ!〉

 

「威張る様な事じゃないでしょうに……はぁ、まぁ良いわ。その位はやるわよ」

 

 

 胸を張って出来ないと語るアギトの声に、悶絶から多少回復したティアナが答える。

 もしも勧誘が成功したなら、元より己が説得にあたる心算であった。故に彼女の要望は、特に拒む理由がない物。その程度の労力で味方にできると言うならば、寧ろ安い程だろう。

 

 

「それで、先ずは何処へ行く?」

 

「そうね。先ずは義兄さんの所に。……歩けないから、背負え」

 

 

 味方として合流するならば、指示には一応従おう。問い掛けるエリオに対し、ティアナは立ち上がらずに口にする。

 腐敗の傷は大きく、彼女は未だ立ち上がれない。悶絶させられた恨みもあって、半眼になりながらに背負って進めとエリオに命じる。

 

 そんなティアナの言葉に面倒そうな顔をして、根性悪な少年は揶揄い交じりに嗤って返した。

 

 

「抱えていくのは面倒だね。槍で刺しても良いかな?」

 

〈こう、胴体を串刺しにして持っていくんだよなっ! 死体動かす時によくやった!〉

 

「死ぬわっ!?」

 

 

 叫んだ拍子に臓腑に響く、走る痛みは耐え難い程の物。

 再び悶絶して転がるティアナの姿に、烈火の精は首を傾げて、確信犯はせせら笑う。

 

 己が宿敵に何処か似ていると、影を重ねた少女で遊ぶ。それは僅かな憂さ晴らし。

 あっさりと攫われて行ったあの少年に、向けられない怒りをこの少女で晴らしているのだ。

 

 そんなエリオの意図を理解して、ティアナは彼を睨み付ける。

 憎悪が籠る程ではない瞳の色で彼が改心する筈もない。平然と笑い飛ばすと少女の身体を蹴り上げてから首を掴んで、俵の様に肩で担いだ。

 

 乱暴で雑が過ぎる扱い。当然の様に衝撃が身体を襲って、少年の肩に掛かったティアナは苦悶する。

 息も出来ない状況で苦しみながらに、後で絶対覚えていろと、担がれるティアナはエリオを恨むのだった。

 

 そうして少年少女は歩き出す。機動六課に合流する為に、荒地を進み始めた彼ら。

 一歩二歩と踏み締める様に進んだエリオは、三歩目を踏み出す瞬間に弾かれた様に跳躍した。

 

 

「――っ! 投げ飛ばす。死にたくなければ、死ぬ気で受け身を取れ!!」

 

「え? ちょっ!?」

 

 

 上がる抗議に、構っている余裕はない。担いだティアナを投げ飛ばすと、エリオは槍を構えて一閃する。

 飛来したのは黒き太陽。偽神の牙を迎撃して、しかし過剰な火力に身を焼かれる。傷付いたエリオは槍を両手に、その下手人を睨み付けた。

 

 

「何の真似だ。クアットロ」

 

「貴方こそ、何の真似かしらねぇ。エリオくぅん?」

 

 

 耳に響くは羽の音。それに混じった甘い声。油の様に絡み付く、不快な音と共に蟲が湧く。

 人型を取った蟲の狙いは明白だ。エリオが投げて助けた少女。彼女を標的として狙っていた。

 

 

「その子、潰したいんだけど。どうして庇うのかしら、ねぇ?」

 

 

 クアットロは受けた屈辱を忘れない。このミッドチルダで最も、気に入らないのはこの少女。

 彼女に泥を食ませたティアナと言う少女。その恨みを晴らす為にこそ、クアットロは此処で彼女を狙ったのだ。

 

 それが分かって、エリオは庇う様に立つ。揺らがぬ槍の穂先を敵へと向けて、語る理由は単純な物。

 

 

「恩義がある」

 

〈それに説得って言う、仕事もして貰わないといけないからな! とっとと帰れよ、虫ババアっ!!〉

 

 

 恩義があって、利用できる要素もある。ならば守る為の理由は最早十分だ。庇わぬ道理が此処にない。

 エリオとアギトは敵意を抱いて、クアットロを睨み付ける。以前ならば恐ろしいと、逃げ回っていた筈の女はしかし余裕を見せていた。

 

 

「……ふぅん。黙って聞いてたら、六課に入るって言ってるしぃ。本気なんだぁ、それ?」

 

「だったら、どうした。君には関係ないだろう」

 

「関係ない? 関係ない? うふふ。ふふふふふ」

 

 

 笑う。嗤う。哂う。浅はかだと魔群は嗤う。心底から軽蔑する様に、エリオを見下し彼女は嗤う。

 常と違うその対応に、エリオは確かに自覚する。理由がなければ、この女は決して強気に出はしない。ならばその態度には相応の、理由が確かに存在するのだ。

 

 

「忘れているのかしら、実に愚かね。腐炎を失くした今の貴方が、私と対等に口を聞けるとでも思っているのかしらねぇ」

 

 

 それは一点。最早エリオ・モンディアルと言う存在は、クアットロ=ベルゼバブにとっては脅威ではなくなったと言う事。

 不死不滅の魔群を滅ぼせるナハトの炎。その力があればこそ、クアットロはエリオを恐れた。だが最早ナハトは居ない。ならば恐れるに足る理由がないのだ。

 

 エリオではクアットロを殺せない。端末を幾ら潰そうとも、意味などは一切ないのだ。

 故にこそ、彼はもう怖くない。怖くなくなったならば、恨みを晴らすのがこの女。良い様に使われたその鬱憤を、盛大に晴らすと彼女は決めた。

 

 

「本当、不愉快。良いわ。教えてあげる。誰に舐めた口を聞いているのか、ってねぇ」

 

 

 パチンと、蟲が形作る形骸が指を鳴らす。同時に発動するのは転送魔法で、呼び出されるのは一人の少女だ。

 ぐったりとした姿を晒すは明るい茶髪をした少女。白い鎧を身に纏っている彼女の名は、冥府の炎王イクスヴェリア。

 

 クアットロがその掌中に収めている、エリオに対する切り札だ。

 

 

〈イクスっ!?〉

 

「……貴様、まさか」

 

「ご明~察。想像の通りよ。エリオくぅん」

 

 

 何を企んでいるのか、理解して表情を変えるエリオ。その姿に舌なめずりをして、うっとりとクアットロは笑みを浮かべる。

 歪な笑みは、嘲笑と優越感が入り混じった物。陶酔する様なその表情は、これから起こる悲劇に期待して。クアットロ=ベルゼバブは嗤いながらに、此処にその引き金を引いたのだった。

 

 

「その証拠、見せてあげる。――BANG!」

 

 

 赤い花が空に咲く。少女の身体が弾けて飛ぶ。血流が逆流して、内側から彼女の血肉は弾けて散った。

 苦悶の声は上がらない。悲鳴を上げる事すら許されない。それでもイクスは苦しんでいる。声を上げる事が出来ないだけで、その表情は苦悶に満ちていた。

 

 声を上げれば、逃げてと叫んでしまう。自分を見捨ててくれと頼んでしまう。だからクアットロは許さない。

 魔群に全ての自由を奪われ、彼女は言葉も発せない。女の意志一つで身体を壊し尽されながら、イクスには意志を伝える事すら許されない。

 

 

「――っ! 貴様ぁっ!!」

 

 

 大切な者を汚されて、怒り狂わぬ彼ではない。炎を槍に纏わせて、クアットロへと斬り掛かる。

 だが無意味だ。今の彼では傷付けられない。蟲が幾つか焼け落ちて、得られた戦果はその程度。夢界に潜む魔群へは、牙を届かせる事すら出来はしないのだ。

 

 

「BANG! BANG! BANG! BANG!」

 

〈やめろよ! お前っ!! それ以上は、イクスが死んじまうっ!!〉

 

 

 攻撃に対する報復は、エリオではなくイクスへと。魔群は嗤いながらに少女を壊す。

 腕が膨れ上がって弾けた。足が膨れ上がって弾けた。嗚咽する様に中身が零れて地を染めて、頭が柘榴の様に吹き飛ぶ。

 

 それも僅か一瞬で、瞬きした直後には復元される。再生させた上で、クアットロはまた壊すのだ。

 

 

「BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG! BANG!」

 

「クアットロォォォォォォォォォォッッッ!!」

 

「アハハハハハハハッ! 良い気味ぃ! もっと壊してあげるわぁ。貴方の大切なモノぉ」

 

 

 怒りを叫んでも、その手は届かない。魔法の炎も雷も、魔群を滅ぼすには何もかもが足りていない。

 破壊を振り撒きながらに怨敵の名を叫ぶエリオの姿を魔群は嗤い、囚われた少女はそんな姿に瞳を涙で揺らがせた。

 

 壊れる。弾ける。踏み躙られる。巻き戻す様に復元されて、巻き戻ったから最初から。

 繰り返す。繰り返す。クアットロは繰り返す。エリオの魔力が尽きるまで、その心が折れるまで、執拗なまでに少女の身体を蹂躙した。

 

 

「もう分かったでしょう? イクスちゃんは私の手の中。冥王様を生かすも殺すも、ぜ~んぶ私次第なの」

 

 

 これは悪魔を利用しようとした代償だ。彼らを上手く使おうとして、失敗すればこうもなる。

 大切な者をクアットロに任せた時点で、こうなる事は決まっていたのだ。隙を晒してしまえば、悪魔は其処に漬け込むのだから。

 

 

「あぁ、今は生きてるけど、もっと壊しちゃうかも? け、ど、貴方の態度次第ではぁ、考えてあげなくもないわよ。エリオくぅ~ん?」

 

 

 治して壊して癒して潰して、クアットロは陶酔した様な表情で嘲笑する。

 何をしようと届かない。今の彼では救えない。それを叩き込まれたエリオは、屈辱に歪んだ瞳で怨敵を睨んだ。

 

 

「……何が、望みだ」

 

 

 膝を折る。今は勝てないと諦める。そうして、魔群を睨み付ける。

 そんなエリオの態度にクアットロはニヤリと嗤って、再びに同じ言葉を口にした。

 

 

「BANG!」

 

「――っ」

 

「先ずは敬語。口の聞き方から気を付けなさい」

 

 

 弾け飛んで落ちる血と肉。荒れた大地は真っ赤に染まって、流れた血は最早池。その総量はそれ程に、イクスが苦しんだと言う証明。

 助ける手段がないからと、見捨てられる様なら彼はそもそも神座を目指さない。救えない者をこそ、家族の様に想う大切な人々をこそ、彼は救いたいと思ったのだ。

 

 だから、その苦しみを目にするくらいならば――己が屈辱に塗れる方が遥かに良かった。

 

 

「…………何が、望みですか」

 

「そうよ。それで良いの。そういう、分を弁えた態度って大切よぉ」

 

 

 槍を捨てて、膝を付く。憎悪に染まった瞳を隠す様に、頭を下げる。そんな形式だけの降伏宣言。

 その本心を見抜きながらに、クアットロは満足する。屈辱に染まったその表情に、女は愉悦を覚えていたのだ。

 

 

「次は~、そうね~。土下座して足を舐めろ、とか? それともその子を辱めろとか、行ってみようかしらぁ? 腐り掛けのガキじゃ勃たないかしらねぇ。キャハハハハハハッ!!」

 

「…………」

 

「ま、良いわ。あんま長居してると煩いのに気付かれそうだし、今は何より重要な事があるもの」

 

 

 エリオを従えた事で、一先ずクアットロは満足する。

 ティアナを殺したいとは思っているが、余り時間を掛けたくないのも事実であった。

 

 この地には未だ、魔群を凌ぐ者が居る。たった二人、今のクアットロでも手に負えない敵が居る。

 高町なのはとアリサ・バニングス。他はどうとでもなるが、この二人には何も出来ない。故に彼女は鬱憤晴らしを此処に終えると、エリオに対して命じるのだった。

 

 

「ドクターを迎えに行くわよ」

 

「……ジェイル・スカリエッティは、死亡したのではないのですか」

 

 

 慣れない敬語で語るエリオの言葉に、クアットロの形相が変わる。

 執着する様に、切望する様に、現実から逃避する様に、女は父の死を認めていなかった。

 

 

「死んでない。滅びない。終わらせないのよ。ドクターは、誰にだって奪わせない」

 

 

 ジェイル・スカリエッティの存在は、クアットロにとっての全て。世界の全てより重いモノ。

 その死なんて認めない。滅びなどは受け入れない。それが例え父の望みであったとしても、クアットロは許さない。

 

 そうとも、誰にも奪わせないのだ。ジェイル・スカリエッティ自身ですら、それは例外ではない。

 

 

「再誕の儀は用意した。後は生まれ落ちたばかりのドクターを守る為に、神々すら寄せ付けない戦力を用意する。貴方の役割はそれよ。貴方は私の奴隷戦士。神への対抗手段になって貰うわ。エリオ・モンディアル」

 

「…………」

 

「それじゃぁ、行くわよ。()()、ドクターの下へ、ねぇ」

 

 

 人質を取られ、その首には再び首輪が嵌められる。今度は実体こそないが、故に力で外せぬ首輪。

 消え去っていくクアットロの後に続いて、エリオは静かに立ち去って行く。血が滲む程に握った拳は、無力感に震えていた。

 

 

「エリオ。アンタ」

 

〈兄貴〉

 

「……何も言うな。言ってくれるな」

 

 

 倒れたティアナの見詰める瞳。内から語るアギトの案じる声。それに力なく返して、エリオは自嘲する。

 

 

「ああ、本当に……無様だな」

 

 

 罪悪の王は魔群の下に、こうしてその頭を垂れた。

 魔群の暴走は続く。クアットロは蠢動する。それを阻む術は――今は未だ、存在していない。

 

 

 

 

 

3.

 そして彼は再び、生まれ落ちる。底の底の底の底、汚泥の底にて命は蠢く。

 ミッドチルダから僅か離れた無人の世界。崩れた建物は、嘗て魔刃に焼かれた管理局の違法研究所。

 

 一番近くにある医療設備が整った場所が此処だった。だからこの地を、クアットロは再誕の場所と選んだのだ。

 そんな魔群の見詰める先には、機械で繋がれた女の姿。ウーノ・ディチャンノーヴェと言う女の腹は、異様な程に膨らんでいた。

 

 その胎の中に、別の命があるのだろう。そう予想するのは容易い程に、だがそれでも異様な程に膨らんでいる。

 並の妊婦の数倍、数十倍。余りに肥大し過ぎたその胎は、胎内で彼が成長しているから。母体を壊してでも一定年齢まで成長させようと、クアットロが望んで多量の薬品を投与した結果だ。

 

 S因子。スカリエッティの遺伝子情報。それが組み込まれている事を知っていればこそ、エリオはその光景を気にも留めない。

 ジェイル・スカリエッティの傍付きである戦闘機人は、いざと言う時に彼を産み直す為に。それが存在理由なればこそ、哀れに思う必要すらもないだろう。

 

 だからこそ、彼が意識するのは別の者。その異様な風体に、エリオは困惑しながら小さくその名を呟いた。

 

 

「……アスト」

 

「ああ、それ? 壊れちゃったのよねぇ」

 

 

 ヴィヴィオと呼ばれたその少女。浚われた聖王の末路は、悲惨な物だった。

 

 だらしなく全身で壁に凭れ掛かりながら、口を半開きにしたままに何事かを呻いている。

 涎を垂らしながらに泳ぐ視線には、意志の強さは感じられない。その在り様はまるで、重度の白痴か末期の痴呆患者であろう。

 

 

「ほら、天魔・紅葉が太極の中身をばら撒いたじゃない? 折角だから回収しようと思ったんだけどぉ、丁度良い器がなかったのよねぇ。だから、偶々近くにあったこの子に詰め込んだんだけど、流石に数億年分ね。無理矢理入れたら、パンクしちゃった」

 

 

 天魔達は紅葉だけを回収して、急ぎ穢土へと撤退した。管理局側にも余裕はなく、故に浮いていた等活地獄のその中身。

 それを回収したクアットロは、ヴィヴィオの身体を器としたのだ。無数の魂を運ぶ為に、次々に叩き込まれてヴィヴィオは壊れた。

 

 元より生まれたばかりの魂。芽生えて間もない小さな赤子は、質量の暴力を前に押し潰された。

 そんな己の所業を何ら悔いる事はなく、寧ろクアットロはヴィヴィオに向けて怒りを募らせる。この程度で壊れるなんて、余りに使えなさ過ぎると。

 

 

「たった二百万人の英雄を抱え込んだだけでこの有り様。ほんっと、アストちゃんってば役立たず。もう持ち運びの為の鞄にしか使えないんだもの」

 

 

 エリオの回収に動いたのは、アストが余りに役に立たなかったから。

 出来ればあの地に長居などしたくなかったのだと、クアットロは苛立ち交じりにヴィヴィオの身体を蹴り飛ばす。

 

 踏んで踏んで踏み躙って、口から零れた体液に幼子の顔が汚れる。

 涎に塗れたその間抜けさに、クアットロは気分を直すと楽しそうに笑って語った。

 

 

「ドクターが再誕したら、遁甲の中身(コレ)はエリオ君に移すわよ。元々二十万の群体なんだし、十倍くらいなら如何にかなるでしょ? そのくらいやんないとぉ、戦力として役に立たなそうだしねぇ」

 

「…………」

 

「返事もないのぉ? ま、今はエリオ君なんかより重要な事があるから、良いけどねぇ」

 

 

 壊れた残骸となったヴィヴィオ・バニングス。それを哀れむエリオの姿に、クアットロは僅か苛立つ。

 だがそれも一瞬だ。後で再教育を施そうと胸に刻んで、今はもっと重要な事があるのだと視線を肥大した妊婦に向けた。

 

 破水が起こった。衣服を全て奪われた機人の女の股座から、命の水が零れ溢れる。

 しかし上手くは生まれて来ない。中身の大きさに対し、産道が余りに狭いのだ。故にこそ、クアットロは形を変える。

 

 鋭い刃の形を取って、躊躇う事なく振り下ろす。女の叫び声と共に、機人の身体は切り拓かれた。

 麻酔一つない帝王切開。血と体液を吹き出しながらに、血肉を分けて命を取り出す。生まれた赤子の身体は既に、十の齢を超えていた。

 

 

「お誕生日、おめでとうございます! 万感の喜びを、クアットロは抱いておりますわ。私のドクター」

 

「ドク、たぁ?」

 

 

 紫の髪をした少年は、舌っ足らずな口調で呟く。プロジェクトFを利用したその器は、確かにスカリエッティの焼き直し。だが、何かが違うとエリオは感じた。

 

 

(……これは、違うな)

 

 

 目を凝らして見詰める。其処に魂は存在しない。ジェイル・スカリエッティは此処にはいない。

 彼は満足して死んだのだ。もう生きる意志がなかったのだ。故にこうして類似の器を作り上げても、その中身には宿らない。

 

 

(残骸だ。最早、ジェイル・スカリエッティとは言えない。中身のない。壊れた人形だ)

 

 

 此処に在るのは残骸だ。僅かに零れた断片が、呼び寄せられて宿っただけ。

 血肉が通っただけの肉人形。記憶があるだけの泥人形。クアットロが抱き締める。彼は最早壊れた人形。

 

 アリシアとフェイトが違った様に、彼とスカリエッティは違っている。

 いいやそれ以上にズレているだろう。魂の切れ端しか残っていないのだから。

 

 

「ええ、ええ、貴方こそが私のドクター。私が愛する、ジェイル・スカリエッティですとも」

 

「そゥ、どくター。私ノ名マエ、僕のナ前、ジぇいル・スかりエッてい?」

 

 

 そんな人形を抱き締めて、全身を拭う様に撫で回す。生まれたばかりの裸体を見詰めるその瞳は、愛情と劣情が混じった物。

 愛玩人形と化した残骸を撫で回す手付きには、見る見る内にいやらしさを増していく。そんな醜悪な光景から目を背けて、エリオは小さく息を吐いた。

 

 

(気付いていないのか。気付いていて、こうなのか。……どちらにしても、この女には似合いか)

 

 

 壊れた父の模造品。それに愛欲を向ける醜悪な女。その内情がどうであれ、実に似合いな光景だろう。最低なモノと最悪な者。悪い意味で釣り合いが取れている。

 そんな彼女らから目を背けると、捨て去られた母体を拾い上げる。気紛れでその身に治癒を掛けながら、思考するのは虜囚と化したこの我が身。最早残骸しか残っていないこの集団。

 

 全てを映す鏡は罅割れて、聖なる王は白痴と化した。スカリエッティの擬きに中身はなく、これは最早、女の情愛を満たす為だけの愛玩人形。

 虫螻は自分勝手な人形遊びに浸り耽って、そんな愚物に従う事しか出来ない戦闘奴隷。これが嘗ては最強の頂きにまで迫った反天使達の、壊れた先にある無様な形だ。

 

 

(臭い。醜い。見苦しい。汚泥の底に相応しい面子だね。僕も含めて、さ)

 

 

 余りに見苦しいその在り様。それでも汚泥の底にある限り、相応しいと思ってしまう。

 そんな己に自嘲しながら、上がり始めた嬌声を意識の外へと振り払う。そうしてエリオは、天蓋の先にある空を夢見た。

 

 

〈兄貴〉

 

「そう嘆くな。今は従う。今だけは、従う。だが、何れは……」

 

 

 本心を隠す必要などはない。敵も既に理解しているし、今は聞いてもいないだろう。

 

 

(忘れるな。クアットロ。お前は僕の逆鱗を踏み躙った)

 

 

 この恨みは必ず晴らす。今は精々、人形遊びに溺れていろ。

 その仮初の天下はそう遠くない内に、己のこの手で叩き潰す。好き放題に動いた報いは、必ず貴様に受けさせよう。

 

 

(何れ、必ずだ。イクスを救った後は、その報いを必ず受けて貰うぞ)

 

 

 倒すべき敵は定めた。後は果たすべき手段を見付け出し、この魔群を滅ぼすのみ。

 これは所詮過程である。この小物は進むべき道の、轍として踏み潰す。そうとも、目指すべきはもっと高みだ。

 

 

「終わらせる。この手で、全て――だから、その時こそ」

 

 

 閉じた瞳に、浮かぶは望んだ敵の姿。もう助けにはいけないだろうが、きっと彼ならば地力で這い上がって来るだろう。

 お互いに囚われて、流れてしまったその決闘。どちらが先に自由を取り戻すのか、競って見るのも楽しそうだと頬を歪めた。

 

 

「決着を付ける。その日に逢おう」

 

 

 奈落の底へと再び堕ちて、エリオ・モンディアルは夢を見る。

 何れ決着を付けようと、その日までにけりを付けようと、エリオは己の魂に誓うのだった。

 

 

 

 

 




何だろう。風を感じる。皆の憎悪が、読者の怨嗟が吹き付けている。
クアットロ許さねぇ。皆の想いが一つになって、彼女へ向かっている気がするんだ。


スカさんの末期を穢し、ヴィヴィオの心を壊し、エリオの宝物を踏み躙る。
ハットトリックを見事に決めたクアットロさんの今後が期待される今回でした。





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